角屋もてなしの文化美術館
名所・史跡
3.42
角屋もてなしの文化美術館 クチコミ・アクセス・周辺情報
京都駅周辺 観光 満足度ランキング 19位
クチコミ・評判 3ページ目
41~51件(全52件中)
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「揚屋」の遺構
- 5.0
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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十数年ぶりに再訪
- 4.5
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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京都 島原に残る唯一の揚屋建築の遺構です。
島原の中では、外観の格子窓が町家とはちょっと異なる、見るからに立派な建物... 続きを読むです。十数年前、まだもてなしの文化美術館となる前の角屋の特別公開時に来て以来の再訪です。中に入ると朱塗りの漆喰の下の中戸口には暖簾が下がり、ちょっとタイムスリップしたよう。
台所は大広間の様な広場で、しっかりとした大黒柱が支えています。構造上弱い為、今は補強用の柱が別に立っています。見所は遊宴の席に使われた、それぞれ特徴のある趣向の凝らされた各部屋です。網代天上の網代の間、、大座敷 松の間の前には主庭に臥龍松が見事です。
前回訪れた時は、2階の客間も特別に見られました。2階には更に凝った客間があり、螺鈿の間、、扇の間、青貝の間、華やかさは見事でしたが、今回は見られませんでした。見ることが出来るならば必見です。
角屋は幕末には勤皇、佐幕派双方の会合場所となり、勤皇志士たちが宴席を行ったところですが、一発触発の状態で何も起きなかったのは興味深いところです。
一見の価値のある美術館ですが、場所がちょっと不便です。 閉じる投稿日:2014/10/25
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夏の特別拝観
- 4.5
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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歴史を感じるとても風情のある京都町家でした。
- 4.0
- 旅行時期:2014/02(約12年前)
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紅白梅図屏風があります!!
- 3.5
- 旅行時期:2013/12(約12年前)
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島原へ
- 4.0
- 旅行時期:2013/07(約13年前)
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幕末の歴史を感じる粋な造り
- 4.0
- 旅行時期:2012/11(約13年前)
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重文の揚屋
- 4.0
- 旅行時期:2012/08(約13年前)
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京都島原
- 3.5
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
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まさに、歴史の場所
- 4.5
- 旅行時期:2011/11(約14年前)
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かつての京都5花街の一つ「島原」に残る揚屋の建物を保存したもの。島原はJR丹波口が最寄ですが、この花街は、元は本願寺近くに... 続きを読むあったものを引越し命令が下され、大騒ぎでここに越してきた。その引越しが島原の乱のように大騒動だったので、島原とされたのだとか。この写真は、一階奥の大広間に続く間。鳳凰の襖絵がとても豪華です。納屋にしまってあったようで、この襖絵だけは、生き生きとした姿を止めています。なお、大広間は、新撰組の大事件、芹沢鴨の粛清のため、大宴会をやって、酔いつぶさせた部屋。芹沢はここから、屯所に帰って、寝静まったところに襲撃を受け、惨殺されることとなります。係りの方がこうした解説を臨場感たっぷりにしてくれます。まさに、歴史の場所です。
閉じる投稿日:2012/04/05
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京都、島原の「角屋」(2008年12月)
- 4.0
- 旅行時期:2008/12(約17年前)
- 2
島(嶋)原(しまばら)は、室町12代将軍・足利 義晴(あしかが よしはる1511−1550年)時代の1528年頃に日本で最... 続きを読む初の政府公認の花街になったといわれている。 幕末には西郷隆盛(さいごう たかもり1828−1877年)、久坂玄瑞(くさか げんずい1840−1864年)などの志士や新撰組なども出入りしていた。 明治維新後は島原を支えていた公家、武家社会が崩壊したために衰退し、現在は文化遺産として「大門」、「角屋・すみや」などがわずかに残っているだけだ。島原も新時代を創り出す革命のエレルギーを育てた歴史の一部分として貴重な遺産だ。
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10304442/
(写真は「角屋」)
閉じる投稿日:2009/02/12
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