2026/03/30 - 2026/03/30
1718位(同エリア1821件中)
サバーイさん
アユタヤ名物・焼き川エビを頬張る美味しいお店があると聞き、観光を兼ねてバンコクから足を延ばしました。エビセンターの中にある名店はエビだけでなく、どれも絶品でした。
-
みなさん、こんにちは。サバーイです。
私はいま、国鉄のクルンテープ・アピワット中央駅に来ています。
今日はこれからアユタヤまで出掛けます。 -
以前はファランポーン駅一択でしたが、2023年以降、専らこの中央駅(旧バンスージャンクション)が主要な長距離特急・急行列車の発着となっています。
-
タイ国鉄の長距離チケットは事前予約可能ですが、バンコク~アユタヤ間は「短距離」にあたるため、今回は事前の予約ができませんでした。(あるいは前日から可能?)ただし、アユタヤ行きは本数も多く、当日窓口(3等自由席など)でも問題なく購入できました。ただし、購入時にパスポート(我々はスマホの画面提示)の提示が求められるので要注意です。
-
3等(冷房はなく、ファンのみ)ですが20バーツ(約100円)という安さです。
-
8:45発の急行で、所要時間1時間足らずでアユタヤに到着します。「出発時刻の20分前からホームへの改札が開き、入場できるようになります」とのアナウンス。
-
フードコートもありますが、朝のこの時間(8時)ではいくつかのスタンドが営業しているだけです。
-
20分前になると改札が開きます。チケットを示して入場しますが、パスポートチェックはありませんでした。(準備しておく方が無難のようです)
-
ホームに上がるとすでに列車が停まっており、足元には号車表示の看板がありました。
-
「3等(ファン席)車両」の車内ですね。窓が開いて天井の扇風機が回る、昔ながらの車両です。今回は1時間の乗車なので、3等で十分。座席は指定です。
-
約1時間でアユタヤに到着です。多くの観光客がここで降ります。ホームからの移動は日本のように高架や地下道ではなく、「線路を直接歩いて渡る」スタイルです。
-
-
アユタヤ駅のホーム内にある、レトロで開放的な待合エリアです。この左手が出口です。
-
こちらは遺跡公園側とは反対側の出口。地元の人の生活道路です。
-
アユタヤ駅の待合室。ここを出るとトゥクトゥクが手ぐすねを引いています。
今回はすでにGrabを手配済みで、最初の目的地まで直行します。 -
最初に訪れたのは、アユタヤでも最も有名な寺の一つ、「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」 (Wat Yai Chai Mongkhon) 。ビルマ軍による破壊から奇跡的に残った建築物が多く、現在も多くの人々が参拝に訪れる格式高い寺院です。
-
中央の階段を上った高い位置から境内を一望。
-
16世紀末、アユタヤは隣国ビルマに支配されていましたが、タイの英雄ナレースワン大王が独立をかけて戦いました。大王はビルマの皇太子と象の背の上で一騎打ちを行い、見事に勝利を収めます。この「吉祥の勝利(チャイ・モンコン)」を記念して、境内に高さ約72メートルの巨大な仏塔が建てられ、現在の寺院名になりました。
-
アユタヤの他の多くの遺跡(ワット・マハタートなど)は、過去に破壊されて現在は僧侶が住んでいない「歴史公園」となっています。しかし、このワット・ヤイ・チャイ・モンコンには今も多くの僧侶が暮らし、毎日読経や修行を行っています。
-
車で南へ10分ほど、次に向かったのが「アユタヤ日本人町跡」。
-
17世紀前半(江戸時代初期)、この場所には最大で1,000~1,500人もの日本人が暮らす大規模な日本人町がありました。
-
当時、江戸幕府を開いた徳川家康は、海外貿易を盛んにするために「朱印状(海外渡航の許可証)」を発行しました。これにより、日本の商人や武士が合法的に東南アジアへ進出できるようになりました(朱印船貿易)。
アユタヤは東南アジア最大の貿易港であり、日本からは銀や銅、刀剣などを輸出し、アユタヤからは鹿皮(武具の材料)や、ビャクダン(香木)、生糸などを輸入していました。この一大貿易拠点として、多くの日本人商人がアユタヤに定住したことが始まりです。 -
1600年の「関ヶ原の戦い」や1615年の「大坂の陣」により、日本国内は戦国時代が終わり、平和な江戸時代へと移行していきました。その結果、主家を失い失業した多くの「浪人(お溢れの武士)」が生み出されました。
戦う場所を失った彼らは、一旗揚げるために朱印船に乗って東南アジアへ渡りました。彼らはアユタヤで「傭兵(外国人部隊)」として雇われ、その高い戦闘力でアユタヤ王室に重用されることになります。 -
当時のアユタヤ王朝(ソングタム王の時代など)は、隣国のビルマ(ミャンマー)との対立や、王位継承をめぐる国内の政争を抱えていました。
国王にとって、タイ国内のどの勢力とも利害関係がなく、かつ戦慣れしていて勇敢な日本の武士たちは、「信頼できる臨時の親衛隊」として非常に都合が良い存在でした。そのため、国王は日本人を優遇し、日本人町に自治権を与えました。 -
しかし、その後、江戸幕府が「鎖国(1630年代)」へと舵を切ったことで日本からの補給や人の往来が途絶え、さらにアユタヤ宮廷の王位継承争いに巻き込まれたことで、日本人町と山田長政の繁栄は終わりを迎えることとなりました。
-
駿河国(現在の静岡県)出身の山田長政は、こうした背景の中でアユタヤに渡りました。彼は商人として頭角を現すだけでなく、持ち前のリーダーシップで日本人傭兵隊の隊長に上り詰めました。宮廷内の反乱を鎮圧するなどの軍事的功績を次々と挙げたため、国王からの信頼は絶大なものとなり、ついには最高位の官位(オークヤー・セーナーピムック)を授けられ、地方の太守(王)にまで大出世を遂げたのです。
-
1351年、初代国王ウートン王(ラーマーティボーディー1世)によって建国されました。都が置かれたアユタヤは、写真のチャオプラヤ川を含む3つの川が合流する「中州(島)」でした。この地形は、乾季には周辺の農作物を集める交易路となり、雨季には周囲が洪水になることで「敵の軍艦や大軍が容易に近づけない天然の要塞」となる、極めて優れた戦略的立地でした。
-
アユタヤ王朝の最大の強みは、積極的な国際貿易にありました。
中国(明・清)や日本などの東アジア、インドやペルシャなどのイスラム圏、さらにはポルトガル、オランダ、フランスなどのヨーロッパ諸国とも深く交流していました。
川沿いにはそれぞれの国の「外国人居留地(日本人町、ポルトガル人町など)」が作られ、17世紀の世界の旅人からは「東洋で最も美しく活気のある大都市の一つ」と称賛されました。 -
敷地内には「アユタヤ日本人村記念館」があります 。
-
山田長政と並んで大きくフィーチャーされているのが、ターオ・トーンキープマー(マリー・ギマルド)という日系(ポルトガル・日本・ベンガル混血)の女性です。彼女はアユタヤ宮廷の菓子頭(シェフ)となり、ポルトガルの製法をもとにカスタードや卵黄を使った「タイの伝統的な生菓子」の数々を考案し、タイの食文化に革命を起こした人物として今もタイで広く愛されています。このターオ・トーンキープマーが作ったお菓子の多くは、実は現在の日本の「長崎名物」や「伝統和菓子」ともルーツが同じ(南蛮菓子)です。
-
当時日本から持ち込まれた刀や陶磁器などの交易品、日本人町のジオラマが展示されており、タイと日本の深い歴史的つながりを感じることができます。
-
次に向かったのが、今日のお目当てのエビセンター。地元では「タラートクラン・プア・カセッタコーン(農民中央市場)」 と呼ばれる国道32号線(アジアハイウェイ)沿いの名物市場です。
-
巨大な手長エビ(川エビ)をはじめとする新鮮なシーフードを、その場で格安で食べられる「エビの天国」として観光客や地元タイ人に非常に親しまれています。
-
市場内には多くの店舗が連なっていますが、日本人旅行者にも特に有名な定番店としては、黄色い看板が目印の「Kung Phuean Praew(クンプンプレーウ)」。
-
客はここで生きたエビを好みのサイズと量(500gや1kgなど)で指定して購入します。選んだエビはその場ですぐに炭火で豪快に焼かれ(クンパオ)、併設されたエアコン付きの店内などで新鮮な状態で食べることができます。
-
最高級クラスの巨大なオニテナガエビ(川エビ)です。看板にはタイ語で「??????(メーナム=川)」と書かれており、天然またはそれに近い大物のオニテナガエビであることを示しています。左側に写っているエビは、青く長いハサミを持ち、1匹だけでもお皿からはみ出るほどの圧倒的な大きさです。
-
エビセンターでは、このように目の前の生け簀から生きたエビをその場で捕まえ、すぐに炭火グリルへと運んで焼き上げます。
-
看板に書かれた「280?」の下に赤字で「????????(クン・ノック)」とあります。これは「ノックアウトされたエビ」、つまり水槽内で死んでしまったばかりのエビを意味します。その上のタイ語には「死んだエビのため生きたエビとは品質が異なりますが、お持ち帰りに最適です」といった説明が添えられています。
-
手前の大きな炭火グリルの上で、大量の塩をまぶして竹串に刺した魚(主に雷魚)が香ばしく焼かれています。
-
「プラーチョン(雷魚の塩焼き)」の厚い塩の皮を剥がし、バナナの葉に包まれた身を切り分けています。
-
魚の表面は真っ白な塩で分厚くコーティングされており、これが蒸し焼き効果を生み出して身をパサつかせず、ジューシーでふっくらとした仕上がりにします。魚の口やエラの部分には、臭みを消すためのレモングラスなどのハーブがぎっしりと詰められているのが見えます。
-
人気店「クン・プアン・プレオ(Kung Phuean Praew)」の店頭で。
手前の丸い炭火コンロの上で、エビが網いっぱいに丸く綺麗に並べられて焼かれています。均等に火が通るように配置されており、殻が鮮やかなオレンジ色に焼き上がっていく食欲をそそる瞬間です。 -
頭を内側に、尻尾を外側に向けて綺麗に円を描くように並べられています。こうすることで、火力が強い中央部分で頭部にある濃厚なエビみそ(トムガティ)にしっかりと火を通しつつ、身の詰まった胴体部分を焦がさずにふっくらと焼き上げることができます。
-
手前や中央のエビの頭の付け根あたりを見ると、熱でトロトロに溶け出した黄色く濃厚なエビみそ(トムガティ)がジワリと染み出しているのが分かります。これがアユタヤの川エビの最大の醍醐味です。
-
お昼前の時間に予約を入れました。案の定、お昼を回るころには平日にもかかわらず、店内は満員になりました。
-
特製シーフードソース(ナムチム・シーフード)をつけてもOK。唐辛子、ニンニク、ライム、パクチーの根などが入ったこのソースは、酸味と辛味がガツンと効いており、エビの甘みを極限まで引き立ててくれます。
-
Grabのチャーターができず、トゥクトゥクを使いました。事前にコースと終点、帰着時間と料金を交渉し、紙に書いておくのがトラブル防止です。この日は日本人町からこのエビセンター、遺跡公園などを含め、5hでB500(約2500円)という金額でした。
-
アユタヤの遺跡公園に来ています。
-
ワット・マハータート(Wat Mahathat)はアユタヤ遺跡公園でも中心的な遺跡。
1767年にビルマ軍の侵攻を受け、建物や仏塔はことごとく破壊されてしまいました。現在残っている赤レンガの廃墟や、頭部を切り落とされた多くの仏像の姿は、当時の凄惨な戦争の歴史を今に伝えています。 -
アンコール・ワットなどにも見られるクメール様式を大きく取り入れています。写真右側に写っている赤レンガ造りの塔は「プラーン(トウモロコシ型の仏塔)」と呼ばれ、その四方にあるニッチ(窪み)の中には立像仏が佇んでいます。
-
切り落とされた仏像の頭部が菩提樹の根に取り込まれた「木の根に包まれた仏頭」がある場所として世界的に知られています。
-
ビルマ軍との戦火の中で切り落とされた仏像の頭部が地面に落ち、長い年月をかけて周囲の菩提樹(ボダイジュ)の根が成長し、包み込むようにして現在の姿になったと言われています。
-
仏様に対して敬意を払うため、立って撮影することは禁止されています。写真の観光客の方々のように、必ずしゃがむか地面に座って撮影することがマナーとされています。
-
かつて本堂(大堂)や礼拝堂があった建物の基礎部分です。等間隔に並ぶ四角いレンガの塊は、屋根を支えていた巨大な柱の土台(礎石)の跡になります。
-
かつて本尊へと続く入り口や、巨大な屋根を支えていた主要な柱(主柱)のベースです。これほど太い柱の跡があることから、当時いかに巨大で立派な建物だったかが分かります。
-
アユタヤ歴史公園内でもう一つの重要な中心寺院であったワット・プラシーサンペート(Wat Phra Si Sanphet)です。宮殿の敷地内に建てられたアユタヤ王朝で最も重要とされる王室専用の守護寺院です。一列に並ぶ大きなベル型の3基の尖塔がこの遺跡の最大の象徴です。これらはアユタヤ王朝の3人の王の遺骨を納めるために建てられたものです。
-
プラシーサンペートのすぐ南隣に位置するウィハーン・プラ・モンコン・ボピット(Wihan Phra Mongkhon Bophit)です。
お堂の中には、タイ最大級の大きさを誇る青銅製の巨大な坐仏像「プラ・モンコン・ボピット」が安置されています。現在は全身に金箔が貼られ、眩いばかりの黄金の姿で参拝者を迎えてくれます。(このときは修復中) -
赤漆のベースの上に、タイの伝統的な植物文様(カンノック文様など)や神話のモチーフが、緻密な透かし彫りと見事な金箔(箔押し)で表現されています。光が差し込むと黄金に輝き、非常に格調高い雰囲気を醸し出します。
-
頭には先が尖ったタイの伝統的な王冠(モドック)を被り、耳飾りや胸当てなど、アユタヤ王朝時代の王族や神々が身にまとっていたきらびやかな装飾品が緻密に表現されています。
-
ワット・マハタートのすぐ北隣に位置するワット・ラチャブラーナ(Wat Ratchaburana)。ひときわ高いクメール様式の塔が、この遺跡のシンボルです。この大仏塔の地下深くにはかつて地下回廊(隠し小部屋)があり、1957年にそこから黄金の宝飾品や王室の儀礼品、貴重な仏画などが大量に発見されました。
-
巨大な寝釈迦仏で非常に有名な遺跡ワット・ロカヤスタ(Wat Lokayasutharam)です。かつては他の寺院と同じように本堂の建物の中に安置されていましたが、1767年のビルマ軍による破壊で建物はすべて崩壊し、現在は仏像だけが野外に取り残される形で残っています。
-
アユタヤ名物の「象乗り観光」のスタート地点です。背中に乗って、先ほど訪れたワット・プラシーサンペートなどの遺跡の周囲をのんびりと散歩することができます。
-
かつてアユタヤ王朝時代には、野生のゾウを捕獲して軍事用や運搬用に訓練する「王立の象囲い(ロイヤル・クラール)」がこの地にありました。しかし現代では、タイ国内での野生ゾウの捕獲は法律で厳しく禁止されているため、ここにいるのはすべて人工的に飼育・管理されているアジアゾウです。
-
象たちは「マホート(象使い)」と呼ばれる専門の調教師と一対一で深い絆を築きながら、特別な訓練を受けています。
-
この後、アユタヤ観光は続きますが、今日はここまでとします。お付き合いいただき、ありがとうございました。
-
また、タイのどこかでお会いしましょう。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
タイ・シリーズ
-
ロッブリー バンコクから日帰り
2008/12/~
ロッブリー
-
チェンマイ遍路 番外篇
2009/03/21~
チェンマイ
-
チェンマイ遍路 その1
2009/03/23~
チェンマイ
-
チェンマイ遍路 その2
2009/03/23~
チェンマイ
-
スコータイ巡り (その1)
2009/12/~
スコータイ
-
スコータイ巡り (その2)
2009/12/~
スコータイ
-
スコータイ巡り (その3)
2009/12/~
スコータイ
-
バンコクからメークロン市場まで その1 ウォンウェンヤイ駅
2012/03/26~
バンコク
-
メークロン市場へ その2
2012/03/26~
バンコク
-
メークロン市場へ その3
2012/03/26~
バンコク
-
メークロン市場へ その4
2012/03/26~
バンコク
-
ツアーに参加しない、泰緬鉄道とナコンパトムの日帰り旅行
2024/12/23~
カンチャナブリ
-
マハーチャイからメークロン市場、そして水上市場へ、市場を巡るローカル線の旅 ①
2026/03/26~
バンコク
-
マハーチャイからメークロン市場、そして水上市場へ、市場を巡るローカル線の旅 ②
2026/03/26~
バンコク
-
アユタヤで噂のエビセンターで喰らう
2026/03/30~
アユタヤ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
アユタヤ(タイ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ タイ・シリーズ
0
65