2010/04/10 - 2010/04/10
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ドクターキムルさん
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亀ヶ谷坂切通を下りた勝縁寺谷にある天神の小祠と「新編鎌倉志」(貞享2年(1685年)に刊行)に記載されているが、これが鎌倉市扇ガ谷3にあった霊梅社のことであろう。菅原道真像が安置されていたというが、平成になって、近くの薬王寺ではなく、海蔵寺に移されて廃社になったのだという。
霊梅社跡は亀ヶ谷坂から東に入ったところにあり、絵地図にはコートハウスが建っているあたりには「勝因寺」と記載されているが勝縁寺ヶ谷にあった寺である。しかし、コートハウスの東側の谷戸は江戸時代初期には勝因寺があった勝縁寺谷と認識されていたのであろう。谷戸の両側には比較的大きなやぐらが並んでいるが、勝因寺のやぐらだったのではあるまいか?
現在の亀ヶ谷坂は峠の亀ヶ谷坂切通から真っ直ぐに、コートハウスの向かいにある延寿地蔵尊へと延びているが、この坂道は江戸時代中期以降に整備されたのであろう。「新編鎌倉志」にあるとおり、峠から左側に残る崖の下の道を通り、コートハウスの裏(東側)から霊梅社の前を通り、薬王寺方向に抜けていたのが亀ヶ谷坂切通だったのだろう。
なお、勝縁寺谷の北側の尾根には、長寿寺横、第六天社裏山山頂、禅居院裏山と3つの石祠が建っている。これらは「新編鎌倉志」に記載されている天神の小祠ではないことは明らかである。また、禅居院裏山の尾根道にはやぐらも並んでいる。かつては、青梅聖天社から巨福呂坂切通を通って山ノ内方面へ、あるいは、青梅聖天社から泉谷(泉ケ谷)へ、青梅聖天社から覚賢塔がある多宝寺跡へ、青梅聖天社から禅居院へ、青梅聖天社から勝縁寺谷へ、青梅聖天社から岩窟不動へと移動していた。
霊梅社には社殿造営寄附者芳名があるが、壱萬円とか壱萬六千円と寄付金額か記載されている。おそらくは戦後に社殿が造営されたのであろう。
(表紙写真は霊梅社跡の社殿)
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