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日清講和記念館

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日清講和記念館 クチコミ・アクセス・周辺情報

下関 観光 満足度ランキング 11位

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日清講和条約締結時に使用された調度品一切の展示をしています。

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    当時使われていた調度品なども展示されていました

    5.0

    • 旅行時期 2025/10
    • by hijunoさん

    赤間神社から徒歩ですぐの距離にあります。 お隣には実際に会議が行われた春帆楼がありますが、こちらの建物は昭和12年に春帆...  続きを読む楼のお隣に建てられ、講和会議の様子を伝えています。 講和条約当時の調度品や家具なども展示されていて、当時の様子が再現され、とても興味深かったです。テーブルの周りには椅子に名前が書かれていて、当時の全権ほか出席者がわかるようになっていました。 伊藤博文や李鴻章の遺墨も展示されていました。 建物も重厚なものでした。 見学はフリーです。  閉じる

クチコミ・評判 2ページ目

21~40件(全69件中)

  • 無料です

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/05(約5年前)
    • 0

    日清講和会議が行われた春帆楼の隣接地にあります。春帆楼の前にも石碑が立っています。講和会議で使用された調度品などが展示され...  続きを読むいます。こじんまりとしてはいますが、無料の場所としてはかなり充実しているので、ぜひ見学をお勧めします。  閉じる

    投稿日:2021/08/19

  • 日清戦争の講和について学べます

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/05(約5年前)
    • 0

    2010年末以来10年半ぶりに訪れましたが、直前から新型コロナウイルス感染拡大で閉鎖されていました。この建物は馬関条約締結...  続きを読む交渉を後世に残すために造られたもので、当時この建物で交渉したというわけではないのですが、重厚感のある立派な建物です。第二次大戦直前に造られた様です。
    入場は無料で当時交渉の行われた春帆楼の正面に建っています。建物脇には当時の伊藤首相、陸奥外相の胸像が立っていました。  閉じる

    投稿日:2021/07/03

  • 下関条約

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/03(約5年前)
    • 0

    歴史で習った日清戦争の講和条約、下関条約が結ばれた場所です。無料で入場できました。中では実際に講和条約で使われた椅子や机な...  続きを読むどがガラスケースの中に展示されていて、下関条約の資料などがお部屋に展示されていました。コンパクトな展示ですが、教科書などで習った場所が実際に見られるとは驚きでした。  閉じる

    投稿日:2021/05/07

  • 明治時代

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/02(約5年前)
    • 0

    JR下関駅からバスで10分ほど、赤間神宮のすぐ近くにあります。
    春帆楼の近くにある建物が記念館ですが無人で入場料無料です...  続きを読む
    日清戦争の講和会議が開かれ下関条約が締結された会場の調度品から明治時代を感じとれます。  閉じる

    投稿日:2021/04/04

  • 歴史を留める

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/12(約5年前)
    • 2

    日清講和記念館

    クラブツーリズムの山口ツアーに参加。
    下関での宿泊先がスカイハートホテル下関だった。
    早朝、ホテ...  続きを読むルで無料で利用できる自転車をお借りして
    下関の街に出てみた。

    実際に日清講和会議が開かれた春帆楼の隣。
    関係資料や調度品などが展示されている。
    無料で入れるらしい。

      閉じる

    投稿日:2021/11/27

  • 歴史の一コマがここに残っています

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/11(約5年前)
    • 0

    新型コロナウイルスの影響の中で世間は自粛ムードの中、マスクは手放せませんね。他人に迷惑をかけないよう心掛けての旅をしてきま...  続きを読むした。国道9号線から坂の丘の上にはフグ料理の老舗料理店・春帆楼(しゅんぱんろう)、その右手下に建っているのが「日清講和記念館」です。重厚な建物は1895年に行われた日清戦争の講和条約が結ばれた歴史的な意義のある場所として後世に伝えるため1937年に開館したものです。敷地内には漢文で刻まれた碑文や当時の内閣総理大臣・伊藤博文と外務大臣・陸奥宗光の胸像や案内板などもあります。碑文には何が書かれているのは分かりませんでした。館内には当時を継承するための講和条約を結ぶための当時の様子が分かる絵が描かれていました。実際に使用された調度品などもガラスごしに見ることもできます。講和条約締結の歴史ある瞬間の舞台が蘇る一コマでした。  閉じる

    投稿日:2021/01/09

  • 小さいけれど見ごたえあり

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/11(約5年前)
    • 0

    歴史で習って講和条約が行われた地域は知っていましたが場所がレストランだったとは初めて知りました(公共の施設でかと思っていた...  続きを読む)。椅子は洋式だけれど蒔絵が施されている和洋折衷型で見ごたえあり、どの席にだれが座っていたかも書かれており見る価値ありました。
      閉じる

    投稿日:2020/11/28

  • お洒落な椅子がありました。

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/10(約5年前)
    • 0

    内部の中央には、会議室が再現されています。会議の様子の絵もあります。丁々発止のやりとりがされたのだろうと想像が膨らみました...  続きを読む。大きな会議テーブルを囲んで置かれた椅子がなかなか洒落たものです。これは浜離宮から下賜されたのだそうです。肘掛けがありませんから、居眠り?はできません。火鉢が置かれているのが時代を感じさせます。角にフランス製のストーブというのが置かれていました。煙突もありませんが、火の元は何だったのでしょうか。(展示のため煙突を外してあったのかも)   閉じる

    投稿日:2020/12/08

  • 1895年(明治28年)に春帆楼で日清講和会議が開かれました。この日清講和記念館はその春帆楼の会議室の様子、会議の様子、講...  続きを読む和条約文を一般に公開するために、1937年(昭和12年)に開館したものです。従って、この建物で会議が行なわれたのではないのです。そんな建物ですが、「造形の規範」だとして、国の登録有形文化財に登録されています。   閉じる

    投稿日:2020/11/26

  • 無料で見学できました。

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/09(約5年前)
    • 0

    下関駅バスで約10分、赤間神宮前駅から徒歩数分のところにある日清講話記念館です。
    日清戦争の講話条約は隣にある春帆楼で開...  続きを読む催されましたが、すぐ横に日清講和記念館を復元建築しました。
    当時の様子が絵、写真等で紹介されてます。
    無料で見学でき、結構興味深かったです。  閉じる

    投稿日:2020/09/27

  • 下関条約の締結された地

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/05(約6年前)
    • 0

    春帆楼の敷地の一角にあります。日清戦争の講和会議が開かれた際、その会場で使用された調度品、写真、資料などを収蔵・展示してい...  続きを読むます。記念館として開館したのは1937年ですが、そこから70年以上が経過して、国の登録有形文化財に指定されました。入館は無料でした。  閉じる

    投稿日:2021/03/01

  • フグ料理の春帆楼内

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/11(約6年前)
    • 0

    関門海峡に面する赤間神宮の西隣に建つフグ料理老舗名店「春帆楼」敷地内にある記念館。明治28年(1895)日清戦争の講和条約...  続きを読む(下関条約)が結ばれた歴史的意義を後世に伝えるために昭和12年(1937)開館したものです。会場で使用された調度品や両国全権大使の伊藤博文と李鴻章の遺墨や写真などが展示されています。国登録有形文化財に指定され隣には伊藤博文と陸奥宗光の胸像も建って坂の上の雲の日本をを感じます。  閉じる

    投稿日:2020/02/05

  • 歴史の舞台

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/05(約7年前)
    • 0

    春帆楼での食事の際に案内していただいた。戦略的に配置した当時の席次が残されている。伊藤博文は春帆楼の名付け親になるぐらい...  続きを読むこの地に精通しており、外交面でも最大限に利用した。日本側は海を背にして座り、休憩時には背後の障子を開け放った。海峡には海軍の船舶が多数往復し、清国側を威嚇したという。もちろん、船舶の往復は伊藤の手配によるものだった。席次には陸奥宗光の名も。正使である伊藤の椅子だけが素晴らしく高級で、印象に残った。  閉じる

    投稿日:2020/09/21

  • 歴史に名を残した場所の近く

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/03(約7年前)
    • 0

    赤間神宮に向かう途中、立ち寄りました。
    赤間神宮と春帆楼の間辺りにありました。
    歴史の教科書で、日清戦争を習った人も多...  続きを読むいと思いますが、その終結の条約を結んだ春帆楼の隣接地です。
    館内には講和会議で使用された調度品、両国全権の伊藤博文や李鴻章の遺墨などが展示されており、館内中央には講和会議の部屋を再現し、当時の様子が紹介されていました。
    無料で勉強できる施設です。  閉じる

    投稿日:2019/03/24

  • 歴史感

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/01(約7年前)
    • 0

    日清戦争に興味があってここにまいりました。記念館に入ると、すごい歴史感を感じがします。李鴻章さんが暗殺された場所も見ました...  続きを読む。あそこは「李鴻章道」という名前がつきました。無料で入館できますが、人は少ないです。  閉じる

    投稿日:2021/03/19

  • 赤間神宮の隣にある

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/01(約7年前)
    • 0

    赤間神宮内の安徳天皇阿弥陀寺陵前から奥に行くと、春帆楼下関本店に繋がっている近道があり、その脇にこの記念館があります。
    ...  続きを読む
    入館無料って事もあり、折角なので見学して来ました。

    日清講和会議の事は歴史で習った覚えはありますが、その会議が行われた場所が館内に再現されており、関係書類なども展示されています。

    記念館は小規模なので、見学に要する時間は僅かですので、赤間神宮に参拝に行った際に立ち寄るのも容易です。  閉じる

    投稿日:2019/01/15

  • 恐る恐る入ってみた

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/08(約7年前)
    • 0

    春帆楼の敷地内にある無料の資料館です。見上げるといかにも敷居が高そうで、勝手に入ってよいものか躊躇するような雰囲気でしたが...  続きを読む、ここは入場無料でした。わずか123年前に日清戦争を終わらせた場所とのこと。そんな昔の話じゃないんですよね。  閉じる

    投稿日:2018/09/11

  • 教科書で見た交渉の場を再現

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/06(約8年前)
    • 0

    下関の赤間神宮に参詣し、安徳天皇阿弥陀寺御陵に立ち寄りました。その先にこの日清講和記念館の表示があったので行って見ました。...  続きを読む裏の方から敷地に入る感じです。無料で開放されていましたので、中に入ってみると、子供の頃に教科書で見た講和の会議場のテーブルや椅子が再現されていました。とても臨場感がありました。赤間神宮にいかれたら、立ち寄られたら良いと思います。  閉じる

    投稿日:2018/06/29

  • 1894年7月に開始された日清戦争だが、春帆楼の横にある日清講和記念館(現在は復元の建築)は、1895年春に講和会議が開催...  続きを読むされた場所となった。伊藤博文と陸奥宗光などが日本側の全権代表となり、清からは李鴻章などが来関した。館内の説明版では、正確には3月20日から4月17日まで講和会議が継続したと説明されている。もっとも、日清講和会議の成果は、ドイツ、ロシア、フランスの三国干渉によって制限を受けることとなるが。。

    先んずること1858年、井伊直弼の時に西洋と不平等条約を結んでしまったのだが、その不平等条約を撤廃してもらうために、新政府は長年苦労した。なんと治外法権の解決は、1894年7月になって日英通商航海条約としてやっと一部実現した。その直後8月に日清戦争がスタートした。

    因みに画期的な日英同盟は1902年に結ばれ、1904年に日露戦争に入る準備が整っていった。日清戦争と日露戦争の開始には英国との良好な関係が大きく影響したことは間違いないだろう。

    昨日5月3日、憲法記念日にここを訪問したのだが、伊藤博文と陸奥宗光は、大日本帝国憲法を1889年に発布するまで、勉強、準備を長年継続してきた仲間でもある。特にウィーン大学のシュタイン教授からの講義と影響はよく知られている。先に伊藤博文がシュタイン教授に教わり、さらに、伊藤が陸奥をウィーンに送り出して勉強を重ねさせたのはよく知られているエピソードだ。

    日本が普通の国家として西洋に認められるまでには、憲法や議会等の諸制度を早く確立する必要があったのだ。それらの形ができた後、英国はやっと日本を認めたようだ。そういう日本の近代化に伊藤や陸奥などは大いに貢献した人物だ。

    幕末維新の時代に活躍した木戸、西郷、大久保などの維新三傑は、1878年には皆死んだ後だ。本当の明治時代の体制の確立の作業には、この三人はそれほど長くは関与していない。。。1880年以降の歴史は意外と知られていないのではなかろうか?

      閉じる

    投稿日:2018/05/04

  • ふぐ料理の名店の横に併設されています

    • 4.5
    • 旅行時期:2018/04(約8年前)
    • 0

    春帆楼という、日本のふぐ料理公許第一号の名店の玄関前に建っていました。実際の講和会議は、ここ春帆楼で開かれたそうで、当時の...  続きを読む調度品を使って、会議時の様子が記念館の中で再現されています。また、実際の条約文の写しを読むこともできました。  閉じる

    投稿日:2018/04/21

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
日清講和記念館
住所
  • 山口県下関市阿弥陀寺町4-3
電話番号
083-254-4697
アクセス
・JR下関駅からバス10分
→ 「赤間神宮前」バス停から徒歩2分
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 美術館・博物館

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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