南風原陸軍病院糸数分室として使われていました。~糸数アブチラガマ~
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- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
知念・玉城・八重瀬 クチコミ:60件
現南城市玉城糸数にある自然洞窟で(ガマ)のひとつである糸数アブチラガマは、沖縄戦に於ける玉城村糸数集落民の指定避難壕でした。そのうちに陣地構築する部隊が入るなどして、照明が点けられるなどしていたこともありました。
戦況の悪化で南風原陸軍病院糸数分室として使われることになり、ひめゆり学徒16名が学徒看護隊要員として南風原陸軍病院より移動し、同様に移って来た軍医や看護婦、衛生兵とともに傷病兵士の治療にあたります。戦線が南下するに従い収容患者数は爆発的に増加し、270mのガマ内には600名もの患者を収容していたようです。
昭和20(1945)年5月25日軍司令部よりの南部撤退命令を受け、動けるものは手を借りて移動をするものの、自立歩行が困難とされたものは放置されました。その中でなんとか病院に着いて行こうとする重症兵士もいましたが、砲弾が飛び交い泥にぬかるむ悪路に阻まれ、その多くは途中で事切れたものが多かったそうです。
病院の撤退後は住人と生き残りの負傷兵、日本兵の雑居状態となり米軍の攻撃を受けながらも生き残った多くの人達が8月22日の米軍の投降勧告に応じてガマを出て行きました。戦争という背景の中犠牲者が出なかった訳ではないものの、動員されたひめゆり学徒の犠牲者はアブチラガマでは出ていません。
現在この糸数アブチラガマは入壕管理がされており、専属のガイドを伴っての入壕となります。考え方は人それぞれありますが、犠牲になった方もいれば助かった方もいた事実。それを身を以って体験できる場所には違いないと思います。真っ暗なガマの中に差し込む外の光がどのように人々に見えていたのか…、今となっては想像の域を超えることは出来ないもののやはりこの場所でしか出来ない体験が出来たのでは、そう改めて思いました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 那覇空港から1時間で到着できます。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 日曜日の最後は私一人でした。
- バリアフリー:
- 3.0
- ガマ内に入るのは無理でしょう。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 一部通路は整備されていますがほとんど当時のままです。
クチコミ投稿日:2016/03/09
いいね!:7票
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