2015/12/26 - 2016/01/02
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ウェンディさん
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2015年の冬旅は、メキシコの密林遺跡を巡るひとり旅♪
旅の計画に当たり、最初にリサーチしたのは現地の天候でした。
メキシコと言えばカリブの海賊などの常夏の海のイメージが強いですが、実際に国があるのは北半球で訪れる地域の標高や緯度によっては冬旅には不向きの場合もあり得ました。
しかし事前リサーチで分かったメキシコの年末年始の天気は、雨は少なく日中の気温は18℃から25℃位と遺跡めぐりにはぴったりな気候で、旅をするには最高の時期だと考えて旅立ちました。
でも、現地で分かったことは、天気予報なんてクソクラエ。
私がメキシコで最初に歩いたラ・ベンタ遺跡では気温は軽く30℃を超え、顔から汗が噴き出す様な環境で体感温度は確実に32℃を超えていました。
だから、旅の4日目に歩いたパレンケ遺跡では密林遺跡の暑さに備え、朝にクエン酸粉末を溶かしたペットボトル3本を準備し遺跡探検へと挑みましたが、その水分消費量はあっという間で、お昼を迎える前には1.5Lの水分が私の体に吸収され、そして瞬く間に汗へと変わり蒸発していってしまいました。
季節は冬なのに遺跡の中は日本の真夏並みの陽射しと暑さ、そしてジャングルの木々が作り出す多湿な空気に包まれ、パレンケ遺跡の散策は想像以上に体力を必要とするものでした。
そんな大変な思いをしながらも歩き回ったパレンケ遺跡でしたが、朽ちたマヤ遺跡の中に残るレリーフに描かれたマヤの神様たちのユニークな姿はもう感動もの。
パカル王=宇宙人説の起源となるレリーフが見つかった碑文の神殿や、煙草を吸うオジイサン神様の姿、トウモロコシを擬人化した神様の姿(マヤ神話ポポル・ヴフは独特のお話で、ヒトの原型はトウモロコシから作られたと伝承されている)の彫り込まれたレリーフもあったりで、私の目は、神殿の中の壁画たちに釘づけ♪でした。
更にパレンケ遺跡では、私も生まれて初めて体験する珍事件もありました。
それは、遺跡は大好きだけれどもそれはあくまでも興味レベルである私が、メキシコ人相手に遺跡壁画の読み解き教室を階段ピラミッドの上で開催してしまったこと。
まさか、今までため込んできた遺跡に関する雑学がこんな形で役立つとは…と私自身もビックリでしたが、レリーフを見て感じた感動を他の方が同じ様に共感してくれるのは、非常に嬉しい経験となりました。
この旅行記では、宇宙人説のあるパカル王の墓以外にも見所たっぷりのパレンケ遺跡;メキシコ人も感激してくれたパレンケ遺跡の壁画について紹介していきたいと思います。
☆★☆★☆旅程 2015/12/25~2016/1/2☆★☆★☆
□12/25 成田-バンクーバー-メキシコ・シティ
□12/26 ビジャエルモサ、ラベンタ遺跡、パレンケ
□12/27 ヤシュチラン遺跡、ボナンパック遺跡
■12/28 パレンケ遺跡、ミソル・ハ、アグア・アスル
□12/29 オアハカ モンテアルバン遺跡
□12/30 ミトラ遺跡、エルトゥーレ、イエルベ・エル・アグア
□12/31 メキシコ・シティ、フリーダ・カーロ博物館、国立人類学博物館
□1/1 メキシコ・シティ-バンクーバー-
□1/2 -成田
☆★☆★☆続・母さんの一人旅~メキシコ編☆★☆★☆
デカ頭に会いに・ラベンタ遺跡 http://4travel.jp/travelogue/11091613
暗闇の迷宮・ヤシュチラン遺跡 http://4travel.jp/travelogue/11124868
宇宙人が介在!? パレンケ遺跡 http://4travel.jp/travelogue/11202484
お母さんは、にわか解説員 https://4travel.jp/travelogue/11294321
ジャングルで水遊び♪ https://4travel.jp/travelogue/11296494
オアハカの洗礼 https://4travel.jp/travelogue/11297815
時を止めた岩Hierve el Agua http://4travel.jp/travelogue/11311212
フリーダ・カーロの世界 https://4travel.jp/travelogue/11314204
☆★☆★2011年~母さんの一人旅・ボリビア編~☆★☆★
現地で手配!ティワナク遺跡 http://4travel.jp/travelogue/10637661
ウユニで人さらい http://4travel.jp/travelogue/10637723
チリ国境までの湖巡りドライブ http://4travel.jp/travelogue/10638094
ラパス市内観光 http://4travel.jp/travelogue/10638521
太陽の島でトレッキング http://4travel.jp/travelogue/10639292
Espejo del Cielo http://4travel.jp/travelogue/10648118
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2011年の初メキシコ家族旅から4年を経て実現した2015年のメキシコの古代文明を巡るひとり旅。
この旅の基本は観光名所を繋ぐ旅なのだが、随所に私なりのこだわりミッションが散りばめられていた。
旅の2日目に訪れたラ・ベンタ遺跡でのミッションは奈良県明日香村で見つかった猿石(6世紀の作と推定されてる)とオルメカ文明の出土品の共通項を探しだすことで、3日目のラカンドン遺跡でのミッションは、初期のマヤ遺跡が残した1000年前に描かれた色鮮やかな壁画を己の眼に写し取ってくることだった。ヤシュチラン遺跡 史跡・遺跡
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そして、旅の4日目となるパレンケ遺跡ではパカル王=宇宙人説の真相を探るのが一番のミッションではあったが、此処でのタスクはそれだけではない。
パカル王が基礎を作ったと云われる宮殿(王宮)を探検するのもその目的の1つだった。
宮殿には他のマヤ遺跡では見つかっていない高い塔(天文台だと推測されている)があり、そこにはパカル王に関する謎が隠されている。
また、パカル王の息子であるカン・バラム王が描かれたレリーフは、他のマヤ遺跡では見ることの出来ない特徴を持つと云う。
(写真:パカル王の墓所である碑文の神殿前から眺める宮殿)女王のトイレ by ウェンディさん古代都市パレンケと国立公園 国立公園
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宮殿が建てられているのはパレンケ遺跡の中央部分で、他の構造物と同じように積み重ねられた石段の上に建物が作られている。
パレンケ遺跡の建築物の石段が階段状に組まれている理由は、一般的にはマヤ人の太陽崇拝に由来し、神である太陽に少しでも近づきたいという原始的な欲求から来ていると云われている(エジプトのピラミッドと同じ理由)。
でも、メキシコの遺跡がピラミッド型(山型)をしているのは本当にそれだけが理由なのだろうか。
私には太陽崇拝とは別に現実的な理由があったのではないかと云う気がする。
現実的理由…とは、この地方の気候に由来するもので、夏に雨季を迎える熱帯地域では大雨の時には川が氾濫し、平地にある簡易的な小屋などは簡単に流されてしまったことだろう。
近くに大きな山も無く、いったん洪水が起きてしまったら逃げる場所はどこにもない。
川にはワニなどの危険な生物も多く生息していたことだろう。
そんな時に石積の階段ピラミッドがあれば、避難場所と成り得たのではないかな。 -
そんな思いを抱きながら宮殿の石段を登り建物の基礎部分へと辿り着くと、目の前に現れるのはマヤ・アーチのある回廊だ。
マヤ・アーチの右後ろに見えるのは、パカル王の墓所でもある碑文の神殿だ。 -
マヤ・アーチとはマヤ文明独特の三角形型をした屋根の内側構造を指し、重い石積みの屋根にかかる重力の分散を目的として作られている。
石積みの重力負荷を軽減するアーチの建築方法としては、ローマ時代の水道橋の橋脚(ローマ・アーチ)が世界的には有名だ。
マヤ・アーチとローマ・アーチの二つのアーチの大きな違いは石の積み方(組み方)。
ローマ・アーチでは台形に形を加工した石をアーチの内側が滑らかな半円を描くように組むが、マヤ・アーチでは四角い石を水平にずらしながら組み、その頂点に中心を繋ぐ石を入れる持送りアーチと呼ばれる構造だ。
そして、この二つのアーチ構造でより強力なのはローマ式の石組みで、マヤ・アーチの強度は残念ながらローマ・アーチには劣っている。 -
少し前までの研究では、マヤ人は強度のあるローマ式の石の組み方を知らなかったので、簡略化されたマヤ・アーチの手法で屋根の構造を作るしかなかった…とされていた。
しかし近年の研究では、実はマヤ文明の人々はローマ・アーチ石組みの方法も知っていたのだが、敢て用いなかった・・・とする説が有力となってきている。
では、何故マヤの建築家はわざわざ強度が落ちる持送りアーチ(マヤ・アーチ)方式を神聖な建物の屋根に使っていたのか。
その理由は、彼らの主食であるトウモロコシに由来している・・というのが現在の定説だ。
トウモロコシはもともとが中南米原産の穀物で、ペルーやボリビアのインカ文明においても神聖なる食べ物として崇められていて、マヤ文明でも同じように神格化されていた。
そして、マヤ人は神と同格に扱われていたトウモロコシの形を三角形にデフォルメし、その形を神聖なる建物の屋根に取り入れていたらしい。
最初に、マヤ人がトウモロコシから三角形を連想したと聞いた時は、かなりこじつけっぽい説だとも感じたのだが、よく考えてみればトウモロコシは英語ではCorn(コーン)で、道路工事に使う赤い三角形の置物もアイスクリームを入れる円錐容器もトウモロコシ(または円錐)を意味する「コーン」と言う呼び名で呼ばれている。
日本にも、トンガリコーンという指に嵌めながら食べるトウモロコシ原料のお菓子もあるので、マヤ・アーチの形がトウモロコシに由来するとする説は、それなりに根拠があるのかもしれない。
(写真:宮殿にある別のマヤ・アーチの屋根)日本が高床式住居の頃(聖徳太子もまだ影も形もなかった頃)、マヤには水洗式トイレがあった!? by ウェンディさん宮殿 建造物
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そんな風に考えながらマヤ・アーチを眺め、宮殿の回廊を歩いていたら、壁に開けられた不思議な形の窓に気が付いた。
その穴はアルファベットのT字型、凸型をひっくり返した形をしていて、宮殿の壁の至る所に開けられていた。
壁を貫通している穴もあれば、壁の中央に中途半端に彫り込まれた穴もある。
(写真:貫通しているT字穴) -
そして、レリーフのデザインの一部であるかのように開けられた穴もあった。
どの穴もサイズはそれぞれ異なるが、その形は決まってT字型だ。
このT字穴に関しては現地ではたいした情報は得られなかったのだが、帰国して少し調べてみたら興味深い話が出てきた。
いずれも真偽のほどは定かではなかったが、ナルホド・・・と思えた話をいくつか紹介したい。
(写真:壁に浅く彫り込まれたT字穴) -
・説1:空気穴
宮殿は石造りの建物なので縦のラインの空気の流通は良いが、横のラインでは空気が動かない。だから、壁に空気穴を開けて空気の通りをよくした。
→この説は私も現地で考え付いたくらいだから、一番ノーマルな考え方だろう。
・説2:壁の質量軽減
宮殿の建物は石造りでかなりの重さがある。だから、壁のところどころに穴を開け、建物の重さを軽くしている。
→一見、ナルホド・・・と納得しそうになるが、建物の重さを軽くしたいのならば石組みで四角い穴を作ればよいだけで、わざわざT字型の様な複雑な形の穴を開ける必要はない。また、T字型の穴は却って壁の強度に歪をもたらすと思う。
・説3:鍵穴
宮殿の建物に作られたT字穴は実は鍵穴で、パレンケ王の持つ秘密の石の鍵とぴったりと合致するのは建物内にいくつもある鍵穴の中で1つだけ。その穴に王の持つ石鍵を入れると隠し扉が静かに開き、パレンケの財宝が眠る宝物庫へと入ることができる。
→つまり、宝物の部屋を分からなくするためのダミーの鍵穴が山ほど作られているという説だが、全部の鍵穴を試してみればいつかは本物の宝の隠し場所の鍵穴に行き当たるのだから、泥棒避けにはあまり役に立たないと思われる。
でも、この考え方はもう少し深く追求してみると、あながち間違いではないかもしれない…とも思えてくる部分もある。
もし、実は全ての鍵穴がダミーで、本当の宝物殿へは異なる方法でアクセスするとしたら、どうだろうか。
泥棒たちは故意に流された偽の鍵穴情報に惑わされ、壁に開けられた大きな鍵穴ばかりに目を向け、本当の隠された鍵穴には気が付くことはない。
もしかして、説3が正解だったりするのかもしれない。
(写真:レリーフの一部のようなT字穴) -
宮殿の建物はパカル王の時代に建築が開始され、その後の王の世で次々と建て増しされていったので、内部の構造は秩序が無く迷路の様で、ふらりと歩いていると自分が何処を歩いているのか分からなくなり、迷子になりそうになる。
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そんな入り組んだ構造物の中で方向を見定める目印になるのが、天文台(天体観測塔)と呼ばれる3層構造の塔で、戦の時の物見の塔にも使われていたらしい。
この様な塔形の天文台はマヤ文明の他の遺跡ではまだ見つかっておらず、パレンケ遺跡に特異的な形だそうだ(現代人から見ると一般的な天文台の塔に見えるが…)。
そして、この天文台の塔にはちょっとしたトリビアがある。
それは、冬至の日に天文台の塔からパカル王(宇宙人説のある王)の墓所方向を見ると、神でもある太陽がパカル王の墓所(碑文の神殿)を覆うかのように沈んでいく。
私がパレンケ遺跡を訪れたのは冬至から1週間後の12/28なので、完全に日没の方向は一致しないが、太陽の動きが冬至の日と似たようなラインを通る頃。
天気が良ければ夕方にこの天文台の塔へと登り、パカル王の神殿方向へと沈む夕日の光景を見たかったのだが、残念なことに天文台の塔の上へは今はもう登ることが出来なくなっていた。 -
天文台の裏側へと廻る。
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天文台の裏には地面が1mほど下がった広場のような空間;東の広間があり、広間の柱には多くのレリーフが残されていた。
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しかし、そのレリーフの殆どは1000年以上も風雨にさらされた影響で摩耗し、何かが彫ってあったという痕跡は見てとれるものの、彫られた物が何であるのかを判別するのが難しい状態だった。
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そんな中でもかろうじてマヤ・アーチの下に保護され劣化を免れたレリーフが数枚あり、現在は風雨を遮る屋根を付けられて保存展示されている。
その一つがこの写真のレリーフで、戦争により捕虜となった奴隷が連行される姿を現してると解釈されている。
このレリーフが発見されたことにより、この東の広場は生け捕りにした捕虜のお披露目の場でもあり、処刑(拷問)の場であったとも考えられている。 -
レリーフの中には明らかに捕虜とは異なる姿の像も有った。
髪飾りをつけ、その右手には杖のようなモノ(鍵束の様にも見える)を持っている。
このレリーフには解説が無かったので詳しくは分からなかったが、多分、奴隷を見定める当時の王の姿を彫ったモノだろう。 -
広場の片隅には、組み合わせ文字であるマヤ文字のレリーフもあった。
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宮殿は、部屋がそのまま残っている部分は少なく、建物の壁部分はかろうじて残っている程度で、マヤ・アーチがあった上部はその殆どが崩れ去ってしまっている。
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イチオシ
そんな昔の小部屋であった空間に腰を下ろして、少し休憩。
目の前にはパカル王の墓所である碑文の神殿の姿がどど~んと見える。碑文の神殿 建造物
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碑文の神殿は、神殿本体の下から見上げても最上部の入口部分は殆ど見えないのだが、少し離れた宮殿の石段の上から眺めると、その入口の構造もよくわかる。
墓所である碑文の神殿の構造はエジプトのピラミッドと共通する部分も多く、玄室があるのは神殿の中央部。
碑文の神殿の石段の高さは25mあり、その中腹の内側に玄室(墓所)が作られ、発券された時、最上部から玄室までの道は土砂で埋められ、玄室の入口には大きな石の蓋がしてあったそうだ。
そして、玄室から最上部には亡くなった王の魂が通るための道が見つかった・・・というのだから、エジプトのピラミッドとの不思議な共通点には驚かされる。 -
短い休憩後は宮殿探検の再開で、今度は南側の迷路を進む。
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宮殿内を探検する時には、観光客は1000年以上昔に作られた石のマヤ・アーチの下を歩かなければならないのだが、その石組がいつ崩れてきてもおかしくないような状態で、石組みの下を潜る時にはちょっと勇気がいる。
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宮殿の南側は比較的痛みが少なく、壁がそのままの形で残る場所も多い。
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南側はどうやら住居的な役割を果たしていた建物だったらしく、半地下構造となっていて、小部屋のようなしっかりとした造りも残っていた。
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ここはマヤ・アーチの形が美しく残る地下空間で、蒸気サウナとして利用されていた場所だという事だ。
パッと見はただの地下通路にしか見えないので、この空間をどのようにサウナとして使っていたのかは私には分からない。 -
そして、人間の生活には欠かせない施設も残っている。
仕切られた空間にあるのは、縦型に穴の開いた石。
この石の役目は、洋式便座だそうだ。
パレンケ王国の創立は4世紀ごろ。
日本ではまだ聖徳太子も生まれていない時代なのだが、そんな時代にパレンケ王国では水洗式のお手洗いが王のために準備されていた。
この写真を撮影する私の足元の石畳の下は空洞になっていて、そこを水が流れていたそうだ。 -
更に、王の排出物は次の間で従者がチェックし、健康管理をするヘルスマネジメントまで行われていたというのだから驚きだ。
従者が水路を覗き込んだ穴が、写真手前の石の割れ目。
この割れ目からでは暗くて水路の中は良く見えなかったと思うのだが…。
もしかして、ブツを引き上げてチェックしていたのだろうか。 -
宮殿をグルグルと歩いていたらあっという間に時間は9時過ぎ。
そろそろ、遺跡内には団体様の姿も増えてきているので、朝の静かな遺跡の時間は終わりの様だ。
ここからは観光句客が多くなってきたエリアを少し離れて、南にあるジャングルの中へと足を向ける。 -
ジャングルの中には小さな神殿遺跡が何個かあるのだが、全ての神殿遺跡を観光客が見学できるわけではない。
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ガイドブックにも基本は小さな神殿遺跡については一切記述がないので、此処から先の道は何が出てくるのかは未知の世界だ。
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この日私が歩いたパレンケ遺跡の地図(遺跡入口にあった看板を撮影)がこの写真で、訪れた場所に名前を入れてみた。
地図の中には細かな住居跡の遺跡が山ほどプロットされており、私が歩くことが出来たエリアは遺跡全体のその一部に過ぎないことがよくわかる。 -
南のジャングルの中には苔むした小さな神殿遺跡が山ほどあったのだが、その中でのお勧めは神殿17:【戦士の神殿】だ。
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イチオシ
神殿の上部の壁には王と従者の姿が描かれたレリーフがあり、その周りを音節文字と頭文字が作るマヤ文字が躍っていた。
きっと、王の名前や偉業について記してあるのだろう。 -
このレリーフのマヤ文字は、先ほどの宮殿で見たマヤ文字よりもはっきりとしていて、そのユニークな図柄がハッキリと分かる。
マヤ文字は、音節文字と頭文字(人や動物の顔や全体像をイメージした象形文字)を組み合わせた合体文字だ。
この構造は漢字に似ている部分もあり、マヤ文字の音節文字と頭文字には漢字における偏と旁(つくり)の様な関係性があり、音節文字が読みや属性を表し、頭文字が象形文字的な感じでその意味を表す。
例えば、写真左下のマヤ文字は二つに分解してその意味を推測できる。
漢字の偏に当たる部分が、縦長の棒に○が4個ついている部分はマヤ文字の数字に当たり、9を表す(マヤ文字の数字表記は単純で、長い棒:5、○:1を示す)。
そして、漢字の旁部分になるのが、数字の横にある頭文字で、多分ジャガーの顔を表している。
このマヤ文字が表すのは、【ジャガー9年】という年号か、【9頭のジャガーを殺した王】という名詞だと推測できる。
マヤ文字の音節文字と頭文字の組み合わせは5万通り以上あるとされ、その解読はまだ研究段階を出ていない。
だから、このレリーフにどんな内容が彫られているのかはまだはっきりとはしないのだろうが、このレリーフにはやたら数字が出てくるので、王の名前ではなく、王の一生などの暦を表現しているのかもしれない。 -
南の密林の中をウロウロした後にやって来たのは、パレンケ遺跡での3つ目の見所;十字グループの神殿群と呼ばれるエリアだ。
十字グループの神殿群のマストな見所は3つ【十字の神殿】【葉十字の神殿】【太陽の神殿】で、此処でのポイントは他の場所では目にすることの出来ないユニークなレリーフたちだ。
そして、全ての神殿でその階段ピラミッド部分を登ることができるのが、私的には嬉しい部分でもあった。
20年程前までは、魔法使いの神殿で有名なウシュマル遺跡やククルカン神殿で名を知られるチチェン・イッツァ遺跡にある階段ピラミッドも登ることが出来、頂上からの絶景を愉しめたそうだが、今はもうこれらの遺跡でのピラミッド登頂は禁止されている。
パレンケ遺跡のピラミッドだって、登頂が出来なくなるのも時間の問題かも知れない。
(写真:太陽の神殿から眺めた十字の神殿) -
時間はまだ9時半過ぎだが遺跡の中の気温も湿度もはかなり高く、歩くだけで汗がタラリと顔を流れ落ちる。
そんな環境の中、十字の神殿の石階段を登り始める。 -
石階段は段差が大きく、一歩一歩の歩幅が合わなく、非常に歩きにくい。
最初は比較的軽快に登っていたのだが、だんだん疲れで腿が重くなり、足の上がるスピードが遅くなる。
たまに、目測を誤ってつま先が石段につまずくことも・・・。
こんな処で転んでしまっては恥ずかしいので、一歩一歩、慎重に登る。 -
ハァハァと肩で息をしながらも辿り着いた頂上部分、十字の神殿の心臓部だ。
神殿の飾り窓の石組みもまだ美しく残っていた。 -
まずは、神殿の中、突き当りにあるレリーフを覗き込む。
・・・って、ただの真っ白い石板??? -
神殿の奥に鎮座する石板は確かにぱっと見はただの石に見えるが、よく見るとその表面には凹凸があり、何かが彫り込まれていることがわかる。
非常に分かりにくいのだが、このレリーフはパカル王の息子であるカン・バラム二世の姿を表現している。
写真では、左側に子供時代のカン・バラム二世が右を向いて立っているのが識別できる。
中央にあるのは十字型のセイバの樹(生命の樹)で、右端に立っているのは王に即位したカン・バラム二世だ。(このセイバの木の形から十字の神殿と呼ばれている)
写真では彫刻の凹凸が分かりにくいが、現地のレリーフはもう少し分かりやすかった。 -
イチオシ
そして、この十字の神殿には、此処でしか見ることの出来ないレアなレリーフも有る。
ソレがこの写真。
左を向いた老人が彫り込まれているのが分かるだろうか。
このお爺さんが左手に持つのは煙草。
煙草の先からは紫煙が上下にふわりと漂っている様子が彫り込まれている。
この喫煙のレリーフは煙草を吸う神の姿とされており、メソアメリカでは最古の喫煙シーンの図だそうだ。 -
神殿の壁に張り付き、これらのレリーフを食い入るように眺める東洋人の私。
現地の人からしてみれば、私の熱心な遺跡観察の様子はかなり不審な動きに見えた様で、十字の神殿の上でメキシコ人のおばさんが「何をそんなに熱心に見ているのか」と声を掛けてきた。
私自身のスペイン語は旅行会話レベルなので遺跡の専門用語などは分からなかったが、知っている単語を駆使して、目の前にあるレリーフに描かれた煙草を吸う神様の情景をジェスチャー交じりで解説すると、メキシコ人たちから「このレリーフにはそんなことが描かれているの!? 知らなかった!」と拍手喝采!
いつのまにか私の周りには10名くらいのメキシコ人の人だかりが出来上がっていた。十字架の神殿 建造物
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彼等は、君は考古学者なのか?大学の先生なのか?などの質問攻撃をしてきたが、残念ながら私はタダの旅行者で、一寸だけ興味があるので本を沢山読んでいるだけ。
だから、私の愛読する古代メキシコ遺跡のネタ本を披露し、本の中の挿絵を用いながらもう一度遺跡のレリーフを見てもらったら、日本の研究レベルは素晴らしい~とそこでも称賛の声。
彼ら曰く、メキシコでは素人でも分かるように書かれた詳細な遺跡の本は殆どない…とのこと。
(写真:芝崎みゆきさんの二冊の本。私にとっては遺跡めぐりのバイブルのような参考書。現在手元にある本はこんなきれいな表紙の状態ではなく、もっとボロボロになっている) -
行きがかり上、他の神殿についても解説してほしい・・・という話になり、彼らと一緒に葉十字の神殿の階段道を登る。
-
葉十字の神殿にもレリーフがあり、実は此処のレリーフはこの旅で私が一番見たかったもの。
そこに彫り込まれているのは、トウモロコシの神さまの姿。
トウモロコシの葉っぱに包まれた神様がこんなに可愛らしい浮き彫になっている。
マヤ人独特の鷲鼻の顔立ちのオジサマが、ユニークなトウモロコシのコスプレをしている図柄だ。
こんなことをさせられるなんてマヤの神様も大変だね…とも思えるが、神様を漫画チックに擬人化しているのは、マヤ人がそれだけトウモロコシの神様に親しみを感じていたからだろう。トウモロコシ 擬人化しちゃいました! by ウェンディさん葉の十字架の神殿 建造物
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このトウモロコシの神様のレリーフの全体像はこんな感じ(写真)で、十字の神殿でのレリーフ同様に世界樹であるセイバの木を中心に描かれ、樹の上にはケツァル神や太陽神が、樹の脇には豊穣の象徴でもあるトウモロコシの神様が横向きに描かれている。
此処でも即席・青空遺跡教室を開催し、レリーフについて私が知っている部分だけを解説したのだが、とてもよく理解できたと喜んでもらえた。
(しかし、本当にメキシコには素人でも分かるような遺跡の解説書が無いのだろか) -
メキシコ人のおばさま方とは葉十字の神殿の上でお別れして、此処からはまた私の一人の時間。
葉十字の神殿の草の上に腰をおろし、隣にある十字神殿の石階段を眺める。
さっきは勢いで上り下りをしたが、こうやって改めて見ると、けっこう急勾配だったことが分かる。 -
イチオシ
葉十字の神殿の向かい側にあるのは、太陽の神殿(写真:左)だ。
-
今回、3つの神殿を登るに当たり、階段数やその勾配から辛そうなところから優先的に見て登ることにしたのだが、どうやらそれで正解だったようだ。
十字の神殿と葉十字の神殿の階段昇りで、足はもうかなりクタクタ。
次に向かう太陽の神殿の階段が短くって、本当に良かった。 -
太陽の神殿は、戦いの神と太陽のレリーフで有名なのだが、やはり見て面白いのは太陽の神の姿だろう。
太陽と云うよりも、タコの顔みたい by ウェンディさん太陽の神殿 建造物
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写真左中央の宇宙人みたいな顔をしたイキモノ・・・が太陽神で、太陽神の右に立っている戦士がカン・バラム二世王だ。
パレンケ遺跡の太陽神の顔はメガネをかけているようにも見える為、一時はオーパーツかと騒がれたこともあったらしい。
オーパーツとは、それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物品を意味し、英語の「out-of-place artifacts」を略して「OOPARTS」とした語のことで、この神様が眼鏡を着用している図柄に関しては、西暦400年~800年代というメガネが存在しない筈の時代なのに、何故かメガネが描かれている・・・もしや時空を移動できる宇宙人や未来人がこの時代にやってきていたのか!?等の非現実的な解釈を主張する方たちを生み出している。 -
太陽の神殿の隣には神殿14とだけ呼ばれる副名のない神殿もあった。
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神殿14に関しては全くのノーマークだったのだが、階段を登ってみてびっくり。
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王様とお妃さまの仲睦まじい姿が描かれたレリーフがあった。
左下で膝まづくお妃さまの神飾りは風で揺れているのか躍動感があり、なかなか珍しい図柄だ。 -
そして、その隣にあった神殿15はタダの廃墟ではあったが、ここからは王の墓と殉教者18名のご遺体も見つかった場所だそうだ。
-
パレンケ遺跡の南側をぐるりと見て廻ったあとは、再び中央にある宮殿の近くへと戻り、木陰で休憩をする。
神殿巡りは楽しいのだが、どこもかしこも炎天下で体力を非常に消耗し、体がクタクタになる。
疲れるだけならまだよいのだが、怖いのは、遺跡に夢中になりすぎて熱中症になりかかっているのに気が付けないこと。
だから、強制的に休憩時間を挿入する。
宮殿の近くではお土産屋さんの露店が開店準備中だった。 -
休憩がてらプラプラとお土産を見ていたら、どこかで見たことのある猿の置物を発見。
これって、日光の【見ざる・言わざる・聞かざる】の三猿と同じ意味だよね。
日本の反対側にあるメキシコのジャングルの露店が売るお土産が、日本の日光東照宮の三猿と一緒って、なんだか不思議。
この様な状況となった可能性としては、二つの説を考えてみた。
説1. 日本で三猿の置物をみた(もしくはSNS等で見た)メキシコ人が、同じようなものをメキシコで作ったら売れたので、お土産として一般的になった。
説2. メキシコにも昔から日本の三猿のような諺(格言)が存在する。
説1は如何にもありそうなシチュエーションだが、日本の3猿の考え方が現代のメキシコ人たちに受け入れられる(理解できる)とはあまり思えないので、却下。
説2は、調べてみたら面白いことが分かった。
三猿の格言はエジプトやインド、イタリア、アジア・・と世界各国に存在する存在するそうで、何処が発祥の地なのかは明確にはならなかったが、日本に三猿の格言が伝わってきたのは8世紀よりも前のことらしい。
で、いつからメキシコのジャングル地域にこの三猿の格言があったのか。
それが問題になってくる。
もし、メキシコにおける三猿の始まりがコロンブスによるアメリカ大陸発見よりも早い時期(つまり15世紀よりも前)であったならば、話は非常に複雑となる。
その理由は、外界から隔離されていた米大陸にどの様にして三猿の格言が他の国から伝わったのか…が説明できないから。
もしかして、パレンケ遺跡の三猿は実はオーパーツなのかも…と考えたくもなり、
宇宙人や未来人とかを出してきて彼らが三猿というものを中央アメリカの人々に教えた…とすれば話は丸く収まりまるが、そんな説を強引に持ってくる気はないし、現実味もない。
誰か、このミステリーの真相を教えて! -
汗が引いたところで、再び、遺跡探検の再開。
これから向かうのは、今まで見てきた階段ピラミッド遺跡とは異なる雰囲気を持つ北エリア(Groupo del Norte:北グループ)と呼ばれる遺跡群だ。
その北エリアへ向かう途中で見つけたのが球戯場跡。
マヤ文明の球戯は球戯と言ってもスポーツを楽しむものではなく、あくまでも神事で、二つのチームが農作物や戦争の吉凶占いとして球戯を行った。
そのルールは時代と共に変化していったのだが、一番インパクトがあるのが、勝ったチームの主将は勝利後に神への生贄として殺されてしまった・・・と云う時代の話。
マヤ文明では生贄として死ねるのは最高の名誉で、生贄死の場合は死後の世界で神になれたそうだ。
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北エリアは、自然がそのまま残されたエリアで、小さな滝もある。
この辺りの水は石灰分を多く含むので、滝壷部分が棚田状に成形され、まるで小さなパムッカレ(トルコの景勝地)みたいな感じだ。 -
ここには王の家来たちの住居跡と思われる遺跡も多く残されているのだが、北エリアについてはまだ日本でも殆ど紹介されていないので、遺跡好きの旅人にはお勧めの場所だ。
ただし、この北エリアはパレンケ遺跡のメインの観光エリアではないので団体ツアーやパレンケの町から出ている日帰りツアーの人達は立ち入らない場所で、非常に人通りは少ない。
ガイドブック(歩き方)にもこのエリアの紹介はあるが、立ち入りを推奨してはいないので、あくまでも自分の身は自分で守るというスタンスで歩かなければならない場所だ。
(写真:Groupo de murciego;蝙蝠群と呼ばれる遺跡/北エリア) -
イチオシ
この北エリアにはこんな美しい滝もあり、その名も【女王のトイレ】。
自然の滝に対するネーミングで【トイレ】とはあんまりな気がする。
メキシコの方たちは真ん中の水たまりの丸い部分をトイレの便器にでも見立てたのだろうか。
水の中の石灰分が流れるように固まったその景観は確かに優美な雰囲気だが、女王のトイレというネーミングのセンスはどうなのか・・・。
せめて語順を逆にして【トイレの女王(英語風に言えばQueen of Toilet)】の方が印象が良い気がする。女王のトイレ by ウェンディさん古代都市パレンケと国立公園 国立公園
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イチオシ
北エリアの遺跡は小ぶりなものが多いのだが、それなりに面白かった。
パレンケ遺跡の一通りの見所を巡って、時刻は11時。
当初の予定では、この日は夕方まで遺跡の中をフラフラして、1日をかけてのんびりと遺跡を味わおうと考えていたのだが、空中湿度が異様に高く更に気温が35℃近い遺跡の中は、危険地帯。
私のように夢中になる奴は、熱中症を引き起こしかねない場所だった。
そんな状況も有り、ちょっともったいなかったがパレンケ遺跡の見学は午前で終わりにしてミニバスでパレンケの町へと戻り、夕方までゆっくりカフェで休憩し旅日記でも書くことに予定を変更。 -
メキシコに着いてからの3日間は毎日が遺跡三昧だったから、たまにはのんびりとした休憩時間をとっておかないと、旅の後半戦の体力が持たなくなるかもしれないしね。
…そう考えた私はパレンケの町へと戻るミニバスへと乗り込んだのだが、旅には予想外の出来事がついてくるもの。
パレンケの町へと戻る気満々だった私が遺跡を出発した1時間後に居た場所・・・ソレは旅の計画時に行きたいなぁ~と考えつつも時間との兼ね合いで断念した場所だった。
そう、事の発端は、パレンケの町へと戻るミニバスの中で現地ガイドのオジサンと出会ったところから始まったのだが......。
話し出すと長くなるので、その話はまた次の旅行記で。
前の旅行記:
宇宙人が作った古代都市 http://4travel.jp/travelogue/11202484
続きの旅行記:
ジャングルで水遊び♪ https://4travel.jp/travelogue/11296494
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この旅行記へのコメント (2)
-
- らるたんさん 2017/10/22 10:40:23
- 歴史書!?
- ウェンディさん、ご無沙汰しています。
あまりの力作に、3回に分けて拝見しました。
いや~、これは旅行記というよりは歴史書ですね。
元々メキシコに全く予備知識を持たないもので、
老いた頭脳をフル回転させながら
じっくり読ませていただきました。
- ウェンディさん からの返信 2017/10/22 15:17:21
- RE: 歴史書!?
- らるたんさん こんにちは。
中南米の遺跡が大好きなので、どうしても旅行記の内容がマニアック方向へと走りがちでで、今回もできるだけ分かりやすい部分のみを旅行記の中にとりいれましたが、やっぱり重量感タップリの文章になってしまいました。
未だ解明されていないコトが多いメキシコの遺跡や文明にはミステリー要素がふんだんに含まれていて、旅の前に本を読んでまだ見ぬ遺跡に想像を膨らませ、現地で本物の石積みをみて更なる謎が湧き出てきました。
私の文章は個人的な遺跡に対する偏見も含まれていますので歴史書にはなりえませんが、旅行記がメキシコの古代文化について興味を持ってもらえる一端になれば嬉しいですね。
ウェンディ
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