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中村区太閤2に鎮座する白山神社から、近鉄名古屋本線沿いを南東に進んだ先に鎮座する金山神社へと向かいます。

中村区長戸井町 村社 金山神社

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2024/09/19 - 2024/09/19

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おやじさん

中村区太閤2に鎮座する白山神社から、近鉄名古屋本線沿いを南東に進んだ先に鎮座する金山神社へと向かいます。

旅行の満足度
2.5
観光
2.5
交通
3.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
徒歩
  • 写真は近鉄米野駅から平池町方向の眺め。<br />長く分断されていた当地と平池町も椿町線の整備で解消されましたが、歩いていても易々と向こうには行けないようです。

    写真は近鉄米野駅から平池町方向の眺め。
    長く分断されていた当地と平池町も椿町線の整備で解消されましたが、歩いていても易々と向こうには行けないようです。

  • 黄色のトラス橋が象徴的な向野橋、近鉄・JR・あおなみ線の長い線路を渡るための陸橋で、以前は車も通れたが現在は自転車や歩行者専用橋になっています。<br />鉄道を入れた夕景写真を撮るのには絶好の場所で、この先にあった転車台はそのうち行こうと思いながら機を逸してしまい、昨年撤去・埋め立てされてしまいました。<br />金山神社へは正面の道を進んでいくと、右側の住宅街に金山神社の杜が見えてきます。

    黄色のトラス橋が象徴的な向野橋、近鉄・JR・あおなみ線の長い線路を渡るための陸橋で、以前は車も通れたが現在は自転車や歩行者専用橋になっています。
    鉄道を入れた夕景写真を撮るのには絶好の場所で、この先にあった転車台はそのうち行こうと思いながら機を逸してしまい、昨年撤去・埋め立てされてしまいました。
    金山神社へは正面の道を進んでいくと、右側の住宅街に金山神社の杜が見えてきます。

  • 上は明治と現在の地図の比較ですが、当時の地図には鎮座地に鳥居の姿は見られません。<br />当時の金山神社は赤丸部分にあたり、昭和2年に名古屋駅整備に伴い現在地に遷されています。<br />位置的には向野橋下、少し名古屋駅よりの位置にあり、当時の関西鉄道の南側にポツンと鎮座していたようで、現在は線路の下ということです。

    上は明治と現在の地図の比較ですが、当時の地図には鎮座地に鳥居の姿は見られません。
    当時の金山神社は赤丸部分にあたり、昭和2年に名古屋駅整備に伴い現在地に遷されています。
    位置的には向野橋下、少し名古屋駅よりの位置にあり、当時の関西鉄道の南側にポツンと鎮座していたようで、現在は線路の下ということです。

  • 金山神社社頭。<br />玉垣で囲われた社地南側に社頭を構え、右側に「村社 金山神社」の社号標があり、正面に石の神明鳥居と二基の常夜灯を構えています。

    金山神社社頭。
    玉垣で囲われた社地南側に社頭を構え、右側に「村社 金山神社」の社号標があり、正面に石の神明鳥居と二基の常夜灯を構えています。

  • 鳥居左の由緒。<br />「祭神 金山毘古神<br />由緒<br /> 当神社は美濃国一宮南宮神社より分霊を勧請申し上げたと伝え、寺社志(寛政年間1661-1673)に尾張国則武庄米野村に社三ヶ所ありと記され、張州府志(宝暦2年 1752)米野村に金山祠在りと記されて居る。<br /> 祭神金山毘古神は三種の神器を造られた神とされて居り、文献尾張徇行記(文政5年 1822)、尾張志(天保14年 1843)にも金山社ありと明記されて居る。<br />大正2年10月<br /> 無格社西宮社(祭神 多岐理比賣命、狭依比賣命、多岐津比賣命)、無格社宗像社(祭神 天照大神荒御魂)の二社を村社金山社に合祀し金山神社と改称した。<br />昭和2年2月本社敷地(現向野橋南坂中程)が名古屋駅拡張用地に該当、鉄道用地となった為現在地に移転を余儀なくされた。<br /> 神徳 当地域住民の生活の守護神として崇敬され、特に鉄工・鉄筋・鋳造の御神徳あらたかで金属関係者の信仰の的となっている。<br />例祭日 10月18日」<br /><br />ここに記載の地史に目を通すと、確かに記載の通りで、地史に基づいて良く書かれており、これだけで十分事足りる内容でした。<br /> その際、中村区笈瀬川散策コース金山神社解説に目を通すと以下のように解説されていました。<br />「鎮火・農耕の神としてあがめられている金山毘古神(カナヤマヒコカミ)を祀った神社。<br /> 鍛冶業の守護神であり、昔、露橋附近で名古屋城築城時(1610)の石垣用の石を切ったとき、石工達に信仰されたといわれます。」<br />と新たな情報が得られました。<br />この内容について、拝殿左の玉垣の傍らに「名古屋城の石垣用の石」として今も保存されていました。<br />このことから神社は江戸時代初期には既に存在していたことまでは分かりましたが、結局創建は不明のままです。

    鳥居左の由緒。
    「祭神 金山毘古神
    由緒
     当神社は美濃国一宮南宮神社より分霊を勧請申し上げたと伝え、寺社志(寛政年間1661-1673)に尾張国則武庄米野村に社三ヶ所ありと記され、張州府志(宝暦2年 1752)米野村に金山祠在りと記されて居る。
    祭神金山毘古神は三種の神器を造られた神とされて居り、文献尾張徇行記(文政5年 1822)、尾張志(天保14年 1843)にも金山社ありと明記されて居る。
    大正2年10月
     無格社西宮社(祭神 多岐理比賣命、狭依比賣命、多岐津比賣命)、無格社宗像社(祭神 天照大神荒御魂)の二社を村社金山社に合祀し金山神社と改称した。
    昭和2年2月本社敷地(現向野橋南坂中程)が名古屋駅拡張用地に該当、鉄道用地となった為現在地に移転を余儀なくされた。
     神徳 当地域住民の生活の守護神として崇敬され、特に鉄工・鉄筋・鋳造の御神徳あらたかで金属関係者の信仰の的となっている。
    例祭日 10月18日」

    ここに記載の地史に目を通すと、確かに記載の通りで、地史に基づいて良く書かれており、これだけで十分事足りる内容でした。
     その際、中村区笈瀬川散策コース金山神社解説に目を通すと以下のように解説されていました。
    「鎮火・農耕の神としてあがめられている金山毘古神(カナヤマヒコカミ)を祀った神社。
     鍛冶業の守護神であり、昔、露橋附近で名古屋城築城時(1610)の石垣用の石を切ったとき、石工達に信仰されたといわれます。」
    と新たな情報が得られました。
    この内容について、拝殿左の玉垣の傍らに「名古屋城の石垣用の石」として今も保存されていました。
    このことから神社は江戸時代初期には既に存在していたことまでは分かりましたが、結局創建は不明のままです。

  • 境内左の手水舎と社務所。

    境内左の手水舎と社務所。

  • 参道から社殿の眺め。<br />中央に狛犬が守護する拝殿と左に神馬像、その奥に境内社があり拝殿右にも鳥居が見られます。

    参道から社殿の眺め。
    中央に狛犬が守護する拝殿と左に神馬像、その奥に境内社があり拝殿右にも鳥居が見られます。

  • 拝殿正面全景。<br />瓦葺の入母屋妻入りで妻側に大きな向拝が付けられています。

    拝殿正面全景。
    瓦葺の入母屋妻入りで妻側に大きな向拝が付けられています。

  • 昭和3年に寄進年された狛犬は一部彩色されたもの。

    昭和3年に寄進年された狛犬は一部彩色されたもの。

  • 鬼飾りには金の文字が入り、破風飾りに輪宝紋のような神紋が入れられています。

    鬼飾りには金の文字が入り、破風飾りに輪宝紋のような神紋が入れられています。

  • 拝殿には龍の透彫りが施され、目は赤く彩色されていました。

    拝殿には龍の透彫りが施され、目は赤く彩色されていました。

  • 拝殿左の御霊社。<br />後方の建物は幣殿と繋がっており、社務所兼神饌所と思われます。

    拝殿左の御霊社。
    後方の建物は幣殿と繋がっており、社務所兼神饌所と思われます。

  • 御霊社本殿。

    御霊社本殿。

  • 拝殿と幣殿は渡廊で結ばれています。

    拝殿と幣殿は渡廊で結ばれています。

  • 名古屋城の石垣用の石。<br />「名古屋城築城の際、このあたりを流れていた笈瀬川を使って石材を運んだ際に、現在の露橋付近に石切場を置いていたと伝わっており、ここで働く石工たちの信仰を集めたとされる。<br />笈瀬川から出土した名古屋城築城の際の残石とされる石が、社務所前に置かれている。」

    名古屋城の石垣用の石。
    「名古屋城築城の際、このあたりを流れていた笈瀬川を使って石材を運んだ際に、現在の露橋付近に石切場を置いていたと伝わっており、ここで働く石工たちの信仰を集めたとされる。
    笈瀬川から出土した名古屋城築城の際の残石とされる石が、社務所前に置かれている。」

  • 境内右から社殿全景。

    境内右から社殿全景。

  • 幣殿から本殿も渡廊で結ばれています。<br />本殿は神明造のようで、内削ぎの千木が載るが、鰹木は数えていません。

    幣殿から本殿も渡廊で結ばれています。
    本殿は神明造のようで、内削ぎの千木が載るが、鰹木は数えていません。

  • 境内右の境内社。

    境内右の境内社。

  • 由緒には西宮社、宗像社は合祀とあるので、それではないようです。

    由緒には西宮社、宗像社は合祀とあるので、それではないようです。

  • 左から不明社本殿の眺め。<br />神明造の鰹木6本、内削ぎの千木が施されています。<br />本殿域燈籠の竿を見ましたが明治42年(1909)寄進年は分かりましたが、社名に繋がるものは見られませんでした。

    左から不明社本殿の眺め。
    神明造の鰹木6本、内削ぎの千木が施されています。
    本殿域燈籠の竿を見ましたが明治42年(1909)寄進年は分かりましたが、社名に繋がるものは見られませんでした。

  • 鳥居は大正7年(1918)に寄進されたものでした。

    鳥居は大正7年(1918)に寄進されたものでした。

  • 境内右の一角に戦没者記念碑。

    境内右の一角に戦没者記念碑。

  • 鳥居は明治45年(1912)、手前の常夜灯は昭和2年(1927)に遷座した年に寄進されたようです。<br /><br />この地の神社を巡って見ると、地域の文化や歴史に触れることができ、訪れるたびに新たな視点で楽しむことができます。<br /><br />中村区長戸井町 村社 金山神社<br />創建 / 不明(昭和2年(1927)向野橋付近から遷座) <br />祭神 / 金山毘古神、多紀理比売命、多岐津比売命、狭依比命、天照大御之荒魂<br />境内社 / 不明社、御霊社<br />祭礼 / 10月18日<br />氏子地域 / 中村区熊野町、黄金通、下米野町、大正町、長戸井町、深川町<br />参拝日 / 2024/09/19<br />所在地 / 名古屋市中村区長戸井町1-2<br />白山神社から徒歩 / 白山神社から南西の近鉄名古屋本線沿いに10分前後

    鳥居は明治45年(1912)、手前の常夜灯は昭和2年(1927)に遷座した年に寄進されたようです。

    この地の神社を巡って見ると、地域の文化や歴史に触れることができ、訪れるたびに新たな視点で楽しむことができます。

    中村区長戸井町 村社 金山神社
    創建 / 不明(昭和2年(1927)向野橋付近から遷座) 
    祭神 / 金山毘古神、多紀理比売命、多岐津比売命、狭依比命、天照大御之荒魂
    境内社 / 不明社、御霊社
    祭礼 / 10月18日
    氏子地域 / 中村区熊野町、黄金通、下米野町、大正町、長戸井町、深川町
    参拝日 / 2024/09/19
    所在地 / 名古屋市中村区長戸井町1-2
    白山神社から徒歩 / 白山神社から南西の近鉄名古屋本線沿いに10分前後

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