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 関東には100名城が10城指定されています。その内、今までに3城(佐倉城、水戸城、江戸城)は訪れましたが、今回残りの7城の内、八王子城、川越城、鉢形城の3城を訪れました。八王子城は16世紀、当時の武蔵国(東京都八王子市)に存在していた山城です。川越城は埼玉県川越市にあった平山城です。鉢形城は埼玉県大里郡寄居町鉢形にある戦国時代の連郭式平山城です。川越城を除いて建物等の遺構は残っていません。<br /> 表紙写真は川越城本丸御殿です。

関東の100名城を訪ねて(2)/八王子城、川越城、鉢形城

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2016/05/28 - 2016/05/29

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ひま人

ひま人さん

 関東には100名城が10城指定されています。その内、今までに3城(佐倉城、水戸城、江戸城)は訪れましたが、今回残りの7城の内、八王子城、川越城、鉢形城の3城を訪れました。八王子城は16世紀、当時の武蔵国(東京都八王子市)に存在していた山城です。川越城は埼玉県川越市にあった平山城です。鉢形城は埼玉県大里郡寄居町鉢形にある戦国時代の連郭式平山城です。川越城を除いて建物等の遺構は残っていません。
 表紙写真は川越城本丸御殿です。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
ホテル
3.0
グルメ
3.0
ショッピング
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 観光バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
  •  八王子郷土資料館。八王子城跡から出土したレ−スガラスなど多くの資料が出土し展示されています。ここで八王子城に関する説明を受けました。

     八王子郷土資料館。八王子城跡から出土したレ−スガラスなど多くの資料が出土し展示されています。ここで八王子城に関する説明を受けました。

  •  出土した資料の展示品。

     出土した資料の展示品。

  •  八王子城鳥瞰図。八王子城は標高445m(比高約240m)の深沢山(現在の城山)に築城されており、典型的な中世山城です。小田原に本拠をおいた北条氏の三代目氏康の三男、北条氏照が築いた山城です。天正10年(1587年)頃に築城が開始され、天正15年(1587年)頃までに滝山城から拠点を移したとされます。<br /> しかし、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、天正18年(1590年)6月23日、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城。この八王子城落城が決め手となり、本拠の小田原城は開城、氏照はこの時小田原に籠城中で、兄の氏政と共に城下で切腹し、北条氏は滅亡しました。

     八王子城鳥瞰図。八王子城は標高445m(比高約240m)の深沢山(現在の城山)に築城されており、典型的な中世山城です。小田原に本拠をおいた北条氏の三代目氏康の三男、北条氏照が築いた山城です。天正10年(1587年)頃に築城が開始され、天正15年(1587年)頃までに滝山城から拠点を移したとされます。
     しかし、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、天正18年(1590年)6月23日、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城。この八王子城落城が決め手となり、本拠の小田原城は開城、氏照はこの時小田原に籠城中で、兄の氏政と共に城下で切腹し、北条氏は滅亡しました。

  •  八王子城堀跡。

     八王子城堀跡。

  •  大手門跡。現在は埋め戻されていますが、昭和63年の調査では門の礎石や敷石が見つかりました。

     大手門跡。現在は埋め戻されていますが、昭和63年の調査では門の礎石や敷石が見つかりました。

  •  曳橋。御主殿跡へ入るための通路として、城山川にかけた橋です。当時はこの位置に簡単な木橋をかけ、その橋を壊すことで敵の侵入を防いだと考えられています。

     曳橋。御主殿跡へ入るための通路として、城山川にかけた橋です。当時はこの位置に簡単な木橋をかけ、その橋を壊すことで敵の侵入を防いだと考えられています。

  •  虎口(こぐち)。曲輪の出入り口。

     虎口(こぐち)。曲輪の出入り口。

  •  虎口。

     虎口。

  •  御主殿跡。氏照の館などがあったとされます。

     御主殿跡。氏照の館などがあったとされます。

  •  御主殿跡礎石復元。

     御主殿跡礎石復元。

  •  川越城本丸御殿。川越城は、上杉持朝が長禄元年(1457年)に太田道真・道灌父子に命じて築城させた城です。小田原を拠点に武蔵への進出を図る北条氏は、天文6年(1537年)に川越城を攻め落としました。<br /> 天正18年(1590年)豊臣秀吉の関東攻略に際し、川越城は前田利家らに攻められて降伏しました。同年8月、徳川家康が江戸城に入ると、江戸に近い川越城には重臣酒井重忠を置き、その後も幕府の有力な大名たちが川越に配置されました。<br /> 現在、城址の大部分は市街地になっており、往時の姿を想像するのは難しいが、本丸御殿大広間が現存してるのは、川越城と高知城のみで貴重な遺構です。

     川越城本丸御殿。川越城は、上杉持朝が長禄元年(1457年)に太田道真・道灌父子に命じて築城させた城です。小田原を拠点に武蔵への進出を図る北条氏は、天文6年(1537年)に川越城を攻め落としました。
     天正18年(1590年)豊臣秀吉の関東攻略に際し、川越城は前田利家らに攻められて降伏しました。同年8月、徳川家康が江戸城に入ると、江戸に近い川越城には重臣酒井重忠を置き、その後も幕府の有力な大名たちが川越に配置されました。
     現在、城址の大部分は市街地になっており、往時の姿を想像するのは難しいが、本丸御殿大広間が現存してるのは、川越城と高知城のみで貴重な遺構です。

  •  本丸御殿家老詰所。

     本丸御殿家老詰所。

  •  家老詰所。家老人形で談合を再現しています。

     家老詰所。家老人形で談合を再現しています。

  •  本丸御殿杉戸絵。障壁画は残っていないが杉戸絵が一部残存しています。

     本丸御殿杉戸絵。障壁画は残っていないが杉戸絵が一部残存しています。

  •  川越市立博物館。歴史的、文化的なに育まれて発展してきた貴重な文化遺産が残されています。それらの資料を収集、保存、調査研究、公開することを目的に開館しました。<br /> この地は川越城跡で二の丸跡にあたります。

     川越市立博物館。歴史的、文化的なに育まれて発展してきた貴重な文化遺産が残されています。それらの資料を収集、保存、調査研究、公開することを目的に開館しました。
     この地は川越城跡で二の丸跡にあたります。

  •  蔵造り住宅の構造を展示。

    蔵造り住宅の構造を展示。

  •  太田道灌公像。川越城の最初の築城者。

     太田道灌公像。川越城の最初の築城者。

  •  川越城大手門跡碑。

     川越城大手門跡碑。

  •  小江戸と呼ばれいる、蔵造り町並み。この町並みは国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。この町並みが出来上がったのは明治時代。明治26年(1893年)の川越大火の後、耐火建築である「蔵造り」が採用されたものによるものです。現在も30数軒の蔵造りが軒を連なっています。

     小江戸と呼ばれいる、蔵造り町並み。この町並みは国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。この町並みが出来上がったのは明治時代。明治26年(1893年)の川越大火の後、耐火建築である「蔵造り」が採用されたものによるものです。現在も30数軒の蔵造りが軒を連なっています。

  •  大沢家住宅(重要文化財指定)。川越にある最古の蔵造り。寛政4年(1792年)に豪商・近江屋半右衛門が呉服太物を商うための店舗として建てた商家です。

     大沢家住宅(重要文化財指定)。川越にある最古の蔵造り。寛政4年(1792年)に豪商・近江屋半右衛門が呉服太物を商うための店舗として建てた商家です。

  •  蔵造り町並みの典型的な「蔵造り住宅」。

     蔵造り町並みの典型的な「蔵造り住宅」。

  •  鉢形城歴史館。国指定史跡・鉢形城の歴史を中心に地域の文化や歴史を学習・体感することが出来る施設です。

     鉢形城歴史館。国指定史跡・鉢形城の歴史を中心に地域の文化や歴史を学習・体感することが出来る施設です。

  •  館内に復元されている大手門。鉢形城は、文明8年(1476年)関東管領であった山内上杉氏の家臣長尾景春が築城しました。小田原の北城氏康の四男氏邦が整備拡充し、現在の大きさになりました。関東地方において有数の規模を誇る鉢形城は、北関東支配の拠点として、さらに甲斐・信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担いました。<br /> 天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原攻めの際には、北条氏の重要な支城として、前田利家・上杉景勝等の北軍に包囲され、攻防戦が展開されました。1ケ月余りにおよぶ籠城の後、北条氏邦は6月14日に至り、城兵の助命を条件に開城しました。開城後は、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一・日下部定好が代官となり、この地を統治しました。

     館内に復元されている大手門。鉢形城は、文明8年(1476年)関東管領であった山内上杉氏の家臣長尾景春が築城しました。小田原の北城氏康の四男氏邦が整備拡充し、現在の大きさになりました。関東地方において有数の規模を誇る鉢形城は、北関東支配の拠点として、さらに甲斐・信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担いました。
     天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原攻めの際には、北条氏の重要な支城として、前田利家・上杉景勝等の北軍に包囲され、攻防戦が展開されました。1ケ月余りにおよぶ籠城の後、北条氏邦は6月14日に至り、城兵の助命を条件に開城しました。開城後は、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一・日下部定好が代官となり、この地を統治しました。

  •  土塁跡。

     土塁跡。

  •  土塁跡。

     土塁跡。

  •  堀跡。堀としての面影がない。

     堀跡。堀としての面影がない。

  •  本丸跡。

     本丸跡。

  •  本曲輪跡。

     本曲輪跡。

  •  伝御殿曲輪。

     伝御殿曲輪。

  •  三の曲輪、四脚門(復元)。

     三の曲輪、四脚門(復元)。

  •  石積土塁。

     石積土塁。

  •  馬出(うまだし)。

     馬出(うまだし)。

  •  逸見曲輪。

     逸見曲輪。

  •  唯一の石垣。

     唯一の石垣。

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