2026/04/13 - 2026/04/13
-位(同エリア6063件中)
おやじさん
中川区東起町の白山社。
その社頭から南に180mほど進むと、変則的に交わる交差点が現れます。
今回はこの交差点の角に鎮座する三十一番割観音堂と隣接する神明社を取り上げます。
- 旅行の満足度
- 1.5
- 観光
- 1.5
- 交通
- 1.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
-
中川区東起町の白山社。
その社頭から南に180mほど進むと、変則的に交わる交差点が現れます。
今回はこの交差点の角に鎮座する三十一番割観音堂を取り上げます。
鎮座地は百曲街道と交わる角地で、三十一番割観音堂の南に港区明正の神明社が隣接します。
これまでの中川区から、百曲街道を越えると港区になります。 -
交差点から南側の三十一番割観音堂とその先の明正の神明社の眺め。
-
観音堂脇の解説板付近から、右手に百曲街道を望む。
『百曲街道 二十九・三十・三十一・三十二・三十三観音堂
この街道は、慶安二年(1649)、熱田新田干拓後、この新田の北側に自然にできた道路で、くねくね曲がっているのでこの名が付けられた。
現在は、中川区東起町と港区明正一丁目を分ける境界線約一キロメートルの行程が僅かに、その面影を残している。
番割観音は西国三十三カ所に擬し、二十九番割は青葉山松尾寺、三十番割は竹生島宝厳寺、三十一番割は長命寺、三十二番割は観音正寺、三十三番割は谷汲山華厳時の影響を受けている。
堂内には、観世音菩薩・釈迦如来を祀っている。』
こちらの三十一番割観音堂には二十九・三十・三十二番割の観音様も併せて安置するようです。
三十三番割観音堂は庄内川対岸の下之一色町に祀られています。
これら新田開発完了後に造られたもので、名古屋南部の新田開発には安定した水源が必要だったが、すぐ西を流れる庄内川は水量が不安定で利用しづらかった。
この問題を解決したのが鬼頭景義で、木津用水の建設を助け、新木津用水を開削して木曽川の水を庄内川へ導いた。
景義の先祖は源為朝を祖とするという伝承があります。
景義は後に武士から百姓へ転じ、中川区八田に移り住み私財を投じて新田と用水を整備し、26年間で2万2千石余の新田を完成させた。
晩年は仏門に入り、中島新田に道龍山空雲寺を開きました。
熱田新田の三十三観音堂は、堤防締切りが夢のお告げで成功した感謝の表れとして、景義が建立したものと伝えられている。
百曲街道は城下の南にあたる、中区門前町を始点とし、一旦南下し六番町から西に向かい、庄内堤から南に下り、東海道と合流する現在の明徳橋(港区)が終点です。
街道と名は付いているものの、幅員の狭い相互通行なので、大きな車で入り込むと駐車余地もないので大変かもしれない。 -
三十一番割観音堂正面全景。
堂は切妻瓦葺の妻入りで向拝が付くもので左に手水鉢と一体のセメント像が安置されています。 -
手水鉢。
側面に銘が刻まれていたが写真からは正確に読み取り出来なかったが、創建当時の江戸時代のものと推測されます。 -
セメント像。
ステンレスの笠を被った弘法大師だろうか。
時代や作者は分からないが、ユーモラスで温かみのある姿はセメント像らしさが漂う。 -
観音堂に掲げられている額は「三十一番割観音堂」。
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観世音菩薩・釈迦如来を安置する堂内の眺め。
祭壇には二十九・三十・三十一・三十二番割観音の御詠歌が書かれています。
本尊の釈迦如来の両脇を良く見ると五体の石仏が安置されています、そのうち一体が観世音菩薩と思われます。
写真では切れていますが、右手に弘法大師の奉納提灯が吊るされています。
干拓と水利の上に築かれた新田に根付いた信仰は、街道と観音堂群を通して地域の暮らしと結びつき、長い時間をかけてこの土地の歴史を形づくってきた。
その名残は、今も静かに息づいている。 -
さて次回は観音堂と隣接する、神明社に向かいます。
三十一番割観音堂 (港区明正1)
創建 / 不詳
本尊 / 釈迦如来、観世音菩薩
境内社 / ---
例祭日 / ---
所在地 / 名古屋市港区明正1
白山社から番割観音堂 / 白山社社頭から180m南下、徒歩3分で観音堂前。
参拝日 / 2026/4/13 -
三十一番割観音堂の南に隣接して鎮座する港区明正1の神明社。
ここからはこちらを掲載します。
鎮座地の明正(めいしょう)は、1978年に港区小碓町と当知町の一部から明正一丁目・二丁目として成立した町の付かない町域名で、名の由来は庄内川に架かる明徳橋と正徳橋の頭文字を組み合わせたものとされます。
新田に因んだ古い地名が多い中、明正は新田に囚われない、時代の変化を象徴する町名と言ってもいいかもしれない。
明正1の氏神、神明社社頭の全景。
南北に長い社地の南に社頭を構え、北側に三十一番割観音堂が接しています。 -
社頭右に「明正1丁目神明社」の解説が立てられています。
「天照大神を祀り、村の氏神として安永8年に勧請した。
市指定保存樹のアキニレ・クロガネモチががあり、伊勢湾台風の影響から幹が傾斜したアキニレは市内でも有数の巨樹。
年中行事として5月5日の五穀祭、10月第一日曜日の秋祭りがある。」 -
境内の眺め。
左側に白山社で見かけた平屋根でコンクリート製の手水舎がある。 -
手水鉢には龍ではなく亀。
-
「この地は今からおよそ三百三十余年前の正保四年に尾張藩主徳川義直公が成瀬正虎を総奉行として新田
開発事業を施行し、慶安二年完成した熱田新田の西端に位置していた。
その後先人等の努力に依り稔り豊かな田園地帯として発展してきた。
しかしながら、あの未曽有の伊勢湾台風により自然の恐しさを知り、また急速な都市化現象を思う時、新しい角度からこの地の将来の発展を考える要がでてきた、結果、住民の総意により区画整理事業を実施し地域再開発を計ることになった。」 -
参道中ほどから一対の狛犬が守護する拝殿前を眺める。
社殿左に境内社の秋葉社が祀られています。
愛知県神社名鑑による当神社の由緒沿革は以下のようなもの。
「十二等級 神明社 旧指定村社
鎮座地 名古屋市港区明正一丁目九番地
祭神 天照皇大神
由緒
この地は尾張藩徳川義直の命により順次開発した熱田新田の三十一番割の氏神なり。
安永八巳亥年(1779)9月22日、尾張志では広井浅間社の境内に鎮座の神明社を遷し祀るとある。
明治5年7月村社に列格。
昭和4年9月10日、指定社となる。
同35年本殿、社務所を改築。
例祭日 10月5日
社殿 本殿 神明造、渡殿、拝殿、社務所。」 -
寄進年未確認の子持ち毬持ちの狛犬。
-
切妻妻入りで四方吹き抜けの拝殿で、拝殿内には「神明社」の額が掛けられています。
扉の先の渡殿が神門・本殿に繋がっています。
当社は美濃路沿いの西区那古野に鎮座する浅間神社の神明社から安永8年に遷されたもの。 -
本殿域全景。
高く積まれた石垣は水との鬩ぎあいの名残からだろうか、その上の本殿域に神明造の本殿が建てられています。
当社は美濃路沿いの西区那古野に鎮座する浅間神社の神明社から安永8年に勧請されたもの。 -
境内左の秋葉社。
創建時期等追ってみたが定かにはならなかった。
三十一番割の中心を横切る百曲街道とその周囲に広がる集落の火伏として秋葉さんは必要な存在だったのだろう。 -
境内から南の社頭の眺め。
かつては東海道にかけて豊かな水田が広がっていたであろう光景も、今や住宅が広がる時代の変化を象徴する町に変貌した。
神明社 (港区明正1)
勧請 / 安永8年(1779)9月22日
祭神 / 天照皇大神
境内社 / 秋葉社
例祭日 / 10月第一日曜日
氏子域 / 明正
所在地 / 名古屋市港区明正1-98
三十一番割観音堂から神明社 / 番割観音堂から50m先、徒歩1分で社頭。
参拝日 / 2026/4/13
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