2026/05/08 - 2026/05/09
4805位(同エリア4893件中)
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あおばさん
この旅行記のスケジュール
2026/05/08
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電車での移動
トラムT1線
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アヤソフィア歴史体験博物館
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電車での移動
トラムT1線 スルタンアフメット→カバタシュ
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バスでの移動
路線バス カバタシュ→ルメリ・ヒサル
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船での移動
Sehir Hatlari社フェリー アシヤン→アナドル・ヒサル
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船での移動
Sehir Hatlari社フェリー アナドル・ヒサル→ユスキュダル
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船での移動
Sehir Hatlari社フェリー ユスキュダル→エミノニュ
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バスでの移動
路線バス エミノニュ→ファティ
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バスでの移動
路線バス ファティ→エディルネカピ
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電車での移動
トラムT1線 トプカピ→エミノニュ
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電車での移動
地下鉄2号線 ハリッチ→ガイレッテペ
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バスでの移動
Havaist(空港バス)
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飛行機での移動
TK198便
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この旅行記スケジュールを元に
5日間にわたったオーストリア・トルコの旅も、今日が最終日。
これまでハプスブルク帝国ゆかりの城や霊廟、オスマン帝国の宮殿を訪ねてきましたが、今日は両帝国の歴史上、最強の皇帝の1人に焦点を当てます。
その名はメフメト2世。
4世紀以来、千年にわたってキリスト教の東の中心だった帝都コンスタンティノープルを陥落させ、「征服王」の異名で恐れられた、オスマン帝国のスルタン(皇帝)です。
東ローマ帝国の都を陥して、カエサル以来のローマ帝国の歴史に終止符を打ったと言えば、その凄さがお分かりいただけるでしょうか。
今日はこれから、彼が
・征服してモスクに改修した大聖堂
・コンスタンティノープル攻略のため築いた城砦
・攻略した東ローマ帝国の城壁
・死後に葬られたモスク
を巡ります。
なお、今回の旅の行程は以下の通りです。
この旅行記は、⑥のイスタンブール観光から、⑦の羽田帰着までです。
●行程
①5/3(日)成田午前発→(TK51)→イスタンブール乗継→(TK1889)→ウィーン泊
②5/4(月)スロバキア・ブラチスラバへ日帰り、ウィーン泊
③5/5(火)ウィーン市内観光、ウィーン泊
④5/6(水)午前シェーンブルン宮殿、午後ウィーン国際空港発→(TK1898)→イスタンブール泊
⑤5/7(木)イスタンブール市内観光、イスタンブール泊
⑥5/8(金)イスタンブール市内観光、深夜イスタンブール空港へ
⑦5/9(土)イスタンブール空港早朝発→(TK198)→羽田夜着
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 飛行機
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今日は曇りの予報でしたが、今のところいい青空です。
-
朝ごはんが終わったら、さっそくトラムに揺られてアヤソフィアへ。
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来た来た。
本日最初の目的地、アヤソフィアです。
東ローマ皇帝ユスティニアヌスが建立した、世界最大級の大聖堂を、15世紀にこの街を征服したメフメト2世がモスクに改造して今に至ります。 -
オスマン帝国滅亡後、無宗教の博物館として公開されていたアヤソフィアは、数年前にエルドアン政権の方針でモスクに戻りました。
そのため、非ムスリムの観光客は祈祷エリアの1階には入れません。
でも、祈りの場の役割を取り戻したと考えれば、これがあるべき姿だったのかも。
それにしても、近くで見ると本当に大きい。(クレーンも大きい…)
クレーンも鉄の足場もない6世紀(日本は古墳時代、聖徳太子もまだ生まれてない頃)に、よくこんな物建てたなあ。 -
重厚なレンガ造りの通路を進んで、2階の柱廊へ向かいます。
-
ランプに彩られた柱廊に出ました。
世界中の旅人の声が背後から聞こえるけど、それをかき消すほど空気が重く、しんとしています。 -
モスクの内部も工事中ですが
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1500年の時を経てきた、この場所に立てることが嬉しい。
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柱廊の天井は装飾が鮮やか。
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2階には、東方正教の大聖堂時代のモザイク画が残っています。
モスクへの改造時に漆喰で塗りつぶされたモザイクが、20世紀の調査で再発見され、今に至ります。 -
イエス・キリストと、左右に仕えるのは東ローマ帝国の皇帝夫妻でしょうか。
-
モスクへの改造時に、よくこれを壊さなかったな…と思いましたが、
「モザイクを削ってから、改めて壁を綺麗にする」
より
「モザイクを上から塗り潰す」
方が、現場目線で早くて楽だった、ってことなのかな? -
柱廊の一角の床には、第四次十字軍を率いたベネチアの元首、エンリコ・ダンドロの墓石が。
東ローマ帝国の帝位争いへの介入や、ベネチアの商業利権獲得など、諸々の事情からキリスト教国の東ローマ帝国を同士討ちした(なぜそうなった…)第四次十字軍は、難攻不落と言われたコンスタンティノープルを攻略して、ラテン帝国を築きました。
そのリーダーのエンリコ・ダンドロはこの地で没して、ここアヤソフィアに葬られました。
ただ、この墓石自体は後世の創作で、エンリコ・ダンドロの本当の墓所の位置は不明だそう。
この墓石は「記念碑」と考えるのが良いですね。 -
キリスト教時代の遺産が、もう1つ。
1階の外側の、観光客も見られる扉の上に… -
中央のキリストに、コンスタンティノープルの街を捧げるコンスタンティヌス大帝(右)と、アヤソフィアを捧げるユスティニアヌス大帝(左)。
この街の歴史を築いた両帝を讃えるモザイクです。 -
アヤソフィアの余韻の中、ブルーモスクの周りを少々散歩していきます。
雑踏の中から時折、トルコ人が日本語で呼びかけてきますが、反応してはいけません。
あれは意地悪キツネ…というかハイエナなので(ーー;)
(ハイエナの被害に遭いかけた話は、昨日の旅行記でご覧いただけます) -
モスクの隣では、滝のような藤の花が満開でした。
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モスク近くで公衆トイレを探したものの、見当たらないな…
そうだ、博物館に入ればトイレあるだろ!
ということで、急遽「アヤソフィア歴史体験博物館」に入場しました。
入場料はかなりお高かったので、トイレ休憩にはお勧めできないですね…
展示は、音声ガイド付きの映像シアターを周りながら、アヤソフィアとイスタンブールの歴史を辿っていきます。
少々演出が大仰ではありますが…内容はとっても分かりやすい(日本語版ガイドもある)ので、この街の歴史を手早く理解するにはいいかも。 -
お次は、トラムと路線バスを乗り継いで、ボスポラス海峡沿いの城砦ルメリ・ヒサルへ。
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T1トラムの終点カバタシュから、22番のバスで20分ほどです。
イスタンブールの路線バスは、前乗り・前払いの均一運賃制で分かりやすく、慣れるとスイスイ乗れるようになりました。 -
満席のお客さん(学生さんが多かったかな?)を乗せたバスは、右手に海峡を望みながら北へ。
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ところどころ、雰囲気のいい海沿いの公園や波止場が車窓に現れます。
イスタンブールの街、防波堤がないのもあって、人と海が近いんですよね。
今日は時間の関係でできないけど、気になった場所でバスを降りていく、途中下車の旅も楽しそう。 -
カバタシュを出て2番目の吊り橋の手前で、バスを降ります。
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目の前の海を渡るのは、メフメト2世の名を冠した「ファーティフ・スルタン・メフメト橋」。
ヨーロッパとアジアをつなぐハイウェイの一部です。 -
かすかに潮の匂いがする町並みは、旧市街より時間の流れがゆっくり。
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海を望むレストランでお昼をいただきます。
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ポテトフライと肉汁モリモリの巻きケバブのプレートはボリューム満点でした。
お腹がはち切れそう… -
ランチを終えて外に出れば、すぐ上にルメリ・ヒサルの威容がそびえます。
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海のすぐそばまで城壁が迫ります。
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小さな門をくぐって城内へ。
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逆三角形の敷地(下が海側)に3箇所の塔が立って、海峡に睨みを効かせていました。
コンスタンティノープル攻略にあたって、東ローマ側の補給路になるボスポラス海峡を制圧すべく、メフメト2世が建設を命じたのがこの城砦です。
ちなみにルメリ・ヒサルの建設時点で、この場所は東ローマ帝国領でした。
敵の領内に城を建ててしまうメフメト2世の豪胆さと、もはやトルコ兵を追い出す力が残っていない東ローマの斜陽ぶりの、両方が分かりますね。 -
2026年5月現在、修復工事のため城塔には上がれませんが、城内の庭園は散策できます。
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城塔の向こうに、海を行く船が見えます。
コンスタンティノープル攻防戦の前には、あの塔に大砲が据えられて、海峡を抜けるベネチアやジェノヴァの船を狙っていたのでしょう。 -
あ、猫が来た。
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ずいぶんふてぶてしいねキミ…
ちゅーるの持ち合わせがなくてごめんよ、、 -
城内に桜に似た花が咲いていました。
Googleレンズで調べてみたところ、セイヨウリンゴの仲間らしい。
トルコが原産地の1つだそうです。 -
城壁と青い海と
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城壁沿いに大砲の展示もありました。
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ルメリ・ヒサルを満喫した後は、近くのアシヤン埠頭からユスキュダル行きの船に乗って、旧市街方面へ帰ります。
14:45発のユスキュダル行きがもうすぐだから、急ぎ足でアシヤンまで来たのですが…船の影も形もありません。
どうやら、Googleマップ上の船のダイヤが間違っていたようです。
次のユスキュダル行きは1時間後。
さて、どうしよう。
10分間隔くらいで来る22番バスに乗ればすぐに帰れますが、帰りもバスではちょっと味気ないしなぁ… -
という訳で、船で対岸のアナドル・ヒサルに渡って、ユスキュダル行きの船に乗り継ぐ作戦で行きます。
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出港した船の左手に、ルメリ・ヒサルの全景が見えてきました。
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地図で見た通りの逆三角形がよく分かります。
城から海を見るのもいいけど、船から城砦を見渡すのもアリですね。 -
このあたりはボスポラス海峡の中でも幅が狭く、すぐに対岸が見えてきます。
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アナドル・ヒサルの埠頭に到着です。
アジア側なのに、町並みがヨーロッパ側より洋風なのが面白い。
ユスキュダル行きの船まで少し時間があるので、アナドル・ヒサルの城砦を見に行ってみましょう。 -
こちらが城砦アナドル・ヒサル。
ルメリ・ヒサルの対岸にあり、ルメリ・ヒサルとともに海峡を睨む役割を担っていました。
今ではこの砦の名が、街や埠頭の名前になっています。 -
この街、対岸のルメリ・ヒサル以上に空気がのんびりしていて、短時間でしたが居心地が良かったです。
お洒落な海を望むレストランなんかもありました。 -
アナドル・ヒサルのフェリー乗り場は、爽やかなANAカラー。
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窓にはトルコ国旗と、初代大統領アタチュルクの肖像。
トルコはお札の肖像画も全部アタチュルクだし、熊本のくまモンくらいの勢いでアタチュルクをよく見かけます(笑) -
へえ、水上タクシーってのもあるんだ。
さすが海の街。
しかもスマホアプリで呼べるらしい。 -
15:30のユスキュダル行きに乗ります。
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来たきた。
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船は進路を南へ取り、あっという間にアナドル・ヒサルを離れていきます。
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途中、いくつかアジア側の港に立ち寄りながら、海峡を下っていきます。
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船とカモメで賑わうユスキュダルに到着。
船のエンジン音に、カモメの声に、地上の雑踏。
アナドル・ヒサルよりだいぶ賑やかになってきました。 -
あ、例の水上タクシーだ。
…船体が小柄だからか、波に煽られまくってますね(・・;)
これは酔い止めが要るかも。 -
ユスキュダルから旧市街へは、海峡横断鉄道マルマライでも行けて、多分そちらの方が速いのですが、せっかくなのでもう一度船で渡ることに。
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うーーん、風が気持ちいい。
やっぱりこの街は潮風の中で見るのがいいなぁ。 -
満席のお客さんと一緒に、ユスキュダルよりさらに繁華なエミノニュに戻ってきました。
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お次はエミノニュの路線バスターミナルから、西を目指します。
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バスが海沿いを離れるとすぐ、車窓に東ローマ時代の水道橋が。
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「ファティ」バス停を降りるとすぐ右に、次の目的地ファティ・ジャーミィが現れます。
メフメト2世が葬られた大モスクです。 -
お邪魔させてもらうね。よろしく。
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頭上をアラビア文字の装飾、足下を絨毯に彩られた入り口をくぐって中へ。
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一歩踏み入れれば別世界です。
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ドームやアーチをいくつも組み込んだ、複雑な造形。
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礼拝が終わった直後だったため、堂内は礼拝着の男性で賑わっていました。
時折、低く芯のある声が聞こえてきます。 -
このモスクは一度焼失して再建されましたが、再建前のモスクも、東ローマ帝国時代の聖使徒教会を壊した跡地に建てられました。
その聖使徒教会は、コンスタンティヌス大帝以来、歴代東ローマ皇帝の墓所でした。
そう、つまりここは…
この地を帝都に定めたコンスタンティヌス、東ローマ帝国の最大版図を築いたユスティニアヌス、そしてメフメト2世まで、その手で世界史を動かした男たちが眠る場所。
建物は幾度も変わっても、土地に刻まれた歴史が消えることはありません。
足下に眠る歴史の主人公たちに、静かに祈りを捧げました。 -
モスクを出ると、裏庭にも猫。
この街、緑のあるところには大抵猫がいたような。
みんなに大事にされてるんだね。 -
ファティ・ジャーミィから再びバスに乗り、旧市街の西のはずれのエディルネカピにやってきました。
ここから少し歩けば、メフメト2世の軍が突破した、東ローマ帝国の城壁が見えてきます。 -
まずはバス停を降りてすぐ、堂々としたメフメト2世像がお出迎え。
-
見えてきました。
東ローマ帝国時代、三方を海に囲まれたコンスタンティノープルにあって、唯一陸続きの西側の防衛を担っていた、テオドシウス城壁です。 -
エディルネカピ近くの城壁は、残念ながら保存状態がかなり悪く、崩れ落ちている箇所もあります。
東ローマ帝国の滅亡後、500年以上経っていますし、仕方ないのかもしれません。 -
地下鉄トプカピ駅から南の区間は、比較的状態がいいようです。
-
メフメト2世率いるトルコ軍が入城したと伝わる門(Fetihkapi、読み方がよく分からない…)まで来ました。
-
城壁を外側から見ると、三重構造になっているのがよく分かります。
左手前に見えるグレーっぽいのが1枚目、画面真ん中あたりで上に草が生えているのが2枚目、塔の左右に続くのが3枚目です。
当時最新鋭の大砲をもって城壁に対したオスマントルコ軍も、この三重の壁はついぞ破れず、東ローマの守備兵が鍵をかけ忘れた門から街に入ったと言われています。 -
この城壁の前で、いったい何人のトルコ兵が倒れたのでしょうか。。。
あの城壁の上から弓矢や石が雨あられと降ってくるわけですから、攻城側の犠牲は防衛側以上だったと言われます。
トラムT1線トプカピ駅の近くまで城壁を見て、トラムで宿のあるエミノニュへ戻りました。 -
旅の最後の記念に、金角湾にかかるガラタ橋のレストランで夕飯をいただきます。
橋の下の通路を歩きながら、どこにしようかな~(どこもお高いな~)と迷っていると、店頭のおっちゃんが見透かしたように
「ヤスイノアルヨ?」
「サバサンド、270リラ」
( ๐_๐)……
そんなに言うならここにしましょうか。
おっちゃん、よろしく。 -
海が見える席に通していただけました。
ありがとうおっちゃん。
(ちなみにグラスの中身はスパークリングワインじゃなくペプシです。トルコも地中海地方だからワイン美味しいだろうに、下戸の悲しみよ…) -
少しして、ほかほかのサバサンドがやってきました。
サバとパンの塩気がたまらないし…サバの身も普段日本で食べるやつより分厚い気がする。
またこれがペプシによく合うんだなぁ… -
パンとサバの香ばしい匂いと、風に乗ってくる潮の香りと。
忘れられない時間になりました。 -
レストランを出ると、橋の上からたくさんの釣り糸が。
ガラタ橋はイスタンブールっ子に大人気の釣りスポットです。
大きなサバも釣れるのかな? -
少し暗くなって、船と街に灯りが点りはじめました。
レストランの賑わいを破るように、船の汽笛が湾中に響きます。 -
岸辺に立つイェニ・ジャーミィのライトアップも始まりました。
-
しばらく海を眺めているうちに、街の灯りが増えてきました。
この街を離れる時が近づいてきたようです。 -
ホテルのそばで見守ってくれたイェニ・ジャーミィともお別れです。
-
帰路は金角湾の橋の上のハリッチ駅から、地下鉄で空港へ。
-
2号線をガイレッテペ駅で降りて、空港へ行く11号線に乗り帰ります。
長い長い連絡通路を歩いていると、前方から地元の方に先導された欧米観光客の集団がやってきました。
そして先頭のトルコ人のおっちゃんが私を見るなり
「Airport? Closed!」
「(ジェスチャーで)こっちこっち!ついて来て!」
と言うじゃないですか。
一瞬戸惑いましたが、どうも地下鉄11号線が止まってるらしい。
観光客を迂回路へ誘導してるようです。
この場面、少々選択を迷いました。
11号線が動いてるか、自分で確認した方がいいと思う反面、迂回手段を知っていそうな人から離れるのも、それはそれでリスクがある。
わずかな逡巡の末、ここはおっちゃんの案内に賭けることにしました。 -
おっちゃんの先導で地下通路を右へ左へ進んで、エレベーターで外に出ました。
ここは……?
どうやら、高速道路に併設されたバス停らしい。
空港行きの高速バス「Havaist」の看板があります。
これに乗って行けばいいとのこと。
隣にタクシー乗り場もあったのですが、空港へ戻る直前のため、トルコリラ現金を使い切っていて、タクシーには乗れませんでした(イスタンブールのタクシーはほぼクレカ非対応)。
大人しくバスの到着を待ちます。
ところで、おっちゃん。この駅どこにトイレあるの?
Google翻訳を見たおっちゃん↓
「無いね ( ◜ᴗ◝ )ニコ」
「空港で行ってね」
…そんなことある??
最大都市の地下鉄、それも空港行きの乗り換え駅だよここ。
イタリアでもオーストリアでも、駅には有料ながらトイレはあったのですが…
今回は耐えられたけど、本当に詰みかねないから何とかしてほしいですねこれ。。。 -
小雨の中、いつ来るか分からないバス(確か時刻表は貼ってなかった)を待ちます。
見知らぬ場所、雨の夜、先が見えない不安…
時間が無限に長く感じました。 -
1時間ほど待って、ようやく空港行きのHavaistがやってきました。
待ち構えた観光客が、親ガモに群がる子ガモみたいにバスに殺到して、凄いことになりましたが…
何とか5番手で乗り込んで、席を確保できました。 -
23時15分、無事にイスタンブール国際空港に到着しました。
ありがとうHavaist。 -
23時台でも、世界有数のハブ空港は眠りません。
明るい景色を見ると安心します。。。 -
搭乗するのは、深夜2時5分発羽田行き。
余裕もって旧市街を出ておいてよかった…
出国手続きやお土産購入を加味しても、まだ充分間に合います。 -
ただ、IGAラウンジの入場は諦めました。
私のプライオリティパス資格では入場が有料で、1時間半くらいのラウンジのために5000円超払うのも勿体ないな…と思ってしまって。
もっと稼いで良いカード持って、上級資格取らなくちゃね。 -
会社で配るロクムと自分用のマグネットを買って、搭乗口へ。
帰りの羽田行きは777-300ERです。 -
深夜2時過ぎ、ほぼ定刻通りイスタンブールを飛び立ちました。
本当に色々あったけど、ありがとう、イスタンブール。 -
コーカサスの雪山の上を東へ。
地平線にはもう朝焼けが見えます。
この先は、ガイレッテペのバス待ちの疲れもあり、1回目の機内食を食べる余裕もなく寝潰れてしまいました。 -
2回目の機内食を食べ終えてまた少し寝て、ブラインドを上げると。
機体は夕焼けの日本上空を降下していました。 -
19時半、予定通り羽田に帰ってきました。
これにてオーストリアとトルコを巡る旅は完結です。
ここまでご一読いただき、ありがとうございました。
今、知床第一ホテルでガラナを飲みながらこちらを執筆していますが、改めて色々起きすぎたなと…
皆さんも、情報量が多くて整理が大変だったと思います。
イスタンブールの街やモスクの空気感と、前編に登場したオーストリア帝室ゆかりの名所を、楽しんでいただけたでしょうか。
トルコの著名な人物は、メフメト2世にしてもアタチュルクにしても、あまりにも「偉大な指導者」すぎて…ウィーンのシシィや皇帝フランツ・ヨーゼフ、あるいはライヒシュタット公のようには、感情移入ができませんでした。
そういう意味で、トルコ側の人物の掘り下げには限界がありました。
前半のハプスブルク編に比べて、トルコ編は少々薄味だったかもしれませんが、ご了承ください。
逆に言えば、ただ美しいだけじゃなく、現代の我々に通じる自由への渇望や、生き方のままならなさを抱えていればこそ、皇妃シシィは今も世界中で愛されるのかもしれませんね。
ウィーンの街中や空港にはシシィグッズが溢れているのに、イスタンブールのどこにもアタチュルクグッズが見当たらないのは、見た目の華麗さや偶像崇拝への考え方の違いもあれど、こういう側面もあるのかも…などと思った次第です。
最後まで長文失礼しましたm(_ _)m
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