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3.16
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ピックアップ特集
ディリ旅行予約
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1日あたり1,560円~
ツアー
ホテル クチコミ人気ランキング 13 件
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ホテル ディリ
3.23
6件
- 中国人経営のホテル(東ティモール)
- ホテルディリは、現在、名前がモービーズホテルと変わっています。
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2件
- カズバーシーサイドビラは、クリストレイへの海岸通りと山に挟まれた場所にあります。
- 癒しのビーチへようこそ
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ビーチ サイド ホテル
3.20
2件
- ビーチサイドホテルは、クリストレイの海岸に面した夕陽が見える風光明媚なホテルです。
- お洒落めオープン ビーチ カフェ
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5位
ディリ ビーチ ホテル
観光 クチコミ人気ランキング 7 件
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クリストレイ (ディリ)
3.3
13件
- 何故ポーランド人はそれほど親日的なのか
- バスでの行き方
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サンタクルーズ墓地
3.2
4件
- インドネシア軍の市民への無差別発砲による犠牲者を葬っている墓地です。
- 地元の人がよく訪れている
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3件
- 写真が多い
- ポルトガルとインドネシアの占領統治からの独立に至る闘争の歴史を物語っています。
グルメ・レストラン クチコミ人気ランキング 2 件
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ディザ
3.21
3件
- 食事(東ティモール)
- ディザは、ディリ市内からクリストレイに行く途中にある、ポルトガル料理が有名なレストランです。
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4件
- Castaway Bar & Restaurant は、海岸通りにある洒落たお店です。1階がダイブ教室です。
- B級グルメは旅の定番
- ディリ ショッピング (2件)
旅行記 9 件
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2004.夏【東ティモール】&【インドネシア】~東ティモール編~
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関連タグ:
- 旅行時期:
2004/08/06 -
2004/08/15
(約21年前)
8 票
むか~し行った旅行のアルバムが出てきたのでデジタルアーカイブ化していこうかと…(^^)かなり古い情報なので何の役にも立たないと思いますが悪しからず(-_-)2002年に独立を果たした【東ティモール】…とにかくどんなトコロなのか見てみたい!と思い、翌々年の夏に訪問b独立後の混乱や殺伐とした雰囲気を想像しながら行ってみると…明るく人懐こい人々のバイタリティと笑顔に驚いた→東ティモールのこれからに大いに期待させられた(-_-)それからもう23年…町の様子も相当変わったんだろうな~、また行きたいな~(^^) もっと見る(写真23枚)
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タイさんの旅 インドネシアから東へ 15日目。東ティモールからバリ島を経由して、マカッサルへ
- 同行者:一人旅
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関連タグ:
- 旅行時期:
2024/11/30 -
2024/11/30
(約1年前)
10 票
タイです。東ティモール、最終日。首都、ディリの町を歩きます。東ティモールからバリ島へ、そのままパプアニューギニアの下、バンダ諸島に向かいます。 もっと見る(写真68枚)
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タイさんの旅 インドネシアから東へ 14日目。東ティモール、沈没船シュノーケリング
- 同行者:一人旅
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関連タグ:
- 旅行時期:
2024/11/29 -
2024/11/29
(約1年前)
7 票
タイです。今日は、東ティモールの首都ディリで、地元のフリーダイバー達と一緒に、沈没船ダイビングをしました。 もっと見る(写真56枚)
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タイさんの旅 インドネシアから東へ 13日目。東ティモール、アタウロ島からディリへ
- 同行者:一人旅
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関連タグ:
- 旅行時期:
2024/11/28 -
2024/11/28
(約1年前)
9 票
タイです。アタウロ島から東ティモールの首都ディリに帰ります。朝の内に、ダイブリゾート前でシュノーケリングをします。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー旅行の後半から体調を崩して、暫く休養をしていました。 もっと見る(写真47枚)
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タイさんの旅 東ティモールへ。9日目(2024/11/23) 首都ディリからアタウロ島へ
- 同行者:一人旅
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関連タグ:
- 旅行時期:
2024/11/23 -
2024/11/23
(約1年前)
9 票
タイです。シロナガスクジラと泳ぐために、首都ディリの沖にあるアタウロ島に行きます。 もっと見る(写真55枚)
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クチコミ(98)
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往時 ヨーロッパの大国だったポーランドは、周辺の国々により何度も分割されてその都度国家が消滅したが、第一次世界大戦後の1918年に共和国として独立を回復した。 翌年に日本とポーランドとの正式国交が樹立されてから、2019年がちょうど100周年になる。 去る11月17日(日)に兵庫県立美術館で、「知られざる日本とポーランドの友好の絆-ポーランドのシベリア孤児と神戸・大阪」というタイトルで、その記念シンポジウムが開かれた。 当方が家族会員として以前から入会してお手伝いしている 日本ポーランド協会関西センター が共催していたこともあり、参加して来た。 ロシア革命後のソビエトとの戦争の結果、流刑地シベリアで悲惨な状況にあったポーランド人孤児たちは、「ポーランド救済委員会」と日本赤十字社の協力により、1920~22年にかけて敦賀港を経由して大阪(388人)と東京(375人)に迎えられ、手厚い看護と支援を受けて、それぞれ神戸港および横浜港から祖国に帰国した。別のグループはシベリア鉄道でモスクワを経てポーランドへ帰国した とのこと。 彼らは一生日本を懐かしみ、感謝を忘れなかった とい...
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東ティモールの独立について大変興味深い博物館です。当時のオリジナルの品の展示はほとんどなく写真の展示が主です。説明がしっかりしています。場所が国立大学東ティモールに隣接しているので学生達にも存在感のある博物館のような気がします。入館料は1USドルです。館内は撮影禁止です
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2002年にインドネシアから独立した東ティモールは、日用品や食堂ではインドネシア語で通用する。 通貨は米ドルで、青空市場やスーパーや大きなショッピングセンター等で買い物が出来る。主産業は農業で、コーヒーと石油・天然ガス(オーストラリアと共用)の輸出が当国の経済収入の大半を占めている。
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中国人が経営するホテル(カミングホテル)で、エアコンもあり、NHKは入らなくて中国番組等数少ないチャンネルのテレビ放送も見られた。シャワーのみだったが湯も充分出ていた。ときどき停電や断水があり、洗面室にはいつも大きなバケツに水を入れて置いてあった。食堂は無く食事はついていない。共用の全自動洗濯機があって重宝した(50分ほどで仕上がる)。電気代も入れて月350㌦ほど(当国の通貨は米ドル)。飲料水は10㍑で1ドル(最初のみ容器込みで10ドル)。英語が通じないのが難点(時には携帯電話器を使って筆談で)。インターネットは通じる(特殊なルーターを使ってE-メールやスカイプ等をしていた)。
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東ティモールは2002年に21世紀最初の独立国としてインドネシアから独立した国で、食堂や買い物をする店ではインドネシア語で通して、それで充分通じていた。町中の食堂にはインドネシア料理でおなじみのナシ・ゴレン(炒飯)やミー・ゴレン(炒麺)やサテー(串焼き肉)などもあり、一食で1~1.5㌦ぐらいで済ませられる。 どれも香ばしくておいしい。道端ではほの甘くて美味しいピサン・ゴレン(青いバナナを油で揚げた物)も売っている。ご飯はどこも山盛りで半分もあれば充分な量。マンゴーやランブータンなどのトロピカル・フルーツもあって、重宝していた。
外務省 海外安全ホームページ情報
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- 2025年03月17日
- 東ティモールの危険情報【危険レベル継続】(内容の更新)
【危険度】 ●全土 レベル1:十分注意してください。(継続) 【ポイント】 ●経済の停滞や貧困を背景に一般犯罪が一定の頻度で発生している他、若年層の失業等に起因し、日頃から不満を抱えるグループ、特にマーシャル・アーツ・グループに属する若者の間での対立・抗争が散発しています。