日清講和記念館
美術館・博物館
3.47
日清講和記念館 クチコミ・アクセス・周辺情報
下関 観光 満足度ランキング 11位
日清講和条約締結時に使用された調度品一切の展示をしています。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
当時使われていた調度品なども展示されていました
5.0
- 旅行時期 2025/10
- by hijunoさん
赤間神社から徒歩ですぐの距離にあります。 お隣には実際に会議が行われた春帆楼がありますが、こちらの建物は昭和12年に春帆... 続きを読む楼のお隣に建てられ、講和会議の様子を伝えています。 講和条約当時の調度品や家具なども展示されていて、当時の様子が再現され、とても興味深かったです。テーブルの周りには椅子に名前が書かれていて、当時の全権ほか出席者がわかるようになっていました。 伊藤博文や李鴻章の遺墨も展示されていました。 建物も重厚なものでした。 見学はフリーです。 閉じる
クチコミ・評判 2ページ目
21~40件(全69件中)
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無料です
- 4.0
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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日清戦争の講和について学べます
- 4.0
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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下関条約
- 3.5
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
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明治時代
- 3.0
- 旅行時期:2021/02(約5年前)
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歴史を留める
- 3.0
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 2
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歴史の一コマがここに残っています
- 3.5
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
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新型コロナウイルスの影響の中で世間は自粛ムードの中、マスクは手放せませんね。他人に迷惑をかけないよう心掛けての旅をしてきま... 続きを読むした。国道9号線から坂の丘の上にはフグ料理の老舗料理店・春帆楼(しゅんぱんろう)、その右手下に建っているのが「日清講和記念館」です。重厚な建物は1895年に行われた日清戦争の講和条約が結ばれた歴史的な意義のある場所として後世に伝えるため1937年に開館したものです。敷地内には漢文で刻まれた碑文や当時の内閣総理大臣・伊藤博文と外務大臣・陸奥宗光の胸像や案内板などもあります。碑文には何が書かれているのは分かりませんでした。館内には当時を継承するための講和条約を結ぶための当時の様子が分かる絵が描かれていました。実際に使用された調度品などもガラスごしに見ることもできます。講和条約締結の歴史ある瞬間の舞台が蘇る一コマでした。 閉じる
投稿日:2021/01/09
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小さいけれど見ごたえあり
- 4.0
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
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お洒落な椅子がありました。
- 4.0
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
- 0
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会議室の様子などを公開するために新たに建てられたものです。
- 5.0
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
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無料で見学できました。
- 3.5
- 旅行時期:2020/09(約5年前)
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下関条約の締結された地
- 3.5
- 旅行時期:2020/05(約6年前)
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フグ料理の春帆楼内
- 4.0
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
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歴史の舞台
- 3.0
- 旅行時期:2019/05(約7年前)
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歴史に名を残した場所の近く
- 4.0
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
- 0
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歴史感
- 4.0
- 旅行時期:2019/01(約7年前)
- 0
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赤間神宮の隣にある
- 4.0
- 旅行時期:2019/01(約7年前)
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恐る恐る入ってみた
- 3.5
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
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教科書で見た交渉の場を再現
- 3.5
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
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日清戦争の講和会議の開催場所を憲法記念日に訪問(加筆版)
- 5.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 22
1894年7月に開始された日清戦争だが、春帆楼の横にある日清講和記念館(現在は復元の建築)は、1895年春に講和会議が開催... 続きを読むされた場所となった。伊藤博文と陸奥宗光などが日本側の全権代表となり、清からは李鴻章などが来関した。館内の説明版では、正確には3月20日から4月17日まで講和会議が継続したと説明されている。もっとも、日清講和会議の成果は、ドイツ、ロシア、フランスの三国干渉によって制限を受けることとなるが。。
先んずること1858年、井伊直弼の時に西洋と不平等条約を結んでしまったのだが、その不平等条約を撤廃してもらうために、新政府は長年苦労した。なんと治外法権の解決は、1894年7月になって日英通商航海条約としてやっと一部実現した。その直後8月に日清戦争がスタートした。
因みに画期的な日英同盟は1902年に結ばれ、1904年に日露戦争に入る準備が整っていった。日清戦争と日露戦争の開始には英国との良好な関係が大きく影響したことは間違いないだろう。
昨日5月3日、憲法記念日にここを訪問したのだが、伊藤博文と陸奥宗光は、大日本帝国憲法を1889年に発布するまで、勉強、準備を長年継続してきた仲間でもある。特にウィーン大学のシュタイン教授からの講義と影響はよく知られている。先に伊藤博文がシュタイン教授に教わり、さらに、伊藤が陸奥をウィーンに送り出して勉強を重ねさせたのはよく知られているエピソードだ。
日本が普通の国家として西洋に認められるまでには、憲法や議会等の諸制度を早く確立する必要があったのだ。それらの形ができた後、英国はやっと日本を認めたようだ。そういう日本の近代化に伊藤や陸奥などは大いに貢献した人物だ。
幕末維新の時代に活躍した木戸、西郷、大久保などの維新三傑は、1878年には皆死んだ後だ。本当の明治時代の体制の確立の作業には、この三人はそれほど長くは関与していない。。。1880年以降の歴史は意外と知られていないのではなかろうか?
閉じる投稿日:2018/05/04
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ふぐ料理の名店の横に併設されています
- 4.5
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
- 0
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