浅草凌雲閣記念碑
名所・史跡
3.32
クチコミ・評判
1~20件(全30件中)
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明治時代にこんな建物が
- 3.5
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
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とあるビルの前にレリーフが
- 3.0
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
- 0
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ちょっと前まで「パチンコ屋」今は「スーパーマーケット」になっています。
- 3.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
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明治20年代は十二階建ては「高層建築」でした
- 3.5
- 旅行時期:2022/04(約4年前)
- 0
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101年前に消えた建物
- 3.0
- 旅行時期:2022/02(約4年前)
- 0
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案内表示があまりに古くなっています
- 1.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
- 0
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パチンコ屋産の前に。
- 4.0
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
- 0
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浅草にあった高層ビル
- 3.0
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
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望楼建築がブームの時代
- 3.0
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 0
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関東大震災で倒壊した凌雲閣
- 3.5
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
- 0
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もう少しなんとかならないもんですかねえ…
- 2.5
- 旅行時期:2020/03(約6年前)
- 0
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今はない凌雲閣
- 3.5
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
- 0
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関東大震災で倒壊
- 3.0
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
- 0
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六区ブロードウェイ商店街の北側突き当たりに設置されています!
- 3.5
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
- 6
『浅草凌雲閣(あさくさりょうんかく)記念碑』は、東京における高層建築物の先駆けとなる建設当時に日本で最も高い建築物であった... 続きを読む『浅草凌雲閣』の建設跡地を示す証として2004年(平成16年)に「凌雲閣史蹟保存の会」が設置した記念碑プレートです。
『浅草凌雲閣』は、パリの「エッフェル塔」が開業した翌年の1890年(明治23年)に高所からの眺望を売り物にした最高高さ173尺(約52.4メートル)、12階建ての展望塔として浅草公園六区北側(現在の浅草2丁目13番から14番付近)に建設されています。
建設当時に日本一の高さを誇った建築物であったほか、最先端の電気技術を取り入れ建物各階に白熱電燈3個と11階の屋外にアーク灯2基を設置、1階から8階部分に世界でも最先端の技術であった日本初の電動式エレベーター2基が設置され浅草のランドマークになっており、建物名称を”雲を凌ぐほど高い”という思いが込められて『浅草凌雲閣』と命名されていますが、当時の庶民からは親しみを込めて「浅草十二階」または「十二階」の愛称で呼ばれていました。
建物各階の構成は、1階部分のエントランスに2階から7階部分が46店舗におよぶ諸外国や日本各地の物産販売店が入り、8階部分のエレベーター停止階に休憩室、9階部分に美術品などを展示するイベントフロア、10階から12階部分が眺望室となり、最上階の12階には30倍の望遠鏡が設置されていました。
建物構造は、地上部分の主要構造が1階から10階部分の平面を八角形としたレンガ積みの構造として11階から12階部分が木造となっています。
基礎部分については、掘削深さが18尺(5.45メートル)となり松杭を打込んだ上に厚さ2.5尺(76センチメートル)の土台となるコンクリートを打設を行った後にレンガ積みの布基礎が施されています 。
但し、基本設計の段階でエレベーターの設置は考慮されておらず構造強度に問題があるとの指摘もあったほか、開業当初からエレベーターの故障も頻発し完成した翌年の1891年(明治24年)にエレベーターの運転は中止となっています。
1911年(明治44年)には、『浅草凌雲閣』の下層階に「十二階演芸場」ができ、1914年(大正3年)にはエレベーターの復活もありましたが、1923年(大正12年)の関東大震災により『浅草凌雲閣』の8階部分より上部が崩落し、経営難であったことも重なり復旧されることも無く震災後間もなく爆破解体されています。
『浅草凌雲閣』解体後の跡地には、「凌雲座」(劇場)が建設され、その後は「昭和座」、「浅草東映」(映画館)となり、現在はパチンコ店(六区ブロードウェイ商店街の北側突き当たり)となっています。
『浅草凌雲閣記念碑』のプレートに刻まれている文字が読みにくいですが、記載されている文章を読んでいると明治維新後の急速に進む近代文明化の流れの中で当時の日本人の対応力と技術の吸収力の凄さを実感しました・・・ 閉じる投稿日:2019/10/14
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凌雲閣 記念碑
- 3.0
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
- 0
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記念碑の場所が、発掘された場所と若干異なるという事件
- 4.5
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
- 0
前日の日曜日に、視聴率低迷で話題のNHK大河ドラマ「いだてん」で、大正12年の関東大震災で、浅草の通称十二階、正式名は「凌... 続きを読む雲閣」と呼ばれた展望タワーが倒壊した場面が出て、最後に発掘で場所が特定されたと解説されていた。
浅草に行ったついでに、観光案内所で地図をいただき、行ってみた。
当時の浅草の繁華街を外れて建築規制が甘かった西側の六区の通りに建てられたらしい。
六区ブロードウェイの北の突き当りのパチンコ/スロット屋の店頭に、小さな記念プレートが建てられている。これが昔からの「凌雲閣記念碑」(凌雲閣史跡保存の会)。
一方、その北側50mくらいかの焼き肉店ビルが建った場所が、近年のビル工事で凌雲閣の基礎の煉瓦などが発掘された場所という。
こちらはビルの西側外壁にカラー写真を焼き付けた3階分くらいの大きなシートが貼られている。
道路との境には、発掘で出土したという煉瓦も埋められ、脇に経緯が記された台東区教育委員会協力というお墨付き付の解説板が掲出されている。
発掘で場所が特定されたのであれば、「凌雲閣記念碑」も移設すれば良さそうなものだが。
閉じる投稿日:2019/06/18
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パチンコ屋の前
- 2.0
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
- 0
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浅草のシンボルの記念碑
- 3.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 0
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明治時代の超高層建物
- 3.0
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
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浅草凌雲閣記念碑は浅草ひさご通り西側のパチンコ店入口近くにある。銅版のようなプレートに浅草凌雲閣の全景が刻まれている。お勧... 続きを読むめの点は、浅草凌雲閣は東京の上水道設計者でもある英国人ウィリアム・K・バルトンが設計し1890年に竣工された八角形12階の建物であること、1階から10階までが煉瓦積、11・12階が木造で8階までは日本で最初の電動エレベーターがあり最上階の12階には展望コーナーがあり周辺の景色が望めたこと、館内には多くの店舗があり多くの人で賑わっていたこと、関東大地震で破壊されてしまったこと、浅草凌雲閣は当時としては超高層の建物であり明治・大正の33年間、多くの人達にときめきと感動を与えた貴重な建物であり特に明治・大正時代の建築や浅草の文化に関心のある人にとっては訪問する価値があることである。 閉じる
投稿日:2018/10/25
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伝統的だけど新しいもの好きの江戸っ子の性格が、浅草には昔から根強かったのでしょう。
- 3.5
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
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