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東京近郊の栃木、佐原、川越3つの市が提携し、小江戸サミットを開いていることを、先週蔵の街 栃木に行って知りました。今回は、埼玉の川越に出かけて蔵の街並みを散策しました。<br />川越は江戸時代より川越藩の城下町、新河岸川の舟運で栄えた商人の町、川越大師喜多院の門前町としてとても賑わった街で、江戸から明治にかけての街並みが保存されている、趣のある街です。<br />仕事では何度か訪れていましたが、今回街を散策して、先週の栃木に引き続き、東京近郊にもまだ知らないいいところが、まだまだたくさんあるんだなと再認識しました。

小江戸川越 散策 Vol.2 名所・旧跡編

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2006/11/11 - 2006/11/11

1784位(同エリア2203件中)

旅行記グループ 古い街並みシリーズ

2

33

ぬいぬい

ぬいぬいさん

東京近郊の栃木、佐原、川越3つの市が提携し、小江戸サミットを開いていることを、先週蔵の街 栃木に行って知りました。今回は、埼玉の川越に出かけて蔵の街並みを散策しました。
川越は江戸時代より川越藩の城下町、新河岸川の舟運で栄えた商人の町、川越大師喜多院の門前町としてとても賑わった街で、江戸から明治にかけての街並みが保存されている、趣のある街です。
仕事では何度か訪れていましたが、今回街を散策して、先週の栃木に引き続き、東京近郊にもまだ知らないいいところが、まだまだたくさんあるんだなと再認識しました。

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄 徒歩
  • 川越城本丸御殿<br />寛永元年(1848年)時の藩主 松平平斉典により築造されたもので、現在は玄関・広間部分と移築された家老詰所しか残っておりません。<br />

    川越城本丸御殿
    寛永元年(1848年)時の藩主 松平平斉典により築造されたもので、現在は玄関・広間部分と移築された家老詰所しか残っておりません。

  • 広間をはさんで両側にある30m以上の長い廊下

    広間をはさんで両側にある30m以上の長い廊下

  • 玄関脇の庭

    玄関脇の庭

  • 格子戸越の中庭

    格子戸越の中庭

  • 中庭のもみじ やや赤く色づき始めています。

    中庭のもみじ やや赤く色づき始めています。

  • 家老詰所 <br />明治6年上福岡の福田屋分家に移築され、昭和62年まで母屋として使われていたものを、また移築して復元されたものです。

    家老詰所 
    明治6年上福岡の福田屋分家に移築され、昭和62年まで母屋として使われていたものを、また移築して復元されたものです。

  • 家老詰所へ続く渡り廊下の天井

    家老詰所へ続く渡り廊下の天井

  • 広間裏側の長い廊下

    広間裏側の長い廊下

  • 広間は30帖あり、全部ふすまを開け放すと96帖の大空間になります。

    広間は30帖あり、全部ふすまを開け放すと96帖の大空間になります。

  • 玄関脇の壁

    玄関脇の壁

  • 川越大師 喜多院<br />慈恵堂は、比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)をまつる大師堂として親しまれ、潮音殿とも呼びます。裄行(たけゆき)9間、梁間(はりま)6間、入母屋造りで銅版葺。現在、喜多院の本堂として機能し、中央に慈恵大師、左右に不動明王をお祀りし、毎日不動護摩供を厳修しています。川越大火の翌年、寛永16年(1639)10月に大火以後、いち早く再建され、近世初期の天台宗本堂の遺構として貴重なものです

    川越大師 喜多院
    慈恵堂は、比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)をまつる大師堂として親しまれ、潮音殿とも呼びます。裄行(たけゆき)9間、梁間(はりま)6間、入母屋造りで銅版葺。現在、喜多院の本堂として機能し、中央に慈恵大師、左右に不動明王をお祀りし、毎日不動護摩供を厳修しています。川越大火の翌年、寛永16年(1639)10月に大火以後、いち早く再建され、近世初期の天台宗本堂の遺構として貴重なものです

  • 多宝塔は、寛永16年(1639)に、山門と日枝神社の間にあった古墳の上に建立されました。その後、老朽化が進んだため、明治43年(1910)に慈恵堂と庫裏玄関との渡り廊下中央部分に移築されました。ただし、移築に際し大幅に改造されていたので、昭和48年(1973)に現在地に移し解体修理を実施し復元しました。総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのります。

    多宝塔は、寛永16年(1639)に、山門と日枝神社の間にあった古墳の上に建立されました。その後、老朽化が進んだため、明治43年(1910)に慈恵堂と庫裏玄関との渡り廊下中央部分に移築されました。ただし、移築に際し大幅に改造されていたので、昭和48年(1973)に現在地に移し解体修理を実施し復元しました。総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのります。

  • 慈眼堂は、慈眼大師天海をまつる御堂です。天海僧正は、寛永20年(1643)10月2日寛永寺において入寂されました。正保2年(1645)に徳川家光公の命によりこの御堂が建てられ、厨子に入った天海僧正の木像が安置されました。

    慈眼堂は、慈眼大師天海をまつる御堂です。天海僧正は、寛永20年(1643)10月2日寛永寺において入寂されました。正保2年(1645)に徳川家光公の命によりこの御堂が建てられ、厨子に入った天海僧正の木像が安置されました。

  • 2階建ての階上に梵鐘(ぼんしょう)を吊るすこの鐘楼門は、1階には袴腰(はかまごし)と呼ばれる囲いが付き、2階の前面には竜、背面には鷹の彫刻があります。建立年代ははっきりとしていませんが、寛永10年(1633)に東照宮の門として鐘楼門が建立され多との記録があります。銅鐘は元禄15年(1702)の銘があります。<br />

    2階建ての階上に梵鐘(ぼんしょう)を吊るすこの鐘楼門は、1階には袴腰(はかまごし)と呼ばれる囲いが付き、2階の前面には竜、背面には鷹の彫刻があります。建立年代ははっきりとしていませんが、寛永10年(1633)に東照宮の門として鐘楼門が建立され多との記録があります。銅鐘は元禄15年(1702)の銘があります。

  • 山門は、4本の柱の上に屋根が乗る四脚門の形式で、屋根は切妻造り、本瓦葺。棟札を見ると寛永9年(1632)に天海僧正により建立されたことが分かり、寛永15年(1639)の川越大火で焼失を免れ、喜多院では現存する最古の建物です。<br />

    山門は、4本の柱の上に屋根が乗る四脚門の形式で、屋根は切妻造り、本瓦葺。棟札を見ると寛永9年(1632)に天海僧正により建立されたことが分かり、寛永15年(1639)の川越大火で焼失を免れ、喜多院では現存する最古の建物です。

  • 元和2年(1616)駿府城で徳川家康が亡くなると一旦久能山に葬りましたが、元和3年(1617)日光山に改葬の途中、3月23日から26日までの4日間、遺骸を喜多院に留めて天海僧正が導師となり大法要を営みました。そのことから境内に東照宮が祀られ、寛永10年(1633)には立派な社殿が造営されました。ところが寛永15年(1638)の川越大火により類焼したため、徳川家光公の命により川越藩主堀田正盛が奉行となって直ちに再建に着手しました。寛永17年(1640)に完成したものが現在の社殿です。

    元和2年(1616)駿府城で徳川家康が亡くなると一旦久能山に葬りましたが、元和3年(1617)日光山に改葬の途中、3月23日から26日までの4日間、遺骸を喜多院に留めて天海僧正が導師となり大法要を営みました。そのことから境内に東照宮が祀られ、寛永10年(1633)には立派な社殿が造営されました。ところが寛永15年(1638)の川越大火により類焼したため、徳川家光公の命により川越藩主堀田正盛が奉行となって直ちに再建に着手しました。寛永17年(1640)に完成したものが現在の社殿です。

  • 本堂と客殿をつなぐ渡り廊下

    本堂と客殿をつなぐ渡り廊下

  • 客殿と書院に渡り廊下でつながれている庫裏は、客殿、書院と同様、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築したものです。

    客殿と書院に渡り廊下でつながれている庫裏は、客殿、書院と同様、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築したものです。

  • 客殿の縁側より庫裏を眺める

    客殿の縁側より庫裏を眺める

  • 客殿の庭

    客殿の庭

  • 釣鐘越しに眺める裏庭

    釣鐘越しに眺める裏庭

  • やどりぎ

    やどりぎ

  • 獅子脅し

    獅子脅し

  • 内部は撮影禁止だったため、写真がありませんが、客殿は、書院、庫裏とあわせ江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築したもので、徳川家光誕生の間、春日局化粧の間などの江戸城ゆかりの建造物をはじめ、数多くの文化財があります。

    内部は撮影禁止だったため、写真がありませんが、客殿は、書院、庫裏とあわせ江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築したもので、徳川家光誕生の間、春日局化粧の間などの江戸城ゆかりの建造物をはじめ、数多くの文化財があります。

  • 渡り廊下の向こうに眺める庭

    渡り廊下の向こうに眺める庭

  • 書院の裏庭

    書院の裏庭

  • 春日の局化粧の間から眺める庭

    春日の局化粧の間から眺める庭

  • 五百羅漢<br />十大弟子、十六羅漢を含め、533体のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊・普腎の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、全部で538体が鎮座しています。 <br /><br />

    五百羅漢
    十大弟子、十六羅漢を含め、533体のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊・普腎の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、全部で538体が鎮座しています。

  • 笑っていたり、泣いていたり、怒っていたり、ヒソヒソ話をするものあり、本当にさまざまな表情をしています。

    笑っていたり、泣いていたり、怒っていたり、ヒソヒソ話をするものあり、本当にさまざまな表情をしています。

  • 天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたものです

    天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたものです

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この旅行記へのコメント (2)

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  • glabraさん 2006/12/05 23:11:37
    川越城の本丸御殿
    ぬいぬいさん、こんばんは
    川越城の本丸御殿は前から行きたいところでしたが、まだ行ったことがありません。ぬいぬいさんの旅行記で、本丸御殿の雰囲気がよく分かり行った気分になれました。
                                glabra

    ぬいぬい

    ぬいぬいさん からの返信 2006/12/06 08:06:11
    RE: 川越城の本丸御殿
    おはようございます

    書き込みありがとうございます。
    川越の本丸御殿も良かったですが、江戸末期から明治の初期にタイムスリップしたような川越の街並みも良かったですよ。

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