湯島天満宮
寺・神社・教会
4.09
湯島天満宮 クチコミ・アクセス・周辺情報
御茶ノ水・本郷 観光 満足度ランキング 2位
泉鏡花の「婦系図」で知られる。梅園があり観梅者も多い。通称湯島天神の名で学問の神様として親しまれている。 徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。 その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
今年はやっと白梅を見に行けた
4.5
- 旅行時期 2025/02
- by ごろちゃんさん
2025/2/24に息子に連れて行ってもらった。 湯島の白梅をお蔦主税の歌にあるように一度は行ってみたいと思っていた。昨... 続きを読む年も計画したけど天気と開花時期が合わずに取り止めた。 今年は行けた。 湯島駅で降りて歩いて行き夫婦坂から戸隠神社の側から入った。 梅祭りの最中だったし振替祝日のために人で溢れていた。本殿でのお参りまで並んで待つ。10分もかからずにお参りを済ませて境内を散策して元にところから出てお昼に予定しているいせ源の鮟鱇鍋まで時間があるので近くの岩崎邸庭園を見に行った。 湯島天満宮の梅は歌にあるように白梅だった。兎に角人が多すぎてゆっくりしておれない。 青い瓦斯燈 境内を・・・・と歌にあるように見る時間がなかった。 閉じる
クチコミ・評判 13ページ目
241~260件(全664件中)
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38段の急階段
- 3.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 29
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紙や筆、墨、硯の文具を称える石碑
- 3.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 34
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湯島天神にある王貞治選手の石碑
- 3.5
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 26
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銅で造られた鳥居
- 3.5
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 26
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湯島天満宮内にあります
- 3.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 34
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湯島天満宮は梅の花で有名です
- 3.5
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 26
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菊まつり
- 3.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 32
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菊まつり
- 3.5
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 0
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奥深い菊の作品が一杯の「菊まつり」
- 4.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 0
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江戸時代の尋ね人の情報交換に使われたそうです
- 3.5
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 0
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散策
- 3.5
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 0
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よく知られているのは泉鏡花のものだがもう一つ筆塚があります
- 3.5
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
- 0
秋晴れの気持ち良い日だったので文京区湯島3丁目にある湯島天満宮を訪ねた折、境内に数多くの記念碑があるので回ってみることに... 続きを読むし、その一つが泉鏡花の筆塚で、もう一つが表 (銅) 鳥居の左手奥にある筆塚です。
数年前梅まつりに来た折は泉鏡花の筆塚は見れたが、表鳥居近くの筆塚に気付かなかったのは、表鳥居付近から屋台が並んでいたからだろう と思います。
今回は、菊まつりの展示場用パイプが組み立ててあるものの、筆塚があるのに気付き何とか見ることが出来だ次第です。
こちらの筆塚は、泉鏡花のものと違い平らな自然石に竹の絵が彫られ、大きくはないが台石に苔が生え歴史を感じるものです。
左手前に説明板があるので見ると、
梅園の中には、満天下の子女の紅涙をしぼらせた「婦系図」のゆかりの地として里見 外16名の文筆家ら旧知関係者によって昭和17年 (1942) 9月7日に泉鏡花の筆塚が設立されました。
と湯島神社のことなどとともに記されているが、目の前のこちらの筆塚については触れてないので何も分からず残念なところです。
境内にあるので何らかの係わりなどがある筆塚とは思うが裏側まで見れなかったので、次の機会に裏側に何か刻まれているかも知れないと思い覗いてみようと思っているところです。 閉じる投稿日:2018/11/16
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昭和31年に献木された梅樹が見当たらないのが残念に思います
- 3.0
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
- 0
秋晴れの気持ち良い日だったので文京区湯島3丁目にある湯島天満宮を訪ねた折、境内に数多くの記念碑があるので回ってみることに... 続きを読むし、その一つがここ新派の碑です。
数年前梅まつりに来た折は、近くに屋台がありこの新派の碑を見るのが精一杯だったが、今回は屋台などなく広々としており、また休日だったもののお詣りや見物客がそれ程おらず、ゆっくり見ることが出来良かったです。
この新派の碑の直ぐ左手並びに文房至宝碑や瓦斯灯などが、一寸離れたところに、講談高座発祥の地の碑があるのを初めて知り、境内に数多くの記念碑があるとは言え、ここにこんなに並んでいるのも珍しいのでは と思ったところです。
また、左手の「新派」碑 由来 に記されている昭和31年に献木された左側の梅樹とのことだが、近くに梅樹が見当たらず分からなかったのが残念でした。
ところで、この「新派」の記念碑は
新派劇創立90年を迎えた昭和52年に新橋演舞場玄関脇に建てられ、新橋演舞場の改築にあたり当湯島天神様のご好意により新派とは深い縁で結ばれているこの境内に移させていただいたもの
とのことです。 閉じる投稿日:2018/11/16
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今回はゆっくり見て回れ満足しています
- 4.0
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
- 0
秋晴れの気持ち良い日だったので文京区湯島3丁目にある湯島天満宮を訪ねてみた。
数年前梅まつりに来た折は、梅の見物客を... 続きを読む初め合格祈願やお詣りの方などが多い上、屋台も沢山出ていて落ち着かずゆっくり見て回れなかったので、今回は休日だったが訪ねてみたところ、参拝者や見物人などが意外と少なく良かったです。
先ず、銅製で立派な表鳥居をくぐり直ぐの左手にある「湯島神社 由緒」を、(ゆっくり見てたら大変なので) ざっと見てから参道を進むと、左手に手水舎があり左右に撫で牛がいます。
ここで面白いと思ったのは、右手の撫で牛は頭を上げ堂々としていて、よく撫でられるのか特に頭の部分が光っているが、一方左手の撫で牛は頭を下げうずくまっていて、あまり撫でられないのか寂しそうにしているように見えることで、ご覧になってみては如何でしょう。
それはそれとして、更に進むと拝殿なので願い事をし、右手の授与所のところに行くと境内案内図があり、名前や場所がいろいろ分かりとても役立ちます。
という具合で、訪ねたのが休日だったためか結婚式は沢山あるようだったが、参拝客や見物人などが思ったより少なくいろいろゆっくり見て回れて良かったです。
何か催し物があるのに合わせて訪れるのも良いが、そうでない時に訪ねると参拝者や見物人など少なく、境内をいろいろとゆっくり見て回れるのでお勧めでは と思います。
今回は、いろいろゆっくり見て回れとても良い訪問だったと満足しているところです。 閉じる投稿日:2018/11/16
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銅製で下脚部の唐獅子頭部の装飾が特異で立派な鳥居です
- 4.0
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
- 0
秋晴れの気持ち良い日だったので文京区湯島3丁目にある湯島天満宮を訪ねた折くぐったところで、拝殿の正面 (南側) にある銅... 続きを読む製の鳥居です。
また、遠いがJR御茶ノ水駅方面から来る際は、湯島天満宮が正面になり遠くからも見え目標になる鳥居です。
とは言うものの今回は、近いルートで地下鉄・湯島駅から湯島天満宮の東側にある天神石坂 (天神男坂) を上がり、境内に入ってからここ表鳥居のところに来た次第です。
数年前梅まつりに来た折は、屋台や人通りが多く落ち着いて見れなかったが、今回は、休日なのでそれなりに人通りがあるもののゆっくり見ることが出来ました。
表鳥居の左手奥にある「湯島天満宮」の説明板に、社殿や祭神のことなどどともにこの銅製表鳥居 (都指定文化財) のことも記してあり、
寛文7年 (1667) 9月創建され、同11年 (1671) 修理した銘がある。
下脚部に唐獅子頭部の装飾は鳥居として特異なものである。
とのこと。
下脚部のことなど今まで気付かなかったことが多く、今回じっくり見ることが出来とても良かったです。
ここ湯島天満宮を訪ねた折は表鳥居は勿論、特に下脚部にある唐獅子頭部の装飾をご覧になることをお勧めしたいところです。
因みに、鳥居の大きさは、
柱の下から上端についた台輪までの長さが3.88m、笠木上端の長さが6.81m
とのことです。 閉じる投稿日:2018/11/16
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御鳳輦や湯島天満宮所蔵の宝物類などいろいろ観ることが出来ます
- 3.5
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
- 0
秋晴れの気持ち良い日だったので文京区湯島3丁目にある湯島天満宮を訪ねた折入ったところで、神楽殿と併設して建築され平成11... 続きを読む年10月に開館したところ とのことです。
建物は、地上2階、地下1階建てで新社殿とよく合致して神殿造風の優雅な造りなので如何にも宝物殿といった感じがします。
宝物殿は、地上1階が御鳳輦や神輿などの展示室、地下1階が湯島天満宮所蔵の宝物類の展示室と保存収蔵庫で、地上2階は神楽殿と管理室並びに学芸員室になっている とのことなので、今回入ったのは、地上1階と地下1階の展示室です。
展示室はそれ程広くなく、1階の御鳳輦や神輿が思ったより小さく、地下の宝物類の種類や数が、意外と少ないように感じたものの観ていると結構時間が掛りました。
地下の展示品は、ここ湯島天満宮の御祭神の菅原道真公にまつわるいろいろの天神画像を初め「龍虎鷹山水図」や「社号額」などがあり、入館時頂いた展示配置図付の展示紹介・作者一覧を見ながら回ると分かり易く、また、観ている人は他に誰もおらず、ゆっくり回れて良かったです。
湯島天満宮所蔵の宝物類に興味のある方は勿論、そうでない方も有料だがご覧になってみては如何でしょう。
因みに、拝観料は、一般 500円、シルバー (65才以上) 300円などで、 原則無休です。
なお、写真は、お断りしてから撮らせて貰ったものです。 閉じる投稿日:2018/11/14
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石碑を見て梅園の観方が変わってきました
- 3.5
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
- 0
秋晴れの気持ち良い日だったので文京区湯島3丁目にある湯島天満宮を訪ねた折、境内に数多くの記念碑があるので回ってみることに... 続きを読むし、その一つが梅園の中に建つこの梅園建設碑です。
数年前梅まつりに来たこともあるが、その折は梅花や人混みに気を取られていたためでしょう見逃し、今回この石碑があるのに気が付いた次第です。
昭和48年12月付のこの石碑は、縦書きの「梅園建設碑」の右横に「返り咲く 湯嶋の白梅」と彫られ、その下に、湯島神社 (今は湯島天満宮) 境内に梅樹が植えれらた由来が刻まれ、概要だが
明治大正両時代は、立派な梅樹の神苑であったが、第二次世界大戦後いつか雑木に植えかえられ荒廃していた。
それを、昭和30年11月より約3年半に亘り、氏子を初め多くの関係者が、日夜に及ぶ勤労奉仕作業により近郷より梅の古木を探し譲り受けて移植し湯島神社梅園建設の基となり、
今日湯島の梅園として東京の名所となる。
とのこと。
この素晴らしい梅園は、氏子を初めとした関係者の長年に亘る勤労奉仕作業の賜物であることが分かると、今まで漠然と観ていたのが、申し訳なくなってきたところです。
今も、その勤労奉仕作業は続けていることでしょうし、これからもずっと東京の梅の名所として多くの方々に喜ばれていくことと思い、感謝の気持ちで一杯になった次第です。
今回訪ねたのが10月下旬なので緑葉の梅園だったが観方が変わり、花の時季に再訪しじっくり観させて貰おうと思っています。
ここ湯島天満宮を訪れた折は、この石碑もご覧になり氏子らのかつてと今後の努力に感謝しつつ、梅園を大いに楽しませて貰いましょう。
なお、梅園は、拝殿左手前と女坂のところにあり、この石碑は、拝殿左手前の梅園の北 (拝殿) 側に建ててあります。 閉じる投稿日:2018/11/14
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調べて「迷子しらせ石標」の名残りということが分かりました
- 3.0
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
- 0
秋晴れの気持ち良い日だったので文京区湯島3丁目にある湯島天満宮を訪ねた折、境内に数多くの記念碑があるので回ってみることに... 続きを読むし、その一つがここ奇縁氷人石です。
と言っても、梅園の中にある幾つかの記念碑の内の一つで、最初目にした際は何の石標か分からず後程調べて分かった次第です。
湯島天神公式サイトの境内のご案内 (境内案内図) の「奇縁氷人石」によると、概要だが
この石柱の右側に「たつぬるかた」、左側に「をしふるかた」と記され、迷子の名を書いた紙を右側に、迷子がいた時はその子の特徴を書いた紙を左側に貼って知らせた「迷子しらせ石標」の名残りで、
境内が人で賑わい、江戸有数の盛り場であったことがわかる。
とのこと。
幕府公認の富くじが行われたところなのでさぞ賑わい、親御さんが夢中になったことだろうから迷子が出たのも分かるとともに、広報板か今は見掛けなくなった伝言板が、既にあったことに感心します。
ところで、他の記念碑などには、碑文や説明板がありその場で大方分かるので、この「奇縁氷人石」にも説明書きなど付けて欲しい と思うところです。
場所は、拝殿左手前にいる狛犬の後ろ (西) 側の梅園の中で、右手に「奇縁氷人石」との案内板が立ててある石標なので分かり易いです。 閉じる投稿日:2018/11/12
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調べて王貞治さんの生涯の座右銘の石碑ということが分かりました
- 3.5
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
- 0
秋晴れの気持ち良い日だったので文京区湯島3丁目にある湯島天満宮を訪ねた折、境内に数多くの記念碑があるので回ってみることに... 続きを読むし、その一つがここ努力の碑です。
と言っても、最初目にした際は何の石碑か分からず、何かの記念碑だろうと思い後程調べて分かった次第です。
湯島天神公式サイトの境内のご案内 (境内案内図) の「努力碑 (王貞治)」によると、概要だが
王貞治君は、昭和52年9月通算本塁打756号を達成、前人未踏の世界記録を樹立し、わが国初の「国民栄誉賞」と球界最高の「正力松太郎賞」の初の受賞者となった。
また、王君は、これを記念し崇敬する湯島神社に、白梅一樹を献木した。
ここに読売新聞社社主読売巨人軍オーナー 正力 亨 らが、 王君の生涯の座右銘である「努力」の碑を、昭和53年1月に建立し、青少年の亀鑑とするもの。
とのこと。
これを見ると、王さんのたゆまぬ努力の成果だったことが窺えるものの、近くに説明書きなど見当たらず調べなければ分からないのが残念に思います。
この石碑を見ている間、近くを行き来する人は結構いるが誰も見ようとせず、石碑がポツンと建ててあるだけなので説明板などあれば多くの方が見るだろうに、と王さんという素晴らしい方の石碑なのに寂しく残念に思うところです。
更に、合格祈願に来た受験生が、神頼みも必要だがたゆまぬ努力が必要だということが分かる と思い、合格率がアップするかも知れません。
他の記念碑には、碑文や説明板がありその場で大方分かるので、この「努力の碑」にも説明板などを是非考えて欲しい と思います。
場所は、本殿に向かって右手 (東側) で、夫婦坂から境内に入り20m位進んだ左手の石碑が四つ程並んでいる内の一つです。 閉じる投稿日:2018/11/12
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11月3日 (文化の日) が文具の日ということを初めて知りました
- 3.0
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
- 0
秋晴れの気持ち良い日だったので文京区湯島3丁目にある湯島天満宮を訪ねた折、境内に数多くの記念碑があるので回ってみることに... 続きを読むし、その一つがここ文房至宝碑です。
大きな黒御影石をピカピカに磨き上げた面に「文房至宝碑」とともに由来が刻まれているとても綺麗な碑です。
碑文は一寸見難いが、左手に説明板があるので由来がよく分かります。
それによると、
中国より渡来した紙筆墨硯は文房四宝と称せられ、高い文化を育てる文具として大きく貢献をしてきた
ことなどが記され、
11月3日 ( 文化の日 ) を文具の日と定め、先人に報恩感謝の念を捧げつヽこヽ学問の神さま湯島天神の境内に文房至宝の碑を建立する
とのことだが、OA機器が広く使られるようになった今日でも、筆記具などの文房具の大切なのはよく分かるもののこの立派な石碑にはいささか驚いた次第です。
大きい黒御影石のピカピカの綺麗な碑なので、湯島天満宮を訪れた折はご覧になっては如何でしょう。
場所は、湯島天満宮東側の天神石坂 (天神男坂) や女坂 (天神女坂) を上がったところの鳥居をくぐって直ぐの左手で、宝物殿の北側です。 閉じる投稿日:2018/11/09
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