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糸数 アブチラガマ

名所・史跡

糸数 アブチラガマ クチコミ・アクセス・周辺情報

知念・玉城・八重瀬 観光 満足度ランキング 16位

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ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    南部戦跡を巡るなら必見の場所だと思います

    5.0

    糸数 アブチラガマは、沖縄戦、南部戦線の遺構。大きな自然洞窟は地元住民の避難用とされていましたが、南風原陸軍病院の分室とな...  続きを読むると撤退して来る日本兵や負傷兵と雑居状態。そして、事態は悪化し、大勢の瀕死の負傷兵と死体の山。地獄の惨状となっていったのですね。 暗闇の中、懐中電灯だけが頼りの見学は30~40分くらい。ボランティアガイドさんの説明を聞きながら、その厳しい戦争の惨禍を少し垣間見たような気がしました。日本で唯一の地上戦を経験した沖縄。その事実はあまりにも重いもの。戦後の米軍基地の負担も含めて、日本人として、もっともっと理解を深める必要がある。そんな思いでいっぱいになる体験でした。南部戦跡を巡るなら必見の場所だと思います。 なお、ホームページ(https://abuchiragama.com/)に沖縄戦の概要がまとめてありましたので、以下、参考まで。 「沖縄戦とは太平洋戦争の最終段階、1945年3月下旬から7月までの戦いを言います。 1941年に太平洋戦争が勃発し、太平洋の島々で劣勢となった日本軍は、米軍が沖縄に上陸すると見て、米軍を沖縄にくぎづけにする作戦をとります。 それは、本土決戦の準備をするための時間稼ぎであり捨石作戦でした。このため、沖縄は唯一の地上戦の場となります。 米軍は1945年の4月1日に沖縄本島の中部に上陸し、日本軍の指令部のあった首里に向かいます。米軍の圧倒的な戦力に、首里の陥落が目前にせまったところで日本軍は南部へ撤退します。 米軍の上陸地点から首里城指令部までを中部戦線、首里以南を南部戦線と言います。 南部戦線では十数万人の一般住民が巻き込まれ悲惨な結末を迎えることになります。 6月23日、牛島司令官の自決により日本軍の組織的戦闘は終了しますが、その後も各地で戦闘が続ぎ、米軍が作戦修了を宣言したのは7月2日のことでした。 この90日間にわたる沖縄戦で、日本兵6万6千人、沖縄出身兵2万8千人、米兵1万2干人、一般住民9万4千人が亡くなりました。 当時の沖縄県の人口は約50万人でしたから、沖縄県民の4人に1人が亡くなったことになります。」  閉じる

クチコミ・評判

3.35

(21件のクチコミ)
アクセス:
3.46
レンタカーなら便利/駐車スペース充実 by かみぞーさん
人混みの少なさ:
4.04
要予約/特に修学旅行生の多い時期は by かみぞーさん
バリアフリー:
2.40
ガマ内に入るのは無理でしょう。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
見ごたえ:
4.53
一部通路は整備されていますがほとんど当時のままです。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

1~20件(全21件中)

  • 沖縄戦争のガマ

    • 3.5
    • 旅行時期:2025/06(約7ヶ月前)
    • 0

    個人で電話予約して。ライトと軍手は持参したが、料金を払えば借りられる。ヘルメットを着用して。ガマ内部は撮影禁止。入洞前半は...  続きを読む撮影可能。スマホをショルダーにしてライトと汗拭きタオルのみ持参。ガイドの方と一緒に。ガマ内は横長で当時の想像を絶す戦争の話を聞きながら。団体も来ていた。ここは1度は訪れましょう。  閉じる

    投稿日:2025/06/29

  • 修学旅行

    • 3.0
    • 旅行時期:2023/03(約3年前)
    • 0

    今は修学旅行の定番見学地のひとつですが、一般の個人での見学も可能です。事前予約で必ず専門のガイドさんに同行いただき、懐中電...  続きを読む灯、ヘルメッド、軍手をつけて壕内を巡ります。観光情報センターにはトイレや簡単な資料館もあります。  閉じる

    投稿日:2023/03/07

  • 心にずしりと重い想いが…

    • 5.0
    • 旅行時期:2022/11(約3年前)
    • 0

    沖縄戦跡巡り5日目(最終日)に予約無しで寄りました。
    訪問時(平日のお昼時)、たまたま他にお客さんがいない時間帯、
    ...  続きを読むイドされた案内から戻られたタイミングだったので、
    待ち時間なくガマに案内となりました。

    内部は写真撮影禁止なので写真無し。
    1時間ほどガイドさんの説明と共に巡ります。
    専属ガイド料:1,500円
    【ガイドさんは必ず付けないとダメダメ】
    入場料:300円
    懐中電灯&軍手:いくらだったかのぉ~
    合計:1,900~1,950円だった気がしまする。
    それだけの価値はありますね。

    で、糸数の壕/アブチラガマのこと、
    壕内やガイドさんの説明等を書こうかと思いましたが、
    ご自身の目で見て耳で聞いて、
    心で感じて下さった方が良いかと。
    どのように感じるかは個々人によって異なるでしょうし。

    ひとつだけ
    毎年、ガマの中でホタルを何度も見掛けるそうなのですが、
    今年は1回しか目にしなかったと。
    気候の変化なのでしょうかね…と、おっしゃってました。

    あぁ、最後に糸数の壕/アブチラガマは
    やっぱり強烈でしたが、最後の最後に心に、
    脳裏に深く沈みこむような体験、説明をありがとうございました。

    詳細はコチラに…
    https://ameblo.jp/kamizoh/entry-12774797705.html  閉じる

    投稿日:2022/11/30

  • 糸数壕

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/10(約3年前)
    • 0

    南城市のガマです。入壕するのは基本予約制となっており、専門のガイドに案内してもらいます。ヘルメッド、懐中電灯(レンタルもあ...  続きを読むり)で沖縄戦当時、住民が避難生活をした洞窟を見学できます。修学旅行生でいっぱいでした。  閉じる

    投稿日:2022/10/25

  • 悲しい気持ちになりました

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/05(約6年前)
    • 0

    沖縄戦時、退避壕や日本軍の陣地や倉庫、陸軍病院の分室となっていたアブチラガマ。内部は思いのほか広く、現地にあった説明板によ...  続きを読むると全長270mもあるそうで、病棟や治療室、ベット、倉庫などと表示された開けた場所があり、手摺りも整備されていましたが足場の悪い狭い所もありました。戦禍の悲惨なことがあった場所を観ていると悲しい気持ちになりました。壕内は撮影禁止です。  閉じる

    投稿日:2022/02/15

  • 戦争の悲惨さを伝える

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/07(約7年前)
    • 1

    本来は自然の洞窟。300メートルほども続く長い洞窟です。しかし、太平洋戦争時には、避難場所や病院施設として、この洞窟が使わ...  続きを読むれ、戦禍の悲惨なことがあった場所。見ていくと、言葉に表せない、感慨深いものを感じました。
      閉じる

    投稿日:2019/06/12

  • 軍民同居

    • 4.5
    • 旅行時期:2018/05(約8年前)
    • 2

    南風原壕と同じく陸軍病院として使われましたが、
    末期は住民含む避難壕として使われたそうです。
    南部観光案内センターで受...  続きを読む付をした後は、ヘルメットと灯りを借り、
    専属ガイドさんと共に少し離れた狭い壕の口を下りて中に入ります。
    内部は撮影禁止。
    病床、病棟、手術室、井戸やカマドを経て、倉庫や住民避難所へと続く全長270mのガマ。
    中は思いの外広く、開けた場所も有り手摺りも整備されていましたが、
    足場は悪く頭上の低い所もあります。
    出口には監視所があり出入りを制限していたそう。
    南部観光センターには、このガマから生き延びた方からの寄贈品が展示してありました。
      閉じる

    投稿日:2020/12/31

  • 観光気分で訪れる場所ではありません

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/08(約9年前)
    • 0

    壕の中は真っ暗です。こんな光の届かない地下で身を潜めていたんですね。内部からは当時の雰囲気が伝わってきて、非常に辛く重い気...  続きを読む持ちになりました。戦争を知らない世代が、当時の様子を感じることができる貴重な場所です。決して観光気分で入る所ではありません。  閉じる

    投稿日:2016/09/13

  • 現南城市玉城糸数にある自然洞窟で(ガマ)のひとつである糸数アブチラガマは、沖縄戦に於ける玉城村糸数集落民の指定避難壕でした...  続きを読む。そのうちに陣地構築する部隊が入るなどして、照明が点けられるなどしていたこともありました。

    戦況の悪化で南風原陸軍病院糸数分室として使われることになり、ひめゆり学徒16名が学徒看護隊要員として南風原陸軍病院より移動し、同様に移って来た軍医や看護婦、衛生兵とともに傷病兵士の治療にあたります。戦線が南下するに従い収容患者数は爆発的に増加し、270mのガマ内には600名もの患者を収容していたようです。

    昭和20(1945)年5月25日軍司令部よりの南部撤退命令を受け、動けるものは手を借りて移動をするものの、自立歩行が困難とされたものは放置されました。その中でなんとか病院に着いて行こうとする重症兵士もいましたが、砲弾が飛び交い泥にぬかるむ悪路に阻まれ、その多くは途中で事切れたものが多かったそうです。

    病院の撤退後は住人と生き残りの負傷兵、日本兵の雑居状態となり米軍の攻撃を受けながらも生き残った多くの人達が8月22日の米軍の投降勧告に応じてガマを出て行きました。戦争という背景の中犠牲者が出なかった訳ではないものの、動員されたひめゆり学徒の犠牲者はアブチラガマでは出ていません。

    現在この糸数アブチラガマは入壕管理がされており、専属のガイドを伴っての入壕となります。考え方は人それぞれありますが、犠牲になった方もいれば助かった方もいた事実。それを身を以って体験できる場所には違いないと思います。真っ暗なガマの中に差し込む外の光がどのように人々に見えていたのか…、今となっては想像の域を超えることは出来ないもののやはりこの場所でしか出来ない体験が出来たのでは、そう改めて思いました。
      閉じる

    投稿日:2016/03/09

  • 2015年5月に行きました。わたしは、事前に4冊の 沖縄戦での県立高女&師範学校の本を読んでアブチラガマのことを知り、訪れ...  続きを読むました。合計16名の女子学徒と3名の医師が関わったガマです。現地の人から、アブチラガマに行くのだったらガイドをお願いした方がいいよと教えていただいておりましたので、ガイド代1000円+懐中電灯代100円+入場250円=1350円にてお願いいたしました。南風原陸軍病院の分院であったガマですから、多数のかたが ここで亡くなりました。数少ないアブチラガマ生存者のなかに北海道のかたがいらっしゃいます。日本で唯一の地上戦となった沖縄戦では、軍人軍属ではない普通の人々が巻き込まれ、死にました。死亡者を都道府県別に見ますと、沖縄県の次に多いのは、北海道です。その数は米軍の死者数に匹敵するほどです。日本の端に位置する北海道にとって沖縄で起こったことは、他人事ではありません。北海道の方に是非 訪れていただきたいスポットです。事前勉強したつもりでしたが、ガイドのかたの適切な説明をいただき、本で読んだこととアブチラガマの内外で起こったことが、目の前に見えるような感覚になりました。視聴覚室のDVDを見てください。また、観光センターでは南城市で作製した『糸数アブチラガマ』のリーフレット(1000円)を買い求めてみてください。  閉じる

    投稿日:2015/06/07

  • 戦時の自然洞窟の避難壕

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/04(約11年前)
    • 2

    住宅街の中に入口が有ります。
    沖縄戦時、日本軍の陣地壕や倉庫として使用されました。
    また。南風原陸軍病院の分室となり、悲劇...  続きを読むの学徒隊と言われるひめゆり学徒隊が看護にあたっていました。戦争終結後も米軍の投降勧告まで耐え忍んだ悲しい歴史の遺産です。  閉じる

    投稿日:2015/07/11

  • 素晴らしいガマなのに

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 1

    戦争は恐ろしいですね。こんな素晴らしいガマが、第2次世界大戦中、地下の病院だったそうです。入るのには一人250円だったでし...  続きを読むょうか?そのほかに必ずガイドが同行しなければいけないことになっていて、ガイドは1500円でした。団体で訪れるならばいいと思いますが、個人客には・・・伝承という意味も加えて考えてほしいです。でも、沖縄に来る機会があるならば、ぜひとも立ち寄ってください。  閉じる

    投稿日:2016/08/21

  • 入場券売り場まで出来ていた

    • 2.5
    • 旅行時期:2014/11(約11年前)
    • 0

    糸数城跡のあとに、糸数壕にうかがいました。昔、平和ボランティアの方のガイドで入れて頂いたときはもっと手付かずな感じで慰霊の...  続きを読む気持ちで入れたのですが、再訪した今回は、入場券売り場まで出来ていて、ガイド料もしっかり決まっていて、ヘルメットも用意されていたりしてなんとなくテーマパークのようになってしまっていたので、気もちも冷めてしまい、入らずに帰りました。  閉じる

    投稿日:2015/10/27

  • 本物のガマ

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/09(約11年前)
    • 1

    ガマとは沖縄の言葉で洞窟だったと思います。この地域ではひめゆりの塔がとても有名ですが、この糸数アブチラガマは、あまり観光地...  続きを読む化されていません。今でも昔のままの状態で残っている部分がありますので、沖縄に行ったら是非、こを見学することをおすすめします。また、事前にら燃え仕込みをすると当日案内と説明をしてくれます。  閉じる

    投稿日:2014/09/01

  • 沖縄戦下に病院となった壕です

    • 5.0
    • 旅行時期:2013/02(約13年前)
    • 1

    沖縄戦のさなか、このガマが南風原陸軍病院の分室となりました。
    受付で懐中電灯を貸してもらいましたが、それでも見えるのは自...  続きを読む分の足元程度。
    目が慣れるまでは、けっこう怖いです。
    当時は壕内の人が多く、湿度もにおいもあったことでしょう。
    百聞は一見に如かず。色々と考えるよいきっかけとなりました。  閉じる

    投稿日:2014/01/17

  • 悲しい歴史を学ぶ場所です

    • 4.0
    • 旅行時期:2012/11(約13年前)
    • 1

    ここは観光という気軽な雰囲気で立ち寄る場所ではありませんでした。戦時中の防空壕の様子を今に伝える貴重な場所で、写真撮影など...  続きを読むは禁止されている場所が多いですのでご注意下さい。また社会見学に訪れる学生なども多く、混雑時は一般客の立ち入りができなくなりますので、予約をされてからアクセスすることをお勧め致します。  閉じる

    投稿日:2012/11/08

  • 胸が詰まる、陸軍病院の分室となった避難壕

    • 4.0
    • 旅行時期:2012/04(約14年前)
    • 0

    「糸数アブチラガマ」は、沖縄本島南部の南城市玉城字糸数にある自然洞窟(ガマ)です。沖縄戦時、もともとは避難壕でしたが、日本...  続きを読む軍の陣地壕や倉庫として使用され、その後、南風原陸軍病院の分室となりました。今は修学旅行の平和学習に利用されることが多いようです。
    豪に入ると、本当に暗闇です。懐中電灯(案内所でレンタル可)がないと真っ暗で何も見えません。一時は600名を超える負傷兵がひしめいていたという洞窟にある“病棟”とか“ベッド”、“治療室”、“脳傷患者”、“カマド”、“住民地区”等の標識を見ていると、その当時の兵隊さんや地区の住民の方々のご苦労が偲ばれ、胸が詰まります。こんな洞窟に無慈悲に非人道的な攻撃を加えた、米軍の所業は絶対に許せません。
      閉じる

    投稿日:2012/12/23

  • 過去を忘れずに

    • 4.0
    • 旅行時期:2010/10(約15年前)
    • 2

    南城市玉城にある自然洞窟で、第二次世界大戦時の時に避難壕として利用され、今は修学旅行の平和学習に利用されているようです。
    ...  続きを読む

    私は、母校のホームページの修学旅行の内容で、この糸数アブチラガマをはじめて知りました。戦争の時、大変な暮らしをしていたのかと思い訪問をしてきました。

    豪への入場には、南部観光総合案内センターで入場券(250円)を購入。そして、懐中電灯のない人には100円で貸していただけます。私の場合、ひとりで行ったため、予備の懐中電灯を貸していただきました。

    豪に入ると、ひんやりとして本当に暗闇です。懐中電灯がないと真っ暗で何も見えません。懐中電灯を消して、どのような暮らしをしていたのかと少し考えると複雑な気持ちになりました。また、静かにしているとコウモリが飛んだいるのもわかり怖かったです。

    豪のところどころには、病院として利用していたので病棟があったという看板。また、暮らしていたことを示す、井戸、かまどの跡があります。こんなところに暮らしていたのは、さど大変だったのでしょう。地上戦で米軍が来た時は、とても怖かったことでしょう。

    いろいろ考えると、冷や汗を掻いてしまいました。
    もうこんな戦争はしちゃいけませんと思わせられました。  閉じる

    投稿日:2010/11/05

  • 当時を体感できる貴重な戦跡

    • 5.0
    • 旅行時期:2010/09(約15年前)
    • 3

    南部の玉城村(現南城市)糸数にある自然壕。糸数壕とも言う。
    壕内は文字通り漆黒の闇。照明は一切無しである。入口横の南部観...  続きを読む光総合案内センターで入場料を払う際、懐中電灯も一緒に借りよう。100円程度だったと思う。

    入口はいきなりの縦穴で、かなり急だ。懐中電灯だけの明かりで歩く全長270mはとてつもなく長い。 入ってすぐ、懐中電灯の先に浮かび上がる遺品の数々。
    入口周辺を抜けると、いよいよ本格的に避難壕の様相を呈してくる。
    「病棟」とか「脳傷患者」の標識にはヒヤリ。何せまわりは真っ暗なのだ。

    最初は地下陣地として設営された壕だったが、その後陸軍病院の分院が開設され、あのひめゆり学徒の一部も移ってきた。一時は600名を超える負傷兵がひしめいていたと言う。

    1945年5月25日に南部への撤退命令のあと、一人歩きできない重傷患者は、自決用の手榴弾や青酸カリが配られ置き去りにされた。その後もこのガマには傷病兵と避難民が雑居することとなる。

    壕内には泉(井戸)もあり、今でも湧き水が出ていて小さな流れを作っている。
    また、かまどの跡もあり、その生活感が悲しみを倍加するようだ。

    巻き添えを食った住民への追悼はもちろんだが、洞口から爆雷や火炎放射を浴びせ、空気穴からガソリンを流し込み黄リン弾を投げ込んだ米軍の所業も忘れてはならない。

    出口付近には慰霊の千羽鶴と戦没者慰霊碑。
    不謹慎だが、この暗闇でこの光景はやはり背筋が凍る。

    壕内はぬかるんでいる場所もあり、何より足場が悪いので、間違ってもパンプスや草履で行かないこと。  閉じる

    投稿日:2012/05/29

  • とにかく怖い

    • 5.0
    • 旅行時期:2002/06(約24年前)
    • 0

    行ったのは2000年代初頭です。
    懐中電灯を借りて見学しに来ましたが、ガマの中は真っ暗で、入り口から入るのに躊躇しました...  続きを読む
    二人で行きましたがとっても怖かったです。
    ちょうど団体さんが来たので、その後ろをついて歩きました。
    懐中電灯の明かりがあっても、ほんと真っ暗で当時の方達もこんな所で過ごされて地獄だっただろうなと思いました。  閉じる

    投稿日:2015/12/07

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
糸数 アブチラガマ
住所
  • 沖縄県南城市玉城糸数667-1
アクセス
那覇空港自動車道南風原南ICから県道48号などを玉城方面へ車で8km
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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