2015/09/20 - 2015/09/21
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aquamarine_324さん
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バルカン周遊の7回目です。
モスタルの観光を終え、サラエボ行きのバスへ乗り込みました。
モスタルはクロアチアクーナも使えるし、クロアチアから日帰りツアーで訪れる人も多いし、違う国に入ったといっても大した違和感はありませんでしたが、サラエボまで来ると、いよいよ未知の世界に足を踏み入れた感じが色濃くなります。
バスターミナルへ到着する前から車窓の風景でビビってしまい、それなのにトラムには乗らずにハラハラしながら繁華街まで歩いたり、予約していたホテルが見つからず本気で焦ったり、思い返すと意味不明な行動も多々あって神経をすり減らしましたが、今となっては良い経験だったと思います。
大きなカトリックの教会があるのに、その目と鼻の先にトルコのコーヒーや紅茶を出すカフェがあり、英語の説明の下にはトルコ語訳が載っていて、かと思えばユダヤ教のシナゴーグがあり、ちょっと歩いたら今度は東方正教の建物…。
単一民族の島国で育った日本人は大半が面食らうと思います。
散策途中に見つけた"Meeting of Cultures"という言葉通り、ここは異文化が出会った場所なのでした。
□9/16 成田→フランクフルト
□9/17 フランクフルト→(ザグレブ)→スプリット(空路移動)
□9/18 スプリット→ドゥブロヴニク
□9/19 ドゥブロヴニク→ブドヴァ→コトル→ドゥブロヴニク
■9/20 ドゥブロヴニク→モスタル→サラエボ
■9/21 サラエボ
□9/22 サラエボ→ベオグラード
□9/23 ベオグラード→(フランクフルト)→…
□9/24 …→成田
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《「ようこそ、バルカンへ。ここはもうヨーロッパではありません、バルカンです」 目次》
#0 ビールは我慢して、名物アップルワインを飲もう! @フランクフルト
http://4travel.jp/travelogue/11053749
#1 夜も眠らない古代ローマ宮殿 @スプリット
http://4travel.jp/travelogue/11058498
#2 暑さ対策にはご用心! @ドゥブロヴニク(前編)
http://4travel.jp/travelogue/11064172
#3 モンテネグロへ日帰りshort trip ブドヴァ編
http://4travel.jp/travelogue/11087999
#4 モンテネグロへ日帰りshort trip コトル編
http://4travel.jp/travelogue/11088007
#5 早朝のバニェ・ビーチを独り占め @ドゥブロヴニク(後編)
http://4travel.jp/travelogue/11094061
#6 "Don't Forget '93" @モスタル
http://4travel.jp/travelogue/11090710
#7 異文化のミーティングポイント、サラエボの光と影
http://4travel.jp/travelogue/11090711
#8 "一番大切なのは、相手をリスペクトすること" サラエボ包囲の爪痕を見る
http://4travel.jp/travelogue/11090712
#9 トルコ兵が叫んだ「白い都!」のいま 〜米原万里さんのエッセイで旅するベオグラード〜
http://4travel.jp/travelogue/11090713
【参考書籍】
○嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (著)米原万里
○終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ (著)木村元彦
○ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争 (著)高木徹
○ユーゴスラヴィア現代史 (著)柴宜弘
○トルコのもう一つの顔 (著)小島剛一
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
引き続き【旅行5日目:9/20(日)】
モスタル15:00→サラエボ18:00頃
領収書を見る限り、税金か手数料込みで20KM(=10ユーロ)です。
ほぼ満席でしたが、このバスはモスタル始発だったので座れました -
自転車を輪行していたツーリストが3人、モスタル出発直前に慌てて乗ってきました。
どこまで行くんだと聞いたら「サラエボ」と答えましたが、実際にはバスが峠を越えた後、降りて行きました。
写真にうまく撮れなかったのが残念ですが、
モスタル〜サラエボ間は、切り立った崖の間を縫うように道路が走っている景勝ルートです。
全く飽きることのない景色は秀逸でした。 -
いつ山道を抜けたのかわからないぐらい自然と市街地に入りましたが、
車窓から見えてくる景色は、クロアチアとは段違いです。
トラムが走る大通り沿いには、銃弾の跡が残る建物が廃墟のまま残っています。
ふつうの建物も色が薄暗く不気味で、なんでわざわざこの色を選ぶの?
というのが率直な感想です。 -
バスの車窓から
晴れていればまた違って見えるのでしょうが
どんよりとした曇り空でこの雰囲気、私には未知の世界です -
バスの車窓から
廃墟があります。
夜は歩きたくないですね
―ヤースナのことを本格的に探し始めたのは、あの凄惨な戦争が始まってからである。
民族紛争が発火したのは、一九九一年のスロベニアとクロアチアの独立宣言、それに引き続く十日間戦争がきっかけだった。でも、そのときは、民族紛争の炎があそこまで燃え広がって多国間戦争の様相を呈してくるとは、ましてや、民族浄化と言われる身の毛もよだつ果てしない殺し合いに繋がるとは予測できなかった。
(『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』 より抜粋) -
バスの車窓から
NEVER FORGET SREBRENICA と書いてあります。
帰国後に調べてわかったのは以下の情報。
本当に身の毛もよだつ、恐ろしい出来事です。
旧ユーゴ内戦の過程で、ボシュニャク人(=ムスリム)がセルビア勢力から逃れてやってきたスレブレニツァという街にセルビア勢力が攻め込んだのが1995/7/11。
スレブレニツァは攻撃を禁じる安全地域に指定されており、国連軍もいたが、それまでも完全にセルビア軍に包囲されて餓死者も出るような状況だったので全く意味を成さず、第2次大戦以降、ヨーロッパでは最悪と言われる大量虐殺に繋がってしまった。
殺害された、或いは行方がわからない人の総数は8,373人といわれている…。 -
ものすごい不安に苛まれた状態で
サラエボのバスターミナルに無事到着しました。
到着するまで全く気付きませんでしたが、日本人のバックパッカーが同じバスに乗っており「地球の歩き方を少しだけ見せてもらえませんか」と声を掛けられました。
夜行バスでコソヴォのプリシュティーナへ行くそうです。
無事に着いたでしょうか -
1984年のサラエボ冬季オリンピックのマスコットキャラクター
「ブチコ」
しかし無残にも銃弾の跡が残ったままです -
サラエヴォ中央駅
駅の前には大きな広場みたいなスペースがありますが
全く使われておらず、ただ広いだけですサラエボ中央駅 駅
-
外観からして不気味な雰囲気でしたが、中へ入ったらもっと不気味でした。。
入口手前のカフェにいた3人の兄ちゃんにギロッと睨まれるし、警官はいるし…
その割には がらんどう だし…
チケットがないと駅のホームには入れないようになっているようですサラエボ中央駅 駅
-
いくら待ってもなかなか来ないというクチコミを読んでいた
繁華街のバシチャルシァへ向かう1番トラムが(珍しく?)止まっていましたが、
何となく、歩いてホテルまで行ってみることにしました。 -
いわゆる「スナイパー通り」
セルビア包囲のとき、道の両側にセルビア軍が潜み、動くものは老若男女問わず全て狙撃対象となりました。
12,000人が犠牲になったといわれています
―スロベニアとクロアチアがユーゴスラビア連邦から離脱独立した後、民族紛争の戦火はボスニアに最も集中していった。ボスニア内のクロアチア人勢力とセルビア人勢力のあいだの殺し合いにボスニア・ムスリム人勢力が絡む形で殺し合いは激化していった。スナイパー通り 史跡・遺跡
-
スナイパー通り沿いに面する
旧ホリデイ・イン
紛争当時、世界中からやってきたジャーナリストたちは
ここに泊まり込み、命の危険も顧みず取材を続け、サラエボの惨状を世界へ発信していたそうです。スナイパー通り 史跡・遺跡
-
そのすぐ横には、近代的なショッピングセンターができていました。
ちなみに名前は「アルタ」ですが、新宿のアルタとは無関係です -
旧市街に近づくにつれて
ちょっと車通りが多くなってきて
ホッとしました -
一番上の、あと1kmの「モスク」が
おそらくバシチャルシァのエリアを指していると思われます。 -
内戦で犠牲となった子供たちの冥福を祈る記念碑
-
何とか日が暮れる前に
観光スポットが集まる「バシチャルシァ」の入口となるプロムナードまで辿り着きました。
駅からここまでは街灯もロクにないので、夜の一人歩きは危険と思います。
かといってタクシーも危ないらしい。
要するに、夜のサラエボ到着はお勧めしません。 -
初めて火が灯ったのは1984年の冬季オリンピックのときですが
背後には、第2次大戦でドイツの占領から解放されたことが書かれていたので、必ずしもオリンピックの聖火という位置付けでもないのでしょう。
図らずもオリンピックの後に勃発した内戦の犠牲者を慰霊する炎にもなっています。 -
サラエボ観光のメインロードです。
これまで歩いてきた場所と雰囲気があまりにも違っていて、ちょっと面食らいます -
ちょっと歩いたところで目に入ってきたのは
SARAJEVO MEETING OF CULTURES の文字
サラエボがイスラム教、カトリック、東方正教、ユダヤ教などの様々な文化がミックスされた街であることを、滞在中には何度も思い返すことになります。
―オスマン・トルコは、征服地域の住民に対して、人頭税さえ納めれば、本来の宗教や文化、習俗に従うことを認めていた。十字軍の蛮行に見られる、キリスト教やユダヤ教の異教徒に対する容赦ない弾圧や殺戮と比べると、はるかに大らかなのである。だからこそ、オスマン・トルコの支配地域には、キリスト教徒が多数住み続けた。それが、今になって、紛争の原因になってしまったわけだが。 -
↑の写真のポイントを越えると、キリスト教の雰囲気からガラッとイスラムの雰囲気に変わります。
観光地ですからそういうふうに整備されているのでしょうが
こういう場所は、私はたぶん今まで訪れたことがなかったと思います。
―ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、ハプスブルグ朝、オスマン朝両勢力の角逐の場であったせいもあって、このカトリック、東方正教、イスラム三つの文明が複雑に入り乱れている。バシュチャルシヤ 散歩・街歩き
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セビリ(水飲み場)
歩き方にも大きく写真が載っていますが、私が訪問したときは周辺が工事中でした。。バシュチャルシヤ 散歩・街歩き
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ホテルはサラエボのみドミトリーにせず、1泊40ユーロの「HOTEL CORNER」に2泊。
しかしBooking.comの地図が実際の場所と違う位置を指しており、全然見つからず焦りました。
既に夜遅くで観光案内所も閉まってるし、もし見つからなかったらどうしようと。。
チェックインしたら「ずっと待ってたのに全然来ないから心配してたのよ!」と
フロントの美人なお姉さんに言われ、しどろもどろになってしまいました(苦笑)ホテル コーナー テラリ 19 ホテル
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荷物を置いて散策に出掛けました。
バシチャルシァの中は夜も賑やかで、この中を移動する限りは特に問題なさそうです。
一本外れると、全然街灯もなく店も開いてない道もありましたが。
どこでディナーにしようか相当迷いましたが
雰囲気が良さそうで席も空いていたステーキレストランにしましたBosanska Kuca ステーキ・グリル
-
店内
向かい側も同じ店で、そちらは軒先のテラスまでぎっしり埋まっていましたBosanska Kuca ステーキ・グリル
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とりあえずサラエヴォ・ビール
無事にホテルへ辿り着いてホッとすると同時に、
ここまで無事に旅できていることを個人的に祝いたかったので
もう寝るだけでホテルも徒歩5分なので酔っ払っても大丈夫ということで
大ジョッキですBosanska Kuca ステーキ・グリル
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ステーキという名前ですが、ボスニアでステーキといったら
チェヴァプチチと元の肉は同じなんですね。
内陸国なので肉がメジャーなようですが
日本人には食べ慣れない味で、好みが分かれそうです。
全部食べましたが、最後はちょっとキツかった。。
会計のため財布を出したタイミングで、小さな女の子に物乞いされました。
わざわざレストランの奥のほうまで入ってきて。
一緒にいたお母さんに怒られて帰っていきましたが。Bosanska Kuca ステーキ・グリル
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ホテルの部屋は40ユーロとは思えないぐらいスタイリッシュで良い感じです。
水回りも清潔。
にしてはBooking.comのレビューが悪いのは、立地のせいでしょう。
HOTEL CORNERという名前の通り、目の前は交差点で、3番トラムが警笛を鳴らしながら交差点のカーブに入って来るので、トラムが動き始める5:30頃には確実に叩き起こされます。ホテル コーナー テラリ 19 ホテル
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【旅行6日目:9/21(月)】
翌朝は8:30頃にホテルを出ました。
雨は降っていませんが寒く、おそらく10℃を切っているだろうという感じ。
コトル37℃→モスタル18℃と旅してきた次の日なので、順応するのが難しいです。
まぁ冬季オリンピックが開催されるような場所だから当たり前なのでしょうが。 -
ホテルの目の前にあった市庁舎
内戦時に砲撃を受け、中に保存されていた蔵書はほぼ全焼してしまったとのこと。。
修復作業中で中へは入れませんでしたサラエボ シティ ホール 史跡・遺跡
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まだ朝早く観光客の姿もまばらだからなのか
セビリ周辺では工事が行われています
9月中旬〜下旬って、ヨーロッパはまだオンシーズンじゃないのかな??
こういう工事ってオフシーズンにやるものだと思うのですが。バシュチャルシヤ 散歩・街歩き
-
寒いので丁度良いと思い
前日にはトライしなかったボスニアン・コーヒーを飲んでみることにしました。
バシチャルシァにはそこらじゅうに飲める店がありますが
雰囲気が良く入りやすそうだったこのお店へ。 -
「コーヒー」と「ボスニアン・コーヒー」が区別されています。
よく見たら「トルコ・コーヒー」もあるけど何が違うんだ??
いずれにせよ、観光地価格にしては2KM(=1ユーロ)は格安と感じます。
ついに「トルコ」の文字が出てきたなと、ちょっと感慨深く思いました。
そうだ、ここはもうヨーロッパではなく、バルカンなのだと。 -
ボスニアに来たら必須科目のボスニアン・コーヒー
コーヒー豆を粉末状に砕き、煮詰め、上澄みだけを飲みます。
エスプレッソみたいなイメージです。
かなり濃いので、これまた好き嫌いが分かれそう
私はあまり美味しいとは思いませんが(苦笑)、この器がいかにも異国情緒あふれる感じで、旅の思い出としてはいいと思います。 -
教会みたいな建物ですが
屋内市場です屋内市場 市場
-
1Fは文字通り市場になっていて、内陸国ですから肉が中心ですが
魚介系も少しは揃っていました。
入ってすぐ左側の階段を登ると2Fのレストランに通じていて、このレストランが
安くて美味しくて旅行者に評判良いようです。
食べる機会がなかったのが残念!屋内市場 市場
-
トラムも走る道に面しているのは
青空市場です。
青空といっても屋内ではないというだけで、屋根はあります青空市場 市場
-
この写真だけ見ると、のどかな市場ですが、
1994年2月5日、多くの市民が買い物を楽しむこの青空市場も、ボスニア内戦に乗じて砲撃されました。
国際世論は犯人をセルビア勢力と決めつけたものの、実際には未だに真実が解明されていないそうです。
市場の奥には、犠牲者を慰霊するモニュメントがあります。
―容貌上の特徴も言語も双子のように相似形の、宗教だけを異にするカトリックのクロアチア人勢力と正教のセルビア人勢力の対立を主軸とし、それがボスニア・ムスリム勢力が巻き込まれた形で今回の戦争は展開した。各勢力とも優劣つけがたい残虐非道を発揮した。青空市場 市場
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目的もなくバシチャルシァを練り歩きます。
バシュチャルシヤ 散歩・街歩き
-
ラテン橋
あまりにも有名な、第一次世界大戦勃発の場所です。
ここでオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻が銃撃に倒れましたラテン橋 建造物
-
何の変哲もない、至って普通の橋ですが…
ラテン橋 建造物
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ラテン橋の目の前には
サラエヴォ博物館があります。4KM(=2ユーロ)サラエボ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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皇太子夫妻は撃たれたとき
こんな格好だったようです。
狭〜い博物館で、一瞬で見終わりますが、テーマは「第一次大戦勃発の瞬間」と明確なので、非常にわかりやすいです。サラエボ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
冬季オリンピックのマスコットのお土産は思ったほどには見ませんでしたが
こんなマグネットも売っていました。
バシチャルシァの中はよく整備されていますが、それが余計に、ここに辿り着くまでの景色とのギャップを強調しているように感じました。
引き続きサラエボ散策を続けます。
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#8 "一番大切なのは、相手をリスペクトすること" サラエボ包囲の爪痕を見る
へ続きます。
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