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糸数 アブチラガマ

名所・史跡

糸数 アブチラガマ 施設情報・クチコミに戻る

南部戦跡を巡るなら必見の場所だと思います

  • 5.0
  • 旅行時期:2024/07(約1年前)
たびたびさん

by たびたびさん(男性)

知念・玉城・八重瀬 クチコミ:66件

糸数 アブチラガマは、沖縄戦、南部戦線の遺構。大きな自然洞窟は地元住民の避難用とされていましたが、南風原陸軍病院の分室となると撤退して来る日本兵や負傷兵と雑居状態。そして、事態は悪化し、大勢の瀕死の負傷兵と死体の山。地獄の惨状となっていったのですね。
暗闇の中、懐中電灯だけが頼りの見学は30~40分くらい。ボランティアガイドさんの説明を聞きながら、その厳しい戦争の惨禍を少し垣間見たような気がしました。日本で唯一の地上戦を経験した沖縄。その事実はあまりにも重いもの。戦後の米軍基地の負担も含めて、日本人として、もっともっと理解を深める必要がある。そんな思いでいっぱいになる体験でした。南部戦跡を巡るなら必見の場所だと思います。


なお、ホームページ(https://abuchiragama.com/)に沖縄戦の概要がまとめてありましたので、以下、参考まで。
「沖縄戦とは太平洋戦争の最終段階、1945年3月下旬から7月までの戦いを言います。
1941年に太平洋戦争が勃発し、太平洋の島々で劣勢となった日本軍は、米軍が沖縄に上陸すると見て、米軍を沖縄にくぎづけにする作戦をとります。
それは、本土決戦の準備をするための時間稼ぎであり捨石作戦でした。このため、沖縄は唯一の地上戦の場となります。
米軍は1945年の4月1日に沖縄本島の中部に上陸し、日本軍の指令部のあった首里に向かいます。米軍の圧倒的な戦力に、首里の陥落が目前にせまったところで日本軍は南部へ撤退します。
米軍の上陸地点から首里城指令部までを中部戦線、首里以南を南部戦線と言います。
南部戦線では十数万人の一般住民が巻き込まれ悲惨な結末を迎えることになります。
6月23日、牛島司令官の自決により日本軍の組織的戦闘は終了しますが、その後も各地で戦闘が続ぎ、米軍が作戦修了を宣言したのは7月2日のことでした。
この90日間にわたる沖縄戦で、日本兵6万6千人、沖縄出身兵2万8千人、米兵1万2干人、一般住民9万4千人が亡くなりました。
当時の沖縄県の人口は約50万人でしたから、沖縄県民の4人に1人が亡くなったことになります。」

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
家族旅行
アクセス:
5.0
人混みの少なさ:
5.0
バリアフリー:
5.0
見ごたえ:
5.0

クチコミ投稿日:2025/01/04

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