札幌開祖 志村鉄一翁居住之地跡
名所・史跡
3.20
クチコミ・評判
1~7件(全7件中)
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木製の碑
- 3.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 0
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豊平川右岸の道路脇に細い木柱
- 3.0
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
- 0
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標柱が一本立つのみ
- 2.5
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
- 0
標柱が一本立っているのみです。住居の柱ではなく、志村鉄一翁の功績を記念するものです。
付近は当時の風景とは一変しています... 続きを読む。今でこそ大都市に発展した札幌ですが、当時は原野が広がるのみで和人はほとんど住んでいなかったそうです。豊平川も今のように一本ではなく、細い流れがいくつもあり、氾濫もしばしばだったとか。
明治維新の11年前、1857年、幕命を受けて志村翁はここで渡し守となったそうです。当時、日本海側の銭函と、苫小牧など太平洋側へ抜けられる千歳とを結ぶ札幌越新道という道が作られていたそうです。
標柱の立つ場所は、豊平川にかかる豊平橋の右岸(豊平区側)。橋から土手沿いの道を100mほど下流に行ったところです。通り1本目のT字路のところに立っています。豊平橋のたもとに「豊平橋」バス停がありますが、地下鉄東西線の菊水駅からは400~500mのところです。
豊平橋辺りに豊平橋の小史を記した案内板、そして少し上流側に志村翁の顕彰碑があります。また、橋を渡った反対側には、対岸で渡し守をしていた吉田翁の顕彰碑があります。当時の歴史を偲んでもよいかもしれません。また、明治維新前の札幌開拓が偲ばれるものとしては、地下鉄東豊線、環状通東駅付近の本龍寺や札幌村郷土記念館、大友公園などがあります。 閉じる投稿日:2014/11/25
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当時の居住地に忠実に近い場所に木製の標柱が建てられています
- 4.0
- 旅行時期:2014/05(約12年前)
- 0
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車道ギリギリにたってる
- 3.5
- 旅行時期:2013/10(約12年前)
- 0
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豊平川の渡し守
- 1.0
- 旅行時期:2013/08(約12年前)
- 0
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豊平川の土手にある居住之地跡
- 3.5
- 旅行時期:2013/07(約12年前)
- 0
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