2025/04/23 - 2025/05/02
54位(同エリア1113件中)
Noraさん
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古来より様々の民族に支配され、文明の十字路とも呼ばれた地中海の島シチリアは長い間私にとって興味のつきない対象でありました。昨年11月に訪問予定していたものの、予期せぬ家人の発病とその看護、加えて私自身の病のため予定変更せざるをえなくなったのです。その後状況が好転し始め、複雑な法的手続き、医療関係の処理、家事等、何とか青息吐息で片付け、改めて2月も終わりの頃、現在の自分の置かれた状況に無理のない範囲で(1週間)行けるシチリア旅行のプランに変更しチケットを手配しました。気が付いたら雪の降る日がすくなくなってシカゴにもやっと遅い春が近づいていて。。。
斯様な事情で、今回の旅は4月後半出発、5月初め帰国という超コンパクトなものです。
因みにシチリアという名称は、紀元前241年にローマ帝国の属州と言う形で与えられました。これは鉄器時代に島の東部に住んでいたシケル人に由来します。さらに遡ると、古代ギリシャ時代にはその形状からこの島はトリナクリア(ギリシャ語でΤρινακρία「3つの岬を持つ」)という名で呼ばれていたことがわかります。
さて、シチリアはどんな顔を見せてくれるでしょうか?
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ユナイテッド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日はGet Your Guide で予約した現地ツアーの日。アクティビティープロバイダーがすべてやってくれるので楽ちん。昨日とほぼ同じバッフェ式の朝食後、指定のピックアップ場所に向かいます。前日e-mailが入り、カターニアバスステーションの向かい側にあるBar Sapienza に9:00am集合とのことです。9:00amちょっとすぎにドライバーのアントニオさんがやってきました。
途中2,3のホテルでほかのツアーメンバーをピックアップし、計7人揃いました。マイクロバス1台でドライバーのアントニオさんが乗客を引率。彼はこれを最後にリタイヤすると言っていました。スリムで小柄で’Life is short’というのが口癖の気のよさそうな人。リタイヤするには早すぎるようにも見えますが、何か特別のプランがあるのかもしれません。 -
予定の全員が揃い郊外に向けて走りだします。と、スケジュールには入っていなかったのですが、ここウルシーノ(の城下町?)でストップバイしてくれました。予期せぬ出来事、嬉しいサプライズ!
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ウルシーノ城(Castello Ursino)
この城は巨大な四角形の建造物で、高さ30メートルの円筒形の隅塔(多分監視塔?)が取り付けられた中世の城塞。中央に中庭があるようです。一見頑丈そうで窓が殆どなく刑務所風だと思ったら、実際に牢獄として使われたこともあったようです。 -
13世紀に神聖ローマ帝国皇帝でありシチリア王でもあったフリードリッヒ2世が(当時のシチリア王国はヨーロッパの中でも先進的な強国と見られていた)、沿岸防衛のためにカタニア湾岸に建城したものです。
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が、1669年のエトナ山の噴火による溶岩流が城塞の周囲を埋め尽くし海岸線が後退したため、沿岸要塞としての役目を終了。のちに城の一部はアラゴン王家の居城となったり、牢獄として使われたりと各種の有効活用後、現在は博物館として機能しているようです。
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東側の壁には、五芒星が描かれた窓があります。おそらくは中世に一般的だった悪魔からの保護、キリスト教に関連したシンボルではないかと思われます。
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ウルシーノ城を過ぎ、ぬけるような青空のもと、車は一路ピアッツァ・アルメリーナに向けてA19号線(中央山間部を東西にのびる)を西に走ります。1時間後くらいにエンナ18(km?)の標識が出てきました。もう一息!
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ピアッツァ・アルメリーナを過ぎ、舗装はされているけれども山道っぽいところをどんどん進んで、しばらくすると人里離れた山奥にそのヴィラ・ロマーナ・デル・カサーレがでてきました。思ったより整備されていてレストランやブックストアなども併設されています。ここからは自由行動。2時間半後に全員入口に集合することを確認して離散。下の画像のブルーのジャケットを着た女性の後をついていくとチケット売り場に着きました。
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チケット売り場。窓口担当者は英語を理解しないし、テキパキしないので行列がすぐに長くなります。不満顔の訪問客。シチリアのみでなく世界中からビジターが来るでしょうに。。こういう点は’世界遺産’の場所であるからには是非改善してほしいものです。
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14ユーロ。ちょっと高すぎる気がしないでもありません。ここはモザイクで知られる帝政ローマ時代末期、AD4世紀頃に建てられたと思われる某高官(と推測される)のヴィラ・ルスティカ(=カントリーハウス)の遺跡です。エンナ県の丘陵地帯であるこの場所はローマ帝国時代には特権階級が運営するラティフンディア(奴隷制大農園)があったことで知られています。大農園に隣接して所有者のヴィラが多く建造されており、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレはそれらの一つでした。
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ユネスコ世界遺産のマーク。
これらの広大な農園(荘園?)は穀物、オリーブオイル、ワイン等の換金作物の生産拠点であり、それらはシチリアのみでなく地中海を超えて取引され、ローマ帝国の商業経済のグローバリゼーションの一役を担っていました。が、ローマ帝国の衰退とともに経済活動は縮小していき、奴隷である戦争捕虜の供給も困難になっていきます。これらの複合原因でヴィラの運営も役割も低迷化して行きました。
なので実際に全面的にこのヴィラ・ルスティカ(=カントリーハウス)が居住空間として活用されたのは150年間くらいとみられています。西ローマ帝国滅亡後は外敵の破壊等にあったり、ビザンチンやアラブ統治時代をへて部分的に使用されたりもしていたようです。が、12世紀にこの地方を襲った地滑りが原因で全面的に放置されたといわれています。この天災で生き残った人々はこのヴィラ周辺を修復することなく放棄してピアッツァ・アルメリーナに移住しました。
このヴィラ・ルスティカ(=カントリーハウス)の床には当時の生活や戦い、狩り、交易等の様子がこと細かく緻密なモザイク画が描かれており、ローマ帝国末期の富裕層の文化、生活習慣等を垣間見ることが出来ます。 -
ヴィラ・ロマーナ・デル・カサーレのフロアプラン。Wikimedia (Public Domain)
https://es.m.wikipedia.org/wiki/Archivo:Villa_Romana_del_Casale_-_Plan_%28numbered%29.jpg
最初の#47以外はこの#に従って画像をアップしています。 -
#47 ヴィラに給水をしていたローマ時代の水道橋(Aquaduct)(の遺構)。
チケット売り場から歩いていくと最初に見える遺構です。この水道橋の向こうには、更なる邸宅または町が発見されたようで、その発掘が進行しているそうです。 -
#1入口付近
多角形の中庭(Polygonal courtyard)の外周とその石壁。 -
#2 多角形の中庭(Polygonal courtyard)
入口を入るとすぐにこの大理石の柱に囲まれた馬蹄形の中庭が目に入ります。
中央には四角い噴水の跡があり、当時はこの中庭から、ヴィーナスの祭壇を通って浴場へ、また公式用の玄関ホールを通ってヴィラ内部へ行くことができたようです。 -
#3談話室を兼ねたと思われる当時のトイレ(Large Latrine)。数年前、エフェス遺跡で見た大衆トイレと同様、おそらくここも大理石のベンチでカバーされており、下には浴場の排水で汚物を流すシステムであったと思われます。
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#4 ヴィーナスの祭壇(Aedicule of Venus):
スパ複合施設へのサービス用入口であり、四角形の部屋の床には正方形と菱形で作られたモザイクが施されています。
ヴィーナスの祭壇と言う名の由来は、この場所に祀られていたと思われるヴィーナス像の破片がみつかったためです。
因みにこれから見ていくモザイクはカルタゴ人(北アフリカのフェニキア人)のモザイク職人の手になるものと言われています。。僅か5~6mmの大理石、タイル、ガラス等のテッセラを使って作られています。
が、メンテ不足か、モザイク全体が埃にまみれ色が相当褪せていました。おまけにライティングが悪く(美術館レベルの自然光ライティングを使用していない)場所によっては直射日光が差し込み、強烈なコントラストや白飛びが起こるのです。特にビキニの少女の部屋は照明不足で非常に撮影が困難でした。ここはメンテの面でテクニカルなレベルアップが必要です。 -
#6 & 7 カルダリウム(Caldarium=高温浴室)と手前に見えるのはプレフルニア(Praefurnia)。
プレフルニア:古代ローマの浴場で水を加熱したり、床下暖房(ヒポコースト)のために使用された炉(焚きだし口?)。燃料には主に薪が使われ、そのために奴隷が使役されました。浴場システムや床下暖房をフルに維持するためにはプレフルニアを常時稼働させなければならず、奴隷たちは過酷な暑さに晒されていたと思われます。
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Praefurnia -
#8 テピダリウム(Tepidarium=微温浴室)カリダリウムから出た客はこの温かいテピダリウムの部屋で一息いれて、冷水浴が可能なフリギダリウムや塗油の間へと向かう準備を整えました。床下の空間を通って、プレフルニアから送り込まれた温風が循環するシステム(ヒポコースト, Hypocaust)が見えます。
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#10フリギダリウム(Frigidarium、冷水浴室)
八角形の部屋で中央の部屋のモザイク画は、ネレイス(海の妖精)、トリトン、タツノオトシゴといった海の生き物が描かれています。
*この前に#9 マッサージ室(Massage Rroom)->冷水浴室と温水浴室の間に位置する正方形の部屋があるようですが写真は撮れませんでした。
床にはこのヴィラの所有者と思われる筋肉質な体格の男性が奴隷に垢スリや香油塗をさせている場面のモザイクがあるらしいのですが。。 -
#10フリギダリウム(Frigidarium、冷水浴室)のニッチ部分の一つ(多分更衣室)の床モザイク。奴隷の助けを借りて服を脱いだり着替えたりする人物。
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#10フリギダリウム(Frigidarium、冷水浴室)のニッチ部分。
この八角形の部屋の壁には6つの半球状のニッチ(壁龕)があり、そのうち2つは入口として使用され、あとのニッチ(壁龕)部はおそらく更衣室として使用されていたようです。残存する破片から表面は大理石でカバーされていたことがわかります。 -
#11 中庭を囲む回廊の入り口、またはアドベントゥスの玄関(Vestibule of the Adventus)
ここは迎賓用の空間であったと思われます。半分消失していますが、燭台を持って客を迎える主人のモザイクです。
*アドベントゥスー>ラテン語で「到来」の意。 -
#12 & 13 ラレース小神殿(Temple of the lares)とぺリスタイル(列柱廊=Peristyle)
玄関ホールは、コリント式柱頭をもつ32本の大理石柱で囲まれた長方形のペリスタイルへと続きます。また入口の前に見える馬蹄形の小さな空間は、ラレース小神殿(古代ローマの家庭神をまつる場所)です。古代ローマ人は、ラレース、ペナーテース、ウェスタ、そしてゲニウスといった神々を家庭神として崇拝していました。キリスト教が国教になる前のことです。 -
ペリスタイルの回廊は、様々な動物を円形モザイク枠で表現したモザイクトンディ(Mosaic Tondi)で装飾されています。
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#14 内部の小トイレ(Internal Latrine)。
ヴィラの宿泊客は、この内部の小さなトイレを利用しました。台形の床には動物の絵が描かれており、壁沿いには穴の開いたベンチが取り付けてあります(現在見られるベンチは、当時の大理石製のオリジナルではなくコンクリートで復元したものです)。エフェス遺跡のように汚物は浴場の排湯で流していたと思うのですがその行く先はどこだったのでしょう? -
#15 屋内体育館回廊(Gym or Palestra floor)
両端にアプスをもつこの回廊は、戦車レースのモザイクで装飾されています。ここで運動して汗をかいた後、浴場にむかったようです。 -
#16 ドミナの浴場入口(Vestibule of the Domina)、玄関というか私的更衣室。運動場・浴場に続く部屋です。
中央が奥方、両脇が子供、左右が侍女と思われます。
*ドミナとは、ラテン語で「女性の支配者」「主人」の意。 -
#17陶芸用の窯の部屋(Room of Pottery Kiln)
幾何学模様のモザイクの床が敷かれたサービスエリア(使用人や奴隷の部屋)。床の一部にある切込みは、花瓶や小物入れを作るための陶芸用の窯が置かれていたようです。
*陶芸用窯は後世のアラブ統治時代に設置されたものでローマ時代のものではないようです。 -
#17拡大画像
内側に円形の帯が入った八角形、十字形の編み紐など。 -
#18キッチンのサービスエリア(Service area for the kitchen)には、正方形と六角形の幾何学模様のモザイクの床があり、その中には六つの尖った星と六枚の花びらを持つ花が描かれています。こうした幾何学模様のモザイク用テッセラは通常、ヴィラ近くの工房で事前に準備されていました。で、それらのテッセラを繰り返し模様の型紙(テンプレート)を置いて仕上げていったようです。
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#20 サヒーニ族の女性略奪の間(Hall of Abduction of the Sabine Women)
モザイクには6組の人物像が2つの段に配置されています(2/3は消失)。下段中央のモザイクをよく見ると、女性略奪を暗示するかのようにドレスを着た女性を抱えて立ち去らんとする男性の下半身が見えます。ここはゲスト用の寝室だったようです。 -
#23 四季の間(Hall of Seasons)
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#24 キューピットたちの魚釣りのモザイクの間(Hall of the Fishermen Cupids)。
辛うじてわかる程度に奥の壁にフレスコ画が残っています。 -
キューピットたちの魚釣りのモザイクの間(Hall of the Fishermen Cupids)。やや拡大して。
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#25 小狩猟の間(Diaeta of the Small Hunt)。おそらく居間兼食堂であったと思われます。
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#28 大狩猟の間(Corridor of the Great Hunt)
ローマ闘技場で使われたと思われる珍しい動物の狩猟、捕獲、輸送を描いた壮大なモザイク画。
この別荘はこうしたビジネスで利益を得た富豪の別荘、あるいはそうしたビジネスで財をなした人物が所有した時期があるのではないかとも言われていますが、真偽のほどは不明です。 -
大狩猟の間(セクション)
因みにキリスト教会はローマ闘技場で繰り広げられる剣闘士同士の戦い、動物の殺戮等の残酷な闘技にはじめから批判的であり、キリスト教がローマの国教となって間もなく404年に西ローマ皇帝ホノリウスの命令で闘技場が閉鎖されました。が、その後も各地で続けられていたようであり、681年に公式に禁止されてやっと消滅しました。-wiki なのでこれらの動物の捕獲、狩猟ビジネスも同時消滅したという事なのでしょう。 -
#30 ビキニの少女の部屋(Room of Bikini Girls)。ヴィラ所有者の娘の体育室であったと思われます。モザイクとはいえ生き生きとした動的な躍動感が表現されています。彼女たちが身に着けているのは古代ローマ時代の下着、または体操着であったストローピウムとスブリガークルムと呼ばれるものです。(ブラの原型らしきものはすでにエジプト時代にありました。)
https://anc-rome.info/roman-clothing/ -
#31オルフェウスの間(Diaeta of Orpheus)
オルフェウスの竪琴に聞き入る鳥や動物を描いているらしいのですが、半分以上モザイクが消失しているので 彼等が聞いているのかどうかよく分かりません。 -
#36 トリクリニウム(横臥食堂),Triclinium
三つの後陣と列柱のある入口を持つ、大きな正方形の部屋。部屋全体は4つの部分に分けられます。中央の大きなパネルにはヘラクレスの12の功業、左の後陣にはヘラクレスの神格化、中央の後陣には巨人像、そして右の後陣にはリュクルゴスとアンブロシアのエピソードが描かれています。この部屋は横臥食堂(トリクリニウム)として利用され、三つの後陣には傾斜のついた寝椅子が置かれ、食事をする人々はその上で体を伸ばして食事をしました。
*トリクリニウム:古代ローマの上流階級は寝そべって手掴みで食事をしました。その専用の長椅子や空間をトリクリニウムと呼んでいたようです。横臥して食事する習慣は古代アッシリアに始まり古代ギリシャ~古代ローマへと伝わったと思われます。箸(?)はもちろんナイフやフォークがない時代なので、奴隷たちが料理を細かくちぎったり、彼等の汚れた手を水やナプキンで清めました。この食事スタイルは奴隷の補助なくして成立しないものであり、古代ローマの上流階級にとってそうした席に客人を招待するのは彼等の富の象徴でもあったようです。一方で一般のローマ人や奴隷たちは穀類を主体とした貧しい食事に甘んじていました。 -
#37 アリオンの間(Diaeta of Arion)->アトリウムの奥の居間
中央の床モザイクには、神話上のアリオンの物語が描かれています。ネレイス(海の妖精)や太刀魚(?)タコ、タツノオトシゴなどが彼の音楽と詩で魅了されている様子が所せましと。。。バックに描かれた様々な種類の魚は当時の古代ローマ人が食していたものや伝説上の生物がミックスされているようです。 -
#38 半円形柱廊付きアトリウム(Atrium with Arcade in the Hemicycle)
アトリウムの床面は、船に乗って網で魚釣りをするキューピッドたちのモザイクで装飾されています。 -
#39 音楽と演劇の寝室(Musicians and actors cubicle)。寝室の前室で当主の娘の部屋。
半円形の後陣のホール(Apsidal Hall)は寝室として使用されていました。
大きなかごに座った二人の少女がバラの冠を編む様子が描かれています。下段には祭典のための催し物、歌舞演劇の競技会風のモザイク。春の女神フローラの祭典の様子のようです。 -
音楽と演劇の寝室(当主の娘の部屋)、拡大、分割画像。
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#40子供部屋(=小さなサーカスの玄関- Small Circus Vestibule)
床には子供たちのサーカス競技のモザイク。
子供たちがアヒルやダチョウ(?)に引かせた4台のチャリオットを操り、アリーナで競っている場面。表彰式を担当する子供は、勝者に贈るシュロの葉を手に持っています。 -
#41 エロスとパンの玄関ホール(Vestibule of Eros and Pan)
長方形の部屋の床にエロスとパンの戦いを見守る子供や若い女性たちが描かれています。奥のテーブルに置かれているのは、勝者の賞品である王冠。 -
#42 子供のハンターの部屋(Cubicle of Child Hunters)
長方形のアルコーブのある部屋。床のモザイクは比喩的な様式で、2段に分かれて配置され、上段には花輪を作る少女たちが、また下段には、子供の狩猟の様子が描写されています。 -
#43大バシリカ。大狩猟回廊の奥、両側に列柱がたつ中央の階段を上ったところに位置する大きな後陣広間。宗教的な目的ではなく、式典や豪華なレセプションの場として作られたものです。巨大な長方形の部屋で、多色大理石の象嵌細工が施された床の痕跡のみが残っています。
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#44 ポリュフェモスの玄関ホール(Vestibule of Polyphemus)
モザイクの床にポリュフェモスとユリシーズが描かれています。中央には岩の上に座るポリュフェモス、左には二人の仲間と共に彼にワインを注ぎ酔わせようとするユリシーズ、下には草を食む羊や休息する羊や田園風景が描かれています。
*ポリュフェモスは、海神ポセイドンの複数の息子たち、キュクロプスの一人。
*キュクロプス
ギリシャ神話に登場する額に一つ目を持つ巨人族。鍛冶屋として知られ、ゼウスの雷霆(らいてい)を作ったとも言われている。ーwikipedia -
マスターの南側のアパートの表示。
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#46 エロティックな情景(Cubicle Erotic Scene)
ヴィラ所有者の寝室であったと考えられるキュービクルのエロティックな情景。
長方形のアルコーブとモザイクの床を備えた四角形の部屋です。 -
ヴィラをまわって2時間半後にアントニオさんのミニバンに戻ってきました。だが他のメンバーはまだヴィラの中を徘徊しているようです。この左手にある道を登って行ったところにあるトイレにいったり、崖の上のサボテンを眺めたりして時間をつぶします。20分後くらいにメンバ―が揃ったので、ピアッツァ・アルメリーナに向けていざ出発!! 結局、3時間ほどこのヴィラにいることが出来ました。アントニオさんのフレキシブルな対応に感謝です。
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来た道を戻ります。。
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相変わらず、ぬけるような青空のもと、山道を走ります。
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フォンタナ・デイ・カナーリ(Fontana dei Canali)
20分程走ってピアッツアアルメリーナの町はずれにあるこの泉に到着。
ここには18 世紀の共同洗濯場があり(当時のモノクロ写真が壁に掲示してあって、それをみると洗濯場の横の水飲み場にロバを連れてやって来るオジサンが写っている)、パビリオン屋根でカバーされています。しかし、ここもメンテが悪いようでゴミが散らかっていたり、噴水口の下には緑藻類が発生してたりであまりいいイメージではありませんでした。折角アントニオさんがおまけで皆を連れてきてくれたのですが。。 -
洗濯場の隣にある公共の水飲み場には、水源であるドニアマーレ山(Doniamare Mountain)から大量の水が絶え間なく流れ出ていて、ボトルに水をつめていく土地の人がいましたが現在は飲料には適さないようです。噴水口は、ブルボン王朝の王を模したと言われる、4つの恐ろしい表情をした砂岩の仮面の口から伸びています。
*ドニアマーレ山(Doniamare Mountain)はここから200km以上も離れています。 -
そしてランチタイム。ピアッツァ・アルメリーナの中心部にあるシチリアアルテグスト(Siciliartegusto)に来ました。地元産のサラミ、チーズ、ワインを供することで知られるレストランのようです。
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予めこのツアーに込みのランチなのでメニューは決まっています。アンティパストのサラミ、チーズ、オリーブ、自家製のパン。そしてアランチーニ。ワインを飲む人もいましたが私はレモネード。シチリアのレモネードは結構いけます。
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ランチの後、アントニオさんがパーキングロットから車を持ってくる間、近くのガリバルディ広場(Piazza Garibaldi)をぶらつきます。
目に付いたのはこのサンロッコ教会(Chiesa di San Rocco)。
1613年建設のバロック様式。ピアッツァ・アルメリーナではかなり古い教会です。
ファサードの美しく彫刻された凝灰岩の門とその上にある日時計が他の教会建築では見られないユニークな点だと思います。 -
市庁舎。正面ドアの上に市の紋章があります。
ピアッツァ・アルメリーナの歴史は古く、この地域には先史時代から人が住んでいました。時代を下り、ローマ時代。この頃に町として繁栄し、巨大なモザイク画がある貴族の邸宅、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カザーレなどが建設されました。 -
ピアッツァ・アルメリーナの風景①-ガリバルディ広場周辺
ピアッツァ・アルメリーナが都市の規模をもち発展していくのは11 世紀以降です。ノルマン人のシチリア島征服後で、その中心となったのがこのガリバルディ広場でした。 -
ピアッツァ・アルメリーナの風景②-ガリバルディ広場周辺
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ピアッツァ・アルメリーナの風景③-ガリバルディ広場周辺
このワンちゃんは車から身を乗り出して不思議そうに我々観光客をみていました。 -
ピアッツァ・アルメリーナの丘に建つサンタ・マリア・デッレ・ヴィットーリエ大聖堂(Cathedral of Saint Mary ‘delle Vittorie’)
17世紀から18世紀にかけて建てられたバロック様式の大聖堂です。 -
凝灰岩が主材料ですが側面にはこのように大理石装飾がアクセントになっていて、なかなか興味深いデザインです。
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ドゥオーモ広場にあるバローナ・マルコ・トリゴーナ(Barona Marco Trigona)の像。ピアッツァ・アルメリーナの大聖堂の建設に資金を提供した男爵です。
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大聖堂前のドゥオーモ広場はこのように美しい青海波(?)パターンの石畳が広がります。
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こちらは白い敷石を使っています。なかなか凝ってますねえ。
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ゆっくりと流れていく雲。この広場のある丘の下には静かな普通の人々の暮らしがあります。
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コットンキャンディ―のような雲を見ながら山道を降りて行きます。とカターニャ平野(ブドウ畑やピスタチオ畑で賑わっている)の片隅が。。めざすはカルタジローネ(Caltagirone)。
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カルタジローネ(Caltagirone)にやってきました。
サンタ・マリア・デル・モンテの大階段(Scala di Santa Maria del Monte)、通称ラ.スカーラ.
市庁舎広場からサンタ・マリア・デル・モンテ教会にかけて一直線に延びる142段の階段。この階段は1606年にカルタジローネの旧市街と、山の手に作られた新市街を繋ぐために作られたそうです。
階段の踏み石の部分はシチリア島東部にあるエトナ山の溶岩で作られ、前面の部分(蹴込)には色鮮やかなマヨルカ焼きのセラミックのタイルが張られています。 -
サインもセラミック製です。
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マヨルカ焼きのセラミックが街のいたるところで装飾と実用をかねて使われています。この地は先史時代から良質の粘土と水、焼成に必要な木材が豊富だったため陶器生産が盛んでした。9世紀から10世紀の頃、シチリアを支配していたアラブ人によりマヨルカ焼きの技術が導入されさらなる発展をしました。
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カルタジローネ市庁舎(Palazzo del Municipio di Caltagirone)。威風堂々。
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ウンベルト1世広場(Piazza Umberto) の前にあるバー・デル・アンゴロ(Bar dell Angolo)でしばし休憩。ピスタチオとレモンのジェラード。ブラッドオレンジジュースと共に。観光用のトレニーノが通り過ぎていきます。
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この前にはサン・ジュリアーノ大聖堂(Cathedral Basilica of San Giuliano)が立っています。大聖堂のライトブルーのドームの部分は地元産のセラミックで覆われています。
この大聖堂の内部を見学したいと思ってドアを押したのですが、固く閉じていてびくともしません。教会の石段に座っていた2,3人のオジサンたちに聞くと、’係の人がもうすぐランチから帰るはずだから、そしたらこの裏側のドアが開くから行ってごらん。’と教えてくれるのでした。で、すぐに事務方っぽいシニョーラが裏口の鍵を開けて入っていったので、私も軽く挨拶して一緒に入れてもらいました。
すると。。どうでしょう!外はすすけた(?)バロック風の大聖堂にしか見えなかったのに、内部は厳かにマリヤ様のステンドグラスが輝き、天井には聖書に出てくる聖人のフレスコがいっぱい!!すべてが燦然と輝いているではありませんか!狂喜してそれらをカメラに納めたのでした。
で、少しばかりこの大聖堂の背景を。。
もともと、現在の大聖堂が建っている場所には小さな教会がありましたが、11世紀ノルマン時代に大きな教会に建て替えられ、サン・ジュリアーノに献堂されました。が、1693年にシチリア島を襲った壊滅的な地震により、建物の大部分が破壊されてしまいます。その後の再建と修復の期間を経て、現在の大聖堂は壮麗なシチリア・バロック様式の姿になりました。 -
こちら(ドオーモ通りに面した方、赤の矢印)がファサードでシチリアバロック様式と謳ってあります。それに続く聖堂の側面部(大階段方向)はアールヌーボーになっています。
*鐘楼はローマ通りに面した方です。 -
大聖堂内部は3廊式になっています。この中央身廊部は新古典主義のようです。
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角度を変えて中央身廊の天井フレスコ画がもう少し見えるように撮ります。ジュゼッペ・ヴァッカーロ(Giuseppe Vaccaro)の手になるもので旧約聖書と新約聖書の場面が描かれています。
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中心のドームにフォーカスをして#1。
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中心のドームにフォーカスをして#2。
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天井のフレスコ画をズームアウトしてみましょう。
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正面入り口上部のステンドグラス。
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主祭壇。イースターの装飾が残っています。
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右側廊部のドーム。
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コリント様式をちょっと現代風にアレンジした柱と天井のアーチに掛かる部分を撮ってみました。
とてもエレガントな聖堂でした。 -
サン フランチェスコ橋(Ponte di San Francesco)
ウンベルト1世広場から歩いて5分ほどのところにこのユニークな橋がありました。この橋の欄干部は、オープニングがなく代わりに様々なシンボルや貴族の紋章を描いた古いセラミックタイルで装飾されています。中世の頃、2つの丘をつなぐため17世紀に架橋されたようです。 -
ウンベルト1世広場前のシチリア銀行の前が集合場所です。皆が集まったのでカターニアに向けて家路(?)につきます>
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途中の風景, ローマ松っぽい木が見えます。カターニア平野に沿って走っているところです。
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Bar Sapienzaに到着です。今日の全行程+アントニオさんのオプショナルツアーを含めて約9時間。充実した1日でした。
近くのカフェバーでシシリアンピッザとほうれん草のスカッチャータ。想像してたよりもビッグで完食できませんでした。
明日は早朝のバスでアグリジェントに発つのでパッキングをしなければなりません。キャスター付きのスーツケースとコンピュータやカメラを入れているバッグがあるので800mくらいの距離とはいえ、あの傷んだボコボコ道をバスターミナルまで歩くのは大変です。で、マリオおじさんにタクシーの手配を頼むと、’ピックアップに来てターミナルまで走るとなると往復で計算されるから40ユーロになるよ。’と言います。しばらく考えて、’じゃ、私かほかのこのホテルの者が車で送ってあげるから、タクシー呼ばなくてもいいよ。。’と親切に言ってくれるのです。シシリアンホスピタリティーに甘え、そうすることにしました。翌朝の朝食もクロワッサンかなにかをバッグに入れてくれるようです。ラッキーです。
初めてのシチリア、まさにホットな7日間(5日目, 4/27:アグリジェント)に続く。
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