2026/04/13 - 2026/04/13
5665位(同エリア6084件中)
おやじさん
中島新町の八劔社から、南西に7分ほどの中川区西中島。
ここに今回掲載する皇太神社が鎮座します。
- 旅行の満足度
- 1.5
- 観光
- 1.5
- 交通
- 1.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
-
中島新町の八劔社から、南西に7分ほどの中川区西中島。
ここに今回掲載する皇太神社が鎮座します。
皇太神社社頭全景。
ここまでの二社とは違い、道路より僅かに高く整地され、南北に長い社地を持っている。
境内には社殿を超える高さに成長した大楠が聳えている。
社頭右に「皇太神社」社標が立てられ、鳥居から先の参道には複数の常夜灯が立ち並び拝殿に繋がっています。
第一印象は蕃塀こそないが、春日神社に通じるものがある。 -
参道左に手水舎がある。
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黒い龍の姿があったが、鉢に手水は張られていなかった。
春日神社同様、皇太神社の社殿もコンクリート造です。 -
拝殿全景。
スクエアな切妻拝殿の平側に、向拝柱の無い大きな向拝が付くもので、春日神社の外削ぎの千木に対し皇太神社は内削ぎの千木となります。
境内には由緒が見当たらず、尾張徇行記 (1976復刻版)、尾張志 (1979復刻版)など目を通す。
中島新田の記述に現れるのは「八劔社、神明春日八幡」のみ、さらに、これらは承応四 (1655)勧請と記されているが、皇太神社の社名は見られなかった。
現在の皇太神社は、ここに記されている神明が起こりであろう。
愛知県神社名鑑 (1992) に記された由緒は以下。
『十四等級 皇太神社 旧村社
鎮座地 名古屋市中川区西中島1-1106
祭神 天照皇大神
由緒
創建は江戸初期の寛永年間(1624-43)伊勢より勧請。
万治二年 (1659) 現在地に社地を移した。
明治五年七月、村社に列格、昭和五十五年十月六日、本殿造営還座祭を斎行する。
例祭日 十月七日(第一日曜日)
社殿 本殿 神明造、幣殿、拝殿、社務所』 -
始まりの年代は多少ずれるものの、皇太神社も新田開発に伴い、集落の鎮守として祀られた神社。
西に向かえば向かうほど、伊勢参拝の入口、桑名も近づくことから、熱心な伊勢信仰の崇敬者により神明から皇太神社に改められたものだろう。 -
拝殿前を守護する狛犬。
まだ〃綺麗な姿なので昭和五十五年の造営時に寄進されたものだろうか。 -
拝殿額は「皇太神社」ではなく、伊勢神宮内宮の「皇大」が使われています。
自分自身、皇太と皇大の違いを整理できていないが、より、伊勢に近づこうとする崇敬の思いが現れているのかもしれない。 -
拝殿内から幣殿・本殿の眺め。
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拝殿左から社殿の眺め。
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幣殿の両脇で、少し古めの狛犬が守護していた。
神明造の鞘殿内に神明造の本殿が祀られているようです。 -
寄進年を見ておらず年代不明の狛犬。
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拝殿前から社頭の眺め、鳥居は昭和6年に寄進されたものでした。
国道から離れている事もあって、一帯は静かな住宅街が広がっています。
皇太神社 (中川区西中島)
創建 / 寛永年間(1624-43)
祭神 / 天照皇大神
境内社 / ---
例祭日 / 十月七日
氏子域 / 西中島
所在地 / 名古屋市中川区西中島1-1106
八劔社から皇太神社 / 八劔社社頭から西に向かい、広い通りを越えて一筋目を左に向かい、三本目を右折し100mで社頭。??0.7km・徒歩10分ほど
参拝日 / 2026/4/13八劔社(中川区中島新町) -
皇太神社社頭を後にして南西に0.8km、徒歩10分ほど先の中川区東起町に鎮座する白山社に向かいます。
中川区東起町4の三叉路の角に社頭を構える白山社の眺め。
周囲は住宅に囲まれ、かつて水田が広がっていた名残はあまり残っていない。
この神社も町中にあって緑豊かな杜に包まれており、鳥居の先の蕃塀、左側にあまり見覚えのない竈を備えた奉湯舎がある。 -
上は大正時代の近隣の地図、茶色の線が百曲街道で下は東海道。
鎮座地は街道を中心にして広がる東起集落の北外れに位置しています。
鎮座地の東起町は古くからの地名で、庄内川対岸の下之一色村の東に開墾された土地を意味するという。 -
上は江戸時代後期の絵図、1647年から開拓された熱田新田は東から一番で始まる番割が敷かれ、東起町は最西端に位置します。
各番割には小さな堂を建て、その地域を守護する番割観音が祀られました。
番割観音の一部はまとめられたりしていますが、今も地域住民により大切に継がれています。 -
社頭正面から境内の眺め、社頭右に白山社の社号標が立てられ、鳥居の先の蕃塀が視界を遮り社殿の様子は窺えない。
-
蕃塀は控柱の付くもので腰板部分には獅子と牡丹、欄干は額束を挟んで龍が彫り込まれています。
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境内右側の手水舎。
コンクリート製の平屋根はあまり見覚えがない珍しいものかもしれない。 -
龍口からは僅かに清水が注がれていました。
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拝殿正面からの眺め。
コンクリート造の入母屋で正面に唐破風向拝が付くもの。
拝殿前では一対の狛犬が守護しています。
白山社の由緒は境内に見当たらず、愛知県神社名鑑(1992)で知ることになります。
『十二等級 白山社 旧村社
鎮座地 名古屋市中川区東起町4-96
祭神 菊理姫命
由緒
社伝によれば天正年間(一五七三-一五九一)東起城主前田三郎四郎和春が荒子観音寺の山門の神として建立したという。
城主の?後は廃城となり、白山社も衰微したが寛永十六年(一六三九)社殿の修復があり、その後も度々改築があった。
明治四年五月、村社に列格する。
昭和四十八年五月六日、社殿を造営、社務所を改築した。
例祭日 十月五日
社殿 本殿 流造、幣殿、社務所、神庫、奉湯舎』
また、Gマップでは当社境内に前田利春の居城 東起城跡のマーカーが置かれていますが、城そのものは東起町4の南西外れの住宅が立ち並ぶあたりにあったようで、白山社境内には碑や名残を感じさせるものはありません。 -
拝殿前の狛犬。
この他、幣殿両脇にこれより若干古い狛犬も安置されていましたが撮り忘れていました。 -
拝殿額は白山社。
昭和四十八年に改築とあるので、その際に作られたものだろうか。 -
本殿は解説にあったように流造でこちらに菊理姫命が祀られている、本殿の他に境内社は見られなかった。
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境内左側に祀られている秋葉社、こちらにも狛犬が安置されています。
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黒ずんだ姿は境内の狛犬のなかでは最も風格が漂う。
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ちょっと前までは水田が広がっていた東起も、宅地化され住宅地へと変貌しました。
変わらないのは、この先を流れる庄内川の流れと住宅の二階の軒下に達するほどの高い堤が延々と続く。 -
本殿後方から社殿の眺め、左に撮り忘れた狛犬の姿がある。
東起町の白山社は、周辺から稲田が減ったとはいえ、水の恵みは地域の田畑や人々の暮らしを潤してきた。
白山社 (中川区東起町)
創建 / 天正年間(1573-1591)
祭神 / 菊理姫命
境内社 / 秋葉社
例祭日 / 十月五日
氏子域 / 東起町
所在地 / 名古屋市中川区東起町4-96
皇太神社から白山社 / 皇太神社社頭から南西に0.8km・10分で社頭。
参拝日 / 2026/4/13
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