1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 中国地方
  4. 山口県
  5. 下関
  6. 下関 観光
  7. 安徳天皇阿弥陀寺御陵
下関×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記
Q&A

安徳天皇阿弥陀寺御陵

名所・史跡

安徳天皇阿弥陀寺御陵 クチコミ・アクセス・周辺情報

下関 観光 満足度ランキング 22位

クリップを編集する

ラベルを選ぶ

  • ラベルはまだありません

公開設定

西日本で唯一の御陵。 陵は円墳で玉垣と土塀で二重に囲まれています。

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    波の下にも都が・・・

    4.0

    • 旅行時期 2023/09
    • by ぺんさん

    平家物語の悲劇、「波の下にも都がございますよ」と言われて抱かれて沈んでいった幼帝安徳天皇の御陵です。 赤間神宮から春帆楼...  続きを読む方面に少し入ったところにありますが、中を見ることはできないので、 塀の向こうを想像してお参りすることになります。、  閉じる

  • 満足度の低いクチコミ

    目立たない場所にあります

    2.0

    春帆楼に行った際、近いので寄りました。赤間神宮の方からも行けますが、春帆楼の入り口の脇に「安徳天皇御陵+赤間神宮」への近道...  続きを読むが有りますので便利です。ただ、注意していないと通り過ぎてしまうくらい、目立たない感じです。もちろん、中には入れないので、門を見るだけです。  閉じる

クチコミ・評判 2ページ目

21~37件(全39件中)

  • 赤間神宮境内左側

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/11(約6年前)
    • 0

    壇ノ浦の源平合戦で入水した安徳天皇を祭神とする赤間神宮境内の左側に建つ陵墓。数え年8歳で入水した安徳天皇が眠る陵墓で明治維...  続きを読む新以前は阿弥陀寺という寺で廃仏毀釈により名称だけ残り阿弥陀寺陵となったそうです。陵墓なので宮内庁管轄となって中には入れません。入り口門前で合掌。  閉じる

    投稿日:2020/02/02

  • 安徳天皇の御陵

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/07(約6年前)
    • 0

    赤間神宮のすぐ隣に、壇ノ浦の合戦で入水された安徳天皇の御陵がありました。御陵につながる渋い色の門は固く閉ざされ外観を眺めら...  続きを読むれるだけですが、菊の紋章の入った門には重厚感があります。門の前で静かにお参りさせていただきました。
      閉じる

    投稿日:2021/06/08

  • 菊の御紋

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/06(約8年前)
    • 0

    二位の尼に抱かれてる入水した安徳天皇を祀っている場所です。赤間神宮を参詣した後に、石段を下って帰ろうとしたら、看板があった...  続きを読むので、右に曲がって行ってみました。天皇家の菊の御紋があしらわれた小さいながらも立派な門がありました。中には入ることが出来ません。  閉じる

    投稿日:2018/06/25

  • 赤間神宮に隣接しています

    • 4.0
    • 旅行時期:2018/04(約8年前)
    • 0

    壇ノ浦の戦いで幼くして入水された安徳天皇のご陵墓になります。赤間神宮の水天門の西、日清講和記念館側に海に向かって正門があり...  続きを読むました。ご陵墓ですので中には入れませんが、透かしを入れた立派な菊の御紋の付いた門扉となっていました。  閉じる

    投稿日:2018/04/22

  • 西日本で唯一の御陵。

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/03(約8年前)
    • 0

    西日本で唯一の御陵で、陵は円墳で玉垣と土塀で二重に囲まれています。非公開の様で、外からしか見ることができませんでしたが、隙...  続きを読む間から中を覗くような感じで見ました。門には、菊の御紋があしらわれておりました。  閉じる

    投稿日:2018/03/21

  • 安徳天皇の御陵

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/02(約8年前)
    • 0

    安徳天皇の御陵が赤間神社にありました。赤間神社から日清講和記念館へ行く近道の途中に位置しています。最初はどこなのか分からず...  続きを読む通り過ぎてしまいました。
    小さいながらも立派な門がありましたが、その先は非公開でした。なので正直、御陵と言われても実際に見学してもどこでお参りしてよいのやらわかりませんでした。  閉じる

    投稿日:2018/02/17

  • 悲劇の安徳天皇の陵墓。

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/02(約9年前)
    • 0

    赤間神社から日清講和会議記念館に向かう途中、安徳天皇陵が右手にありました。菊の御紋の施された門が目印です。日本人ならだれで...  続きを読むも知っている平家物語にある通り、壇ノ浦の合戦で源氏方に追い詰められ、船から身を投げ命を絶った幼い天皇が安徳天皇で、まさに悲劇のストーリーです。隣の赤間神社を見学していた海外からの観光客も、流石にここは通り過ぎて行きました。  閉じる

    投稿日:2017/02/10

  • 赤間神宮にある安徳天皇のお墓

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/12(約9年前)
    • 0

    安徳天皇阿弥陀寺御陵
    あんとくてんのう あみだじのみささぎ と言うのですね。
    安徳天皇御陵の真裏に平家一門の墓があるそ...  続きを読むうです。
    以前は赤間神宮が阿弥陀寺と呼んでいたのでこの名前がついています。
    安徳天皇は7歳で亡くなったそうです。
    広い敷地でした。
      閉じる

    投稿日:2017/08/23

  • 赤間神宮のとなりにひっそりと

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/12(約9年前)
    • 0

    山口県下関市といえば、平家滅亡の壇ノ浦の戦いが有名です。
    この時、わずか8歳の安徳天皇が二位の尼(平清盛の妻)に抱かれて...  続きを読む入水しました。
    当時、赤間神宮は阿弥陀寺というお寺で、
    平家一族はこちらのお寺で供養したそうです。
    なお、「耳なし芳一」のお話も阿弥陀寺に、
    平家一族の亡霊が芳一の素晴らしい琵琶を聞きに来る話です。

    明治時代になって安徳天皇陵が造られ、阿弥陀寺から赤間神宮となりました。
    そして、安徳天皇陵も造られました。
    固く門が閉められて内部の見学はできませんが、
    わずか8歳で亡くなった安徳天皇の悲しみが伝わってくるようです。
    ここでは、静かに門を見た方がいいと思います。

    なお、赤間神宮自体が山の傾斜を利用して造られているので、
    車椅子やベビーカーの方はちょっとしんどいと思います。  閉じる

    投稿日:2017/03/06

  • 幼くして亡くなった安徳天皇の御陵

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/12(約9年前)
    • 0

    赤間神宮と日清講和記念館の間にある安徳天皇の御陵。
    当然、御陵ですので、中に入ることは出来ません。
    案内板も小さなもの...  続きを読むなので、意識していないと平気で通り過ぎてしまうのではないでしょうか。

    壇ノ浦の合戦で、平時子と一緒に入水された悲劇の天皇。

    静かに参拝させて頂きました。


      閉じる

    投稿日:2017/01/28

  • 幼くして入水した悲劇の天皇

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/04(約11年前)
    • 0

    安徳天皇阿弥陀寺御陵は、赤間神宮の隣り。ただ、あまり目立たないので、赤間神宮に何度か行っている人でも気が付いていない人は多...  続きを読むいかもしれません。安徳天皇は、壇ノ浦の戦いで、平清盛の妻であり、天皇にとっては祖母である時子とともに、幼くして入水した悲劇の天皇。平家物語の中でも最も涙を誘うクライマックスでしょう。  閉じる

    投稿日:2015/06/03

  • 明治に制定された、入水した天皇の陵墓

    • 4.5
    • 旅行時期:2014/10(約11年前)
    • 0

    壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の遺体は御裳川で引き上げられ、赤間関に埋葬された。そして源頼朝が壇ノ浦の戦いの翌年、安徳天皇...  続きを読むの怨霊を鎮めるため阿弥陀寺を建てた。
    明治の神仏分離により阿弥陀寺は廃され、神社となって「天皇社」と改称した。また歴代天皇陵の治定が進むなか、安徳天皇陵も多くの伝承地の中から、この境内のものが阿弥陀寺陵として公式に治定された。
    江戸時代までは「安徳天皇御影堂」と称し、仏式で祀られていた。   閉じる

    投稿日:2015/07/12

  • 悲劇の天皇、安徳天皇のお墓

    • 4.0
    • 旅行時期:2013/08(約12年前)
    • 0

    悲劇の天皇、安徳天皇のお墓が赤間神宮の敷地内にあります。

    悲劇と言うのは言わずと知れた壇ノ浦の合戦で
    幼くして入水...  続きを読むした安徳天皇のお話です。

    平清盛の妻「時子」、その娘であり高倉天皇の后となった「徳子」、
    そして徳子の子でありまだ6歳の安徳天皇、
    彼らが最期を覚悟し船から壇ノ浦の急流に身を投げる様は、
    「平家物語」の中でも涙を誘う名場面となっています。

    また、大河ドラマ「平清盛」でも「時子」は深田恭子さん、
    「徳子」は二階堂ふみさん、「安徳天皇」は子役の人が
    演じていました。

    そうなんです。歴代天皇の中でも比較的に有名なお方なのです。

    ですが、ここ安徳天皇陵は赤間神宮本殿や七盛塚と比べて
    ひっそりとしています。
    あまり観光客は訪れないようで静かな雰囲気です。

    ここは御陵(天皇や皇后のお墓)として宮内庁が管理しており、
    当然ながら門や塀で囲まれていて中に入ることはできません。
      閉じる

    投稿日:2013/08/13

  • 重たい

    • 4.5
    • 旅行時期:2013/07(約12年前)
    • 0

    かなしい人生であった安徳天皇のことを思い出しながらいってみました。下関には歴史的にとっても重たい場所がいくつもありますが、...  続きを読むここもそのひとつです。いろんな思いがわきおこり、何かを感じるはずです。もっと歴史を学びたいと思いました。  閉じる

    投稿日:2016/01/11

  • 赤間神宮の敷地内

    • 3.5
    • 旅行時期:2013/07(約12年前)
    • 0

    赤間神宮の敷地内、向かって右手の場所にあります。御陵としては、とても見づらい感じです。正面からだと門と塀しか見えないですし...  続きを読む、裏手(七盛塚)からだと、草木に覆われていて、柵が少し見えるだけです。中国の皇帝陵みたいに観光化しなくてもいいから、日本の天皇陵も、もう少し、参拝する人の関心を引くようにしてもらえないかなあ。。
      閉じる

    投稿日:2013/07/07

  • 赤間神宮です

    • 3.5
    • 旅行時期:2012/02(約14年前)
    • 0

    赤間神宮の敷地内といった方が良いのかもしれません。

    赤間神宮より先に安徳天皇のお墓としてお寺があり、天皇のお墓として...  続きを読む認められた方が後からとなりそれが赤間神宮だったような記憶です。

    天皇陵であるため中に入ることはできません。木戸の格子からそっと偲ぶだけです。  閉じる

    投稿日:2013/06/30

  • 胸が痛みます

    • 4.0
    • 旅行時期:2011/03(約15年前)
    • 0

    赤間神宮の境内に安徳天皇阿弥陀寺陵があります。
    天皇陵では、西日本でただひとつ。
    壇ノ浦の合戦にて入水され、この地に手...  続きを読む厚く葬られました。
    8歳で崩御されたとは、悲しい歴史です。
    真裏には平家一門の墓「七盛塚」があります。
       閉じる

    投稿日:2014/02/26

21件目~37件目を表示(全39件中)

  1. 1
  2. 2
クチコミを投稿する

投稿写真

写真をもっと見る(53枚)

基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
安徳天皇阿弥陀寺御陵
住所
  • 山口県下関市阿弥陀寺町4-1
電話番号
083-231-4138
アクセス
JR下関駅 バス 10分
「赤間神宮前」バス停 徒歩
中国自動車道下関I.C 車 15分
その他
時代 平安末期
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

このスポットに関するQ&A(0件)

安徳天皇阿弥陀寺御陵について質問してみよう!

下関に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。

  • ぺんさん

    ぺんさん

  • マイラーさん

    マイラーさん

  • パリが大好きさん

    パリが大好きさん

  • きみちゃんです。さん

    きみちゃんです。さん

  • Hotplayさん

    Hotplayさん

  • tamakoroさん

    tamakoroさん

  • …他

このスポットで旅の計画を作ってみませんか?

行きたいスポットを追加して、しおりのように自分だけの「旅の計画」が作れます。
クリップ したスポットから、まとめて登録も!

周辺スポット

PAGE TOP