vueさんのクチコミ(7ページ)全310件
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於岩稲荷田宮神社 (新宿区左門町)
投稿日 2014年12月23日
総合評価:3.5
於岩稲荷田宮神社(おいわいなりたみやじんじゃ)は、『東海道四谷怪談』の田宮伊左衛門の妻お岩さんが信仰していた屋敷杜。
享保2年(1717)に於岩稲荷社(おいわいなりじんじゃ)となり、1870年代に於岩稲荷田宮神社(おいわいなりたみやじんじゃ)と改称されたそうです。
『 東京都指定旧跡 田宮稲荷神社跡(新宿区左門町17) 』
田宮稲荷神社は、於岩稲荷と呼ばれ四谷左門町の御先手組同心田宮家の邸内にあった杜。 初代田宮又左衛門の娘お岩(寛永13年没)が信仰し、養子伊右衛門とともに家勢を再興したことから「お岩さんの稲荷」として次第に人々の信仰を集めたようです。・・ 稲荷杜は明治12年(1879)に火事で消失し、その際初代市川左団次の勧めで中央区新川に移転しました。 しかし、その後も田宮家の住居として管理されており、昭和6年(1931)に指定されました。 戦後、昭和27年(1952)に四谷の旧地にも神社を再建し現在に至っています。- 旅行時期
- 2014年05月
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
総合評価:3.0
平等山本性寺は、新宿区須賀町にある日蓮宗のお寺。 境内には、江戸城本丸から移されたという北向毘沙門天堂が安置されている。 毘沙門天像は、江戸城本丸に在ったもので、太田道灌時代から伝わるもので城内に祀ってあったものなのだとか。
江戸時代中期の国学者・歌人は萩原宗固(1703-84)(はぎわら そうこ)の墓(新宿区登録史跡)もある。 宗固は市ヶ谷本村町の生まれ。 享保から天明(1716-1780年代)に国学者・歌人として活躍し、門人として国学者で「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」を編纂した塙保己一(はなわ ほきいち)や老中として寛政の改革を断行した白河藩主松平定信など著名な人物を養成した。- 旅行時期
- 2014年05月
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年12月23日
総合評価:4.0
外堀が完成したのは1636年で、堀の岸は石垣で築かれ、併せて見附(警備のための城門)が設けられた。 JR四ッ谷駅前に見られる四谷見附跡(千代田区6番町)は当時の名残のひとつ。
※1634年、江戸城西北に外堀を設置することになり、立ち退きを余儀なくされた麹町地区の寺社群が四谷地区に移転(道筋に沿って麹町11丁目から13丁目まで展開し、もともと門内の麹町と一続きの町地であったものが、四谷門の完成により内外に分断された。)。 須賀町・若葉二丁目(かつての寺町・南寺町)一帯に寺院が多く見られるのはこの集団移転によるもの。
四谷見附跡 → http://goo.gl/maps/iY7d4- 旅行時期
- 2014年05月
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投稿日 2014年12月23日
総合評価:3.5
江戸城外堀跡は、江戸城内郭と城下を取り巻くように造られた延長約14kmの濠のうち、史跡指定された約4kmの範囲のことだそうで、牛込(飯田橋駅)から赤坂(赤坂見附)へ続く江戸城外堀は、寛永13年(1636)に仙台藩伊達家をはじめとする東国52家の大名により開削されたそうです。 この外堀普請は、約30年にわたる江戸城建設の締めくくる大規模なもので、外堀予定地やその周辺の多くの寺院や町屋が移転したそうです。
この説明版は、400年におよぶ江戸・東京の歴史を示す文化財を周知するために設置されたそうです。
説明版があるのはこのあたり(四谷見附跡近く)です。 → http://goo.gl/maps/yCRZy- 旅行時期
- 2014年05月
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投稿日 2014年12月23日
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投稿日 2014年05月05日
総合評価:4.0
平成26年(2014年)で25回目を迎えるという胎内市チューリップフェスティバル。
チューリップは連作(2年続けて同じ場所に植えること)が出来ないので、半分をチューリップ、もう半分を菜の花にして毎年場所が入れ替わっています。 (※約60種類、80万本のチューリップが2ヘクタールの畑に広がり、その隣に同じく2ヘクタールの菜の花畑が広がっています。)
そのため、2011年の訪問では、チューリップが出入口側に、菜の花が奥側に広がっていましたが、(3年後、2014年)今年は、出入口側に菜の花、奥側にチューリップという構成でした。 菜の花が手前の今年の方が菜の花の量が多く見えました。
天気の良い5月のGWに行きましたが、9時40分頃には到着し、ひととおり見終わって10時過ぎでした。 10時を過ぎると車の混み具合がだいぶ違っていたので、10時前に会場に入れて良かったと思いました。
http://www.city.tainai.niigata.jp/sangyo/nogyo/tulipfesta/tulipfesta2.html- 旅行時期
- 2014年05月
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投稿日 2014年04月30日
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投稿日 2014年04月29日
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投稿日 2014年04月29日
総合評価:3.5
総門・表門にあたり、地名の由来になっている門。 現在のものは、昭和十二年(1937年)に原型より大きく、コンクリート製に作り直されたもの。 旧大門は慶長三年(1598年)に江戸城の拡張・造営にあたり、増上寺が芝に移転した際 ※ 、それまで江戸城の大手門だった高麗門を、徳川家康公より寺の表門として譲られたものだった。
※増上寺は、明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれた。 場所は武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地と伝えられている。 安土桃山時代、徳川家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれた(天正十八年、1590年)。 慶長三年(1598年)には、現在の芝の地に移転。 江戸幕府の成立後には、家康公の手厚い保護もあり、増上寺の寺運は大隆盛へと向かっていった。- 旅行時期
- 2013年04月
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台徳院(2代秀忠)霊廟 惣門 寛永九年建造(1632) 国重文
投稿日 2014年04月29日
総合評価:4.5
増上寺には、徳川将軍15代のうち、6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が葬られている。
第二次世界大戦前には台徳院(2代秀忠)霊廟、崇源院(2代秀忠夫人)霊牌所、文昭院(6代家宣)霊廟、有章院(7代家継)霊廟が旧国宝(建造物)に指定されており、その壮大さは日光東照宮に引けを取らないものだったという。 昭和20年(1945年)に2度の空襲があり3月10日に北廟68棟が被災、続く5月25日に南廟28棟が被災し、その建造物群のほとんどを焼失した。 現在は台徳院霊廟の門4棟と、文昭院霊廟奥院中門(鋳抜門)、有章院霊廟二天門を残すのみ。
台徳院霊廟 惣門は、芝公園内、ザ・プリンスパークタワー東京の入口に建つ。 入母屋造八脚門。 建立当初は現在地より西寄りにあり、1959年に45メートル東方へ曳家された。 門内に安置する金剛力士(仁王)像はもと埼玉県川口市の西福寺にあったもので1948年に浅草寺に譲渡され、さらに1958年頃に現在の惣門に移された。- 旅行時期
- 2013年12月
























































