vueさんのクチコミ(6ページ)全310件
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
総合評価:4.0
大異山高徳院(こうとくいん)は、神奈川県鎌倉市長谷にある浄土宗のお寺。 本尊は「鎌倉大仏」「長谷の大仏」として知られる阿弥陀如来像(国宝)。
高徳院は、鎌倉のシンボルともいうべき大仏を本尊とする寺院ですが、開山、開基は不明なのだそうです。 初期は真言宗で、鎌倉・極楽寺開山の忍性など密教系の僧が住持となっており、のち臨済宗に属し建長寺の末寺となったが、江戸時代の正徳年間(1711-16年)に江戸・増上寺の祐天上人による再興以降は浄土宗に属し、材木座の光明寺(浄土宗関東総本山)の末寺となっているそうです。 「高徳院」の院号を称するようになるのは浄土宗に転じてからなのだとか。- 旅行時期
- 2014年05月
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
総合評価:4.5
長谷寺(はせでら)は、神奈川県鎌倉市長谷にある浄土宗系統の単立寺院。 山号を海光山、院号を慈照院と称し、長谷観音と通称されている。 本尊は十一面観音。 坂東三十三箇所観音霊場の第四番札所。
5月訪問時は、緑多くたいへん気持ちが良かったですが、花の時期としては中途半端だったかもしれません。- 旅行時期
- 2014年05月
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
総合評価:3.0
この碑は、世界的細菌学者ドイツのローベルト・コッホ博士(フランスのルイ・パストゥールとともに、「近代細菌学の開祖」とされる。)の来日を記念して、弟子である北里柴三郎博士と鎌倉市関係者により大正元年(1912)9月に建立されたもの。 当初、霊仙山頂に建立されたが地盤の脆弱化により、昭和58年(1983)10月、鎌倉市医師会等によりこの地に移設されたそうです。
※明治41年7月、ドイツの大医コッホ先生が北里博士と一緒に鎌倉に遊び富士山を御望みて大変喜ばれたのだとか。
富士山の美しく見える「鎌倉海浜公園 稲村が崎地区」内(公園内の上の方)にあるので富士山撮影の際に上の方にのぼられてみるのも良いかと思います。- 旅行時期
- 2014年05月
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一石橋迷子しらせ石標 (いっこくばし まいご しらせ せきひょう)
投稿日 2014年12月23日
総合評価:4.0
一石橋迷子しらせ石標 (いっこくばし まいご しらせ せきひょう)(東京都指定有形文化財)は、中央区八重洲1にある。 一石橋の南際に安政4年、西河岸町の家主たちによって迷子探しの石標が立てられた。 石標の側面に銘後の特徴・似絵などを書いた紙を貼ったという。
正面に「満(ま)よひ子の志(し)るべ」、左側面に「たつぬる方」、右側面に「志(し)らす類(る)方」、裏面に石標裏面 「安政四丁巳年二月 御願済建之 西河岸町」と刻まれている。- 旅行時期
- 2014年05月
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投稿日 2014年12月23日
総合評価:3.0
歌川広重住居跡の所在地は、東京都中央区京橋1丁目9番。 このような看板が残るのみなのが残念。
浮世絵師歌川広重(1797-1858)が嘉永2年(1849)から死去までのおよそ10年間を過ごした住居跡。 広重は、幕府の定火消組同心安藤源右衛門の長男として、八重洲河岸(現在の千代田区う丸の内2丁目)の火消屋敷で生まれたが、13歳の時父母を失い、父同様定火消組同心になったが、文化8年(1811)15歳のとき歌川豊広の門人となり、翌年には広重の号を与えられ、歌川を称することを許された。- 旅行時期
- 2014年05月
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投稿日 2014年12月23日
総合評価:3.0
茲現山真英寺は、新宿区若葉にある真宗大谷派のお寺。 元和3年麹町清水谷貝塚村に創建、寛永12年四谷北寺町へ移転、以後何度かの移転を繰り返し文政期に当地へ移転したのだとか。
お寺の本堂は階段の上の高台にあり、この高台からは、若葉町の谷町(鮫河橋谷 さめがはしたに)がよく見渡せます。 さきほど歩いてきた須賀神社もこの高台から見ることが出来ました。
スリバチ地形散歩をする方にはおもしろいスリバチビューポイントのようです。 (※ スリバチに誘われて エピソード13 http://matogrosso.jp/suribachi/suribachi-13.html )
ここのお寺の方に ”四谷まち歩き坂道マップ2013” を頂きました。 坂道散歩もしていたのでそのような雰囲気を出していたのでしょうか・・ ありがとうございました。- 旅行時期
- 2014年05月
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
総合評価:3.5
東福院坂 (天王坂)(とうふくいんざか(てんのうざか))は新宿区若葉にある坂。 坂の途中にある東福院に因んでいる。 別名の天王坂は、明治以前の須賀神社が牛頭天王社と称していたためこの辺りが天王横町と呼ばれていたことによるそうです。
須賀神社前の階段から見る東福院坂 (天王坂)もなかなか良いです。 (※スリバチに誘われて エピソード13 http://matogrosso.jp/suribachi/suribachi-13.html )
”四谷まち歩き坂道マップ2013” によれば、長さ約120m、高低差3.7m。- 旅行時期
- 2014年05月
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専称山西念寺内 服部半蔵の墓 (新宿区若葉)
投稿日 2014年12月23日
総合評価:3.5
服部半蔵(はっとり はんぞう)の墓は、新宿区若葉の浄土宗のお寺、西念寺内にあります。 本堂の右の方に行くとお墓がありました。
服部半蔵(1542-96)は、本名を正成といい、徳川家康の三河以来の旧臣で、家康十六将の一人に数えられる武将。 「鬼の半蔵」として知られ、元亀3年(1572)三方ヶ原の戦い、天正18年(1590)小田原攻めで功をあげ知行8000石を賜り、同年の家康の入城後は、江戸城西門近くに居を構え、城の警備等にあたった。
”半蔵門(はんぞうもん)”の名は彼の名に由来する。
半蔵は、天正7年(1579)家康の長男信康が切腹する介錯役を命じられた。 しかし、これを果たせず、晩年、信康の菩提をとむらうため麹町清水谷に庵を建て、西念と号し、仏門に帰依した。 文禄2年(1593)には家康から寺院を建立するよう内命を受けたが、慶長元年(1596)11月、55歳で没した。
西念寺は、半蔵の没後完成し、寛永11年(1634)江戸城の外堀拡張・新設の際現在地に移転したもの。- 旅行時期
- 2014年05月
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
総合評価:4.0
江戸時代から四谷の地に鎮座する、四谷十八町の総鎮守。 寛永20年(1643)、神田明神社内に祀ってあった須佐之男命を合祀。 四谷天王社として明治維新まで親しまれ、明治元年(1868)に須賀神社と改称されたそうです。
新宿区指定有形文化財の「三十六歌仙絵(さんじゅうろくかせんえ)」は36人の平安歌人の歌と肖像が社殿内に掲げられています。
このあたりは、スリバチ凸凹地形散歩をするにも楽しいところだと思います。 (神社前の階段の先に東福院坂(天王坂)が見え、神社が高い台地の上に建てられていることがよく分かります。 須賀神社から対面、東福院の西側に真英寺があり、そこから見える 鮫河橋谷 さめがはしたに の風景は、スリバチビューポイントとなっている・・ というので、この後はそちらの方に向かいました。 ※スリバチに誘われて エピソード13 http://matogrosso.jp/suribachi/suribachi-13.html )- 旅行時期
- 2014年05月










































































