2015/12/25 - 2016/01/02
1位(同エリア6件中)
ウェンディさん
- ウェンディさんTOP
- 旅行記377冊
- クチコミ2241件
- Q&A回答132件
- 1,990,147アクセス
- フォロワー343人
ラカンドンの深い森の中。
そこには、ラビリンスと呼ばれる深緑の苔に覆われたピラミッドがひっそりと眠っている。
体に絡みつく湿ったジャングルの空気とは対照的に、ピラミッド内部の迷宮に漂う空気は、ひんやりと肌を撫でる。
光すら届かぬ闇の中を、右手を壁に添え手探りで歩く。
時折、壁の上方から聞こえるのは、蠢く生物の痕跡を示す乾いた音。
音も無く忍び寄る得体の知れぬ原始的な怯えが、私を覆い尽くす。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
メキシコのジャングルの奥地、グアテマラとの国境付近に、今なお昔ながらの暮らしを営むラカンドン人と呼ばれる民族がいます。
彼らはエルナン・コルテス等の征服者たちが強制したキリスト教を拒絶した「征服されなかったマヤ人」の末裔。
ラカンドン人たちは密林の最深部でマヤ時代から伝わる生活様式・宗教感で生活を続けていて、その生活の中心は呪術であり、村のシャーマンは幻覚キノコを用い治療を行います。
そして、彼らが暮らすラカンドン密林の中。
そこには、まだ発見されたばかりのマヤの遺跡がひっそりと残されています。
…翠色の苔に覆われた石段が連なる神殿…
…彩豊かに彩色されたマヤの神聖な儀式を描いた壁画…
そこは、遺跡を愛する旅人を惹き付け、誘う場所。
しかし、ラカンドン民族が暮らすジャングル・ラカンドン密林があるのは、熱帯雨林の深い森の中。
そこへ行くためには、個人でセスナ機をチャーターするしか方法はありません。
ラカンドン密林。
そこは旅人が興味本位で訪れるには、少しばかり敷居が高い場所でした。
☆★☆★☆旅程 2015/12/25-2016/1/2☆★☆★☆
□12/25 成田-バンクーバー-メキシコ・シティ
□12/26 ビジャエルモサ、ラベンタ遺跡、パレンケ
■12/27 ヤシュチラン遺跡、ボナンパック遺跡
□12/28 パレンケ遺跡、ミソル・ハ、アグア・アスル
□12/29 オアハカ モンテアルバン遺跡
□12/30 ミトラ遺跡、エルトゥーレ、イエルベ・エル・アグア
□12/31 メキシコ・シティ、フリーダ・カーロ博物館、国立人類学博物館
□1/1 メキシコ・シティ-バンクーバー-
□1/2 -成田
☆★☆★☆続・母さんの一人旅 メキシコ編☆★☆★☆
・デカ頭に会いに・ラベンタ遺跡 http://4travel.jp/travelogue/11091613
・暗闇のラビリンス http://4travel.jp/travelogue/11124868
・宇宙人が作った古代都市 http://4travel.jp/travelogue/11202484
・お母さんは、にわか解説員 https://4travel.jp/travelogue/11294321
・ジャングルで水遊び♪ https://4travel.jp/travelogue/11296494
・オアハカの洗礼 https://4travel.jp/travelogue/11297815
・時を止めた岩Hierve el Agua http://4travel.jp/travelogue/11311212
・フリーダ・カーロの世界 https://4travel.jp/travelogue/11314204
☆★☆★2011年 母さんの一人旅・ボリビア編☆★☆★
現地で手配!ティワナク遺跡 http://4travel.jp/travelogue/10637661
ウユニで人さらい http://4travel.jp/travelogue/10637723
チリ国境までの湖巡りドライブ http://4travel.jp/travelogue/10638094
ラパス市内観光 http://4travel.jp/travelogue/10638521
太陽の島でトレッキング http://4travel.jp/travelogue/10639292
Espejo del Cielo http://4travel.jp/travelogue/10648118
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- エアカナダ
PR
-
2015年の年末のメキシコ旅は、母や妻という衣を脇に置き、私が本来の私らしく、自分のやりたいことができ、行きたい所へと行ける旅。
夫や娘には日本での年越しをお願いして、ひとり、旅に出た。
今回のメキシコ旅が一人旅となったのには、いくつかの理由があるのだが、その一つが、旅の目的が少しだけマイナーな場所で、更に道中の安全性に若干危うさが予測されたため。
ガイドブックには殆ど紹介の無い遺跡を訪れ、遺跡の中で好きなだけ石と対話し、ちょっとディープなメキシコを味わうのが目的の旅。
本当のことを言えば、遺跡が大好きな高校生の娘も一緒にメキシコに連れて行きたかった。
しかし今回の旅では、遺跡までの道のりにかつては強盗バスと呼ばれた夜行バスラインもあり、最悪の場合は身ぐるみはがれるという危険も予測できた。
もしそのような状況に遭遇した場合、私は娘の命を守りきれるかどうか…。
でも、自分一人ならばなんとか逃げ切れる可能性もあるだろう…。
そんな葛藤もあっての一人旅だった。 -
そんなメキシコ一人旅の滞在3日目の朝の起床は朝4時。
まだ日も昇らぬ時間帯に起きだし身支度を整え、持参したポットでお茶を入れ、体を覚醒させ、参考書でこの日訪れる遺跡について予習する。
何回も本を読んできているので大方は記憶しているが、メキシコの文化は年代が入り乱れているのでまだ整理しきれていない部分も多く、学生の勉強みたいに手を使い紙に時代順に年代・文化名・特徴・代表的な王名を書き連ねていく。
この日に行く予定の場所は、ラカンドン密林にある遺跡のヤシュチラン遺跡とボナンパック遺跡だ。
昔はセスナ機をチャーターするしか行く事の出来なかったラカンドン密林だったが、20年ほど前に隣国グアテマラとの間の道路整備計画が持ち上がり、現在ではセスナ機を用いなくとも遺跡にアクセスできるようになっている。
(写真:パレンケの宿 ポサダ・アギーラ・レアル(Posada Aguila Real) 2泊:1424ペソ(約83米ドル)。エアコン完備で快適な滞在)Posada Aguila Real ホテル
-
道はある…とはいうものの、ラカンドン密林へは個人では行くことは難しい。
バス等の公共交通機関が無い…と云うのも一つの理由だが、ラカンドン密林はメキシコの国内でありながらも、その土地の権利はラカンドン族にある…という特殊な場所というのが一番の理由だ。
ラカンドンの保護区に入ってからは、そこはラカンドン人たちが支配する世界。
ラカンドン保護区入口で入場料支払った以降は、基本は自分たちの車ではなく、ラカンドン人の車や船をチャーターしなくてはならない。
更にラカンドンの保護区では、旅行会話以上のそれなりの言語知識(スペイン語だけでなく現地で使われている昔ながらの言葉も)、様々な交渉力も必要となるので、今回は現地ツアーを利用することにした.
(写真:宿の洗面所のタイル絵。安宿だが、清潔で可愛らしい内装だ) -
ラカンドン密林の中にあるヤシュチラン(Yaxchilan)遺跡・ボナンパック(Bonampak)遺跡へ行く現地ツアーには、日本の旅行社や現地の日本語対応の旅行代理店が出しているツアーもあるのだが、総じて金額が非常に高い。
所要時間が12時間以上の1日ツアーとなるので、その費用が2万円近くなるツアー企画もあった。
格安旅を目指す私にはそんな高額ツアーへの参加は難しいし、たとえ参加したとして私が落ちつかないだろう。
こんな時こそ趣味で愉しんでいるスペイン語の出番。
スペイン語で現地ツアーを検索し、何社かとコンタクトをとり、レスポンスも良く(途中で問い合わせ言語を英語に切り替えたが、英語での対応も可能だった)、予約に関する様々な質問にも的確に回答をくれた旅行会社:Kichan Bajlum(キチャン バヒラム)社にツアーを依頼した。
(写真: Kichan Bajlum社のラカンドン密林ツアーの概略) -
ラカンドン密林への手配先としてKichan Bajlum(キチャン バヒラム)社を選んだ理由の一つには、パレンケの町の中に事務所がある小さな旅行会社である…という点がある。
初めての旅行会社を使う場合、最悪の事例としては、予約してあるにも関わらずその予約を無視される(忘れられる)可能性もありうる。
今回の旅の場合、ラカンドン密林にあるヤシュチラン遺跡・ボナンパック遺跡へ行けるのは、この日1日だけで他には予備日はない。
だから念のために、昨日(パレンケへ到着した日)の夕方に旅行会社の事務所へと顔を出し、翌日のピックアップ場所と時間の再確認を行い、私を間違いなくピックアップしに来てね♪と念を押しておいた。
結果から言えば、Kichan Bajlum社はパレンケの町の小さな旅行会社だったが、その対応はしっかりとしていて、ツアーの内容自体も五重丸に更に花丸をつけたくなる程だったので、これからラカンドン密林へのツアーを考える旅人にはお勧めできる旅行会社だった。
(写真:パレンケの中心通りのJuarez通りにあるKichan Bajlum社。歩き方のパレンケ中心部地図にも記載あり:ホームページアドレス↓。英語でのメール問い合わせ可能。
http://www.kichanbajlum.com/index.html)
ツアー内容(コース・料金・安全性・時間等)の詳細はクチコミ↓にて紹介…
http://4travel.jp/overseas/area/latin_america/mexico/bonampak_and_yaxchilan/tips/12206871/ -
そしてツアー当日の朝、5:45にピックアップ場所であるホテルの玄関前へと行くと、そこにはもう今日のガイドさんであるダリウスさんが待っていてくれた。
これは中南米にしてはビックリする様なことだ。
日本人は待ち合わせの時間には正確だ(ガイドが待ち合わせに遅れるようなことはまずない)とは思うが中南米には中南米時間があり、5分や10分の遅れは気にせず、予定時間を過ぎて30分もしたらさすがに置いて行かれたかもしれない!と焦り出す必要があるくらいだ。
だから、ガイドが待ち合わせ時間前に、それも15分も前に来ているなんて…とっても凄い事だった。
ガイドさんに案内され、早速、車に乗り込み出発する。
今回のラカンドン密林へのパーティは12人+ガイド+運転手。
参加者をピックアップし終えたのが6:30頃。
一路、進路を南東にとる。
(写真:朝焼けの田舎道。フロントガラスに貼られた護符JESUS(西語でキリストの意味)のデザインが魚のところが素敵♪) -
車の中をざっと見たところ、ツアーメンバーの中では私が一番オバサンの様だった。
しかし、アジア系人種は見た目年齢が同年齢の欧州系に比べ年下に見えることが多く、この時もツアーメンバーは私の年齢をかなり下方に見積もっていて、一番景色の良く見える特等席のガイドさん隣の助手席へと座らせてくれた。
ガイドさんとはその前にお互いに年齢をばらしていたので、彼はそんな様子を見て苦笑い。
その後の車内での自己紹介で高校生の娘がいると話したら、アジア系が若く見えることに驚きの声。
お姉さま方からは化粧品は何を使っているの?日本製?との質問攻めにあったが、私の「アレルギー体質で化粧は出来ない」という回答に、では、どうして??と不思議そうな顔。
近年の研究によると、欧米系はアジア系に比べると皮膚の上皮層が薄く、日焼けによる肌へのダメージを受けやすい…と云う研究結果があり、皮膚が厚い(顔の皮が厚い)アジア系は、皺が出来始めるのが欧米系に比べてゆっくり目の傾向にあるらしい。
今回のツアー参加者には女性が多く車の中は最初からみなさんハイテンション!であっという間に最初の目的地である朝食会場へ。Restaurant Yax-Lum 地元の料理
-
時刻は8時過ぎ。
朝食会場はオープンテラス…と言えば聞こえが良いが、田舎のドライブインみたいな処で、その名はYAX-LUM。
ラカンドン地区へ行くツアー客を相手にブッフェ形式の朝食を食べさせてくれる。
ツアーによっては朝食会場へは立ち寄るが費用は自己負担と云う場合もあるのだが、Kichan Bajlum社のツアーは全て込みの料金。
ツアー中にお財布が必要だったのは、昼食時の飲み物代だけだった。 -
食事はブッフェ形式なのでお替りは何回でも可能。
典型的なメキシカン料理も有れば欧米風のお料理もあり、料理はどれも美味しい。
飲み物もコーヒー・紅茶・フレッシュジュースと沢山ある。
この日のお昼は14時過ぎになるのでお腹いっぱい食べておくように!とのガイド氏からの指示で、私も3回のお替り。
でも、朝食時間は30分しかないので、ゆっくりとは食べては居られない。 -
25分で食事を切り上げ、お手洗いへ。
トイレはメキシコの田舎様式。
見かけはごく普通のお座り式トイレだが、日本式とは異なる部分が2つだけある。
ひとつは水。水洗式だが、そのお水は自分でバケツに汲んで行き便器の上から押し流す。
もうひとつは使用済みのペーパーの扱い。
メキシコや中南米の国では基本トイレットペーパーは便器の中には捨てずに、傍においてある屑籠へ捨てる。
ここら辺の国では下水設備の配管が細く、ペーパーを流してしまうと詰まってしまい大惨事を引き起こすことになる。 -
食後は1時間半のドライブで、ラカンドン地区へ。
いよいよラカンドン地区のジャングルへの入口だ。
ガイドさんがラカンドン地区への入場料を支払いに窓口へと向かう。
私はその様子を助手席からそっと隠し撮り。
実は、ラカンドンの人達、特に年配の方たちは写真に撮られることを極端に嫌う。
彼らの主要産業としてラカンドン地区への入場料やガイド料がメインとなっている昨今では以前ほど神経質にはなってはいないという事だが、ラカンドンの人達が写真に入りそうなアングルの時は(たとえ映ってはいないとしても)カメラの取り扱いには注意をした方がいいとのことだ。 -
船着き場の休憩施設で再度トイレ休憩。
この先の約3時間はトイレはないので此処のトイレは必須。(トイレはこの先もあることはあるが、お勧めできない状況だ)
そして船着き場へと徒歩で向かい、小さなボートへと乗り込む。 -
これからボートで向かうのはヤシュチラン(Yaxchilan)遺跡。
現在でも密林の中にあるヤシュチラン遺跡へは陸路では辿り着くことは難しく、フロンテラ・コロサル村から川を遡る船のみが唯一のアクセス手段だ。 -
私達の船を操舵する船頭さん。
初めは密林で生活するラカンドン人の方かと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
多分、国家公務員の方なのだろう。
シャツの腕の部分にはメキシコの国旗が刺繍されていた。 -
私達が遡っているこの川:ウスマシンタ(Usumacinta)川はメキシコとグアテマラとの国境となる川で、先ほど船に乗った場所がフロンテラ・コロサル(Frontara Corozal)という小さな村で、メキシコ-グアテマラの検問所(国境管理事務所)がある場所だ。
フロンテラ・コロサル村から船に乗る旅人には2パターンあり、一つは私達の様にヤシュチラン遺跡へと向かう観光客。
もう一つはグアテマラへと国境を超える人達だ。
中南米の国々で今一番ホットで利益率の高い取引物件と言えば、麻薬。
ウスマシンタ川はメキシコとグアテマラの両政府によって厳しく監視されてはいるが、その取引は闇の中で行われているのが事実。
だから、ボートの船頭さんは一般人ではなく政府のお役人さんだ。 -
フロンテラ・コロサル村でボートに乗ったのは11時頃。
この時間帯は多くの観光客がヤシュチラン遺跡へと向かう時間帯。
国境の川は多くのボートで大混雑だった。 -
船に乗って30分もすると、左側の岸辺に遺跡の石組みが見えてきた。
遺跡の石のすぐ真下は川で、その川辺はかなり浸食され、土が流れないようにネットで補強されてはいるが、かなり危うい状況だ。
メキシコ政府にもっと遺跡の保護をお願いしたいところだが、麻薬との戦いが最優先事項らしく、遺跡まで十分に手が回っていないのが実情のようだ。 -
ヤシュチラン遺跡の船着き場へと到着し船を降り、暫く歩くと遺跡の案内地図がある。
実は日本語のガイドブックでヤシュチラン遺跡に関する記述があるのは歩き方位なのだが、歩き方でもその記述は1/3ページほどで遺跡の案内地図はない。(その記述もここ何年も同じものを使いまわしている…)
だから旅の前の事前学習として遺跡の案内地図を見ることをできるのは、ヤシュチラン遺跡へと行ったことのある方のブログに載せてある現地の地図写真なのだが、その現地地図がこの写真。
かすれている部分も多く、遺跡の見どころが何処にあるのかもさっぱり分からない。
ガイド氏も現地のこの地図はさっと案内しただけで、実際の案内は自分が持参した地図で行っていた。
ガイドさんが持っていた地図は遺跡の位置関係も非常に分かりやすいもので、今まで旅行記やブログで紹介されなかったのかが不思議なくらいだ。 -
帰国後に、記憶を頼りにガイドさんが持っていた地図をネットで探してみて、やっと見つけた。(年末旅の旅行記のアップがこんなに遅くなってしまったのは、この地図をずっと探していたから…)
このヤシュチラン遺跡の詳細地図はMEC(Maya Exploration Center)の制作で、そこに私が更に見所について日本語で注釈を入れてみた。
元地図のリンク先↓
http://www.mayaexploration.org/images/maps/yaxchilan.pdf
これからヤシュチラン遺跡へ行く方は、是非MECの地図を行く前に見て欲しい。
遺跡全体の様子や見所も良くわかる…と思う。 -
イチオシ
ヤシュチラン遺跡に向けて歩き出す。
足場は決してフラットではなく、ゴロゴロとした石があり歩きにくい。
そして、12月だというのに凄い湿度。
さすがに密林の中なので太陽の熱の暑さはあまり感じないが、木々が空中に放出する水分が揮発し、水の粒が森の中で細かく宙に浮いているみたいな感じだ。
これで乾季の空気状態だというのだから、北半球の夏:7月や8月の雨季のラカンドンの密林には、もっと過酷な条件が待っているのだろう。
冬に来てよかった…と心から思った。
そして先ほどの地図から5分ほど歩くと、目の前に何か石組みらしきものが見えてきた。ヤシュチラン遺跡 史跡・遺跡
-
目の前にそびえる苔蒸す古い石組み。
この石組は階段ピラミッドの様な形をしていて、先ほどの地図では【緑のピラミッド】に当たる。
この緑のピラミッドと云う表現だが、実はヤシュチラン遺跡のヤシュチランとはマヤの古い言葉で翠(みどり)の石という意味があるそうだ。 -
まずは緑のピラミッド前で、ヤシュチラン遺跡についての簡単な勉強会。
ガイド氏は、最初はスペイン語で続けて英語の順で説明をしてくれていたのだが、この説明方法だと、遺跡の説明に倍の時間がかかり遺跡本体をゆっくり見る時間が少なくなってしまう。
そこで、説明についてやり方を変えてもらい、基本はスペイン語で説明してもらい私が理解できなかった部分についてのみ、皆さんが遺跡を見ている間にガイドさんに詳しく教えてもらうことに…。
この様にすることで、みんながじっくりと遺跡を見る時間がとれて良かった。
今回は私以外が皆メキシコ人だったからこんな方法をとってもらうことができたが、バイリンガルガイドの場合、説明時間にとられる時間のロスはかなりもったいないと思う。 -
そしてこの苔生す緑のピラミッドはその内部へと入ることもできる。
ピラミッドの中には細い通路があり、迷宮(ラビリンス)と呼ばれる建物へとその通路は続いている。
ガイド氏はイタズラっ子の様な表情で「これから迷宮の中へと入ります。迷宮の中は真の暗闇でどこに落とし穴やトラップがあるかは分かってはいません。みなさん、僕から離れないように…」と私達に宣告。
ラビリンスがあるのは知っていたが、落とし穴があるなんて知らなかった! -
ラビリンスに入った所で後ろを振り返ると、その入り口の形が綺麗なマヤ・アーチのシルエットをしていた。
マヤ・アーチとはマヤ文明独特な石の組み方で、▲形のアーチだ。
アーチとは、もともとが重量を分散するための建築手法で、石組みでアーチを組む場合はローマの水道橋の様な半円型のアーチを描くのが理想的な重量分配構造になる。
しかし、マヤ文明では敢てこのローマ式の半円型を採用していない。(マヤ人は半円形が強度は強いことは知っていたらしい)
強度のある半円アーチを用いず▲アーチとしたその理由として考えられるのは、マヤ人がトウモロコシを崇拝していたから。
私もなんでトウモロコシ…なのだろうかと思ったのだが、ガイドさんの説明を聞いて納得。トウモロコシは多産のシンボルだから…だ。
コーンのツブツブの一粒一粒が子孫のシンボルだとマヤ人は考えていた。
そのトウモロコシの形をデザイン化したのが▲の形。
マヤ文明では三角形の形は、アーチだけではなく、窓の形にも三角形が使われていることも多い。 -
ラビリンスの中は暗闇で、ガイドさんの持つ灯りが無ければ前を歩く人の影すら見分けがつかなくなる。
要所要所でガイド氏がライトを上に掲げ見どころを教えてくれるのだが、それ以外は真っ暗だ。
美しいマヤ・アーチが見られる部分で、ガイド氏が天井を照らしだす。
この部分は大きな石で作られた三角形で、マヤ人が暗闇の迷宮の中にさえこのような美意識のある通路を建築していたとは驚きだ。
両脇に石が迫る細い通路を、右手を石に当てながら道に迷わない様に進む。
そして、歩いていると耳元でたまにカサカサ…という乾いた音。
何かの昆虫が壁に巣食っているのは間違いない音だ。 -
これは、虫が苦手な私にはかなりの恐怖心を与えてくれるシチュエーション。
しかし、ヤシュチラン遺跡の本体に辿り着く為にはこの迷宮を抜けるしか方法は無かった。
(実はラビリンスを巻く迂回路もあり、帰路はその迂回路を使った)
おせっかいなことにスマホのライト機能を使ってその昆虫の姿を闇の中に浮かび上がらせる旅の仲間たち。
見たくは無かったが、嫌いなものほど凝視してしまう。
褐色の体に長い脚、日本でカマドウマと呼ばれる昆虫にそっくりな外見だった。
更に、タランチュラみたいな蜘蛛らしきものまで…。
私には落とし穴の恐怖よりも、得体のしれない昆虫が降ってくる恐怖の方がずっと怖かった。
そして長かった迷宮の通路にも出口の光が・・・。 -
ラビリンスを抜け出して、ほっと一息。
ガイド氏は、トラップの落とし穴に落ちた仲間がいないかどうか人数確認をする。
思わず、ほんとに落とし穴があるのか…と聞いたら、Secreto(秘密)という答えが返ってきたので、多分、からかわれたのだと思う。
このラビリンスと呼ばれる建物はマヤ時代にはともとは神殿として使われていた場所だそうだ。
こちら側からラビリンスを見上げる二層構造で、更に昔はその上にもう一層の石組みがあったであろうことを想像できる作りで、二層目の石組みにはコーン型(トウモロコシ型)の窪みがあるのが分かった。
この石組の神殿が現役だった頃(4世紀〜9世紀頃)には、この窪みに様々なお供え物があったのかもしれない。 -
ラビリンスを出て前方を見れば、想像していなかったような景色が広がっていた。
ラビリンスの前は巨大な広場で、この部分が通称【中央のアクロポリス】と呼ばれるエリアだ。
ヤシュチラン遺跡は広く、中央以外に南や北のアクロポリスがある。
しかし、ツアーでの滞在時間は2時間しかなく、見学することが出来るのは【中央のアクロポリス】と呼ばれるこのエリアだけだ。
それでも十分とは言えない時間で、じっくりとヤシュチラン遺跡を堪能したい場合は、個人でツアーをチャーターするしか方法はなさそうだ。 -
イチオシ
昔はセスナでしか来ることの出来なかったヤシュチラン遺跡だが、今はもうメキシコの秘境域(安全に行くことができる秘境域)の中ではかなりメジャーな場所で、各国からのツアー客が大勢来ている。
迷宮(神殿)の前のエリアにもツアーの方々がワンサカ。
日本での知名度が無いのが不思議なくらい、大人気の場所だ。 -
迷宮の脇にあるのが、当初は寺院として建築され、後の世にサウナとして利用されるようになったという建物だ。
サウナとして使われたという事は今残る石組みの形から分かるそうだが、どうしてその前が寺院として使っていたのか分かるのかというと、この建物の入口の戸口が一つしかなく、そして建物内部へと続く道が1本しかない…と云う構造から。
この構造は8世紀頃のマヤ建築寺院には特有の形なのだそうだ。 -
寺院(後のサウナ)のお隣にあるのが、ヤシュチラン遺跡の名を一躍有名にしたリンテル(Dintel(西語)、Lintel(英語))だ。
リンテルとは日本語では【まぐさ石】とも訳される石の事で、主に、柱の上に渡された細長いブロックの事を指す。(でも、普通に地面に建てられておる石碑もリンテルと呼んでいたので、現地の感覚ではリンテル=まぐさ石という訳ではなさそうだ)
このリンテルだが、マヤ文明、特にヤシュチランにおいてリンテルはただの細長い建築用のブロックではなかった。
ヤシュチランの王は、都にある建物のリンテルに自分の所業がいかに偉大であるかを示すうな装飾画を彫り込ませ、都を訪れる者が王の素晴らしい偉業の数々を嫌でも目にするように、リンテルを建物の装飾の場として利用した。
特にヤシュチラン遺跡のリンテルはその完成度も高く、マヤ彫刻の最高傑作であるとも云われている。
そのリンテルが此処ヤシュチラン遺跡にある。
この写真で説明すると、建物入口の石組みの柱の上に横に長い石が渡されているのが分かる。
それがリンテルだ。
左右のリンテルには王の偉業が絵物語となり彫り込まれている。 -
遺跡前には解説版が置かれていて、リンテルにどの様な絵が彫られているのかを確認しながら実物を見ることができる。
写真は、1枚前の写真で右にあるリンテル:リンテル38の解説版だ。
ヤシュチランの王が横向きに座り、その手には蛇の飾りのついた剣を持っている。
儀式の光景を表しているそうだ。 -
そしてこちらの写真は、目の前にあった本物のリンテルなのだが、風雨に晒され摩耗している部分もあり、解説図のようにクッキリとは分からない。
-
イチオシ
実は、現在ヤシュチラン遺跡の屋外に残っているリンテルには、昔からこの地にある本物のリンテルはあまり多くは無い。
1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見した後、中南米の国々には多くの宣教師がやってきて、もともと中南米にあった固有の文化・宗教を否定し、人々をキリスト教徒へと改宗させ、植民地を作り上げた。
そしてその後、欧州からは探検家と称する盗賊たちがやってきたのだ。
盗賊たちは、メキシコの地で行ったこと。
それは、古代エジプト文明の遺跡で起きたのと同じこと。
盗賊たちは力づくで、美しく装飾された遺跡の強奪(つまり泥棒)を行った。
ヤシュチラン遺跡は密林の中に隠れていたことも幸いし、遺跡自体の発見が比較的遅かったため、盗賊により滅茶苦茶に壊されるという事は無かったのだが、それでも装飾が美しいリンテルの多くがメキシコから海外へと持ち出された。
ヤシュチラン遺跡の中でも一番の秀作と云われるリンテル24(王と王妃が神に捧げる流血の儀式を行っている石碑)も現在はメキシコにはなく、その所蔵先はイギリスの大英博物館。
大英博物館にはコレ以外にもヤシュチラン遺跡のリンテルが何枚も所蔵されている。
でも、メキシコ政府だって負けてはいない。
欧州の盗掘団には多少遅れをとりはしたが、残された(多少壊れていたり、欠けがあったりもするが…)屋外のリンテルは、メキシコシティにある国立人類学博物館に移動して保管することにした。
写真は国立人類学博物館に展示してあるリンテル43で、盾ジャガー二世王と王妃ショクの儀式の様子と言われている。 -
この写真のリンテルも国立人類博物館に展示してあったもので、鳥ジャガー四世王が両親の偉大さを示すために作らせたものだという。
このリンテルで注目すべきは左側に彫られた母親が着用している服。
現代でもマヤの女性の装いとして目にすることもあるウィピルという民族衣装を着ているのが分かる。
実際にヤシュチラン遺跡に本物のリンテルが少なく、本物があった場所にはレプリカが置いてあるのは少し悲しいが、盗掘や風化の可能性を考えたならば、整った環境での保存が可能な国立人類学博物館に本物のリンテルを移した処置は間違ってはいないだろう。メキシコ国立人類学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
リンテル53と呼ばれるこの石版も有名で、盾ジャガー二世王と王妃ショクの儀式を表している。
現在ヤシュチラン遺跡に残るリンテルの石板は殆どが、盾ジャガー王やら鳥ジャガー王等、盾と鳥ジャガー王に関するものがその殆どだ。
実はこれにも、理由がある。
ヤシュチラン遺跡が最盛期であったのは西暦681年〜768年。
その時の王が盾ジャガー二世王と、その息子の鳥ジャガー四世王(以下、盾王とオウム王に略)なのだが、オウム王は盾王の正妻の子どもではなかった。
だからオウム王は王位に対し激しい執着心があり、父王である盾王亡き後にかなり卑怯な手を用いてヤシュチランの王位をその手に収めた。
そしてコンプレックスの塊であったオウム王は、自分が偉大なる盾王の後継であることを誇示するため、自分の権力の強さを示すために、父親の盾王や自分の姿を彫り込んだリンテルを大量生産した。 -
オウム王が、自分や父王の偉業を彫り込むために利用したリンテルは実は再利用品。
父王(盾王)より前の時代の王が作ったリンテルの表面を削り馴らし、その石に新たに自分と父王の物語を彫り込んだのだ。
しかし、そのリンテル制作は突貫作業だったので、そのやり方には手抜きが多すぎた。
リンテルは石と石を組み合わせて組んであったり、地面にさしてあったりするので地上に見えている分のみがその彫刻の全図ではない。
でも、作業を急ぐオウム王は、建物のリンテルを外すことなく表から見える所だけを平らに削り、新たに自分や父王の姿を彫り込む様に命令したらしい。
だから、現代の発掘調査で、その中途半端な彫り残しのあるリンテルが大量に出てきて、考古学者さん達を呆れさせているそうだ。
因みに、父王である盾ジャガー二世王の治世は約60年、王位をもぎ取った息子の鳥ジャガー四世王(オウム王)の治世はたった14年だけだったそうなので、鳥ジャガー四世王(オウム王)は政治に関してもうわべだけ取り繕うような部分も多かったのかもしれない。
(写真:リンテル18:捕虜の髪を掴む盾ジャガー二世王/国立人類学博物館) -
ヤシュチラン遺跡には、他のマヤ遺跡同等に球戯場と呼ばれる施設も有り、その様子を見ることができる。
球戯はマヤの貴族の遊びでもあり、また、吉兆を占う為の儀式でもあったスポーツで、マヤ時代の大きな娯楽の一つだった。
球戯のルールは簡単で、体に防具をつけた貴族の子弟たちが硬いゴム製のボールを巧みに操り、ボールをゴールへと導けばゲームセット。
勝ったチームには多く褒美が与えられウホウホ状態。
でも、負けたチームはというと…勝利したチームの家の奴隷になるという運命が待っていた。
更に、勝ったチームの大将には、マヤ世界での最高の栄誉:生贄となり、生きたまま胸を切り裂かれ、その心臓を神に捧げられる…という栄誉が与えられた。
(生贄に関しては負けた方の大将と主張する学者さんも多い)
そんなマヤ文明の球戯だが、ヤシュチラン遺跡の球戯場の設備は同じ一連のマヤ文明であるチチェン・イツァー遺跡やパレンケ遺跡に比べるとこじんまりとしていて、小さめだ。 -
また、マヤ文明全般において球戯のゴールポストは、この写真の様な壁に組み込まれた輪の形が有名なのだが、ヤシュチラン遺跡のゴールポストは少し形が異なっている。
(写真:チチェン・イッツァ遺跡の球戯場のゴール/2012年撮影)古代都市チチェン イッツァ 史跡・遺跡
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この写真の石が、ヤシュチラン遺跡で見つかった球戯のゴールポストで、5個の大きな丸い石が地面に埋められていた。
ヤシュチラン文明での球技のゴールのルールは、地面の5つの石にボールを早く当てた方が勝ち。
ヤシュチラン遺跡で文明が栄えていたのは9世紀の終わり頃迄で、輪の形のゴールポストが有名なチチェン・イツァー文明(新チチェン文明)が始まったのが11世紀頃。
つまり、ヤシュチラン遺跡に残されている球戯場跡の石組みは、球戯という遊びが考え出されてごく初期のものと考えることができる。
ヤシュチラン遺跡以外からはこのような地面に埋め込んだゴールポストは見つかってはいないとのことだったので、もしかしたらマヤ時代の人気スポーツだった球戯は、ヤシュチランがその始まりだったのかもしれない。 -
球戯場のあるエリアにはセイバの木が天高くそびえ、心地よい日陰を作ってくれる。
セイバの木はマヤの世界観では生命の樹とも呼ばれる神聖な樹。
その気持ちは今のメキシコ人たちも変わらないらしく、セイバの木は写真スポットとして大人気だった。 -
遺跡の中には観光客も予想以上に多くいたが、野生動物たちも多かった。
頭の上で、Bow〜Bow〜と鳴いているのはホエザルたち。
コスタリカのコルコバートの森にいた彼らと又、この森で再会できた。
鳥たちが歌を奏で、小さな昆虫や爬虫類たちが足元を動き回る。
ヤシュチラン遺跡は密林の中の遺跡、そのものだった。
(写真:木の上で吠えるホエザル) -
ヤシュチラン遺跡では、昔の建物が40カ所以上発掘されているのだが、私達がこの日にじっくりと見ることが出来たのは一握りの代表的な建物だけだ。
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ガイドさんの後について遺跡内を移動するのだが、彼方此方に入ってみたい!中をみたい!と思う石造りの建物があり、その脇を素通りしてしまうのがとても悔しい。
お金と時間さえあれば、個人でガイドとドライバーを雇って遺跡めぐりが出来るのに…とは思うが、しがないサラリーマンには会社が決めた休み、そして限られた資金しかない。 -
ヤシュチラン遺跡での最後の見所、生贄の祭壇と盾ジャガー三世の神殿へと向かう。
気温が30℃を超え、木々が放出する水分で大気中に水の水滴が見えてきそうな湿度の中、長い階段を上る。
どんな時も陽気なメキシコ人たちだったが、さすがにこの階段は大変だったらしく、登っている間は賑やか声が止んでいた。 -
石階段を登って左手に見えてくるのは、生贄の祭壇だ。
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イチオシ
此処は神官が神事を行う場、つまり、神への生贄をささげる場であったところで、その石組もかなり細かく積んである。
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神殿の中は小部屋に分かれていて、その中央には丸い石の台。
この台が、生贄の心臓を取り出し、捧げる場所だった。 -
ヤシチュランにあったシンプルな丸石の生贄台は、時代が進むと装飾が加わり、後期マヤ文明(写真上)やアステカ文明(写真下)では、チャックモールと呼ばれる芸術性の高い石台へと変化をした。
石台をヒト型に加工することで、生贄の安定感がよくなったのだろうか。
(写真:国立人類学博物館とテンプロ・マヨールにいるチャックモール/2012年撮影)テンプロ・マヨール 建造物
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更に階段を上へと登ると、大きな神殿がドーンと現れる。
この石造りの建物が、ヤシュチラン遺跡でも一番大きい盾ジャガー三世の神殿だ。
盾ジャガー三世は、この旅行記で初めて出てくる王の名前。
盾ジャガー三世は先ほど紹介した力ずくで王位を兄たちから奪い取った鳥ジャガー四世(オウム王)の息子で、父であるオウム王のために神殿を作った。
その昔は神殿の上部真ん中にカッコよく着飾ったオウム王の彫像があったらしいのだが、現在は風化し、何か縦長の彫像があったらしい…位しか分からない。 -
神殿の中へ入るとそこに鎮座するのは、オウム王の坐像。
でも、その像に首はついていない。 -
オウム王の頭部は、躰とは離れたところに転がっていた。
ラカンドン族には、古から伝えられる伝説【オウム王の頭が体に戻る時、世界の滅びが始まる】がある。
伝説はあくまでも伝説なのだが、ラカンドン族の人達は今なおその伝説を信じている。
だから、神殿の中に転がるオウム王の頭が体に戻ることは永久にないだろう。 -
神殿の階段部分にはリンテルがあり、小人を従者として連れたオウム王が球戯のボールで遊ぶ姿が彫り込まれている。
しかし、この球戯の様子、デフォルメしてあるにしたって、階段を落ちてくるボールのサイズがヒトのサイズに対して大きすぎるとは思わないだろうか。 -
球戯の様子は神殿の他のリンテルにも残されていて、こちらのリンテルではボールの模様もなんとなく分かる感じだ。
ボールをよく見ると、上部に右側に跳ね上がる二つのウサギの耳の様なものが彫られていることが分かる。
実は、このウサギの耳状のものはヒトの二本の足で、このボールの中には生きた人間:捕虜となった敵の王様が詰められていた様子を彫り込んでいる。
戦争に負けた国の王は、神への捧げものとなることが多いのが当時の習わしだった。
掴まった敵王は神事である球戯のボールにされ、大きなピラミッドの上からそのボールを投げ落とし、吉兆を占ったそうだ。 -
イチオシ
盾ジャガー三世神殿の前には古びた木の棒が地面に突き刺さっている。
パッと見は朽ちた木の棒のように見えるが、実はこれも遺跡の一部なのだ。
冬至の日、東の空から昇る太陽は、ほんの一瞬だけこの木の側面一面を照らし出す。
今はまだその詳細までは解明されてはいないが、ヤシュチランの人たちにとって冬至の日はとても重要な日であったらしい。 -
20世紀初頭にマヤ遺跡の研究が始まった当初は、【マヤ文明は神秘の文化であり、戦争を知らぬ無垢な学者肌の人々が幸せに暮らしていた桃源郷のような文明だった…】とする説がしばらくは通説として信じられていた。
しかし、遺跡の石板やマヤ文字の研究が進むにつれ、彼らが決して大人しい性格だった訳ではなく、どちらかというと好戦的で短気で、更に生贄大好き♪という厄介な文明であったらしい…という事実が判明した。
このラカンドン密林にあるヤシュチラン遺跡。
この遺跡は、そんなマヤ文明の謎の解明に一役買っている遺跡でもる。
さあ、時刻はもう14時。
ボートへと戻る時間だ。
背後に見える緑の遺跡に後ろ髪を引かれるのだが、遺跡とはお別れの時間が来てしまった。 -
船着き場に到着すると、私達を乗せてきた船の船頭さんが船を岸辺に寄せてくれた。
ここからフロンテラ・コロサルの村迄30分の船旅だ。
時間にして約2時間、蒸し暑い遺跡の中を歩き回ったので、皆さん、とっても疲れた顔。
帰りの船の中はお昼寝タイムだった。 -
そして14時半。
待ちに待ったお昼ご飯の時間。
ツアーには昼食代金も含まれていて、飲み物(レモネード)だけが実費25ペソ:約200円だった。
ランチのスタートは野菜スープから。
シンプルな味の野菜スープなので味付けは個人のお好みで。
何種類かのサルサ(辛味スパイス)が置いてあるので、辛めが好きな私はスパイスをどっさりとスープに入れた。
仲良くなったメキシコ人のお姉さんたちは、それを見て大笑い。
あなたはもうメキシコ人ね♪と言ってくれた。 -
イチオシ
お姉さんたちのお勧めで、メインはケサディージャ(Quesadilla)と言われるチーズをくるんだトルティージャを選ぶ。
ケサディージャはメキシコでは非常にポピュラーなお料理で、女性には肉を包んだトルティージャよりもケサディージャの方がヘルシーで人気があるとのこと。
お味の方は…というと、薄味で美味しいのだが、私は更にサルサでスパイシーにした方が好みだった。
この後、カボチャのアイスクリームでしめてランチタイムは終了。 -
そして、この日のもう一つの目的地であるボナンパック遺跡へと向かう。
ボナンパック遺跡は、今から1200年前に描かれたマヤの壁画が色鮮やかに残る遺跡。
ボナンパックの壁画は日本でいえばキトラ古墳の壁画にも相当するくらい古い壁画なのだが、その壁画を遺跡の中で触れる位の距離で、生で見ることが出来るのだ。
ヤシュチラン遺跡も面白あったが、次のボナンパック遺跡への期待も大きい。
ボナンパック遺跡のその様子は、また、次の旅行記で…。
前の旅行記
・デカ頭に会いに・ラベンタ遺跡 http://4travel.jp/travelogue/11091613
旅行記の続編
・・宇宙人が作った古代都市 http://4travel.jp/travelogue/11202484ボナンパック遺跡 史跡・遺跡
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この旅行記へのコメント (2)
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- mxegamiさん 2016/04/27 09:27:13
- YAXCHITLAN遺跡
- 川のメキシコ側が宮殿地区で、向こう岸のグアテマラが一般住民地区。この川の両岸を吊り橋、両岸にかなり大きな吊り橋を支える塔の土台が発見されており、それもかなり大規模な吊り橋があったと確認されています。
ラカンドン族の男の人、あの白いすっぽり被るワンピース型の服で、背が低く、かなり痩せて髪の毛は肩よりはるか下までの長髪。
この数年間、旅に出る環境でなかったので、もしもに備えて遠出は控えていましたが、再び独り者になったので、8月頃よりチアパス・ジャングル地帯に1ヵ月くらいかけて行くつもりです。
- ウェンディさん からの返信 2016/04/27 21:25:19
- RE: YAXCHITLAN遺跡
- mexegamiさん こんにちは。
ヤシュチラン遺跡について詳しい解説をありがとうございます。
現在のグアテマラの緑地帯も当時はヤシュチラン文明の支配下にあったのですね。
もしかしてグアテマラ側へと入ると、住民たち居住区跡のようなものが残っているのでしょうか。
今回のメキシコ旅の前には色々な本を読みましたが、ヤシュチラン・ボナンパック遺跡に関する(日本語の)本は県内の図書館の全館検索をかけてもあまり多くは無く、結局現地のガイドさんに詳しく教えてもらいましたが、一般住民の居住区部分が川向うにあったという事は、初めて知りました。
今回はパレンケからの日帰りツアーでしたので、遺跡には2時間程度しか滞在できなかったので、若干消化不良気味。
もっとゆっくり、半日くらいをかけてじっくりとリンテルを見たかった…と云うのが本音です。
私にとってメキシコは、興味あるところが沢山で、mexegamiさんのお宅がある地域も訪れてみたい場所で、遺跡めぐりも面白いし、コロニアル地区も歩いていて楽しい!宝箱の様な国です。
夏にチアパス地域に行かれるとのこと。
言語学の現地調査、それともゆったりリラックスでしょうか。
どちらにしろ、夏はかなり蒸し暑そうですのでお体には注意をなさってくださいね。
また、メキシコのお話を教えてください。
待ってます♪
ウェンディ
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