2006/01/27 - 2006/01/30
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旅人のくまさんさん
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<2006年1月28日(土)>
今日は、旧正月の大晦日です。昨年が2月8日でしたから、今年の方が10日ほど早い日です。朝の内は靄がかかっていましたが、次第に晴れ上がり、昼間は名古屋の4月頃を思わせるポカポカ陽気となりました。
ところで、大晦日の語源について、紹介しておきます。「みそか」は、本来「三十日」と書き、月の30番目の日という意味でしたが、転じて月の最終日を意味するようになりました。大晦日は、1年の最後の月の最終日であることから「大」が付けられたものです。29日で終わる月は「九日みそか(くにちみそか)」とも呼ばれます。「晦日」は「つごもり(月ごもりの略)」とも読み、月が隠れて見えなくなる頃を意味します。
太陰暦では15日が満月とされ、月はその後欠けていき、最後には月が見えなくなることから、「三十日」に「晦日」の字が当てられました。
大晦日には、様々な年越しの行事が行われます。年越しの夜のことを除夜(じょや)とも言います。かつては、除夜は年神を迎えるために一晩中起きている習わしがあり、この夜に早く寝ると白髪になるとか、皴が寄るとかいった俗信がありました。日本の場合、新正月に代わり、年越しの風習も、中国、韓国とは相当に違ったものになってきたようです。(ウィキペディア)
<朝の散歩>
皆さんと揃って、朝一番の銀都路住宅内の散策をしました。薄い靄が晴れ上がる前でした。静かな住宅街で、行きかう人もありませんでした。住宅の入り口とは反対方向に歩いて、板の散歩道が敷かれている池がある方向へ向かいました。
住宅の入り口には、正月飾りがあり、庭には早春の花が咲いていました。黄色の花を咲かせた潅木は、蝋梅でした。草花ではパンジーや雛菊がカラフルな花を咲かせていました。昨年の旧正月では、上海では珍しいといわれる積雪がありましたから、今年はずいぶん暖かく感じます。
板の散歩道を渡って、住宅の端になる川沿いの道に出ました。何度亀にした景色でしたが、この日は靄がかかって、幻想的な風景になっていました。そんなに広くない川の対岸には、いつもの船が泊まっていました。航行しているのを見たことが無い、不思議な船です。
河畔の木々は、葉を落して冬木立になっていましたが、枝先には、蕾や新芽が少し膨らみはじめていました。春の訪れを感じ取っていたのでしょう。元来た道を戻って、朝の散歩を終わりました。
<スーパーマーケットへ>
住宅内の散歩を終わったあとは、近所のスーパーマーケットへの買出しです。上海旅行の大きな楽しみの一つになっています。上海旧正月旅行は、ある時はグルメツアー、ある時は買出しツアーに早変わりです。
昨日のうちに、下見を終えていましたから、後はひたすら買い込むだけです。とは言っても、また別の面白い品が目にとまりますと、そちらの方へも手が伸びてしまうようです。
私の場合、もう一度このスーパーマーケットへやって来る機会がありますので、もっぱら試食用に、少しずつ買い求めました。メインの買い物は、現地消費用の紹興酒です。最初に黒ラベルとは違う品を買ってしまいましたから、今度は間違わないよう黒ラベルを探しました。お土産用と、自家消費用です。
<S.P.先生、Ya先生との再会>
散歩から戻ったところで、S.P.先生、Ya先生と再会しました。昨年8月に、愛知万博見学で来日されて以来のことでした。大晦日に、親戚の方が大集合されますから、その準備を兼ねての早めにお見えになったようです。
Enちゃんの通訳を兼ねて、積もる話に花が咲きました。鮪馳のママから預かったお目出度いお土産を真っ先にプレゼントしました。作られた方が、4月に満99歳になられるママのお母さんのA.A.さんだと言うことも、忘れずにお伝えしておきました。写真のS.P.先生の手元にある赤い鶴と、モリゾー・キッコロがその品です。
<お土産の品のこと>
今回の私のお土産は、手作りのクラフトの鶴と、ビーズのモリゾー・キッコロでした。私の今池の定番のお店、鮪馳(イチ)のママのお母さんのA.A.さんが作られたものです。4月8日に満で99歳、数えで100歳になられる、お元気な方です。
その鮪馳のお店が、2月12日の日曜日にテレビの人気番組の取材を受けましたから、岡崎市近くの幸田から、お店に見えていました。その夜、鮪馳のお店でご一緒する機会がありました。Ogさん達と、長浜の盆梅展、鴨鍋料理を楽しんだ帰りのことでした。
A.A.さんは、今でも毎週カラオケを楽しまれています。翌日は、お孫さんのKyちゃんのお店で10曲余りを歌うつもりだと話されていました。この日、1曲だけ、伴奏なしでご披露して頂きましたが、科白(セリフ)がお得意のようです。
一番下の娘さんである、鮪馳のママを通じて戴いていた、今回のお土産はクラフトと、ビーズ作品でしたが、お土産に選んだ理由を記しておきます。まず、クラフトの鶴です。とても、ご高齢の方が作られたとは思われない、しっかりした折り方と造形でした。赤色系統で、お目出たい色が旧正月にピッタリだったこともあります。
次に、モリゾーとキッコロのビーズ細工です。昨年の愛知万博見学に来日された際に、ご一緒する機会がありましたから、遅ればせながら、その時の記念になればと、思った品です。偶然、鮪馳のお店で見かけましたから、ママにお願いしました。薄い緑と、濃い緑のビーズで、モリゾーとキッコロが表現してあります。S.P.先生の前にあるのが、そのプレゼントです。
以前にも、色々と作品を頂いたことがあります。まず、焼物です。茶碗や花瓶など、形や釉が多彩でした。最近は、紐編みの鶴や、キティちゃん人形等も沢山いただきました。改めて、お礼を申し上げます。有難うございました。
<電車で都心部へ、飲茶の昼食>
11時頃に電車に乗って都心部へ出かけました。「上海軌道交通5号線」の銀都路駅から2つ目が終点の■荘駅です。ここで地下鉄1号線へ乗り換えました。昨年までは、一度出札して、地下鉄切符を買っていましたが、そのまま構内で乗り換えができるようになりました。これだけでも、ずいぶん便利になりました。
地下鉄1号線の下車駅は、都心部の陜西南駅です。ヒルトンホテルの資本が入った花園飯店にも近く、その向かいのジャディ・ガーデンが目的地です。創作四川料理の店に次いで楽しみな飲茶のお店です。このお店の熱々のショウロンポウが最高です。
中国旅行で好きになったのが黒酢です。次々と運ばれてくる餃子、饅頭類やショウロンポウに、たっぷりと黒酢を付けて、美味しく戴きました。今回も大満足でした。
<自由行動、自由市場へ>
食事の後、自由行動になりました。私は最初に自由市場へ向かいました。コウキ君は始めての単独行動になりました。少し緊張気味でしたが、自由市場までは一緒に行動しました。歩いて行ける距離です。
2010年の上海万博が、いよいよ近づいてきました。その影響を受けたのでしょうか?自由市場が閉鎖されるようです。確かに、不正コピー商品が今も扱われていますから、国際イベントを控えてのマイナスイメージを払拭するための処置のようです。6千万人以上の入場者を見込んでいるようです。
広い通りをまっすぐ歩いて、10分足らずで自由市場に到着しました。約束の6時半には余裕を持って、自宅へ帰られるようお話して、Kk君とはここでお別れしました。
今回は、自由広場での買い物予定はありませんでした。足早に歩いて、早々に次の目的地へ向かいました。最後になってしまうかもしれませんので、写真に収めておくことが目的でした。
足早に歩いていても、案の定「社長さん!社長さん!」の袖引きの人が最後まで付き纏ってきました。Kk君には袖引きが付いてこなかったと、後でお聞きしました。
<上海博物館>
自由市場からは地下鉄1号線駅まで歩きました。10分足らずの距離です。自由市場付近は歩道に人が溢れるくらいに混んでいましたが、東に歩くに連れて、その雑踏は緩和されました。人の数が少なくなったことと、歩道が次第に広くなってきたからです。
ゆっくりと見学したかったのが、この上海博物館でした。昨年も1時間半ほど見学しましたが、今回は、午後の時間をほとんど充てることができましたから、その倍くらいの時間を割くことができました。
インターネット情報のフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などを参照して、上海博物館の概要を紹介しておきます。S.P.先生が上海市の文化局長を務められていた時、来日の折見学された、愛知芸文センターを参考にされたともお聞きしました。
*沿革
1952年に旧租界の競馬場跡地に上海市立博物館が建設されました。その後、数回の移転が繰り返されましたが、最終的に1993年、人民広場に移転が決定し、総延べ床面積3万9千2百平方メートルの新館が1996年に完成、同年10月12日に移転、一般公開されました。現在は、上海市庁舎、上海大劇場と共に上海の政治、文化の中心地になりました。
*外観
上海建築研究設計院の設計によって作られた、建設費用は5.7億元とされます。その外観は最上部に円盤を頂き、下部が鼎の形状を模しています。『取手』のような半円形の構造物が最上部に弧を上、弦を下に東西南北に設置されています。この外観は、『天円地方』という古代からの中国の世界観、宇宙観を示していると同時に、鼎に代表される青銅器コレクションを示しています。
*収蔵品
新石器時代から現代まで貴重な文物が12万点以上収蔵されていいます。蔵書は20万冊を数えます。
収蔵品の内、特に貴重なものとされるのは、紀元前19世紀から前3、4世紀までの青銅器です。博物館の外観が、青銅器を象った謂れになります。世界的に有名なコレクションとされます。また、書画・印璽等すべて清代以前のコレクションに統一されています。
*展示概要
各展示館は先進電化施設が使われています。ライトを人の接近距離によって自動的に明るさの調節できる施設等です。館と館の間をつなぐ遊廊は中国園林仕様です。中国伝統と現代技術の融合を感じさせます。各階の主な展示内容は次の通りです。
1階:中国古代青銅器や古代彫刻の館、唐三彩や北魏の仏像等。
2階:青磁、白磁、景徳鎮など50点あまりの磁器類。
3階:歴代印鑑と書法、絵画類。
4階:少数民族の工芸品と古銭、古代玉器、明、清時代の家具等。
今回は、時間をかけて、この全ての階の見学ができました。1階の展示物は、青銅器に代表されるように、この博物館でも一番の見所です。係りの方に、撮影ができるかどうか確認しましたら、即座にOKが出ました。仏像もレベルの高い収蔵品が揃っています。中でも、表情豊かな北魏の仏像は魅力的です。
2階も私の好きな展示が揃っています。陶磁器類の展示です。乾隆帝等の皇帝に献上された極上の陶磁器類は、海を渡って台北の故宮博物館に収蔵されるところとなりましたが、質の高い収蔵品もあります。比較的年代が新しい、景徳鎮窯の焼物も見所です。
3階の書画類は、解説書が無ければ難しい鑑賞となります。王義之、王献之の書は無理でしょうが、私の好きな唐の四大家、欧陽詢、虞世南■遂良、顔真卿の書が見当たらなかったのが残念でした。西安観光の折、顔真卿の晩年の石碑を見た時の感激が忘れられません。
今回は、4階の少数民族(差別的なニュアンスがありますから、好きな呼び方ではありませんが、先住民族もぴったりしませんから、そのまま使いました)の衣装、文物もゆっくり鑑賞しました。
*付記(上海博物館ホームページから)
簡略自体ではない方を選択しましたら、文字化けしませんでしたから、ホームページに記載された沿革を紹介しておきます。ここに記載された数字類を参照して、上記の記述は一部修正しました。(この旅行ブログにアップした際の文字化けが■です)
「上海博物館是一座大型的中國古代藝術博物館,館藏珍貴文物12萬件,其中尤以青銅器、陶瓷器、書法、繪畫為特色。藏品之豐富、品質之精湛,在國■外享有盛譽。上海博物館創建於1952年,原址在南京西路325號舊■馬總會,由此開始了■的發展之路。1959年10月遷入河南南路16號舊中匯大樓,在此期間,上海市政府作出了決策,撥出市中心人民廣場這一■金地塊,建造新的上海博物館館舍」
「上海博物館新館於1993年8月開工、1996年10月12日全面建成開放。上海博物館建築總面積39200平方米,建築高度29.5米,象■“天圓地方”的圓頂方體基座構成了新館不同凡響的視覺效果,整個建築把傳統文化和時代精神巧妙地融為一體,在世界博物館之林獨樹一幟。新的上海博物館設有十一個專館,三個展覽廳。目前,它正以嶄新的面貌迎接著八方來客」
<帰宅、銀都路に集合の親戚の皆さん>
18時半集合の約束でしたから、余裕を持って17時半頃に銀都路の駅に着きました。ご自宅まで、歩いて10分程の距離ですから、その途中で大晦日の銀都路界隈の写真を撮っておきました。人出がほとんど無くなり、例外を除いて、お店も閉まっていました。例外的に開いていたのは、コンビニと一部の飲食店だけでした。
昼食のお店を出たところで、自由行動となった皆さん達は、すでに帰宅されていました。買い物やら、アフタヌーンティ、豫園見学等をされたようでした。私が行き先を告げていた上海博物館へも足を運ばれたようですが、少し時間が遅く入場ができなかったようです。
1階のロビーは賑やかになっていました。午後からずっとご自宅で時間を過ごされていた方も見えたようです。それぞれに積もる話に花が咲いていたようです。
<娯楽室で>
地下の娯楽室では、麻雀と玉突きが始まっていました。後ろに立って麻雀を見学しましたが、ルールはリーチ麻雀とはかなり違っていました。
そのルール等を少し紹介しておきます。4人打ちでしたが、3人打ちでも支障のないルールでした。ジャン牌は日本の品と同じです。大きな牌ではありません。リーチは一切ありませんから、裏ドラがありません。花牌と、赤のピンズ、ソウズ、マンズが全て使われていました。チーかポンでの手作りが基本です。
一番違っていたのが、清一色(チンイツ)、(混一色)ホンイツか対対(トイトイ)以外の手作りを見なかったことです。タンヤオなどの概念は無いようです。対対には、字一色(ツーイーソー)も含まれます。これ以外の手がないルールのようです。ただし、このルールは標準的な中国麻雀ではなく、仲間内の個人ルールということでした。ルールを単純化して、誰にでも楽しめるように変えたルールとも言えます。
フリテンのルールは無いようでした。捨牌を綺麗に並べている人もいましたが、川に捨てている人が殆どでした。花牌、赤牌は、フーローして、必ず最後尾から積もってこなくてはいけません。例えば、赤ウーピン(5筒)、赤サンマン(3万)等が含まれていると、アガリとは認められませんでした。
この後のルールはまったくの推測です。チーの仕方から見て、一気通貫の役は無いようでした。国士無双の上がりも、多分無いでしょう。ただし、大三元は役が余分に付くようです。点棒は使わずに、ある有名人の写真が入った紙で、上がりのつど、清算されていました。ハコテンやノーテン罰金のルールも無いようでした。
日本での麻雀の別名は「中国語の勉強」です。発音の方はともかく、数詞の1、2、3などは、全て中国語読みですし、ツーイーソー等の役の読み方、ポン、チィなどの行為も、殆ど中国語読みです。後ろから拝見していて、改めてそのことが実感できました。皆さん、打ち慣れているようでした。手つきですぐに分かりました。
<大晦日の宴会>
大晦日の宴会は、ご自宅から歩いていける距離のお店でした。夕方の7時頃に家を出発しました。初めて知ったことですが、その一角は不夜城のようにネオンが輝き、総合レジャーランドのようなビルやレストランが軒を並べていました。
薄暗くなって、あちこちから花火や爆竹の音が聞こえてくるようになりました。レストランの前でも、爆竹が始まっていました。白い帽子を被ったコックさんも制服のままお店の前に出てきました。本当は、今日のお仕事を休んで、自分でも爆竹を鳴らし、花火を上げたい人達でしょう。昨年のことを実験していますから、その気持ちは良く分かります。
そのお店の3つの円卓を囲んで、S.P.先生の口火で大晦日の宴会が始まりました。『宝燕海鮮』のネオンが輝いていたレストランです。ご年配の方から、半年、1歳の赤ちゃんまでのS.P.先生を中心に、ご親族の方が集まられました。昨年の還暦祝いの席にも出席させて頂きましたから、お顔だけは存知上げている方が、大勢見えました。総勢で30名ほどの大宴会です。
最初に少しビールを頂きましたが、後は全て紹興酒に切り替えました。中国料理には一番良く合う飲み物と割り切っているからです。宴が進むとテーブルを回ってお酒を注ぐ人も増えてきました。「乾杯」と言ってしまうと、飲み干さなくてはいけませんから大変です。お酒が強い方も多く見えましたから尚更です。
ビデオを回している方もあり、私もデジカメをフル回転しました。撮り損なった分は、Ogさんのカメラもありますから安心でした。
<爆竹、花火>
昨年もものすごい量の花火、爆竹を買い込んでPnPnちゃんの構想万所に預けてありましたが、今年は更に大量の花火と爆竹が用意されていました。昨年はPnPnちゃんのマンションの前でしたが、今年は銀都路の住宅前の公道が選ばれました。広い通りですから、少々、火の粉が飛び散っても大丈夫です。
公道を選んだのは、住宅内では、火災事故などの心配があったからです。昨年、近くの住宅で、芝生に火が着いていたのを目撃していました。公道で花火や爆竹をやれば、翌朝には、大方清掃が済んでいるのも、理由のひとつです。
銀都路の住宅からは、手分けして花火と爆竹を運びました。運搬には、キャスターも活躍しました。家に置いてある時に、纏めて写真を撮って置けばよかったのですが、つい、写し忘れました。Enちゃんからも撮影を頼まれていましたから、残念なことをしました。
昨年の火付けの主役はMyちゃんでしたが、今年はKk君が代役を務めました。小さな花火で、最初は面白がっていたお子さんは、あまりもの音と光と煙で怯えてしまいました。とうとう、お父さんにしがみ付いてしまいました。
夜の写真はピントが合わなかったり、タイミングがずれたりして、なかなかうまくは取れません。今回も、あまりいい写真は撮れませんでした。やはり、現地で体験する以外に無いようです。
<深夜は、SnSnちゃん達と>
お兄さんのPnPnちゃんが仕事で出張されるので、元日は、SnSnちゃん一人になるようでした。それで、宴会の時から、もう少し飲みたいと話されていました。
それで、PnPnちゃんが運転手役で、銀都路のEnちゃん宅にやってきました。お二人とも日本での生活経験がおありのようです。日本語SnSnちゃんは上海では、はじめは日系の会社、今はアメリカ系の会社の勤められているようです。実戦で鍛えられた語学力です。
お兄さんの方は、車の運転がありますから、もっぱら聞き役でした。お酒も飲まれませんでした。その分を含めて、SnSnちゃんの話とお酒が止まりませんでした。気が付いた時には、時計の針は2時を回っていました。
運転のためにお酒を我慢して、お兄さんがその時間まで待っていてくれました。
朝の散歩
靄未だ晴れぬ静けき銀都路の蝋梅愛し晦日の散歩
自由市場
上海の万博の時近付きぬ見納なりし自由市場よ
上海博物館
大晦日午後の総ての時充てて隈なく巡る至宝の館
大晦日の宴会
白帽の人も爆竹観に出し晦日の夜の宴会半ば
爆竹と花火
年越の花火は上り爆竹は弾けて赤き落花となりぬ
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日が替わって、1月28日の土曜日、大晦日の朝です。揃って銀都路住宅内の散歩に出かけました。早い時間は、少し靄が掛かっていました。
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こちらがいつも泊めて戴いている住宅です。地上3階地下1階です。中国では内装をしていない建物を買い、後は自分の好みで内装を仕上げるのが一般的だそうです。
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私達以外には、散歩をされる人も見かけませんでした。静かな住宅内の朝でした。時折、遠くでは、花火の音がしはじめました。
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昨年の旧正月でも見かけました。蝋梅の開花です。邸内のあちこちにありましたが、Enちゃん宅でも新たに植え込まれていました。
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この光景だけでは、ヨーロッパの町並みと見紛うばかりです。色彩が統一されているのも、落ち着いた雰囲気の大切な要素のようです。
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銀都路住宅内の、いつもの散歩道です。右手の橋ではなく、中央の木製の散歩道で池を渡って、川沿いの道に出るコースです。
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その木製の散歩路です。何箇所かクランクがありますから、よそ見をして歩くと、池に落ちてしまいます。今日は、池の魚は見当たりませんでした。
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川沿いの道です。この道はまだ銀都路住宅内です。朝の時間は、靄がかかっていました。写真に撮ってみますと、中々の雰囲気になりました。
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不思議なのが、いつもこの川の対岸には、古紙などを満載した船が泊まっていることです。この船が動いているところは、見たことがありません。
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前方に太鼓橋が見えてきました。銀都路駅への近道になりますが、普段は鍵が掛かっていますから、キーがないと通れません。
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太鼓橋が川に写って、眼鏡橋になりました。少しだけ残念なのが、水面に油幕があったことです。推測ですが、船の漏油等が原因かもしれません。
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対岸から見た最寄の電車駅、銀都路駅です。車内アナウンスでは「ギントールー」に似た発音でした。「站」の文字は「駅」の意味のようです。
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橋を少し過ぎたところで引き返しました。脇道があったかも知れませんが、同じ道を戻りました。守衛室から、不審人物と見做されないためです。
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今度は反対側からの太鼓橋の撮影です。風が完全に止まって、静かな朝でした。靄が中々晴れないのは、そのためのようです。
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住宅内の飾りを少し紹介します。扉の左右に貼られた子供が着飾ったイラストです。長い吊り下げの飾りと提灯が、左右にあります。
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こちらは、随分とシックな飾りですが、黒いモダンな扉には、よく似合っています。勝手な推測ですが、ご不幸等で、控えめな飾りが必要な事情が?
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立派な扉と門構えです。その左手には、色とりどりの草花が咲いていました。パンジーや、ひな菊などのようです。
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銀都路住宅の本通に面した部分には高層階の建物があります。その1階は本通に面した商店街になっています。
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昼前に都心部へ出かける予定でしたから、早い時間での買い物でした。帰りは、「ウーシーサン・ハオ」(53号)と告げて、右横の通路を通ります。
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道路を渡ると、直ぐ近くにスーパーがあります。道路を渡ってきました。右手前方に見える建物がスーパーです。
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そのスーパーの前まできました。Enちゃんの話ですと、最近経営者が替わったようです。店内照明が、一層明るくなりました。
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登りは、緩やかなエスカレーターです。下りは左手ですが、荷物が多い時は、カートが暴走しないよう注意が必要です。
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普段よりは、かなり混雑していたのでしょうが、大晦日の日本のスーパーの混みようとは違うようです。店内は正月ムードの飾りで一杯でした。
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S.P.先生とYa先生が到着されました。午後に親戚の方が集まられ、夜は大晦日の宴会が計画されていました。夜の宴会はご一緒させて戴きました。
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昨年の旧正月もご一緒だったお三方です。今回、Sdさんはご夫妻で参加されました。野並の鶏専門店、ミフネを経営されています。
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Kk君も、昨年に続いて2回目の上海旅行でした。イタリア旅行の経験もあるそうです。大五のお店で頑張っています。
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ご自宅では、正月の飾りが済ませてありました。この見事な胡蝶蘭、ファレノプシスもその1つです。松竹梅は、親戚の方のお土産だそうです。
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サンルームのような場所の椅子とテーブル付近も正月の飾りがありました。座る場所と言うより、インテリアとしての役割を担っているようです。
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同じジャズバンドの演奏を、Ykさん宅で聴いたことがあります。そのYkさんからのプレゼントだそうです。音に合わせて演奏をするバンダイの人形です。
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今回の私のお土産は、今池の鮪馳のママのお母さんが作られたクラフトの鶴と、ビーズのモリゾー・キッコロでした。4月で数えの百歳になられます。1階のロビーです。
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