2007/03/30 - 2007/04/05
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本文に収録できなかったカッパドキアの写真です。ギョメレ屋外博物館等です。
*(ウィキペディア、るるぶワールドガイド・イスタンブール・トルコ)を参照しました。
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暫くこの地の景色を御覧ください。インターネット情報で調べた限りでは、3つの城を意味するウチヒサル城のようです。無数の穴が開いています。
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岩山が侵食されて出来た斜面でしょうか、その斜面にはピンクの花を付けた樹が生えていました。植樹されたものでしょう。
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この場所は、観光スポットになっているようでした。道路沿いに、お土産店が軒を並べていました。アクセサリーや織物、帽子や土器類でした。
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お土産店の後ろに聳える岩山も、中々見応えがありました。火山活動の後で、浸食作用の結果で出来た奇観の数々です。
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2つ目の見学地は、ギョメレ屋外博物館でした。イスラム教徒の攻撃から逃れた多数のキリスト教徒がこの辺りを隠れた住居にしたようです。
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イスラム教徒の迫害を逃れたキリスト教徒が9世紀頃から造り始めた洞窟の教会は、10世紀のビザンチン時代には400に達していたようです。
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ギョレメ屋外博物館の切符売り場です。ガイドのスワウィさんが纏めて購入してくれました。ツアー代に含まれていたようです。
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入口には改札機が設置してありました。ガイドさんが購入してくれたカードに記された、バーコードを読み取らせての入場でした。
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ギョメレ屋外博物館がある一帯には、19世紀頃までは、実際に居住者がいたようです。現在公開されている教会の数は、30箇所程です。
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ギョメレ屋外博物館の洞窟教会に残された絵は、カッパドキア様式として、芸術性が評価されているようです。満開の花が迎えてくれました。
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最初に見学した洞窟教会の名前はバジル教会と呼ばれているようです。11世紀頃に建設されたものです。早速皆さんも記念撮影です。
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フラッシュを焚かなければ、洞窟内の撮影もOKとガイドさんが教えてくれました。ガイドさんの懐中電灯の明かりで撮ったキリスト像です。
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幾何学模様の絵は、偶像崇拝が禁止された8世紀の頃のものです。円の中には、十字架が文様のように描かれています。ここが祭壇かも知れません。
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バジル教会の名前の謂れは、4世紀にカイセリに生まれ、修道派を設立した進学者の名前のようです。天井が高い洞窟でした。
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バジル教会に残されているのは、祭壇を中心にした四方の絵です。この絵は、「馬に乗った聖テオドーレ」の像のようです。
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「聖母マリアと幼少のキリスト」のフレスコ画とされます。ガイドさんは、下塗りが乾かない内に、絵を描いて長持ちさせたと説明されていました。
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ガイドのスワウィさんは、春になって最初に咲くのがアーモンド、その後に桃、最後に桜が咲きますと、繰り返し教えてくれました。桜でしょうか?
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ギョレメの洞窟群の生い立ちには、生死を賭けた壮絶なものがあったかも知れません。住む人がいなくなった今は、平和で長閑な風景に見えます。
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この扉の奥は、天井が崩落した事によって、この家のオーナーが、新たに掘削した住居だと、スワウィさんが説明してくれました。
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以前は天井があった場所ですが、岩に亀裂が入って、崩落した跡です。地震が影響したのか、自然の崩落かは、良く分かりませんでした。
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洞窟への通路から見下ろした渓谷の風景です。正面の岩山を眺めますと、侵食によって崩落が続いていることが読み取れます。
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今は冬木立ですが、新緑の頃には、この谷の景色も柔らかなものに変わりそうです。下草は、既に緑になっていました。
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鮮やかな彩色が残っていた教会です。ガイドブックには「リンゴの教会」とユニークな名前が記されていました。
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この絵は、キリストの磔刑図です。リンゴの教会には、キリストの生涯が描かれていました。11世紀中頃から12世紀にかけての絵画とされます。
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教会が変わって、こちらはバルバラ教会と呼ばれています。建造は11世紀頃とされます。十字架やフンコロガシ、鳥等が描かれています。
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「馬に乗って大蛇と戦う聖ジョージと聖テオドラ」の絵です。バジル教会にも同じモチーフの絵がありましたが、こちらの方が鮮明です。
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坂道を登りながら、洞窟教会の数々を見学しました。次の見学場所は、かなり規模の大きい、共同生活の場所のようでした。
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その洞窟の中から見た外の景色です。少し昇ってきましたので、かなり見晴らしが良い場所でした。一番手前には、満開の花も見えます。
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ガイドのスワウィさんが説明されているのは、足元の1m弱の穴です。調理用に使用されたようです。洞窟レストランの壷と同じ役割だったようです。
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お子さん二人が座っているのは、この洞窟が共同の食堂だった事を示していました。テーブルや板を渡した腰掛も、岩を細工したものです。
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