2023/06/14 - 2023/06/30
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さいたまさん
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インパール作戦における英国空軍の活動の基盤の一端を目にしました。
空軍戦力の基盤のうち最も重要なのは、航空機であり、そして飛行場です。
英国空軍は、インパールをはじめとして各所に飛行場を建設しました。
写真は、インパール周辺に整備された6ケ所の飛行場のうちの一つであり、現在も、国際空港として使用されているインパール国際空港です。
当時は、ツリハル飛行場(Tulihar飛行場)と呼ばれていました。
しかしながら、インパールのメイン飛行場としては、コイレンゲイ飛行場が主たる飛行場でした。
英国空軍は、米国空軍の助力を得て、日本軍に対して、圧倒的な航空戦力をもって、航空優勢を確保しました。
日本軍の主攻撃正面を担当する第33師団長は、日英航空戦力を「100対0である。」と評しています。
そのような圧倒的な航空戦力の基盤は、
1 保有航空機数
2 飛行場の整備維持(全天候性及び昼間のみ)
3 航空輸送膂力の効率化
等からなっています。
今回、インパ―ル周辺の飛行場跡を巡り、現在の状況等から、当時の状況を推測するものです。
併せて、ランチェスターの二次即をもって保有航空数の推移を推測し、
現実の保有数と比較しました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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コルカタ国際空港の正面玄関です。
インパール作戦当時、英軍の航空部隊は、コルカタ(カルカッタ)を本拠地として活動していました。ネータージー スバース チャンドラ ボース国際空港 (CCU) 空港
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コルカタ国際空港です。
インパール作戦当時は、英国軍の根拠地でした。 -
コルカタの北東部グーアーハティー空港です。
ディマプール基地と同様、日本軍がインパール作戦を発動する前に建設されました。グワーハーティー国際空港 (GAU) 空港
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グアハティー空港の空港施設です。
事故発生時、活躍が期待され消防ビルです。 -
ディマプール国際空港です。
英国空軍は、インド北東部地域の防衛態勢を強化するため、9ケ所に及ぶ空港を建設しました。
ディマプール空港は、それらの航空基地の一つです。ディマープル空港 (DMU) 空港
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インパール国際空港です。
カングラフォートの西南にある空港です。
日本軍が、インパール作戦を開始した時点で、英国空軍は、インパール地域に、6ケ所の航空基地(飛行場)を保有していました。インパール空港 (IMF) 空港
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インパール国際空港は、インパール作戦の際に使用された6ケ所の空港(飛行場)の一つです。
現在、インパール地域の飛行場のうち、唯一この空港のみが残され、国際空港として活躍しています。
カングラフォートから西南に延びる国道沿いに位置しています。カングラ フォート 史跡・遺跡
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インパール作戦当時、日本軍の航空機は、陸軍の一式戦闘機が主でした。ビルマにおける航空戦において、英国軍戦闘機を相手に、優位な戦闘を進めていました。
陸軍の戦闘機部隊も、ニューギニアに転用され、インパール作戦が発動された時期には、運用されていた機数は、限定されていました。 -
当時、海軍の戦闘機は、零式の戦闘機(零戦)が主体でした。
陸軍の一式戦闘機のエンジン等は、海軍の零戦と同じでした。
運動性や航続距離等の性能は、英国空軍の戦闘機を凌駕していました。
靖国神社には、零戦が復元され、展示されています。靖国神社 寺・神社・教会
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靖国神社の遊就館に展示されている零戦です。
零戦は、海軍仕様の戦闘機ですが、エンジン等主要な構成品は、陸軍の一式戦闘機と同じだそうです。
従って、優れた運動性能や長い航続距離は、同じだとのことです。靖国神社遊就館 美術館・博物館
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靖国神社の遊就館の零戦です。
インパール作戦等においては、陸軍の一式戦闘機が活躍しました・ -
インドにおける英国空軍の航空戦力は、とても大きく、航空輸送力だけでも、日本軍を大きく凌駕していました。
英国空軍のインドにおける航空輸送実績の概要です。
インパール作戦間の航空輸送量は、日量平均250トンにも及んでいました。 -
強力な英国空軍に対して、保有機数に劣る日本軍は、次第に損耗し、保有機数を減らしていきました。
ランチェスターの2次則にあてはめ、解析しますと、損耗していく推移が示され、実態が浮かび上がります。
いくら技量の高い搭乗員と優れた航空機を有していても、数数が劣勢だと、損耗してしまうという現実を示しています。
これらの実態は、第2次アキャブ(現在のシットウェ)作戦からインパール作戦まで続きます。シットウェ空港 (AKY) 空港
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英国空軍の戦力を発揮するには、飛行場が不可欠です。
インパール盆地には、6ケ所の飛行場がありました。
写真は、インパール作戦の紹介資料を示しています。 -
資料の地図を拡大しますと、6ケ所の飛行場は、いずれも、インパール周辺に点在しています。
インパールメイン飛行場としてのコイレンゲイ飛行場、カングラ飛行場、トリハイ飛行場、ワンジン飛行場、サパン飛行場、カクチン飛行場です。 -
地図右上に、四角形のカングラフォートがあります。
カングラフォートから直線的に国道が延びていて、その先に、インパール国際空港があります。 -
インパール作戦当時、コイレンゲイ飛行場(Koirengei Airfield)は、インパールの主要な空港でした。
コヒマやティマプールに向かう国道に沿って、空港が設置されていました。
国道は、コヒマの戦没者墓地に通じています。コヒマ戦没者墓地 観光名所
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コイレンゲイ飛行場(Koirengei Airfield:インパール・メイン飛行場)は、インパール作戦当時の英国空軍の主要な空港でした。
写真は、国道を北進する際の飛行場周辺の様子です。
(右側が滑走路跡です。) -
インパール作戦当時、コイレンゲイ飛行場(Koirengei Airfield)は、インパール周辺の最も広大かつ主要な空港で、全天候型の飛行場でした。
広大な飛行場は、国道に連接していました。
航空機による輸送と陸上からの搭載物資の輸送が連接して、実行できるような計画でした。(ナガランド州のコヒマにも連接していました。)ナガランド州立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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インパールにおける最大であったコイレンゲイ飛行場の跡です。
インパールメイン飛行場とも呼ばれいてました。
国道に連接し、広大な敷地面積を有していました。 -
現在のインパール空港の東側にあるサパン(Sapan)の飛行場跡です。
ワンジン(wangjing)の飛行場跡の西側にある飛行場跡です。 -
カクチン(Kakching)飛行場跡です。
滑走路が短く、かつ山岳地帯が近かったため、主として昼間等に使用していました。 -
インパール国際空港の管制塔です。
インパール周辺地域は、全般的に標高が高いですが、管制塔周辺は、2,544フィートあるとの表示です。 -
インパール国際空港に駐機中のインド空軍の輸送機です。
インド空軍のC-17型輸送機でしょう。 -
インパール空港に駐機中の空軍機です。
名称や形式等については、判りません。 -
日本軍のインパール作戦に対する鉄道輸送の実態です。
泰緬鉄道を経由して、インパール及びコヒマに対する鉄道輸送は、最大時で日量500トンの計画でした。(ミートキーナへの輸送計画)
しかしながら、英国空軍の空襲により、殆どが焼滅したとのことです。
ヤンゴンへの輸送は、日量400トンの計画でした。ミッチーナ空港 (MYT) 空港
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英国空軍の平均日量250トンの航空輸送に比して、日本軍の第31師団への15トンの補給実態です。
コヒマを離脱した第31師団への第15軍の補給は、フミネ(Humine)における開戦4ケ月後の15トンの1回のみでした。(15トンとは、師団の2日分のみ) -
英国空軍が使用した輸送機の内部です。
搭載可能の資器材、人員等は、赤字で示してあります。
(筆者は、1970年、ラオスで同型機に、搭乗した経験があります。) -
インパール作戦当時の英国空軍の主力航空機です。
機体は、米国空軍籍でしたが、英国が米国から期限を区切り、借用したものです。
英国軍のマウントバッテン大将自ら、借用に関する調整に奔走したと伝えられています。 -
インパール国際空港の現在の滑走路です。
山岳地帯の飛行場ですので、雲高が低い際等の状況においては、特に、気にかかる飛行場です。 -
インパール国際空港の滑走路です。
2000m~3000の視程が得られています。
標高の高い山岳地帯の空港では、天候の急変に気をつけねばなりません。 -
インパール空港の滑走路と雲高の様子です。
雲高が低いので、当時の有視界飛行の難しさを感じています。 -
インパール・メイン飛行場と呼ばれていたコイレンゲイ飛行場の跡地です。
陸上輸送と航空輸送の連接を円滑にするため、補給品物資の搬入・集積そして、周辺部隊のニーズに対応する迅速な積載が、重要とされていました。
補給物資の種類ごとに飛行場を指定するとともに、物資の分類が進められたとのことです。 -
国道沿いに、インパール・メイン飛行場(コイレンゲイ飛行場(Koirengei Airfield))跡地が続いています。
インパール作戦当時は、航空機がひっきりなしに飛んでいたそうです。 -
国道から見た、インパール・メイン飛行場(コイレンゲイ飛行場(Koirengei Airfield))です。
有刺鉄線の支柱が残っています。 -
国道沿いに兵舎や補給用倉庫が残っています。
兵舎や補給倉庫は、遠くに見える山岳地まで続いていたそうです。
国道は、コヒマの大聖堂教会まで延びています。 -
滑走路地区に入っていく通路と入口です。
案内標識が立てられています。 -
有刺鉄線と支柱が、国道沿いに設置されています。
広大な滑走路地区です。 -
ところどころ有刺鉄線と支柱が倒れています。
強い横風の影響を受けたものと推察されます。 -
迷彩塗装が施された建物です。
日本軍の航空機攻撃が実施されていた関係で、防衛策です。 -
有刺鉄線の形式が異なっていますが、広大な滑走路地区です。
滑走路に沿って取付道路が延びています。 -
有刺鉄線と支柱が曲がっています。
インパール作戦の後、82年が過ぎています。
年月の経過は、否めない現実です。 -
インパール・メイン飛行場(コイレンゲイ飛行場(Koirengei Airfield))の跡です。
植物が繁茂しています。
自然の力の前に、歴史が埋没しそうです。 -
標高の高いインパールにおける、雲が低い際の滑走路の様子です。
有視界飛行が常態であったことを考えると、操縦手に与える心理的影響は、大きかったと思われます。 -
コヒマにおける霧の発生です。
山岳地帯ですので、天候が急変します。
あっという間に、濃霧があたり一帯に広がり、見えていたコヒマ大聖堂協会が見えなくなり、濃霧が視界を制限してしまいます。
有視界飛行を主とする当時の航空機運用には、大きな阻害事項です。コヒマ大聖堂教会 寺院・教会
-
グアハティー空港の様子です。
プラマプトラ川の湿気とヒマラヤ山脈の冷気がぶつかり合い、天候が不安定となりがちです。
写真のように雲高が低いことも、たびたびおこります。 -
有視界飛行の場合、雨天も心配ですが、また風も気になるとのことですが、一番の要因は、視程だそうです。
雲高が低いと、視程が制限され、搭乗員の心理的圧迫感が増すと聞かされました。
難しい判断を要求される場合が多いようです。 -
コルカタの飛行場です。現在は、レーダーやGPSが発達しているため、計器飛行が可能となり、多少の悪天候でも航空機の運航に影響することは、少なくなったと聞いています。
80年前の搭乗員が聞いたならば、何と思うでしょうか。 -
コルカタ空港とインディゴ航空の航空機です。
インディゴ航空は、インドのLLCですが、定時運航性が高く評価され、急成長しているそうです。 -
同じくコルカタ空港におけるエアーインデア機です。
もともとは、インドの国営航空会社でしたが、民営化されたそうです。
2025年6月に、インド西部で話題になりました。
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