2026/05/06 - 2026/05/06
6217位(同エリア6548件中)
あおばさん
この旅行記のスケジュール
2026/05/06
-
電車での移動
地下鉄U4線 シュヴェーデンプラッツ→シェーンブルン
-
電車での移動
地下鉄U4線 シェーンブルン→シュヴェーデンプラッツ
-
Heindl's Schmarren & Palatschinkenkuchl
-
電車での移動
地下鉄U1線 シュヴェーデンプラッツ→ウィーン中央駅
-
電車での移動
レールジェットエクスプレス ウィーン中央駅13:42発→ウィーン国際空港13:57着
-
飛行機での移動
ターキッシュエアラインズ TK1898便 ウィーン16:35発→イスタンブール19:55着
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
今日はウィーン滞在の最終日。
午前中いっぱいを使って、ハプスブルク家の夏の離宮・シェーンブルン宮殿を巡り、午後の飛行機で次の目的地、イスタンブールへ発ちます。
シェーンブルンは18世紀にマリア・テレジアが大改装して以来、歴代の皇帝や大公、その家族たちに愛されてきました。
その美貌と自由な生き様と、旅先での非業の死…無政府主義者による暗殺…で語り継がれる皇妃シシィも、皇帝フランツ・ヨーゼフとともに、この宮殿で結婚生活を歩みました。
シシィやその息子ルドルフが、悲しい最期を迎えたことはよく知られますが、同じ19世紀のウィーンにもう1人、悲運の王子がいたことをご存知でしょうか。
欧州でも有数の血筋を受け継ぎながら…その血ゆえに恐れられ、孤独な時を過ごした人物でした。
今日はそんな彼を、五月晴れのシェーンブルンに訪ねます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 飛行機
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
3泊お世話になったホテルオーストリア・ウィーンの滞在も、今日が最後。
1階の朝食会場で、美味しいパンとヨーグルトをいただきました。 -
昨日に続いて、今日もいい青空。
ホテルのあるシュヴェーデンプラッツからシェーンブルンまでは、地下鉄U4線で直通です。 -
というわけで、地下鉄に揺られてさっそく宮殿にやってきました。
-
シェーンブルン宮殿のチケットは何種類かありますが、今回はホーフブルクのシシィ博物館と王宮家具博物館との共通券「シシィパス」を利用しました。
王宮家具博物館へ行かなくても、シシィ博物館とシェーンブルンで元が取れたので、ウィーンで宮殿巡りしたい方は、これを買えば間違いないと思います。 -
宮殿に入場してすぐの部屋は、映像展示スペースでした。
これは…ナポレオンがウィーンに進駐した時の様子か。
頭上にトリコロール、フランス革命を象徴する旗が揺れます。
日本でナポレオンと言えば、ヨーロッパを制覇した英雄…という印象ですが、彼に実際に侵略された国…特にここオーストリアでは、少々イメージが違ったようです。
軍事力で屈服させられて、フランス革命の自由主義精神を持ち込まれた上(ハプスブルク家にとっては大迷惑)、権威付けのために皇帝の娘を嫁に差し出せとまで言ってきたんですから…
時のオーストリア宰相メッテルニヒが激怒するのも、無理はありません。
結果、ナポレオン失脚後にメッテルニヒの主導でフランスを王政復古させて、欧州は一時の平穏を取り戻すのですが…
一度刻まれた傷や屈辱は、そう簡単に癒えるものではないのかもしれません。 -
映像スペースの後は、豪華な階段ホールを抜けて2階へ。
-
階段の先の部屋で、マリア・テレジアの夫君、フランツ・シュテファンが出迎えてくれました。
この先が、歴代皇帝と家族の部屋です。 -
まずこちらは、皇帝フランツ・ヨーゼフの謁見者の待機部屋です。
皇帝は市民の謁見も受け付けていたそうで、この部屋も当時は貴族に商工業者に、いろんな人たちで賑わってたのかな。 -
そしてこちらが、謁見の間。
画面中央のクラシックな机と椅子が、皇帝の定位置でした。
おそらく謁見者は、皇帝の右前に進んで、言葉を交わしたのでしょう。
その反対、皇帝の左前には…部屋を静かに見守るように、皇妃シシィの像が立っています。 -
次の部屋は、皇帝フランツ・ヨーゼフの執務室。
皇帝夫妻の大きな肖像画が飾られています。 -
こちらの机が、皇帝の仕事場所だったようです。
音声ガイドによれば、皇帝は朝5時から(!!)ここで仕事をこなしていたとのこと。
優雅な王族のイメージとは裏腹に、本物の皇帝は激務だったんですね…
そして机の上には、奥様シシィの写真が何枚も。
いくら、幼少期から帝王学を叩き込まれたフランツ・ヨーゼフといえど、連日早朝からの仕事は堪えることがあったかもしれません。
そんな時、大切な奥さんの存在が…恐らくは奥さんが亡くなった後も…孤独な皇帝の心を支え続けたのでしょう。 -
執務卓の反対側にも、シシィの写真がたくさん並びます。
-
次の部屋は、皇帝フランツ・ヨーゼフの寝室。
写真奥のベッドで、1916年の秋、皇帝が息を引き取ったそうです。
手前に掛けられた絵は、亡くなった時の皇帝を描いたもの。
とっても穏やかな表情に見えます。
長い治世の間、何度も戦争を経験して、息子さんにも奥さんにも先立たれて…苦難の絶えなかった皇帝ですが、最後は枕元のシシィに見守られて、安心して天国へ行けたのかな。
これでやっとシシィに会える、と安堵していたのかもしれません。 -
皇帝の寝室から少し進むと、皇妃シシィの支度部屋に出ました。
栗色の髪の皇妃をイメージしたマネキンが、鏡に向き合っています。
電動ドライヤーもない時代に、この長い髪を手入れするの、大変だったろうなぁ。
こちらでは、毎日入浴するという訳ではなかったのかもしれませんが。
櫛でとかすにも、なかなか手がかかりそう。 -
お次はフランツ・ヨーゼフとシシィの共同の寝室です。
青地に白で揃えた壁紙と家具は、派手じゃないけど豪華で、格式を感じさせます。 -
金属風の装飾が入った食器も、とっても綺麗…
-
どちらかと言えば冷たい印象の寝室から打って変わって、次の部屋、皇妃シシィのサロンは華やかな内装です。
-
カーテンも椅子も壁紙も、花でいっぱい。
-
シシィのサロンからいくつか部屋を抜けると、目の前に大空間が広がりました。
ここが「大ギャラリー」。
ナポレオン失脚後の欧州の体制を話し合った「ウィーン会議」や、米大統領ケネディとソ連書記長フルシチョフのトップ会談が開かれた、国際政治の大舞台です。 -
部屋の広さもさることながら、天井画やシャンデリアも豪華絢爛。
ウィーン会議は各国の利害調整が難航して「会議は踊る、されど進まず」などと言われましたが…確かにこの部屋は、会議より舞踏会の方が似合うかもしれません(笑) -
大ギャラリーのそばには、マリア・テレジアが収集した中国の漆工芸を内装に採り入れた小部屋もあります。
東洋の意匠が金とアイボリーの装飾に溶け込んでいるのが、ちょっと不思議です。
でも、全然違和感はないなぁ。すごいバランス感覚。 -
大ギャラリーから何部屋か進むと、ひと際暗い印象の部屋に辿り着きました。
窓の日除けが下ろされて、壁紙も沈むような色合いです。
この部屋はいったい…?
音声ガイド
「ここはナポレオンの部屋、ウィーンに進駐したナポレオンが滞在した場所です」
なるほど、ここが。
ということは、左手の絵に描かれた坊やは…
「左手の肖像画は、ナポレオンの遺児ライヒシュタット公爵の、幼い頃の姿です」 -
改めて、この部屋の主は…
欧州を席巻したフランス皇帝ナポレオンと、
その一人息子、ライヒシュタット公爵。人呼んでプリンツ・フランツィ。
なぜナポレオンの遺児がここに?と疑問に思われるかもしれません。
少々事情を説明すると…
父ナポレオンが失脚して国を追われた際、当時まだ幼かった彼は、ハプスブルク家出身の母に連れられて、ここウィーンへ脱出し、時の皇帝と宰相の庇護を受けたのでした。
その後彼は、このシェーンブルンで事実上の軟禁下に置かれました。
北伊・パルマの領主として赴任した母とも離れて、一人ぼっちで。
もしも彼が、フランスの帝政支持者の手に渡れば…本人の望む望まないにかかわらず…周囲が彼を帝位に就けようとして、フランスに内乱が起きるのは必定だったでしょう。
あるいは、内乱の危険を察知したブルボン王朝派が、彼の暗殺を試みたかもしれません。
だからフランスのためにも、彼自身のためにも、ここに閉じ込めるのが最善…という宰相メッテルニヒの判断は分かります。
でも、父親を失った彼から母親まで引き離すのは、やり過ぎじゃなかったのかなぁ…
おそらく彼の孤独は、来る日も来る日も執務卓に向かっていたフランツ・ヨーゼフよりも、一段と深いものだったと思います。 -
長い時をここで過ごしたライヒシュタット公は、肺病を患い、たった21歳でこの世を去りました。
こちらの彫像は、彼が亡くなった時の姿だそうです。
彼の立場上、もし病に倒れなくても、父ナポレオンや従兄弟フランツ・ヨーゼフのように、歴史の第一線に立つことは出来なかったでしょう。
彼にハプスブルク家の継承権はなく、フランスの帝位を目指すことも許されませんでしたから。
出世しても、オーストリア帝国軍の一将官までではなかったでしょうか。
それでも、ナポレオンの血を引く彼なら…
皇帝の右腕として帝国軍を率いて、プロイセンの鉄血宰相・ビスマルクと対等に渡り合えたんじゃないか…などと、どうしても想像してしまいます。 -
そこから部屋をいくつか進むと…暗い色調だったナポレオンの部屋から一転して、鮮明な青と白の空間に出ました。
ここは、ゾフィー大公妃…皇帝フランツ・ヨーゼフの母后の部屋です。
フランツ・ヨーゼフに厳しい帝王学を授けた彼女は、皇帝が若い間は自ら政務を執るほど、頭が切れて政治にも明るい方だったと言います。
クールな青基調の部屋は、そんな理知的なゾフィーの性格が現れているようでした。 -
部屋の片隅の装飾の上には、少年時代のフランツ・ヨーゼフの絵姿が。
まだ少しあどけないけど、美少年だなぁ…。
母ゾフィーにとって、自慢の息子だったんでしょう。 -
このゾフィーの部屋をはじめ、宮殿の各所に、フランツ・シュテファンの肖像画が掛かっていました。
先ほどのナポレオンの部屋にも、その前の部屋にも。
おそらく、マリア・テレジアが夫君を思って沢山描かせたのだと思いますが…
フランツ・シュテファンのふくよかな、いかにも王様然とした風貌もあって、優しいパパが一族を見守っている、そんな印象でした。 -
宮殿の最後を飾るのは、女帝マリア・テレジアが使ったベッドです。
フランツ・ヨーゼフの質素なベッドとは違って、さすが天蓋まで装飾が凝りに凝っています。
女帝の死後200年以上経ったのに、よくこれだけの物が残ってるな…
オーストリア、恐ろしです。 -
宮殿見学の後は、庭園へ。
こちらの庭園もとっても広大です。 -
青々とした木々が噴水を囲みます。
-
丘の上に立つのはグロリエッテ。
こちらもマリア・テレジア時代の建築です。
グロリエッテの丘からは、宮殿越しにウィーン市街を一望できるそうです。
ただ道中が坂道で、けっこう距離もあるそうなので…残念ながら今回はパスしました。 -
庭園から振り返ると、淡い黄色の宮殿が空に良く映えます。
-
宮殿の西側には、大きな藤のアーチがありました。
-
ライヒシュタット公やシシィも、ここを歩いたんでしょうか。
シェーンブルン宮殿の藤がいつからあるかは分かりませんでしたが…東アジア原産の藤がヨーロッパに持ち込まれたのは、1816年のイギリスが最初だそうです。
1832年に亡くなった、ライヒシュタット公の時代には間に合わなかったかもしれないけれど。
シシィが1850年代にウィーンに来た時には、もしかしたら藤の花が咲いていたかもしれません。 -
宮殿も庭園も、存分に楽しませてもらえました。
時刻は12時前。そろそろウィーン市内へ戻ります。 -
帰りも地下鉄U4線でシュヴェーデンプラッツへ。
U4線は地下鉄と言いつつ、写真のように地上を走る区間があったり、駅の装飾がお洒落だったり、面白い路線でした。 -
ホテル近くのレストラン「Heindl's Schmarren & Palatschinkenkuchl」で、お昼をいただきます。
-
まずは、ストロベリーフレーバーのレモネードから。
味はほぼ普通のレモネード…苺の甘みは感じない…ですが、口に含むとかすかに苺の香りがして、不思議な心地でした。 -
ランチのメインは、カイザーシュマーレン。
カイザー、つまり皇帝の名の通り、皇帝フランツ・ヨーゼフの好物だったとも言われる、ウィーン名物のパンケーキです。
ただし、たかがパンケーキと侮るなかれ。
こちらのお店で大サイズと小サイズを選べたので、大サイズを頼んだところ、なかなかのボリューム感でした。
ケーキというより「粉もん」と考えた方がいいかもしれません。。 -
砂糖たっぷりのカイザーシュマーレンと、喉がスっとするレモネードの相性はなかなかよかったです。
-
宿で荷物をピックアップして、中央駅へ向かいます。
ホテル近くから直行の空港バスもあるのですが、直前に出てしまって次は30分後。
乗り換えの手間はかかるけど、列車で行くことにしました。 -
空港まで乗るのは、オーストリア鉄道の最速特急・レールジェットエクスプレス。
スタイリッシュな赤い特急は、オーストリア国内のみならず、隣国ハンガリーのブダペストや、シシィの故郷・ミュンヘンまで直通します。 -
列車の窓の外に目を向けると、
奥のホームには、ワルシャワから来た国際特急と、ドイツから来たICEの姿が。
帝国は滅んでも、この街は今もヨーロッパの中心の1つであり続けています。 -
列車は20分遅れで、ウィーン中央駅を発車しました。
長距離を走る分、どこかの区間で遅れが出るリスクも高めなのかな。
空港行きに乗るときは、時間に余裕を持った方がよさそうです。 -
さて、ウィーン国際空港に到着しました。
ハプスブルク家の人々の足跡を巡る旅は、ここでおしまいです。
次の目的地は、ヨーロッパとアジアが交わる都・イスタンブール。
ウィーンとは全然違う景色や建物が待ってるんだろうな。
期待を胸に、ターキッシュエアラインズに乗り込みました。
次回、イスタンブール編に続きます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2026欧州 ハプスブルク帝国とオスマントルコ
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ウィーン(オーストリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ウィーン(オーストリア) の人気ホテル
オーストリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
オーストリア最安
376円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ 2026欧州 ハプスブルク帝国とオスマントルコ
0
45