2003/12/27 - 2003/12/30
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旅人のくまさんさん
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<2003年12月28日(日)>
<ホテル近くでの朝食>
昨晩、南大門から戻る途中で、屋台で銀杏と栗を焼いていたので、つまみ用に買って帰りました。屋台の酒で結構いい気分になりましたが、昨晩はこのツマミで仕上げとなりました。
今日からは早起きをしてソウル市内とその近郊の見物開始です。最後に飲んだオールドパーの水割りが丁度良かったのか、ぐっすりと熟睡できました。7時前には気持ちよく起床できました。カーテンの隙間から外を覗きましたら、まだ薄暗さは残っていたものの、上々の天候でした。
朝食は、昨日の内に見当をつけておいた店にしました。地下鉄の4番で入口のすぐ前の店です。50人以上は座れそうな大きな店です。この店にしたのは、ハングルで「スンドゥプチゲ」とガラスにメニューが書いてあったためです。朝はこの料理と決め込んでいます。
大きな店だけあって、店内は清潔でスタッフも大勢でした。厨房だけで5人以上は働いていました。この店のスンドゥプはボリュームもあり、合格点でした。アサリも入っていて、下味が美味しかった。メインのトーフも美味でした。キムチは5、6品が仕切りのついた皿で運ばれてきました。このキムチは、この後、毎日品代わりをされていました。
店員さんの中には、大阪に住んでいたことがあるという女性の方もいて、2日目からは、日本語での挨拶も交わしました。
<東大門(トンデムン)>
東大門市場(トンデムンシジャン)は、南大門を凌ぐ繁華街と書かれたパンフレットがありました。若い人好みの新しいデパートが立ち並んでいるからです。しかし、南大門市場の店の数には敵わないようです。朝早く訪れましたので、人通りも少なく、屋台の店も疎らでした。車だけは多く行き交っていました。
シンボルの東大門は、南大門と同じように、都会の中に取り残された歴史建築物です。今は、その付近で道路改築工事が真っ盛りでした。その工事現場で、鋳鉄製の重たいマンホールの蓋をリヤカーで運んでいた人がいました。なんとなくアンバランスで、面白くもありましたので、少し離れたところからカメラに収めました。
1本裏道に入ると、小さな店が軒を並べて古い町並みを形成していました。朝の早い時間なので、人通りはほとんどなかったものの、夜には結構賑わいそうな雰囲気でした。生簀がある店先の写真も撮りましたが、枚数の関係で掲載は省略しました。韓国北東、束草(ソクチョ)の南の港町、大浦(テポ)で食べた活きのいい魚とは、少しばかり違っていました。プサンのチャガルチ市場の方が、魚料理では遥かによさそうでした。それで、夜にこちらへ足を運ぶことはしませんでした。
<景福宮(キョンボックン)見学>
地図で調べましたら朝鮮時代の王宮、景福宮までは、歩いてもたいした距離ではないようでした。しかし、70円弱の安い料金ですし、いろんな路線に乗ってみたかったので、地下鉄で移動しました。
最寄の地下鉄駅は景福宮と同じ名前でした。駅構内は広く、あたかも展示場のようなレイアウトでした。韓国各地の植物写真が延々と飾られていました。草花からシダ類など、花だけでなく、その実などの写真や図が豊富に展示されていました。つい、50枚程の写真を撮りましたが、これも紙面の都合で割愛しました。後でゆっくりと整理したいと思っています。残念なのは、駅構内の蛍光灯や、照明のライトが映りこんだり、反射して綺麗には撮れなかった事です。
この博物館で一番見たかったのは、付録にも収めた「半伽思惟像」です。まさに国宝中の国宝と言った逸品です。その対の像が日本にもあります。というより、元々韓国にあった1体が、日本に渡ってきたもののようです。
焼き物も見応えがあり、高麗青磁、李朝白磁が国宝を含めて充実しています。土産物店で売っている青磁や白磁のモデルとなっている、その本物がここに多数展示されています。売店で絵葉書を買い求め、その中から付録として写真を収録しておきました。時代を経て落ち着いた色合い、優美な曲線、精巧な作り等、本物の味はまた格別です。
白磁と言えばいつも思い出すのが、作家の立原正秋のことです。その作品の中で別格の扱いをされていました。後で出版された回想録には、故人が愛したと思われる少しいびつな白磁の壷の写真がありました。韓国の北東部の出身であるだけに、韓の文物に対する思いは格別のものがあったようです。
氏は日本中世の美の再発見者であると、個人的には思っています。安宅コレクションの目利きの一人であったことや、加藤藤九郎さんの作品に「紫匂(むらさきにおひ)」の銘を付けられたエピソードも思い出されました。白地に薄いピンクが入った茶碗であり、実物を二度目にしたことがあります。
<国立中央博物館>
景福宮に向かって右手の建物が新しく出来た国立博物館です。以前は赤レンガ造りの朝鮮総督府の建物利用の古い博物館でした。日本帝国の占領時代の悪夢を降り払おうと、歴史的建造物は完全に壊されて、その跡地に今の近代的は国立中央博物館が出現しました。
古い建物の時にも見学しましたし、取り壊しの最中にも訪れたことがあります。ほとんど同じ外観イメージの台湾総督府後も訪れたことがありますので、いささか感じるところもありました。新しくなってから中を見学したのは、今回が初めてではありません。しかし、ゆっくりとマイペースで見学出来る一人旅なので、時間を掛けて見学することにしました。
先史時代から古墳時代、三国時代を経て現代まで、ゆったりとした展示スペースに展示されています。ミニチュア模型や、実物大の模型もあり、小さいお子さんたちの社会学コースにもなっています。この辺りの設定は、各国共通のものがあるようです。
展示の中で強く意識させられたのが、韓国の地域に対するこだわりと言ったものです。日本の教科書でもよく出てくる三国時代の高句麗(コグリョ)、百済(ペクチェ)、新羅(シィルラ)、あるいは朝鮮時代、高麗時代と言ったその後の時代、地域区分です。
ところが、最近では任那府は日本の一部と同じ国家を形成していなかったとか、高句麗は中国の地方政府であったとかの中国側の主張に、韓国側が反論したりと、まだまだ議論、研究が尽きない分野のようです。これらは、自分としても将来の勉強の対象にとっておきたい楽しみの一つです。万葉集の初期の作品群は、古代朝鮮時代とは、切り離せない部分があります。
日本人のご年配のカップルに、達者な日本語で案内されるボランティアの方の話に耳を傾けたりして回りました。見学を終えた時は、昼の時間を少し回っていました。日曜日なので、子供さん達の団体がいなかったことが幸いしたのか、場内は静かで、心おきなく見学を楽しむことが出来ました。
<昌徳宮(チャンドックン)の衛兵交代>
景福宮から昌徳宮までは、少し距離がありましたが、東方向に歩いて移動しました。坂を下りきったところに、昌徳宮の西の端が見えてきましたので、昼食の店を探すことにしました。昌徳宮の来訪者用の飲食店街と言ったところでした。
韓国料理の店と中国料理の店が並んでいましたので、少しばかり趣を変えて、中華料理の店のほうに入りました。新しい造りの店でした。メニューを見せて貰い、「麺」と「海鮮などの具がたくさん」と言った文字を探し、それなり料金のメニューを指差して注文しました。出てきた料理は、予想通り、海鮮物と野菜がたっぷり入った「五目ラーメン」といった大盛どんぶりでした。
メモをした訳ではありませんが、今その材料を思い出してみますと、魚介類が烏賊(いか)、蝦(えび)、海月(くらげ)ともう2種類くらい、野菜も白菜、葱(ねぎ)、人参、香菜等が10種類は入っていました。
殊に、何種類かの香菜が、風味豊かでした。珍しい形のものもあり、はじめて食べたものがありました。〆て、日本円換算で750円程度でした。大いに満腹しました。味付けも良かったし、キムチと浅漬けのタクアンもちゃんと付いていました。
昌徳宮のことを書く前に、前置きが長くなり過ぎたようです。ここで本題に入ります。
そのお店から少し下ったところに広い駐車場があり、出入り口も付いていました。しかし、そこから入場しようとしたら、止められ、正面入口に向かうよう誘導されました。出口専用でした。
南側の正面入口に向かうと、丁度衛兵交代の儀式が始まるところでした。門の前に交代の衛兵が整列し、儀式を執り行うための文官と思しき姿も見えました。説明役の女性二人が、向かって左手にの位置でマイクを持って準備していました。
衛兵交代は、この女性二人のアナウンスで段取りごとに説明されました。英語、中国語、日本語と韓国語です。2ヶ国語づつアナウンスを受け持っていました。今日は圧倒的に日本人客が多かったようです。
儀式を簡単に紹介します。任務を終わったあとの衛兵に対し、新しく任務につく一団が昌徳宮の責任者に身元確認され、それが間違いなく本物とわかると、鍵を渡して任務を入れ替わると言ったところです。儀式の大きな段落では、極彩色の大太鼓が打ち鳴らされました。いつの間にか、この儀式を取り巻く人波はかなりの数に膨れ上がっていました。
イベントが終わった後は記念撮影タイムになりました。先程、衛兵交替儀式を終えて勤務に付いた人たちの横に立って、自由に写真が撮れました。最初は遠慮をしていた若い人達も、衛兵の横に立ってはVサインを出していました。
入場の順番は、日本語圏の私達からでした。開門の前に日本語ガイドさんが入口のところに詰め、早く開門するように係員に促していました。結局、30秒とは違わないぎりぎりの時間でした。このガイドの中年の女性の方は、丁寧で格調高い日本語を話されました。敬語に時々不自然な表現がありましたが、全体としては、申し分のないガイド振りでした。
<昌徳宮見学>
今回の旅行の一番メインとなる見学でした。何度か昌徳宮の前に訪れたり、衛兵交代儀式を見学したことはありましたが、ゆっくりと宮廷内を見学するのは今回が初めてでした。写真も一番多く撮り、説明書きも加えておきましたので、ここでは簡単にだけ紹介しておきます。
日本語圏の入場は一番初めの組でした。門を潜って少し進んだ左手の境内全体を図示したボードがあり、この前で説明が始まりました。広い境内は北の山手に続いていて、全部歩いたのでは大変です。見学コースは中ほどからの折り返しです。奥の方は、自然保護のために立ち入り禁止区域もあります。
大きな建物ごとにガイドさんは丁寧に説明してくれました。しかし、当方は、写真を撮るのに忙しく、ほとんど聞き漏らしてしまいました。少し覚えているのは、国会議事堂の機能を持った大きな建物の「仁政殿」、丈夫で長生きできると言う一枚岩の「永春門」、柱に漢詩の一行を書いた紙を貼った女官たちの住まい、色彩が乏しい下級官吏の長屋風の建物などでした。
昌徳宮はかなりの建物が長く保存されていて、一角には生活の匂いがするような建物もありました。高床になった部分にはオンドルの設備が完備していて、寒いソウルの冬を越すための備えも万全だったようです。大きな建物の中には、再建されたような新しさがありましたが、余り目立たない建物などは、昔のままの面影を今に伝えてくれているようでした。
折り返しの池の辺で短い休憩を取りました。その池には一面氷が張っていました。日陰にも雪を全く見なかったのは、元々雪が少ないのか、今年の韓国が暖冬のためなのかは、見当の付けようがありませんでした。
日本語圏(といっても1国だけ)の一団は、中々マナーが良く、ガイドさんの案内に従って、時間通り見学を終えました。出口でガイドさんの挨拶があり、全員でお礼の拍手をして解散しました。入場を制止された出口専用の門の前でした。
<ケジャン、アワビの夕食>
昨日は南大門市場の中で夕食、晩酌をしましたので、今日はホテルに近いミョンドンで店を探しました。
夜市見学を兼ねて、南大門から始めて、ミョンドンも散々捜し歩きました。偶然にお坊さんの格好をした石焼ビビンバの店、全州屋さんの前も通りましたが、こちらは最終日の昼食用に残しておきました。意外と泊ったホテルに近い位置にありました。
本通ではなく、なるべく裏道を探し歩きました。混みすぎてもいけませんし、全く客のいない店も、ぼられないかと心配です。不味い店だから空いているのなら最悪です。
大分捜し歩いた末に探した店は、坂道を一旦登って、別の道から下る途中の左手にありました。店先のメニュー写真にケジャンがありましたので、つい、その写真に見入りましたら、年配の店のママが日本語で話し掛けてきました。歩き草臥れてきましたし、少々高くてもケジャンが注文できれば、それでよしとしました。
小さな店で、先客は若いカップルの一組だけでした。厨房には4人ほどいましたが、男性1人のほかは、働き盛りの女性達でした。
店のママに最初にケジャンを確認しましたら、注文OKでした。ついでに鮑料理も頼みました。ざっと10万ウォン、1万円位を上限に他の料理も頼みました。魚貝類が新鮮なようでしたから、今日は少し贅沢をしようと、最初から考えた上でのことでした。飲み物は生麦酒、その後は焼酎と言った、いつものパターンです。
ケジャンは大皿に山盛り出てきました。もう、これだけでも満足です。麦酒によし、焼酎にまたよしです。鮮度も良く、渡り蟹の大きさも十分でした。これだけでも5千円請求されても納得できる料理でした。
ケジャンを食べ終えないうちに次に出てきたのが、鮑の炒め料理です。店先に置いてあった中くらいの大きさの貝が2つ使われて、野菜もたっぷりでした。これまたボリュームたっぷりでした。そのうちに何組かの来客がありました。少し贅沢な私のテーブルに、時々視線が向けられました。
キムチとスープはサービスでたっぷりと出されました。他の席にも出されていますので、こちらは料金外です。生蛸も刺身で頼みました。ケジャンを熱いご飯で食べてみたかったので、白ご飯を頼みました。
ご飯は直ぐに保温ケースから、アツアツを出してくれました。韓国の方は、少し食事をしてからお酒を楽しむ習慣のようで、私もこの風習に習いました。悪酔い防止には最高です。
ゆっくり晩酌と夕食を楽しんで勘定を頼みました。少しばかり料理を取り過ぎましたので、ひょっとしたら1万円を越えるかと思いましたら、8万ウォン、8千円程度でした。お釣の中から小銭を渡したら、ママが随分と喜んで、「日本のテレビ会社から何度も取材を受けました」との宣伝書きが入った名刺を渡してくれました。
景福宮で
腰掛て韓の都の冬を知る
石山の白さよ韓の冬厳し
松籟に古偲ぶ冬紀行
彩色の冬日にきりり新普請
昌徳宮で
坂下る時に手に見し冬芽哉
温突の塔傾ぬ旅半ば
故き宮棲む人は無き白障子
見返れば甍を背中に冬紅葉
- 交通手段
- 鉄道
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トンデムン(東大門)は翌、28日の朝一番に訪ねました。いずれの門も、元は景福宮や昌徳宮への入口だった由緒ある建造物です。
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工事現場の盛り土と組みあがったばかりの鉄骨をアクセントに、東大門の遠景の一枚です。この日も最高の天候に恵まれました。
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こちらは東大門の南側からの眺めです。南大門ほどではないですが、近代ビルの中に取り残された歴史建築です。
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トンデムン(東大門)から南側の交差点です。朝の早い時間から車の洪水が始まっていました。平日ですともっと混みあうのでは。
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右手に見えるリヤカーは、大きな鉄製のマンホール蓋を運んでいました。韓国は近代と旧来の手仕事の時代が混在しているようです。
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朝の9時を回って、いよいよ車の台数が増えてきました。東大門から1本南側の通りでの写真です。
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東南側の通りでは、道路工事の最中でした。日本の場合は年末年始の工事規制がありますが、こちらは旧正月のためか、そんな気配はありません。
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東大門界隈も市場が立ちます。しかし、南大門と並ぶ規模の市場です。1本裏通りには、飲食店などの小さな店が軒を並べていました。
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一輪だけの槿の花です。韓国の国花です。韓国風には、槿の花はムグンファです。特急電車の名前にも使われています。
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景福宮(キョンボックン)を訪れたのは、今回が3回目か4回目です。全くの気まま、自由旅行なのでゆっくりと見学しました。
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景福宮の南には光化門がありますが、この門は、その北側です。現在の景福宮境内の一番南側に位置しています。
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その門の正面に向かって左手、西側の甍(いらか)部分です。戦火に遭って再建された建物に違いありません。
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石造りの門から覗いた景福宮の建物群です。遠景には山も見えます。その山懐、景福宮の北側にはこの写真には写っていませんが、大統領府である青瓦台があります。
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正面入り口の左手方面の眺めです。獅子が台座の上で守りを固めています。近寄っては見ませんでしたから、雌雄は解りません。
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こちらは右手方面です。こちらも獅子が首を回して入口を固めています。茶色部分の石垣はかなり年数を経ているように見受けられました。
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新しく出来たと推測される門の天井に描かれた絵の1つです。孔雀に似ていますが、多分想像の鳥、鳳凰でしょう。
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この動物は亀をモデルにしているようですが、多分、こちらも想像された生き物でしょう。かなりデフォルメされて描かれています。
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これもモデルは馬のようであるが、多分、想像の動物、麒麟でしょう。色彩鮮やかに描かれた守護神と見受けました。
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こちら側は国立中央博物館の正面玄関です。以前あった朝鮮総督府を取り壊し、その跡地に建設されたようです。
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これが二つ目の門です。光化門を加えれば三つ目になります。やはり豊臣秀吉軍の侵攻などで、戦火に遭ったのでしょう。
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正面左手、西側の塀であす。小豆色と、それより少し薄い赤系統の色合いが、魅力的な組み合わせを見せています。
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正面左手の甍、木組みのアップ写真です。極彩色ながら、落ち着きと威厳を併せ持ち、風格を漂わせていました。
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天井を真下から見上げたところです。幾重にも重ねられた木組みが、彩色と相俟ってリズムを刻んでいるようです。
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