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<2007年1月30日(火)><br /> この日の予定です。8時20分にホテル出発、1日中、アンコール遺跡群の見学です。日本を発つ前に選択していた見学コースです。この日は5時半に目覚ましをかけて、6時頃に起床しました。見学予定の世界遺産に指定されているアンコール遺跡群は、バンテアイ・スレイ、バンテアイ・サムレ、東メボン、プレループとロリュオス遺跡群です。<br /><br /><朝の散歩><br /> 朝食は泊まったホテルのレストランを使いました。ミールクーポンがツアーの中に含まれていました。食事の後も、時間がありましたから、ホテル界隈の散歩に出掛けました。<br /> 熱帯に位置するシェムリアップですから、乾季のこの時期でも、緑と花に溢れていました。ホテルの前のシェムリアップ川には、朝の時間には睡蓮が花開いていました。昨日、アンコールワットの聖池の睡蓮は、日の出の時間見学の時間に赤い花が開いていましたが、午後の見学の時には、ぴったりと花を閉じていました。<br /> ところで、シェムリアップの交通事情です。市内には数えるほどか信号機がありません。それでも、余り交通事故は見かけませんでした。少々の割り込みがあっても、譲り合う場面ばかりでした。こんなことが背景にあるため、今のところ、余り信号機が要らないのかもしれません。<br /><br /><プレループ遺跡><br /> プレループ遺跡は、961年にラージェンドラ・ヴァルマン王によって創建されたヒンドゥー教寺院址です。死者を荼毘に付した石槽があることで有名です。現地ガイドさんは、王様が、ここで荼毘に付されたと説明されていました。<br /> この土地はかつてヤショー・ヴァルマン一世が建立した僧坊の敷地であったとする説がフリー百科事典の「ウィキペディア」には記されていました。同書から荼毘の様子を引用します。<br /> 「プレは変化、ループは体を意味し、かつて境内で行われたと伝わる火葬を名の由来とする。境内に在る石槽では、死者を荼毘に付し、その灰で死者を描く儀式が行われたと伝わり」と、荼毘に伴う儀式の様子が簡単に記されていました。<br /> プレループは、東バライに浮かぶ東メボンの真南に位置しています。3層の基壇と周壁はラテライト、5基の中央祠堂はレンガでできています。レンガを使った巨大寺院としては最後のものとされます。5基の中央祠堂には「開かずの扉」、偽窓があります。東側だけが本物の扉で、それ以外は偽窓となっています。同行の方が、その事を質問されていましたが、「本物の扉の方角を示すために、偽扉も必要」と、禅問答のような答えが返っていました。<br /> ヒンドゥー寺院遺跡の中では、最上層からは周囲の森を見渡すことができます。森をにらむシンハ像と、崩れかかったレンガ造りの祠堂が印象的です。シンハは、サンスクリット語でライオンを意味します。漢訳仏典では「獅子(しし)」と訳され、日本へも狛犬として伝わっています。この見晴らしのため、サンセットの見学場所としても有名です。<br /><br /><東メボン遺跡><br /> 東メボン遺跡は、952年にラージェンドラ・ヴァルマン一世によって創建されたヒンドゥー教寺院址です。東バライと呼ばれた大貯水池の中央の人工小島に建設されました。現在は、水は涸れています。<br /> ピラミッド式寺院ですが、緩やかな階段であるため登りやすくなっています。上部からの眺めもなかなか良く、最上部まで登って、この遺跡を見学しました。中央祠堂の偽扉もきれいに残っていました。外見的にも、プレループと類似しています。共にラージェンドラ・ヴァルマン一世が建立したためでしょう。<br /> 道路に面した東側入口から入って行きますと、ラテライトでできた基壇部が高いことに気付きます。その理由は、この建造物が人工の湖の中の島であったためとされます。<br /> また、正面のラテライトに大きな石が積み重なっているのは、ここが、かつて船着場だったからです。ロリュオス遺跡群にあるロレイの入口付近と同様の構造とされます。<br /><br /><バンテアイ・サムレ遺跡><br /> バンテアイ・サムレやスレイに関するHPをいくつか読ました。その中で、リピーターの方の「悪路で苦労した」話が多くありました。そのさわり部分を紹介します。<br /> 「4年前はバイタクで往復したのだが、そのときは道路状態が劣悪で、帰ってきたときには全身赤土まみれという悲惨な目にあった。そこで今回は自動車で訪れることに(後略)」<br /> もう一つ別の方の書き込みを紹介します。<br /> 「ぬかるみの道で軍用車とすれ違ったのですが、ちょうど軍用車が水溜りに突っ込みました。そして、その時はねとばした大きな泥が我々を直撃しました。タイミングはドンピシャ!!!よける間もナシでした。我々はスクーターごと泥まみれになりました」<br /> 等々です。そのリピーターの方の最近の書き込みでは、<br /> 「スラスランの脇を走り、高床式の住居が並ぶ集落を通り過ぎた。この先からは悪路に変わるはず。けれでも、その予想は見事に裏切られた。きちんと舗装された道がどこまでも続いている。この数年でだいぶマシになったとは聞いていたが、まさかこれほど整備が進んでいたとは」<br /> 『すごいすごい』と感動しているうちに、車はバンテアイ・スレイに到着。実に快適なドライブだった。バイタクでも楽勝だったなあ、とちょっぴり後悔しつつ、参道を進んだ」<br /> と言った記述に変わりました。現地ガイドさんにお聞きした話でも、盛り上げた道路の脇は、雨季には水溜りになってしまうとのことでした。<br /> 遅れましたが、バンテアイ・サムレ遺跡について説明します。12世紀中頃、スーリヤ・ヴァルマン二世によって創建されたヒンドゥー教寺院です。余り大きくはありませんが、保存状態が良い寺院址です。外壁のレリーフ、細かな屋根飾りなども良く保存されていました。<br /> この遺跡見学の時、現地ガイドさんが仔細に説明してくれたのが、石造建築を壊してしまうガジュマル等の樹木のことでした。小鳥が啄ばんだ木の実の種が、屋根や塀の上に運ばれ、保水性のよい石材のために発芽し、次第に下へ向かって根を伸ばします。小さい内に取り去ってしまえば、被害はありませんが、やがて根が楔のようになって石組みが壊れてしまうそうです。<br /><br /><バンテアイ・スレイ遺跡><br /> バンテアイ・スレイ遺跡は、967年に創建されたヒンドゥー教寺院ですが、創建した王はラージェンドラ・ヴァルマンおよびジャヤ・ヴァルマン五世とされ、実質上は、ジャヤ・ヴァルマン五世の摂政を務めたバラモン高僧で王師でもあったヤジュニャヴァラーハともされます。「バンテアイ・スレイ」は、「女の砦」の意味を持ちます。<br /> バンテアイ・スレイ遺跡の規模は、それほど大きくありません。しかし、その名を有名にしたのが「東洋のモナリザ」と称されるデヴァター像です。1924年にフランスの作家アンドレ・マルローが、この女神像を盗み出そうとして捕まったことでも有名になりました。アンドレ・マルローは、その体験に基づく小説「王道」を、1930年に上海で発表しています。<br /> バンテアイ・スレイは赤色砂岩の建物として最も有名です。現地ガイドさんの説明では、この寺院建設に使ったことで、赤色砂岩は枯渇してしまったようです。参道には、リンガと呼ばれる石塔が左右に並んでいました。灯りが点らない燈籠のような形です。<br /> 砂岩には赤色、緑色、及び灰色の3色があるようですが、アンコール遺跡群ではほとんどが灰色砂岩の建物です。他のアンコール遺跡群と比べても、バンテアイ・スレイは際だって赤い色をしています。<br /> この遺跡は、アンコールの中心部から30キロほど離れています。このため、1914年になってようやく発見されました。「東洋のモナリザ」は、以前は近くから見学できたようですが、現在は保護のために少し離れた場所からか見学できません。この像に限らず、この遺跡のレリーフは、他の遺跡を凌ぐ精密さと造形美を持っていました。<br /><br /><タイ料理のお店で昼食の後休憩><br /> 昼食は市街地へ戻った立派な造りのレストランでした。バイキング方式のタイ料理でしたから、麦酒のツマミには、事欠きませんでした。南国のフルーツなども揃っていました。<br /> このレストランで記憶に残ったのが、素晴らしい庭園でした。食事の後に時間がありましたから、その庭を散策しながらデジカメに収めました。下の写真意外にも、何枚か写真編に収めておきました。<br /> 不思議だったのがロビーに飾ってあった大皿の睡蓮です。葉は本物で、花の方はてっきり造花かと思っていましたら、こちらも本物でした。ピンク色の花びらを、丁寧に織り込んでありました。<br /><br /><午後はロリュオス遺跡群見学へ><br /> ホテルでの球形の後、午後はロリュオス遺跡群の見学でした。シェムリアップの中心から、約13キロ、国道6号線を東に走った場所にありました。遺跡へ向かう途中では、あちこちに大きな蟻塚があるのが見えました。赤土の平野に、こんもりと土が盛られた感じです。<br /> ロリュオス遺跡群には、ロレイ、プリア・コー及びバコンの3つの遺跡があります。アンコール地方に都が置かれる前の9世紀末の遺跡です。当時、この地域に王都があったとされます。クメール王国の王都、ハリハラ・ヤラプラとされるようです。<br /> ところで、クメール王朝はアンコール王朝とも呼ばれます。その創生の歴史を「ウィキペディア」お呼び「アンコールの遺跡」(昭和44年刊行、霞ヶ関出版)を参照して、説明します。クメール王朝は、現在の東南アジアにあった王国で、現在のカンボジアの元となった国です。<br /> これより以前にあったチェンラ王国の流れを受け継ぐ王国で、その勢力が最大化した時は、現在のタイ東北部、ラオス、及びベトナムのそれぞれの一部をも領有していました。アンコール遺跡をはじめとする、一連のクメール遺跡などはこの王朝による建造物です。<br /> 9世紀から10世紀にかけてのクメール王朝は、ジャヤ・ヴァルマン二世(802年〜834年)からジャヤ・ヴァルマン三世(834年〜877年)、インドラ・ヴァルマン一世(877年〜889年)からヤショ・ヴァルマン一世(889年〜910年頃)の治世となりました。<br /> ロリュオス遺跡群は、インドラ・ヴァルマン一世からヤショ・ヴァルマン一世の治世の時代に建設されました。<br /> ジャヤ・ヴァルマン二世時代の遺跡であるプノン・クーレンは、シェムリアップから車で約1時間半、山の中にあります。川の底に彫られた彫刻が見所のようです。既に旅行社からのツアーが組まれていますが、外務省の安全情報では、近くのベンメリア遺跡を含め、地雷等の問題があり、「渡航の是非を検討してください。」とされる区域のようです。<br /><br /><ロレイ遺跡><br /> ロレイ遺跡は、893年にヤショ・ヴァルマン一世によって建立されたヒンドゥー教寺院址です。大貯水池インドラタターカの中心に造られた人工小島に建立されました。<br /> 池の中央に造られたことでは、東メボン寺院や西メボン寺院の原型とも言えるようです。しかし、現在、その水は涸れています。祠堂壁面には珍しく、男性像の金剛力士像もはっきりと残っています。また、寺院境内には新しい仏教寺院も建てられており、大勢の僧侶達にも出会うことができます。さらに、境内には果樹園もあり、生活の匂いを感じさせてくれる遺跡です。ロレイは国道6号線の北側、約200mの位置にあります。<br /> 4基の塔の中央から四方に向かって、水を流すための溝が彫られています。「アンコールの遺跡」では、この用途を次のように説明されています。<br /> 「これは宗教上の儀式に用いられたもので、おそらく参詣者たちが手桶に1杯づつの水を持ってきて、中央に設けられた祭壇に水をかけ、その水が溝を伝って四方に流れ、聖水が四周の植物を潤した」<br /> 他のインターネット情報では、「水をかけ四方に流す儀式は農業のクメールの治水技術を象徴」との書き込みもありました。<br /><br /><プリア・コー遺跡><br /> ロリュオス遺跡群、そして、アンコール遺跡群の中でも最古のヒンドゥー教寺院址です。全体に痛みが激しく、中央祠堂などが修復作業中でした。879年にインドラ・ヴァルマン一世によって創建されました。両親に捧げる寺院だったようです。<br /> 「プリア・コー」は、「聖なる牛」の意味があります。基壇の前に3体の聖なる牛(ナンディン)の像があります。ナンディンは、ヒンドゥー教の神であるシヴァ神の乗り物とされています。 しかし、痛みが激しく、素材の石は大きく剥がれていました。<br />プリア・コー遺跡は、国道6号線を挟んで南側に位置します。祠堂が三基ずつ計六基、横二列に並んでいます。平地に建っているためか、ロレイよりも小ぢんまりと見えます。第2の門の石碑の文字は全く損なわれずに残っていて、その中には、インドラ・ヴァルマン一世が恐ろしく武勇に長けた王であったことが記されているようです。<br /><br /><パコン遺跡><br /> パコン遺跡は、アンコール遺跡群のなかで、最初のピラミッド型寺院とされます。881年にインドラ・ヴァルマン一世によって創建されたヒンドゥー教寺院址です。ロリュオス様式の建築です。<br /> パコン遺跡は、ロリュオス遺跡群では最も保存状態が良かった遺跡です。しかし、補修前は完全に崩れ去っていたようです。今は見事に基壇、尖塔が修復されています。5段の基壇と、その頂上にはトウモロコシ型の中央祠堂が聳え立っています。<br /> 基壇の四方には、象の像が建っています。さすがに尻尾や鼻は壊れて、遠くから見た時には熊のように見えました。あるHPでは、「河馬のよう」とも表現されていました。<br />近くには、小学校があるようです。子ども達が遺跡付近で遊んだり、観光客にまとわりついたりしていました。大樹の傍らには、地雷で負傷した人たちが楽器を奏でていました。少し離れた場所に駕籠が置いてありましたから、そっと小銭を置いてきました。<br />説明の順序が逆になりましたが、遺跡の周りには堀が掘ってあり、外敵の進入に備えてありました。「昔はここに、ワニが放してあった」との書き込みもありました。参道の両側の、ナーガ(大蛇)の彫刻も珍しい形をしています。ナーガが欄干ではなく、地面に直接置かれていました。<br /><br /><影絵を見ながら夕食><br />今夜は影絵を鑑賞しながらの食事でした。カンボジアの影絵芝居・スバエクの起源は良く分かっていないようですが、「ラーマヤナ」などの文芸と共に影絵芝居も入ってきたと推測され、12世紀頃に成立していたと考えられています。<br />スバエクとは、カンボジア語で「皮」を意味し、なめした牛の皮に細かな彫りを施して作った皮人形を使って演じる影絵芝居を指します。大型の影絵芝居スバエク・トムと、小型のスバエク・トーイがあります。スバエク・トムは宮廷や寺院など、特定の家系や集団のもとで存続してきました。スバエク・トーイの方は、動きがコミカルで、演目も民衆の生活などに密着したものが多く、その場で即興的に演じられるようです。<br />現地で戴いたパンフレットには、今晩の題目の「戦う猿の話」、「闘牛で賭けをする話」と「ヒンドゥー教の神話『ラーマヤナ』」が記されていました。舞台裏も見ることが出来、むしろこちらの方が面白かったようです。同行の東京から見えたお子さんは、ずっと舞台裏だけを眺めていました。演じていたのは、お子さん達でした。打楽器の演奏がありました。料理に合わせて、ボルドーの白のフルボトルを注文しました。15ドル程でした。<br /><br /><br />  プレループ遺跡で<br /> 二世王荼毘に付されし石槽に細々咲けり日々草は<br /><br />  東メボン遺跡で<br /> 干上がりしバライに水の跡は無く祠堂に祀る小さき座像<br /><br />  バンテアイ・サムレ遺跡で<br /> 雨季来れば孤島になりぬ石の寺土盛り上げて参道築く<br /><br />  バンテアイ・スレイ遺跡で<br /> 東洋のモナリザ顔をやや傾げ赤き砂岩の像は麗し<br /><br />  昼食のレストランで<br /> タイ料理昼食終えてレストラン庭を巡りて暫し寛ぐ<br /><br />  ロレイ遺跡で<br /> 古代文字読み解かれずに石版に刻まれ既に千百年余<br /><br />  プリヤ・コー遺跡で<br /> 石割れて姿無残に変われども聖なる牛は境内にあり<br /><br />  パコン遺跡で<br /> 地雷禍の人は木樹の傍らで歩みの如きテンポ奏でる<br />

2007冬、カンボジア王国旅行記1(4/13):1月30日:プレループ遺跡、バンテアイ・サムレ遺跡

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2007/01/28 - 2007/02/01

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<2007年1月30日(火)>
 この日の予定です。8時20分にホテル出発、1日中、アンコール遺跡群の見学です。日本を発つ前に選択していた見学コースです。この日は5時半に目覚ましをかけて、6時頃に起床しました。見学予定の世界遺産に指定されているアンコール遺跡群は、バンテアイ・スレイ、バンテアイ・サムレ、東メボン、プレループとロリュオス遺跡群です。

<朝の散歩>
 朝食は泊まったホテルのレストランを使いました。ミールクーポンがツアーの中に含まれていました。食事の後も、時間がありましたから、ホテル界隈の散歩に出掛けました。
 熱帯に位置するシェムリアップですから、乾季のこの時期でも、緑と花に溢れていました。ホテルの前のシェムリアップ川には、朝の時間には睡蓮が花開いていました。昨日、アンコールワットの聖池の睡蓮は、日の出の時間見学の時間に赤い花が開いていましたが、午後の見学の時には、ぴったりと花を閉じていました。
 ところで、シェムリアップの交通事情です。市内には数えるほどか信号機がありません。それでも、余り交通事故は見かけませんでした。少々の割り込みがあっても、譲り合う場面ばかりでした。こんなことが背景にあるため、今のところ、余り信号機が要らないのかもしれません。

<プレループ遺跡>
 プレループ遺跡は、961年にラージェンドラ・ヴァルマン王によって創建されたヒンドゥー教寺院址です。死者を荼毘に付した石槽があることで有名です。現地ガイドさんは、王様が、ここで荼毘に付されたと説明されていました。
 この土地はかつてヤショー・ヴァルマン一世が建立した僧坊の敷地であったとする説がフリー百科事典の「ウィキペディア」には記されていました。同書から荼毘の様子を引用します。
 「プレは変化、ループは体を意味し、かつて境内で行われたと伝わる火葬を名の由来とする。境内に在る石槽では、死者を荼毘に付し、その灰で死者を描く儀式が行われたと伝わり」と、荼毘に伴う儀式の様子が簡単に記されていました。
 プレループは、東バライに浮かぶ東メボンの真南に位置しています。3層の基壇と周壁はラテライト、5基の中央祠堂はレンガでできています。レンガを使った巨大寺院としては最後のものとされます。5基の中央祠堂には「開かずの扉」、偽窓があります。東側だけが本物の扉で、それ以外は偽窓となっています。同行の方が、その事を質問されていましたが、「本物の扉の方角を示すために、偽扉も必要」と、禅問答のような答えが返っていました。
 ヒンドゥー寺院遺跡の中では、最上層からは周囲の森を見渡すことができます。森をにらむシンハ像と、崩れかかったレンガ造りの祠堂が印象的です。シンハは、サンスクリット語でライオンを意味します。漢訳仏典では「獅子(しし)」と訳され、日本へも狛犬として伝わっています。この見晴らしのため、サンセットの見学場所としても有名です。

<東メボン遺跡>
 東メボン遺跡は、952年にラージェンドラ・ヴァルマン一世によって創建されたヒンドゥー教寺院址です。東バライと呼ばれた大貯水池の中央の人工小島に建設されました。現在は、水は涸れています。
 ピラミッド式寺院ですが、緩やかな階段であるため登りやすくなっています。上部からの眺めもなかなか良く、最上部まで登って、この遺跡を見学しました。中央祠堂の偽扉もきれいに残っていました。外見的にも、プレループと類似しています。共にラージェンドラ・ヴァルマン一世が建立したためでしょう。
 道路に面した東側入口から入って行きますと、ラテライトでできた基壇部が高いことに気付きます。その理由は、この建造物が人工の湖の中の島であったためとされます。
 また、正面のラテライトに大きな石が積み重なっているのは、ここが、かつて船着場だったからです。ロリュオス遺跡群にあるロレイの入口付近と同様の構造とされます。

<バンテアイ・サムレ遺跡>
 バンテアイ・サムレやスレイに関するHPをいくつか読ました。その中で、リピーターの方の「悪路で苦労した」話が多くありました。そのさわり部分を紹介します。
 「4年前はバイタクで往復したのだが、そのときは道路状態が劣悪で、帰ってきたときには全身赤土まみれという悲惨な目にあった。そこで今回は自動車で訪れることに(後略)」
 もう一つ別の方の書き込みを紹介します。
 「ぬかるみの道で軍用車とすれ違ったのですが、ちょうど軍用車が水溜りに突っ込みました。そして、その時はねとばした大きな泥が我々を直撃しました。タイミングはドンピシャ!!!よける間もナシでした。我々はスクーターごと泥まみれになりました」
 等々です。そのリピーターの方の最近の書き込みでは、
 「スラスランの脇を走り、高床式の住居が並ぶ集落を通り過ぎた。この先からは悪路に変わるはず。けれでも、その予想は見事に裏切られた。きちんと舗装された道がどこまでも続いている。この数年でだいぶマシになったとは聞いていたが、まさかこれほど整備が進んでいたとは」
 『すごいすごい』と感動しているうちに、車はバンテアイ・スレイに到着。実に快適なドライブだった。バイタクでも楽勝だったなあ、とちょっぴり後悔しつつ、参道を進んだ」
 と言った記述に変わりました。現地ガイドさんにお聞きした話でも、盛り上げた道路の脇は、雨季には水溜りになってしまうとのことでした。
 遅れましたが、バンテアイ・サムレ遺跡について説明します。12世紀中頃、スーリヤ・ヴァルマン二世によって創建されたヒンドゥー教寺院です。余り大きくはありませんが、保存状態が良い寺院址です。外壁のレリーフ、細かな屋根飾りなども良く保存されていました。
 この遺跡見学の時、現地ガイドさんが仔細に説明してくれたのが、石造建築を壊してしまうガジュマル等の樹木のことでした。小鳥が啄ばんだ木の実の種が、屋根や塀の上に運ばれ、保水性のよい石材のために発芽し、次第に下へ向かって根を伸ばします。小さい内に取り去ってしまえば、被害はありませんが、やがて根が楔のようになって石組みが壊れてしまうそうです。

<バンテアイ・スレイ遺跡>
 バンテアイ・スレイ遺跡は、967年に創建されたヒンドゥー教寺院ですが、創建した王はラージェンドラ・ヴァルマンおよびジャヤ・ヴァルマン五世とされ、実質上は、ジャヤ・ヴァルマン五世の摂政を務めたバラモン高僧で王師でもあったヤジュニャヴァラーハともされます。「バンテアイ・スレイ」は、「女の砦」の意味を持ちます。
 バンテアイ・スレイ遺跡の規模は、それほど大きくありません。しかし、その名を有名にしたのが「東洋のモナリザ」と称されるデヴァター像です。1924年にフランスの作家アンドレ・マルローが、この女神像を盗み出そうとして捕まったことでも有名になりました。アンドレ・マルローは、その体験に基づく小説「王道」を、1930年に上海で発表しています。
 バンテアイ・スレイは赤色砂岩の建物として最も有名です。現地ガイドさんの説明では、この寺院建設に使ったことで、赤色砂岩は枯渇してしまったようです。参道には、リンガと呼ばれる石塔が左右に並んでいました。灯りが点らない燈籠のような形です。
 砂岩には赤色、緑色、及び灰色の3色があるようですが、アンコール遺跡群ではほとんどが灰色砂岩の建物です。他のアンコール遺跡群と比べても、バンテアイ・スレイは際だって赤い色をしています。
 この遺跡は、アンコールの中心部から30キロほど離れています。このため、1914年になってようやく発見されました。「東洋のモナリザ」は、以前は近くから見学できたようですが、現在は保護のために少し離れた場所からか見学できません。この像に限らず、この遺跡のレリーフは、他の遺跡を凌ぐ精密さと造形美を持っていました。

<タイ料理のお店で昼食の後休憩>
 昼食は市街地へ戻った立派な造りのレストランでした。バイキング方式のタイ料理でしたから、麦酒のツマミには、事欠きませんでした。南国のフルーツなども揃っていました。
 このレストランで記憶に残ったのが、素晴らしい庭園でした。食事の後に時間がありましたから、その庭を散策しながらデジカメに収めました。下の写真意外にも、何枚か写真編に収めておきました。
 不思議だったのがロビーに飾ってあった大皿の睡蓮です。葉は本物で、花の方はてっきり造花かと思っていましたら、こちらも本物でした。ピンク色の花びらを、丁寧に織り込んでありました。

<午後はロリュオス遺跡群見学へ>
 ホテルでの球形の後、午後はロリュオス遺跡群の見学でした。シェムリアップの中心から、約13キロ、国道6号線を東に走った場所にありました。遺跡へ向かう途中では、あちこちに大きな蟻塚があるのが見えました。赤土の平野に、こんもりと土が盛られた感じです。
 ロリュオス遺跡群には、ロレイ、プリア・コー及びバコンの3つの遺跡があります。アンコール地方に都が置かれる前の9世紀末の遺跡です。当時、この地域に王都があったとされます。クメール王国の王都、ハリハラ・ヤラプラとされるようです。
 ところで、クメール王朝はアンコール王朝とも呼ばれます。その創生の歴史を「ウィキペディア」お呼び「アンコールの遺跡」(昭和44年刊行、霞ヶ関出版)を参照して、説明します。クメール王朝は、現在の東南アジアにあった王国で、現在のカンボジアの元となった国です。
 これより以前にあったチェンラ王国の流れを受け継ぐ王国で、その勢力が最大化した時は、現在のタイ東北部、ラオス、及びベトナムのそれぞれの一部をも領有していました。アンコール遺跡をはじめとする、一連のクメール遺跡などはこの王朝による建造物です。
 9世紀から10世紀にかけてのクメール王朝は、ジャヤ・ヴァルマン二世(802年〜834年)からジャヤ・ヴァルマン三世(834年〜877年)、インドラ・ヴァルマン一世(877年〜889年)からヤショ・ヴァルマン一世(889年〜910年頃)の治世となりました。
 ロリュオス遺跡群は、インドラ・ヴァルマン一世からヤショ・ヴァルマン一世の治世の時代に建設されました。
 ジャヤ・ヴァルマン二世時代の遺跡であるプノン・クーレンは、シェムリアップから車で約1時間半、山の中にあります。川の底に彫られた彫刻が見所のようです。既に旅行社からのツアーが組まれていますが、外務省の安全情報では、近くのベンメリア遺跡を含め、地雷等の問題があり、「渡航の是非を検討してください。」とされる区域のようです。

<ロレイ遺跡>
 ロレイ遺跡は、893年にヤショ・ヴァルマン一世によって建立されたヒンドゥー教寺院址です。大貯水池インドラタターカの中心に造られた人工小島に建立されました。
 池の中央に造られたことでは、東メボン寺院や西メボン寺院の原型とも言えるようです。しかし、現在、その水は涸れています。祠堂壁面には珍しく、男性像の金剛力士像もはっきりと残っています。また、寺院境内には新しい仏教寺院も建てられており、大勢の僧侶達にも出会うことができます。さらに、境内には果樹園もあり、生活の匂いを感じさせてくれる遺跡です。ロレイは国道6号線の北側、約200mの位置にあります。
 4基の塔の中央から四方に向かって、水を流すための溝が彫られています。「アンコールの遺跡」では、この用途を次のように説明されています。
 「これは宗教上の儀式に用いられたもので、おそらく参詣者たちが手桶に1杯づつの水を持ってきて、中央に設けられた祭壇に水をかけ、その水が溝を伝って四方に流れ、聖水が四周の植物を潤した」
 他のインターネット情報では、「水をかけ四方に流す儀式は農業のクメールの治水技術を象徴」との書き込みもありました。

<プリア・コー遺跡>
 ロリュオス遺跡群、そして、アンコール遺跡群の中でも最古のヒンドゥー教寺院址です。全体に痛みが激しく、中央祠堂などが修復作業中でした。879年にインドラ・ヴァルマン一世によって創建されました。両親に捧げる寺院だったようです。
 「プリア・コー」は、「聖なる牛」の意味があります。基壇の前に3体の聖なる牛(ナンディン)の像があります。ナンディンは、ヒンドゥー教の神であるシヴァ神の乗り物とされています。 しかし、痛みが激しく、素材の石は大きく剥がれていました。
プリア・コー遺跡は、国道6号線を挟んで南側に位置します。祠堂が三基ずつ計六基、横二列に並んでいます。平地に建っているためか、ロレイよりも小ぢんまりと見えます。第2の門の石碑の文字は全く損なわれずに残っていて、その中には、インドラ・ヴァルマン一世が恐ろしく武勇に長けた王であったことが記されているようです。

<パコン遺跡>
 パコン遺跡は、アンコール遺跡群のなかで、最初のピラミッド型寺院とされます。881年にインドラ・ヴァルマン一世によって創建されたヒンドゥー教寺院址です。ロリュオス様式の建築です。
 パコン遺跡は、ロリュオス遺跡群では最も保存状態が良かった遺跡です。しかし、補修前は完全に崩れ去っていたようです。今は見事に基壇、尖塔が修復されています。5段の基壇と、その頂上にはトウモロコシ型の中央祠堂が聳え立っています。
 基壇の四方には、象の像が建っています。さすがに尻尾や鼻は壊れて、遠くから見た時には熊のように見えました。あるHPでは、「河馬のよう」とも表現されていました。
近くには、小学校があるようです。子ども達が遺跡付近で遊んだり、観光客にまとわりついたりしていました。大樹の傍らには、地雷で負傷した人たちが楽器を奏でていました。少し離れた場所に駕籠が置いてありましたから、そっと小銭を置いてきました。
説明の順序が逆になりましたが、遺跡の周りには堀が掘ってあり、外敵の進入に備えてありました。「昔はここに、ワニが放してあった」との書き込みもありました。参道の両側の、ナーガ(大蛇)の彫刻も珍しい形をしています。ナーガが欄干ではなく、地面に直接置かれていました。

<影絵を見ながら夕食>
今夜は影絵を鑑賞しながらの食事でした。カンボジアの影絵芝居・スバエクの起源は良く分かっていないようですが、「ラーマヤナ」などの文芸と共に影絵芝居も入ってきたと推測され、12世紀頃に成立していたと考えられています。
スバエクとは、カンボジア語で「皮」を意味し、なめした牛の皮に細かな彫りを施して作った皮人形を使って演じる影絵芝居を指します。大型の影絵芝居スバエク・トムと、小型のスバエク・トーイがあります。スバエク・トムは宮廷や寺院など、特定の家系や集団のもとで存続してきました。スバエク・トーイの方は、動きがコミカルで、演目も民衆の生活などに密着したものが多く、その場で即興的に演じられるようです。
現地で戴いたパンフレットには、今晩の題目の「戦う猿の話」、「闘牛で賭けをする話」と「ヒンドゥー教の神話『ラーマヤナ』」が記されていました。舞台裏も見ることが出来、むしろこちらの方が面白かったようです。同行の東京から見えたお子さんは、ずっと舞台裏だけを眺めていました。演じていたのは、お子さん達でした。打楽器の演奏がありました。料理に合わせて、ボルドーの白のフルボトルを注文しました。15ドル程でした。


  プレループ遺跡で
 二世王荼毘に付されし石槽に細々咲けり日々草は

  東メボン遺跡で
 干上がりしバライに水の跡は無く祠堂に祀る小さき座像

  バンテアイ・サムレ遺跡で
 雨季来れば孤島になりぬ石の寺土盛り上げて参道築く

  バンテアイ・スレイ遺跡で
 東洋のモナリザ顔をやや傾げ赤き砂岩の像は麗し

  昼食のレストランで
 タイ料理昼食終えてレストラン庭を巡りて暫し寛ぐ

  ロレイ遺跡で
 古代文字読み解かれずに石版に刻まれ既に千百年余

  プリヤ・コー遺跡で
 石割れて姿無残に変われども聖なる牛は境内にあり

  パコン遺跡で
 地雷禍の人は木樹の傍らで歩みの如きテンポ奏でる

同行者
一人旅
交通手段
観光バス
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タイ国際航空
  • 3泊したシェムリアップのホテルです。4階建ての新しいホテルでした。エレベータが1台だけでしたから、2階の部屋との間は階段を利用しました。

    3泊したシェムリアップのホテルです。4階建ての新しいホテルでした。エレベータが1台だけでしたから、2階の部屋との間は階段を利用しました。

  • ホテルの前庭で咲いていたトロピカルな花です。黄色の地に赤い雌しべが見えます。ゴクラクチョウ花の1種でしょうか。

    ホテルの前庭で咲いていたトロピカルな花です。黄色の地に赤い雌しべが見えます。ゴクラクチョウ花の1種でしょうか。

  • ホテルの前の川です。濁ってはいましたが、両岸の散歩道を含めてよく清掃されていました。朝方には、ところどころで睡蓮が花開いていました。

    ホテルの前の川です。濁ってはいましたが、両岸の散歩道を含めてよく清掃されていました。朝方には、ところどころで睡蓮が花開いていました。

  • ホテルの前の通りです。川は南北に流れていますから、こちらの方面が北側です。アンコールワット、アンコールトムもこちらの方角です。

    ホテルの前の通りです。川は南北に流れていますから、こちらの方面が北側です。アンコールワット、アンコールトムもこちらの方角です。

  • 今日も一日、アンコール遺跡群巡りです。日本を発つ前に申し込んでいました。最初はプレループ遺跡の見学です。順調に、現地に到着しました。

    今日も一日、アンコール遺跡群巡りです。日本を発つ前に申し込んでいました。最初はプレループ遺跡の見学です。順調に、現地に到着しました。

  • プレループ遺跡は、2世王が創建したヒンドゥ教寺院址です。中央祠堂からの眺めが良く、夕陽の見学スポットとなっているようです。

    プレループ遺跡は、2世王が創建したヒンドゥ教寺院址です。中央祠堂からの眺めが良く、夕陽の見学スポットとなっているようです。

  • 回廊のような場所を通って中央祠堂へ向かいました。両側の壁は、所々崩れかかっていました。煉瓦が使用してあるようです。

    回廊のような場所を通って中央祠堂へ向かいました。両側の壁は、所々崩れかかっていました。煉瓦が使用してあるようです。

  • 尖塔の一つです。扉の部分は色の違った石が使われています。この砂岩は新しそうですから、後から修復されたものかも知れません。

    尖塔の一つです。扉の部分は色の違った石が使われています。この砂岩は新しそうですから、後から修復されたものかも知れません。

  • ヒンドゥ教寺院の形式です。正面からは3つの尖塔に見えますが、尖塔の後ろにはそれぞれ隠れた尖塔があり、全部で6つです。1つは壊れました。

    ヒンドゥ教寺院の形式です。正面からは3つの尖塔に見えますが、尖塔の後ろにはそれぞれ隠れた尖塔があり、全部で6つです。1つは壊れました。

  • 余り変哲の無い四角い石囲いです。これが死者を荼毘に付した火葬場址です。現地ガイドさんの説明では、王様がここで荼毘に付されたようです。

    余り変哲の無い四角い石囲いです。これが死者を荼毘に付した火葬場址です。現地ガイドさんの説明では、王様がここで荼毘に付されたようです。

  • 祠堂の1つには、周りの建物とは不釣合いの新しい祭壇が飾ってありました。小さ目の神様が、6体祀ってありました。

    祠堂の1つには、周りの建物とは不釣合いの新しい祭壇が飾ってありました。小さ目の神様が、6体祀ってありました。

  • ラージェンドラヴァルマン2世によって961年に建立されましたから、千年以上が経っています。このレリーフは、すっかり風化していました。

    ラージェンドラヴァルマン2世によって961年に建立されましたから、千年以上が経っています。このレリーフは、すっかり風化していました。

  • 荼毘に付した後の儀式を「プレループ」と呼び、「身体を変える」事を意味したようです。これが、この遺跡の呼び名となりました。

    荼毘に付した後の儀式を「プレループ」と呼び、「身体を変える」事を意味したようです。これが、この遺跡の呼び名となりました。

  • 戒壇はラテライト、塔は煉瓦、紛い戸や入り口の枠等には砂岩が使われているようです。左の柱は砂岩、それ以外はラテライトのようです。

    戒壇はラテライト、塔は煉瓦、紛い戸や入り口の枠等には砂岩が使われているようです。左の柱は砂岩、それ以外はラテライトのようです。

  • 次は東メボン遺跡の見学です。プレループのすぐ近くでした。アンコールトムからは、東に位置しています。その東メボン遺跡へ到着です。

    次は東メボン遺跡の見学です。プレループのすぐ近くでした。アンコールトムからは、東に位置しています。その東メボン遺跡へ到着です。

  • 東メボン遺跡は、プレループと同じく、ラージェンドラヴァルマン2世によって、10年程先立つ952年に建てられました。シヴァ派の寺院址です。

    東メボン遺跡は、プレループと同じく、ラージェンドラヴァルマン2世によって、10年程先立つ952年に建てられました。シヴァ派の寺院址です。

  • 今は、周囲の水が枯れていますが、東バライ(貯水池)が水を湛えていたころは、この寺院までは、船で渡ってきたと伝えられます。<br /><br />

    今は、周囲の水が枯れていますが、東バライ(貯水池)が水を湛えていたころは、この寺院までは、船で渡ってきたと伝えられます。

  • 人口の湖(バライ)の中に浮かぶ島でしたから、当時は東側の入口に船着場が設けられていました。当時とは、かなり違った景観になったようです。

    人口の湖(バライ)の中に浮かぶ島でしたから、当時は東側の入口に船着場が設けられていました。当時とは、かなり違った景観になったようです。

  • 保存状態が、比較的、良い尖塔です。入口付近のレリーフも残っていました。階段の幅は意識的に狭くしてありますから、用心しながらの登り下りです。

    保存状態が、比較的、良い尖塔です。入口付近のレリーフも残っていました。階段の幅は意識的に狭くしてありますから、用心しながらの登り下りです。

  • この尖塔が中央祠堂に当たるようです。のんびりと時を過ごす地元の人がいました。レンガ造りです。

    この尖塔が中央祠堂に当たるようです。のんびりと時を過ごす地元の人がいました。レンガ造りです。

  • 中央祠堂の中には座禅を組まれた黒い仏像が祀ってありました。光背を持ち、写実的な造りのようです。袈裟が鮮やかな朱色でした。

    中央祠堂の中には座禅を組まれた黒い仏像が祀ってありました。光背を持ち、写実的な造りのようです。袈裟が鮮やかな朱色でした。

  • 高い場所から眺めた周囲の風景は、ここが熱帯雨林の中だという事を実感させてくれます。こちらが西方面だったようです。

    高い場所から眺めた周囲の風景は、ここが熱帯雨林の中だという事を実感させてくれます。こちらが西方面だったようです。

  • 最上部まで登って、帰る途中での撮影です。往きには気が付きませんでしたが、反り返ったように積まれた煉瓦の柱がありました。

    最上部まで登って、帰る途中での撮影です。往きには気が付きませんでしたが、反り返ったように積まれた煉瓦の柱がありました。

  • 基壇部の大きさは東西126メートル、南北121メートルあります。四隅には砂岩でできた象が立っています。その1頭です。修復の跡があります。

    基壇部の大きさは東西126メートル、南北121メートルあります。四隅には砂岩でできた象が立っています。その1頭です。修復の跡があります。

  • 近くで車を降りて、バンテアイ・サムレ遺跡へ向かいました。今は乾季ですから想像し難いですが、雨季には泥濘になるため、盛り土がされました。

    近くで車を降りて、バンテアイ・サムレ遺跡へ向かいました。今は乾季ですから想像し難いですが、雨季には泥濘になるため、盛り土がされました。

  • 柱の色が変わっているところは修復跡のようです。元々保存状態が良かった上に、修復の手も行き届いたようです。

    柱の色が変わっているところは修復跡のようです。元々保存状態が良かった上に、修復の手も行き届いたようです。

  • 正門を潜った場所です。正面に大きな像があったようです。台座の上に、千切れた足だけが残されていました。エリカちゃんが興味津々です

    正門を潜った場所です。正面に大きな像があったようです。台座の上に、千切れた足だけが残されていました。エリカちゃんが興味津々です

  • こちらの建物も、保存状態が良いことが分かる外観です。800年ほど経っても、熱帯雨林の脅威を避けることができたようです。

    こちらの建物も、保存状態が良いことが分かる外観です。800年ほど経っても、熱帯雨林の脅威を避けることができたようです。

  • バンテアイ・サムレは、12世紀中頃、スーリヤ・ヴァルマン2世によって創建されました。余り大きくない寺院址ですが、保存状態は良好です。

    バンテアイ・サムレは、12世紀中頃、スーリヤ・ヴァルマン2世によって創建されました。余り大きくない寺院址ですが、保存状態は良好です。

  • この屋根飾りの保存状態も上々です。保存状態が良かったのは、屋根や塀の上に生えた木々を早目に除去したことにも、あるようです。

    この屋根飾りの保存状態も上々です。保存状態が良かったのは、屋根や塀の上に生えた木々を早目に除去したことにも、あるようです。

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