明治に制定された、入水した天皇の陵墓
- 4.5
- 旅行時期:2014/10(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
下関 クチコミ:30件
壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の遺体は御裳川で引き上げられ、赤間関に埋葬された。そして源頼朝が壇ノ浦の戦いの翌年、安徳天皇の怨霊を鎮めるため阿弥陀寺を建てた。
明治の神仏分離により阿弥陀寺は廃され、神社となって「天皇社」と改称した。また歴代天皇陵の治定が進むなか、安徳天皇陵も多くの伝承地の中から、この境内のものが阿弥陀寺陵として公式に治定された。
江戸時代までは「安徳天皇御影堂」と称し、仏式で祀られていた。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2015/07/12
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