鎌倉旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 鎌倉市山ノ内上町に鎮座する第六天社は江戸時代までは建長寺の四方鎮守であり、中央五大尊と八幡(東)・熊野(北)・子神(西)とともに南の方位を守っていた。明治維新の神仏分離後に山ノ内上町の鎮守となった。<br /> 平成18年(2006年)5月21日に、社殿に安置されていた第六天像と自国天、増長天、広目天、多聞天の四天王像が盗難にあって未だ戻って来てはいない。そうしたこともあるのだろう、石段の登り口の扉は元旦と毎年7月15日から22日にかけて行われる例祭の日にしか開放されない。表向きには、石段が鎌倉石であり磨耗もしていることを挙げているのだが‥‥。<br /> 社殿は石段を登った山の中腹にある。山の尾根からは谷底に社殿があるかのように見えるから不思議である。<br /> 私が3枚ほど写真を撮っていると、白人の若い女性が1人で来て第六天社を写していた。日本人にも馴染みが薄い第六天社であるのだから、外国人にはもっと理解し難いであろう。尤も、単なる神社として映っているだけかも知れない。<br />(表紙写真は第六天社の石段)

鎌倉第六天社-2012年秋

2いいね!

2012/09/24 - 2012/09/24

5303位(同エリア7080件中)

0

6

ドクターキムル

ドクターキムルさん

 鎌倉市山ノ内上町に鎮座する第六天社は江戸時代までは建長寺の四方鎮守であり、中央五大尊と八幡(東)・熊野(北)・子神(西)とともに南の方位を守っていた。明治維新の神仏分離後に山ノ内上町の鎮守となった。
 平成18年(2006年)5月21日に、社殿に安置されていた第六天像と自国天、増長天、広目天、多聞天の四天王像が盗難にあって未だ戻って来てはいない。そうしたこともあるのだろう、石段の登り口の扉は元旦と毎年7月15日から22日にかけて行われる例祭の日にしか開放されない。表向きには、石段が鎌倉石であり磨耗もしていることを挙げているのだが‥‥。
 社殿は石段を登った山の中腹にある。山の尾根からは谷底に社殿があるかのように見えるから不思議である。
 私が3枚ほど写真を撮っていると、白人の若い女性が1人で来て第六天社を写していた。日本人にも馴染みが薄い第六天社であるのだから、外国人にはもっと理解し難いであろう。尤も、単なる神社として映っているだけかも知れない。
(表紙写真は第六天社の石段)

PR

  • 第六天社の石段。

    第六天社の石段。

  • 鳥居の左側には「安部清明大神」碑が立つ。

    鳥居の左側には「安部清明大神」碑が立つ。

  • 鳥居の右側には「徳高哉」碑が立つ。

    鳥居の右側には「徳高哉」碑が立つ。

  • 「第六天」の由来。<br /><br />記載内容は下記。<br /><br /> 「第六天」の由来<br /> 建長寺の四方鎮守には、中央五大尊と八幡(東)・熊野(北)・子神(西)・第六天(南)があり、第六天は上町に鎮座する。<br /> 延宝2年(1674年)の徳川光圀『鎌倉日記』に「円覚寺オ出テ南行シテ、第六天 森ヲ見ル」とあり、また、延宝6年(1678年)の建長寺境内図(伝徳川光圀寄進)には「四方鎮守第六天」と記されている。<br /> 社殿に納められた建長寺第218世真浄元苗筆の天保2年(1831年)の棟札によって、宝永4年(1707年)に建立した社殿の破損が著しいため、村人が願い出て再建したことが知られる。<br /> 社殿の形式は1間社流造で、幕末社殿としては古風を尊重した造りといえよう。<br /> 社殿内には第六天像が中心に祀られ、前列には自国天・増長天・広目天・多聞天の四天王像が安置されている。いずれも江戸時代の作で、小像ながらも彫刻は丁寧で量感に満ちた佳作である。<br /> 第六天は仏教では他化自在天と称し、魔王の如き力を持つといわれ、神道では第六天神、すなわち、第六番目の神と認識されている。<br /> 神奈川県内には第六天を祀る社が180社以上あり、厄病除けの神や方位神として信仰される。<br /> 現在、建長寺の四方鎮守の中で、その位置と沿革が明らかなのは第六天だけで、建長寺史研究上の貴重な資料であるばかりでなく、地域にとっても貴重な文化遺産として永く後世に伝えたい。<br /> また、第六天は上町の氏神でもあり、例祭は毎年7月15日から22日にかけて行われる。<br />        鎌倉市教育委員会 文化財保護課<br />        鎌倉市山ノ内上町町内会<br /><br />

    「第六天」の由来。

    記載内容は下記。

     「第六天」の由来
     建長寺の四方鎮守には、中央五大尊と八幡(東)・熊野(北)・子神(西)・第六天(南)があり、第六天は上町に鎮座する。
     延宝2年(1674年)の徳川光圀『鎌倉日記』に「円覚寺オ出テ南行シテ、第六天 森ヲ見ル」とあり、また、延宝6年(1678年)の建長寺境内図(伝徳川光圀寄進)には「四方鎮守第六天」と記されている。
     社殿に納められた建長寺第218世真浄元苗筆の天保2年(1831年)の棟札によって、宝永4年(1707年)に建立した社殿の破損が著しいため、村人が願い出て再建したことが知られる。
     社殿の形式は1間社流造で、幕末社殿としては古風を尊重した造りといえよう。
     社殿内には第六天像が中心に祀られ、前列には自国天・増長天・広目天・多聞天の四天王像が安置されている。いずれも江戸時代の作で、小像ながらも彫刻は丁寧で量感に満ちた佳作である。
     第六天は仏教では他化自在天と称し、魔王の如き力を持つといわれ、神道では第六天神、すなわち、第六番目の神と認識されている。
     神奈川県内には第六天を祀る社が180社以上あり、厄病除けの神や方位神として信仰される。
     現在、建長寺の四方鎮守の中で、その位置と沿革が明らかなのは第六天だけで、建長寺史研究上の貴重な資料であるばかりでなく、地域にとっても貴重な文化遺産として永く後世に伝えたい。
     また、第六天は上町の氏神でもあり、例祭は毎年7月15日から22日にかけて行われる。
            鎌倉市教育委員会 文化財保護課
            鎌倉市山ノ内上町町内会

  • 石段下の詰所。

    石段下の詰所。

  • 山の尾根から見下ろすと谷底に社殿がへばり付いているかのように見える。

    山の尾根から見下ろすと谷底に社殿がへばり付いているかのように見える。

この旅行記のタグ

関連タグ

2いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP