パレンケ遺跡周辺旅行記(ブログ) 一覧に戻る
子供の頃から本が大好きだった私。<br />ファンタジー、歴史、ノンフィクション、推理等、本のジャンルは問わず活字を読み、その世界を想像するということが大好きな少女でした。<br />でも、その中で一番好きだったのは、古代遺跡の謎シリーズの本。<br />ツタンカーメンの王墓を発見したハワード・カーターに憧れ、本気で将来の道として考古学者を目指していたほど。<br /><br />そんな子供時代に読んだ古代遺跡に関する本の中で、私の心を鷲づかみにしたのはマヤの遺跡でした。<br />マヤ文字と呼ばれる不思議な絵文字、本の挿絵に描かれた密林に潜むマヤ遺跡…。<br />欧州からの侵略者によりマヤの貴重な文書はその殆どが焼かれ、現代になっても解読がなかなか進まない文明:マヤ。<br /><br />なかでも子供心に気になったのは、パレンケ遺跡で発掘された不思議な1枚の石板でした。<br />この石版に描かれているのは、ひとりの王の姿。<br />しかし、その王:パカル王の絵姿はマヤ時代当時の科学技術から考えられないような物。<br />パカル王の姿は、機械仕掛けの箱の中に入り、その機械を操作しているかのよう…。<br />そう、今でいうならば、その機械とは宇宙船みたいなモノ。<br />当時10歳前後の子供だった私は、この本が教えてくれた衝撃の事実(本の解説が真実かどうかは別として)に驚きました。<br /><br />小学生であった私にとってマヤ文明が栄えたメキシコという国は、地球の裏側にある全く未知の国。<br />そんな国へ行くことの出来る日が来る…なんて思いもせず、ただただ謎に包まれたマヤの世界に憧れるだけでした。<br /><br />でも、ヒトとは不思議なモノ。<br />子供の頃は引っ込み思案だった私は、大人になり姓が変わった位からアクティブに…。<br /><br />そして、憧れていた古代遺跡の世界へ…と旅を始めました。<br /><br />☆★☆★☆旅程 2015/12/25~2016/1/2☆★☆★☆<br />□12/25 成田-バンクーバー-メキシコ・シティ <br />□12/26 ビジャエルモサ、ラベンタ遺跡、パレンケ <br />■12/27 ヤシュチラン遺跡、ボナンパック遺跡 <br />■12/28 パレンケ遺跡、ミソル・ハ、アグア・アスル <br />□12/29 オアハカ モンテアルバン遺跡<br />□12/30 ミトラ遺跡、エルトゥーレ、イエルベ・エル・アグア<br />□12/31 メキシコ・シティ、フリーダ・カーロ博物館、国立人類学博物館<br />□1/1  メキシコ・シティ-バンクーバー-<br />□1/2  -成田<br /><br />☆★☆★☆続・母さんの一人旅 メキシコ編☆★☆★☆<br />・デカ頭に会いに・ラベンタ遺跡 http://4travel.jp/travelogue/11091613<br />・暗闇のラビリンス http://4travel.jp/travelogue/11124868<br />・宇宙人が作った古代都市 http://4travel.jp/travelogue/11202484<br />・お母さんは、にわか解説員 https://4travel.jp/travelogue/11294321<br />・ジャングルで水遊び♪ https://4travel.jp/travelogue/11296494<br />・オアハカの洗礼 https://4travel.jp/travelogue/11297815<br />・時を止めた岩Hierve el Agua http://4travel.jp/travelogue/11311212<br />・フリーダ・カーロの世界 https://4travel.jp/travelogue/11314204<br /><br />☆★☆★2011年 母さんの一人旅・ボリビア編☆★☆★<br />現地で手配!ティワナク遺跡 http://4travel.jp/travelogue/10637661<br />ウユニで人さらい http://4travel.jp/travelogue/10637723<br />チリ国境までの湖巡りドライブ http://4travel.jp/travelogue/10638094<br />ラパス市内観光 http://4travel.jp/travelogue/10638521<br />太陽の島でトレッキング http://4travel.jp/travelogue/10639292<br />Espejo del Cielo http://4travel.jp/travelogue/10648118

この世の「終わり」 と「始まり」☆宇宙人が作った古代都市【続・母さんの一人旅-3 ラカンドン密林の秘境/ボナンパック遺跡・パレンケ遺跡】

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2015/12/25 - 2016/01/02

2位(同エリア70件中)

ウェンディ

ウェンディさん

子供の頃から本が大好きだった私。
ファンタジー、歴史、ノンフィクション、推理等、本のジャンルは問わず活字を読み、その世界を想像するということが大好きな少女でした。
でも、その中で一番好きだったのは、古代遺跡の謎シリーズの本。
ツタンカーメンの王墓を発見したハワード・カーターに憧れ、本気で将来の道として考古学者を目指していたほど。

そんな子供時代に読んだ古代遺跡に関する本の中で、私の心を鷲づかみにしたのはマヤの遺跡でした。
マヤ文字と呼ばれる不思議な絵文字、本の挿絵に描かれた密林に潜むマヤ遺跡…。
欧州からの侵略者によりマヤの貴重な文書はその殆どが焼かれ、現代になっても解読がなかなか進まない文明:マヤ。

なかでも子供心に気になったのは、パレンケ遺跡で発掘された不思議な1枚の石板でした。
この石版に描かれているのは、ひとりの王の姿。
しかし、その王:パカル王の絵姿はマヤ時代当時の科学技術から考えられないような物。
パカル王の姿は、機械仕掛けの箱の中に入り、その機械を操作しているかのよう…。
そう、今でいうならば、その機械とは宇宙船みたいなモノ。
当時10歳前後の子供だった私は、この本が教えてくれた衝撃の事実(本の解説が真実かどうかは別として)に驚きました。

小学生であった私にとってマヤ文明が栄えたメキシコという国は、地球の裏側にある全く未知の国。
そんな国へ行くことの出来る日が来る…なんて思いもせず、ただただ謎に包まれたマヤの世界に憧れるだけでした。

でも、ヒトとは不思議なモノ。
子供の頃は引っ込み思案だった私は、大人になり姓が変わった位からアクティブに…。

そして、憧れていた古代遺跡の世界へ…と旅を始めました。

☆★☆★☆旅程 2015/12/25~2016/1/2☆★☆★☆
□12/25 成田-バンクーバー-メキシコ・シティ 
□12/26 ビジャエルモサ、ラベンタ遺跡、パレンケ 
■12/27 ヤシュチラン遺跡、ボナンパック遺跡 
■12/28 パレンケ遺跡、ミソル・ハ、アグア・アスル 
□12/29 オアハカ モンテアルバン遺跡
□12/30 ミトラ遺跡、エルトゥーレ、イエルベ・エル・アグア
□12/31 メキシコ・シティ、フリーダ・カーロ博物館、国立人類学博物館
□1/1  メキシコ・シティ-バンクーバー-
□1/2  -成田

☆★☆★☆続・母さんの一人旅 メキシコ編☆★☆★☆
・デカ頭に会いに・ラベンタ遺跡 http://4travel.jp/travelogue/11091613
・暗闇のラビリンス http://4travel.jp/travelogue/11124868
・宇宙人が作った古代都市 http://4travel.jp/travelogue/11202484
・お母さんは、にわか解説員 https://4travel.jp/travelogue/11294321
・ジャングルで水遊び♪ https://4travel.jp/travelogue/11296494
・オアハカの洗礼 https://4travel.jp/travelogue/11297815
・時を止めた岩Hierve el Agua http://4travel.jp/travelogue/11311212
・フリーダ・カーロの世界 https://4travel.jp/travelogue/11314204

☆★☆★2011年 母さんの一人旅・ボリビア編☆★☆★
現地で手配!ティワナク遺跡 http://4travel.jp/travelogue/10637661
ウユニで人さらい http://4travel.jp/travelogue/10637723
チリ国境までの湖巡りドライブ http://4travel.jp/travelogue/10638094
ラパス市内観光 http://4travel.jp/travelogue/10638521
太陽の島でトレッキング http://4travel.jp/travelogue/10639292
Espejo del Cielo http://4travel.jp/travelogue/10648118

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
観光バス 徒歩
航空会社
エアカナダ
旅行の手配内容
個別手配

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  • 2015年の年末メキシコ旅は一人旅。<br />結婚という契約が続いた20周年の記念に一人旅へと出た。<br />まぁ、この20周年旅については相棒との間にかなりイロイロとあり一人旅となったのだが(色々については今後の旅行記で機会があれば記していきたいと思う…)、結果論からみれば、ひとり旅で良かったかな…かと。<br /><br />今回のメキシコ旅の旅先はガイドブックにも殆どページが割かれないマイナーな遺跡も含まれていて、更に移動経路の中には山賊ラインと呼ばれるバス強盗が出没する確率のあるバス路線。<br /><br />選んだ遺跡がマニアックすぎるし、私が遺跡一つの見学にかける時間も一般的なツアーの倍以上。<br />更に、訪れる地域にはマラリア蚊がウヨウヨしていて、泊まるところは☆または☆☆の格安ホテル。<br />その上、夜行バスには強盗が出没するかも…なんて、私自身が相棒の身の安全を保障しきれない(相棒だって、彼のプライドにかけてオンナに身の安全を保障してほしくないだろうし)。<br />

    2015年の年末メキシコ旅は一人旅。
    結婚という契約が続いた20周年の記念に一人旅へと出た。
    まぁ、この20周年旅については相棒との間にかなりイロイロとあり一人旅となったのだが(色々については今後の旅行記で機会があれば記していきたいと思う…)、結果論からみれば、ひとり旅で良かったかな…かと。

    今回のメキシコ旅の旅先はガイドブックにも殆どページが割かれないマイナーな遺跡も含まれていて、更に移動経路の中には山賊ラインと呼ばれるバス強盗が出没する確率のあるバス路線。

    選んだ遺跡がマニアックすぎるし、私が遺跡一つの見学にかける時間も一般的なツアーの倍以上。
    更に、訪れる地域にはマラリア蚊がウヨウヨしていて、泊まるところは☆または☆☆の格安ホテル。
    その上、夜行バスには強盗が出没するかも…なんて、私自身が相棒の身の安全を保障しきれない(相棒だって、彼のプライドにかけてオンナに身の安全を保障してほしくないだろうし)。

  • そんなマニアック・メキシコ旅の3日目は、パレンケの街を起点とするヤシュチラン(Yaxchilan)遺跡・ボナンパック(Bonampak)遺跡(於ラカンドン密林)へ行く現地ツアーへの参加。<br />これらの遺跡には本当は個人で訪れたかったのだが、行く先がメキシコ内でもかなり特殊な地域で、プライベートで行くには難しい場所だった。<br /><br />参加したのはKichan Bajlum社のツアー(日本からメールで予約)。<br />朝6時にパレンケの宿:Posada Aguila Real前でピックアップされ、ツアーが始まった。<br />ラカンドン密林へのツアー内容(コース・料金・安全性・時間等)の詳細はクチコミ↓http://4travel.jp/overseas/area/latin_america/mexico/bonampak_and_yaxchilan/tips/12206871/<br /><br />ツアーは夜8時までかかる14時間ツアーで、午前中はヤシュチラン遺跡を歩き回り、昼食後はボナンパック遺跡を見学する。<br />(ヤシュチラン遺跡の旅行記:http://4travel.jp/travelogue/11124868)<br /><br />この旅行記の始まりはボナンパック遺跡へと向かうところから…。<br /><br />(写真:ヤシュチラン遺跡入口にある暗闇ラビリンス)<br />

    イチオシ

    地図を見る

    そんなマニアック・メキシコ旅の3日目は、パレンケの街を起点とするヤシュチラン(Yaxchilan)遺跡・ボナンパック(Bonampak)遺跡(於ラカンドン密林)へ行く現地ツアーへの参加。
    これらの遺跡には本当は個人で訪れたかったのだが、行く先がメキシコ内でもかなり特殊な地域で、プライベートで行くには難しい場所だった。

    参加したのはKichan Bajlum社のツアー(日本からメールで予約)。
    朝6時にパレンケの宿:Posada Aguila Real前でピックアップされ、ツアーが始まった。
    ラカンドン密林へのツアー内容(コース・料金・安全性・時間等)の詳細はクチコミ↓http://4travel.jp/overseas/area/latin_america/mexico/bonampak_and_yaxchilan/tips/12206871/

    ツアーは夜8時までかかる14時間ツアーで、午前中はヤシュチラン遺跡を歩き回り、昼食後はボナンパック遺跡を見学する。
    (ヤシュチラン遺跡の旅行記:http://4travel.jp/travelogue/11124868

    この旅行記の始まりはボナンパック遺跡へと向かうところから…。

    (写真:ヤシュチラン遺跡入口にある暗闇ラビリンス)

    ヤシュチラン遺跡 史跡・遺跡

    秘境:セスナでアクセス/翠のラビリンスYaxchilan(ヤシュチラン)遺跡  by ウェンディさん
  • Kichan Bajlum社のツアーは内容もガイドの質も非常に良かったのだが、ツアー参加者がメキシコ人だけ…と言うところが良かった部分でもあり、そしてちょっとだけ微妙な部分だった。<br />微妙な理由は、彼らのランチタイムの長さ。<br />14時半に始まったランチタイムが終わったのは16時。<br />メキシコ人の人達はお喋りが大好き。<br />ランチを食べながらのおしゃべりは楽しいが、次の遺跡の見学時間がどんどん押されていく…。<br /><br />遅い昼食後にツアーのワゴン車から、現地のラカンドン人が運転する車に乗り換えてボナンパック遺跡に着いたのは、もう陽が傾いてくる16時半近く。<br />遺跡までの参道に並ぶ土産屋さんも、もう営業終了の準備が始まっていて商品が撤収された小屋も有った。<br />

    Kichan Bajlum社のツアーは内容もガイドの質も非常に良かったのだが、ツアー参加者がメキシコ人だけ…と言うところが良かった部分でもあり、そしてちょっとだけ微妙な部分だった。
    微妙な理由は、彼らのランチタイムの長さ。
    14時半に始まったランチタイムが終わったのは16時。
    メキシコ人の人達はお喋りが大好き。
    ランチを食べながらのおしゃべりは楽しいが、次の遺跡の見学時間がどんどん押されていく…。

    遅い昼食後にツアーのワゴン車から、現地のラカンドン人が運転する車に乗り換えてボナンパック遺跡に着いたのは、もう陽が傾いてくる16時半近く。
    遺跡までの参道に並ぶ土産屋さんも、もう営業終了の準備が始まっていて商品が撤収された小屋も有った。

  • 遺跡入口から5分で遺跡本体のグランパレスと呼ばれる広場へと到着。<br />ガイドさんもちょっと焦り気味。<br />「ここでの時間は30分だけ。ここを管理するラカンドン人は時間に厳しく17時には遺跡は閉められる。時間がないので、説明時間は最小限にする…」と。<br /><br />ほら、やっぱりさっきの昼食時間の30分オーバーのつけがこんなところに!<br /><br />30分ではボナンパック遺跡の全てを見るのは到底無理。<br />ハイライトだけを見て廻る。<br />

    遺跡入口から5分で遺跡本体のグランパレスと呼ばれる広場へと到着。
    ガイドさんもちょっと焦り気味。
    「ここでの時間は30分だけ。ここを管理するラカンドン人は時間に厳しく17時には遺跡は閉められる。時間がないので、説明時間は最小限にする…」と。

    ほら、やっぱりさっきの昼食時間の30分オーバーのつけがこんなところに!

    30分ではボナンパック遺跡の全てを見るのは到底無理。
    ハイライトだけを見て廻る。

    ボナンパック遺跡 史跡・遺跡

    放血の儀式のレリーフがある!ステラ2も忘れずに/ボナンパック遺跡 by ウェンディさん
  • この写真はボナンパック遺跡の地図で、その出典はMEC(Maya Exploration Center)のホームページからダウンロードしてきたもの。<br /><br />見所について、日本語での注釈を入れてみた。<br /><br />(遺跡の地図オリジナル版:http://www.mayaexploration.org/images/maps/bonampakmap.pdf)<br />

    この写真はボナンパック遺跡の地図で、その出典はMEC(Maya Exploration Center)のホームページからダウンロードしてきたもの。

    見所について、日本語での注釈を入れてみた。

    (遺跡の地図オリジナル版:http://www.mayaexploration.org/images/maps/bonampakmap.pdf

  • ガイドさんが最初に私達を案内したのはステラ(石碑)1と呼ばれる出土したマヤ文明の遺跡の中でも巨大な石碑。<br /><br />これは、凄いんだよ~と説明してくれるガイドさん。<br />だけれど、遠目に見たのではどこがすごいのか全然分からない。    <br /><br />

    ガイドさんが最初に私達を案内したのはステラ(石碑)1と呼ばれる出土したマヤ文明の遺跡の中でも巨大な石碑。

    これは、凄いんだよ~と説明してくれるガイドさん。
    だけれど、遠目に見たのではどこがすごいのか全然分からない。

  • でも、石碑に近寄ってみたら、確かに凄いかも。<br /><br />ボナンパック王国の最盛期の王であるチャン・ムアーン二世王の姿が彫り込まれている。<br />子供の頃に頭蓋骨を細長く変形させる風習があったマヤ人独特の縦長な横顔に大きな鼻。<br />頭には羽根飾りをつけ、左手には強さの象徴であるジャガーの盾、右手には装飾を施された槍を持っている。<br /><br />保存状態は、旅の前に私が想像していた以上に良いかもしれない。<br />

    でも、石碑に近寄ってみたら、確かに凄いかも。

    ボナンパック王国の最盛期の王であるチャン・ムアーン二世王の姿が彫り込まれている。
    子供の頃に頭蓋骨を細長く変形させる風習があったマヤ人独特の縦長な横顔に大きな鼻。
    頭には羽根飾りをつけ、左手には強さの象徴であるジャガーの盾、右手には装飾を施された槍を持っている。

    保存状態は、旅の前に私が想像していた以上に良いかもしれない。

  • チャン・ムアーン二世王の足元には、象の様な鼻を持つチャーク神(最近の研究では、山の神を示すウィッツ・モンスターとも云われている)が彫り込まれている。

    チャン・ムアーン二世王の足元には、象の様な鼻を持つチャーク神(最近の研究では、山の神を示すウィッツ・モンスターとも云われている)が彫り込まれている。

  • アクロポリスと呼ばれる階段状の神殿からは、ステラ(石碑)2とステラ(石碑)3が出土していて、この写真は石碑2。<br /><br />石碑2には、私も興奮した。<br /><br />この石碑には3人が彫り込まれていて、左から王の妃、王(チャン・ムアーン二世王)、王の母となる。<br /><br />そして、この石碑が表しているのはマヤの聖なる儀式である放血の儀式。<br />マヤ文明では、王の血には聖なるものが宿っているとされ、王の日々の仕事の一部には王族の血液を神に捧げる…というコトも含まれていた。<br />更に、その放血作業は指を切って血を出す…なんていう簡単な事では許されず、苦痛を伴う方法でなければならなかったらしい。

    アクロポリスと呼ばれる階段状の神殿からは、ステラ(石碑)2とステラ(石碑)3が出土していて、この写真は石碑2。

    石碑2には、私も興奮した。

    この石碑には3人が彫り込まれていて、左から王の妃、王(チャン・ムアーン二世王)、王の母となる。

    そして、この石碑が表しているのはマヤの聖なる儀式である放血の儀式。
    マヤ文明では、王の血には聖なるものが宿っているとされ、王の日々の仕事の一部には王族の血液を神に捧げる…というコトも含まれていた。
    更に、その放血作業は指を切って血を出す…なんていう簡単な事では許されず、苦痛を伴う方法でなければならなかったらしい。

  • この石碑では、右にいる王母がその左手に躰に穴をあけるためのエイの刺(トゲ)を持ち、反対の手には滴り落ちる血を受け止める容器を持っている。<br /><br />で、誰が放血されたかというと、この石碑の王母が持つエイの刺の先をよく見ると、どうやら王の放血だったようだ。<br />王の神聖なる体の一部に王母が刺を打ち込み、流血の儀式を行うとしている。<br /><br />王の背後にいる王妃も替え容器を手に控えているので、よほど大量の血を必要とする重要な儀式のための放血だったのだろう。<br /><br />この様な放血の儀式の石碑は写真では見たことがあったが、まさか自分の目で実際に見ることが出来るとは…。<br /><br />もっとゆっくり石碑を眺めたかったのだが、ガイドさんは無情にも次の見所へ案内するため皆を促す。<br /><br />(写真:石碑 2 の拡大)

    この石碑では、右にいる王母がその左手に躰に穴をあけるためのエイの刺(トゲ)を持ち、反対の手には滴り落ちる血を受け止める容器を持っている。

    で、誰が放血されたかというと、この石碑の王母が持つエイの刺の先をよく見ると、どうやら王の放血だったようだ。
    王の神聖なる体の一部に王母が刺を打ち込み、流血の儀式を行うとしている。

    王の背後にいる王妃も替え容器を手に控えているので、よほど大量の血を必要とする重要な儀式のための放血だったのだろう。

    この様な放血の儀式の石碑は写真では見たことがあったが、まさか自分の目で実際に見ることが出来るとは…。

    もっとゆっくり石碑を眺めたかったのだが、ガイドさんは無情にも次の見所へ案内するため皆を促す。

    (写真:石碑 2 の拡大)

  • 遺跡が閉まるまであと20分。<br />ボナンパック遺跡の次の見所は、壁画の神殿と呼ばれる入口が3つある小さな石造りの建築物だ。<br /><br />実は、この壁画の神殿の発見がボナンパック遺跡の発掘が行われるきっかけとなっている。<br /><br />壁画の神殿が発見されたのは今から半世紀ほど前の1946年。<br />雑誌ナショナル・ジオグラフィックのカメラマンであるジャイルズ・ヒーリー(米国人)がラカンドン族の映像を撮影しにジャングルに入った時に見つけたという。<br /><br />当時は今の遺跡の様に切り開かれた広場も無く、鬱蒼とした熱帯雨林のジャングルが広がっていた場所。<br />ガイドと共に鹿を追ってジャングルを撮影していたカメラマンの目の前に突如現れた巨大な階段ピラミッドと小さな石小屋。<br />興味を持って石の扉を押し開けたカメラマンの前に出現したのは、1000年前の壁画。<br />それも、それまで発見されたこともないほど鮮やかな色彩が保存されているマヤ文明の壁画。<br /><br />きっと、壁画を見つけたカメラマンさんは心臓が口まで飛び上るほど吃驚したと思うんだ…。<br />その時の感動を思うと、とても羨ましい。

    遺跡が閉まるまであと20分。
    ボナンパック遺跡の次の見所は、壁画の神殿と呼ばれる入口が3つある小さな石造りの建築物だ。

    実は、この壁画の神殿の発見がボナンパック遺跡の発掘が行われるきっかけとなっている。

    壁画の神殿が発見されたのは今から半世紀ほど前の1946年。
    雑誌ナショナル・ジオグラフィックのカメラマンであるジャイルズ・ヒーリー(米国人)がラカンドン族の映像を撮影しにジャングルに入った時に見つけたという。

    当時は今の遺跡の様に切り開かれた広場も無く、鬱蒼とした熱帯雨林のジャングルが広がっていた場所。
    ガイドと共に鹿を追ってジャングルを撮影していたカメラマンの目の前に突如現れた巨大な階段ピラミッドと小さな石小屋。
    興味を持って石の扉を押し開けたカメラマンの前に出現したのは、1000年前の壁画。
    それも、それまで発見されたこともないほど鮮やかな色彩が保存されているマヤ文明の壁画。

    きっと、壁画を見つけたカメラマンさんは心臓が口まで飛び上るほど吃驚したと思うんだ…。
    その時の感動を思うと、とても羨ましい。

  • 壁画の神殿の外壁には、レリーフも残されている。<br /><br />このボナンパック遺跡の発見についてはもう一つの話があり、最初にボナンパック遺跡を発見した西欧人はナショ・ジオのカメラマンではなく、ラカンドン人の女性を妻として現地で生活をしていたカルロス・フレイという人物。<br /><br />でもカルロス君は階段ピラミッドの遺跡は見つけたものの、鮮やかな彩色壁画の石小屋は見落としてしまい、更に米国の脱走兵だったなどの過去の諸事情からその発見の栄誉の自分の物にはできなかった。<br />

    壁画の神殿の外壁には、レリーフも残されている。

    このボナンパック遺跡の発見についてはもう一つの話があり、最初にボナンパック遺跡を発見した西欧人はナショ・ジオのカメラマンではなく、ラカンドン人の女性を妻として現地で生活をしていたカルロス・フレイという人物。

    でもカルロス君は階段ピラミッドの遺跡は見つけたものの、鮮やかな彩色壁画の石小屋は見落としてしまい、更に米国の脱走兵だったなどの過去の諸事情からその発見の栄誉の自分の物にはできなかった。

  • 心をときめかせ、壁画の神殿の一番左の部屋へと入る。<br />部屋に入る前には、まず入口扉のレリーフを眺めながら。<br /><br />壁画の神殿の3か所の扉の天井(まぐさ)には彩色されたレリーフが彫り込まれている。  <br /><br />これがけっこう見応えがある…と聞いていたのだが、残念!<br />摩耗がひどく、彩色の色どころかレリーフの凹凸すらはっきりとは分からない。

    心をときめかせ、壁画の神殿の一番左の部屋へと入る。
    部屋に入る前には、まず入口扉のレリーフを眺めながら。

    壁画の神殿の3か所の扉の天井(まぐさ)には彩色されたレリーフが彫り込まれている。

    これがけっこう見応えがある…と聞いていたのだが、残念!
    摩耗がひどく、彩色の色どころかレリーフの凹凸すらはっきりとは分からない。

  • 部屋の中は真っ暗で光源はない。<br /><br />だから最初は壁に描かれた絵も殆ど識別できないのだが、目が慣れてくると徐々にその色彩豊かな壁画が分かってくる。<br /><br />第一室は儀式の部屋と言われていて、出陣前の兵士を鼓舞する儀式、または石碑1で紹介したチャン・ムアーン二世王の後継者の披露儀式を表したものではないかと推測されている。<br /><br />天井までびっしりと描かれた色鮮やかな壁画。<br />下段の水色の背景の部分には楽隊の姿、2段目の朱色の背景のところには王族の姿、最上段にはマヤの神々の姿が描かれている。<br />

    イチオシ

    部屋の中は真っ暗で光源はない。

    だから最初は壁に描かれた絵も殆ど識別できないのだが、目が慣れてくると徐々にその色彩豊かな壁画が分かってくる。

    第一室は儀式の部屋と言われていて、出陣前の兵士を鼓舞する儀式、または石碑1で紹介したチャン・ムアーン二世王の後継者の披露儀式を表したものではないかと推測されている。

    天井までびっしりと描かれた色鮮やかな壁画。
    下段の水色の背景の部分には楽隊の姿、2段目の朱色の背景のところには王族の姿、最上段にはマヤの神々の姿が描かれている。

  • 壁画の二段目の王族の列へと目をやると、壁際には我が子を抱く王の姿が見てとれる。<br /><br />ココを見ると、王子のお披露目会説が近いのかな…という気もする。 <br />

    壁画の二段目の王族の列へと目をやると、壁際には我が子を抱く王の姿が見てとれる。

    ココを見ると、王子のお披露目会説が近いのかな…という気もする。

  • 壁画の神殿の真ん中の部屋-第二室へと入る。<br /><br />この部屋は壁画の一部がはがれかけ、その保存状態は良くない。<br />第二室は戦争を現した部屋とされている。<br />

    壁画の神殿の真ん中の部屋-第二室へと入る。

    この部屋は壁画の一部がはがれかけ、その保存状態は良くない。
    第二室は戦争を現した部屋とされている。

  • 彩色した絵の境界線も分かり難くなかなか判別ができない第二室の彩色壁画だが、この第二室が発見されたお蔭で、マヤ文化の解明が一気に進んだと云われている。<br /><br />マヤ文明は西欧からの侵略時にその存在は明らかになってはいたが、その解明がなかなか進まなかった文化だ。<br />マヤ文化には文字があったがその文字はマヤ文字と言われる神聖文字で、表意文字と表音文字の組み合わせから形成されその組み合わせは何万通りもあり、その解読は半分も進んでいない。<br /><br />だから、マヤ文明に関しては出土品やレリーフからその文化を推測するしかなく、それまでに発見されたレリーフなどから、マヤは戦いを好まない心穏やかな人々が神職である王を中心に生活する文化人的な生活を送っていたと、長年の間、考えられていた。<br /><br />ところが、ボナンパック遺跡の壁画の神殿の第二室の発見で、マヤ人たちが穏やかな人々であるとする考え方は誤りであることが証明された。<br />その結論を導き出したのが、壁画のこの写真の部分。<br /><br />室内の光量が足りない為、写真の画質が荒く分かり難いが、描かれているのは戦争捕虜の姿。<br />捕虜となった敵国の兵士たちは、爪を剥がされ、その指先からは赤いの血が滴っている。<br />この壁画の上下には、切られた生首なども描かれていた。

    彩色した絵の境界線も分かり難くなかなか判別ができない第二室の彩色壁画だが、この第二室が発見されたお蔭で、マヤ文化の解明が一気に進んだと云われている。

    マヤ文明は西欧からの侵略時にその存在は明らかになってはいたが、その解明がなかなか進まなかった文化だ。
    マヤ文化には文字があったがその文字はマヤ文字と言われる神聖文字で、表意文字と表音文字の組み合わせから形成されその組み合わせは何万通りもあり、その解読は半分も進んでいない。

    だから、マヤ文明に関しては出土品やレリーフからその文化を推測するしかなく、それまでに発見されたレリーフなどから、マヤは戦いを好まない心穏やかな人々が神職である王を中心に生活する文化人的な生活を送っていたと、長年の間、考えられていた。

    ところが、ボナンパック遺跡の壁画の神殿の第二室の発見で、マヤ人たちが穏やかな人々であるとする考え方は誤りであることが証明された。
    その結論を導き出したのが、壁画のこの写真の部分。

    室内の光量が足りない為、写真の画質が荒く分かり難いが、描かれているのは戦争捕虜の姿。
    捕虜となった敵国の兵士たちは、爪を剥がされ、その指先からは赤いの血が滴っている。
    この壁画の上下には、切られた生首なども描かれていた。

  • 同室の壁画の別の場面では、脚を落とされて苦しむ捕虜(左)と両掌を上向きにして情けを乞う捕虜(右)の姿が描かれている。<br /><br />捕虜兵士たちのこの後の運命は、マヤの神々への生贄。<br />マヤ文明は、血の生贄を必要とする、言い換えれば生贄の為の人を生け捕りにするための戦争をするかなり好戦的な文明であったことが、この部屋の彩色壁画によって明らかになった。

    同室の壁画の別の場面では、脚を落とされて苦しむ捕虜(左)と両掌を上向きにして情けを乞う捕虜(右)の姿が描かれている。

    捕虜兵士たちのこの後の運命は、マヤの神々への生贄。
    マヤ文明は、血の生贄を必要とする、言い換えれば生贄の為の人を生け捕りにするための戦争をするかなり好戦的な文明であったことが、この部屋の彩色壁画によって明らかになった。

  • 壁画の神殿の右端の第三室は、色は鮮やかに残っているが、若干素描的な雰囲気が残る部屋だ。<br /><br />素描状態の壁画が残された現状から、研究者たちの中ではボナンパックの文明は第三室を作っている最中に何らかの理由により廃れてしまった可能性が高いとする考えが主流となっている。<br />

    壁画の神殿の右端の第三室は、色は鮮やかに残っているが、若干素描的な雰囲気が残る部屋だ。

    素描状態の壁画が残された現状から、研究者たちの中ではボナンパックの文明は第三室を作っている最中に何らかの理由により廃れてしまった可能性が高いとする考えが主流となっている。

  • 天井全体にも色が入っていて、壁画が完成していたら凄かったのだろうなと思う。

    天井全体にも色が入っていて、壁画が完成していたら凄かったのだろうなと思う。

  • 第三室のコンセプトは祭礼の部屋。<br /><br />着飾った王族たちの姿が描かれているが、これも一説によると放血の場面を表しているとか。<br /><br />とにかくマヤは血が大好きな文化だったようだ。<br />

    第三室のコンセプトは祭礼の部屋。

    着飾った王族たちの姿が描かれているが、これも一説によると放血の場面を表しているとか。

    とにかくマヤは血が大好きな文化だったようだ。

  • 第三室には、ラッパ状の楽器を演奏する楽団の様な兵士の姿も描かれていた。

    第三室には、ラッパ状の楽器を演奏する楽団の様な兵士の姿も描かれていた。

  • 私が第三室に入った段階で時刻は17時。<br />第三室への入場者は私の3番後ろで、ココまででお終い!と区切られ扉を占められてしまった。<br /><br />壁画の神殿は観光客に大人気の壁画なので、各部屋の滞在は5人/1サイクルで、その時間もきっちり1分と区切られていて、ゆっくりと壁画を眺めるという状態とは程遠い状態。<br /><br />時間があれば列に何回でも並び直して壁画を見たいところだが、無情にもタイムオーバー。<br />3部屋の入口には鍵がかけられてしまった。<br /><br />グランプラザの芝生広場ではガイドさんがこちらを見あげている。<br />私達が下まで行くのを待っているのかと思ったら、ジェスチャーで階段ピラミッドの上にある神殿まで行ってきて良いよ~という合図。<br /><br />その言葉に甘えて、石階段を駆け上がる。<br />

    私が第三室に入った段階で時刻は17時。
    第三室への入場者は私の3番後ろで、ココまででお終い!と区切られ扉を占められてしまった。

    壁画の神殿は観光客に大人気の壁画なので、各部屋の滞在は5人/1サイクルで、その時間もきっちり1分と区切られていて、ゆっくりと壁画を眺めるという状態とは程遠い状態。

    時間があれば列に何回でも並び直して壁画を見たいところだが、無情にもタイムオーバー。
    3部屋の入口には鍵がかけられてしまった。

    グランプラザの芝生広場ではガイドさんがこちらを見あげている。
    私達が下まで行くのを待っているのかと思ったら、ジェスチャーで階段ピラミッドの上にある神殿まで行ってきて良いよ~という合図。

    その言葉に甘えて、石階段を駆け上がる。

  • 階段ピラミッドの最上部には神官の神殿と思える石造りの建物。<br />神殿の扉のまぐさ石にはレリーフも有ったのだが、時間が押していて写真を撮るような暇はなかった。<br /><br />ラカンドン人の管理人さんも登ってきていて、観光客に「もう遺跡の閉まる時間だから降りろ降りろ」と迫る。<br />

    階段ピラミッドの最上部には神官の神殿と思える石造りの建物。
    神殿の扉のまぐさ石にはレリーフも有ったのだが、時間が押していて写真を撮るような暇はなかった。

    ラカンドン人の管理人さんも登ってきていて、観光客に「もう遺跡の閉まる時間だから降りろ降りろ」と迫る。

  • という訳で、また石階段を駆け下りる。<br />これで、この日のヤシュチラン遺跡とボナンパック遺跡の観光は終了。<br /><br />日本でいえばキトラ古墳の鳳凰や白虎が描かれたころと同じ時期に描かれたボナンパックの彩色壁画。<br />キトラ古墳の様に外界と切り離された環境ではなく、1年中が高温多湿のこのジャングルの中で、ボナンパックの遺跡の壁画がこれだけの色を現代まで保てていたとは本当に驚きだった。<br /><br />ツアーの車がパレンケのホテルに着いたのは出発してから15時間後の21時近く。<br />非常に密度の濃いツアーだった。<br /><br />1日中、湿度がタップリで気温が30℃以上あるジャングルの中に居たので、体はもうクタクタ。<br />帰りの車の中ではぐっすり熟睡し、宿に帰ってからもナイトマーケットに出かける元気もなく、シャワーで汗を流した後の夕食は、非常食用に持参したインスタント蕎麦で終了。<br /><br />翌日の朝も出発が早いので、22時頃にはベッドに潜り込んでいた。<br />

    という訳で、また石階段を駆け下りる。
    これで、この日のヤシュチラン遺跡とボナンパック遺跡の観光は終了。

    日本でいえばキトラ古墳の鳳凰や白虎が描かれたころと同じ時期に描かれたボナンパックの彩色壁画。
    キトラ古墳の様に外界と切り離された環境ではなく、1年中が高温多湿のこのジャングルの中で、ボナンパックの遺跡の壁画がこれだけの色を現代まで保てていたとは本当に驚きだった。

    ツアーの車がパレンケのホテルに着いたのは出発してから15時間後の21時近く。
    非常に密度の濃いツアーだった。

    1日中、湿度がタップリで気温が30℃以上あるジャングルの中に居たので、体はもうクタクタ。
    帰りの車の中ではぐっすり熟睡し、宿に帰ってからもナイトマーケットに出かける元気もなく、シャワーで汗を流した後の夕食は、非常食用に持参したインスタント蕎麦で終了。

    翌日の朝も出発が早いので、22時頃にはベッドに潜り込んでいた。

  • メキシコ4日目の12/28の起床は朝4時。<br /><br />昨晩はあまりに眠くて荷物の片付けもせずに夢の世界へ行ってしまったため、この日に宿をチェックアウトする私は、朝から荷物の整理。<br />この日はパレンケ遺跡に行き、夕方から夜行バスでOAXACA(オアハカ)へと向かうので、朝早くにチェックアウトをして荷物は宿で預かってもらう。<br /><br />朝ごはんは、レトルトのアルファ米(日本から持参)。<br />この時期のメキシコのチアバス州の季節は冬だが、それでも日中の気温は30℃を超え、湿度はジャングルの木々が放出する湿度で空中水分が飽和するのではないかと思う程の高湿度。<br />外にいると昼食なんて暑くて食べる気が失せてしまうので、朝から茶碗2杯分のご飯を食べて2食分の基本エネルギーを朝の内にチャージ。<br /><br />日中は熱中症を起こさないようにアミノ酸のゼリー飲料とスポーツ飲料の粉をミネラルウォーターに溶かして飲み、更に塩タブレットもポケットに常備する。<br />

    メキシコ4日目の12/28の起床は朝4時。

    昨晩はあまりに眠くて荷物の片付けもせずに夢の世界へ行ってしまったため、この日に宿をチェックアウトする私は、朝から荷物の整理。
    この日はパレンケ遺跡に行き、夕方から夜行バスでOAXACA(オアハカ)へと向かうので、朝早くにチェックアウトをして荷物は宿で預かってもらう。

    朝ごはんは、レトルトのアルファ米(日本から持参)。
    この時期のメキシコのチアバス州の季節は冬だが、それでも日中の気温は30℃を超え、湿度はジャングルの木々が放出する湿度で空中水分が飽和するのではないかと思う程の高湿度。
    外にいると昼食なんて暑くて食べる気が失せてしまうので、朝から茶碗2杯分のご飯を食べて2食分の基本エネルギーを朝の内にチャージ。

    日中は熱中症を起こさないようにアミノ酸のゼリー飲料とスポーツ飲料の粉をミネラルウォーターに溶かして飲み、更に塩タブレットもポケットに常備する。

    Posada Aguila Real ホテル

  • そこまでの支度をしたら、パレンケ遺跡へと向かうコレクティーボ(乗り合いバス:パレンケの町とパレンケ遺跡の乗車時間は約20分)の乗り場へと向かう。<br /><br />パレンケの街中には遺跡へのコレクティーボ乗り場は2か所あり、宿であるポサダ・アギラ・レアルに近いのはラカンドンホテルの道路を挟んで斜め前の場所。<br />乗り場には特にバス停の表示はないが、お金を徴収するおじさんがいるのでなんとなくその雰囲気で分かる。(遺跡までのコレクティーボの運賃は観光客、地元の人変わりなく片道20ペソ)。<br /><br />あまりに心が逸っていて、パレンケ遺跡のチケット売り場に着いたのは窓口が空く1時間前。<br />でも、これは結果的には、正解。<br /><br />(写真:パレンケ遺跡の入場券販売所窓口:Taquilla 大人の入場料は64ペソ)<br />

    そこまでの支度をしたら、パレンケ遺跡へと向かうコレクティーボ(乗り合いバス:パレンケの町とパレンケ遺跡の乗車時間は約20分)の乗り場へと向かう。

    パレンケの街中には遺跡へのコレクティーボ乗り場は2か所あり、宿であるポサダ・アギラ・レアルに近いのはラカンドンホテルの道路を挟んで斜め前の場所。
    乗り場には特にバス停の表示はないが、お金を徴収するおじさんがいるのでなんとなくその雰囲気で分かる。(遺跡までのコレクティーボの運賃は観光客、地元の人変わりなく片道20ペソ)。

    あまりに心が逸っていて、パレンケ遺跡のチケット売り場に着いたのは窓口が空く1時間前。
    でも、これは結果的には、正解。

    (写真:パレンケ遺跡の入場券販売所窓口:Taquilla 大人の入場料は64ペソ)

  • パレンケ遺跡はメキシコの遺跡の人気度ランキングの中では5本の指に入る遺跡。<br />入場券販売開始の時間である8時に遺跡に到着するように来たとしたら、多分入場券を買うだけで、30分以上の待ち時間になっただろう。<br /><br />チケット売り場に人が並び始めたのは7:15分頃。<br />7時にチケット売り場に着いた私は、もちろん1番乗りでチケットを手に入れ、8時の開門と同時に入場した。<br />

    パレンケ遺跡はメキシコの遺跡の人気度ランキングの中では5本の指に入る遺跡。
    入場券販売開始の時間である8時に遺跡に到着するように来たとしたら、多分入場券を買うだけで、30分以上の待ち時間になっただろう。

    チケット売り場に人が並び始めたのは7:15分頃。
    7時にチケット売り場に着いた私は、もちろん1番乗りでチケットを手に入れ、8時の開門と同時に入場した。

  • パレンケ遺跡の入場口からまっすぐ歩いて行くと、最初に表れるのは神殿13と呼ばれる3個の神殿のコンプレックスでその一番右端は、頭蓋骨の神殿。<br /><br />朝日を浴びて輝く神殿。<br /><br />他には観光客の姿はなく、一番乗りの特権で、ゆっくりとその姿を味わう。<br />

    パレンケ遺跡の入場口からまっすぐ歩いて行くと、最初に表れるのは神殿13と呼ばれる3個の神殿のコンプレックスでその一番右端は、頭蓋骨の神殿。

    朝日を浴びて輝く神殿。

    他には観光客の姿はなく、一番乗りの特権で、ゆっくりとその姿を味わう。

  • この神殿が頭蓋骨の神殿と言われるのは、神殿のどこかに頭蓋骨の彫刻が施されているから。<br />その彫刻は外から見てもすぐに分かる位置にあるというのだが…。<br />私がいくら目を凝らしても頭蓋骨の彫刻は見つからない。<br /><br />頭蓋骨の神殿は観光客が登ることが禁止されているため、神殿の上へは近づけない。<br />だから、下から目を凝らして頭蓋骨を探すのだが、やはり、分からない。<br /><br />こんな時こそ、監視員のお兄さんを活用しよう♪<br />遺跡の要所要所 (多分100m置き位)には、監視員の方がトランシーバーを持ってけだるそうに木にもたれかかっている。<br />彼らの仕事は、遺跡に悪さをする人の監視だが、遺跡に関する知識だって持っているはず。<br />せっかくなので、お兄さんにスペイン語で話しかけてみる。<br /><br />私の問いに対して、監視員のお兄さんは「ほら、マヤアーチの柱の下。左側だよ」と教えてくれた。<br />お兄さん、Gracious!<br /><br />マヤアーチとはマヤ文明独特のアーチ型の骨組みで、この神殿で云えば真ん中の三角型のアーチの事だ。<br />その左側の柱の下をじぃ~と見つめる。<br />

    この神殿が頭蓋骨の神殿と言われるのは、神殿のどこかに頭蓋骨の彫刻が施されているから。
    その彫刻は外から見てもすぐに分かる位置にあるというのだが…。
    私がいくら目を凝らしても頭蓋骨の彫刻は見つからない。

    頭蓋骨の神殿は観光客が登ることが禁止されているため、神殿の上へは近づけない。
    だから、下から目を凝らして頭蓋骨を探すのだが、やはり、分からない。

    こんな時こそ、監視員のお兄さんを活用しよう♪
    遺跡の要所要所 (多分100m置き位)には、監視員の方がトランシーバーを持ってけだるそうに木にもたれかかっている。
    彼らの仕事は、遺跡に悪さをする人の監視だが、遺跡に関する知識だって持っているはず。
    せっかくなので、お兄さんにスペイン語で話しかけてみる。

    私の問いに対して、監視員のお兄さんは「ほら、マヤアーチの柱の下。左側だよ」と教えてくれた。
    お兄さん、Gracious!

    マヤアーチとはマヤ文明独特のアーチ型の骨組みで、この神殿で云えば真ん中の三角型のアーチの事だ。
    その左側の柱の下をじぃ~と見つめる。

    頭蓋骨の神殿 建造物

    うさぎの頭蓋骨はどこにある?/頭蓋骨の神殿 by ウェンディさん
  • そして、見つけた!<br /><br />柱の一番下に埋もれるように彫刻された頭蓋骨。<br />この頭蓋骨はウサギの頭蓋骨だと云われている。<br /><br />漆喰彫刻だそうだ。<br /><br />どうして神殿にウサギの彫刻なのか。<br />不思議に思い調べてみたのだが、その理由を見つけることが出来なかった。<br />どなたか知っている方がいたら教えて欲しい。<br />

    イチオシ

    そして、見つけた!

    柱の一番下に埋もれるように彫刻された頭蓋骨。
    この頭蓋骨はウサギの頭蓋骨だと云われている。

    漆喰彫刻だそうだ。

    どうして神殿にウサギの彫刻なのか。
    不思議に思い調べてみたのだが、その理由を見つけることが出来なかった。
    どなたか知っている方がいたら教えて欲しい。

  • 神殿13コンプレックスの真ん中にあるのは、赤の女王の神殿。<br /><br />赤の女王の神殿では、階段ピラミッドを登ってその中へと入ることができる。<br />

    神殿13コンプレックスの真ん中にあるのは、赤の女王の神殿。

    赤の女王の神殿では、階段ピラミッドを登ってその中へと入ることができる。

    古代都市パレンケと国立公園 国立公園

    賢者の石に覆われた女王は、いったい誰なのか?/赤の女王の神殿 by ウェンディさん
  • 神殿の内部には小部屋があり、その部屋の形は神聖なるマヤアーチ型。<br />そして、小部屋の中には内側が朱で塗られた石棺が置いてあった。<br /><br />この赤の女王の神殿からは、この朱塗りの石棺と体を朱(辰砂)で塗られ、体に翡翠の装飾品を纏った女性のミイラが見つかっている。<br /><br />このミイラは、パレンケ遺跡の最盛期の王であるパカル王の母:クック女王であるとする説が近年まで有力だったが、DNA鑑定の結果、パカル王とこの朱塗りの女性には血縁関係がないことが分かり、現在ではパカル王の王妃である可能性が高いとされている。<br /><br />当時、高価であった辰砂(水銀からできる鉱物で、ハリーポッターに出てくる賢者の石と同じもの)をふんだんに使えるだけの高位の女性が埋葬されていたであろうことは間違いない。

    神殿の内部には小部屋があり、その部屋の形は神聖なるマヤアーチ型。
    そして、小部屋の中には内側が朱で塗られた石棺が置いてあった。

    この赤の女王の神殿からは、この朱塗りの石棺と体を朱(辰砂)で塗られ、体に翡翠の装飾品を纏った女性のミイラが見つかっている。

    このミイラは、パレンケ遺跡の最盛期の王であるパカル王の母:クック女王であるとする説が近年まで有力だったが、DNA鑑定の結果、パカル王とこの朱塗りの女性には血縁関係がないことが分かり、現在ではパカル王の王妃である可能性が高いとされている。

    当時、高価であった辰砂(水銀からできる鉱物で、ハリーポッターに出てくる賢者の石と同じもの)をふんだんに使えるだけの高位の女性が埋葬されていたであろうことは間違いない。

  • そして、赤の女王の隣にあるのは、パレンケ遺跡で【世紀の発見】と言われた翡翠の仮面をかぶった王の墓が見つかった碑文の神殿だ。<br /><br />碑文の神殿が発見されたのは1952年。<br />メキシコの考古学者アルベルト・ルス・ルイキュールが神殿の内部の修理をしている時に床に不思議な文様を見つけ、慎重にその下を掘り進んだところ、驚くものが発掘されたのだ。<br />

    そして、赤の女王の隣にあるのは、パレンケ遺跡で【世紀の発見】と言われた翡翠の仮面をかぶった王の墓が見つかった碑文の神殿だ。

    碑文の神殿が発見されたのは1952年。
    メキシコの考古学者アルベルト・ルス・ルイキュールが神殿の内部の修理をしている時に床に不思議な文様を見つけ、慎重にその下を掘り進んだところ、驚くものが発掘されたのだ。

  • 発掘されたのは厳重に守られた大きな石棺と、石棺の中には翡翠の仮面をかぶり全身を辰砂の朱色で覆われた男性の姿。<br /><br />墓は全く盗掘はされておらず、完璧な状態で残されていた。<br /><br />この男性はパレンケの最盛期の王であるパカル王だと云われている。<br /><br />(写真:国立人類学博物館/メキシコシティ に展示してあるパカル王の翡翠の仮面)<br />

    発掘されたのは厳重に守られた大きな石棺と、石棺の中には翡翠の仮面をかぶり全身を辰砂の朱色で覆われた男性の姿。

    墓は全く盗掘はされておらず、完璧な状態で残されていた。

    この男性はパレンケの最盛期の王であるパカル王だと云われている。

    (写真:国立人類学博物館/メキシコシティ に展示してあるパカル王の翡翠の仮面)

  • 墓の中には様々な副葬品も残されていて、その中には王の顔を象った彫像も有った。<br /><br /><br />(写真:国立人類学博物館/メキシコシティ に展示してあるパカル王の埋葬品)<br />

    墓の中には様々な副葬品も残されていて、その中には王の顔を象った彫像も有った。


    (写真:国立人類学博物館/メキシコシティ に展示してあるパカル王の埋葬品)

  • 石棺にはヒト型の穴がくりぬかれ、こんな風に埋葬された。<br /><br />(写真:国立人類学博物館/メキシコシティ に展示してあるパカル王の埋葬風景)<br />

    イチオシ

    石棺にはヒト型の穴がくりぬかれ、こんな風に埋葬された。

    (写真:国立人類学博物館/メキシコシティ に展示してあるパカル王の埋葬風景)

  • パカル王の墓室は9m×4mの広さがあり、その室内壁には9人の夜の王として、パレンケ歴代の王のレリーフが刻まれていた。<br />そして、石棺の蓋には精巧なレリーフが施されていた。<br /><br />石棺の上に刻まれた精巧なレリーフはその芸術的な美しさからも非常に有名なのだが、長年、パカル王に関する多くの憶測を生み出してきたことでも知られている。<br /><br />パカル王自身は、西暦615年に即位し、70歳台まで生きたとされる長寿の王。<br />当時のマヤの人達の平均寿命から考えたら、パカル王は倍近く長生きしたことになる。<br />これは、当時の常識からしたら非常にレアなケースで、まずありえないこと。<br /><br />故にパカル王には何か秘密があるのではないか…と密かに囁かれ、その秘密が石棺の蓋に隠されていると考える学者もいた。<br /><br />(写真:国立人類学博物館/メキシコシティ に展示してあるパカル王の埋葬風景)

    パカル王の墓室は9m×4mの広さがあり、その室内壁には9人の夜の王として、パレンケ歴代の王のレリーフが刻まれていた。
    そして、石棺の蓋には精巧なレリーフが施されていた。

    石棺の上に刻まれた精巧なレリーフはその芸術的な美しさからも非常に有名なのだが、長年、パカル王に関する多くの憶測を生み出してきたことでも知られている。

    パカル王自身は、西暦615年に即位し、70歳台まで生きたとされる長寿の王。
    当時のマヤの人達の平均寿命から考えたら、パカル王は倍近く長生きしたことになる。
    これは、当時の常識からしたら非常にレアなケースで、まずありえないこと。

    故にパカル王には何か秘密があるのではないか…と密かに囁かれ、その秘密が石棺の蓋に隠されていると考える学者もいた。

    (写真:国立人類学博物館/メキシコシティ に展示してあるパカル王の埋葬風景)

    メキシコ国立人類学博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • この写真の図は、パカル王の眠る石棺の蓋のレリーフを絵として表したものだが、真ん中にパカル王がいるのが分かる。<br /><br />パカル王の左手は何かのレバーを握り、右手は推進装置の様なモノを押している。<br />王が腰を下ろす座席の後ろにはクッションのようなものがあり、その後ろからはまるでロケットが火を噴くように火焔が出ている。<br />更にパカル王が手で操作するものは回路の様に描きこまれ、その様子はなんとなく機械チックである。<br /><br />この様に石棺の蓋のレリーフを読み解く学者もいた。<br />つまり、彼が言いたいのは、パカル王は人間ではない。<br />地球外の星からレリーフに彫りこまれた様な宇宙船に乗ってやってきた宇宙人で、マヤ文明の人達に知恵を授けたのではなかろうか…と。<br /><br />実はこのお話は、私が子供の頃に読んだパカル王に関する考察の一つで、子供ながらにこの説には非常にドキドキして、宇宙人がいたのかもしれない…と心踊らされた。

    この写真の図は、パカル王の眠る石棺の蓋のレリーフを絵として表したものだが、真ん中にパカル王がいるのが分かる。

    パカル王の左手は何かのレバーを握り、右手は推進装置の様なモノを押している。
    王が腰を下ろす座席の後ろにはクッションのようなものがあり、その後ろからはまるでロケットが火を噴くように火焔が出ている。
    更にパカル王が手で操作するものは回路の様に描きこまれ、その様子はなんとなく機械チックである。

    この様に石棺の蓋のレリーフを読み解く学者もいた。
    つまり、彼が言いたいのは、パカル王は人間ではない。
    地球外の星からレリーフに彫りこまれた様な宇宙船に乗ってやってきた宇宙人で、マヤ文明の人達に知恵を授けたのではなかろうか…と。

    実はこのお話は、私が子供の頃に読んだパカル王に関する考察の一つで、子供ながらにこの説には非常にドキドキして、宇宙人がいたのかもしれない…と心踊らされた。

  • パカル王=宇宙人説は確かに面白い説ではあるが、この説を唱えた学者さんの説は残念ながら、真実を指してはいない。<br />パカル王の石棺の蓋のレリーフの見方は、横ではなく縦。<br />このレリーフが表しているのは、人間が死に、そして再生する図-輪廻だ。<br /><br />真ん中に居るのはパカル王。これは間違いない。<br />しかし、その他の解釈が異なる。<br />このレリーフが示すものはマヤの世界観で、レリーフの下部には地下世界の魔物が歯をむいた姿で描かれ、パカル王の上にはセイバの木(生命の木)、そして上部には命の再生を司る天の鳥の姿が描かれている。<br /><br />王が死ぬと地界の怪物が王を喰らい、王の精気は王の上に描かれたセイバの木(生命の木)を通り天上界に登り、レリーフの一番上の鳳凰によりこの世に再生する。<br /><br />そんなマヤの死生観が石棺の蓋に描かれている。<br /><br />種明かしをしてしまえば、なんだ…と思えるが、このパカル王の墳墓や階段ピラミッドは、私の子供の頃からの憧れの場所。<br /><br />その場所に居るのだと思うと、心がドキドキだった。

    パカル王=宇宙人説は確かに面白い説ではあるが、この説を唱えた学者さんの説は残念ながら、真実を指してはいない。
    パカル王の石棺の蓋のレリーフの見方は、横ではなく縦。
    このレリーフが表しているのは、人間が死に、そして再生する図-輪廻だ。

    真ん中に居るのはパカル王。これは間違いない。
    しかし、その他の解釈が異なる。
    このレリーフが示すものはマヤの世界観で、レリーフの下部には地下世界の魔物が歯をむいた姿で描かれ、パカル王の上にはセイバの木(生命の木)、そして上部には命の再生を司る天の鳥の姿が描かれている。

    王が死ぬと地界の怪物が王を喰らい、王の精気は王の上に描かれたセイバの木(生命の木)を通り天上界に登り、レリーフの一番上の鳳凰によりこの世に再生する。

    そんなマヤの死生観が石棺の蓋に描かれている。

    種明かしをしてしまえば、なんだ…と思えるが、このパカル王の墳墓や階段ピラミッドは、私の子供の頃からの憧れの場所。

    その場所に居るのだと思うと、心がドキドキだった。

  • パカル王の神殿:碑文の神殿を別の角度から見るために、遺跡の中央にある宮殿と呼ばれる遺跡の上へと登る。

    パカル王の神殿:碑文の神殿を別の角度から見るために、遺跡の中央にある宮殿と呼ばれる遺跡の上へと登る。

  • 宮殿のテラスに腰をおろし、パカル王の墓所である碑文の神殿の姿を眺める。<br /><br />時刻はまだ9時にもなっていないが、遺跡の中には大勢の観光客の姿。<br />先程までガラガラであった赤の女王の神殿の前にも内部に入るための行列が出来始めている。<br /><br />やっぱり、入場券購入に並んでも、朝早く遺跡に来て正解。<br />ヒトが少ない朝の静かな遺跡を味わえる時間は短い。<br />それに、外気温もうなぎ昇りで、更に太陽の紫外線も痛いほど肌に突き刺さる。

    宮殿のテラスに腰をおろし、パカル王の墓所である碑文の神殿の姿を眺める。

    時刻はまだ9時にもなっていないが、遺跡の中には大勢の観光客の姿。
    先程までガラガラであった赤の女王の神殿の前にも内部に入るための行列が出来始めている。

    やっぱり、入場券購入に並んでも、朝早く遺跡に来て正解。
    ヒトが少ない朝の静かな遺跡を味わえる時間は短い。
    それに、外気温もうなぎ昇りで、更に太陽の紫外線も痛いほど肌に突き刺さる。

    碑文の神殿 建造物

    宇宙からのUMAか?それとも侵略者か★パカル王を巡る謎/碑文の神殿  by ウェンディさん
  • 宮殿のテラスの日陰で碑文の神殿を眺めながらのんびりと休憩したら、遺跡のメンテナンスをしているオジサマ方に声を掛けられた。<br /><br />東洋人の女性の一人旅は珍しかったのかもしれないが、オジサン達と暫く世間話をしてから立ち上がり、今度は宮殿の遺跡を歩き回る。

    宮殿のテラスの日陰で碑文の神殿を眺めながらのんびりと休憩したら、遺跡のメンテナンスをしているオジサマ方に声を掛けられた。

    東洋人の女性の一人旅は珍しかったのかもしれないが、オジサン達と暫く世間話をしてから立ち上がり、今度は宮殿の遺跡を歩き回る。

  • 宮殿は政治や儀式を司る場所だったとのことで、その内部には見どころも沢山。<br /><br />水洗トイレや天体観測塔もありレリーフも保存状態が良いものが多く残されていた。<br /><br />

    イチオシ

    宮殿は政治や儀式を司る場所だったとのことで、その内部には見どころも沢山。

    水洗トイレや天体観測塔もありレリーフも保存状態が良いものが多く残されていた。

  • 宮殿やパレンケのその他の遺跡の話や、この日の午後に見知らぬお兄さんの車にうかつにも乗り込んでしまった話など紹介したい旅の話はまだまだ沢山。<br /><br />でも、そのお話は次回の旅行記で…。<br /><br /><br />前の旅行記<br />・暗闇の迷宮・ヤシュチラン遺跡  http://4travel.jp/travelogue/11124868<br /><br />旅行記の続き<br />・お母さんは、にわか解説員   https://4travel.jp/travelogue/11294321

    宮殿やパレンケのその他の遺跡の話や、この日の午後に見知らぬお兄さんの車にうかつにも乗り込んでしまった話など紹介したい旅の話はまだまだ沢山。

    でも、そのお話は次回の旅行記で…。


    前の旅行記
    ・暗闇の迷宮・ヤシュチラン遺跡  http://4travel.jp/travelogue/11124868

    旅行記の続き
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  • yinghuaさん 2017/01/08 17:13:15
    パカル王、気になりますー。
    ウェンディさん、明けましておめでとうございます。読み応えたっぷりな旅行記でした。私はパカル王という存在を初めて聞いたのですが、ストーリーといい、絵といい、何か気になる存在ですね。

    私もスペイン語を勉強して、またメキシコ行きたいなー、と思ってしまいました。次の旅行記も楽しみにしています!

    ウェンディ

    ウェンディさん からの返信 2017/01/08 20:05:35
    RE: パカル王、気になりますー。
    yinghuaさん こんばんは。

    パカル王のお話は、なんだか浪漫がありますよね。
    パカル王=宇宙人 説も、あのレリーフを見ていると説得力があるし、信じたくなってしまいます。

    パレンケの遺跡には様々な神様のレリーフがあって、マヤの神様好きにとっては結構面白い場所なんです。
    煙草を吸う神様の姿や擬人化されたトウモロコシの神様など、思わず笑ってしまうような図柄が沢山。
    写真に撮ると上手く陰影が入らなくて分かり難く、次回の旅行記でどのように紹介すればよいのかが悩みですが、ともかく、現地では変てこレリーフを見てゲラゲラ大笑いしてきました。

    そんな大笑いしている私をメキシコ人観光客に不思議がられて(というのも、メキシコには遺跡の詳しいガイド本があんまりないらしく、なんとなく凄い遺跡らしい…ということでパレンケ遺跡に来ているメキシコ人多数)、私が、語彙の少ないスペイン語でレリーフの解説をする羽目に…。
    メキシコ人の人には「あなたは考古学者か」と聞かれて、私のネタ本を見せたら、日本にはなんて良いガイド本があるんだ〜とびっくりされました。

    ともかく遺跡を見る時は、ちゃんと事前に知識を持ってから行くと、支払った入場料以上に楽しめますね。

    メキシコシティでは念願のフリーダ・カーロ美術館へも足を運び、充実のメキシコ遺跡巡り旅でした。

    日本人にはあまりにもマニアックすぎる内容のメキシコ旅行記が続くかと思いますが、読んでいただければ嬉しいです。

    本年もよろしくお願いします。

    ウェンディ
  • cookieさん 2017/01/06 00:23:14
    ドキドキ...(;'∀’)
    ウェンディさん

    あけましておめでとうございます。

    旅行記 大変 どきどき物でした。。
    私も 子供の頃から ミステリー 歴史 大好きだったのよーー
    きゃ きゃ。。。

    私のほうは さっそく 親とポンペイに いったんですけどね。。。

    マヤ文化は えーーと あかん わすれつつあるでーー
    チチェン・イッツァ
    行ったのはいいんですが 観光してる途中で 気分悪くなりました。。
    なんとなく ヘビーな空気に包まれてて。。。
    なんともいえないですけど。

    でも ロマンとミステリーが ごちゃまぜされてる遺跡に
    今でも 憧れれますね。

    ナショナル・ジオグラフィックも デスかバリーチャンネルも 大好きな女子ですわー

    宇宙船というのも。
    どきどき!

    これからも どきどき旅行記楽しみにしてますね

    今年も どうぞよろしく

    cookie

    ウェンディ

    ウェンディさん からの返信 2017/01/06 21:51:24
    RE: ドキドキ...(;'∀’)
    cookieさん あけましておめでとうございます。

    年の初めの第一号の旅行記はミステリー調に攻めてみました。
    cookieさんも、謎の…とか、ミステリー…とか、古代の…なんて頭言葉を見つけると飛びついてしまうタイプですね。
    私も、昔から遺跡ものや探検ものの話が大好き。
    今でも不思議発見でエジプト、古代遺跡、マヤ…等々の言葉を見つけると、ついつい見入ってしまいます。
    でも、TVで放映されている内容は、放送内容に合うように季節や土地の距離感がごっちゃになっていることが多いので、自分が現地へと行った時に全然別のところで「あれ…コレは以前にTVで放送していた場所だよね。でも、ココの場所だったけ…」なんていう風に思う事もときたま。
    だから、都合よく編集された日本の番組よりもナショジオの雑誌とかディスカバリーの方が正確なので好きです。

    cookieさんはポンペイの遺跡に行ってこられたのですね。
    私はポンペイというかイタリアはまだ未踏の地です。
    20年位前に横浜でポンペイの壁画展があり、そこで見た実物の人の抜け殻(といってしまうと妙ですが、火山灰の中から見つかったヒト型の空洞)を見て、さらに人が一瞬にして蒸発してしまうような町に残された公衆浴場や富豪の家の壁画を見て、行ってみたい気持ちがとても強くなりました。
    あれからもう20年が経っていますが、まだ行けていないのが残念です。
    でも、今は体力勝負な旅先が最優先。
    もう少し、オトナになったらポンペイにチャレンジしたいと思っています。

    今年もcookieさんのオシャレな欧州旅行記、楽しみにしていますね。

    本年もよろしくお願いします。

    ウェンディ
  • こあひるさん 2017/01/04 13:31:37
    マヤ文明面白いですね
    ウェンディさん、明けましておめでとうございます。

    ランチが長すぎて、見学時間が30分しかなかった・・・って、あまりにも「らしすぎて」笑っちゃいました。

    マヤ文明というと、生贄なんかの血生臭いイメージが強いですが、あながちそのイメージも間違いじゃないようですね。でも当時の人々からすると、残酷なことをしているとか、罪悪感があるとか・・・現代のわたしたちとはまったく考え方が異なるので、わかるような・・・やっぱり想像しきれないような・・・不思議な気分になります。

    私自身が、こういうところに実際に旅してこの目で見ることはできないと思うのですが、ウェンディさんの旅行記で、深く色々教えて頂けので、とてもワクワクします。

    今年もどうぞよろしくお願いしますね!

    こあひる

    ウェンディ

    ウェンディさん からの返信 2017/01/04 16:54:45
    RE: マヤ文明面白いですね
    こあひるさん あけましておめでとうございます。
    今年の年末年始は私にしては珍しく家の掃除に明け暮れ、少しだけサボっていた旅行記の更新をしています。

    昨年の冬に訪れたメキシコの旅は、オルメカ文明、マヤ文明、サポテカ文明の3つの文明を巡る旅で、この旅は今振り返っても、かなり濃厚でマニアックな旅でした。
    この旅行記で紹介したマヤ文明のパレンケ遺跡も遺跡名はメジャーですが、その旅の内容はドロドロの濃厚スープみたいな感じで、かなりお腹いっぱいになりました。

    マヤ文明は生贄を集めるために隣の部族に戦争を仕掛ける様な好戦的な文明でしたが、生贄候補となり捕虜として生け捕られた敵国兵士たちは、実は捕虜となった事をあんまり悲しんでいなかったという事実があったそうです。
    その理由はマヤ文明独特の考え方で、生贄となったり戦いで殺されるのは非常にラッキーな死に方で、死後の世界で転生できると考えられていたようです。
    生贄として捕えられたのに何かの理由で生贄に供されなくなった場合などは、生贄にしてくれ〜と懇願する兵士もいたそうです。
    一方、病気とかで死ぬのはNGだったみたいですね。

    現在の常識からは考えられないような文化がかつて存在した。
    そして、未だその文化の全容は解明されてはいなく、霧に包まれている状態。
    そういうのってワクワクしますよね。

    旅行記はもう少しパレンケ遺跡が続き、その後はメキシコの不思議な景観なども紹介していきます。

    本年も、よろしくお願いします。

    ウェンディ
  • ひろさん 2017/01/03 10:18:56
    明けましておめでとうございます
    ウェンディさん、こんにちは!
    いつも為になる旅行記有難うございます!

    自分は小さい頃に見た川口探検隊の番組から
    こういうのに興味を持つようになりました。
    なので、こういった内容には興味津々です。

    マヤ文明、古代エジプトとの関係やシュメールとの関係等
    色々な不思議がありますが人を惹きつける魅力は
    やっぱりその謎にありなんですかね〜

    パカル王の眠る石棺の蓋のレリーフの件
    旅行記読むまでその解釈を正確に知りませんでした
    読むまで、ずっと宇宙船だと思っていました(汗)

    今年も1年、また旅行記で色々な事を教えてください

    ひろ

    ウェンディ

    ウェンディさん からの返信 2017/01/03 13:03:50
    RE: 明けましておめでとうございます
    ひろさん 明けましておめでとうございます。

    マニアックすぎる程のチアパス旅行記を読んでいただいてありがとうございます。
    昨年の初めのメキシコ旅行ですが、滞在中にいろんなことがありすぎて、それに伴って書きたいことも多くて、旅行記の構成方法などの頭の整理が追い付きません。
    だから、更新が亀さんの様なスローペースとなっています。

    子供の頃に読んだ本やTV番組は、その後の人生の方向性や考え方に大きく影響しますよね。
    私もノンフィクションやドキュメンタリー系は大好きでしたが、川口探検隊の番組も目が離せませんでした。
    スポーツ紙のタイトルの様なドキドキしてしまう番宣や、あの独特のナレーター。
    親には嘘ばっかりなんだから信じないでね…と言われていても心のどこかで信じてしまうような「世紀の大発見、巨大○○、人喰い○○…」の文句に心踊らされていました。

    今回のパカル王の石碑のレリーフの宇宙船の話は、子供心に本当に信じていました。
    ナスカの地上絵の描写の正確さも、エジプト・ギザのピラミッドがアフリカの大地に描かれた地上絵でオリオン座のベルトの三ツ星に当たるのも、みんな宇宙人が関与しているから…そう信じていました。
    まぁ、オトナになってもG・ハンコック氏の本を読んでみたりしながら、色々愉しんでいますが、どれもこれも夢のある話ですよね。

    研究により明かされる真実も大切ですが、遊び心や好奇心をそそるトンデモ説も楽しいです。
    そんな物もひっくるめて、今年も旅をしていきたいと思っています。

    本年もよろしくお願いします。

    ウェンディ

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