2025/04/23 - 2025/05/02
62位(同エリア1113件中)
Noraさん
この旅行記のスケジュール
2025/04/23
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ホテル ラヴィ―ユ、カターニア(Hotel la Ville, Catania)
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カターニアバスステーション
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バスでの移動
インターバス(カターニア~シラクサ)
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コルソジェロ―ネ通りバス停
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その他での移動
タクシー
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ネアポリス考古学公園
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パオロオルシ考古学博物館
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サンタ ルチア アル セポルクロ聖堂
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アポロ神殿
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アルキメデス広場
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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者ヨハネ)聖堂
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マニア―チェ城
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サン・ジャコモ展望台
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アレトウ―ザの泉
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シラクサ大聖堂
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コルソジェロ―ネ通りバス停
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バスでの移動
インターバス(シラクサ~カターニア)
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カターニアバスステーション
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I MOSCHETTIERI (マスケティエーレ)
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ホテル ラヴィ―ユ、カターニア(Hotel la Ville, Catania)
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この旅行記スケジュールを元に
古来より様々の民族に支配され、文明の十字路とも呼ばれた地中海の島シチリアは長い間私にとって興味のつきない対象でありました。昨年11月に訪問予定していたものの、予期せぬ家人の発病とその看護、加えて私自身の病のため予定変更せざるをえなくなったのです。その後状況が好転し始め、複雑な法的手続き、医療関係の処理、家事等、何とか青息吐息で片付け、改めて2月も終わりの頃、現在の自分の置かれた状況に無理のない範囲で(1週間)行けるシチリア旅行のプランに変更しチケットを手配しました。気が付いたら雪の降る日がすくなくなってシカゴにもやっと遅い春が近づいていて。。。
斯様な事情で、今回の旅は4月後半出発、5月初め帰国という超コンパクトなものです。
因みにシチリアという名称は、紀元前241年にローマ帝国の属州と言う形で与えられました。これは鉄器時代に島の東部に住んでいたシケル人に由来します。さらに遡ると、古代ギリシャ時代にはその形状からこの島はトリナクリア(ギリシャ語でΤρινακρία「3つの岬を持つ」)という名で呼ばれていたことがわかります。
さて、シチリアはどんな顔を見せてくれるでしょうか?
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ユナイテッド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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7:20am。昨日の朝と殆ど同じメニューの朝食を済ませてバスステーションに向かいます。
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上記、オンラインで購入したインターバスのチケット。8:00am発のシラクサ行。バスドライバーがiPhoneのQRコードをスキャンしてくれます。往復で$14.80でした。シチリアのバスはとても安いとネットで沢山のコメントがあるのですが、全く同感です。慈善事業をやっているかのように廉価でもう少し値段を上げてもいいのにと思ってしまいます。
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シラクーサは、シチリア島の南東部に位置する、旧市街オルティージャ島と新市街からなる街です。2005年に、街自体がユネスコ世界遺産に認定され、ギリシャ・ローマ時代の遺跡が多いことで知られています。期待値高めです!!
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7番から出発するプルマン。フリーWifiと表示してあるが機能していません(%#*&)。途中数か所のバスストップとカターニア空港で数人の乗客をピックアップしてバスはひたすらE45を南にむかって走ります。
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シラクサへの道:メインは E45(Eは欧州自動車道路の略)と一部 SS114(地方幹線道路)
空港までの市街路を走っている時は、近隣の家屋の荒廃ぶりや道路の不潔さに啞然としましたが、この45番の欧州自動車道路に乗るとそうした視覚公害は減少します。窓外に広がるのどかな草原と田園風景。シラクサまでの所要時間は約1時間。 -
シラクサのコルソ・ジェローネ通りのバス停に定刻に到着。バス停には見えないバス停です。歩道に各バス会社の立札を立てただけの趣あり。通りを横切ると1,2台のタクシーがとまっていて、すぐに声をかけてきました。考古学公園まで40ユーロだよ、と。カターニアでタクシーはメーター付きでもドライバーとの交渉で決まると学習しているので驚きません。でも、シラクサのタクシーはぼるとネットで書いてあったけど本当だなあ。高くても20ユーロくらいだろうに。15ユーロと私のカウンターオファーに相手は30ユーロと返してきます。歩くと25分位かかるとわかっているので、時間もないしタクシーも少ないしことだし、バーゲンを続行する気もないのでこれで手を打ちます。フリーの市バスもあるらしいのですが30分間隔くらいであてにならないようなので初めから選択肢には入れませんでした。
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下車した反対側。ここが正式(?)なインターバスのコルソ・ジェローネ通りのバス停でバスが出発する方でしょう。このおねーさんはカターニア行のバスを待っているようです。
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公園に到着。あのバス停からここまで約1kmはあるし、公園内を歩き回る余力もセーブしておかなければないので、タクシーというイージーな選択は正解だったかも。。
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この不思議な空間の中にチケット売り場があると聞いたので、お土産屋さんが並んでいる奇妙なカマボコ型の屋根の下をテクテク歩きます。
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あまり、客がはいってなさそうなお土産屋さんを通り過ぎ。。。。
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涙の聖母教会のトンガリ帽子を向こうに見ながら進んでいって。。
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ここがチケット売り場。なんだか鉄格子のドア付きで動物の檻っぽいのですが。。大丈夫かなと思いながら入って行きます。
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すると本当にチケット売り場担当者がいて、チケットを買うためにビザカードを出すと、’*&^%’と意味不明のことをのたまわって私の出したビザカードを押し返すのです(この方は全く英語を話さない)。で逆にこのライトブルーのチケットを押し出してきます。どうしたものか考えあぐねていると、ちょうどそこにツアーガイド風のおば様がやってきて、’今日はね、解放記念日だからフリーチケットなのよ!’と教えてくれる。で、この方は20枚くらいのフリーチケットを(多分ツアーメンバー数の分)、ガッシと鷲づかみにして大股で元気よく出ていきました。予期せぬ出来事に遭遇し、でもけっしてお財布に悪いことではないので、ありがたく解放記念日の恩恵にあづかることにしたのでした。
*4月25日:第二次世界大戦の終結とともにナチス占領とファシスト支配が終わったことを記念する解放記念日(フェスタ・デッラ・リベラツィオーネとも呼ばれる)。 -
公園内に入って行くと、ここにもチケット売り場はあるではありませんか!どうしてさっきの場所とここと2か所に分かれているのだろうと思ったら、さっきのチケット売り場は市バスのターミナルに隣接していてバスを降りた乗客の便宜を図るために存在しているようでした。
ネアポリス考古学公園 広場・公園
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公園内マップとそれなりの表示(でも決してわかりやすい位置にあるわけでもなく、視力の弱い人向けに大書しているわけでもない)。。
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表示の仕方(こちらにこれ、あちらにあれ。。)。ここで係員がチケットの確認をします。
*公園内には無料で入れるところとそうでないところがあります。 -
90分、60分、45分にあわせて各モデルコースを提案しています。!!
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ローマ闘技場跡の入り口で上記のモデルコースと自分たちの時間、体力および知力諸々に思考を巡らす風のビジター。
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天国の石切り場遠景#1
現在は壮麗な地下(?)庭園になっており、その大部分は地表から約30メートル下にあります。崖の上部には草木が茂り、建物が建っているのが見えますが、あれがもともとの地表の高さで、あの標高から地下にむけて切削、採石していったのでしょう。天国の石切り場 史跡・遺跡
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天国の石切り場遠景#2
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表示版、その後ろは古代ギリシャ劇場の入り口。
シチリアで最大のギリシャ劇場であり、初夏には今でも古代ギリシャ劇が上演されているようです。 -
古代ギリシャ劇場(Teatro Greco)#1
劇場の最上段には美しい噴水、ニンフェウム、そしてビザンチン時代に遡るいくつかの墓の遺跡があります(現在は遺骨はありません)。ギリシャ劇場 劇場・ホール・ショー
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古代ギリシャ劇場(Teatro Greco)#2
ビザンチン時代に穿たれたと思われる洞窟墳墓の遺跡と、そこかしこにある小さい窪み(赤丸の箇所。おそらく死者への弔いに手向けた蝋燭や供物を置くためのものであったと思われます)。 -
古代ギリシャ劇場(Teatro Greco)#3
劇場の最上段にある美しい噴水、ニンフェウム(Grotta del Nifeo)。この水は湧き水ではなく、古代ローマの長い水路から引いて来たものです。 -
古代ギリシャ劇場(Teatro Greco)#4
劇場の後ろに広がるパノラマビュー。はるか向こうにイオニア海が見えます。
他の古代ギリシャ劇場と同様、ここの観覧席も、石を積み上げたものではなく、テメニテの丘の岩(Temenite Hill)の斜面を階段状に削りだして作ったものです。
観客席上部は、はぎ取られて無惨な姿となっていますが、これは16世紀、スペイン統治下に要塞を築くための建材として持ち去られたためとのこと。近年、改修工事が行われ、新しく観客席が増設されたそうですが 。。。
*16世紀~17世紀のスペイン統治時代には、シラクサは防御壁やバスティオンが建設され、要塞都市へと変貌していきました。 -
古代ギリシャ劇場(Teatro Greco)#5
劇場のレイアウト図。
直径は約140メートル。古代ギリシャでは最大級の大きさを誇り、1万5千人もの観客を収容することが可能であったそうです。
下部(上流階級)と上部(庶民その他)の観客席を隔てるディアゾマ(赤で囲った部分、歩廊と言うべきか)は観客の移動スペースでした。
このギリシャ劇場は、建築家ダモコプス(Damocopus, 別名Miryllaミリラ)の手によってBC5世紀、ヒエロン1世の時代に建設されたのですが当初、劇場は半円形ではなく、台形に近いデザインだったそうです。
その後、BC238年から215年の間に、ヒエロン2世の治世下で馬蹄形に全面的に改築されましたが、この過程を経て当劇場のアコースティック性が最大限となったようです。この優れた音響効果のため、現在でも特別なサウンドシステム無しで最上階まで音が届くといいます。こうしてみると現在我々が使う劇場の原型がこの時代にすでに完成されていたといえそうです。
参考:https://www.hermes-sicily.com/en/tourist-information/syracuse-neapolis-archaeological-park.php
https://www.livius.org/articles/place/syracuse/syracuse-photos/syracuse-theater/
https://www.italyreview.com/greek-theatre-of-syracuse.html#:~:text=Profile,%E2%80%8B
& wikipedia -
古代ギリシャ劇場(Teatro Greco)#6
因みにギリシャ劇場の特徴の一つは美しい景観を提供することであり、その例にもれずシラクサの劇場からは港とオルティージャ島(最も古い部分)の美しい景色を眺めることができるようになっています。(遥か彼方にイオニア海がほんの少し、見えました。)
通常は遺跡の最下部まで行けるらしいのですが、4月から7月までは公演(主としてギリシャ悲劇)の舞台装置設置のため、この部分は現在立ち入り禁止になっていました。 -
古代ギリシャ劇場(Teatro Greco)#7
劇場の脇にある小さな家も歴史的建造物で、18世紀に建てられた水車小屋です。 -
古代ギリシャ劇場(Teatro Greco)#8
出口近くでみた点字と通常アルファベットの併記になっているレイアウト図。 -
一旦入口ちかくにもどって、ヒエロン2世の祭壇(Ara di Ierone)。
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ヒエロン2世の祭壇(Ara di Ierone)#2
巨大な石造りの長方形の台座はヒエロン2世の祭壇の遺跡です。ギリシャ世界で最大の石造祭壇といわれます。ゼウス.エレウテリオス(解放者のゼウス,または自由のゼウスの意味)に捧げられたもので、長さは約200メートル。言い伝えによると、僭主トラシブロスの追放を祝う祝宴では、ゼウスを称え最大450頭の雄牛がここで犠牲にされたと言われています。いかに動物とはいえ、また宗教的儀式とはいえ、残酷な気がします!!ヒエロン2世の祭壇 史跡・遺跡
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ヒエロン2世の祭壇(Ara di Ierone)#3
ヒエロン2世は浮力の原理を発見したアルキメデスと大いに関係があります。彼には「金の王冠」という有名な逸話があります。アルキメデスが「王冠に含まれる不純物(銀)の量を、王冠を壊さずに調べよ。」というヒエロン2世の命を受け浮力の原理と同時に、比重の概念も発見し、見事、王の命(めい)にこたえたお話です。 -
劇場の裏手には今では’天国の石切り場’と呼ばれる石切り場があり、この道を降りて行きます。
画像左に見えるのはこれからギリシャ劇場に赴く人々。 -
地中海性気候にフィットした植物やエキゾチックな植物、オレンジやレモンの木、ヤシやイチジクの木などが植えられた美しい庭園が広がり、快適な木陰をつくっています。しかしこの石切り場は古代には奴隷たちにとって過酷な労働の場と脱出の見込みのない牢獄であり、今とは全く異なる様相を呈していたはずです。それを思うと’天国の石切り場’なんて不謹慎な命名だという気がします。
古代の戦争捕虜が酷使された例として、BC480年のヒメラの戦いで敗北したカルタゴ軍捕虜や、BC413年のアシナロ(Assinarus River)の虐殺を生き延びた7,000人のアテネ人捕虜などがあります。採石場は厳重な警備が敷かれた監獄であり、囚人たちには死ぬまで脱獄のチャンスはなかったと言われます。が、最後のアテネ人捕虜の生存者の一部が脱出に成功したそうです。彼等はアテネへと流れ込み、惨事の直接の知らせを伝えたと。。。
後年、1582年から1866年までこの石切り場を所有していたカプチン会修道士によって庭園に改築され、緑豊かな楽園、天国の石切り場と呼ばれるようになったようです。
参考:https://en.wikipedia.org/wiki/Sicilian_Expedition#:~:text=On%20the%20other%20side%20of,possibility%20of%20causing%20later%20harm. -
巨大な石のトンネルの下を通り。。
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アラブ統治時代にもたらされた灌漑技術のおかげで柑橘類、イチジク、びわなどがすくすく成長しています。
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ここはラトミア・デル・パラディーゾ、楽園の石切り場の標識。
石切り場内には採石したあとのいくつかの洞窟が見られます。その一つが「コルダリの洞窟」。これはロープ職人たちが何世紀にもわたって働いていた洞窟で、そのためロープ職人の洞窟とよばれています。しかし、この考古学公園で最も有名な洞窟はこれから行く「ディオニュシオスの耳」。それとサルニトロの洞窟(Grotta del Salnitro)、そして「コルダリの洞窟」この3つが現在見学可能な洞窟になっています。 -
ディオニュシオスの耳(Orecchio di Dioniso)#1
その名前と形状から見て、間違いなく最もユニークなスポット。
洞窟のスリーサイズ(HxWxD)は、H(高さ):入り口で23m、中で33m。W(幅):11m、D(奥行き):65mのこの穴は、S字型で、内側に向かって狭くなっています(下の画像)。この名前は、1608年にここを訪れたカラヴァッジョがつけたものです。音響が大変良いことで知られ、ディオニュシオスがここに敵国の囚人を閉じ込め企みや秘密の話を盗み聞きしていたといわれる伝説があり、それに因んでこの場所をディオニュシオスの耳と呼んだのが始まりです。
この時も、音響の良さを確認すべく他人の迷惑も顧みず、オフキーの歌を響かせている輩がいました。ディオニュシオスの耳 史跡・遺跡
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ディオニュシオスの耳(Orecchio di Dioniso)#2
最深部には何やら現代アート風のものが。。何かミスマッチ感があるのですが!!!。 -
ディオニュシオスの耳(Orecchio di Dioniso)#3
内部の天井部分はS字型にカーブしています。この洞窟はもともとギリシャ・ローマ時代にシラクサの貯水池として掘られたもので、最初に細いトンネルが掘られ、その後、下方と横方向に掘ることでトンネルが拡張され、この独特な形状が生まれたらしいのです。この人工洞窟の頂上には、今もその小さな細いトンネルが残っています。しかしこの地域を襲った地震により被害を受け、その後、洞窟は貯水池として利用できなくなりました。-wikipedia -
ディオニュシオスの耳(Orecchio di Dioniso)#4
表示。 -
ディオニュシオスの耳(Orecchio di Dioniso)#5
光に向かって撮ります。 -
ディオニュシオスの耳(Orecchio di Dioniso)#6
壁に残る石材を切り出した跡形(ハンマーやノミ、亀裂を広げて割断する楔なども使われていました)。 -
コルダーリの洞窟(Grotta dei Cordari or Rope Makers' Cave)
ロープ職人たちが何世紀にもわたってパピルス等の素材でロープを編み、かつ住んでいた洞窟です。編んだロープは船舶、農業、商工業用と広く使われていました。
現在安全上の理由から立ち入り禁止。外から見るだけです。
地質学の専門家によれば、この地域一帯の遺跡は、風雪による浸食、柔らかい石灰岩の性質、古代の採石場から残された壁の形状等により地質学的不安定さを抱えているとのことです。 -
オレンジと枇杷の木
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サルニトロの洞窟(Grotta del Salnitro)#1
これも天国の石切り場にある洞窟で奥行き、幅も広く複雑な形状をしているようですが、保全のためこれ以上入れません。 -
サルニトロの洞窟(Grotta del Salnitro)#2
入り口にたつ柱状石灰岩。 -
もと来た道をもどり、入り口方向に向かいます。ヒエロン2世の祭壇を過ぎたあたりに目立たないようにAnfiteatro Romano(ローマ円形闘技場)と表示版がありました。
古代ローマの円形闘技場 史跡・遺跡
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ローマ円形闘技場(Anfiteatro Romano)#1
楕円形の古代ローマの闘技場の見取り図。黄色い線で歩行順路を示しています。 -
ローマ円形闘技場(Anfiteatro Romano)#2
草原の中に石段が数段並んでんでいるだけのようで少々、落胆。ただし規模としてはヴェローナの闘技場に匹敵するくらいの大闘技場だったようです。特筆すべきは石を積み上げた一般的なローマ時代の円形闘技場と違い、こちらは岩場を掘って作られた楕円形のすり鉢状の闘技場であることでしょう。
先ほど見て来たギリシャ劇場とこのローマの円形闘技場を見比べてみると二者は構造と目的がハッキリと異なるのだという事がわかります。どちらも古代のエンターテインメント(ただし、ギリシャ劇場の催し物の多くは宗教的な祭りと関連付けられたものでした.)を提供する場であったのは確かなのですが。。
自然の地形を利用した半円形の観客席をもつギリシャ劇場とは異なり、ローマ闘技場は、円形または楕円形の観客席がアリーナを囲む形になっています。剣闘士や動物の戦いなど、よりアグレッシブなイベントをフルに見せるためにローマ独自で発明した構造でした。グラディエーター養成所で訓練した奴隷同士をアレーナで戦わせたり、珍獣との大格闘などが繰り広げられたり、場所によってはナウマキア(模擬海戦)をやらせてみたり。。 -
ローマ円形闘技場(Anfiteatro Romano)#3
インターネットのAIによればナウマキア(模擬海戦)はここでも行われた可能性はあるようです。しかし最もよく知られているナウマキアはシーザーやアウグストゥス帝の時代にコロッセウムやローマ近郊の人工池で実施されたものであると。。。
参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%A1%E6%93%AC%E6%B5%B7%E6%88%A6
映画グラディエーター2では模擬海戦に巨大な鮫が登場するのですが、実際に鮫が投入されたという史実的確証はありません。CG/VFXを駆使しリアリティーを出していましたけど。。あくまでも映画のなかの余興でしょう。
*グラディエーターは奴隷や捕虜の中から才能あるものが選ばれ養成所での一定の訓練終了後、アレーナで闘技を行いました。闘技に連勝したものはプロのアスリートとして人気があり今でいうセレブとして扱われたようです。 -
ローマ円形闘技場(Anfiteatro Romano)#4
ベスティアリーピット(Bestiary Pit):
このピットはライオン、クマ、ゾウ、その他のエキゾチックな野生動物を、舞台に放して狩りをしたり、死刑囚と対峙させる前に保管する場所として使われていました。こうした闘技場では1日に何頭もの野生動物が人間の娯楽のために殺され、死刑囚や罪人もまた死ぬまで戦わされたり瀕死の状態になったものは裏で処刑されたりしました。特に初期の闘技ではこうした残酷な処置がとられたようです。その後、段々とエンタメ的になりプロのアスリート、訓練されたグラディエーターが登場してくるのですが。。
*剣闘士競技はその残酷性と経済不況から404年にホノリウス帝によって公式に禁止されました。 -
ローマ円形闘技場(Anfiteatro Romano)#5
クリプトポルティコの遺構(Remain of Criptoportico):ローマ建築において、クリプトポルティコは、半地下にある屋根付きの回廊または通路を指します。こうした場所は観客が天候から身を守ったり、公演の休憩中に集まったり、あるいは単に散歩したりくつろいだりする場所を提供したようです。 -
ローマ円形闘技場(Anfiteatro Romano)#6
トンネル:剣闘士の移動、あるいは物流のための通路? -
ローマ円形闘技場(Anfiteatro Romano)#7
この石積みの崖の横(画像では左側)は闘技場の外の通路とつながっていて、人や物を運搬したいわゆる物流通路であったものと思われます。 -
ローマ円形闘技場(Anfiteatro Romano)#8
闘技場の外の通路に繋がる道(物流通路)。 -
ネアポリス考古学公園に長くいすぎたかもしれません。パオロオルシ考古学博物館やサンタ・ルチア・アル・セポルクロ聖堂(Santuario di Santa Lucia al Sepolcro)へ急がないと。。。
歩いても行けるようですが、暑いし時間がないので公園の出入り口に駐車してたタクシーに飛び乗って考古学博物館に向かます。 -
州立パオロオルシ考古学博物館(Museo Archeologico Regionale Paolo Orsi)
メーター付きのタクシーで、ドライバー氏にこの門の外で40分ほど待っててもらい,そのあとサンタ・ルチア・アル・セポルクロ聖堂に行ってほしい旨伝えてあります。州立パオロ オルシ考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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パオロオルシ考古学博物館(Museo Archeologico Regionale Paolo Orsi)正面入口。
考古学公園とセットでもらった博物館用のフリーチケットで入場。 -
パオロオルシ考古学博物館(Museo Archeologico Regionale Paolo Orsi)#1
セラミックスで装飾された古代ギリシャ神殿ファサード(の複製)。 -
パオロオルシ考古学博物館(Museo Archeologico Regionale Paolo Orsi)#2
上段:テラコッタのゴルゴン(ゴルゴンはギリシャ神話に登場する怪物で神殿のフリーズに魔除けとして使われました。)ゴルゴンは’怪物’と言う意味で元々は絶世の美女であったにもかかわらず、女神アテナに対する不敬罪(?)で醜悪な姿に変えられてしまった3姉妹です。末娘メドゥーサはのちに、ペルセウスに斬首されるのですが、女神アテナはその首を自身の盾にはめ込み、より優れた防具にすると、敵対者を脅したり制裁として石に変えたりと有効活用しました。メドゥーサの首はその死後も恐ろしいものとして使われていたことから魔除けとして使われるようになったようです。 -
パオロオルシ考古学博物館(Museo Archeologico Regionale Paolo Orsi)#3
ギリシャ植民都市時代の発掘品。BC8世紀からBC3世紀ころまでに作成された出土品が納められています。 -
パオロオルシ考古学博物館(Museo Archeologico Regionale Paolo Orsi)#4
グラミケーレの女神(Dea di Grammichele).
復元された古代テラコッタ像で、玉座に座る女神(おそらくデメテルまたはコレー)をかたどっています。
BC6世紀後半~5世紀初頭にシラクサで制作されたと思われますが発掘場所がグラミケーレ(カターニアの南西68kmに位置)であったことからこの名で呼ばれます。初期ギリシャ時代の作例にもれず、こちらもアルカイックスマイル(ニヤニヤしている)をたたえています。 -
パオロオルシ考古学博物館(Museo Archeologico Regionale Paolo Orsi)#5
アデルフィアの石棺(Sarcophagus of Adelfia).
博物館2階にあるFセクターは、後期古代およびキリスト教時代のシラクサに特化しています。このアデルフィアの石棺は、BC340年頃の初期キリスト教徒の石棺で豪華な大理石で作られており、優美な浅浮彫装飾が施されています。中央のメダリオンには、亡くなったアデルフィア(夫妻?)の姿が刻まれており、浅浮彫には、アダムとイブからイサクの犠牲、そしてキリスト降誕の場面まで、聖書のモチーフがびっしりと描かれています。キリスト降誕の場面は、一部の人々から最古のキリスト降誕の表現と考えられています。この石棺は、1872年にアデルフィアのロタンダにあるサン・ジョヴァンニのカタコンベで発見されました。 -
パオロオルシ考古学博物館(Museo Archeologico Regionale Paolo Orsi)#6
上段展示品はコレ―/ペルセフォネ―(Bust of Kore / Persephone)のテラコッタ製胸像, およびデメテール(Demeter)。 -
パオロオルシ考古学博物館(Museo Archeologico Regionale Paolo Orsi)#7
コレ―/ペルセフォネ―(Bust of Kore / Persephone) とデメテール(Demeter)の胸像拡大。作者不詳、製作はBC5~BC4世紀とされます。気品のある美しい女神像。 -
パオロオルシ考古学博物館(Museo Archeologico Regionale Paolo Orsi)#8
ランドリーナのビーナス(Venere Landolina):1804年に出土した際の考古学者サベリオ・ランドリーナの名前で呼ばれています。
AD2世紀のローマ時代に作成されたコピーです。もとになっているのはプラクシテレスの代表作である’クニドスのアフロディーテ’(BC2世紀頃の作)ですがこの像は現存していません。ローマ時代には沢山のアフロディ―テのコピーが作成されており、筆者はこれと同類のものをアテネの考古学博物館で見ました。
クニドスのアプロディーテ:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%89%E3%82%B9%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%BC
*クニドス(の神殿):古代ギリシャの彫刻家プラクシテレスによる、史上初の等身大の女性裸像であるアフロディーテ像が置かれた場所。 -
パオロオルシ考古学博物館(Museo Archeologico Regionale Paolo Orsi)#9
ランドリーナのビーナスの背景、およびそのもとになったプラクシテレスの’クニドスのアフロディーテ’について言及する表示ボード。 -
パオロオルシ考古学博物館(Museo Archeologico Regionale Paolo Orsi)#10
アッティカ様式アンフォラ(赤絵式)およびテラコッタの壺群。。
アッティカ様式アンフォラは古代ギリシャの貯蔵壺の一種で、特にアテネを囲むアッティカ地方で作られたものです。これによってシラクサがアテネと早くから交易があり、のちに植民地として栄えたことが理解されます。 -
パオロオルシ考古学博物館(Museo Archeologico Regionale Paolo Orsi)#11
アスクレピオス(大理石)。シチリア島アクラディナより出土。BC4世紀のギリシア原型に基づくローマ時代のコピー。
実際のアスクレピオス先生もこのように頭部と身長がアンバランス(5頭身半)な方だったのでしょうか? -
サンタ ルチア アル セポルクロ聖堂(Basilica di Santa Lucia al Sepolcro)到着。ここでタクシードライバー氏に60ユーロ払いました。パオロオルシ考古学博物館での40分ほどの待ち時間込み+チップ。12:20分現在ですが、午前の部は12:45分でドアは閉まり、神父様方はランチや午睡にはいります。急がないと!!!
聖堂に隣接する八角形の建物はサンタ・ルチア・アル・セポルクロ教会(Chiesa del Sepulchre)。17世紀の建立で、聖ルチアの埋葬用の壁龕が収められているようです。
地下には広大なカタコンベ(Catacombs of Santa Lucia)があるらしいのですが、見る時間がありません。 -
サンタ ルチア アル セポルクロ聖堂(Basilica di Santa Lucia al Sepolcro)#2
この旅のハイライトの一つであるカラバッジョの’聖ルチアの埋葬’との対面です。1608年の作, この2年後にカラバッジョはローマへ向かう途中、病をえて他界します。
*****
側廊の隅に目立たないようにコインを入れるボックスがあって1ユーロいれてもポロンと外にはじき出してしまいます。たまたま通りかかった教会の用務員ふうのおじさんがもっと少額のコインに変えてあげようと言って裏の控室にその1ユーロをもって消えたのですが、5分、10分と待っても戻ってきません。しびれをきらして、その部屋に行ってみると、オジサン、おぼつかない手で一生懸命少額コインを探していました。親切はうれしいのですが、目が悪いのかもしれません。12:45分まであと15分しかないのに。やっと1ユーロ分の目的の少額コインを探してくれて例のボックスにポトポトと入れてくれて主祭壇の上のライトが点きました。ふー~~~!! -
サンタ ルチア アル セポルクロ聖堂(Basilica di Santa Lucia al Sepolcro)#3
主祭壇上に掲げられた同絵画。
復元作業や政治的駆け引きのため、幾多の教会や美術館を転々とさせられた挙句、2020年12月6日にやっとこのサンタ ルチア アル セポルクロ聖堂に安住の地を見出したカラバッジョの晩年の作品です。(尚、この作品はベッローモ州立美術館所蔵となっている日本語版wikipediaの情報は間違いです。英語版のBasilica di Santa Lucia al Sepolcro所蔵が正しい。)
参考:https://www.hermes-sicily.com/blog/en/401-visit-caravaggio-painting-syracuse -
サンタ ルチア アル セポルクロ聖堂(Basilica di Santa Lucia al Sepolcro)#4
主祭壇上に掲げられた同絵画、ズームアップ。
喉を切り裂かれた聖ルチアが弔問客や墓掘り人に囲まれている場面を劇的に描いた作品です。カラバッジョは本作を完成させた2年後に亡くなっています。強い明暗を駆使し、劇的で写実的な作風は後のレンブラント等に多大な影響を与えました。 -
’聖ルチアの埋葬’に別れを告げ、歩いてオルティージャ島の旧市街の方に向かいます。途中の新市街の街並みは寂れていて、傷んだ家屋や道路が目立しました。怯みがちな自分を励ましながらなんとかウンベルティーノ橋へ。グーグルマップマップではここまで17分と出ますが、そうはいきません。30分くらいかかってしまいました。暑くてヘトヘト。
下画像の白い建物は旧郵便局。ウンベルティーノ橋 建造物
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橋の右手の小さな人工島に佇むアルキメデス像。シラクサ生まれの古代ギリシャの大天才!(生まれたのは一応BC287年とされていますが正確な記録は残存しません。)
私的には、台座部分をもう1mほど高くして周囲から見えやすくした方がいいのではないかと思いますが。。 -
橋を渡りきるとまもなくエマヌエーレ・パンカリ広場(Piazza Emanuele Pancali)。
下の画像の中ほど、縞柄のテントが並んでいるのがヴィア・デル・メルカート(via del mercato)。’市場通り’とでも訳すのか露店が沢山並んでいます。 -
と、アポロ神殿の遺構(Tempio di Apollo)が突如目前に広がます。太陽神アポロに捧げられたこの神殿は長い歴史の中でビザンチン教会、モスクと転用された歴史があります。その後土中に埋もれ、見捨てられていたのですが、19世紀のパオロ・オルシの効率的な発掘調査によりその全容が明らかになりました。
アポロ神殿 史跡・遺跡
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アポロ神殿(Tempio di Apollo)#2
BC 560年頃にこの地を植民地化したコリント人が築いたドーリス式(古代ギリシア初期の様式)神殿の遺構です。(シチリア最古) -
パオロオルシ考古学博物館にあるアポロ神殿のモデルです。フリーズ部分に6面のゴルゴン装飾が見られます。
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アポロ神殿(Tempio di Apollo)#3
神殿の建設には、'ジュッジュレナ(giuggiulena)'と呼ばれるシラクサ特有の石灰岩が使用されました。大理石の輸入は高価すぎたため、すべての神殿は地元の石灰岩で建てられ、神々の像など最も高貴な部分にのみ大理石が使用されました。
*https://www.smarteducationunescosicilia.it/en/siracusa/temple-of-apollo/
神殿の壁にアーチ型のオープニングが見えますが、これはノルマン時代に教会に転用された時に穿たれたものです。 -
ここから南東にのびるコルソ・ジャコモ・マッテオッティ(Corso Giacomo Matteotti)を10分くらい進むとアルキメデス広場に出ます。目印はこの噴水、ダイアナの泉(Fontana di Diana)。ダイアナはギリシャ神話ではアルテミス(Artemis)。
非常にバロック的なこの彫刻は1906年に彫刻家ジュリオ・モスケッティとその息子マリオによって設計/製作されたものです。女神アルテミスを中心に川の神アルフェイオス(竪琴の名手、オルフェウスではない)がその左足元に、そして彼から逃れようとする水の妖精アレトゥーザが右下に配置されています。捕まる寸前にアルテミス神はアレトゥーサを水に変え、地下へと逃がすのですが、この彫刻は神話にもとづくその劇的瞬間を描いています。余興として4体のトリトン、なまず顔のタツノオトシゴも加わっていてなかなかユーモラスです。アルテミスの泉 建造物
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フォトジェニックなこの教会はサン・ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者ヨハネ)聖堂 Basilica of San Giovanni Battista (St. John the Baptist).
かつてのユダヤ人街、プレクルソーレ広場(Piazza del Precursore)に建つこの屋根のない聖堂はその昔、シナゴーグでした。
石造りのファサードは1380年に建造されものです。 -
ジュデッカ通り(via della giudecca)
こういう細い道はきっと昔々からの道なのでしょう。
*guidecca はラテン語のjudaicaに由来します。つまりここはユダヤ人街があったところでその起源はローマ時代に遡るようです。が、スペイン統治下の1492年、アルハンブラ宮殿勅令により、シラクサを含むシチリア島のユダヤ人は追放されました。 -
防波堤(seawall):
かつてのこの島の顕著な特徴、要塞化及び自然からの防御機能が見られる箇所。特にパッセッジョ・アドルノ(Passeggio Adorno)として知られる西側沿いにあります。 -
島の南端に突き出たマニアーチェ城(Castello Maniace)を遠望。
マニアーチェ城 城・宮殿
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ヴィグリエナ砦(Forte Vigliena)とその周辺。黒く見えるのは溶岩でその上をコンクリートで固め(白っぽく見える部分)護岸にしています。
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アレトウ―ザの泉(Fonte Aretusa)#1
海水に近い場所に湧く真水(淡水)というのが売りのようですが、緑藻類が繁茂し美しいとは言い難いですね。落胆!アレトゥーザの泉 散歩・街歩き
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アレトウ―ザの泉(Fonte Aretusa)#2
スロープを降りて低位置で泉の中を見ました。フェンスで囲まれ施錠されていて、泉には接近できませんが白鳥が昼寝しているのが見えました。 -
アレトウ―ザの泉(Fonte Aretusa)#3
ここでランチにしようと立ち寄ったら、今オーダーが7つ入っていてさばき切れないので。。と体よく断られてしまいました。どこも満員御礼! -
ではと。。客待ちしていたトゥクトゥクで一気に大聖堂へ。。。そして緊急に備え持参したサンドイッチをかじりながら。。近くだと思ったのに20ユーロだと言うのです。理由はまっすぐ大聖堂へ行けないと。あとで調べてわかったことですが、何でもシラクサでは文化財の保護のため、ほとんどの道で住民以外の自動車が通行禁止になっているのです。このため、目的地に着くにはそれらを避けて大きく迂回しなければならないらしいのです。タメイキ!!
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随分回り道をして、何とかドゥオーモ広場に建つシラクサのシンボル、シラクサ大聖堂(Cathedral in Syracuse)に到着。17世紀にアンドレア・パルマによって作られたバロック様式のファサードが特徴です。BC5世紀に作られたアテナ神殿が時代と共に変容し、今の姿になりました。外壁や内部にはドーリス式のアテナ神殿の柱が残っています。
正面上部中央の壁龕(へきがん)に聖母マリア像、正面左手に聖パウロ、右手に聖ルチア像が立っています。ドゥオーモ 寺院・教会
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シラクサ大聖堂(Cathedral in Syracuse)#2
アドミッションは2ユーロぽっきりです!! -
シラクサ大聖堂(Cathedral in Syracuse)#3
大聖堂の玄関ホール -ソロモンの円柱。 -
シラクサ大聖堂(Cathedral in Syracuse)#4
大聖堂のフロアプラン。赤線で囲った部分がかつてのアテネ神殿。 -
シラクサ大聖堂(Cathedral in Syracuse)#5
シシリアンバロックの主祭壇と中央にジャチント ブランディ(Giacinto Brandi)による 17 世紀の絵画 'The Birth of the Virgin Mary(聖母マリアのイエス出産)’。
参考:https://www.christianiconography.info/sicily/birthMaryBrandi.html -
シラクサ大聖堂(Cathedral in Syracuse)#6
身廊の天井フレスコ画:聖人とシラクーサの貴族の紋章は16世紀と17世紀に描かれたもの。 -
シラクサ大聖堂(Cathedral in Syracuse)#7
古代ギリシャのアテナ神殿はエマヌエーレ・パンカリ広場で見たアポロ神殿と同様に力強いドーリス式の寺院でした。
現在の大聖堂内部:身廊、側廊部の支柱はかつてのアテネ神殿の石柱。そして右上はクーポラ。 -
シラクサ大聖堂(Cathedral in Syracuse)#8
シチリアの守護聖人である聖ルチアの礼拝堂。ポンペオ・ピチェラリ(Pompeo Picherali)作? -
シラクサ大聖堂(Cathedral in Syracuse)#9
絵の下には聖ルチアの聖遺物:左腕の上腕骨の一部 。 -
シラクサ大聖堂(Cathedral in Syracuse)#10
外壁にもアテナ神殿の石柱が利用されています。 -
大聖堂からエマヌエーレ・パンカリ広場(Piazza Emanuele Pancali)まで早足で戻り、屯していたタクシードライバー氏の面々にコルソ・ジェローネ通りのバス停に急いで走ってほしい旨、告げます。中の一人、とても人の好さそうなドライバー氏が’メーターだよ’。と言ってドアを開けてくれました。16:32分のバスをキャッチする旨を再度伝えます。が、途中の道が渋滞していたり、一方通行だったりで到着は結局ギリギリの16:25分。手に汗握る体験でした。でも間に合ってよかった!!
キャッシュが少なくなったのでクレジットカードで払えるか尋ねるとOKと。 計14ユーロで思ったよりも安かったです。待つ間もなくインターバスが来て乗車開始。朝来た道を一路カターニアに向かって戻ります。一応マークしていたスポットはすべて回れましたが、シラクサを1日で回る、というのはちょっと強行スケジュールだったかもしれません。 -
これが我々乗客をオンタイムにカターニアにとどけてくれたバス!!どうもありがとう!!
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そしてシラクサではちゃんと食事をしていなかったので昨日予約しておいたI MOSCHETTIERI (マスケティエーレ)へ夕食に。
カターニア中央駅の近くにあってロケーションだけでなく、TripAdvisorやその他の飲食関係のレビューもとてもよかったトラットリア。カターニア名物の揚げナスを使ったスパゲッティ.アラ.ノルマも事前にメニューでチェックしておいて。。。スタッフもフレンドリーで噂に違わずいいトラットリアでした。
初めてのシチリア、まさにホットな7日間(4日目, 4/26:ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレとカルタジローネ)に続く。
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