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日清講和記念館 施設情報・クチコミに戻る

日清戦争の講和会議の開催場所を憲法記念日に訪問(加筆版)

  • 5.0
  • 旅行時期:2018/05(約6年前)
tadさん

by tadさん(男性)

下関 クチコミ:143件

1894年7月に開始された日清戦争だが、春帆楼の横にある日清講和記念館(現在は復元の建築)は、1895年春に講和会議が開催された場所となった。伊藤博文と陸奥宗光などが日本側の全権代表となり、清からは李鴻章などが来関した。館内の説明版では、正確には3月20日から4月17日まで講和会議が継続したと説明されている。もっとも、日清講和会議の成果は、ドイツ、ロシア、フランスの三国干渉によって制限を受けることとなるが。。

先んずること1858年、井伊直弼の時に西洋と不平等条約を結んでしまったのだが、その不平等条約を撤廃してもらうために、新政府は長年苦労した。なんと治外法権の解決は、1894年7月になって日英通商航海条約としてやっと一部実現した。その直後8月に日清戦争がスタートした。

因みに画期的な日英同盟は1902年に結ばれ、1904年に日露戦争に入る準備が整っていった。日清戦争と日露戦争の開始には英国との良好な関係が大きく影響したことは間違いないだろう。

昨日5月3日、憲法記念日にここを訪問したのだが、伊藤博文と陸奥宗光は、大日本帝国憲法を1889年に発布するまで、勉強、準備を長年継続してきた仲間でもある。特にウィーン大学のシュタイン教授からの講義と影響はよく知られている。先に伊藤博文がシュタイン教授に教わり、さらに、伊藤が陸奥をウィーンに送り出して勉強を重ねさせたのはよく知られているエピソードだ。

日本が普通の国家として西洋に認められるまでには、憲法や議会等の諸制度を早く確立する必要があったのだ。それらの形ができた後、英国はやっと日本を認めたようだ。そういう日本の近代化に伊藤や陸奥などは大いに貢献した人物だ。

幕末維新の時代に活躍した木戸、西郷、大久保などの維新三傑は、1878年には皆死んだ後だ。本当の明治時代の体制の確立の作業には、この三人はそれほど長くは関与していない。。。1880年以降の歴史は意外と知られていないのではなかろうか?

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅

クチコミ投稿日:2018/05/04

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