2014/08/08 - 2014/08/11
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国電さん
■はじめに
寝台特急「あけぼの」号は、昭和45年に誕生した寝台特急である。そして今年(平成26年)3月に、残念ながら廃止となってしまった。その後は繁忙期だけ臨時列車として走ることになったが、これまでの例からすると、その臨時列車も1年程度しか走らない予感がする。よって、今年中に乗ることを目論んだ。
廃止前に乗ることも考えたのであるが、マニアによる大騒ぎがすでに始まってしまっていて、寝台券の入手自体が難しくなってしまっていた。何回も駅に通えば切符自体の入手は不可能ではないが、そういう時期に乗車しても、正直なところあまり面白くはない。
深い理由は良く知らないが、最近の鉄道ファンはマナーが悪い(常識がない)人が多い。車内の公共スペースで勝手に物を掲示したりビデオを設置したり、また撮影のためにホーム上を全速力で走り抜けたり、立ち入り禁止の看板を無視して線路内に立ち入ったり、撮影時に自身のフレーム内に人影でも入ろうものなら平気で罵声を浴びせたり、…と枚挙に暇がない。そういう人たちばかりでは車内は殺伐としてしまうであろうし、見ているだけでも情けない限りである(もちろん、まともなファンもいるが)。できれば、「普通の旅行」として寝台列車を楽しみたい。
それはさておき、夏に関しては8月1日から18日まで(上りはそれぞれ1日前)臨時列車が走ることになったので、往路を8月8日(金)、復路を10日(日)に設定した(その前の週は、ねぶた等の祭りで混雑することが予想されたため)。
指定券発売日である7月8日、昼休みに最寄りのJR駅に行ってみたが、すでに売り切れであった。「団体枠が払い戻しになるまで待つか…」と諦めかけたが、夕刻にネット(サイバーステーション)で確認してみると、△(空席あり)になっているではないか。この△というのが曲者で、残り1席でも△なのである。急いで自宅の最寄り駅に行き、開放寝台の上段ではあったが取り急ぎそれを押さえておいた(帰宅後にネットで確認すると、×(空席なし)になっていた)。
7月10日、昼休みにJR駅へ行ってみると、やはり上り列車の方は人気がないようで、普通に開放下段を取ることができた(残念ながら、ソロ(個室)は満席であった)。
その後の作戦は、「往路はなんとか下段に(あわよくばソロに)」「復路も、できればソロに」変更すること、となった。
団体枠で売れ残った席が一般に開放される時期というのは決まってはいないが、2週間前や10日前くらいが多い。日課のようにしてサイバーステーションを確認し、それまで×であった8日分が○になった日(出発の2週間前)に駅へ行き、ソロは無理であったがなんとか下段に変更することができた。
10日分については、2週間前も10日前も念のため駅へ行ってみたが、ソロは空いていなかった。あとはもう最後のチャンスとして、出発の2日前を狙うしかない。…というのも、JRの場合出発前日からキャンセル料が高くなるため、2日前というのは意外なプラチナチケット(北斗星のロイヤルとか)が取れたりする日なのである。
それにしても、30年以上前から鉄道を趣味にしている人間にとって、「あけぼの」の切符がこんな争奪戦になるとは予想だにしなかったことである。寝台列車の代表格といえば、「はやぶさ」(新幹線の方ではない)や「富士」であって、東北地方であれば「ゆうづる」である。JR発足後は、「北斗星」も鉄道ファンのみならず一般旅行者にまで知られる存在となったが、「あけぼの」はいつの時代もマイナーな存在であった(「万年二軍選手だがなぜかクビにならない」ようなもの)。
毎年のように寝台列車が廃止されていき、今となっては片手で数えられる程度、しかもいわゆる「ブルートレイン」と呼ぶことができる色の車両は、「北斗星」と「あけぼの」だけである。だからこその大騒ぎ、なのであろうが。
私個人としては、旅行以外にも、以前国内出張が多い部署にいた頃は青森に行く際(また戻る際)によく利用したことがある(指折り数えてはいないが、7〜8回はあるのではないだろうか)。ソロにも乗ったことがあるが、やはり「もう乗れない」と思うと心寂しいものがあるため、今回、このようにして乗ってみることにした次第である。
@羽後本荘駅にて
- 旅行の満足度
- 4.5
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-
■2014.8.8
帰宅後に荷物を纏めて、最寄駅へ向かった。まずは窓口へ行って、復路の切符についての最後の空席確認である。
あまり期待していなかったが、マルス(指定券等発券システム)を打って空席の確認をしてもらうと、なんと「2」という数字が出たではないか。窓口氏と私は思わず同時に「お!」と声を出してしまったが、急いでそれを押さえてもらった。とにかく、これで最後の「ソロ」を楽しむことができることになった。
キャンセルが出た理由は、恐らく台風のおかげであろう(台風11号が西日本に接近しており、ルート次第では私も旅行の中止を考えたくらいである。ただし、台風の動く速度が遅かったことと、左に逸れるようであったので、決行することを決意した)。
@欣喜の記念撮影(往路分も含めて) -
御徒町で下車してアメ横の近くにある店でメンチカツやコロッケを買い、酒などはコンビニで仕入れてホームへと向かった。上野駅の頭端式ホームは旅情豊かであるが、ここから寝台列車に乗ることができるのも、あとわずかである(「北斗星」も、余命幾許もないと予想されるため)。
上野駅の旅情については、私の拙文(http://tadanokokuden.web.fc2.com/bunsan2.htm)をご参照ください。
@久々に掲示される -
13番線では、すでに多くの人がカメラを構えていた。ただし多いと言っても40〜50人程度であり、廃止前のあの騒乱ほどではなかった。
列車は21時18分頃に入線してきた。6両編成と短いため、ホームの端まではやってこないようである。早速、宛がわれた4号車に乗り込んだ。
@もはや化石クラス -
私のベッドは、幸いにも進行方向に向いた側であった。しばらくして向かいに乗客がやってきたが、「いかにも帰省」という感じのおばあさんである。これならば、平和な車内を過ごすことが出来そうである。
列車は、定刻の21時33分に出発した。メンチカツなどをつまみながら、安酒を飲む。わかる人にはわかる(当然、わからない人にはわからない)のだが、寝台車で酔いどれて、翌朝目を覚ますと知らない土地にいる、というのは、言葉では表現できないほどの楽しさがある。
@瓶ビールとコップを持ってくるという手もあったかも -
ほどよく酔いどれてから、就寝。
■2014.8.9
朝6時頃に起床、曇天である。鶴岡には6時21分に到着した(定刻)。
復路の出発(日曜の17時11分に青森を出発する「あけぼの」)まで北東北地方でどう過ごすかは、あれこれ悩んだ。五能線や花輪線も考えたが、まずはかなりご無沙汰(といっても5年くらい)の田沢湖線沿線で時間をつぶすことにした。結果論ではあるが、つい先日(8月6日)の豪雨により五能線と花輪線は一時不通になっていたため、これしか選択肢は残っていなかったのであるが。
@笹川流れ…は寝過ごしてしまったので、飛島近海を -
そのうち向かいにいたおばあさんも起きて、洗面後に昔の人らしく「おはようございます」と話しかけてきた(プライバシーが確立している現在では、個のスペースを守るためにさっさとカーテンを引いてしまうが、30年くらい前までは同じボックスになった見知らぬ人にミカンをあげたりしてそこから会話が始まるのが普通であった)。
曰く、毎回この「あけぼの」を使っていたそうであるが、廃止になってしまい不便になったとのこと。「盆と正月は走るって聞いたんで」ということで、今回乗ることにしたそうである。秋田市などはピンポイントで新幹線があるからいいが、秋田前後の羽越線や奥羽本線沿線に住んでいる人にとっては、やはり必要な(便利な)列車であるらしい。
@秋田駅が近づく(臨時列車も走らなくなれば、おばあさんは半強制的にあれに乗らなければならなくなる) -
定刻の8時57分、秋田に到着した。
さて、これから田沢湖線を目指すのであるが、9時21分発に乗ったとしても、何もない(と書いては失礼だが)大曲で時間が余りすぎてしまうので、10時22分発に乗ることにしている。
秋田自体も駅近くにはこれといって見るものがない(と書いてはやはり失礼だ)が、散歩がてらに久保田城址に行くことにした。
期待しないで歩いていると、なんと付近では蓮の花が満開ではないか。まさかの巡り合わせである。
@これは幸い -
台風接近のおかげ(?)で、気温も高くなくて散歩日和である。城址をぐるっと回ってから、駅へと戻った。
10時22分発の列車に乗り、大曲へ。時刻は昼時である。
昼食をどうするか検索した際に、この先の角館で評判の蕎麦屋があることを発見した。鮎の天ぷらなども旨そうであるしそれにしようと思ったが、どうにも私の吝嗇旅行(貧乏旅)にはそぐわない気もする。そこでさらに検索したら、「大曲カレー旨(うー)麺」というのに行き当たった。どうやら昔のB級グルメを復活させたものらしく、提供する店も1店舗だけで、これではC級を通り越しでD級グルメであるが、せっかくなので珍しいものを頂くことにした(日本蕎麦なら、日本各所で頂ける)。
件の店は、駅から歩いて3分程度であった。早速それを注文した。
@麺を頂いた後は、左下のごはんを入れて〆る -
旨麺を頂いた後は駅へ戻り、12時13分発の列車で角館へ。角館の武家屋敷はすでに2回くらい散策したことがあるが、再度歩き回ることにした。残念ながら小雨模様になってしまったが、猛暑の中を歩くよりはマシである。
台風のおかげで汗もかかずに散策を終え、それでも時間が余ったので近場にあった温泉へ行って一風呂浴びた。街中にある施設であったが、意外にも本当の「温泉」(かけ流し)であった。
@風呂上がりには、猫と戯れる -
15時25分発の列車に乗り、盛岡方面へ向かう。途中の雫石で15分ほど停車時間があったので、スタンプを押しに改札を出てみた。すると売店があったので、「地のものでもあるかな」と思って見てみると、まだ16時半頃というのに惣菜が軒並み半額になっているではないか(元の値段自体が格安なのに、さらに半額である)。雫石牛を使用たメンチカツなど、夜用にあれこれ買い占めた。
@その後は峠にある信号場を過ぎる -
16時57分に盛岡に到着し。駅から歩いてすぐの安宿に投宿した。
この季節(お盆)は混み合うし旅館も高くなるが、大都市のビジネスホテルは逆で、出張者がいなくなるためかえって安くなる。私は念のため3か月くらい前に押さえておいたのだが、その後あれこれ調べていると、この日は盛岡で行われる花火大会の日であった。あれよあれよという間に、盛岡市内のホテルは満室となっていった。
その花火でも見に行こうと思っていたのだが、雨が本格化してきている。花火はやはり暑い中で見た方がいいので(昼は「台風のおかげで…」と言っておきながら)、結局ホテルで過ごしてしまった。
スーパーで買った安酒と「雫石セット」で酔いどれる。
@雫石セット(この表示価格の半額!) -
■2014.8.10
今日をどうするかに関しては、八戸線や下北線なども候補となったが、結局は津軽線で三厩まで行くことにした。津軽線は昨年乗車したばかりであるが、「リゾートあすなろ」に乗ったことがないため、それに乗るのが最大の目的である(そして第二の目的が「うに丼」である)。
8時00分発の「はやぶさ95」号で、新青森へと向かった。鉄道に関する文章をサイトに載せることをしていながら、実は八戸以北の東北新幹線に乗るのは初めてである。そもそも高速鉄道はそれほど好きではない=新しい路線ができても乗りにはいかないので、「そのうちそのうち」と思っているうちに開業から4年近くも経ってしまった。
@今さら、ですが -
新青森には9時04分に到着したが、「リゾートあすなろ」の出発までは50分以上ある。どうしたものかと外に出てみると、「あおもりマルシェ」なるイベントが行われていて、いくつもの出店が行われていた。盛岡出発時に、いつもは朝食を食べない私が旅気分に誘われて岩手牛の駅弁を食べてしまったため、今は何も入らない感じであるが、「シャモロック」のつくねが1本110円で売られていたので、つい1本買ってしまった。
@だんだんと「グルメ旅」の様相に -
雨もひどくなってきたため駅構内に戻り、「リゾートあすなろ」も入線したのでホームへと向かった。
@ハイブリッドです -
新青森を9時58分に出発、青森までは逆方向で進み、そこでスイッチバックをして津軽線へと入っていった。
車両の最前部は、展望スペースとなっている。この手の場所はたいてい家族連れなどに占められるため遠慮していたのであるが(大の男が子どもを差し置いて座るのは気が引けるので)、今日は乗車率も3割程度であり誰も最前列の展望スペースに行かないので、青森出発後に遠慮なくそこに行って座り続けた。
沿線自体は、見慣れた風景である(江差線に訪問するため、ここ最近何度も通っているため)。しかし来る度に、新幹線がどんどん出来上がっていくのが手に取るようにわかる。
@工事中 -
降りしきる雨の中走り続け、三厩には11時10分に到着した。
それから町営バス(料金はたったの100円)に30分ほど揺られて、龍飛漁港へと向かった。今日はマラソン大会の関係で国道を走ることができないとのことで、「あじさいロード」という山側の道を走ったが、逆にそれが幸いして紫陽花をたくさん見ることができた。
漁港に到着してからは、強風の中傘を真横にして歩いて、「うに丼」を頂くために店へと向かった。吝嗇旅行が基本ではあるが、海鮮ものは別勘定なのである。
@夏の北東北(と北海道)を訪問した際は惜しみなく -
食後は、知る人ぞ知る「階段国道」を登る。風が強いので傘をさしての階段は難儀を極めたが、紫陽花も綺麗であり、景色も壮大であった。
@こういう際はやはり晴れの方が良い -
町営バスで三厩駅まで戻り、13時40分発の「リゾートあすなろ」で青森へ戻った(青森着14時50分)。駅員に確認したところ、「あけぼの」は予定通り出発するとのことであった。
出発まで2時間以上もあるため、まずは駅前近くにある温泉に浸かり、その後は夕食の買い出しのために駅西口側にあるスーパーへ向かった。
因みに青森駅西口には「森林博物館」というものがあり、ここの庭には森林鉄道で使用された機関車と客車が展示されている。ちょっとした鐵ネタで時間つぶしにもなるので、空き時間が出来てしまった人にはお勧めである。
@こんな感じ -
買い出しを終え、西口から駅構内に入った。「あけぼの」はすでに入線しており、私は宛がわれているソロの車両へと向かった。
これまで何度も利用してきたソロであるが、今日で恐らく最後になるであろう(「北斗星」のソロはまだ残っているが、「あけぼの」とはかなり形状が異なっている)。
@今日で最後 -
部屋番号は4番で、上段であった。私は上段も下段も乗車経験があり、双方それぞれに長短所があるため、正直どちらでも構わない。ところが最近、ネット上で「あけぼのソロの上段に、変な紐が付けられてしまったため、居住空間が悪くなった」との記事を目にしており、そのことだけが気になっていた。
部屋に入ったが、確かに変な紐(睡眠時の落下防止用)があり、車内で動くのも難儀であった。必死になってベッドメイキングをしたが、入退室にも困るほどである。私は決して太ってはいないし、背も平均以下であるからまだいいが、体の大きい人ではかなり苦労するであろう。
@なんとか寝られる状態に(でも邪魔) -
列車は、定刻の17時11分に出発した。走り出してしまえばいつもの寝台列車であるが、この経験ができるのも、もうあとわずかである。
しかし、青森から上野まで乗り通すこと自体、実用的なことではない。17時22分に新青森を出発する新幹線に乗れば、20時32分には東京に着いてしまうのである。
それはさておき、上段のベッドに横たわりながら、過ぎゆく景色を眺め続けた。鷹ノ巣を過ぎてからは、スーパーで買った「青森セット」で一献である。
@品名に「青森産」が付くものだけを厳選 -
■2014.8.11
2時頃、ふと目を覚ますと列車は停まっていた。「酒田辺りで抑止(雨のため運行制限)されていたら困るな」と思って外を見ると、長岡であった。長岡の本来の停車時刻は不明であるが、仮に遅れていたとしても、ここから先は新幹線があるから安心である。
4時半頃に目が覚めて、その後4時46分に高崎に到着した。台風のことをかなり心配していたが、ぴったり定刻である。最初は曇っていたが、だんだん晴れ間も増えていった。
@上段からの眺め(この後、完全な晴天になった) -
快晴の中を走り続け、定刻の6時20分に上野に到着した。私にとっての最後の「あけぼの」は、これで終了である。
他の車内を見てみると、解放上段はもちろん、下段にも意外なくらいの空席(リネン類が使用されていないベッド)があった。出発時に車掌が「本日は満席に」と言っていたから、恐らく台風を懸念して旅行自体を直前キャンセルした人が多かったのであろう。
この列車にはいくつもの思い出があるが、一番強烈であったのは2006年の7月に乗車した際のことである。東北地方を旅行しており、最後に「あけぼの」に乗るために青森駅に行ってみると、羽越線が災害で不通となってしまっていた。運休=新幹線への振り替えになると思ったのであるが、駅員に聞くと、なんと「北上線経由で上野まで行きます」とのことで、かなり驚いた記憶がある。
北上線経由で運行されたその列車もかなり遅れてしまい、結局は黒磯で新幹線に乗り継いだのであった(なお、遅延が理由であるため新幹線料金は不要であった)。
いずれにせよ、お疲れさまでした。
@この日の上野駅での姿
*旅行記および私の詳細については以下で。
「鐡旅」http://www2u.biglobe.ne.jp/~kokuden/tetu.htm
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この旅行記へのコメント (5)
-
- マプトさん 2014/08/13 21:39:58
- 寝台特急
- お晩でございます。
寝台特急っていう言葉自体、希少価値の昨今ですね。高校の修学旅行は、十和田丸で青森にわたり、ゆうづるで上野への時代でした。それが普通の時代で、飛行機なんて遠い存在でした。
あけぼのは、一昨年、御殿場への出張の時、利用しました。北斗星や飛行機ではなく、あけぼのを利用したのは、庶民的な寝台特急を利用したかったからです。私から見れば、あけぼのが最後の砦でした。
道民の中では、東京は行ったことがありが、東北は知らない・行ったことが無いと言う人が増えているんですよ。
- 国電さん からの返信 2014/08/13 22:16:03
- RE: 寝台特急
- マプト 様
ご訪問ありがとうございます。
実は私は道産子なのです。3歳で内地に引っ越したのですが、その後1〜2年に1回くらいは親戚に会うために旭川に帰っていました。
年に1回以下の行事だったので、親は頑張って当時としては珍しい飛行機で移動していたのですが、1回だけ「ゆうづる」(+連絡船など)で移動したことがあります。私が小学2・3年生の頃なのでうろ覚えなのですが、あの幅の狭い客車三段式で、しかも親と共有だったのでかなり狭かった(しかし楽しかった)記憶が少しあります。もう、「今は昔」の世界ですが。
段々と旅行が「線」から「点」になっていき、北海道から東京へは行きやすくなる反面、その途中(東北地方)には行きにくくなるのですね。目的地よりもその「過程」を楽しむ私としては、残念なことです。
高校2年の時に初めて北海道一人旅をして、廃止間際の青函連絡船で青森を出港する際には「さぁこれから遥々北海道に」という思いになったものですが、もうそれも昔話ですね。
…と、年寄りの愚痴になりそうなので、この辺りで。
--
国電
- マプトさん からの返信 2014/08/14 06:35:37
- RE: RE: 寝台特急
- おはようございます。
私、生まれも育ちも旭川地区。今は富良野沿線に住んでいます。廃止間際の連絡船の文面から、私と同世代と推測しました。
今、移動はどうしても地域柄、車ですが、たまに汽車に乗ります。で、こんなことを感じます。
?昔のようなカニ族がいない。旅行者然りという姿がほとんど見ない。
?富良野線は、中華系の旅行者がやたら多い。
時代も変わったなあと感じています。汽車で東京に行くよりも飛行機の方が安い時代ですし。私自身も本州に行く時は、貯めたJALマイルを使うのが主なんですが。周遊券が無くなったためなんでしょうかね。
-
- tanupamさん 2014/08/13 12:45:28
- いつまで運行する・・・??
- 国電さん
こんにちは
臨時あけぼのに乗車したのですね。
往年からみると、6連とは少々寂しい限りではありますけど
運転することに価値があるとか・・。
>今年(平成26年)3月に、残念ながら廃止となってしまった。
>その後は繁忙期だけ臨時列車として走ることになったが、こ
>れまでの例からすると、その臨時列車も1年程度しか走らない
>予感がする
確かに、
八甲田にしても、いつの間にか走らなくなってしまったし、
延命しているのは、ムーンライト系くらいでしょうか。
特急・寝台券だけで1万円弱、+乗車券は必要では、なかなか
今の時代、乗客を集めるのは難しいでしょう。
国電さんは往復ともに正規運賃料金での乗車ですよね
今時、貴重な乗客では・・・
夏の繁忙期では割引はないのでしょうけど、やはり高いという
のが実感です。
今冬、年末年始は運転するにしても、来年以降はホントおしまい
でしょうか。私は高崎線沿線在住かつ通勤に使っているので、
特急列車は正直、じゃまな存在(普通列車が待避させられる)で
しかないのですけれど、なくなるとなると・・さびしさも。
tanupam
- 国電さん からの返信 2014/08/13 18:04:09
- RE: いつまで運行する・・・??
- tanupam 様
再訪ありがとうございます。
> 特急・寝台券だけで1万円弱、+乗車券は必要では、なかなか
> 今の時代、乗客を集めるのは難しいでしょう。
> 国電さんは往復ともに正規運賃料金での乗車ですよね
はい、正規運賃です。せめてもの抵抗で、往路(都区内発、秋田・盛岡・新青森経由三厩行の乗車券と、盛岡から新青森までの自由席特急券)も復路(三厩発、都区内行の乗車券)も、チケットショップで買った株主優待を2枚ずつ使用して購入し、トータルで3,000円弱くらいは安くしましたが…。もちろん、株優は寝台には適用されないので、その部分だけで1万円弱するのを考えると、やはり高いですねぇ。飛行機の格安パックなら、時期にもよりますが、1泊付いて2万5,000円を切る季節もありますし。
思えば、これまで何回も「あけぼの」を利用してきましたが、ずっと企画切符(フリー切符等)を使用してきました。株優を使用したとはいえ、正規料金で買ったのは今回が初めてです。
そんな「あけぼの」の臨時運転ですが、私も、今年の冬が最後かな、と思っています。
「北斗星」や「はまなす」も危なそうなので、大騒ぎになる前に乗っておこうかとも思っていますが(北斗星はすでに若干火がついていますが)。
「トワイライトエクスプレス」については、もうすでに“お祭り状態”なので、諦めてます。
--
国電
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