2015/12/15 - 2016/01/02
25位(同エリア984件中)
ウェンディさん
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- Q&A回答130件
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中南米の遺跡にしか興味を持っていなかった私。
そんな私が、メキシコという国の歴史や政治的背景に大きな興味を持つようになったのは、1人の女性画家の一生を描いた映画【Frida】を見てからのことです。
映画の主人公となった女性の名前は、Frida Kahlo(フリーダ・カーロ)。
ハンガリー系ユダヤ人の父とメキシコ人の母の間に生まれたフリーダは、幼いころから利発な少女であり、医師を目指して勉強していました。
毎日の学校での生活は彼女にとって将来への足がかり。
その頃のメキシコでの女性はまだ社会的な地位が低く、フリーダが入学した頃は2000人の学生の内、女学生は30人しか居ませんでしたが、そんな中でフリーダはメキメキと頭角を現し、将来の女性医師への道が約束されていたそうです。
しかし彼女の夢はある日、潰えました。
学校帰りにいつもの電車に乗った18歳のフリーダ。
その彼女を襲ったのは、通学電車の衝突事故。
電車は横転し、亡くなった方もいました。
衝突の衝撃で車内に投げ出されたフリーダは一命を取り留めましたが、事故で意識を失ってしまったのが幸いともいえる状況が彼女を襲いました。
電車はまるで巨人が握り潰した紙箱の様にクシャリとひしゃげ、折れた金属製の手摺が槍となりフリーダの子宮を貫通し、脊髄、骨盤の損傷、足の骨折などの瀕死の重傷を負いました。
鉄棒が背骨と床面を貫き、電車の床に虫ピンで留められた蝶の標本の如く横たわるフリーダを救出した誰もが彼女の命は長くはないと思いましたが、フリーダの野生を思わせる生命力はそこで途切れることはなく彼女を生かし続けました。
学校は退学せざるを得なく、また、医師になる夢も諦めざるを得ませんでしたが、リハビリのために手にした絵筆がフリーダのその後の人生を大きく変えました。
メキシコの巨匠画家であるディエゴ・リベラとの結婚と離婚、そして再婚。
メキシコの女性画家としての初めてのパリでの展覧会。
性を超えた愛の交歓。
当時のメキシコ女性としてはフリーダの生き方は一般的とは言えなく、世間からはいつも一線を引かれていたフリーダ。
フリーダの人生は波乱に富んでいましたが、彼女の心の原点は母の生まれ故郷であるオアハカ地方の大地。
フリーダはオアハカ地方の郷土衣装を着用し、現地の女性の様に眉がつながった伝統的な化粧方法を好みました。
しかし、そんなフリーダの一生は緩慢な衰弱。
事故の後遺症は彼女を蝕み、折れた背骨の代わりに背中に埋め込まれた鉄の棒は一生に渡り骨髄炎の痛みを彼女に与え続け、47歳を迎えた月に肺血栓症のため自宅で亡くなりました。
事故によって壊されたフリーダの夢。
激動の時代であったメキシコを生きたフリーダ。
そんな彼女の一生を描き出した映画は私の心を鷲掴みにし、いつかメキシコに行くことがあれば青い家と呼ばれるフリーダ・カーロ博物館へと行ってみたいと思うようになりました。
そして2015年の年末年始でのメキシコ一人旅で、フリーダの息遣いを肌で感じ、その不思議な世界感に浸ってきました。
☆★☆★☆旅程 2015/12/25-2016/1/2☆★☆★☆
□12/25 成田-バンクーバー-メキシコ・シティ
□12/26 ビジャエルモサ、ラベンタ遺跡、パレンケ
□12/27 ヤシュチラン遺跡、ボナンパック遺跡
□12/28 パレンケ遺跡、ミソル・ハ、アグア・アスル
□12/29 オアハカ モンテアルバン遺跡
■12/30 ミトラ遺跡、エルトゥーレ、イエルベ・エル・アグア
■12/31 メキシコ・シティ、フリーダ・カーロ博物館、国立人類学博物館
■1/1 メキシコ・シティ-バンクーバー-
■1/2 -成田
☆★☆★☆続・母さんの一人旅 メキシコ編☆★☆★☆
・デカ頭に会いに・ラベンタ遺跡 http://4travel.jp/travelogue/11091613
・暗闇のラビリンス http://4travel.jp/travelogue/11124868
・宇宙人が作った古代都市 http://4travel.jp/travelogue/11202484
・お母さんは、にわか解説員 https://4travel.jp/travelogue/11294321
・ジャングルで水遊び♪ https://4travel.jp/travelogue/11296494
・オアハカの洗礼 https://4travel.jp/travelogue/11297815
・時を止めた岩Hierve el Agua http://4travel.jp/travelogue/11311212
・フリーダ・カーロの世界 https://4travel.jp/travelogue/11314204
☆★☆★2011年 母さんの一人旅・ボリビア編☆★☆★
現地で手配!ティワナク遺跡 http://4travel.jp/travelogue/10637661
ウユニで人さらい http://4travel.jp/travelogue/10637723
チリ国境までの湖巡りドライブ http://4travel.jp/travelogue/10638094
ラパス市内観光 http://4travel.jp/travelogue/10638521
太陽の島でトレッキング http://4travel.jp/travelogue/10639292
Espejo del Cielo http://4travel.jp/travelogue/10648118
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エアカナダ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
メキシコ一人旅も残すところあと1日。
オアハカでの滞在は1泊2日しかなかったが、その密度は2泊3日をギュッと濃縮したような感じ。
パレンケからの夜行バス(通称:強盗ライン)でオアハカに到着した昨日は、宿に荷物を預けモンテアルバン遺跡へと向かい、夕方からはオアハカの町散策。
そしてこの日はオアハカ発の1日バスツアーに参加して、時を止めた石の滝であるイエルベ エルアグア(Hierve el Agua)へと足を向け、オアハカに帰着後はツアー中に仲良くなったカナダ人の女性と町を歩いて屋台のタコスを夕食にした。 -
普通ならば、1日たっぷり遊んで疲れたのでこの後は宿に戻りぐっすりと寝た・・・となるところだろうが、私の場合はもう少し強行軍で夜の11時過ぎに私が居たのは、オアハカの町はずれにあるバスターミナル(宿であるFlorida Oaxacaからのタクシーは50ペソ(約400円))。
バスターミナルは深夜帯に入ろうかという時間だったが、バス待ちの乗客で大混雑していた。 -
此処オアハカからメキシコシティまでは、夜行バスでの移動となる。
メキシコの夜行バスには2日前の夜にも乗車していて、その時の路線はかつて強盗バスと呼ばれたメキシコの中でもかなり危険度の高いバスだったのだが、今晩の夜行バスは比較的安全な路線だ。 -
また、この夜のバスは旅の終盤の夜行バスだったので疲れが出ているだろうことも予想出来ていたため、一等よりもひとつ上のクラスの特等(Primera Clase)を予約しておいた。
メキシコの長距離バスは運行会社にもよるのだがバスのランク分けがあり、2等、1等、特等と分かれていることが多い。
2日前に乗った夜行バスは二等しかない路線の為、ローカルな人達がその乗客の殆どを占めていたが、今回のオアハカ-メキシコシティ路線は2等から特等まで時間帯によって分かれていたので、敢て少し割高の特等でチケットを購入した。 -
特等バスは運賃が2等の2倍、1等の1.3倍程度なのでローカルな人達の利用は少なく、バスの車内は空いていることが多く、隣に他の人が座ることは少ない・・・と聞いていた。
夜行バスでの夜間移動は、座席で安心してゆっくりと眠れるかどうかが大きなポイント。
だから多少高くても安心感と快適性を買ってみたのだが…、噂通り車内はガラガラで乗客の殆どは欧米からの旅行者かメキシコ人の出張者といった方々。
熟睡とは行かないが、安心感と共に眠ることが出来た。
オアハカ出発が23:15で乗車時間は約7時間。
翌朝の6時前にバスは、メキシコシティのバスターミナルTAPOに到着した。
朝6時のメキシコシティはまだ真っ暗で、その中を女性がバスや地下鉄で移動するのは危険極まりない為、ここからホテルまでの移動はタクシー利用。
メキシコは流しのタクシーは安いが、空港やバスターミナルで待機しているタクシーはゾーンごとの定額料金であるため、かなり割り高で乗車時間は15分も乗っていないのにバスターミナルTAPOから空港近くのホテルRAMADA AEROPUERTO MEXICO(ホテル ラマダ・アエロプエルト)までの料金は298ペソ(約2400円)。
ホテルではフロントで荷物を預かってもらい、トイレで着替えをして顔を洗い、身支度を整える。 -
朝8時。
外が明るくなるのを待って、行動開始。
ラマダ・アエロプエルトは空港近く(徒歩15分)なので、最寄りの地下鉄駅も空港駅(Terminal Aerea)となる。
陸橋を渡ると、空港に駐機している飛行機の姿。
明日のこの時間には、私はもう機上の人。
メキシコでの旅の日も、この日が最後だ。 -
イチオシ
地下鉄駅の近くの屋台のパン屋さんで、焼き立てパンを朝食代わりに購入。
メキシコは空港からのタクシー代など旅行者に対する物価はそれほど安くはないが、住んでいる人達のお買い物は場所を選べば、かなりお安くできる。
屋台のパンとグツグツと煮込んだ野菜たっぷりのスープをお願いして20ペソ(約160円)。
12月末のメキシコシティの天気は、昼間は半袖でもOKな気温となるが朝晩はぐっと冷え込みでダウンジャケットがあっても良いほどの気温。
そんな朝には、具だくさんのスープは冷え切った躰を温めてくれるベストアイテム。
購入したパンもスープも美味しかったが、パンの糖度が日本のメロンパン並みに甘かった。 -
メキシコの地下鉄のシステムは利用者に優しく、5ペソの切符を1枚買い駅の改札を潜ったら、どの位の距離を乗車しても料金は変わらない。
ただ、一度改札を出てしまったら、その切符はお終いとなるが、5ペソ(約40円)でどこまでも乗り継げるのは嬉しいシステムだ。
切符販売は窓口だけで、切符の自販機は置いてなかった。
個人的には自販機の方が人件費が省けると思うのだが、雇用の確保の為なのかな。 -
切符販売が有人窓口オンリーなのに対して、改札はほぼすべての駅で自動改札。
このギャップが面白い。
改札のところには警備員さんが目を光らせていたのだが、駅員ではないというところが若干、治安の悪さを物語っているのだろうか。 -
12/31の朝の地下鉄。
大晦日なので空いている!と思っていたら、空いていたのはターミナル駅までの路線だけで、その先は東京の朝の満員列車も顔負けないくらいの混み方。
東洋人の中でも大きくはない私は、見事にメキシコ人の乗客の間にサンドイッチとなり、車両内の駅名の案内電光掲示板も車窓の駅名も全く見えない状態に陥ってしまった。
でも、そこは優しいメキシコの人達。
手にガイドブックの地図を握りしめた明らかに旅行者と分かる東洋人女子を放ってはおかない。
何処に行きたいのか、どこで降りたいのかを私に聞き、乗換駅の時には一駅前で教えてくれて、更に乗り換えに便利な階段の方向まで指示してくれた。 -
そして、空港前の駅を8時15分に出発した私はメトロ3号線のCoyoacan(コヨアカン)駅に無事到着した。
この日の最初の目的地は、映画を見てから来たいと思い続けていたフリーダ・カーロ博物館。
フリーダとその夫ディエゴが生活した家で壁全体が青く塗られているため、通称:青い家と呼ばれる場所だ。
駅からは目的地であるフリーダ・カーロ博物館である青い家へと徒歩で向かったのだが、道が分かりにくく散々道に迷い、通りすがりの人に方向を確認したのは3回では済まなかった。 -
ようやく目的地の青い家に到着したのは予定時間の倍以上の35分後。
開館時間は10時で博物館の開館までにはまだ30分以上ある筈なのに、通りの向こう側にある青い家の周りにはとても沢山の人の気配。 -
その数は、ざっと数えたところ100人以上。
この日は大晦日なので14時までの短縮営業ということもあり、観光客の出足が早かったのかもしれないが、世界中にはフリーダの絵やその生き方に共感するファンが多いという事を物語っているのだろう。 -
10時。ようやく開館の時間だ。
開館を待ち望んでいた人達は、次々とゲートの中へと入っていく。フリーダ カーロ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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入場料は平日料金と週末料金で異なり、平日は120ペソ(約960円)、週末が140ペソだった。
入場券を買う時に注意しなければならないことは、博物館内部で写真を撮りたい場合は、写真撮影料金60ペソ(約480円)を支払わなければならない事。 -
写真撮影料を支払い許可証(写真)を身に付けていないと、博物館内でカメラを取り上げられ、写真を消去されても文句は言えない。
(博物館内には多くの係員が配置され、逐次、許可証の有無をチェックしているので、1人ぐらい許可証を持っていなくても・・・という考えは無謀だろう) -
開館前から100人以上が並び、開館時にはウェイティングの観光客の数が300人をゆうに超えていた博物館は激混みで、一つの部屋に入るにも20分待ちは当たり前。
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だから、待ち時間は中庭の景色を眺めたり前後に並ぶ旅行者とお話したり、日記を書いたり・・・。
そんな時間も楽しかった。 -
イチオシ
フリーダ・カーロの素顔はこんな女性で、絵を見た後にこの写真を見せられても、こんなにやさしい顔をした方があんな強いメッセージ性のある絵を描くのだろうかと思ってしまう程。
-
でも、一度絵筆を握るとフリーダの表情は一変し、人を射抜くようなまなざしへと変わる。
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そんなフリーダの画家への道を目指すための第一作となったのが、「ビロードの服を着た自画像」で、1926年:不幸な事故の翌年に描いている。
この自画像は学校時代のボーイフレンドであった青年にフリーダが「離れ離れになってしまったが、この絵を自分だと思って手元に置いて欲しい」と送ったもので、事故前のまだ元気なころ(17歳)のフリーダを描いたとされている。
そして、メキシコの絵の大家であるディエゴ・リベラがフリーダの才能を見出したのもこの作品だ。 -
「ひび割れた背骨」と題されたこの絵は1944年の作品で、18歳のフリーダが悲惨な事故に遭遇してから19年後に描かれている。
あの日のメキシコシティは、前日がメキシコ独立記念日だったために町の人々もどこか浮かれた気分で過ごしていた日で、きっと運転手もそんな気分が抜けきっていなかったのだろう。
ほんの少しの気のゆるみが事故を引き起こし、車両はひしゃげ、折れた手摺がフリーダの子宮を貫通し、背骨と脊髄、右足、鎖骨等、彼女の体は生きているのが不思議な位の状態だった。
しかし、18歳の少女の生命力は強靭で、折れた脊髄の代わりに背中には鉄の棒が入れられ、事故の三か月後にはフリーダは自力で歩きだすことが出来たという。
でも、彼女の体はボロボロ。
背中に挿入した鉄の棒は体との相性が悪く再手術を何回も繰り返すことになり、更に学校時代の恋人とも(恋人の両親の反対により)別離させられ、躰だけではなく、心もボロボロに。
フリーダの体の中心にあるのは背骨ではなく、鉄の棒。
そして、再手術の痛み、心の痛みを表すかのようにその躰には釘が無数に突き刺さっている。
事故で自分を突き刺し、運命を変えた鉄。
その鉄が、今度は自分を支えているとは何とも皮肉なことだ・・・
フリーダの涙は悲しみだけではなく、世の中の陳腐さを皮肉っているようにも見える。 -
一方で1941年に描かれた34歳のフリーダの自画像は、オアハカ地方の伝統的な髪形を施しフリーダの意思の強さをうかがわせる眼差しが、絵を眺める人を見返してくる。
この絵のタイトルは「三つ編みをした自画像」。
首に下げたチョーカーにはメキシコ古代文明の遺跡から出土したかのような石が施され、民族の誇りを感じさせる絵だ。
しかし、彼女の胸元を覆う草。
この草はよく見ると蔓草で、彼女の胸から背中を回りフリーダを絡め取るような感じ。
もしかすると、自由奔放に生きているように見られていたフリーダだが、その心の中は絶えず18歳の時のあの事故に囚われ続けている・・・そんな風に訴えかけてくるような気がしてくる絵だった。 -
博物館にあるのはフリーダやディエゴの絵だけではなく、フリーダの居室もそのままの形で残されている。
写真はフリーダが愛用したベッドで、体の具合が悪い時にはいつもこのベッドに横たわっていた。 -
ベッドには仕掛けがあり、横たわったフリーダが天蓋を見上げるとそこにあるのは自分の姿。
天蓋には鏡が埋め込まれていて、彼女は鏡を見ながら多くの自画像を制作した。 -
日当たりの良い部屋は、調子が良い時のフリーダの書斎。
イーゼルに絵が置かれ、その前には車いす。
晩年に壊疽にかかった右足を切除してからはこの車椅子を用い、絵を描いていたのかもしれない。
イーゼルの絵だが、もしかするとフリーダの未完の作かもしれない(未確認)。
彼女は死の数日前まで絵筆を握っていたそうだ。 -
車いすの背後の机の上にはフリーダが使っていた画材のセット。
フリーダ・カーロ博物館がある地域は昨年秋のメキシコシティの大地震で被害が大きかった地域に近い。
フリーダの絵や画材道具など、無事だと良いのだが…。 -
博物館内の別棟には、彼女の死後に見つかったというフリーダの愛した洋服の展示があった。
-
彼女は体に無数にある傷跡を隠すために肌の露出を抑えた丈の長いスカートを好んだとのことだが、色が浅黒く母方の血を大きく引いたフリーダにはこれらの民族衣装が良く似合ったことだろう。
-
イチオシ
そして展示してあるのは衣装だけではなく、彼女の体の一部でもあった背中を真っ直ぐに保つためのコルセットもあった。
多分フリーダは一生の間、一時も離れることなくコルセットを体に締め、その力を借りることにより美しい姿勢を保つ努力をしていたのだろう。
汗がダラダラ流れる様な暑い日もコルセットを身に付けなければならない日々。
さぞ、大変だったと思われる。 -
でも、フリーダはそんな大変な自分の躰だって画材にして楽しんでいた。
背骨の手術で起き上がれないのならば、自分の手の届くところにある物がキャンバスとばかりに、石膏で作られたギブスにだってベッドに横たわりながら絵を描いている。
絵はギブスの背中側にもかかれていたので、きっと背中側はギブスを外してから描き足したものだろう。 -
フリーダの描く絵は自身や家族、そして夫であるディエゴを描いた物が多いが、この絵はディエゴの子を妊娠したフリーダが流産により子供を失ってしまった時に描かれたもので、作品名は処置を行った病院の名前であるヘンリー・フォード病院。
事故の後遺症で子供を宿すことはできないと諦めていたフリーダ。
その彼女が妊娠したのだが、フリーダの子宮は胎児の揺り籠として機能するには力及ばず、子供はこの世にとどまっていることが出来なかった。
フリーダの行動はこの流産後に更に奔放になり、夫以外の男性(女性も)と行動を共にするようになる。 -
そんな自由奔放に生きた(ように見える)フリーダが、彼女が最後の作品として死の直前に仕上げた絵がSandias “Viva la Vida”。
日本語に訳すと、スイカ「生命万歳」。
フリーダの生命そのものを表すかのような血潮の赤。
真っ赤なスイカが描かれ、その果実には“Viva la Vida”の文字が刻みこまれている。
上手くは表現できないのだが、もっと生きたい!もっと愛してほしい!・・・
でも、私の人生、最高だった!という彼女の叫びが込められている死への挑戦状の様に私には感じられた。
フリーダが亡くなったのは1954年、享年47歳。
亡くなる数年前から体の痛みが激しくなり、強力な鎮痛剤が欠かせなくなったフリーダ。
薬の影響でヒステリックになり、自殺未遂を繰り返したそうだ。
フリーダは肺血栓のために死去したと言われているが、近親者によると自分で死を選んだとの話もある。 -
イチオシ
そんなフリーダ博物館で過ごした時間は2時間半。
気が付いたら、お昼の時間を過ぎていた。
とっても気になっていた場所だったのだが、やはりテーマが重いだけに身体じゅうにフリーダの気持ちが乗っかってしまったかのように感じ、どっと疲れてしまった。
そんな時に見つけたのが、博物館の壁の上でお昼寝をするメキシコ猫。
動物が好きで、猿や犬を身近に置いていたというフリーダ。
その庭でくつろぐネコ。
なんだか、ほっとする光景だった。 -
この旅行で、フリーダ博物館に行く前に家で読んできた画集を一つ紹介。
(Amazonの中古で格安に購入)
フリーダ・カーロを最初に知ったのは映画【Frida】だったが、彼女の一生とその作品解説のある本を読んでいたことで、現地での博物館での見学がより深いものになった。
フリーダ・カーロに興味があり、これからメキシコシティの博物館へと行こうと思っている方は、映画だけではなくどんな本でも良いので、文字で書かれた物を一読していくだけでその理解は全然違うと思う。 -
イチオシ
フリーダ・カーロ博物館を出た私はそのまま地下鉄駅へと戻り、チャプルテペック公園へと向かう。
季節は冬の1月だがメキシコシティの冬の気候は穏やかで、公園内の陽だまりを歩いているとぽかぽか。
公園にはリスがいるのだが、冬毛のふかふかの尻尾が可愛かった。 -
この日は大晦日、12/31なので夜にはカウントダウン・パティーがあるのだろう。
色々な出店が出て、商売が始まっていた。
綿あめはどこの国に行っても子供に大人気。チャプルテペック公園 広場・公園
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遠目にカラフルな綿あめがあるなぁと思って近づいたら、ウィッグ屋さん。
夜のパーティ用かな。 -
私がチャプルテペック公園を歩いてきたのは、公園に隣接する国立人類学博物館へと来るため。
国立人類学博物館へは、この7日間の旅で訪れた遺跡の復習をするためにやって来た。
国立人類学博物館の展示物は、文明ごとに分かれていて、全てをじっくり見ようとも思えば丸1日を費やしても足りないくらいだが、今回の目的はオルメカ室、マヤ室、オアハカ室の3部屋だけ。
ターゲットを絞り、じっくりとその展示物を眺める。
ラ・ベンタ遺跡、ヤシュチラン遺跡、ボナンパック遺跡、パレンケ遺跡、モンテアルバン遺跡、ミトラ遺跡・・・。
それぞれの遺跡ではそれなりにじっくりと見てきたつもりだったが、人類学博物館の展示物とその説明書きを読むと「えっっっ、あそこにこんなのがあったの?」と新しく知る情報も多く、また、もう一回行かなくっちゃね♪という気持ちが頭をもたげてくる。
(写真:マヤ室のパカル王の埋葬風景。宇宙人説もあるパカル王のパレンケ遺跡は見ているだけでもワクワクする場所だった) -
そして、新しい興味もまた続々とでてきた。
こちらの土器は香炉でTuxtulas神を表しているとのこと。
ベラスケス地方から出土したと書いてあったが、Tuxtulas神は私も初耳の名前。
顔だけ見ると雨の神様であるチャーク神やトラロック神に似ているので、もしかしたら同系の神様なのかもしれない。メキシコ国立人類学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
こちらの神様もお初にお目にかかる方。
どうやらサアチラ遺跡からの出土品らしいのだが、このユニークな姿に一目ぼれ。
そして、サアチラ遺跡が何処にあるのかというと、その場所は昨日まで私が滞在していたオアハカの郊外で、オアハカ市からも車で1時間位の所にあるらしい。
私のリサーチ不足で、オアハカにこんな変顔の神様がいる遺跡を見逃してしまったようだ。
これで、オアハカも再訪決定かな。 -
人類学博物館での滞在時間は2時間弱程で、時刻は15時前。
お昼も食べずに行動していたので、お腹がペコペコだったのだが、私にはどうしても行きたい場所がもう一つあったので、お腹の要求は無視して先に進むことに。
地下鉄駅へと行く途中で果物屋さんの屋台を見つけたので、1カップを購入(20ペソ:約160円)。
私に手渡す時に売り子のおばさんが辛いチリソースを果物の上にかけてくれようとしたので、丁寧にお断り。
メキシコではフルーツの上にチリソースなどかけ、スパイシー・フルーツにして食べるのが一般的なので、私みたいにチリを断る人は少ないのだろう。 -
この日の最後に訪れたのは、Mercado de San Juan(サンファン市場)。
此処はメキシコ中のお土産を扱う民芸品マーケットで、その価格も旅人の懐に優しいと評判の市場だ。 -
この日は大晦日なので15時過ぎには店じまいを始めている屋台もあったが、私のお目当ての物を売っているお店はまだ開いていた。
実は昨晩にオアハカの市場で気になっていた民芸品を買おうと思っていたのだが、私が市場に行った21時過ぎにはもう市場の電気は薄暗くなっていて、どの店も店じまいを始めていて買う事が出来なかった。
なので、最後の手段が此処。
メキシコ中の土産物が集まるサンファン市場だ。 -
私が欲しかったのは、オアハカの民族衣装を着た人形が縫い込まれているポーチで値引き交渉後の価格が2個120ペソ(約960円)。
決して高いものではなく、人によってはかなりどうでも良いものだとは思うが、価値観は人それぞれだ。 -
イチオシ
サンファン市場を出た私は、市場に隣り合わせる公園の屋台で少し早めの夕食。
屋台はタコス屋さんで、お姉ちゃんと弟が二人で切り盛りしていた。
ここのタコスはオアハカのタコスとは異なり、上に乗せる具が天麩羅的なモノ。
私は茄子を揚げた天麩羅をタコスにのっけて食べたが、隣のおじさんがオーダーしたのは魚だった。 -
揚げたての天麩羅はホクホクしていてそれだけでも十分に美味しいのだが、そこに特製のサルサソースをかけると、そのピリっとした辛さが野菜の甘みを引き出して味に深みが出る。
メキシコの料理はどこで何を食べても美味しいので、ハズレが無い。
弟君は主に客引きをしていたのだが、東洋人のおばちゃんがスペイン語でお姉さんと話しているのが珍しかったらしく、どこから来たの?とか、どうしてスペイン語を話せるの?とか質問尽くし。
あんまり屋台には、東洋人は来ないのかもしれないね。 -
そして、ホテルへの帰りの電車は空いていたのだが、なんだか乗客の皆さんがお疲れモード。
きっと夜のカウントダウン・パーティに備えて体力を温存するため、休息中だったのだろう。
そういう私も、メキシコの最終日ともなると一人旅の緊張と疲れがどっと出てきていて、もうどこへも出かけたくなく、ホテルでのんびりしたいモード。 -
そして到着したホテルでは部屋の準備も出来ていて、朝にお願いした荷物は既に部屋へと運ばれていた。
部屋にはバスタブも付いていて(勿論、栓もある)久々のゆったりとしたバスタイム。
お風呂からあがったら日記でも書こうと思っていたのだが、大きなベッドに一度横になったらもう起き上がれなかった。
そして翌朝は未だ真夜中の2時半の起床。
カナダまでの飛行機が朝5時台なので、早朝に出発する。
ラマダ・アエロプエルト・ホテルは朝食付料金なのだが、早朝出発者には(前の晩の21時までに申告必要)朝食ボックスを準備してくれるので、精算を済まし朝食を受け取り、空港までのシャトルバス(無料)に乗りこむ。
私自身、空港のカフェで最後のメキシカンな朝食をとるつもりだったので朝食ボックスはどうでもよかったのだが、これが最終的に私にとっては神様のような存在となった。ウィ ホテル アエロプエルト ホテル
-
メキシコ・シティの空港はベニートフアレス空港で、そのターミナルは国内線と国際線で分かれている。
メキシコに到着時の国内線ターミナルでは早朝から軽食屋さんがオープンしていたので、今回の国際線でも同じように考えていたのだが、国際線ターミナルには早朝から営業しているお店は一件もなかった。
つまり、国際線のターミナルではミネラルウォーターのボトルすら買えない状況だった。
更に今回使った航空会社がエア・カナダのLCC:エア・ルージュだったので、6時間近いフライトなのに一切お菓子すらでずに有料のサンドイッチなどの軽食販売だけ。
その軽食類も積み込み数に限りがありアッという間に売り切れとなり、機内にはすきっ腹を抱えた乗客が多数という殺伐とした雰囲気だった。
そんな状況下だったので、ホテルが準備してくれた朝食セットは私にとっては神様となった訳だ。 -
バンクーバー空港では4時間の乗り換え時間。
お土産屋さんを見たり空港内をふらふらしたりして時間を潰していたのだが、空港内でいきなり男性に声をかけられてビックリ。
更に驚いたことに、彼は「ウェンディさんですよね?」と私の本名をぴたりと言い当ててきた。
私にはカナダに知り合いは居ないし、こんな処で知り合いに会うはずもない。
どうしてこの男性は私の名前を知っているのかと頭の中は???のオンパレード。
男性はそんな私の困惑を見てとって、笑いながら「同じ職場のIです」と名乗ってくれた。
「え、別部署のI君?でも、顔が違うような・・・」と更に不思議に思っていたら、I君はカナダでスキーをしたら雪焼けで真っ黒になっちゃって…と教えてくれた。
私自身がまさかバンクーバーの空港で職場の同僚に出会うとは予想もしていなかったので、職場関係の人物リストは全く思考の中から除外ししていたのだが、そのまさかが起こるとは…でビックリの経験だった。
(写真:バンクーバー空港。カナダのネイティブな彫像もかなり個性的だよね)バンクーバー国際空港 (YVR) 空港
-
そして1/2の夕刻に成田へ飛行機は到着し、母さんの一人旅の第二段【メキシコ編】は終了した。
旅行記の最後にこのひとり旅の簡単な支出を纏めておく。
【航空券】
エア・カナダ + エア・ルージュ 往復 127700円
インタージェット(メキシコ国内線)片道 15486円
【ホテル】
12/25メキシコシティ空港:メキシコシティ ラマダ 10642円
12/31メキシコシティ空港:メキシコシティ ラマダ 11934円
12/26・12/27 パレンケ:Posada Aguila Real 2泊 US$82.60(支払はペソのみ)
12/29 オアハカ:Florida Oaxaca US$52(支払はペソのみ)
【現地で使ったお金】
遺跡入場料・タクシー代・長距離バス代・食事代・現地日帰りツアー代などで74000円。
9日間の旅の合計支出は概算だが、25万円。
予算時点で多くても25万円を考えていたので大凡予算通りの結果となったが、予算よりも高かったのが空港やバスターミナルからのタクシー代で、その分を節約できたら現地滞在費は6.5万円も有れば十分だったかもしれない。
・前の旅行記:時を止めた石の滝 Hierve el Agua
http://4travel.jp/travelogue/11311212 -
【旅のあとがき】
相棒との意見の食い違い(単なる喧嘩か?)で突如決まったメキシコ一人旅。
ボリビアに続き、メキシコ、それも強盗バス路線を利用するひとり旅なんて危険すぎる・・・という外野の声も聞こえていました。
でも、実際に訪れてみて分かったのは、危険と言われる場所は確かに危険な空気が流れていましたが、それは自分自身がある程度の注意をすればその危険による被害は最小限に抑えられそうなこと、そして危険なことが実際に起きていた数年前よりは現地の安全事情は確実に向上しているという事でした。
これから女性の一人旅でメキシコを訪れたいという方がいれば、私ならば、行っておいで!楽しいよ。と言って送り出すでしょう。
ただ、その時に一言だけ付け加えるかな。
国によっては安全はお金で買えるので、自身の危険センサーが少しでも反応したら、安全案方向に多少費用が掛かっても回避すること。命は1つしかないのだからね・・・と。
そして、流れてしまった結婚20周年のアニバーサリー旅は、流れてしまったから、それでお終い・・・の訳はなく、仕切り直し。
災い転じて二旅となる…。
お祝いが遅れてしまった分には旅利子をつけ、日程を二分割し、2017年の夏にはノルウェーの絶叫巡りの旅。
そして、2017年年末にはヒンドゥー教と仏教が混在する山でのトレッキング。
年末のトレッキングに備えては、夏からジムでトレーニングを続けていて、絶賛筋肉増量中(体重も比例しているけれどね)。
この時期は小屋内でも気温がマイナス20℃になるというアンナプルナ・ベース・キャンプ。
そんな本格的なトレッキングは私自身も初めての経験で、旅の開始まであと4日と迫っている今、ちょっとドキドキしています♪
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この旅行記へのコメント (2)
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- hide-bachさん 2017/12/26 22:01:26
- フリーダ訪ねての旅、その後を
- >2017年の夏にはノルウェーの絶叫巡りの旅。
そして、2017年年末にはヒンドゥー教と仏教が混在する山でのトレッキング
この旅行記はまだですか2017年は過ぎようとしていますが....
楽しい旅行記待っていますよ!
- ウェンディさん からの返信 2017/12/26 22:54:14
- RE: フリーダ訪ねての旅、その後を
- hide-bachさん、 こんばんは。
喧嘩をして没となった旅が、二つの旅に化けました。
今年の夏に行ったノルウェーの絶叫巡りの旅と、あさってに出発するネパール・トレッキング。
2015年の年始めは相棒の態度に頭から湯気が出ていましたが、それが二つの旅になったのだから、災い転じて…ですね。
ノルウェー旅については書き始めてはいるのですがまだ途中までで、現在は↓の4つだけです。
続編はまた2018年に入って落ち着いたら書いていこうと思っています。
その他にもウズベキスタン旅行記や隠岐旅行記も途中で止めているので、PCをタイプしてくれる手がもう何本か欲しい所です。
〈1〉トロルの舌で愛を叫ぶ
http://4travel.jp/travelogue/11260815
〈2〉スターヴ教会と滝巡り
http://4travel.jp/travelogue/11283572
〈3〉惑星ホスの氷河を歩こう♪
http://4travel.jp/travelogue/11266693
〈4〉プレーケストーレンから転落未遂!?
http://4travel.jp/travelogue/11276852
ウェンディ
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