2003/12/27 - 2003/12/30
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旅人のくまさんさん
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<2003年12月27日(土)>
<名古屋出発>
2003年の仕事納めに日である昨晩は、会社の忘年会でした。それでかなり飲んでしまいましたが、2次会はご遠慮しましたので、翌朝は5時に起床できました。いつも目覚まし時計が鳴る時間なので、寝不足にもなりませんでした。
地下鉄は、西春までの直通電車ではありませんでしたから、上小田井で乗り換えました。急行も停まるので、すぐに乗り換えができ、1駅先の西春駅に到着しました。予想通り、空港行のバスが時間待ちしていました。そのバスは少し待っただけなのに、すぐに満員となりました。次の電車が到着したのでしょう。
空港カウンターは結構混み合っていました。それで、HI*のサービスカウンターでは、時間はたっぷりあったものの、「今日は混み合っていますので、すぐに出国審査の列に並んでください」と促されました。確かに待ち行列は、10ターン以上折り返していて、結局 30分以上かかって出国審査を終えました。
赤外線カメラによるサーズ検査は実施されていませんでしたが、手荷物検査は、このところの国際不安、テロ警戒のためか、混み合っていても厳重に実施されていました。
出国審査に時間がかかったものの、まだ十分に時間がありましたので、軽く腹拵えしておくことにしました。9時半のフライト予定なので、軽食が出るのは間違いがありませんので、小さな助六寿司を頼みました。水代わりに、泡付麦茶を飲みまし。銘柄はいつものスーパードライです。日本の銘麦茶は、暫らく飲み納めです。
最初は、順調にアナウンス通りの搭乗でしたが、飛び立つのに少し時間がかかりました。子供を連れた女性の方が、大分遅れて搭乗してきたからです。空港が飛び立つのに都合のいい、ゴールデンタイムのラッシュアワーなので、大分順番を待たされたようです。
その人は、子供さんは小さいのに、かなり年配の女性でした。全く悪びれた風は無く、周りから冷たい視線を浴びていました。いつものことながら、マナー違反の人が時間を狂わしてしまっているようです。ほとんどのケースが、航空会社や、管制の責任ではなく、客側の問題のようです。ハンドマイクや、トランシーバーを持って、乗り遅れの人を探して駆け回っている係員の方の苦労が思い遣られます。
<インチョン国際空港到着>
いつもの通り、機体は日本海側に抜けると少し北へ方向を変えて、一路韓半島へと向かいました。大陸で発生した冬将軍が日本海を渡っていて、ずっとその上を飛行しました。それでも、飛び立った後は順調でした。遅れ時間も少しは取り戻せたようです。
正確な位置関係ではありませんが、韓半島への到着は、釜山の北部、ソウルよりは南部の地点です。釜山が比較にならないほど、ソウル寄りの地点かもしれません。そのまま半島を越えて、韓江(ハンガン)を横切った後、西側の海に出ました。右へ旋回を始めた後は、暫らく韓江を右手に見ながら北へ向かいました。この地点まで飛んできますと、冬将軍のかけらも無く、好天に変わっていました。空港が近づくと大小の島が眼下に増えました。明らかに干潟と思える海の色も目の当たりに出来ました。機体の高度が一段と下がってきたためでもあります。
心地よい着陸の後、誘導路をエプロンまで向かいました。さすがにアジアのハブ空港であり、かなりの時間がかかりました。確か1年半ぶりくらいのインチョン(仁川)国際空港への到着です。
<ソウル市内へ>
すぐに入国審査に向かいましたが、人数の割には相当に時間がかかりました。やはり要注意人物に対する水際作戦などが展開されているように見受けました。しかし、預けた荷物が何も無い、リュック1つの軽装なので、その後の手続きはすぐに終えることが出来ました。
空港内で3万円の両替をしましたが、結局、このお金だけで、4日間の旅行に間に合いました。円高の影響を受けて、手にしたウォンは32万以上ありました。
両替をした後は、予想通り、日本語が達者なタクシーの運転手さんが近寄ってきましたが、簡単に振り切ることが出来ました。空港を出ると、その前がバス停留所になっていました。何回か経験したので戸惑うことはありません。
おまけにソウル駅行きが目の前でしたから、すぐのそのバスに乗り込みました。切符は乗車前に買うことになっていますので、運転手さんに「ソウルヨク」と告げましたら、1万2千ウォンと教えてくれました。先ほどの両替の中から支払いました。少し割高のバスでしたが、座席はゆったりとしていました。
<ソウル駅へ>
バスは、始発地点から空港ターミナルに沿って進むと、もう一度ターミナルの端で停車しました。広い空港なので、乗り場所が2箇所ありました。しかし、このバスは空いていて、このバスの乗車した人は、結局10人には達しませんでした。
後でわかったことですが、途中ノンストップの高速バスなので、割高料金のために地元の人の乗客が少なかったようです。乗客の中にはヨーロッパ系と思われる若いカップルが1組いましたので、私を含めて、半分近くが外国人ということになりました。
空港島から橋の部分を含めた取り付け道路部分が長く続き、その部分だけで30分は経過したようです。最初の内は埋め立て途中の白く干からびた箇所や、干潟を見ながら進み、市内へ入ってからは暫らくぶりのソウルの町並みを楽しみました。ソウル駅へは、丁度1時間余りで着きました。
バスが止まった場所は、見覚えがある赤レンガのソウル駅の近くでした。しかし、その駅舎には横断幕がかかっていて、先月の内に新駅舎に引っ越したことが示してありました。その案内表示に従って進むと、新駅舎の近代的な建物が見えてきました。隣接する場所ですが、近寄って確かめるまでは判りませんでした。
旧駅舎が東京駅や台湾総督府などと同じクラシックな赤レンガ造りであるのに対し、新駅舎は機能的で、開放的な近代建築そのものでした。
丁度昼の時間になりましたので、その新駅舎の中を一通り巡った後で、スパゲティ専門店に入りました。出来立てビルの中の、出来立てのお店でした。その店は、ガラス張りの開放的な造りで、若い人好みの意匠になっていました。
注文したスパゲティは、随分とボリュームがありました。ひょっとしたら二人前かも知れません。出された別の皿に取り分けて食べましたが、満腹になって、少しばかり残してしまいました。「センメッチュ(生ビール)」の写真がありましたので、ジョッキを頼みました。ナポリタンは新鮮な魚介類、きのこ類がたっぷり入って、味も申し分ありませんでした。予めメニューを見てからの注文なので、承知をした上ですが、料金はお値打ちとはいきませんでした。日本の料金と同じくらいです。しかし、ボリュームの点で、こちらが上を行っていました。
<泊ったホテル>
食事を終わったあとは、まず、HI*で予約したホテルに向かうことにしました。最寄駅の明洞(ミョンドン)は、地下鉄で近い距離なので迷うことはありませんでした。しかし、地図に印を打たれたホテルを探すのに、ちょっとばかり苦労をしました。
大きなホテルなら、上を向いて歩けばすぐに建物か看板が目に付くものです。しかし、何しろ「安い宿を探して」と言って予約したホテルなので、目印が見当たりませんでした。地図に記された位置から、地下鉄駅近くなの違いないのですが、中々探し当てることが出来ませんでした。暫らく、地下鉄の出口の辺りをグルッと散歩しました。
探し当てたホテルは、安宿ですから、やはり相当の年月を経た建物でした。鍵を渡された7階の部屋は、少し迷路のような通路の奥まったところにありました。部屋の中には緊急脱出用のロープも備え付けてありましたので、少しばかり緊張しました。ついでに非常用出口を探しましたが、こちらは部屋の横にありましたので、ひとまずは安心しました。
この日の夜に気がついたことですが、風呂と、お手洗いの具合が悪いのにはてこずりました。暫らく流しっぱなしにしても、温かいお湯は出てきませんし、お手洗いの水は一度流した後、タンクが空っぽになってしまいました。
よっぽどフロントに行って部屋を変えて貰おうかと思いましたが、思い止まりました。実は、飛び込みで宿に着いた学生さんらしい女性二人組は空き部屋がなく、暫らく待たされていました。それで、ぎりぎりまで、こちらで努力してみることにしました。
お手洗いは、上蓋を開けて、最初はお盆で水を注いで事なきを得ました。しかしタンクの中を仔細に観察しましたら、給水用の細いビニルパイプが溢水筒の中にセットしてあり、これの位置を変えてみましたら、完全に問題解決しました。お風呂の方のお湯も、根気良く待つことで、こちらも一応解決しました。
<明洞>
ホテルに荷物を置いて身軽になったところで、市内見物に出かけることにしました。設備の問題はあったものの、ホテルの立地条件は良く、ミョンドンの4番出入口までは、歩いて2、3分の距離でした。そんな近い距離にありながら、中々見つからなかったのは、古いビルで目立たなかったためです。
最初はホテルの北側の通りに行ってみる事にしました。交通頻繁な道路なので、一度地下街に潜って、その道路を渡りました。その場所は既にミョンドンの繁華街の東の端っこになっていて、混雑が始まっていました。人波は、若い人たちが大部分でした。何度か来たことがあり、少し見覚えのある街角もありました。
ミョンドンはナンデムン(南大門)と比べますと、ファッションの洒落た店が多いことで、若い人に人気のようです。しかし、飲食店も結構軒を並べています。こちらの方も若い人には(若くなくても)必須の店です。今回も一度は訪れる予定の全州屋さんもこの一角にあります。お坊さんの格好をした宣伝マンと石焼ビビンバで観光名所になっている、日本人客に馴染みの店です。
<南大門、南大門市場>
ミョンドン散策に別れを告げて、次は南大門に向かうことにしました。こちらも少し時間はかかるものの、歩いて行ける距離にあります。大体の見当を付けて、その方角に歩きました。多少回り道になったかも知れませんが、南大門にも無事に到着しました。最初は南大門そのものを訪ねることにしました。市場の方はその次です。というより、南大門が入口の1つになっています。
南大門に着いた時は、少し日が傾いていたものの、落日には少し間がある時間でした。日が落ちない内に、その懐かしい門を何枚かカメラに収めました。この場所に来ますと、いつものことながら、韓国のパワーが貰えるような気分になります。
夕暮れは、あっという間にやってきました。市場のお店も順番に数を増して、人通りも増えてきました。念のために、懐中の物に気を付けながら、混み合い始めた人波を縫って市場散策を始めました。特別に買い物をしたいわけではなく、雰囲気を楽しみ、パワーを手に入れるためです。この時間帯では、四輪車や単車が狭い道まで入り込んできますので、そちらの方も要注意です。
ぐるぐる回っている内に、同じような場所を何回か通ったような気がするものの、細い路地までは中々覚えきれません。時々声を掛けられながら、路地を中心に歩きました。どうして見当がつくのか知りませんが、必ず声を掛けてくる一角があります。前にも同じ経験をしましたが、革製品などの高級品を扱っている店のお兄さん達です。
晩酌のお店は、南大門市場の中で探すこととして、買い物ではなく、こちらの方に気を配って歩きました。結局は、南大門に近い入口近くの屋台、ポジャマチャに入ることに決めました。新鮮そうな魚貝類が多く店先に並べられていたことと、若い人を含めて、既に何組かが食事をされていたからです。
中々愛想のいい店でしたが、大アサリを「ハマグリ、ハマグリ」と言って調理してくれましたので、少し割高でした。しかし、ビールと焼酎を飲んで、三品ほど料理を頼んだものの、予想した許容範囲内の料金でした。
機内で
新しき手帳に綴る暮の旅
遣り残すこと多かりし暦絶つ
年瀬の世事振り捨てて韓紀行
迎え酒飲みつつ越ゆる冬の海
冬将軍眼下に西へ空の旅
ジャンボ機の翼眩き小春の陽
小春日に暫しまどろむ機の窓辺
小春の陽機内に深く射す旅路
南大門で
ポジャマチャの内から眺め町暮るる
地の人になりし心地や屋台酒
出来立てを湯気ごと食す屋台内
投宿したホテルで
屋台酒酔い覚めぬ間に宿の酒
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
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ソウル駅は何度も訪れましたが、新装なったソウル駅は初めてでした。赤レンガ造りの旧駅と比較しますと、近代ビルそのものです。
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列車の電光案内表示板です。この表示で一番遠いところはモッポ(木浦)です。14時5分出発で、19時27分着の5時間半近い時間です。
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1階が切符売り場で、2階と3階が待合室でした。昼になりましたので、3階のスパゲティ店で食事をしました。センメッチュ(生ビール)もありました。
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1階の切符売り場を2階の待合室から見下ろしたところです。重厚な旧駅舎と比較し、外光をふんだんに採り入れた開放的な造りです。
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中央やや右手の上部には「ソウル駅」の表示が、英文とハングルで記されていました。ただし、こちら側からは裏文字です。
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ここが切符売り場のあった1階部分です。窓口がたくさんありましたので、どこで切符買ったらいいのか、迷いそうです。
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駅舎に隣接するビルの外観です。中には入らなかったですが、ショッピングセンター、レストランなどが入店しているようでした。
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先ほど駅舎の中から裏文字を眺めた駅名の表示です。上がハングルでソウルヨク、下の表示が英字でソウルステーションです。一時期のハングル文字一色に時代からは、かなり変わって来たようです。ただし、漢字表記はまだ少ないです。
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ひとけがなくなって寂しくなった旧駅舎です。このまま歴史的建造物として保存されるのか、あるいは、旧総督府のように取り壊される運命になっているのでしょうか。
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年末の27日、ソウルの空は雲ひとつない快晴でした。やはり赤レンガつくりの旧駅舎は風格が漂います。
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旧駅舎正面玄関には、新駅舎へ移ったことが横断幕で表示されていました。11月が切替時期のようでした。
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旧駅舎の前に「ソウル駅案内図)と、ここでもハングルと英字表記がされていました。地図部分にカラフルに表示されている部分が、新しくできたコンコース部分です。
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新ソウル駅で昼食を摂った後、地下鉄でミョンドン(明洞)に向かい、先ずチェックインを済ませました。その後南大門(ナンデムン)を訪れました。
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