築土神社
寺・神社・教会
3.35
クチコミ・評判 2ページ目
21~40件(全90件中)
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1780年奉納の歴史ある狛犬
- 3.5
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
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ひっそりと隠れている力石
- 3.5
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
- 1
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阿吽の姿も凛々しいです。
- 3.5
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
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この石自体を信仰の対象としているようでもあり
- 3.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
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ビルの谷間の神社
- 3.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
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都会らしい神社
- 3.5
- 旅行時期:2018/07(約7年前)
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鉄筋コンクリートの社殿
- 4.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
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境内は清潔に維持され本殿も見ごたえあります。
- 3.5
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
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筑土神社の狛犬は、筑土神社の鳥居を潜り、参道を進むと、社殿の前に置かれています。
- 3.5
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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筑土神社の狛犬は、筑土神社の鳥居を潜り、参道を進むと、社殿の前に置かれています。
狛犬は、千代田区内に現存する狛犬の中で... 続きを読むは、最も古く約240年前の狛犬で、平成8年に千代田区有形文化財に指定されています。
筑土神社の狛犬の台座には、安永年間の築土神社の別当の銘が刻まれています。
鳥居前には、もう一対狛犬がありますが、平成6年の新社殿起工に伴い作製され、新しいです。
名所旧蹟を訪れた際、名所旧蹟の現物を見ても、客観的な評価を理解することは、現実的に困難です。
その場で、解説板とか説明を聞くことができれば、それらの客観的な価値を知ることが可能となります。
それら解説や説明により、次なる疑問や次なる興味が湧いてくるのが一般的です。
このため、名所旧蹟の場所には、解説板を設置して頂ければ、訪れる者が正しい評価をすることができます。
今回、狛犬を見ただけでは、頭上の角や宝珠も、作製された年代も、台座に刻された銘を見ても、何の感動も生まれなかったでしょう。解説や説明を聞いて、注目すべき焦点に気づき、初めて、その歴史や経緯が理解できました。
解説板や、インターネットの説明により、狛犬の現物の価値が倍増して、受け止めることができました。
本当に、有り難いと感じた次第です。
閉じる投稿日:2018/04/19
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筑土神社の力石は、九段の靖国神社と目白通りとの中間にある筑土神社の境内にあります。
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- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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筑土神社の力石は、九段の靖国神社と目白通りとの中間にある筑土神社の境内にあります。
筑土神社は、目白通りから中坂を登って... 続きを読む、皇居側に入った場所にあります。
力石自体は、筑土神社の東側にあり、それほど大きくはありません。
また、筑土神社の社殿の陰になっていて、とても暗く、見にくくなっています。
神社にある力石としては、他の神社にも見られ、近くは市ヶ谷の亀岡八幡宮の力石もそれらの一例です。亀岡八幡宮の力石は、かなり大きな力石ですが。
筑土神社の力石は、見たところ、あまり大きくないので、力石の一般的な目的の若者の力量を競い合うという面よりも、神様を信仰するという信仰的な対象とする面に使われていたものと、個人的に推測しています。
筑土神社の力石には、元飯田町との文字が刻されていることから、氏子が神社に寄贈したとも推測できます。
いずれにしましても、筑土神社が、江戸城との由縁が強く残っていて、田安門や田安家の関係を考慮すると、筑土神社に対する信仰心の象徴と理解できます。
この力石を、見学される祭には、筑土神社の由来について、予めご一読されると一段と理解が容易になるものと思い、お勧めいたします。 閉じる投稿日:2018/04/19
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しめ縄がかけられている
- 3.0
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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風合いが抜群
- 3.5
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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ビルと一体
- 3.5
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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千代田区指定有形民俗文化財になっている「力石」です
- 3.5
- 旅行時期:2018/02(約8年前)
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築土神社境内の世継稲荷神社の左隣りに奉納されているものの、世継稲荷神社がやや分かり難く、築土神社社殿右手前の狭く薄暗い参... 続きを読む道を入って行った正面です。
力石の後ろに千代田区教育委員会の立札があり、「力石」の説明などとともに次のようにも記されています。
『境内にある「力石」の由来は詳らかではないが江戸・東京の若者達の生活と娯楽の一端を知るうえで貴重な資料である。
なお「力石」に刻まれている・・・云々 』
とあり、刻まれているのは町名のようだが、文字らしきものはあるものの彫りが浅く分かりませんでした。
築土神社や世継稲荷神社を訪ねた折は、この力石も忘れずにご覧になっては如何でしょう。 閉じる投稿日:2018/02/17
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社殿前と鳥居前に各々一対奉納されています
- 4.0
- 旅行時期:2018/02(約8年前)
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ここ築土神社の狛犬は、社殿前と鳥居前に各々一対奉納されています。
社殿前の狛犬には立札があり、それによると概略だが
... 続きを読む
この狛犬は、千代田区指定有形民俗文化財になっていて、台座部分を合わせ高さ1.5m程の石像で、元飯田町の住人が安永9年 (1780) に、築土神社が居住地から遷座し少し離れていたが、変わらぬ信仰を続け奉納した。
また、一方の頭上には「角」が、他方の頭上には「宝珠」がのせられ、厳密な意味で前者を「狛犬」、後者を「獅子」と意識して区別したことの表れ と思われる。
区内の寺社などに現存する最古の狛犬。
とのことです。
立札を見て、オヤッ? と思ったのは、社殿に向かって右手が口を開いた角なしの「阿像」で獅子、左手が口を閉じた角ありの「吽像」で狛犬 と思っていたのと違うようだが、守護獣像としての役割は充分務めている と思ったところです。
一方、鳥居前の狛犬には、説明書きなど見当たらず良く分からないものの、目を大きく見開き牙を出しきりりとした姿で、ここ築土神社を守護していることが窺えます。
築土神社などを訪ねた折は、この二対の狛犬も忘れずにご覧になることをお勧めします。 閉じる投稿日:2018/02/17
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由緒ある神社で今は中坂途中のビルと併設されています
- 4.0
- 旅行時期:2017/12(約8年前)
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ここ築土神社は社伝によれば
天慶3年 (940) 平将門の霊を武蔵国豊島郡上平川に祀り津久土明神と称したことにはじま... 続きを読むり、その後数ヶ所遷座し、昭和29年 (1954) 現在地に遷座した。
とのことです。
現在、主神は 天津彦火邇々杵尊、相殿が 平将門公 菅原道真公 で、各々の御神徳は、「工事安全」「子孫繁栄」等、「武勇長久」「勝運向上」等、「学業成就」「栄進出世」等 の由。
この由緒ある神社にお詣りすれば、全ての願い事が叶えられること と思います。
また、社殿前にある狛犬は、安永9年 (1780) 元飯田町の住人が奉納し、千代田区内の寺社などに現存する最古の狛犬で区の有形民俗文化財に指定されています。
今の社殿は老朽化に伴い、平成6年 (1994) 社務所とともに大改築し、中坂 (北) 側に8階建てのビルも完成しているので分かり難いところになっています。
参道入口には、ビルのシンボルとしてモチの木が植えられている とのことだが、樹木に疎くモチの木なのかどうか分からず残念でした。 閉じる投稿日:2018/01/12
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ビルの間にあります
- 4.0
- 旅行時期:2017/12(約8年前)
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現代的で荘厳なビルの参道
- 3.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
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目白通りから、九段坂に並行して走る中坂を50メートル強上ると左手に鳥居があり、そこから拝殿に辿り着くまでの参道は、太い柱が... 続きを読む両側に何本も立ちビルを潜り抜けている。現代と伝統が渾然一体となり、驚く程の荘厳さだ。
この神社の起源は940年に平将門を祀り創建された津久土明神であり、長い歴史を持つ。1946年に新宿区筑土八幡町から千代田区富士見町(現在は23区立として初めて中高一貫校となったことで知られる区立九段中等教育学校が建つ)、54年に現在地である同区九段北一丁目に移転し、周辺の九段北・南、飯田橋、市ヶ谷濠を越えて新宿区市ヶ谷船河原町辺りまでが氏子区域となっている。
氏子たちが神輿を担いで地域を練り歩く「神輿渡御」は、毎年行われる「築土祭」で必ず行われる訳ではなく、周年記念の時だけのようだ。この地域は正に都心のど真ん中であり、住人も減りつつあるのだろうが、これからも続いて行って欲しい。 閉じる投稿日:2017/11/25
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神社の参道にある力石です。
- 3.5
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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九段下にある神社です。
- 3.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
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