2024/09/19 - 2024/09/19
5542位(同エリア5937件中)
おやじさん
9月19日、久し振りに駅西エリアを訪れる機会があり、前回8月2日に回り切れなかった中村区南部の神社を巡拝してきました。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 2.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
-
9月19日、久し振りに駅西エリアを訪れる機会があり、前回8月2日に回り切れなかった中村区南部の神社を巡拝してきました。
今回は、近鉄名古屋駅から近鉄名古屋本線沿いに1㌔程南下した中村区太閤2に鎮座する白山神社を取り上げます。
名古屋駅から徒歩15分の距離にありますが、近鉄に乗り米野駅で降車すれば北に5分程と近い。
待つくらいなら歩いたほうがいい、そんな事だから敬老パスの更新費も回収した試しがない。
上の地図は明治31年とほぼ現在の地図の比較。
鎮座地の中村区太閤2周辺は、明治22年周辺の日置村、牧野村、平野村、米野村、露橋村、北一色村が合併した笈瀬村の一部で、合併以前は米野村平池集落の一部でした。
関西鉄道の北に位置し、後の関西鉄道の愛知駅(現在の平池町)の西にあたります。
現在は関西線を隔てた平池町は急速に再開発が進み、高層ビルが立ち並ぶ洗練された街に生まれ変わりましたが、線路を隔てた鎮座地周辺は住宅が連なる静かな街並みが広がっています。 -
中村区太閤2「村社 白山神社」社頭全景。
西側の椿町線の整備に伴い、少しずつ町の雰囲気も変わりつつあるようです。
まず最初に白山神社については由緒や創建時期につて詳細は不明です。
地図の履歴から見ていくと、明治当時は現在地に鳥居の記はみられず、昭和43年頃に鳥居の記が現れます。
これをもって創建時期は新しいとは言い切れず、事実境内には明治まで遡る寄進物もあります。 -
社頭正面から神社の眺め。
境内左が社務所で正面の拝殿は鞘殿と繋がっています。 -
社頭の常夜灯、竿には大正2年(1913)と刻まれています。
-
写真左は社号標で常夜灯と同じ時期の寄進年、左が神明鳥居の寄進年で明治41年(1908)とあります。
-
拝殿正面全景。
拝殿右の赤い社は境内社の大白龍大神。 -
参道右の手水鉢から大白龍大神の眺め。
龍とつくだけに、三匹の蜷局を巻く蛇の姿があります。 -
三匹の蛇。
重軽石かどうか定かではないが、座布団の上でこちらを見つめています。 -
その先の大白龍大神本殿。
手水鉢から本殿は長い覆屋に覆われています。 -
拝殿前の個性的な顔つきの狛犬、こちらも大正2年の寄進。
大正2年になにがあったのだろう。 -
上は明治・大正・昭和・ほぼ現在の鎮座地の鳥居の記、寄進物の年代から以下は勝手な推測になります。
明治の地図にはなかった鳥居の記は、大正(上段右)になり現在地のすぐ西に現れ、この神社はその後の地図から姿を消しています。
そして昭和(下段左)になると現在地の南に現れ、その後再び姿を消し、現在に至っているように見えます。
地図の正確性に疑問があるとしても、一つの神社が動いているように見えます。
明治31年の地図以降の明治時代に創建され、椿町線周辺の整備に伴い白山神社は二度ほど動いているような気がします。
駄目もとで愛知県神社庁を検索すると、写真付きで以下内容で紹介されていました。
「社名 白山神社、祭神 白山比賣神、氏子域 太閤、例祭 10月18日」
・・・やはり創建や由緒までは記されていなかった。
これ以上考えていても進展しないので先に進みます。 -
拝殿から本殿方向の眺め。
祭神の白山比売神(菊理媛神)は、良く縁結び、夫婦円満、家内安全の神様として知られます。
明治頃の当地は集落を取り囲むように田んぼが広がる一帯、五穀豊穣を願って祀られたものだろうか。
神紋は亀甲紋に花は撫子?…良く分からない。 -
拝殿から社頭の眺め。
右の狛犬の脇に立つ幟立ての寄進年は明治40年(1907)、自分が見たなかでは一番古い寄進年でした。
昭和以前は田んぼが広がっていた一帯も、住宅地となり名残も見られない。 -
社頭西側から白山神社の全景。
-
椿町線の整備によって、あおなみ線、JR関西本線、近鉄名古屋線の鉄道で長く分断されていた太閤と南側の平池町とはアンダーパスで繋がるようになりこの辺りも変貌していくのだろうか。
白山神社
創建 / 不明
祭神 / 白山比売神
境内社 / 大白龍大神
祭礼 / 10月18日
参拝日 / 2024/09/19
所在地 / 名古屋市中村区太閤2-2-10
近鉄名古屋駅から徒歩 / 南西に15分程 -
白山神社から北西へ10分程の中村区太閤4に鎮座する天王社。
最初に、当社について地史を調べた結果、由来・創建時期について情報が得られず、現地で見た事しか記載できない事を了承願います。
この地図は明治31年当時(左)とほぼ現在の地図の比較になります。
茶色の線は柳街道、水色の線が笈瀬川を示しています。
鎮座地は当時の笈瀬村米野集落のひとつで、柳街道の一本南の通りに鎮座しています。
この天王社Gマップには天王社として表記されます、現地に行くと天照皇御大神、熱田皇御大神、須佐之男大神、加具土大神、水大神の石標。
それとは別に「白玉龍神」単独で二つの石標が立てられており、天王社としての表記はどこにも見られなかった。
「天王社」として現れるのは、賽銭箱の「天王社」と社地西側の掲示板に「天王社再建寄付者」と「平成26年天王社新築」の2枚の木札に表記があるだけで石標としてはありません。
これらから以降は「天王社」と表記していきます。 -
天王社鎮座地周辺の眺め。
太閤5丁目の交差点角地に鎮座し、西側には法泉寺と智興寺が隣接して鎮座しています。 -
天王社正面全景。
外削ぎの千木と5本の鰹木が載り、横長の社から何社かの合殿と見えます。
玉垣の左にふたつの石標が立てられています。 -
愛知県神社庁を調べて見るがこの住所に天王社として登録はみられなかった。
神社幕の神紋は織田木瓜だろうか、その先の扉が何枚あるのかまでは分からなかった。 -
ふたつの石標。
右手の石標は昭和6年(1931)の寄進で、上段に天照皇御大神、熱田皇御大神、下段に須佐之男大神、加具土大神、水大神とあります。
左手の白玉龍神の石標は大正14年(1925)に寄進されたものでした。
その左の石標には「米野町有志一同」と刻まれていました。
街道沿いの古い町なので、創建が大正時期と一概に推測する事は無理があるかもしれません。 -
西側から天王社の眺め。
明治当時の地図からも鎮座地は集落の中心に祀られています。
周辺は古い町並みが残りますが、新しい住宅や駐車場もみられ、天王社の横長の社と天照皇御大神、熱田皇御大神、須佐之男大神などの祭神から、以前は屋根神さまとして祀られていたのかなと思わせるものがあります。
そして水大神は白玉龍神として、稲の生育に不可欠な水をもたらす神として祀られたものだろうか。
天王社
創建 / 不明
祭神 / 天照皇御大神、熱田皇御大神、須佐之男大神、加具土大神、水大神
境内社 / ・・・
参拝日 / 2024/09/19
所在地 / 名古屋市中村区太閤4-17
白山神社から天王社徒歩 / 北西へ10分程 -
天王社の西側の法泉寺の角に地蔵堂が祀られていました。
-
堂内には二体の御地蔵さまが安置されており、年号を探しましたが、いつ頃のものかは分かりませんでした。
法泉寺 地蔵堂
所在地 / 名古屋市中村区上米野町5-5 -
地蔵堂から天王社と住宅街の眺め。
住宅街に聳える大きな公孫樹の樹が天王社の御神木のようです。
公孫樹は昔から燃えにくい樹として知られ、集落の防火を司る天王社と火伏の樹はそうした願いが込められているのだろう。 -
法泉寺の西隣に隣接して鎮座する智興寺。
寺号標の左の石碑に目が止まり立ち止まって見ました。 -
福田兼助の碑。
明治34年(1901)に建てられた碑で、中村区史跡散策路「笈瀬川筋散策コース」の中に含まれています。
「名古屋西地区近代教育の祖といわれた兼助は、1830年米野村の農家で生まれましたが学問を好み、徳川時代末期に村の子弟の教育に尽くし、明治になり学制が敷かれたとき望まれて村校の教師になった人物。
この碑は門人・知友達が敬愛の念を表すため、明治34年に建てたものです」と紹介されていました。
現在の米野小学校は、福田兼助が開いた「上米野義校」が源流の様です。
福田兼助の碑。
所在地 / 名古屋市中村区上米野町5-6
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
名古屋(愛知) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 名古屋駅から徒歩で回れる神社2
0
26