2026/06/05 - 2026/06/05
163位(同エリア204件中)
おやじさん
大市場の縣明神社を後に、県道166号線を西に向かいます。
200mも進めば五条川(幼川)に架かる城址橋に至ります。
堤沿いは尾北自然歩道が伸び桜並木が続きます。
下本町城址交差点から県道166号線沿いを1分ほど西に進むと、左側に写真の岩倉城趾が現れます。
- 旅行の満足度
- 2.0
- 観光
- 2.0
- 交通
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
前回掲載した大市場の縣明神社を後に、県道166号線を西に向かいます。
200mも進めば五条川(幼川)に架かる城址橋に至ります。
写真は城址橋から護岸整備された上流の眺め、堤沿いは尾北自然歩道が伸び桜並木が続きます。
春ともなれば多くの花見客が訪れるところです。 -
下流側の眺め、なんとなく護岸の様相が上流側と違って見えます。
行儀よく流れる五条川ですが、川の付替が行われた昭和以前は、この橋を境にして西に大きく蛇行していました。
今回からは付替が行われる以前の旧五条川を辿るように歩いて行くことになります。
目的地は城址橋を越え、下本町城址交差点の先にある岩倉城趾です。 -
下本町城址交差点から県道166号線沿いを1分ほど西に進むと、左側に写真の岩倉城趾が現れます。
歩道沿いの一本の大木が目印だろうか。 -
歩道沿いに建てられた岩倉城跡の石碑。
岩倉には丸之内や市場など、かつての城下を忍ばせる地名が残ります、岩倉城跡の所在地は岩倉市下本町城址、そのまま地名として残っています。 -
上は明治時代とほぼ現在の地図の比較で、右の赤い線が付替前の五条川になります。
明治時代には、まだ城址橋はなく、右岸河川堤防上に城址の碑が建てられているだけで、城を思わせる地割や堀跡などは見られません。 -
城跡の全景。
左に「日露戦役記念碑」、中央に大きな不動明王、右に「織田伊勢守城址」の石標が建てられています。 -
かつての岩倉城本丸跡のこの地に、安政七年(1860)から立っているもの。
-
岩倉城は落城時期ははっきりするが、築城時期については幾つかの説があります。
以下は歩道沿いにある岩倉城跡の解説。
『岩倉城跡 昭和四十九年二月十五日市指定
岩倉城は、文明十一年(1479)に織田伊勢守系の兵庫助敏広が築城した。
敏広はこの城によって、尾張上四郡(丹羽・采葉・中島・春日井)を支配し、下四郡(愛知・智田・海東・海西)を支配する清州城の織田大和守俊定に対し武威を示し、当時の尾張では清州城と並んで最も重要な城であった。
城跡は、東西約91m、南北約171m、標高10mの台地上にあって、内外二重掘があったとされ、城址の南側には外堀や丸の内といった地名も残る。
岩倉城は弘治三年(1557)織田伊勢守信安が末森城主織田信行(織田信長の弟)と同盟を結んでいたことから信長に攻められ、永禄元年(1558)の浮野合戦で敗れ、翌年の三月に落城した。
本丸跡の「織田伊勢守城址」の碑は安政七年(1860)に建てられたもの。』 -
尾張名所図会には浮野合戦で敗走し岩倉城に逃げ戻る織田信安・信賢の姿が描かれています。
この後、信長は兵の消耗を避けるため、城を包囲する戦略に出て、持久戦に追い込まれた岩倉城は落城、城は信長により徹底的に破壊されたという。
それ以降再興されることなく、城跡は水田や宅地に変わったものの、大規模開発が行われること無く今に至っています。 -
写真は岩倉城の復元図。
1990年頃、城跡の発掘調査が行われ、車輪跡や堀跡などの遺構の手掛かりが見つかり、それらを基に復元されたのがこの復元図。
調査では五条川右岸に6本の堀に囲まれた堅固な城で、五条川は水運として、第7の堀として利用したようだ。
また、城下の範囲もかなり大きく、対岸の大市場や北側の下市場、南側の曽野神明社付近の字名居屋敷が屋敷地として大手口や武家屋敷が広がっていた。
城内に籠城する織田伊勢守方の軍勢は、信長に火をかけられ、燃え落ちる城下を見届けるしかなく、昼夜問わず弓や鉄砲で生け殺しにしてくる信長勢に休む暇すら与えられなかったようだ。
岩倉城の落城により、尾張上四郡を手中に納めた信長は尾張支配に大きく前進した。 -
現地ではあまり遺構は見られないかもしれないが、県道から眺める「織田伊勢守城址」の石標が、ここに城があったことを伝えている。
-
岩倉城趾石標から県道を渡ると、微妙に曲がりながら北に延びる小道があり。
突き当りを右に向かい、すぐ左の小道を進めば神明生田神社に至ります、その道が付替前の旧五条川です。
岩倉市下本町『岩倉城趾』
築城 / 文明11年(1479)頃
築城主 / 織田敏広
廃城 / 永禄2年(1559)
所在地 / 岩倉市下本町城址121
縣明神社から岩倉城趾 / 縣明神社の社頭から県道166号線を約300mほど西に向かい、城址橋を越えた
県道左側、?徒歩5分程。
参拝日 / 2026/6/5 -
岩倉城趾から北に続く細い路地があります、今回は路地を150m程進んだ三叉路の突き当りに鎮座する黒龍神社を取り上げます。
上の明治24年当時と現在の地図の赤枠が黒龍神社の位置を示します。
下本町に鎮座する黒龍神社は、昭和に入り付け替えられた五条川右岸堤に位置しており、鎮座地から東、現在の五条川堤は左岸にあたり、現在の天神塚の一部だった。
付け替えにより右岸となり、旧五条川は埋められ、路地となり生田神明社に続いています。
その細い路地を境にして、西が下市場、東は天神塚の地名が残されています。 -
岩倉市下本町下市場に鎮座する黒龍神社の社頭全景。
高く積まれた石垣は、旧五条川堤の名残を示すものです。
その堤の上に鎮座するのが黒龍神社。
ここを右に入り、建物脇に伸びる細い道が旧五条川で、この先の生田神明社、お祭り広場まで続いています。 -
この高みこそ、かつての旧五条川堤の断面で当時の名残を留めるものです。
下流の城跡橋まで、この高さの堤が弧を描いて続いていたのでしょう。 -
西側から見た堤と黒龍神社社殿全景。
当時の河川床の高さは分かりませんが、ここを越水すると平坦な立地の岩倉集落は水浸しになる。 -
道路から境内に続く石段の先に、常夜灯、鳥居、本殿を収める覆屋が建てられています。
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堤の上を社地とするため横幅は広くはない。
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参道左の手水鉢。
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普段は使われることがないのか、鉢には蓋がされ、龍口だけが現れています。
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覆屋は手前が吹き抜けの拝所で、三方を囲んだ奥に本殿が祀られています。
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拝所内から本殿の眺め。
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黒龍大権現
『五条川に四百年以上棲み続けて、神通力を得たという大蛇が、ある夜下本町○○氏の夢枕に現れ、私を祀れば願いを叶えてやるという。
後日、再度同じ夢をみたことに由来して、昭和5年11月に創建された。
平成29年から神名生田神社の管理下になり、毎年11月になると秋季大祭が執り行われる。
本殿内には玉を銜えた黒龍の像が安置されていて、何度もお参りすれば、黒龍となった大蛇の霊験により願いが叶うと云われている』
岩倉市史(1985)「信仰と伝承」に龍神さまとして黒龍神社について記載されていました。
それによると、江南から岩倉の五条川沿いには、昔から幾つかの伝説が伝わるようで、黒龍神社の龍神さまもそのひとつ。
その多くは、大蛇を見て病んだり、命を落としたとする話が少なからずあるようです。
市史では黒龍を祀るきっかけは解説にあるような内容ですが、面白いのは夢枕に現れた大蛇の言葉。
「我は幼川に400年も前から棲みつく大蛇だが、以前は川岸の藪がよく茂り住みやすかった。
しかしこのごろはすっかり切り開かれ姿を隠す事さえできなくなった。
たびたび人に見られはしたが、人に危害を加えた事は一度もない。
時に姿を見て病む者もあったが、それはその者の恐怖心からくるもので致し方ないもの。
我は自由に大きくなったり、小さくなれる神通力を持っている、祈願すれば何事も叶えてやろう。
なんとか神として祀ってもらえないだろうか」と懇願したというもの。
町人は「一度でいいから全身を見せてもらいたい」と頼むと、蛇はむくむくと大きくなり長さ8mほどとなり、絵に書かれ龍の姿のように、色はどす黒く、肌は松の木肌そっくりだったいう。
大蛇は頭をもたげると、爆音とともに天に昇って行った。
町人は妙興寺の老師に相談したところ「正夢として信じ、祀ったらどうか」との返事をもらったという。
昭和5年11月、町人は下市場の東堤北側に社を建て神官に祝詞を納めてもらうと、一本橋の方から祝詞と玉を口にくわえた大蛇が現れ、その祝詞を村人に授け姿を消したという。
神官によれは黒龍神社に厨子を納める際、急に持ちかねるほど重くなり、無理やり社の傍まで運ぶと、厨子は急に軽くなったという。
大蛇をお祀りしてからは二度と姿を見たものはいないそうだ。
昭和5年の出来事で複数の個人名も記されており、単なる昔ばなしでは片づけられないかもしれない。
大蛇が住みにくいと訴えるほど、この頃から五条川周辺の環境は様変わりしたということだろう。
因みに「一本橋」を調べてみたが、一豊橋はあるが該当する橋は見当たらなかった。 -
黒龍大権現を祀る本殿は神明造、小振りながら杮葺きで、6本の鰹木と内削ぎの千木が付くもの。
自然素材を用いた屋根は趣があっていいものです。
風雨にさらされる屋外の社などは、概ね30年ほどで屋根の寿命を迎え、葺き替えが必要になります。
覆屋は耐用年数を延ばすためにも必需品だろう。 -
縣神明社でも書いたが、かつてのこの地には社殿の葺き替え用の萱畑もあったという。
今や堤沿いに住宅が立ち並び、春ともなれば、堤沿いの桜並木が咲きほこり、庭から花見酒も楽しめる住みやすい町に変貌しました。
まだ新しい神社ながら、堤跡に鎮座する黒龍神社は、かつての岩倉の姿を今に伝える存在といえる。 -
堤の上から岩倉城跡方向の眺め。
かつては大蛇が身を隠せるほどの鬱蒼とした藪が広がっていたのだろう。
岩倉市下本町『黒龍神社』
創建 / 昭和五年
祭神 / 黒龍大権現
所在地 / 岩倉市下本町下市場
岩倉城趾から黒龍神社 / 県道166号線を越え、約150m程進んだ突き当り、徒歩2分程。
参拝日 / 2026/6/5
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