2007/03/30 - 2007/04/05
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旅人のくまさんさん
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<2007年4月3日>
昨晩、民族舞踊観劇を申し込んでいましたが、参加者が少なくキャンセルになりました。観劇をすれば、帰りが23時頃になりそうなので、今朝のスケジュールは、ホテル出発を8時45分と、遅めに設定してありました。それでモーニングコールが7時、荷物出しは8時15分でした。食事は同じように7時からOKでしたから、例によって早めに仕度を済ませました。
<翌朝の雪景色>
朝起きてびっくりしたのは、窓の外が一面雪景色だったことです。昨日も小雪がぱらつくことはありましたが、窓から見下ろした車の上には、5センチ程の雪が降り積もっていました。
窓から見た雪景色に驚き、雪はまだ降り続いていましたが、安心したのは舗装道路の上です。雪は解けて、凍結しているようにも見えませんでした。窓を開けた時の冷え込みも、たいしたことがありませんでした。
後で、ガイドさんにお聞きしたことですが、カッパドキアでの4月の雪は珍しくないようです。これは私の推測ですが、内陸性の気候の上、海抜が千メートル程ですから、気温が下がり易く、この時期でも雪になるのかも知れません。しかし、観光には支障がないようでした。
<雪のカッパドキア>
4月の雪のおかげで、一味違ったカッパドキアを見学することができました。予想通り路面の凍結はありませんでしたから、坂道でも通行には全く問題がありませんでした。今日の最初の見学地はキノコ岩でした。スワウィさんは、三姉妹岩と紹介されていました。3つのキノコ岩が寄り添うように立っているからです。
キノコ岩は、道路に近い場所にあり、その後ろは視野が広がり、一面に奇岩の谷が見渡せました。その景色が、昨晩降り積もった雪でアクセントが付き、素晴らしい光景になっていました。
この雪で、早朝からの飛行船遊覧は中止になり、6時から催行を待っていた人達はお気の毒でしたが、この景色で、少し報われたのかも知れません。三姉妹岩もうっすらと雪が積もっていました。
カッパドキアの見所の一つですから、朝の時間から続々と観光の車が集まって来ました。三姉妹岩より高い場所がありましたから、その場所から見渡す四方の景色も楽しめました。高い山は、冠雪していました。
<桜のカッパドキア>
桜が満開だったのは、パシャバー地区です。キノコ岩付近では雪が残っていましたが、こちらでは全く見ることがありませんでした。雪を被っていたのは遠くの山の上だけでした。近寄って花のアップを撮影しましたが、この場所では、間違いなく桜でした。
パシャバー地区のキノコ岩は、妖精の煙突とも呼ばれ、カッパドキアでも一番人気のようです。岩山の上に何本ものキノコとも煙突とも見える突起が乗っかっていました。この地は、4、5世紀末に活動した聖シメオンの隠れ家があり、その聖シメオンを描いたフラスコ絵も残っています。
駐車場も広く、お土産店も多く軒を連ねていました。売っていたのは鮮やかな彩色の絵皿、この地の岩を材料にした、カッパドキアのミニチュア飾りなどでした。この場所では少し長く自由時間となりましたので、写真を撮りながら景色を存分に楽しみました。
遠くに見える台形をした高い山は一面雪に覆われ、この山が雪避けになったのではないかとの想像もしました。人気スポットらしく、更に歩道の拡張整備が進められていました。まだ芽吹いては居ませんでしたが、葡萄畑も裾野に広がっていました。
<陶芸工房>
見学を終えてバスに戻った皆さんに、スワウィさんが提案をされました。見学に時間の余裕があったためでしょう。その内容は「世界的に有名な陶芸家が、赤い川と呼ばれる地区で工房を開いています。見学しませんか?」と言った提案でした。
すぐに皆さんが賛同され、その陶芸工房へ向かうことになりました。私も大賛成でした。その赤い川に架かる橋を渡り、バスはユーターンして戻ってきました。この川の中州で羽根を休めている鳥達を見学するためのサービスでした。
工房の主は、ガリップ・キョリュクチュさんでした。フランスなどで個展を開かれ、世界的に名を知られた陶芸家です。インターネットで調べたプロフィールでは、「フランス語にも堪能」と記されていました。今回は、現地ガイドさんからの提案となりましたが、これからカッパドキアを見学される方は、是非立ち寄られることをお勧めします。インターネット情報で、見学された方の感想を多く見ることもできます。
この日は、一番弟子と思われる方による、足回しの轆轤を使った赤粘土作品の実演と、希望者による轆轤体験、同じ方による白粘土を使った皿製作の実演等がありました。赤粘土作品は、シュガーポットでした。寸法を計らずに製作された器と、蓋がぴったり合い、拍手が沸きました。この地では、陶芸技術の習得、男性の必須条件だったようです。ガリップ先生による絵付けの実演もあり、その作品群も鑑賞出来ました。
<カイマクル地下都市>
3世紀半ば、ローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちが、カッパドキアに移り住みました。彼らは柔らかい岩をくり抜いて住居や教会を作りました。キリスト教徒たちはこの地でペルシャやイスラム勢力に包囲され、絶えず脅威に晒されていました。
そのため彼らは、敵から一時的に身を隠す場所を地下に求めました。そうして掘られた地下都市は、カッパドキアに300以上あると言われます。今回見学したカイマクル地下都市は7世紀頃に作られたものです。
1965年に発見されたこの地下都市は、地下8階、深さ65メートルに及ぶ巨大なものです。地下1階のワイン製造所、地下2階の食堂、居間、寝室、収容人数に合わせて自由に掘り進められました。この地下都市の内部には、100程の居住空間があり、3000人が同時に住むことができたとされる最大規模の地下都市の一つです。
地下5階をつなぐ通路には、外敵が襲ってきた時、通路を塞ぐため、1トンもの大きな石を転がして通路を閉じる仕掛けもありました。そして、最下層の空間は十字架の形に掘られた教会になっています。スワウィさんの説明に従って、岩を指先で擦ると、ぼろぼろと剥がれ落ちてきました。彼は、「武装した兵士が、潜り抜け難いよう、わざと狭くした場所もあります」と言って、その場所を先導して潜り抜けました。
カッパドキアのキリスト教徒たちは、地下都市の一番底に、神への祈りの場を設けました。今回の見学では見ることはありませんでしたが、その敬虔な祈りが聞こえてくるような思いがしました。
この地下都市内部からは、壁画、生活用品、家財道具、墓など一切発見されていません。一説によりますと、6世紀中頃から8世紀にかけて、ササン朝ペルシャやアラブ勢力の攻撃にさらされた時に、住民が自分達の宗教的価値観を守るために地下に町を造りました。そして9世紀になり、世の中が平和になると地上に戻り、この地下都市を封印したとされています。この時に一切のものが運び出されたのかも知れません。
この地下都市の発想の根源になったのは、イタリアなどにあるカタコンベではないかと言う意見もあります。カタコンベとは、地下の墓所のことです。もともとはローマの特定の埋葬場所のことを意味していましたが、死者を葬るために使われた洞窟、岩屋や地下の洞穴のこと全般を指すようになりました。
スワウィさんは、洞窟教会の説明の時に、「床に掘られた穴は、信者の骨を入れたものです。死後も一番安らげる場所と考えたようです」と説明されていました。地下都市の場合も、同じような場所があっても不思議ではないように思えます。しかし、まだ発見されてから日が浅く、その詳細はまだ明らかになっていません。
カイマクルの地下都市の構造で、圧巻だったのが、排煙設備です。地下都市の中で火を使った場合に吐き出す煙が、敵の目に触れないよう、煙道をいくつにも分けていました。スワウィさんは、「地上に分散されて排出された煙は、薄い色に変化していました」と説明されていました。排気、空調の工夫には、実に驚かされました。ワイン製造所もあったと言いますから、これもまた驚きです。
<昼食の後、絨毯工場へ>
昼食の後、絨毯の製造工場の見学がありました。繭から生糸を紡ぐ工程から、縦糸に人目一目、染色された横糸を通したり、糸を結び付けていく工程も見学できました。
絨毯では、現在のイランで生産されるペルシャ絨毯が世界で最も有名なようです。しかし、トルコ絨毯も、絹の芸術としての最高峰に位置しているようです。その特徴を紹介します。
トルコ絨毯は、かつて中央アジアを遊牧した遠い祖先の力強いデザインを受け継ぐものとされます。また、東西交易の十字路として繁栄したトルコの多面性を絨毯にも現しているとも表現されます。
トルコの絨毯は、絹糸を結びつけていく時の方法が他国とは異なり、丈夫なようです。また、文様が裏面にもはっきり現れ、両面を使うことも出来るようです。目の前で実演を見せて頂きましたが、糸を1度潜らせるのではなく、2度行っていました。厚みもでき、耐久性もあるようです。絨毯の端が三編みされたものは、未婚の女性が自分のために織ったもので、通常は市場には出回らない品物です。もし、本物なら貴重品です。
私は、買い物はしませんでしたが、ワインサービスがありました。値段は高いですが、本物のトルコ絨毯は、さすがに素晴らしいものです。
<アンカラへ戻り>
遅ればせながら、トルコ共和国の首都、アンカラについて紹介します。人口は、約400万人で、イスタンブールの約1千万人に次ぐ、同国第2の都市です。アンカラ県の県都でもあり、アナトリア半島中央部に位置しています。スワウィさんは、「内陸部の方が防御しやすいため、この地に決まった」と説明されていました。
都市の主要部分は、ウルスと呼ばれるオスマン帝国時代以前からの歴史的旧市街と、1920年代以降にトルコ共和国政府によってその南にイェニシェヒルという名の新市街、およびその郊外地区からなります。
政府施設はイェニシェヒルに集中しています。通り道に、車の中から高層ビルが立ち並ぶ政府施設を見学しました。市街は政府の計画に沿って建設が進められましたが、郊外地区はゲジェコンドゥと呼ばれる不法占拠住宅も多いようです。1980年代以降は地下鉄など交通網の整備が進められた郊外に大規模なニュータウンが建設されています。高速道路を走る車の中からも、そのニュータウンが見えました。
雪のカッパドキア
宿の窓開て驚く春の雪薄き化粧の奇石冴たり
桜のカッパドキア
桜咲く名残の春の旅に出で異国で愛でし花ぞ麗し
地下都市、カイマクル
蟻の巣に迷込みたる心地して巡る地下都市横へ下へと
絨毯工場で
絨毯の折目を結ぶ織娘らは先は急がじ今も昔も
*(ウィキペディア、るるぶワールドガイド・イスタンブール・トルコ)を参照しました。
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ホテルの部屋からの撮影です。散歩に出ようとしましたが、一面、この雪景色でした。しかし、窓を開けても、さほど厳しい寒さではありませんでした。
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車の屋根には5センチほどの雪が降り積もっていました。しかし路面には雪がありませんでしたから、凍結はないように見受けました。
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部屋の窓からの雪景色をもう少しご覧ください。冬木立のままの木々には、霧氷のように雪が積もっていました。
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林越に見た空模様です。薄日が差し始めているようにも思える雲行きでした。
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朝は少しゆっくりとしたスケジュールでした。食事を終ってホテルを出たのは、8時45分でした。夜の雪で、カッパドキアの雪景色に出会いました。
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ガイドのスワウィさんは、三姉妹岩と紹介してくれました。旅行計画書にはキノコ岩と記されている景観かもしれません。雪が程よいアクセントです。
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普段は、一面茶色の景色でしょうが、この日は雪でコントラストが付いていました。さすがに飛行船でのオプショナル見学は、中止になりました。
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三姉妹岩の横に小高い部分がありましたから、そこへ登っての撮影です。頭に乗った平板にも、うっすらと雪が積もっていました。
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この景色も雪でメリハリが利いて、見応えが増しているようです。低地で草が生え始めている場所だけ雪が残っている感じです。
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これがガイドさんの説明していた三姉妹岩のことでしょうか。お姉さん二人と、小さい妹さんです。やはり、私にはシメジ茸岩のように見えます。
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見学場所が変わります。説明もいらないような姿の駱駝岩です。
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その駱駝岩のアップです。自然が作り出した芸術とはいえ、見事なものです。
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駱駝岩付近の景色です。この一帯には、雪が降った形跡はありませんでした。浸食作用が見て取れる景観です。
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カッパドキアには、芸術が好きな神様が住んでいるのかも知れません。見たことが無い奇観の連続でした。
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ここからが「桜のカッパドキア」になります。場所によって雪の降り方が違っていたようです。こちらでも、全く雪は積もっていませんでした。
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カッパドキアでも有数の景観なのでしょうか、お土産品の露天の数が多いようでした。折りしも桜が満開で、最高の見所となりました。
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満開の桜を前景に奇岩が頭を出しています。トンガリ帽子のような頭です。先ほどの雪景色とは打って変わって、麗かな春の景色です。
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柔らかい下の方が、先に細くなりかけていた岩です。頂上には、煙突のような3つの突起が残っていました。
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同じような大きさと形のトンガリ帽子を被った4つの小山です。20分程自由時間になりましたので、少し小高い場所に登っての撮影です。
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中央の一際高い山は、雪化粧をしているものと勘違いしました。雪ではなく、白い岩肌でした。
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少し小高い場所に登っての、帰り道での撮影です。写真では難いですが、葡萄の株が春を待っていました。まだ芽吹いていませんでした。
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緑の姿が全くないこの景色を見ますと、大昔の火山活動を想像するのに違和感はありません。浸食の後に、赤い筋が見えています。
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桜の花のアップです。少しだけ蕾が残っていますが、ほぼ満開の状態です。実にタイミングの良い時期の、カッパドキア旅行でした。
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この一帯では、道路工事の最中でした。観光客が増えての歩道整備のように見えました。奇岩の景色の他に、桜とブドウ畑が彩り添えでした。
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当初の旅行計画にはなかった陶芸工房の見学です。ガイドのスワウィさんが紹介されて、皆さんの賛成で見学が決まりました。
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陶芸工房の庭先です。ここでも桜の花が満開でした。工房は洞窟の中にありました。素晴らしい環境の中で、名作が生まれるようです。
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赤色の粘土はこの近くで採れるようです。鉄分を含んでいるようです。粘土にした後、長時間熟成されるようです。足轆轤で作られた砂糖壷です。
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大先生の一番弟子の先生の手ほどきで作り上げられたお碗です。縁の部分に模様をつけ、色彩も施してあります。中々の手付きでした。
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一番弟子の方です。今度は赤粘土に代わって、白粘土を使った実演です。白粘土は赤粘土より長く熟成し、空気も十分に抜かれるようです。
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絵付け作業の状況です。薄く模様が描かれた中に、色絵付けが繰り返されていきます。左側に置かれている皿は、完成見本でしょう。
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