一言一会はこの場所から。
- 5.0
- 旅行時期:2021/07(約4年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
彦根 クチコミ:8件
彦根藩11代藩主井伊直中の十四男として生まれ、後に幕府大老となる井伊直弼は幼少の頃から行く末が全く分からない不遇の時期を過ごしていた場所である。埋木舎の名付けは直弼本人であり、大名家の屋敷であっても〝控え屋敷〟と呼ばれる質素なものであった。現埋木舎である尾末町御屋敷は井伊家の〝控え屋敷〟のひとつであり、直中死去後藩主となった兄直亮の下弟の直恭とともこの控え屋敷で暮らすようになった。300俵の捨扶持の部屋住みの身分だった二人だが、数年後他家への養子の話があり、兄弟そろって江戸へと向かうが、選ばれたのは弟の方であり、直弼は以前の生活へと帰るしかなかった。ただ結果として兄であり藩主であった直亮には実子がおらず、異母弟の直元を養嗣子にするが早世し唯一国元に残っていた直弼を養嗣子にする。直亮の死去を受けて彦根藩15代藩主となる。
その後の活躍は知られたものとなっているが、その下積みは15年間の〝控え屋敷〟での生活にあったと言っても過言ではない。埋木舎と屋敷を命名するにあたり、自らを花の咲くことのない埋もれ木に例えて〝逆境に於ける安住の地〟とし、為すべきことが多々あるとしてこの屋敷に於いて文武両道の修練に励んでおり、苦悩と屈託の多い青春であったことが窺い知れる日記が残っている、
日米修好通商条約・安政の大獄・桜田門外の変等〝悪評〟の絶えない直弼ではあるが、一文化人としては驚くべき才能を持っていたことは周知の事実である。しかし苦労をし続けたことから〝功を急いだ〟感が強く、時代の流れに飲み込まれた人生であったようにも思う。尊王攘夷運動が活発になり始めた頃の大老職であったがためにそうなったのではと、この埋木舎と由来文を読んだ私にはそう思えたのであった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 彦根駅から徒歩10分程。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れたときには誰もいなかった。
- バリアフリー:
- 2.5
- 旧家なので段差はある。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 武家の屋敷には毛頭見えない…。
クチコミ投稿日:2021/07/28
いいね!:7票
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