当時を体感できる貴重な戦跡
- 5.0
- 旅行時期:2010/09(約15年前)
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by 琉球熱さん(男性)
知念・玉城・八重瀬 クチコミ:16件
南部の玉城村(現南城市)糸数にある自然壕。糸数壕とも言う。
壕内は文字通り漆黒の闇。照明は一切無しである。入口横の南部観光総合案内センターで入場料を払う際、懐中電灯も一緒に借りよう。100円程度だったと思う。
入口はいきなりの縦穴で、かなり急だ。懐中電灯だけの明かりで歩く全長270mはとてつもなく長い。 入ってすぐ、懐中電灯の先に浮かび上がる遺品の数々。
入口周辺を抜けると、いよいよ本格的に避難壕の様相を呈してくる。
「病棟」とか「脳傷患者」の標識にはヒヤリ。何せまわりは真っ暗なのだ。
最初は地下陣地として設営された壕だったが、その後陸軍病院の分院が開設され、あのひめゆり学徒の一部も移ってきた。一時は600名を超える負傷兵がひしめいていたと言う。
1945年5月25日に南部への撤退命令のあと、一人歩きできない重傷患者は、自決用の手榴弾や青酸カリが配られ置き去りにされた。その後もこのガマには傷病兵と避難民が雑居することとなる。
壕内には泉(井戸)もあり、今でも湧き水が出ていて小さな流れを作っている。
また、かまどの跡もあり、その生活感が悲しみを倍加するようだ。
巻き添えを食った住民への追悼はもちろんだが、洞口から爆雷や火炎放射を浴びせ、空気穴からガソリンを流し込み黄リン弾を投げ込んだ米軍の所業も忘れてはならない。
出口付近には慰霊の千羽鶴と戦没者慰霊碑。
不謹慎だが、この暗闇でこの光景はやはり背筋が凍る。
壕内はぬかるんでいる場所もあり、何より足場が悪いので、間違ってもパンプスや草履で行かないこと。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2012/05/29
いいね!:3票
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