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「グロースターホテル/Gloucester Hotel Cheongju」での夜が明け、帰国前に荷造りをしました。今回もLCCの利用なので15キロを超えることは出来ません。ここまで全州で買ったお酒が4本と昨日市場で買ったキムチが1.5キロもあります。それ以外にも嵩張る海苔7パック、ポン菓子やKOPIKO(コピコ)などが山のようにあります。何とか収めたところでホテル3階のジムにある体重計で計量すると14.74キロでした。この日もホテルでの朝食ではなくバスに乗って「カンチョン」という店で「ソルロンタン」をいただきます。牛の肉と骨を長時間煮込んで作る乳白色のシンプルなスープ料理で、とても美味しくビールが進みました。お腹がいっぱいになったところで清州郊外の「大清ダム湖」近くの「文義文化財団地」へ向かいました。ここは本当は初日に行く観光地でしたが、最終日になって良かったと思いました。ダム湖に沈む建物を高台に移築した施設ですが、本物の韓国の伝統家屋を見ることは素晴らしかったです。ガイドさんの説明を聞きたいのですが、団体の中にいると良い写真が撮れないのでジレンマがありました。天気も良くポカポカ陽気で、梅が咲く村は桃源郷のように思えました。妻の影響で韓国の歴史ドラマを観るようになって、馴染みのある両班の家や農家など日本の建築にも通じるものもあり、興味深く学びの多い所でした。ここの見学が終わると観光は「国立清州博物館」だけになります。

トラピックス マシッソヨ韓国5都市周遊4日間(8)ソルロンタンを食べて文義文化財団地で本物の韓国の伝統家屋を学ぶ。

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2026/03/24 - 2026/03/24

53位(同エリア52件中)

旅行記グループ 2026韓国清州の旅

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kojikoji

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「グロースターホテル/Gloucester Hotel Cheongju」での夜が明け、帰国前に荷造りをしました。今回もLCCの利用なので15キロを超えることは出来ません。ここまで全州で買ったお酒が4本と昨日市場で買ったキムチが1.5キロもあります。それ以外にも嵩張る海苔7パック、ポン菓子やKOPIKO(コピコ)などが山のようにあります。何とか収めたところでホテル3階のジムにある体重計で計量すると14.74キロでした。この日もホテルでの朝食ではなくバスに乗って「カンチョン」という店で「ソルロンタン」をいただきます。牛の肉と骨を長時間煮込んで作る乳白色のシンプルなスープ料理で、とても美味しくビールが進みました。お腹がいっぱいになったところで清州郊外の「大清ダム湖」近くの「文義文化財団地」へ向かいました。ここは本当は初日に行く観光地でしたが、最終日になって良かったと思いました。ダム湖に沈む建物を高台に移築した施設ですが、本物の韓国の伝統家屋を見ることは素晴らしかったです。ガイドさんの説明を聞きたいのですが、団体の中にいると良い写真が撮れないのでジレンマがありました。天気も良くポカポカ陽気で、梅が咲く村は桃源郷のように思えました。妻の影響で韓国の歴史ドラマを観るようになって、馴染みのある両班の家や農家など日本の建築にも通じるものもあり、興味深く学びの多い所でした。ここの見学が終わると観光は「国立清州博物館」だけになります。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
グルメ
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
阪急交通社
  • 「グロースターホテル/Gloucester Hotel Cheongju」での夜が明け、帰国前に荷造りをしました。今回もLCCの利用なので15キロを超えることは出来ません。

    「グロースターホテル/Gloucester Hotel Cheongju」での夜が明け、帰国前に荷造りをしました。今回もLCCの利用なので15キロを超えることは出来ません。

    GLOUCESTER HOTEL CHEONGJU ホテル

  • ここまで全州で買ったお酒が4本と昨日市場で買ったキムチが1.5キロもあります。それ以外にも嵩張る海苔7パック、ポン菓子やKOPIKO(コピコ)などが山のようにあります。

    ここまで全州で買ったお酒が4本と昨日市場で買ったキムチが1.5キロもあります。それ以外にも嵩張る海苔7パック、ポン菓子やKOPIKO(コピコ)などが山のようにあります。

  • 何とか収めたところでホテル3階のジムにある体重計で計量すると14.74キロでした。これで一安心です。

    何とか収めたところでホテル3階のジムにある体重計で計量すると14.74キロでした。これで一安心です。

  • 3階には朝食のレストランもありましたが、我々はここでは食事しません。

    3階には朝食のレストランもありましたが、我々はここでは食事しません。

  • 最終日は7時50分に1階に集合してバスに乗って出発します。

    最終日は7時50分に1階に集合してバスに乗って出発します。

  • この日の空は不思議な雲で、太陽光線も今まで見たことも無いような感じです。

    この日の空は不思議な雲で、太陽光線も今まで見たことも無いような感じです。

  • 3月下旬には韓国のガソリンは1リットル1,800ウォンくらいになっていました。日本でも高い高いと言っていても200円にはなりませんでした。

    3月下旬には韓国のガソリンは1リットル1,800ウォンくらいになっていました。日本でも高い高いと言っていても200円にはなりませんでした。

  • 韓国ではすぐに消費節約になり、バスの運転手さんの話しでは翌日から営業用の車以外は車のナンバープレートの下1桁の2つづつが月曜日から金曜日で使ってはいけなくなったそうです。

    韓国ではすぐに消費節約になり、バスの運転手さんの話しでは翌日から営業用の車以外は車のナンバープレートの下1桁の2つづつが月曜日から金曜日で使ってはいけなくなったそうです。

  • つまり月曜から金曜日は走行する車両が2割ほど蹴るということでバスの運転手さん的には渋滞が減るのでありがたいということでした。

    つまり月曜から金曜日は走行する車両が2割ほど蹴るということでバスの運転手さん的には渋滞が減るのでありがたいということでした。

  • この日の朝ご飯は「カンチョン」という店で「ソルロンタン」をいただきます。

    この日の朝ご飯は「カンチョン」という店で「ソルロンタン」をいただきます。

  • ここの副食のパンチャンはキムチ2種類とカクテキ、唐辛子のキムチでした。

    ここの副食のパンチャンはキムチ2種類とカクテキ、唐辛子のキムチでした。

  • 目覚めのビールをいただきます。ここでも5,000ウォンです。

    目覚めのビールをいただきます。ここでも5,000ウォンです。

  • 4日間お疲れさまでした。前回の釜山に続きいっぱいお酒を飲むツアーでした。

    4日間お疲れさまでした。前回の釜山に続きいっぱいお酒を飲むツアーでした。

  • 「ソルロンタンは牛骨や牛すじ、牛肉を長時間じっくり煮込んで作る韓国の代表的な白濁したスープです。素材のうま味とコクが溶け込んだあっさりした滋養たっぷりの料理です。塩気は控えめで、基本はとてもシンプルな味なので食べる人が塩やコショウ、刻みネギで好みの味に整えるスタイルです。

    「ソルロンタンは牛骨や牛すじ、牛肉を長時間じっくり煮込んで作る韓国の代表的な白濁したスープです。素材のうま味とコクが溶け込んだあっさりした滋養たっぷりの料理です。塩気は控えめで、基本はとてもシンプルな味なので食べる人が塩やコショウ、刻みネギで好みの味に整えるスタイルです。

  • 帰国前に初日に行くはずだった町外れの「文義文化財団地」に向かいます。

    帰国前に初日に行くはずだった町外れの「文義文化財団地」に向かいます。

  • 地方に行くと山々の中腹に小さな土饅頭が連なっている風景がよく見られますが、これは韓国の伝統的な墓の姿です。 日本では火葬が一般的ですが韓国では遺体をそのまま埋葬する「土葬」が一般的です。 1人ずつ土を盛って封墳をつくって埋葬し、その前に碑石を建てます。

    地方に行くと山々の中腹に小さな土饅頭が連なっている風景がよく見られますが、これは韓国の伝統的な墓の姿です。 日本では火葬が一般的ですが韓国では遺体をそのまま埋葬する「土葬」が一般的です。 1人ずつ土を盛って封墳をつくって埋葬し、その前に碑石を建てます。

  • 「文義文化財団地」大清湖(大清ダム)建設の際に水没を余儀なくされた文義面の部落にあった歴史的価値を持つ一部の遺跡や建造物や碑石などを水没前に移転させて、ここに集めて展示しています。

    「文義文化財団地」大清湖(大清ダム)建設の際に水没を余儀なくされた文義面の部落にあった歴史的価値を持つ一部の遺跡や建造物や碑石などを水没前に移転させて、ここに集めて展示しています。

  • 「文義文化財団地」は消えゆく固有の伝統文化を再現し先祖の生き方と魂を称え学ぶために造られた歴史教育の場で、大清湖を見下ろす美しい場所に位置しています。

    「文義文化財団地」は消えゆく固有の伝統文化を再現し先祖の生き方と魂を称え学ぶために造られた歴史教育の場で、大清湖を見下ろす美しい場所に位置しています。

  • 「養性門」の養性は中国思想や仏教、道教の世界では「心を静めて気質をととのえる」「本来の性を保ち育てる」といった意味でしょうか。

    「養性門」の養性は中国思想や仏教、道教の世界では「心を静めて気質をととのえる」「本来の性を保ち育てる」といった意味でしょうか。

  • 目の前に広がる「大清湖(大清ダム)」の風景は美しく、ここに並ぶ建物が本来はこの固定にあったのだと思うと複雑な気分です。

    目の前に広がる「大清湖(大清ダム)」の風景は美しく、ここに並ぶ建物が本来はこの固定にあったのだと思うと複雑な気分です。

  • この鳥はソッテという韓国の伝統的な造形で、長い棒の先に鳥の形が乗せられています。古代朝鮮時代から天に願いを届けるための道具として作られました。

    この鳥はソッテという韓国の伝統的な造形で、長い棒の先に鳥の形が乗せられています。古代朝鮮時代から天に願いを届けるための道具として作られました。

  • 村の入り口に立てられ村の安寧や方策を祈願するシンボルでもあります。ここにはありませんでしたが、チャンスン(長正標)と共に村の境界を守る役割を果たしました。チャンスンはこの後に行く「国立清州博物館」で見ることが出来ました。

    村の入り口に立てられ村の安寧や方策を祈願するシンボルでもあります。ここにはありませんでしたが、チャンスン(長正標)と共に村の境界を守る役割を果たしました。チャンスンはこの後に行く「国立清州博物館」で見ることが出来ました。

  • 木の柱や石柱や石を積んだものが村の境界や守り神として立てられることがあります。地域によって姿も違い「将軍標」や済州島の「トルハルバン」も同じような意味があるようです。

    木の柱や石柱や石を積んだものが村の境界や守り神として立てられることがあります。地域によって姿も違い「将軍標」や済州島の「トルハルバン」も同じような意味があるようです。

  • 「支石墓(しせきぼ)」は「ドルメン」とも呼ばれ、新石器時代から初期金属器時代にかけて、世界各地で見られる巨石墓の一種です。基礎となる支石を数個、埋葬地を囲うように並べ、その上に巨大な天井石を載せる形態をとります。

    「支石墓(しせきぼ)」は「ドルメン」とも呼ばれ、新石器時代から初期金属器時代にかけて、世界各地で見られる巨石墓の一種です。基礎となる支石を数個、埋葬地を囲うように並べ、その上に巨大な天井石を載せる形態をとります。

  • 世界中に分布する「支石墓」の半数が朝鮮半島に存在すると言われているそうです。

    世界中に分布する「支石墓」の半数が朝鮮半島に存在すると言われているそうです。

  • 移築された建物以外にも文化財団地としても施設もあるようです。ツアーでは移築された古い建物だけの見学になります。

    移築された建物以外にも文化財団地としても施設もあるようです。ツアーでは移築された古い建物だけの見学になります。

  • このような「東屋」は主に両班たちが使用したようで、この場所に集まり詩を読んだり、絵を描いたり音楽を聴いたりと風流を楽しんだようです。

    このような「東屋」は主に両班たちが使用したようで、この場所に集まり詩を読んだり、絵を描いたり音楽を聴いたりと風流を楽しんだようです。

  • 移築されているので当初の風景とは違いますが、現在も風流を楽しむことは出来そうです。

    移築されているので当初の風景とは違いますが、現在も風流を楽しむことは出来そうです。

  • 「孝子閣」<br />この建物は粛宗32年の1707年頃に利川に住んでいた徐徳吉の孝行を称えるために建立されました。寄棟と切妻屋根、片流れの一間間です。

    「孝子閣」
    この建物は粛宗32年の1707年頃に利川に住んでいた徐徳吉の孝行を称えるために建立されました。寄棟と切妻屋根、片流れの一間間です。

  • 「清州官井里古家」<br />この家は朝鮮半島中部地方の典型的な稲わら葺き屋根の家で、朝鮮王朝末期の約200年前に建てられたものと考えられています。

    「清州官井里古家」
    この家は朝鮮半島中部地方の典型的な稲わら葺き屋根の家で、朝鮮王朝末期の約200年前に建てられたものと考えられています。

  • 「清州官井里古家」<br />元々はこの位置より北東約20キロの南城面光政里にありました。1994年に解体され現在の場所に再建されました。

    「清州官井里古家」
    元々はこの位置より北東約20キロの南城面光政里にありました。1994年に解体され現在の場所に再建されました。

  • 「清州官井里古家」<br />韓屋のある伝統的な村ではそもそも村全体が一種の共同体として守られていて、個々の家が高い塀で自衛する必要性はそれほど強くありませんでした。家ごとの塀は「防御」というより、敷地の境界や空間の区切りとしての役割が中心でした。

    「清州官井里古家」
    韓屋のある伝統的な村ではそもそも村全体が一種の共同体として守られていて、個々の家が高い塀で自衛する必要性はそれほど強くありませんでした。家ごとの塀は「防御」というより、敷地の境界や空間の区切りとしての役割が中心でした。

  • 「清州官井里古家」<br />韓屋は「自然との調和」を大きな価値としてきた建築で、屋外のマダンや周囲の景色とゆるやかにつながることが重視されました。塀を低くして視線や風、光を遮り過ぎないことで、屋内外が一体となった暮らし方が可能になります。

    「清州官井里古家」
    韓屋は「自然との調和」を大きな価値としてきた建築で、屋外のマダンや周囲の景色とゆるやかにつながることが重視されました。塀を低くして視線や風、光を遮り過ぎないことで、屋内外が一体となった暮らし方が可能になります。

  • 「清州官井里古家」<br />古い集落では互いの家の様子がある程度見えることで、防犯にもつながる「ゆるい監視」のような役割もありました。完全に閉じてしまう高い塀よりも、外とのつながりを保ちながら、最低限の境界だけ示す低い塀が、共同体の生活スタイルに合っていたと考えられます。

    「清州官井里古家」
    古い集落では互いの家の様子がある程度見えることで、防犯にもつながる「ゆるい監視」のような役割もありました。完全に閉じてしまう高い塀よりも、外とのつながりを保ちながら、最低限の境界だけ示す低い塀が、共同体の生活スタイルに合っていたと考えられます。

  • 「清州官井里古家」<br />韓国の稲わら葺きの家を初めて見ましたが、その固定方法が日本のものとの違いが面白く感じられます。<br />

    「清州官井里古家」
    韓国の稲わら葺きの家を初めて見ましたが、その固定方法が日本のものとの違いが面白く感じられます。

  • 「清州官井里古家」<br />立派な長屋門は農作業や倉庫として使われたようです。昭和40年頃の父の生家はこんな感じの農家だったのを思い出しました。

    「清州官井里古家」
    立派な長屋門は農作業や倉庫として使われたようです。昭和40年頃の父の生家はこんな感じの農家だったのを思い出しました。

  • 「清州官井里古家」<br />何年か前に行った岩手県の遠野の曲がり屋の形にも似ているような気がします。韓国でも各地域の農村で語り継がれてきた昔話や伝説がたくさん記録されているようです。韓国の昔話や民話に登場するトッケビは妖怪や精霊の一種で、人間にいたずらをしたり、不思議な力で富や幸運をもたらしたりする存在として語られています。

    「清州官井里古家」
    何年か前に行った岩手県の遠野の曲がり屋の形にも似ているような気がします。韓国でも各地域の農村で語り継がれてきた昔話や伝説がたくさん記録されているようです。韓国の昔話や民話に登場するトッケビは妖怪や精霊の一種で、人間にいたずらをしたり、不思議な力で富や幸運をもたらしたりする存在として語られています。

  • 「清州官井里古家」<br />韓国の伝統家屋では家の中心に「マダン」と呼ばれる中庭があり、家族が集まる屋外の生活空間として使われてきました。家は比較的低い塀で囲まれ、門を入るとまずマダンが広がる構成が基本です。

    「清州官井里古家」
    韓国の伝統家屋では家の中心に「マダン」と呼ばれる中庭があり、家族が集まる屋外の生活空間として使われてきました。家は比較的低い塀で囲まれ、門を入るとまずマダンが広がる構成が基本です。

  • 「清州官井里古家」<br />母屋の右側の一段高い部屋は床がオンドルになっています。凍の家の中では一番格式の高い部屋のようです。

    「清州官井里古家」
    母屋の右側の一段高い部屋は床がオンドルになっています。凍の家の中では一番格式の高い部屋のようです。

  • 「清州官井里古家」<br />三国時代の遺跡からも多数発掘されているオンドルは元々はかまどを焚いたときに出る煙を利用した暖房法でした。まず床下に石を用いて煙が通るトンネルを作り、その上に薄い板石をのせて泥で塗り固め、さらに油紙を張って床とします。外や台所にあるかまどで火を焚くと、その煙がトンネルを通って部屋の反対側の煙突から出ますが、その間に室内全体が暖まるという仕組みです。

    「清州官井里古家」
    三国時代の遺跡からも多数発掘されているオンドルは元々はかまどを焚いたときに出る煙を利用した暖房法でした。まず床下に石を用いて煙が通るトンネルを作り、その上に薄い板石をのせて泥で塗り固め、さらに油紙を張って床とします。外や台所にあるかまどで火を焚くと、その煙がトンネルを通って部屋の反対側の煙突から出ますが、その間に室内全体が暖まるという仕組みです。

  • 「清州官井里古家」<br />完全にオープンな板の間は農作業に使われたのでしょうか。

    「清州官井里古家」
    完全にオープンな板の間は農作業に使われたのでしょうか。

  • 「清州官井里古家」<br />その左にはさらに板張りの部屋が二間続いています。木造の真壁造りで塗り壁になっています。天井は屋根の小屋組みを同じように塗り固めているようです。開口部は日本の障子のような形ですが、引き戸ではなく韓紙を張った開き戸になっています。

    「清州官井里古家」
    その左にはさらに板張りの部屋が二間続いています。木造の真壁造りで塗り壁になっています。天井は屋根の小屋組みを同じように塗り固めているようです。開口部は日本の障子のような形ですが、引き戸ではなく韓紙を張った開き戸になっています。

  • 「清州官井里古家」<br />冬場はずいぶんと寒かったのではないかと思います。初めて行ったソウルは2月だったのですが、本当に「寒い」という感覚ではなく「痛い」ので、帽子と手袋なしで外を歩くのは無理だと思いました。

    「清州官井里古家」
    冬場はずいぶんと寒かったのではないかと思います。初めて行ったソウルは2月だったのですが、本当に「寒い」という感覚ではなく「痛い」ので、帽子と手袋なしで外を歩くのは無理だと思いました。

  • 「清州官井里古家」<br />板の間の横には竈があり、焚口が板の間側にあるので、この板の間もオンドルになっていたのかもしれません。

    「清州官井里古家」
    板の間の横には竈があり、焚口が板の間側にあるので、この板の間もオンドルになっていたのかもしれません。

  • 「清州官井里古家」<br />台所は土間になっていて閑散としています。やたら甕が多いので保存食はこの甕の中に入れてあったのだろうと思いました。<br /><br />

    「清州官井里古家」
    台所は土間になっていて閑散としています。やたら甕が多いので保存食はこの甕の中に入れてあったのだろうと思いました。

  • 「清州官井里古家」<br />ガイドさんはツアーのメンバーと次の家に向かってしまいましたが、裏側も気になるので1周してみます。

    「清州官井里古家」
    ガイドさんはツアーのメンバーと次の家に向かってしまいましたが、裏側も気になるので1周してみます。

  • 「清州官井里古家」<br />塀と家屋との距離、門の高さ、テンジャンや醤油をつくる壺の大きさなどがその家の階級を表すそうです。韓国語では甕を「オンギ」と呼び、甕のいちばん代表的な使い方は発酵調味料や漬物の保存でした。味噌にあたる「テンジャン」、醤油にあたる「カンジャン」、唐辛子味噌の「コチュジャン」、キムチの漬け込み、熟成など、こうした発酵食品を屋外の甕に入れ、日光や気温の変化を利用して自然に熟成させます。

    「清州官井里古家」
    塀と家屋との距離、門の高さ、テンジャンや醤油をつくる壺の大きさなどがその家の階級を表すそうです。韓国語では甕を「オンギ」と呼び、甕のいちばん代表的な使い方は発酵調味料や漬物の保存でした。味噌にあたる「テンジャン」、醤油にあたる「カンジャン」、唐辛子味噌の「コチュジャン」、キムチの漬け込み、熟成など、こうした発酵食品を屋外の甕に入れ、日光や気温の変化を利用して自然に熟成させます。

  • 「清州官井里古家」<br />部屋の裏側にはそれぞれ煙突があったので板の間の部屋もオンドルになっていて、冬も暖をとることが出来たのだと分かりました。

    「清州官井里古家」
    部屋の裏側にはそれぞれ煙突があったので板の間の部屋もオンドルになっていて、冬も暖をとることが出来たのだと分かりました。

  • 次の農家では近くの人が来て藁を編んだりする実演があるようですが、ガイドさんが尋ねたところでは、昨日まで寒かったので今日から再開するということで準備中でした。

    次の農家では近くの人が来て藁を編んだりする実演があるようですが、ガイドさんが尋ねたところでは、昨日まで寒かったので今日から再開するということで準備中でした。

  • やはり先ほどの板の間のような造りから農作業をしたのだということが分かります。

    やはり先ほどの板の間のような造りから農作業をしたのだということが分かります。

  • 裏側には前の年の秋に収穫されたコメの藁が積んでありました。これで今シーズン実演をするのでしょう。父が足の親指の股に藁を挟んで紐を編んでいくのを見てカッコいいなと思ったことがあります。

    裏側には前の年の秋に収穫されたコメの藁が積んでありました。これで今シーズン実演をするのでしょう。父が足の親指の股に藁を挟んで紐を編んでいくのを見てカッコいいなと思ったことがあります。

  • 「忠臣閣」<br />この建物は1592年に朝鮮に侵攻した豊臣秀吉による「壬辰倭乱」「万暦朝鮮役」と呼ばれる戦争で、「清州城」を奪還するために義軍を組織した金善福の忠誠を称えるために建てられました。

    「忠臣閣」
    この建物は1592年に朝鮮に侵攻した豊臣秀吉による「壬辰倭乱」「万暦朝鮮役」と呼ばれる戦争で、「清州城」を奪還するために義軍を組織した金善福の忠誠を称えるために建てられました。

  • 「忠臣閣」<br />彼は城の奪還後も戦い、錦山の戦いで最期を遂げました。四方を魔除けの赤い矢窓で覆われた結界のような建物です。

    「忠臣閣」
    彼は城の奪還後も戦い、錦山の戦いで最期を遂げました。四方を魔除けの赤い矢窓で覆われた結界のような建物です。

  • 「両班家屋」<br />かつての地主「両班(ヤンバン)」の屋敷です。二棟の建物は主人の部屋と主婦の部屋が別々の棟に配置されています。これは「男女七歳にして席同じからず」という儒教の教えに基づいています。

    「両班家屋」
    かつての地主「両班(ヤンバン)」の屋敷です。二棟の建物は主人の部屋と主婦の部屋が別々の棟に配置されています。これは「男女七歳にして席同じからず」という儒教の教えに基づいています。

  • 「両班家屋」<br />門の扉には韓紙に墨描きで龍が描かれています。立春大吉のお札はもともと「家に入ってこようとする厄や鬼をさえぎる」ための厄除けのお札とされています。<br />

    「両班家屋」
    門の扉には韓紙に墨描きで龍が描かれています。立春大吉のお札はもともと「家に入ってこようとする厄や鬼をさえぎる」ための厄除けのお札とされています。

  • 「両班家屋」<br />龍亀は「龍の頭と亀の体」を持つ霊獣で、中国の伝統文化や風水では吉兆をもたらす存在としてよく知られています。

    「両班家屋」
    龍亀は「龍の頭と亀の体」を持つ霊獣で、中国の伝統文化や風水では吉兆をもたらす存在としてよく知られています。

  • 「両班家屋」<br />家の中はさらに低い塀で囲まれ、長屋門まであります。かつての支配階級であった両班(ヤンバン)は、儒学を修めて官吏に任命された人びとです。儒学の教えは家の間取りにも影響を与え、男女の生活空間が分けられていました。

    「両班家屋」
    家の中はさらに低い塀で囲まれ、長屋門まであります。かつての支配階級であった両班(ヤンバン)は、儒学を修めて官吏に任命された人びとです。儒学の教えは家の間取りにも影響を与え、男女の生活空間が分けられていました。

  • 「両班家屋」<br />長屋門の内側は三間の農機具置き場になっています。

    「両班家屋」
    長屋門の内側は三間の農機具置き場になっています。

  • 「両班家屋」<br />近代まで使われていたであろう農機具は日本とあまり変わらないようです。

    「両班家屋」
    近代まで使われていたであろう農機具は日本とあまり変わらないようです。

  • 「両班家屋」<br />使い道が分からなかった農機具はググってみたら分かりました。これは「カマニ機(カマニトル)」という藁を使って穀物を入れる袋を織るために使われたものです。元々は日本から導入されて普及したようです。

    「両班家屋」
    使い道が分からなかった農機具はググってみたら分かりました。これは「カマニ機(カマニトル)」という藁を使って穀物を入れる袋を織るために使われたものです。元々は日本から導入されて普及したようです。

  • 「両班家屋」<br />同じような母屋が2軒あります。5つの部屋は縁側を持った4間と一段高さの高い格式のある部屋にに分かれています。

    「両班家屋」
    同じような母屋が2軒あります。5つの部屋は縁側を持った4間と一段高さの高い格式のある部屋にに分かれています。

  • 「両班家屋」<br />この部屋が一番格式が高いようですが、オンドルにはなっていません。

    「両班家屋」
    この部屋が一番格式が高いようですが、オンドルにはなっていません。

  • 「両班家屋」<br />一段上がった部屋の裏側は一段下がった1間と土間が続いています。

    「両班家屋」
    一段上がった部屋の裏側は一段下がった1間と土間が続いています。

  • 「両班家屋」<br />土間の部分は厨房で、かまどの焚口が部屋の下に続いているのでオンドルになっているようです。

    「両班家屋」
    土間の部分は厨房で、かまどの焚口が部屋の下に続いているのでオンドルになっているようです。

  • 「両班家屋」<br />四季の変化に富む韓国の気候に合わせて、冬用の床暖房があるオンドル部屋と、夏用の板の間(マル)があります。オンドルの部屋には天井があり、出入り口は扉と障子戸の二重になっているなど、快適に過ごすための工夫が随所に施されています。

    「両班家屋」
    四季の変化に富む韓国の気候に合わせて、冬用の床暖房があるオンドル部屋と、夏用の板の間(マル)があります。オンドルの部屋には天井があり、出入り口は扉と障子戸の二重になっているなど、快適に過ごすための工夫が随所に施されています。

  • 「両班家屋」<br />こちらも6間の母屋ですが少し勝手が違います。こちらの部屋は一番格式の高い部屋にも縁側があります。

    「両班家屋」
    こちらも6間の母屋ですが少し勝手が違います。こちらの部屋は一番格式の高い部屋にも縁側があります。

  • 「両班家屋」<br />こちらの部屋は一段高くなっていてもオンドルの設備が設えてあります。

    「両班家屋」
    こちらの部屋は一段高くなっていてもオンドルの設備が設えてあります。

  • 「両班家屋」<br />縁側がある分部屋は少し狭いようです。

    「両班家屋」
    縁側がある分部屋は少し狭いようです。

  • 「両班家屋」<br />2間づつ同じ仕様の部屋が並んでいます。

    「両班家屋」
    2間づつ同じ仕様の部屋が並んでいます。

  • 「両班家屋」<br />一番左側にはこちらにも厨房が設えてあります。扉には絵ではなくて感じで龍と虎の文字が書かれてあります。

    「両班家屋」
    一番左側にはこちらにも厨房が設えてあります。扉には絵ではなくて感じで龍と虎の文字が書かれてあります。

  • 同じように居室側にかまどが並べてあるのでオンドルになっているのだと思います。

    同じように居室側にかまどが並べてあるのでオンドルになっているのだと思います。

  • 「両班家屋」<br />儒教の倫理に基づいて男女は別棟で暮らしていました。その間には中門(チュムン)<br />があり、男性はこの門をくぐって女性の元へ行くようです。 女性の住む家(アンチェ)の方が高い位置にあって、男性の家(サランチェ)の様子が伺えるようになっています。

    「両班家屋」
    儒教の倫理に基づいて男女は別棟で暮らしていました。その間には中門(チュムン)
    があり、男性はこの門をくぐって女性の元へ行くようです。 女性の住む家(アンチェ)の方が高い位置にあって、男性の家(サランチェ)の様子が伺えるようになっています。

  • 南に湖がある北側の斜面なので冬でもポカポカ温かいです。移築した民家園ですが風水のことなどがよく考えられていると感じます。韓国では伝統的な農村景観を「マウル」と呼び、日本の里山に近いイメージで語られます。このマウルの立地や形は昔から風水思想の影響を強く受けてきたとされています。

    南に湖がある北側の斜面なので冬でもポカポカ温かいです。移築した民家園ですが風水のことなどがよく考えられていると感じます。韓国では伝統的な農村景観を「マウル」と呼び、日本の里山に近いイメージで語られます。このマウルの立地や形は昔から風水思想の影響を強く受けてきたとされています。

  • 韓国の伝統的な村では、次のような風水的条件が重視されてきました。後ろに山、前に水という「背山臨水」の地形を好みます。山が風を防ぎ、前の川や田が豊かさを象徴すると考えられ、山の形や稜線の流れを「龍脈」と見て、そこからよい気が来る場所を選ぶと考えました。

    韓国の伝統的な村では、次のような風水的条件が重視されてきました。後ろに山、前に水という「背山臨水」の地形を好みます。山が風を防ぎ、前の川や田が豊かさを象徴すると考えられ、山の形や稜線の流れを「龍脈」と見て、そこからよい気が来る場所を選ぶと考えました。

  • 集落の中には墓地も再現されていました。ここまで来る途中にもバスの中から立派な墓がいくつも見えていました。

    集落の中には墓地も再現されていました。ここまで来る途中にもバスの中から立派な墓がいくつも見えていました。

  • 韓国の伝統的な墓で有名なのは「土まんじゅう型」の土葬墓です。地面を掘って棺を土葬し、その上に土を盛り上げて半球状の小さな塚のような形にします。伝統的には墓の場所選びにも風水思想が強く働きます。山と水との位置関係などを重視し、その人の子孫の運勢にも影響すると考えられてきました。

    韓国の伝統的な墓で有名なのは「土まんじゅう型」の土葬墓です。地面を掘って棺を土葬し、その上に土を盛り上げて半球状の小さな塚のような形にします。伝統的には墓の場所選びにも風水思想が強く働きます。山と水との位置関係などを重視し、その人の子孫の運勢にも影響すると考えられてきました。

  • 墓の横にある「廬幕(ヨマク)」呼ばれる建物は喪主が喪の儀式を終えるまで滞在する藁葺きの小屋のことです。内部には実際に使われた際の喪の儀式の際の写真や遺品などが展示した小さな博物館になっていました。

    墓の横にある「廬幕(ヨマク)」呼ばれる建物は喪主が喪の儀式を終えるまで滞在する藁葺きの小屋のことです。内部には実際に使われた際の喪の儀式の際の写真や遺品などが展示した小さな博物館になっていました。

  • 「文山館」<br />一番の高台にあるこの建物までは石段が続いているので半数の方は登りませんでした。1666年に建てられたこの建物は官庁または文義奉行の迎賓館でした。中国王朝中期の建築様式の研究における重要な資料とされています。

    「文山館」
    一番の高台にあるこの建物までは石段が続いているので半数の方は登りませんでした。1666年に建てられたこの建物は官庁または文義奉行の迎賓館でした。中国王朝中期の建築様式の研究における重要な資料とされています。

  • 「文山館」<br />大きく張り出された屋根を支える軒の丸太や梁や肘木などは美しく「丹青」が施されています。青空に5色が映えてとてもきれいです。<br />

    「文山館」
    大きく張り出された屋根を支える軒の丸太や梁や肘木などは美しく「丹青」が施されています。青空に5色が映えてとてもきれいです。

  • 「文山館」<br />瓦屋根の本館の両脇には寄棟と切妻の付属棟があり、建材と工法から別の時代に増築されているようです。

    「文山館」
    瓦屋根の本館の両脇には寄棟と切妻の付属棟があり、建材と工法から別の時代に増築されているようです。

  • 「文山館」<br />凹瓦の1つに刻まれた銘文から1728年に修復されたことが分かったようです。祖父や母が育った京都の家は同じ時代の1660年代に建てられ、2009年頃に数年かけて解体修復しているので、このような古建築の修復保存が大変なことはよく分かります。

    「文山館」
    凹瓦の1つに刻まれた銘文から1728年に修復されたことが分かったようです。祖父や母が育った京都の家は同じ時代の1660年代に建てられ、2009年頃に数年かけて解体修復しているので、このような古建築の修復保存が大変なことはよく分かります。

  • 高台から南側に広がる湖を眺めて見学が終わりました。

    高台から南側に広がる湖を眺めて見学が終わりました。

  • この「文義文化財団地」は初日に見学するはずでしたが、最終日で良かったと思います。ここを見学した後に昨日行った「椒井行宮」の新しい建物を見ても感じ方が違ったと思います。

    この「文義文化財団地」は初日に見学するはずでしたが、最終日で良かったと思います。ここを見学した後に昨日行った「椒井行宮」の新しい建物を見ても感じ方が違ったと思います。

  • バスに乗って空港に近い「国立清州博物館」の見学に向かいます。

    バスに乗って空港に近い「国立清州博物館」の見学に向かいます。

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