2025/01/07 - 2025/01/08
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kasekunさん
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ジェノバからマルタへのフェリーが出るシチリア島ポッツァロへ、、、。イタリア縦断の列車旅。
本当ならいっぱい世界遺産を寄り道したい所だが、日程的にも資金もそんなにない(アルジェリア旅行は高額なんで!)。なので、イタリアは2ヶ所に絞る。世界遺産●ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域と●シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡。
先ずは、絶対見ておきたいポンペイ遺跡!、、、でも、アルジェリアでお腹いっぱいとなってしまった、、、。
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セボルガ公国編からの続き、、、。
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運良く、ボルディゲラからの列車にタイミングバッチリで乗車!しかも、予約していたローマ行の列車が出発するジェノバブリニョーレ駅行!ラッキー!
(ジェノバ駅はいくつもあるんです。フェリーが到着したすぐ近くの駅はジェノバピアッツァプリンシペ駅、、、。)
※チケットは当日購入。券売機でチケット買おうとしたらクレジットカードが使えない状態になってた。セキュリティが厳しいのは安心だが、使えないカードには困ってしまう。旅行前になかなか繋がらないカード会社に電話したのに!
困って通りすがりの人に助けを求めたら、隣の券売機はキャッシュも受け付けてた。ちょっと恥ずかしかった。 -
この列車です!
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ここがジェノバブリニョーレ駅!
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まだ出発まで時間があるので観光!とも思ったんですが、飯だけ食って行くことにします!
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マップスミー頼りにいいレストラン行ってみるものの、まだ開店前。で、美味しそうなローカル飯食える所はないかな?と探してたら発見!
ここ、パスタの専門店みたい! -
メニューわからず、専門店でどうやって頼んだらいいのかもわからず、近くの人が食べてた美味しそうなパスタを指差し注文!飲み物はアグアで!
これ、うまかった!やっぱりイタ飯はいい!(自分の中では、1位日本食!2位南アジアのカレー!3位イタリア飯!)
食後はちょっとだけ町中ブラブラして、、、 -
、、、日本で予約していたローマ行に乗車!(早めに予約しておくと安いので!)
ジェノバブリニョーレ駅発17時12分
ローマテルミニ駅着22時18分着の
FrecciaBianca8623のスーパーエコノミー2等。
運賃19.90ユーロ。破格のお値段!海岸線を走るこの列車、景色は全く見えないけど、長距離なのに超お得!イタリアの列車は早めの予約がいいようです! -
この列車です!
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で、ローマテルミニ駅に到着!懐かしい!
イタリア訪問は5回目。ローマはこれで3度目の訪問。
1度目はスイスのベルニナ急行に乗ってイタリアティラーノへ。そこからトレンタニアの落書き列車でミラノ→コモ、そしてスイスへ戻った。
2度目は旧ユーゴ諸国周遊の旅のスタート。ローマからアンコナまで列車で行き、フェリーでギリシャコルフ島へ、、、。そしてアルバニア、北マケドニア、コソボ、セルビア、モンテネグロ、(ドブロブニク)、ボスニアヘルツェゴビナ、クロアチアと旧ユーゴ諸国を列車でぐるっと回って、スロベニアのノヴァ・ゴリツァからてくてく国境越えしゴリツィアへ。ヴェネチアを見て、列車でローマへ。(バチカン市国はこの時訪問)。
3度目は東欧縦断の旅のスタート。ローマではバチカン博物館やマルタ騎士団関係の建物を訪れ、そこからサンマリノ共和国を訪れるため列車でリミニ往復。で、リトワニアに飛んでそこから列車でベラルーシ、ウクライナ、モルドバ、ルーマニア、ブルガリアの東欧諸国縦断し、ギリシャアテネから格安航空でローマへ、、、そのまま帰国した。
4度目はベルリンからモナコへ行くため、スイスを通ってイタリア経由。ジェノバはこの時通った。
、、、クチコミ投稿でも書きましたが、22時10分到着予定が、実際はローマ22時40分着。いかに日本の列車が時刻に正確かがわかります。これはヨーロッパの方々、新幹線なんか絶対驚くわけです。フランスでもイタリアでもアバウト時刻なわけで、日本人の几帳面さがわかりますね。これでローマまでも到達しました。 -
早速、駅前にあるお店で夕食!ローマで晩飯食うため我慢してきました。もちろん頼んだのはカルボナーラ!予想に反せず、いつものカルボナーラ、たっぷりチーズ振りかけて美味しく頂きました!
(カルボナーラを考えた人、天才だ!) -
で、てくてく今夜の宿のホテルアリストテレスへ。
※ジェノバ駅のフリーWi-FiでBooking.com予約したホテルアリストテレスの個室。5000円+市税5ユーロ。直前予約って意外にいいかも。ホステルのベッドはとれないけど、案外個室がそれほど高くない。
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1月8日。そうそう、この日は失敗!
自分の投稿したクチコミ見たら、、、
「10時頃、ローマからイタロの特急でナポリへ。1時間程で到着。でも料金は7500円程。まあ、特急で行くのも悪くなし。ナポリ中央駅で、沿岸線を走る別の会社の列車に乗車。案内表示を見て、探せばありますね。3.3ユーロで、ポンペイ駅へ。ということで、無事世界遺産観光できました。(今回は奮発してガイド付きツアーに参加してみた。なんたってとにかく広いので。イタリア語と英語の混じったツアー、、理解するのに疲れてしまった。(44ユーロ)」
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そうなのです。朝早くからナポリへ向かってれば余裕で観光できたのに、何でかローマのホテルでダラダラ、、、。疲れてたのかな? -
テルミニ駅の券売機で当日チケットを買ったわけですが、安いのは満席!空いてたのがこのITALOだったわけです。ネットで料金事前に見てたら3000円くらいだったので安心してたのですが、当日券は倍のお値段!
教訓、ヨーロッパ旅行は事前予約必須です!行き当たりばったり旅はお金をセーブできません!わかっちやいるけど、、、。 -
痛い出費でしたが、このカッチョいい列車に乗れました、、、。
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ナポリ駅でポンペイ行の列車を探す、、、。私鉄ヴェスヴィオ周遊鉄道はどこだ?
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ちょっと初めは迷ったけど、案内方向に従っていけばここにたどり着く、、、。
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ここは、、、。Napoli Piazza Garibaldi駅。
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さあ行きましょう!世界遺産ポンペイへ!
※乗客たくさんいるけど、なんとか座れました!片道3.3ユーロ! -
Pompei Scavi - Villa dei Misteri駅に到着!目の前にはポンペイ遺跡!たぶん世界遺産の中でも知名度抜群の超有名な世界遺産!
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朝から来てれば自分でゆっくり回ってたと思いますが、今回は現地のガイド付きツアーに参加!遺跡は広いもんで、、、。
※44ユーロ(入場料込み)!ツアー客が集まるまで少々別室にて待機、、、。 -
珍しく日本語の解説板発見!今は日本語解説珍しい時代となっちゃいました。昔はどこの国でもあったと記憶してるんですが、、、今は中国語はあっても日本語はない、、、。
※あとで購入する解説本にも日本語バージョンあったのでお買い上げ! -
さて超有名なポンペイ遺跡ですから、解説はなし、、、。(ホントは英語、イタリア語の混じったガイドさんのお話、半分くらいしか理解できなかったので、、。日本語オーディオセットにすれば良かったかも!)
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一応、自分の学習のために少しだけ、、、
ポンペイの歴史、、ウィキより。
「紀元前6世紀に建設されたとされるポンペイは、紀元前80年以降ローマの傘下に入った。当時のポンペイは海に面した港町で、ローマの文化が多く流入する中で発展していた。港は地中海貿易の拠点として栄え、長らく噴火のなかったヴェスヴィオ山の斜面ではブドウなどの栽培が営まれていた。ポンペイでは羊毛加工と並び、ワインの醸造が主要な経済活動のひとつとなっていたのである。」 -
「しかし、1世紀には地震が頻発するようになり、西暦62年2月に、その中でも特に規模の大きい地震が一帯を襲い、ポンペイのみならず、近隣の高級保養地ヘルクラネウムなどにも大きな被害をもたらした。現代では、これらの地震はヴェスヴィオ山の活動と関連があったと見なされているが、当時の人々は62年の大地震によって災害のピークは過ぎたと誤認していたという。そして震災からの復興の途上にあった西暦79年8月24日にヴェスヴィオ山は大噴火した。この噴火は13時頃に始まり、水蒸気爆発のあと、大量の軽石が噴出し、周囲に堆積していった。軽石の堆積は1時間当たりにおよそ15cmのペースであったとされ、同じ日の18時には屋根に堆積した軽石によって潰される家屋が出はじめたという。この間、断続的に火砕流が起きたと考えられているが、その最大規模のものは翌朝7時に発生し、周辺の町を住民もろとも飲み込んだ。大プリニウスも近隣の町スタビアエでその火砕流に遭遇し、命を落とした。噴火はその火砕流の少し後、8時頃まで実に約19時間持続していたという。ヴェスヴィオ山麓一帯の街は土の中に埋もれ、次第に忘れ去られていった。時折地表に顔を出す堀や瓦礫が発見されることもあったが興味関心を惹かれることもなく近代まで1500年以上が経過することとなる。」
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「ポンペイも周辺の遺跡も埋もれたままになっていたが、16世紀には建築家ドメニコ・フォンターナが水路建設の途中で建物の一部を発見した。しかし、このときはまだ遺跡の全体像は認識されていなかった。転機となったのは18世紀にヘルクラネウムの遺跡が発見されたことである。一帯は古来より「チヴィタ(町)」と呼称されており、地下深くに都市が埋まっていることが伝えられていたが、それが現実のものとして俄かに注目を集めることとなった。これを契機に1748年からブルボン家のカルロが主導する形でポンペイの発掘調査も始められた。堆積物が軽石などで構成されているポンペイの発掘調査は比較的容易であり、大きな成果が期待された。1760年に建築家のフランチェスコ・ラ・ヴェーガが発掘作業の指揮を執るようになると、より本格的な発掘調査が行われるようになり、町の南部で大小の劇場だけでなく、エジプトの神イシスを祀る神殿も発見された。この頃の発掘はトンネル採掘の形態で貴金属などの価値のある出土品の回収をメインとしており、家屋や絵画などはその場で破壊・破棄され、価値の低い青銅器などは鋳潰されて他のものに流用されていた。その後、遺跡の歴史的価値が見いだされるようになると発掘方法も慎重に土を除去して埋没した建造物を露出させていく方法へと変化していった。」
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「19世紀に入ると、まず1812年から13年の調査でフォルムなどが発見され、1830年には「アレクサンドロス大王とダレイオス3世の戦い」をはじめとするモザイクで飾られた「ファウノの家」などが出土した。イタリア統一運動によってイタリア王国が誕生する頃にはポンペイ遺跡の重要性がさらに認識されるようになり、組織的で大規模な発掘調査が推進されるようになる。そして、1863年に考古学者ジュゼッペ・フィオレッリが発掘指揮者に就任すると、火山灰土中の空洞に石膏を流し込むという手法で、火砕流に巻き込まれた後、遺体が分解した人々の最期の姿を復元する手法を導入したほか、遺跡を区域とブロックに分割して個々の建造物に識別番号を付与することで研究の方向付けを容易にするアイデアが考案され、このルールで割り当てられた識別番号が現代でも用いられている。フィオレッリは家屋の倒壊防止を目的として屋根から土を取り除く方法を用いて発掘作業を行うよう指示し、現場の建造物の修復保存を優先させ、都市全体を明らかにする方向に舵を切った。発掘された建造物は所有者の情報が明らかでないこともままあり、発掘品の特徴や近辺の状況などから名前が付けられるようになった。1875年まで指揮を執ったフィオレッリは、発掘手法の進歩にも貢献し、彼が退いた後も、次々に重要な建造物は発見された。すでに全体の8割が発掘されているといわれるが、残りの2割の発掘はあまりなされていない。これは新しい発掘よりも、既存の出土品・遺跡を後の時代へと伝えていくことの方が重視されるようになっているためである。」
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西暦79年8月24日、、、今から約2000年前にタイムスリップ!
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こんな像があったんで、最初、当時の物かと思って写真に撮ってたんですが、どうやら違うみたい。
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こんな像、ない方がいいと思うけど、、、。誤解してしまう、、、。
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ヘッドフォン付け、ガイドさんの話を聴きながら回ってます!
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これは、、、もしかして、、、
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人々の大事な娯楽施設、、、
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あ、これは!
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妖しい絵画ですね、、、
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古代ローマ人もピッツァ食ってたのかなあ?
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そうそう、これ、、、。何かの本でこの写真見た時、亡くなった人が石になったんだ、、、と思ってしまいました。でも違いました。
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「噴火時に発生した火砕流の速度は100km/h以上で、市民は到底逃げることはできず、一瞬のうちに全員が生き埋めになった。発掘された際には遺体部分だけが腐敗消失し、火山灰の中に空洞ができていた。1863年に発掘総監督に就任したジュゼッペ・フィオレッリは、the Alley of the Skeletons(骸骨の路地)と呼ばれる場所で死体の周りが空洞になっていることを見つけ、石膏を流し込む手法を発明し。逃げまどう市民の最期の瞬間を再現した。顔までは再現できなかったが、母親が子供を覆い隠して襲い来る火砕流から子供だけでも守ろうとした様子、飼われていた犬がもだえ苦しむ様子が生々しく再現された。この石膏像の制作によって遺骨が損傷したため、ポンペイ市民の法医学的な調査は長らく滞っていたが、オプロンティス荘近くの商館と思われる建物の地下室から老若男女身分がバラバラ(居場所は身分別にある程度グループを作って固まっていた)な54体の遺骨が発見された。彼らは火砕流からは難を逃れたが、火山性ガスによる窒息で死亡して火山灰に埋もれていた。」
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空洞化された痕に石膏を流し込んで再現したもの、、、。
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ここ広場に戻ってガイドツアーは終了!あとは好き勝手にまた散策しました。
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これにて世界遺産ポンペイ遺跡観光終了!
帰りに日本語ガイド本、お買い上げ!
※帰国してから調べたら、大事な見所見落としてた、、、娼婦の館、秘儀荘(別料金とられるようだけど)、、事前学習しておけば良かった、、、 -
お腹減ったので、ポンペイ駅の近くにあったレストランにて夕食!定番スパゲッティトマト味、、、
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Pompei Scavi - Villa dei Misteri駅!
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ポンペイ遺跡、すごい遺跡なんですが、アルジェリアのローマ遺跡(アフリカのポンペイ)いっぱい見てきたので、、ちょっとお腹いっぱいになっちゃいました。
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帰りは満席!久しぶりに立ち乗り列車となりました。
そうそう、今夜の宿はホステル マンシーニ ネープルズ(Hostel Mancini Naples)。ドミ部屋に泊まりちょっとだけ節約。ベッド2700円程(朝食付き)。
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