2025/01/02 - 2025/01/02
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kasekunさん
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コンスタンティーヌに夜中到着。体調は薬のお陰で以前よりはよくなってきたけど、体調不良は続く、、、。この日は世界遺産ティムカッドを訪れた。
1月2日の旅程は、、、
「空港へ 夜 空港送迎
空路 アルジェ経由コンスタンティンヌへ 国内線
7:00 コンスタンティンヌ 着 専用車 到着後、ティムガッドへ 昼食なし ;夕食なし 専用車
世界遺産ティムガッド遺跡観光 観光ガイド
その後、コンスタンティンヌへ戻ります。」
、、、予定ではこの日の宿泊は機内泊?のようになってるけど、アルジェなんか経由しなかったし、コンスタンティーヌには深夜1時頃に到着した。便の変更があったもよう、、、。
写真見返したら、あリャリャ、、、。この日の体調もよくなかったみたい、、、。
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深夜発のコンスタンティーヌ行き。深夜1時頃、空港に降りたったら、迎えのガイドさんがいるはずなのに、いなかった!外で待ってるのか?と、空港外へ出てみたものの、外は真っ暗、誰もいない!
え、具合悪いのに今夜は空港泊?元気なら何とも思わないだろうけど、今夜ばかりは、、、。
慌てて空港へ戻り、旅行社からのスケジュール表取り出し、書かれてたドライバーさんへ電話をかけてみた!
日本人です!今、コンスタンティーヌの空港に着きました!
、、、すると、電話からの声ではなく、こちらの方に向かってくる人影が、、、。よかった!出迎えに少々遅れただけだった。(急遽、アルジェ経由コンスタンティーヌ行きがコンスタンティーヌ直行にスケジュール変更されたもよう、、、スケジュールでは今夜は空港、機内泊だったけど、、、ホテルに着いてすぐ寝られると思ってたのに、ホテルチェックインに時間がかかったのはこのせいかも?)
そんなこんなで、十分休養できず、、旅程通り朝8時、世界遺産ティムカッド向け、出発したのでした。(なんか食わんといけんと思い、ホテルの朝飯だけは無理して食べた) -
お天気はあんまりよくないけど、、到着してすぐ、目の前に広がる巨大遺跡には驚き!!
けっこうローマ遺跡はあちこちで見てきましたが、見てきた中で過去最大のローマ遺跡でした。シリアのパルミラ遺跡の10倍の広さはあるでしょうか?あそこで初めて列柱を見たわけですが、それと比べても迫力満点です! -
ちなみに世界遺産ティムガッドをウィキで調べたら、、、
「ティムガッド は、西暦100年頃にトラヤヌス帝によって建設された古代ローマの植民都市である。古代ローマ時代にはタムガス と呼ばれていた。ティムガッドの遺跡は、古代ローマの都市計画に碁盤目状の区画が導入された例を伝える、現存する最良の遺跡の一つである。長い間砂に埋もれていたことから保存状態がよく、「アフリカのポンペイ」の異名をとる。」
、、、アフリカのポンペイ、、、この後、イタリアに行ってポンペイ訪れるわけですが、まさにその通りでした。お陰で、ポンペイではお腹いっぱい状態、、、感動が薄れちゃいました、、、。 -
しばし遺跡の写真を、、、。
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当時の文字もそのまま残ってる、、、。
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ウィキの解説より、、、
「遺跡は、現アルジェリアのバトナ から35kmのところにある。この町は元々、オーレス山地近隣における対ベルベル人の要塞とすることを主目的に、何もないところに建市された軍事植民地であった。最初にそこに居住したのは、古代ローマ軍での数年の軍役を終え、その見返りに土地を給付されたパルティア人が大半であった。
6つの道の交差点に位置したこの町には壁が張り巡らされていたが、城塞都市といえるものではなかった。本来は収容人員15000人を想定して設計された都市であったが、すぐに予定をオーバーし、碁盤目状の区画の外側に、より柔軟な区画設計で拡大していった。
本来のローマの碁盤目状の区画は、部分的に復元されたコリント式の円柱が並んでいる東西方向のデクマヌス・マクシムス通りと南北方向のカルド・マクシムス通りによって線引きされている直行的デザインのうちに、大々的に見出すことが出来る。カルドは町を完全に貫くものではなく、デクマヌスとの交差点にあたるフォルムで止まっている。
デクマヌスの西端には、高さ12mの凱旋門「トラヤヌスの門」がそびえている。この門は、1900年に部分的に修復されている。門は主に砂岩で出来ており、3つのアーチを持つコリント様式に属している。この凱旋門は「ティムガッドの門」としても知られている。トラヤヌス帝は多くの「トラヤヌス門」を作ったので、この「ティムガッドの門」はそれらのひとつに過ぎない。」
んー、一応、史学専攻だけどこれは西洋史専攻じゃないと専門用語で頭が混乱しちゃいますね。 -
たぶんこの道がカルド・マクシムス通り。いや、デクマヌス・マクシムス通りかも?何せ方向音痴なもので、、、。
※「カルド・マクシムス」は、古代ローマの都市の中心部を南北に貫く基幹道路のことを指す。
※「デクマヌス・マクシムスは、古代ローマの都市の中心部を東西に貫く基幹道路のことを指す。
学術的なローマ帝国に関わるラテン語の専門用語がたくさんあるんですね。素人にはわからん! -
ここがフォルム(広場)かな?
※「フォルムとは、古代ローマ都市の公共広場のことである。「フォーラム」ともいう。
通常は、ここに噴水や水場をつくって水が引かれ、人々はそこに集まり交流した。」ウィキより
そうでしたか!何気に使ってる「フォーラム(広場)」という言葉。このラテン語が語源だったんですね、 -
こっちがデクマヌス・マクシムス通りか?んー、どっちでもいいや!
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あれは神殿かな?
ウィキ「ティムガッド」より、、、
「また、ローマのパンテオンに匹敵する規模の、ユピテルに捧げられた神殿も存在し、そのそばには7世紀に遡る円い後陣を持つ四角い教会堂がある。より後の時代にはなるが、都市の南東部には、東ローマ帝国によって建造されたシタデル(城塞)も存在する。
都市は建造された後の数百年間は平和を謳歌し、3世紀に始まったキリスト教活動の中心の一つとなった。4世紀には異端派ドナトゥス派の拠点となった。
5世紀には、ヴァンダルの侵略を受け、都市は没落した。535年には東ローマの将軍ソロモン(Solomon)が占拠し、改めて都市を建造した。この結果、主要なキリスト教都市として再び人々が住まうようになったが、7世紀にはベルベル人の侵攻を受け、打ち棄てられた。以降、1881年に発掘されるまで、ティムガッドは歴史の表舞台から姿を消すこととなる。」 -
ほら、広大ですよね。そうそう今日のガイドさんは大学の講師をやってるんだそうです。解説もすんごく詳しい。(そんなに詳しく説明しなくてもいいんだけど、、、) 背の高い真面目そうな誠実な方でした。きっとエリートなんでしょうね。
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ここは、、言わずと知れたアンフィテアトルム!
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綺麗に残ってます!
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どこのローマ遺跡にも必ずある円形劇場。ローマ時代の人々の大切な娯楽だったんでしょうね。
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地元の観光客もたくさん来ております。
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ホントに広大な遺跡です。なぜここが見捨てられたのか、、、謎ですね。
日本にも見捨てられた遺構がありますよね。それは奈良時代に転々と移り変わっていった都。平城京が代表かな。710年長安を真似た都、平城京が作られるわけですが、聖武天皇はその後転々と都を移転して行くわけです。
●天平12年(740年)、平城京から恭仁京へ遷都。
●天平15年(743年)、恭仁京から紫香楽宮へ遷都。
●天平17年(745年)、紫香楽宮から平城京へ還都。
●延暦3年(784年)、平城京から長岡京へ遷都。
そして●794年、平安京へ、、、。
せっかく造った都を捨て去り、別の地へ。平城京はその後、84年間で捨て去られたわけです。
度重なる災いを避けるため聖武天皇は遷都を繰り返したとのことですが、たしかに平安京に遷都した桓武天皇は天智天皇系。天武天皇系の祟り、災いを払拭しようと奈良から京都へ遷都したのかもしれません。そう考えると、このティムガッドの町も、ローマの災い(繁栄した西ローマ帝国も滅亡)や、再建しても再建しても異民族に侵略されてしまう災いから逃れるため見捨てられたのかも?
「ロムルス・アウグストゥルスは、父フラウィウス・オレステスによって475年10月31日に西ローマ皇帝として擁立された。しかし、それから一年も経たない476年9月4日にゲルマン人の将軍オドアケルによって退位に追い込まれた。ロムルス・アウグストゥルスを廃したオドアケルは、西ローマ皇帝位を東ローマ皇帝ゼノンに返上してローマ帝国のイタリア領主に任命され、全ローマ帝国唯一の皇帝となったゼノンの代理としてイタリアを統治した。 通俗的に、この出来事をもって西ローマ帝国の「滅亡」とみなされている。、、、」ウィキ「ロムルス・アウグストゥルス」より、、、 -
まあ、見捨てられたお陰で、これ程のローマ遺跡が現在にも見られるわけですので、それはそれはいいことだったのでしょうが、、、。
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ウィキ「ティムガッド」より、、、
「発見されたとき、都市遺跡の周辺は海抜1000mの肥沃な農業地帯となっていたが、ティムガッドの遺跡地帯はサハラに侵食されていた。しかし、この侵食によって人が寄り付かなくなっており、結果として、砂に埋もれた遺跡群は新たな都市化の波を被ることがなく、良好な保存状態を保つこととなったのである。」
s旅行社のレポートには、、、
「この遺跡はローマが最も拡大した紀元前1世紀、トラヤヌス帝の時に作られ、リビア出身のセプティミウス・セウェルス帝の頃に繁栄した都市でした。退役軍人の植民都市として拡大しましたが、8世紀ごろに起きた地震が原因で泥に埋もれています。長らく忘れ去られていた後、偶然にイギリス人の探検家がこの場所を見つけ、フランス植民地時代に本格的な発掘・復元が進められました。当初は遺跡のほとんどが4m程の高さまで埋もれていたそうで、それを発掘したとはなんとも気が遠くなる話です。」
地震が原因、、、まあ、これも天変地異の災いですね。いずれにしても、人々に見捨てられ、そしてサハラ砂漠に飲み込まれ、たぶんこの写真にある柱(4m)まで埋もれていたの町を偶然にも発見されたのがティムガッドのようです。 -
よくぞ掘り起こしたものです!
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話変わって、、、
ここが今もって謎の場所なのです。背の高いガイドさんが、遺跡のホントに端っこの方にあった所に連れてってくれました。でも、鍵がかかってて入れず。説明してくれたもののこれがいったい何なのかよくわからず。「写真撮りますか?」と聞かれ、「はい」とは答えたものの、、、いったい何でしょう?ウィキに書いてるかなと思ってたけど、わからず仕舞い。
因みにこの写真に写ってるもの、自分、肉眼では確認してません。背の高いガイドさんが、高い所にある隙間からスマホかざして撮影したものです。 -
誰かのお墓なのでしょうか?
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来ました!高さ12mの凱旋門「トラヤヌスの門」ですね。写真に納まらん!
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これ、いい感じです!こんな保存状態のいいローマ遺跡は初めて!2000年前に建造されたものが、ここまで綺麗な状態で残ってるなんて驚きです!(1900年に部分修復されたようです)
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最後にここにある博物館訪れたのですが、、、たしかスマホのデータ満杯で写真は断念。たくさん保存状態のよいモザイク見てきました。
※お昼は、、体調よくなく、食欲もなく、、。 -
帰ってからはそっこうでホテルで休んで、、、その後コンスタンティーヌの町へ、、、。今日は夕食は自分でとのことで、ドライバーさんにユーロとアルジェリアディナールを少々両替してもらいました。地元の飯屋さん探しへ町ブラ、、、。何か食べんと、、、。
※1つ思い出しました。このイビスホテル前でおっちゃんに声かけられました。チェンジマネー!100ユーロは20000アルジェリアディナールとのこと。公式レートでは14100アルジェリアディナール。闇両替やっぱりありました。でももう使うこともあまりないので、、、。 -
で、発見!ここがアルジェリア庶民が食べてる食堂。豆のスープにパンを浸けて食べているお兄さんの隣に座り、何が食べられるのか周囲をちょっと観察してると、、、
「ほら、このパンあげるから食べろ!食べろ!」という感じのお兄さん。(もしかしてよっぽどやつれてたかも、、)
で、店のお兄さんに指差し注文。豆のスープにフランスパン、それから向かえの方が食べてた焼き鳥3本! -
食べかけですみません。ついつい写真撮るの忘れてしまうんで、、あ、と思い出していつも撮っちゃうんで、、、。
たしか料金350円程、、、。アルジェリア、VISAさえ簡単に取れれば、旅人に優しい国なのに、、、。
※この時は病で味覚もおかしくなってまして、何を食べてもおいしいとは感じられなくなっちゃってました。
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この日は巨大なローマ遺跡を堪能できました。(初!)
アルジェリア、、、海あり、オアシスあり、ローマ遺跡あり、、、なかなかの国です、、、。自由に旅行できればもっといいんですけど、、、。
※次回訪問する機会があればジェミラ遺跡も見たいものです!
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この旅行記へのコメント (2)
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- kasekunさん 2025/02/20 17:52:25
- なるほど!
- そういわれてみると、、、コンスタンティーヌからそんなに離れていない場所に2つも大きなローマ遺跡があるのは、、、。たしかに、ティムガッドにジェミラ、、、なぜここに?と考えれば納得です!2つの都市、水の豊富なコンスタンティーヌ周辺を外敵から守るために造られたと考えれば、いいのかもしれません。
メスティア旅行社からの最初の提案は、ジェミラ遺跡観光でした。それをティムガッドの方に変えてもらったんです。世界遺産を1つだけにせず、2つにしておけばまた新たな気付きもあったかもしれません。そして2つにしておけば、日曜日チュニジアへ出発となって、チュニスまで国際列車で行けたかもしれません。失敗、、、。
まあ、失敗してリベンジしようと考えるのが楽しいので、okです。アルジェリア、1回だけでいいかな?と思ってましたが、帰国してみると、もう一度行きたくなってる自分です。何か不思議な魅力があるようです。
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- エフサさん 2025/02/20 09:04:21
- ローマの遺跡
- 正に名は体を表すで、コンスタンティーヌには大規模なローマの遺跡が残っているんですね。
映画の「モロッコ」や「外人部隊」の影響なのか、自分の中ではアルジェから内陸に入ると即、砂漠というイメージだったのですが、コンスタンティーヌには清流があり緑がいっぱい。びっくりしました。
それで衛星写真を見てみたら、モロッコだけだと思っていたアトラス山脈がチュニジアまで延びている。
あぁ、この山脈が砂漠と地中海側の緑の境目になっているんだな、と理解できました。
だからローマの遺跡があるんですね。
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