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 次はシチリア島シラクーサへ!最終目的地はマルタ共和国。その通り道にある世界遺産の町シラクーサを訪れた。

2024ー2025冬 地中海諸国周遊の旅11 イタリア編②シラクーザ

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2025/01/09 - 2025/01/10

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kasekunさん

 次はシチリア島シラクーサへ!最終目的地はマルタ共和国。その通り道にある世界遺産の町シラクーサを訪れた。

  • 1月9日。<br />ホテルの朝食頂いてナポリ駅へ。<br />この日はシチリア島のシラクーザに向かう。<br />ナポリ発9時50分<br />ヴィラ サン グロヴァンニ着14時10分<br />20分乗船 40分毎に出港<br />フェリー メッシーナ着<br />メッシーナ発15時35分<br />シラクーザ着18時28分 2等37.9ユーロ。日本で予約しておいた。

    1月9日。
    ホテルの朝食頂いてナポリ駅へ。
    この日はシチリア島のシラクーザに向かう。
    ナポリ発9時50分
    ヴィラ サン グロヴァンニ着14時10分
    20分乗船 40分毎に出港
    フェリー メッシーナ着
    メッシーナ発15時35分
    シラクーザ着18時28分 2等37.9ユーロ。日本で予約しておいた。

  • この日の列車は昼間走るので車窓を眺めることができる!

    この日の列車は昼間走るので車窓を眺めることができる!

  • うまく撮れていないが、この辺はオレンジ?レモン?とにかく柑橘系が栽培されている。

    うまく撮れていないが、この辺はオレンジ?レモン?とにかく柑橘系が栽培されている。

  • ほら!

    ほら!

  •  冬のフランス旅行はお勧めしないが、イタリア旅行はお勧めする。<br /> 冬だというのに暖かい、、、

     冬のフランス旅行はお勧めしないが、イタリア旅行はお勧めする。
     冬だというのに暖かい、、、

  • とうとうシチリア島が見えてきました。

    とうとうシチリア島が見えてきました。

  • あれが対岸にあるシチリア島です。日本で言えば、大陸側のイタリア本土が本州島、シチリア島はそこから見える九州島っていう感じでしょうか、、、。<br /><br />※本州島、九州島、四国島、北海道島、日本人には違和感を感じますが、40年前に中国で買った地図にはそう載っていました。

    あれが対岸にあるシチリア島です。日本で言えば、大陸側のイタリア本土が本州島、シチリア島はそこから見える九州島っていう感じでしょうか、、、。

    ※本州島、九州島、四国島、北海道島、日本人には違和感を感じますが、40年前に中国で買った地図にはそう載っていました。

  •  シチリア島、意外に近いです!

     シチリア島、意外に近いです!

  • そろそろ徐行運転、、、ヴィラ サン グロヴァンニに着くのかな?

    そろそろ徐行運転、、、ヴィラ サン グロヴァンニに着くのかな?

  • イタリアの地図を見た時、ここはいったいどうなってるのか、疑問に感じました。鉄道が繋がっているようにも見えるし、いや、青函連絡船のような感じ(本州は青森まで、連絡船に乗って、函館からはまた別な列車)にも見える、、、。

    イタリアの地図を見た時、ここはいったいどうなってるのか、疑問に感じました。鉄道が繋がっているようにも見えるし、いや、青函連絡船のような感じ(本州は青森まで、連絡船に乗って、函館からはまた別な列車)にも見える、、、。

  • チケットには何も書かれておらず、、、ただナポリ発、、、シラクーザ着、、、のみ。これだけだと、青函トンネルのようなものがあるのか?とも思えてしまう。<br /><br />(ただ、チケット購入先のサイトで、経路を確認したので、船に乗ることはわかってはいたが、、、)

    チケットには何も書かれておらず、、、ただナポリ発、、、シラクーザ着、、、のみ。これだけだと、青函トンネルのようなものがあるのか?とも思えてしまう。

    (ただ、チケット購入先のサイトで、経路を確認したので、船に乗ることはわかってはいたが、、、)

  •  周囲の乗客の様子を見る、、、。荷物を持って降りるのか? そうなら、シチリア側で別の列車が待っているはず、、、。

     周囲の乗客の様子を見る、、、。荷物を持って降りるのか? そうなら、シチリア側で別の列車が待っているはず、、、。

  • でも、他の乗客は黙って座っている、、、。

    でも、他の乗客は黙って座っている、、、。

  •  ということで、、、やっと確信!この列車、そのまま直接フェリーに乗り込むスタイルだった。<br /><br /> 25年程前、ドイツからデンマークへ列車でいった時と同じスタイルだった。

     ということで、、、やっと確信!この列車、そのまま直接フェリーに乗り込むスタイルだった。

     25年程前、ドイツからデンマークへ列車でいった時と同じスタイルだった。

  •  今はドイツからデンマークへ行く経路が変わり、ユトラント半島を北上し、そして東に折れるという経路になったという。船への接続回数が減り、時間も大幅に短縮されたという。<br /><br /> 挙動不審だった自分に、向かい側に座っておられたご夫婦が、降りて外に行けるんだよ、、、そんな感じでこちらを見ながら列車を降りていった。勿論ついて行く、、、

     今はドイツからデンマークへ行く経路が変わり、ユトラント半島を北上し、そして東に折れるという経路になったという。船への接続回数が減り、時間も大幅に短縮されたという。

     挙動不審だった自分に、向かい側に座っておられたご夫婦が、降りて外に行けるんだよ、、、そんな感じでこちらを見ながら列車を降りていった。勿論ついて行く、、、

  • ウィキ「渡り鳥コース」より<br /> 「かつてデンマークの首都コペンハーゲンとドイツ北部の主要都市ハンブルクを結んでいた交通幹線(回廊)である。中央ヨーロッパから北極やスカンジナビアへ渡りをおこなう鳥の重要なルートと重なるため名付けられた。、、、<br /> 、、、大ベルト橋が完成してからは、貨物列車はロービュ、プットガルテン間を直接経由しなくなったが160km長い、フュン島やユトランド半島を経由している。これは同様に、コペンハーゲン・ドルトムント・バーゼルを結ぶ夜行列車ユーロナイトもそうである。、、、<br />、、、なお、2019年12月14日をもって渡り鳥コースは運行休止となり、翌15日からはオーデンセ経由の陸上ルートでの運行となった。」<br /><br />→ということで、このフェリー、世界で唯一の鉄道連絡船なのかも?(サハリンのホルムスクと大陸側を結ぶフェリーももしかして鉄道連絡船かも知れないけど?)<br /><br />

    ウィキ「渡り鳥コース」より
     「かつてデンマークの首都コペンハーゲンとドイツ北部の主要都市ハンブルクを結んでいた交通幹線(回廊)である。中央ヨーロッパから北極やスカンジナビアへ渡りをおこなう鳥の重要なルートと重なるため名付けられた。、、、
     、、、大ベルト橋が完成してからは、貨物列車はロービュ、プットガルテン間を直接経由しなくなったが160km長い、フュン島やユトランド半島を経由している。これは同様に、コペンハーゲン・ドルトムント・バーゼルを結ぶ夜行列車ユーロナイトもそうである。、、、
    、、、なお、2019年12月14日をもって渡り鳥コースは運行休止となり、翌15日からはオーデンセ経由の陸上ルートでの運行となった。」

    →ということで、このフェリー、世界で唯一の鉄道連絡船なのかも?(サハリンのホルムスクと大陸側を結ぶフェリーももしかして鉄道連絡船かも知れないけど?)

  •  この旅で2度目のフェリー乗船!

     この旅で2度目のフェリー乗船!

  •  列車はこんな感じで切り離されて船に収容される。<br /> 鉄道好きの自分には大変興味深い光景です!イタリア縦断列車の旅してホントによかったーー!!

     列車はこんな感じで切り離されて船に収容される。
     鉄道好きの自分には大変興味深い光景です!イタリア縦断列車の旅してホントによかったーー!!

  • シチリア島に向けていざ出港!

    シチリア島に向けていざ出港!

  • んー、いいね!はからずも、大好きな島旅しているような錯覚に陥ってしまう!

    んー、いいね!はからずも、大好きな島旅しているような錯覚に陥ってしまう!

  •  船内はこんな感じ!がらがら。<br /><br /> そうそう、昔バイクで本州をツーリングしてたんですが、本州島から眺める九州島を思い出しました。たしか、橋じゃなく100円払って地下トンネルを通って渡った記憶がある。イタリアの技術なら、橋を架けるなり、地下トンネル作るなりすればいいのに、、、不思議ですね。

     船内はこんな感じ!がらがら。

     そうそう、昔バイクで本州をツーリングしてたんですが、本州島から眺める九州島を思い出しました。たしか、橋じゃなく100円払って地下トンネルを通って渡った記憶がある。イタリアの技術なら、橋を架けるなり、地下トンネル作るなりすればいいのに、、、不思議ですね。

  • カフェバーみたいな所も一応ある!

    カフェバーみたいな所も一応ある!

  • あっという間にシチリアの港に到着!

    あっという間にシチリアの港に到着!

  • そして再び列車は合体し、シチリア島上陸!<br /><br />楽しい船旅でした。

    そして再び列車は合体し、シチリア島上陸!

    楽しい船旅でした。

  • 日も暮れ始め、車窓は、、、

    日も暮れ始め、車窓は、、、

  • 列車内!けっこう空いてました。

    列車内!けっこう空いてました。

  • そして、シラクーサに到着!ほぼ定刻!<br /><br />さて今夜の予約してたホテルはどこだっけ?<br />駅の目の前でした。ラッキー!<br />Hotel Como 一泊個室7000円程。朝食付き。<br />早速チェックインし、ウェルカムコーヒー飲んで夕食へ、、、 、

    そして、シラクーサに到着!ほぼ定刻!

    さて今夜の予約してたホテルはどこだっけ?
    駅の目の前でした。ラッキー!
    Hotel Como 一泊個室7000円程。朝食付き。
    早速チェックインし、ウェルカムコーヒー飲んで夕食へ、、、 、

  • この日はちょっとリッチに小綺麗なレストランへ。まだ多少咳は出るものの、食欲は復活したのでした。

    この日はちょっとリッチに小綺麗なレストランへ。まだ多少咳は出るものの、食欲は復活したのでした。

  • 夕食はボンゴレを!<br />せっかく船に乗ってシチリア島の港町に来たんだから、シーフード食べなきゃ!

    夕食はボンゴレを!
    せっかく船に乗ってシチリア島の港町に来たんだから、シーフード食べなきゃ!

  • 食後のデザートティラミスも!

    食後のデザートティラミスも!

  • エスプレッソ飲んで、ご馳走さまでした。ちょっと奮発しすぎたか、、、料金4500円程。

    エスプレッソ飲んで、ご馳走さまでした。ちょっと奮発しすぎたか、、、料金4500円程。

  • 1月10日。朝食食って、世界遺産シラクーザの町をてくてく散策!

    1月10日。朝食食って、世界遺産シラクーザの町をてくてく散策!

  • シラクーザは、、、<br />「古代ギリシャの植民都市シュラクサイに起源を持つ都市で、歴史的な遺跡など、多くの観光スポットがある。2005年には市内および周辺の歴史的建造物や遺跡が「シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡」の名で世界遺産に登録もされている。」<br />ウィキより<br /><br />古代ローマよりももっと古い古代ギリシャの町、、、後でその遺構見に行きました。

    シラクーザは、、、
    「古代ギリシャの植民都市シュラクサイに起源を持つ都市で、歴史的な遺跡など、多くの観光スポットがある。2005年には市内および周辺の歴史的建造物や遺跡が「シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡」の名で世界遺産に登録もされている。」
    ウィキより

    古代ローマよりももっと古い古代ギリシャの町、、、後でその遺構見に行きました。

  • マップスミーを頼りに町ブラ、、、

    マップスミーを頼りに町ブラ、、、

  • ここはアレテュサの泉。「 オルティジア島にある。伝説によれば、ニンフのアレトゥサが河神アルペイオスに追われ、この泉に身を変えたとされる。」ウィキより、、、<br /><br />よくわからず、、、

    ここはアレテュサの泉。「 オルティジア島にある。伝説によれば、ニンフのアレトゥサが河神アルペイオスに追われ、この泉に身を変えたとされる。」ウィキより、、、

    よくわからず、、、

  • 続いてCastello Maniace(マニアーチ城)<br />「1232年から1240年にかけ建設。フリードリヒ2世皇帝時代の軍事建築。」

    続いてCastello Maniace(マニアーチ城)
    「1232年から1240年にかけ建設。フリードリヒ2世皇帝時代の軍事建築。」

  • 「最初の砦は、ミカエル 4 世皇帝に代わってアラブ人からシラクサを占領した後、ギリシャの将軍で後にイタリアのカテパンとなったジョージ マニアケスによって 1038 年にここに建てられました。フリードリヒ 2 世は、シチリア王として、1232 年から 1240 年にかけて建築家のリッカルド ダ レンティーニに建造させました。 1288 年、アラゴン王ペドロ 3 世は家族とともにここに住んでいました。<br /> シチリアのヴェスパーズ戦争中、この要塞はシチ​​リアの都市防衛の要となりました。 1298 年、この要塞はアンジュー家のシチリア侵攻の際、アンジュー=アラゴン艦隊による攻撃に耐えました。<br /> 1305 年から 1536 年まで、この城はシチリアの多数の女王の住居として使用されました。<br /> 15 世紀には刑務所として使用されていました。次の世紀には、港と都市を守る要塞の一部となりました。 1704 年に大爆発により損傷しましたが、その後改修され、銃の使用に対応しました。」

    「最初の砦は、ミカエル 4 世皇帝に代わってアラブ人からシラクサを占領した後、ギリシャの将軍で後にイタリアのカテパンとなったジョージ マニアケスによって 1038 年にここに建てられました。フリードリヒ 2 世は、シチリア王として、1232 年から 1240 年にかけて建築家のリッカルド ダ レンティーニに建造させました。 1288 年、アラゴン王ペドロ 3 世は家族とともにここに住んでいました。
     シチリアのヴェスパーズ戦争中、この要塞はシチ​​リアの都市防衛の要となりました。 1298 年、この要塞はアンジュー家のシチリア侵攻の際、アンジュー=アラゴン艦隊による攻撃に耐えました。
     1305 年から 1536 年まで、この城はシチリアの多数の女王の住居として使用されました。
     15 世紀には刑務所として使用されていました。次の世紀には、港と都市を守る要塞の一部となりました。 1704 年に大爆発により損傷しましたが、その後改修され、銃の使用に対応しました。」

  • シチリア王国の居城として使われていたようです。

    シチリア王国の居城として使われていたようです。

  • イタリアって昔はローマ帝国、そして神聖ローマ帝国として世界に君臨してたのに、分裂してたんですね。あんまり世界史は得意じゃないんで、ちょっと調べてみたら、、、<br /><br />ウィキ「イタリア統一運動」より<br />「中世以降、イタリアは小国に分裂し、各国家はオーストリア、スペイン、フランスの後ろ楯で権力争いが行われていた(イタリア戦争)。19世紀の初頭にイタリアは、他の多くの欧州諸国と同じく、ナポレオンの勢力圏に入り、諸改革が行われた。ナポレオン没落後はオーストリア帝国の影響の下で旧体制が復活したが、カルボナリやマッツィーニの青年イタリアを中心とした勢力により、イタリアの統一と封建制度の打倒が目指された。<br /><br /> 1848年革命に伴う「ローマ共和国」がフランスの介入で失敗した後は、サルデーニャ王国を中心としてオーストリア帝国に対するイタリア統一戦争  が行われ、オーストリア支配下のロンバルディア(旧ミラノ公国)がサルデーニャ王国に併合された。また、トスカーナ、エミリア=ロマーニャ、ウンブリアなど中部イタリアは住民投票によってサルデーニャ王国へ併合されることが決められた。この時の各勢力の旗には、現在のイタリア国旗である、緑白赤の三色旗を基本としたものが用いられた。その後ジュゼッペ・ガリバルディは、私設軍隊である千人隊を率いてシチリア島に上陸し、最終的には南イタリアの両シチリア王国を征服した。彼はこの功績により国民的英雄とされた。<br /> 1861年にはイタリア王国が建国され、統一は一応の完成を見る。1866年には普墺戦争に乗じてヴェネト、1870年には普仏戦争に乗じてローマなどの教皇領の残りを併合して半島の統一は終了するが、イタリア人(イタリア系の文化を持つ者)が住む土地全てを統一の対象としたこの運動において、未回収地の併合はその後も政治課題として残った(イレデンタ回収主義)。最終的に未回収のイタリアがイタリア王国に統合されるのは、第一次世界大戦におけるイタリアの戦勝の後であった。」<br /><br />→1861年、サルデーニャ王国のサヴォイア家を中心にイタリアが統一され、イタリア王国建国となったようです。その頃の日本は、盟主であった江戸幕府は存在していたものの、各藩に分裂していた。1868年、明治維新で天皇のもとに大日本帝国が日本を統一?、、、似た歴史をたどっているようです。

    イタリアって昔はローマ帝国、そして神聖ローマ帝国として世界に君臨してたのに、分裂してたんですね。あんまり世界史は得意じゃないんで、ちょっと調べてみたら、、、

    ウィキ「イタリア統一運動」より
    「中世以降、イタリアは小国に分裂し、各国家はオーストリア、スペイン、フランスの後ろ楯で権力争いが行われていた(イタリア戦争)。19世紀の初頭にイタリアは、他の多くの欧州諸国と同じく、ナポレオンの勢力圏に入り、諸改革が行われた。ナポレオン没落後はオーストリア帝国の影響の下で旧体制が復活したが、カルボナリやマッツィーニの青年イタリアを中心とした勢力により、イタリアの統一と封建制度の打倒が目指された。

     1848年革命に伴う「ローマ共和国」がフランスの介入で失敗した後は、サルデーニャ王国を中心としてオーストリア帝国に対するイタリア統一戦争 が行われ、オーストリア支配下のロンバルディア(旧ミラノ公国)がサルデーニャ王国に併合された。また、トスカーナ、エミリア=ロマーニャ、ウンブリアなど中部イタリアは住民投票によってサルデーニャ王国へ併合されることが決められた。この時の各勢力の旗には、現在のイタリア国旗である、緑白赤の三色旗を基本としたものが用いられた。その後ジュゼッペ・ガリバルディは、私設軍隊である千人隊を率いてシチリア島に上陸し、最終的には南イタリアの両シチリア王国を征服した。彼はこの功績により国民的英雄とされた。
     1861年にはイタリア王国が建国され、統一は一応の完成を見る。1866年には普墺戦争に乗じてヴェネト、1870年には普仏戦争に乗じてローマなどの教皇領の残りを併合して半島の統一は終了するが、イタリア人(イタリア系の文化を持つ者)が住む土地全てを統一の対象としたこの運動において、未回収地の併合はその後も政治課題として残った(イレデンタ回収主義)。最終的に未回収のイタリアがイタリア王国に統合されるのは、第一次世界大戦におけるイタリアの戦勝の後であった。」

    →1861年、サルデーニャ王国のサヴォイア家を中心にイタリアが統一され、イタリア王国建国となったようです。その頃の日本は、盟主であった江戸幕府は存在していたものの、各藩に分裂していた。1868年、明治維新で天皇のもとに大日本帝国が日本を統一?、、、似た歴史をたどっているようです。

  • 「シチリア王国」を調べてみると、、、<br />・オートヴィル朝のルッジェーロ2世が、1130年9月に対立教皇アナクレトゥス2世から、シチリア王位を授けられたことで成立。アラブ人が支配していた南イタリアをノルマン人が征服した王朝だったようだ。でも、断絶しホーエンシュタウフェン朝にとって代わられる。<br /><br />(オートヴィル朝→ホーエンシュタウフェン朝→アラゴン王朝)<br />タンクレード・ド・オートヴィル<br />ルッジェーロ1世 (シチリア伯1072-1101)<br />★ルッジェーロ2世(シチリア伯1105-1130シチリア王1130-1154)<br />グリエルモ1世(シチリア王1151-1166)<br />グリエルモ2世(シチリア王1166-1189)<br /><br />タンクレード・ド・オートヴィル<br />ルッジェーロ1世 (シチリア伯1072-1101)<br />★ルッジェーロ2世(シチリア伯1105-1130シチリア王1130-1154)<br />ルッジェーロ3世 (プッリャ公)<br />タンクレディ (シチリア王1189-1194)<br />ルッジェーロ3世(シチリア王1192-1193)<br /><br />タンクレード・ド・オートヴィル<br />ルッジェーロ1世 (シチリア伯1072-1101)<br />★ルッジェーロ2世(シチリア伯1105-1130シチリア王1130-1154)<br />ルッジェーロ3世 (プッリャ公)<br />タンクレディ (シチリア王1189-1194)<br />グリエルモ3世(シチリア王1194)<br /><br />タンクレード・ド・オートヴィル<br />ルッジェーロ1世 (シチリア伯1072-1101)<br />★ルッジェーロ2世(シチリア伯1105-1130シチリア王1130-1154)<br />コスタンツァ (シチリア女王1194-1198)<br />※ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)(シチリア王1194-1197)<br />フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)(シチリア王1197-1250)<br />コンラート4世 (ドイツ王)(シチリア王1250-1254)<br />コッラディーノ(シチリア王1254-1258)<br /><br />タンクレード・ド・オートヴィル<br />ルッジェーロ1世 (シチリア伯1072-1101)<br />★ルッジェーロ2世(シチリア伯1105-1130シチリア王1130-1154)<br />コスタンツァ (シチリア女王1194-1198)<br />※ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)(シチリア王1194-1197)<br />フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)(シチリア王1197-1250)<br />マンフレーディ(シチリア王1258-1266)<br />コンスタンサ・デ・シシリア(シチリア王ペドロ3世王妃)<br />ハイメ2世 (アラゴン王)シチリア王1285-1296)<br />→スペイン王家 両シチリア王家へと続く、、、<br /><br />タンクレード・ド・オートヴィル<br />ルッジェーロ1世 (シチリア伯1072-1101)<br />★ルッジェーロ2世(シチリア伯1105-1130シチリア王1130-1154)<br />コスタンツァ (シチリア女王1194-1198)<br />※ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)(シチリア王1194-1197)<br />★フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)(シチリア王1197-1250)<br />マンフレーディ(シチリア王1258-1266)<br />コンスタンサ・デ・シシリア(★シチリア王ペドロ3世王妃)<br />フェデリーコ2世 (シチリア王1296-1337)<br />ピエトロ2世 (シチリア王1337-1342)<br />ルドヴィーコ (シチリア王1342-1355)<br /><br />ピエトロ2世 (シチリア王1337-1342)<br />フェデリーコ3世 (シチリア王1355-1377)<br />マリア (シチリア女王1377-1401)<br /><br />ピエトロ2世 (シチリア王1337-1342)<br />レオノール・デ・シシリア<br />マルティン1世 (アラゴン王)(シチリア王1409-1410)<br />マルティーノ1世 (シチリア王1390-1409)<br />→スペイン王家 両シチリア王家へと続く、、<br /><br />(アンジュー=シチリア家)<br />タンクレード・ド・オートヴィル<br />ロベルト・イル・グイスカルド<br />マファルダ・ディ・プッリャ<br />ラモン・バランゲー3世<br />ベレンゲラ・デ・バルセロナ<br />サンチョ3世 (カスティーリャ王)<br />アルフォンソ8世 (カスティーリャ王)<br />ブランシュ・ド・カスティーユ<br />★カルロ1世 (シチリア王1266-1282)(ナポリ王1282-1285)<br />カルロ2世 (ナポリ王1285-1309)<br />ロベルト1世 (ナポリ王1309-1343)<br />カルロ (カラブリア公)<br />ジョヴァンナ1世 (ナポリ女王1343-1382)<br /><br />★カルロ1世 (シチリア王1266-1282)(ナポリ王1282-1285)<br />カルロ2世 (ナポリ王1285-1309)<br />ジョヴァンニ・ディ・ドゥラッツォ<br />ルイージ・ディ・ドゥラッツォ<br />カルロ3世 (ナポリ王1382-1386)<br />ラディズラーオ1世 (ナポリ王1386-1389.1399-1414)<br /><br />★カルロ1世 (シチリア王1266-1282)(ナポリ王1282-1285)<br />カルロ2世 (ナポリ王1285-1309)<br />ジョヴァンニ・ディ・ドゥラッツォ<br />ルイージ・ディ・ドゥラッツォ<br />カルロ3世 (ナポリ王1382-1386)<br />ジョヴァンナ2世 (ナポリ女王1414-1435)<br /><br />★カルロ1世 (シチリア王1266-1282)(ナポリ王1282-1285)<br />カルロ2世 (ナポリ王1285-1309)<br />マルグリット・ダンジュー<br />フィリップ6世 (フランス王)<br />ジャン2世 (フランス王)<br />ルイ1世・ダンジュー(ナポリ対立王1360-1384)<br />ルイ2世・ダンジュー(ナポリ対立王1389-1399)<br />レナート1世(ナポリ王1435-1442)<br /><br />タンクレード・ド・オートヴィル<br />ロベルト・イル・グイスカルド<br />マファルダ・ディ・プッリャ<br />ラモン・バランゲー3世<br />ラモン・バランゲー4世<br />アルフォンソ2世 (アラゴン王)<br />アルフォンス2世 (プロヴァンス伯)<br />レーモン・ベランジェ4世<br />ベアトリス・ド・プロヴァンス(★カルロ1世 (シチリア王妃)<br /><br />タンクレード・ド・オートヴィル<br />ロベルト・イル・グイスカルド<br />マファルダ・ディ・プッリャ<br />ラモン・バランゲー3世<br />ラモン・バランゲー4世<br />アルフォンソ2世 (アラゴン王)<br />ペドロ2世 (アラゴン王)<br />ハイメ1世 (アラゴン王)<br />ビオランテ・デ・アラゴン<br />サンチョ4世 (カスティーリャ王)<br />フェルナンド4世 (カスティーリャ王)<br />アルフォンソ11世 (カスティーリャ王)<br />エンリケ2世 (カスティーリャ王)<br />フアン1世 (カスティーリャ王)<br />フェルナンド1世 (アラゴン王)(シチリア王1412-1416)<br />★アルフォンソ5世 (アラゴン王)(シチリア王1416-1458)(ナポリ王1442-1458)<br />フェルディナンド1世 (ナポリ王1458-1494)<br />アルフォンソ2世 (ナポリ王1494-1495)<br />フェルディナンド2世 (ナポリ王1465-1496)<br /><br />★アルフォンソ5世 (アラゴン王)シ王ナポリ王<br />フェルディナンド1世 (ナポリ王1458-1494)<br />フェデリーコ1世 (ナポリ王1496-1501)<br /><br />(オートヴィル朝→アラゴン王家→ハプスブルグスペイン王家)<br />タンクレード・ド・オートヴィル<br />ロベルト・イル・グイスカルド<br />マファルダ・ディ・プッリャ<br />ラモン・バランゲー3世<br />ラモン・バランゲー4世<br />アルフォンソ2世 (アラゴン王)<br />ペドロ2世 (アラゴン王)<br />ハイメ1世 (アラゴン王)<br />★ペドロ3世 (アラゴン王)(シチリア王1282-1285)<br />ハイメ2世(アラゴン王(シチリア王1285-1296)<br />アルフォンソ4世 (アラゴン王)<br />ペドロ4世 (アラゴン王)<br />レオノール・デ・アラゴン (カスティーリャ王妃)<br />フェルナンド1世 (アラゴン王)(シチリア王1412-1416)<br />★フアン2世 (アラゴン王)(シチリア王1458-1468)<br />★フェルナンド2世 (アラゴン王)シチリア王1468-1516ナポリ王1504-1516<br />フアナ (カスティーリャ女王)<br />カール5世 (神聖ローマ皇帝スペイン王)シチリア王1516-1556<br />フェリペ2世 (スペイン王)シチリア王1556-1598<br />フェリペ3世 (スペイン王)シチリア王1568-1621<br />フェリペ4世 (スペイン王)シチリア王1621-1665<br />カルロス2世 (スペイン王)シチリア王1665-1700<br /><br />カール5世 (神聖ローマ皇帝スペイン王)シチリア王1516-1556<br />フェリペ2世 (スペイン王)シチリア王1556-1598<br />フェリペ3世 (スペイン王)シチリア王1568-1621<br />フェリペ4世 (スペイン王)シチリア王1621-1665<br />マリー・テレーズ・ドートリッシュ<br />ルイ (グラン・ドーファン)<br />フェリペ5世 (スペイン王)シチリア王1700-1713<br />カルロス3世 (スペイン王)シチリア王1735-1759<br />①フェルディナンド1世 <br />シチリア王1759 - 1816 (両シチリア王)1816-1825<br />②フランチェスコ1世 (両シチリア王)1825-1830<br />③フェルディナンド2世 (両シチリア王)1830-1859<br />④フランチェスコ2世 (両シチリア王)1859-1860<br /><br />★フェルナンド2世 (アラゴン王)ナポリ王シチリア王<br />フアナ (カスティーリャ女王)<br />フェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)<br />カール2世 (オーストリア大公)<br />フェルディナント2世 (神聖ローマ皇帝)<br />フェルディナント3世 (神聖ローマ皇帝)<br />レオポルト1世 (神聖ローマ皇帝)<br />カール6世 (神聖ローマ皇帝)(ナポリ王1714-1734シチリア王1720-1734)<br /><br /><br />(サヴォイア イタリア王家)<br />★フアン2世 (アラゴン王))(シチリア王1458-1468)<br />レオノール (ナバラ女王)<br />ガストン・ド・フォワ (ビアナ公)<br />カタリナ (ナバラ女王)<br />エンリケ2世 (ナバラ王)<br />ジャンヌ・ダルブレ<br />アンリ4世 (フランス王)<br />クリスティーヌ・ド・フランス<br />カルロ・エマヌエーレ2世<br />★ヴィットーリオ・アメデーオ2世(シチリア王1714-1720)<br />マリーア・ヴィットーリア・フランチェスカ・ディ・サヴォイア<br />ルイージ・ヴィットーリオ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ<br />ヴィットーリオ・アメデーオ2世・ディ・サヴォイア=カリニャーノ<br />カルロ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ<br />カルロ・アルベルト・ディ・サヴォイア(サルデーニャ王国第7代国王)<br />①ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(イタリア王1861-1878)<br />②ウンベルト1世(イタリア王1878-1900)<br />③ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(イタリア王1900-1946)<br />④ウンベルト2世(イタリア王1946)<br />ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア<br />エマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア<br /><br /> この女系の流れはイタリア国王にも続いていく、、、ということで、シチリア王、ナポリ王はシチリア王国を興したオートヴィル朝の流れを汲む者、、、そんなことがわかりました。何でシチリアにスペインがからんでくるのか、最初は不思議でしたが、王家の祖をウィキペディアでたどってみるとはっきりしてきました。<br /> 南イタリアは特にスペインの影響があるようです。長々と書きました、、、<br /><br />

    「シチリア王国」を調べてみると、、、
    ・オートヴィル朝のルッジェーロ2世が、1130年9月に対立教皇アナクレトゥス2世から、シチリア王位を授けられたことで成立。アラブ人が支配していた南イタリアをノルマン人が征服した王朝だったようだ。でも、断絶しホーエンシュタウフェン朝にとって代わられる。

    (オートヴィル朝→ホーエンシュタウフェン朝→アラゴン王朝)
    タンクレード・ド・オートヴィル
    ルッジェーロ1世 (シチリア伯1072-1101)
    ★ルッジェーロ2世(シチリア伯1105-1130シチリア王1130-1154)
    グリエルモ1世(シチリア王1151-1166)
    グリエルモ2世(シチリア王1166-1189)

    タンクレード・ド・オートヴィル
    ルッジェーロ1世 (シチリア伯1072-1101)
    ★ルッジェーロ2世(シチリア伯1105-1130シチリア王1130-1154)
    ルッジェーロ3世 (プッリャ公)
    タンクレディ (シチリア王1189-1194)
    ルッジェーロ3世(シチリア王1192-1193)

    タンクレード・ド・オートヴィル
    ルッジェーロ1世 (シチリア伯1072-1101)
    ★ルッジェーロ2世(シチリア伯1105-1130シチリア王1130-1154)
    ルッジェーロ3世 (プッリャ公)
    タンクレディ (シチリア王1189-1194)
    グリエルモ3世(シチリア王1194)

    タンクレード・ド・オートヴィル
    ルッジェーロ1世 (シチリア伯1072-1101)
    ★ルッジェーロ2世(シチリア伯1105-1130シチリア王1130-1154)
    コスタンツァ (シチリア女王1194-1198)
    ※ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)(シチリア王1194-1197)
    フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)(シチリア王1197-1250)
    コンラート4世 (ドイツ王)(シチリア王1250-1254)
    コッラディーノ(シチリア王1254-1258)

    タンクレード・ド・オートヴィル
    ルッジェーロ1世 (シチリア伯1072-1101)
    ★ルッジェーロ2世(シチリア伯1105-1130シチリア王1130-1154)
    コスタンツァ (シチリア女王1194-1198)
    ※ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)(シチリア王1194-1197)
    フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)(シチリア王1197-1250)
    マンフレーディ(シチリア王1258-1266)
    コンスタンサ・デ・シシリア(シチリア王ペドロ3世王妃)
    ハイメ2世 (アラゴン王)シチリア王1285-1296)
    →スペイン王家 両シチリア王家へと続く、、、

    タンクレード・ド・オートヴィル
    ルッジェーロ1世 (シチリア伯1072-1101)
    ★ルッジェーロ2世(シチリア伯1105-1130シチリア王1130-1154)
    コスタンツァ (シチリア女王1194-1198)
    ※ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)(シチリア王1194-1197)
    ★フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)(シチリア王1197-1250)
    マンフレーディ(シチリア王1258-1266)
    コンスタンサ・デ・シシリア(★シチリア王ペドロ3世王妃)
    フェデリーコ2世 (シチリア王1296-1337)
    ピエトロ2世 (シチリア王1337-1342)
    ルドヴィーコ (シチリア王1342-1355)

    ピエトロ2世 (シチリア王1337-1342)
    フェデリーコ3世 (シチリア王1355-1377)
    マリア (シチリア女王1377-1401)

    ピエトロ2世 (シチリア王1337-1342)
    レオノール・デ・シシリア
    マルティン1世 (アラゴン王)(シチリア王1409-1410)
    マルティーノ1世 (シチリア王1390-1409)
    →スペイン王家 両シチリア王家へと続く、、

    (アンジュー=シチリア家)
    タンクレード・ド・オートヴィル
    ロベルト・イル・グイスカルド
    マファルダ・ディ・プッリャ
    ラモン・バランゲー3世
    ベレンゲラ・デ・バルセロナ
    サンチョ3世 (カスティーリャ王)
    アルフォンソ8世 (カスティーリャ王)
    ブランシュ・ド・カスティーユ
    ★カルロ1世 (シチリア王1266-1282)(ナポリ王1282-1285)
    カルロ2世 (ナポリ王1285-1309)
    ロベルト1世 (ナポリ王1309-1343)
    カルロ (カラブリア公)
    ジョヴァンナ1世 (ナポリ女王1343-1382)

    ★カルロ1世 (シチリア王1266-1282)(ナポリ王1282-1285)
    カルロ2世 (ナポリ王1285-1309)
    ジョヴァンニ・ディ・ドゥラッツォ
    ルイージ・ディ・ドゥラッツォ
    カルロ3世 (ナポリ王1382-1386)
    ラディズラーオ1世 (ナポリ王1386-1389.1399-1414)

    ★カルロ1世 (シチリア王1266-1282)(ナポリ王1282-1285)
    カルロ2世 (ナポリ王1285-1309)
    ジョヴァンニ・ディ・ドゥラッツォ
    ルイージ・ディ・ドゥラッツォ
    カルロ3世 (ナポリ王1382-1386)
    ジョヴァンナ2世 (ナポリ女王1414-1435)

    ★カルロ1世 (シチリア王1266-1282)(ナポリ王1282-1285)
    カルロ2世 (ナポリ王1285-1309)
    マルグリット・ダンジュー
    フィリップ6世 (フランス王)
    ジャン2世 (フランス王)
    ルイ1世・ダンジュー(ナポリ対立王1360-1384)
    ルイ2世・ダンジュー(ナポリ対立王1389-1399)
    レナート1世(ナポリ王1435-1442)

    タンクレード・ド・オートヴィル
    ロベルト・イル・グイスカルド
    マファルダ・ディ・プッリャ
    ラモン・バランゲー3世
    ラモン・バランゲー4世
    アルフォンソ2世 (アラゴン王)
    アルフォンス2世 (プロヴァンス伯)
    レーモン・ベランジェ4世
    ベアトリス・ド・プロヴァンス(★カルロ1世 (シチリア王妃)

    タンクレード・ド・オートヴィル
    ロベルト・イル・グイスカルド
    マファルダ・ディ・プッリャ
    ラモン・バランゲー3世
    ラモン・バランゲー4世
    アルフォンソ2世 (アラゴン王)
    ペドロ2世 (アラゴン王)
    ハイメ1世 (アラゴン王)
    ビオランテ・デ・アラゴン
    サンチョ4世 (カスティーリャ王)
    フェルナンド4世 (カスティーリャ王)
    アルフォンソ11世 (カスティーリャ王)
    エンリケ2世 (カスティーリャ王)
    フアン1世 (カスティーリャ王)
    フェルナンド1世 (アラゴン王)(シチリア王1412-1416)
    ★アルフォンソ5世 (アラゴン王)(シチリア王1416-1458)(ナポリ王1442-1458)
    フェルディナンド1世 (ナポリ王1458-1494)
    アルフォンソ2世 (ナポリ王1494-1495)
    フェルディナンド2世 (ナポリ王1465-1496)

    ★アルフォンソ5世 (アラゴン王)シ王ナポリ王
    フェルディナンド1世 (ナポリ王1458-1494)
    フェデリーコ1世 (ナポリ王1496-1501)

    (オートヴィル朝→アラゴン王家→ハプスブルグスペイン王家)
    タンクレード・ド・オートヴィル
    ロベルト・イル・グイスカルド
    マファルダ・ディ・プッリャ
    ラモン・バランゲー3世
    ラモン・バランゲー4世
    アルフォンソ2世 (アラゴン王)
    ペドロ2世 (アラゴン王)
    ハイメ1世 (アラゴン王)
    ★ペドロ3世 (アラゴン王)(シチリア王1282-1285)
    ハイメ2世(アラゴン王(シチリア王1285-1296)
    アルフォンソ4世 (アラゴン王)
    ペドロ4世 (アラゴン王)
    レオノール・デ・アラゴン (カスティーリャ王妃)
    フェルナンド1世 (アラゴン王)(シチリア王1412-1416)
    ★フアン2世 (アラゴン王)(シチリア王1458-1468)
    ★フェルナンド2世 (アラゴン王)シチリア王1468-1516ナポリ王1504-1516
    フアナ (カスティーリャ女王)
    カール5世 (神聖ローマ皇帝スペイン王)シチリア王1516-1556
    フェリペ2世 (スペイン王)シチリア王1556-1598
    フェリペ3世 (スペイン王)シチリア王1568-1621
    フェリペ4世 (スペイン王)シチリア王1621-1665
    カルロス2世 (スペイン王)シチリア王1665-1700

    カール5世 (神聖ローマ皇帝スペイン王)シチリア王1516-1556
    フェリペ2世 (スペイン王)シチリア王1556-1598
    フェリペ3世 (スペイン王)シチリア王1568-1621
    フェリペ4世 (スペイン王)シチリア王1621-1665
    マリー・テレーズ・ドートリッシュ
    ルイ (グラン・ドーファン)
    フェリペ5世 (スペイン王)シチリア王1700-1713
    カルロス3世 (スペイン王)シチリア王1735-1759
    ①フェルディナンド1世
    シチリア王1759 - 1816 (両シチリア王)1816-1825
    ②フランチェスコ1世 (両シチリア王)1825-1830
    ③フェルディナンド2世 (両シチリア王)1830-1859
    ④フランチェスコ2世 (両シチリア王)1859-1860

    ★フェルナンド2世 (アラゴン王)ナポリ王シチリア王
    フアナ (カスティーリャ女王)
    フェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)
    カール2世 (オーストリア大公)
    フェルディナント2世 (神聖ローマ皇帝)
    フェルディナント3世 (神聖ローマ皇帝)
    レオポルト1世 (神聖ローマ皇帝)
    カール6世 (神聖ローマ皇帝)(ナポリ王1714-1734シチリア王1720-1734)


    (サヴォイア イタリア王家)
    ★フアン2世 (アラゴン王))(シチリア王1458-1468)
    レオノール (ナバラ女王)
    ガストン・ド・フォワ (ビアナ公)
    カタリナ (ナバラ女王)
    エンリケ2世 (ナバラ王)
    ジャンヌ・ダルブレ
    アンリ4世 (フランス王)
    クリスティーヌ・ド・フランス
    カルロ・エマヌエーレ2世
    ★ヴィットーリオ・アメデーオ2世(シチリア王1714-1720)
    マリーア・ヴィットーリア・フランチェスカ・ディ・サヴォイア
    ルイージ・ヴィットーリオ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ
    ヴィットーリオ・アメデーオ2世・ディ・サヴォイア=カリニャーノ
    カルロ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ
    カルロ・アルベルト・ディ・サヴォイア(サルデーニャ王国第7代国王)
    ①ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(イタリア王1861-1878)
    ②ウンベルト1世(イタリア王1878-1900)
    ③ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(イタリア王1900-1946)
    ④ウンベルト2世(イタリア王1946)
    ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア
    エマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア

     この女系の流れはイタリア国王にも続いていく、、、ということで、シチリア王、ナポリ王はシチリア王国を興したオートヴィル朝の流れを汲む者、、、そんなことがわかりました。何でシチリアにスペインがからんでくるのか、最初は不思議でしたが、王家の祖をウィキペディアでたどってみるとはっきりしてきました。
     南イタリアは特にスペインの影響があるようです。長々と書きました、、、

  •  ちなみに日本の歴史の中でも男系は元より、女系の流れも重要視されたものと考えられます。<br /> <br /> 征夷大将軍となれるのは清和源氏と習ってきました。平氏はなれない、、。確かに、源頼朝、足利尊氏は清和源氏の流れ。徳川家康はわざわざ源氏の流れを汲む者から系図を得て改竄したと言われています。織田信長、豊臣秀吉は将軍にはなれません?なりません?でした。なぜ?<br /> カギは摂家将軍、皇族将軍にありました。彼らも執権北条氏に請われ将軍として鎌倉に迎えられます。なぜに?頼朝の姉の子孫、源氏の娘婿として、、勿論それもあると思いますが、皇族将軍宗尊親王は源氏とはあまり縁もないはず、、、。<br /> で、祖をウィキでたどってみると、、、わかったのです!<br /> 征夷大将軍になった者の共通の祖先は、、、なんとあの神ともなった征夷大将軍坂上田村麻呂だったのです!<br /> 坂上田村麻呂の女系子孫は2系統あります。1系統娘坂上春子の流れは清和源氏の祖先源経基につながります。そしてもう1人の娘藤原三守室、その息子藤原有方の流れが摂家将軍、皇族将軍につながります。<br /><br />→この発見は、鎌倉将軍源実朝の御台所となった坊門信清の娘西八条禅尼から始まりました。何故にこの方を?実朝は反対を押しきり、武家北条家の娘ではなく、都の貴族坊門家から御台所を迎えます。??なにかあると思い調べたら、坂上田村麻呂にたどり着きました。<br /><br /> シチリア王家もナポリ王家も、シチリア王国を創設したオートヴィル朝につながるとは、、、。自分ではすごい発見だ!と小躍りしちゃいました、、、<br /><br /> 、、、余談でした。<br /><br />(清和源氏の流れは以下の通り、、、)<br />★坂上田村麻呂<br />坂上春子(桓武天皇宮人)<br />葛井親王<br />棟貞王<br />棟貞王娘(清和天皇更衣)<br />貞純親王<br />源経基(六孫王)<br />※ウィキより「『保元物語』によれば、父は清和天皇の第6皇子・貞純親王で、母は右大臣・源能有の娘。皇族に籍していたとき「六孫王」と名乗ったとされるが、当時の文献には見られない。居館は六宮とも八条御所ともいう。」<br />→「六孫王は、清和天皇の六男を父として生まれ、経基と名づけられたが、皇室では六男の六と天皇の孫ということで六孫王と呼ばれていた、、、」六孫王神社のサイトにはそう書かれてるけど、自分は坂上田村麻呂の六代目の子孫だから「六孫王」だと思っている、、、<br /><br />(摂家将軍藤原頼経までの流れは以下の通り、、、)<br />★坂上田村麻呂<br />坂上田村麻呂娘(藤原三守室)<br />藤原有方<br />藤原直行<br />藤原邦統<br />藤原顕猷<br />藤原顕猷娘(藤原宣孝妻)<br />藤原隆光<br />藤原隆方<br />★藤原光子(藤原公実妻)<br />藤原通季<br />藤原公通<br />藤原実宗<br />西園寺公経<br />西園寺掄子(九条道家室)<br />藤原頼経<br /><br />★坂上田村麻呂<br />坂上田村麻呂娘(藤原三守室)<br />藤原有方<br />藤原直行<br />藤原邦統<br />藤原顕猷<br />藤原顕猷娘(藤原宣孝妻)<br />藤原隆光<br />藤原隆方<br />藤原隆方娘(藤原仲実妻)<br />藤原仲光<br />藤原仲光娘(加賀局)(藤原忠通妾)<br />九条兼実<br />九条良経<br />九条道家<br />藤原頼経<br /><br />もうひとつ、、、<br />★坂上田村麻呂<br />坂上春子(桓武天皇宮人)<br />葛井親王<br />棟貞王<br />棟貞王娘(清和天皇更衣)<br />貞純親王<br />源経基(六孫王)<br />源満政<br />源満政娘(源重文室)<br />源為弘<br />源為弘娘(藤原俊家家女房)<br />藤原基頼<br />★藤原通基<br />持明院基家<br />持明院基家娘(藤原実宗室)<br />西園寺公経<br />西園寺掄子(九条道家室)<br />藤原頼経<br /><br />★藤原通基<br />藤原通基娘(藤原公通室)<br />藤原実宗<br />西園寺公経<br />西園寺掄子(九条道家室)<br />藤原頼経<br /><br /><br /><br />(源実朝御台所西八条禅尼の流れは以下の通り、、)<br />★藤原光子(藤原公実妻)<br />藤原実子(藤原経忠室)<br />藤原信輔<br />★藤原信隆<br />坊門信清<br />西八条禅尼(源実朝室)<br /><br />★藤原通基<br />藤原休子(藤原信隆室)<br />坊門信清<br />西八条禅尼(源実朝室)<br /><br /><br />(皇族将軍宗尊親王までの流れは以下の通り、、)<br /><br />★藤原通基<br />藤原休子(★藤原信隆室)<br />藤原殖子(高倉天皇典侍)<br />後鳥羽天皇<br />土御門天皇<br />後嵯峨天皇<br />宗尊親王<br /><br />※北条政子が源家断絶後、後鳥羽天皇の皇子、雅成親王、頼仁親王を次期将軍にと所望したことがあったが、、、彼らも坂上田村麻呂の後裔、、、。<br /><br />それから<br />★坂上田村麻呂<br />坂上田村麻呂娘(藤原三守室)<br />藤原有方<br />藤原直行<br />藤原邦統<br />藤原顕猷<br />藤原顕猷娘(藤原宣孝妻)<br />藤原隆光<br />藤原隆方<br />藤原為房<br />藤原為隆<br />藤原為隆娘(平実親室)<br />平範家<br />平棟範<br />平棟基<br />平棟子(後嵯峨天皇典侍)<br />宗尊親王<br /><br />(もう1人、鎌倉幕府8代将軍久明親王は、、、)<br />藤原信隆<br />藤原殖子(高倉天皇典侍)<br />後鳥羽天皇<br />土御門天皇<br />後嵯峨天皇<br />後深草天皇<br />久明親王<br /><br />そして<br /><br />★坂上田村麻呂<br />坂上田村麻呂娘(藤原三守室)<br />藤原有方<br />藤原直行<br />藤原邦統<br />藤原顕猷<br />藤原顕猷娘(藤原宣孝妻)<br />藤原隆光<br />藤原隆方<br />★藤原光子(藤原公実妻)<br />藤原公子(藤原経実室)<br />藤原経宗<br />藤原経宗娘(三条実房室)<br />三条公房<br />三条実親<br />三条公親<br />三条房子(後深草天皇後宮)<br />久明親王

     ちなみに日本の歴史の中でも男系は元より、女系の流れも重要視されたものと考えられます。
     
     征夷大将軍となれるのは清和源氏と習ってきました。平氏はなれない、、。確かに、源頼朝、足利尊氏は清和源氏の流れ。徳川家康はわざわざ源氏の流れを汲む者から系図を得て改竄したと言われています。織田信長、豊臣秀吉は将軍にはなれません?なりません?でした。なぜ?
     カギは摂家将軍、皇族将軍にありました。彼らも執権北条氏に請われ将軍として鎌倉に迎えられます。なぜに?頼朝の姉の子孫、源氏の娘婿として、、勿論それもあると思いますが、皇族将軍宗尊親王は源氏とはあまり縁もないはず、、、。
     で、祖をウィキでたどってみると、、、わかったのです!
     征夷大将軍になった者の共通の祖先は、、、なんとあの神ともなった征夷大将軍坂上田村麻呂だったのです!
     坂上田村麻呂の女系子孫は2系統あります。1系統娘坂上春子の流れは清和源氏の祖先源経基につながります。そしてもう1人の娘藤原三守室、その息子藤原有方の流れが摂家将軍、皇族将軍につながります。

    →この発見は、鎌倉将軍源実朝の御台所となった坊門信清の娘西八条禅尼から始まりました。何故にこの方を?実朝は反対を押しきり、武家北条家の娘ではなく、都の貴族坊門家から御台所を迎えます。??なにかあると思い調べたら、坂上田村麻呂にたどり着きました。

     シチリア王家もナポリ王家も、シチリア王国を創設したオートヴィル朝につながるとは、、、。自分ではすごい発見だ!と小躍りしちゃいました、、、

     、、、余談でした。

    (清和源氏の流れは以下の通り、、、)
    ★坂上田村麻呂
    坂上春子(桓武天皇宮人)
    葛井親王
    棟貞王
    棟貞王娘(清和天皇更衣)
    貞純親王
    源経基(六孫王)
    ※ウィキより「『保元物語』によれば、父は清和天皇の第6皇子・貞純親王で、母は右大臣・源能有の娘。皇族に籍していたとき「六孫王」と名乗ったとされるが、当時の文献には見られない。居館は六宮とも八条御所ともいう。」
    →「六孫王は、清和天皇の六男を父として生まれ、経基と名づけられたが、皇室では六男の六と天皇の孫ということで六孫王と呼ばれていた、、、」六孫王神社のサイトにはそう書かれてるけど、自分は坂上田村麻呂の六代目の子孫だから「六孫王」だと思っている、、、

    (摂家将軍藤原頼経までの流れは以下の通り、、、)
    ★坂上田村麻呂
    坂上田村麻呂娘(藤原三守室)
    藤原有方
    藤原直行
    藤原邦統
    藤原顕猷
    藤原顕猷娘(藤原宣孝妻)
    藤原隆光
    藤原隆方
    ★藤原光子(藤原公実妻)
    藤原通季
    藤原公通
    藤原実宗
    西園寺公経
    西園寺掄子(九条道家室)
    藤原頼経

    ★坂上田村麻呂
    坂上田村麻呂娘(藤原三守室)
    藤原有方
    藤原直行
    藤原邦統
    藤原顕猷
    藤原顕猷娘(藤原宣孝妻)
    藤原隆光
    藤原隆方
    藤原隆方娘(藤原仲実妻)
    藤原仲光
    藤原仲光娘(加賀局)(藤原忠通妾)
    九条兼実
    九条良経
    九条道家
    藤原頼経

    もうひとつ、、、
    ★坂上田村麻呂
    坂上春子(桓武天皇宮人)
    葛井親王
    棟貞王
    棟貞王娘(清和天皇更衣)
    貞純親王
    源経基(六孫王)
    源満政
    源満政娘(源重文室)
    源為弘
    源為弘娘(藤原俊家家女房)
    藤原基頼
    ★藤原通基
    持明院基家
    持明院基家娘(藤原実宗室)
    西園寺公経
    西園寺掄子(九条道家室)
    藤原頼経

    ★藤原通基
    藤原通基娘(藤原公通室)
    藤原実宗
    西園寺公経
    西園寺掄子(九条道家室)
    藤原頼経



    (源実朝御台所西八条禅尼の流れは以下の通り、、)
    ★藤原光子(藤原公実妻)
    藤原実子(藤原経忠室)
    藤原信輔
    ★藤原信隆
    坊門信清
    西八条禅尼(源実朝室)

    ★藤原通基
    藤原休子(藤原信隆室)
    坊門信清
    西八条禅尼(源実朝室)


    (皇族将軍宗尊親王までの流れは以下の通り、、)

    ★藤原通基
    藤原休子(★藤原信隆室)
    藤原殖子(高倉天皇典侍)
    後鳥羽天皇
    土御門天皇
    後嵯峨天皇
    宗尊親王

    ※北条政子が源家断絶後、後鳥羽天皇の皇子、雅成親王、頼仁親王を次期将軍にと所望したことがあったが、、、彼らも坂上田村麻呂の後裔、、、。

    それから
    ★坂上田村麻呂
    坂上田村麻呂娘(藤原三守室)
    藤原有方
    藤原直行
    藤原邦統
    藤原顕猷
    藤原顕猷娘(藤原宣孝妻)
    藤原隆光
    藤原隆方
    藤原為房
    藤原為隆
    藤原為隆娘(平実親室)
    平範家
    平棟範
    平棟基
    平棟子(後嵯峨天皇典侍)
    宗尊親王

    (もう1人、鎌倉幕府8代将軍久明親王は、、、)
    藤原信隆
    藤原殖子(高倉天皇典侍)
    後鳥羽天皇
    土御門天皇
    後嵯峨天皇
    後深草天皇
    久明親王

    そして

    ★坂上田村麻呂
    坂上田村麻呂娘(藤原三守室)
    藤原有方
    藤原直行
    藤原邦統
    藤原顕猷
    藤原顕猷娘(藤原宣孝妻)
    藤原隆光
    藤原隆方
    ★藤原光子(藤原公実妻)
    藤原公子(藤原経実室)
    藤原経宗
    藤原経宗娘(三条実房室)
    三条公房
    三条実親
    三条公親
    三条房子(後深草天皇後宮)
    久明親王

  • お天気は快晴!シラクーザの景色は最高でした!

    お天気は快晴!シラクーザの景色は最高でした!

  •  この辺をてくてく向かうと、、、

     この辺をてくてく向かうと、、、

  • 広場、、、

    広場、、、

  • です、もうちょっと行くと、、、

    です、もうちょっと行くと、、、

  • ここでした!ドウオモ広場!<br />「オルテジア島の中心地ドウオモ広場。映画「マレーナ」にも登場しています。華麗なバロック様式のファザードで飾られた建築物が広場の回りを囲み、「シチリアで最も美しい広場」とも呼ばれています。広場の奥に位置する「サンタルチア教会」の内部の祭壇には、カラバッチョの「聖ルチアの埋葬」が飾られています。」ネットより、、、

    ここでした!ドウオモ広場!
    「オルテジア島の中心地ドウオモ広場。映画「マレーナ」にも登場しています。華麗なバロック様式のファザードで飾られた建築物が広場の回りを囲み、「シチリアで最も美しい広場」とも呼ばれています。広場の奥に位置する「サンタルチア教会」の内部の祭壇には、カラバッチョの「聖ルチアの埋葬」が飾られています。」ネットより、、、

  • お金払って見学すると、、、

    お金払って見学すると、、、

  • イタリアだ!

    イタリアだ!

  • スペインの影響もあるのかな?

    スペインの影響もあるのかな?

  • という感じ!確かにシチリアで一番美しい町かも?(他の町を見てないのでわかりませんが、、、)

    という感じ!確かにシチリアで一番美しい町かも?(他の町を見てないのでわかりませんが、、、)

  • しかし、よくぞこんな建築物造りますよね。驚嘆!

    しかし、よくぞこんな建築物造りますよね。驚嘆!

  • さて、旧市街も見ましたので、次は古代ギリシャの遺構へ、、てくてくてくてく、、 暖かいので全然苦にならず、、。

    さて、旧市街も見ましたので、次は古代ギリシャの遺構へ、、てくてくてくてく、、 暖かいので全然苦にならず、、。

  • 到着!ネアポリ考古学公園です!

    到着!ネアポリ考古学公園です!

  • 「紀元前8世紀にギリシア人植民地として建設されたシラクーサ。石切り場や現存するシチリアで最も大きいギリシア劇場など数多くの遺跡が保存されています。中でも「ディオニュシオスの耳」はその大きさに圧倒されます。開園時間はシーズンや曜日によっても違いますが、10月~3月までは平日08:30~16:30、日・祝日は13:45までとなります。入場料は考古学公園のみは10ユーロとなります。」ネットより

    「紀元前8世紀にギリシア人植民地として建設されたシラクーサ。石切り場や現存するシチリアで最も大きいギリシア劇場など数多くの遺跡が保存されています。中でも「ディオニュシオスの耳」はその大きさに圧倒されます。開園時間はシーズンや曜日によっても違いますが、10月~3月までは平日08:30~16:30、日・祝日は13:45までとなります。入場料は考古学公園のみは10ユーロとなります。」ネットより

  • 紀元前8世紀、、、ずっと見てきた古代ローマの遺跡よりも800年も前、、、

    紀元前8世紀、、、ずっと見てきた古代ローマの遺跡よりも800年も前、、、

  • スッゲー!としか言いようがありません!

    スッゲー!としか言いようがありません!

  • 石切場?住居跡?

    石切場?住居跡?

  • ローマ遺跡とは違いますね。

    ローマ遺跡とは違いますね。

  • 形も円形ではなく楕円形?

    形も円形ではなく楕円形?

  • 中に入れるのかと思ったら、ロープで閉ざされていた、、、

    中に入れるのかと思ったら、ロープで閉ざされていた、、、

  •  辺りにはサボテン!シチリア島は暖かい!<br /><br /> 北海道なんか、そんなに緯度違わないはずなのに、ー10度、、、寒いのに!!<br /><br />ちなみに、シラクーザは北緯37度、自分の住んでる北海道の町は北緯43度、、。<br /> 

     辺りにはサボテン!シチリア島は暖かい!

     北海道なんか、そんなに緯度違わないはずなのに、ー10度、、、寒いのに!!

    ちなみに、シラクーザは北緯37度、自分の住んでる北海道の町は北緯43度、、。
     

  • オレンジもなってる!誰も見てないから頂こうかな?ということはもちろんしません!

    オレンジもなってる!誰も見てないから頂こうかな?ということはもちろんしません!

  • ここが石切場なのかも?

    ここが石切場なのかも?

  • 綺麗に切り取られてる!

    綺麗に切り取られてる!

  • もう1つ奥の方に、、、ここはローマ時代の円形競技場だとか、、、

    もう1つ奥の方に、、、ここはローマ時代の円形競技場だとか、、、

  • てくてくてくてく、1周できます!

    てくてくてくてく、1周できます!

  • でも、、

    でも、、

  • ローマ遺跡は、、、

    ローマ遺跡は、、、

  • お腹いっぱいかも?

    お腹いっぱいかも?

  • そうそう、シラクーザで有名な人といえば、、、<br />「アルキメデス!」<br />

    そうそう、シラクーザで有名な人といえば、、、
    「アルキメデス!」

  • 「アルキメデス(前287年? - 前212年)は、古代ギリシアの数学者、物理学者、技術者、発明家、天文学者。古典古代における第一級の科学者という評価を得ている。」ウィキより<br /><br /> 数学は詳しくないけど、どこかで聞いたことがある、、、調べたら少し思い出した!「アルキメデスの原理」、、、高校物理で習ったような、、、違ったか?<br /><br />「当時、ギリシア人の植民都市であったシラクサの僭主ヒエロン2世が金細工師に金(きん)を渡し、純金の王冠を作らせた。ところが、金細工師は金に混ぜ物をして王から預かった金の一部を盗んだ、という噂が広まった。そこで、ヒエロンはアルキメデスに、王冠を壊さずに混ぜ物がしてあるかどうか調べるように命じた。アルキメデスは困り果てたが、ある日風呂に入ったところ、水が湯船からあふれるのを見て、その瞬間アルキメデスの原理のヒントを発見したと言われる。<br /><br />この時、浴場から飛び出たアルキメデスは「ヘウレーカ、ヘウレーカ」(分かったぞ)と叫びながら裸で走っていったという。<br /><br />アルキメデスは、王冠と同じ質量の金塊を用意し、これと王冠を天秤棒に吊るしてバランスが取れることを確認した後に、天秤棒に吊るしたまま両方とも水を張った容器に入れた。空気中では天秤棒は、てこの原理によりバランスが保たれている。てこの原理は水中でも変わらないので、もし金塊の体積と王冠の体積が同じであれば、つまり金塊の密度と王冠の密度が同じであれば、両方を水中に沈めても、天秤棒のバランスは保たれるはずである。<br /><br />しかし、実際には水中でのバランスが崩れたために、王冠と金塊の密度が違うということが判明し、金細工師の不正が明らかになった。これがアルキメデスの発見した浮力の原理である。金細工師の名は伝えられていないが、その後、死刑になったと伝えられる。、、」ウィキより、、<br /><br /> 原理はよくわからんが、先のシチリア王家の謎、わかった時には「ヘウレーカ!ヘウレーカ!」でした。

    「アルキメデス(前287年? - 前212年)は、古代ギリシアの数学者、物理学者、技術者、発明家、天文学者。古典古代における第一級の科学者という評価を得ている。」ウィキより

     数学は詳しくないけど、どこかで聞いたことがある、、、調べたら少し思い出した!「アルキメデスの原理」、、、高校物理で習ったような、、、違ったか?

    「当時、ギリシア人の植民都市であったシラクサの僭主ヒエロン2世が金細工師に金(きん)を渡し、純金の王冠を作らせた。ところが、金細工師は金に混ぜ物をして王から預かった金の一部を盗んだ、という噂が広まった。そこで、ヒエロンはアルキメデスに、王冠を壊さずに混ぜ物がしてあるかどうか調べるように命じた。アルキメデスは困り果てたが、ある日風呂に入ったところ、水が湯船からあふれるのを見て、その瞬間アルキメデスの原理のヒントを発見したと言われる。

    この時、浴場から飛び出たアルキメデスは「ヘウレーカ、ヘウレーカ」(分かったぞ)と叫びながら裸で走っていったという。

    アルキメデスは、王冠と同じ質量の金塊を用意し、これと王冠を天秤棒に吊るしてバランスが取れることを確認した後に、天秤棒に吊るしたまま両方とも水を張った容器に入れた。空気中では天秤棒は、てこの原理によりバランスが保たれている。てこの原理は水中でも変わらないので、もし金塊の体積と王冠の体積が同じであれば、つまり金塊の密度と王冠の密度が同じであれば、両方を水中に沈めても、天秤棒のバランスは保たれるはずである。

    しかし、実際には水中でのバランスが崩れたために、王冠と金塊の密度が違うということが判明し、金細工師の不正が明らかになった。これがアルキメデスの発見した浮力の原理である。金細工師の名は伝えられていないが、その後、死刑になったと伝えられる。、、」ウィキより、、

     原理はよくわからんが、先のシチリア王家の謎、わかった時には「ヘウレーカ!ヘウレーカ!」でした。

  •  シラクーザの観光は終了しました。お腹減ったので、お昼をば!

     シラクーザの観光は終了しました。お腹減ったので、お昼をば!

  • もちろん、大好物のこれです!<br /><br />が、メモによれば「残念なカルボナーラ」でした。カルボナーラって作るの難しいんです。

    もちろん、大好物のこれです!

    が、メモによれば「残念なカルボナーラ」でした。カルボナーラって作るの難しいんです。

  •  さて、そろそろ、予約してたポッツァロ行きの列車に、、、<br /> でもちょっと早かったみたい、、、1本前の列車に乗れる、、けど、予約してたので、1時間程次の列車待ちます、、、<br /><br />※もちろん、1番ホーム外れの付近は、吸殻拾って綺麗にしました、、、。

     さて、そろそろ、予約してたポッツァロ行きの列車に、、、
     でもちょっと早かったみたい、、、1本前の列車に乗れる、、けど、予約してたので、1時間程次の列車待ちます、、、

    ※もちろん、1番ホーム外れの付近は、吸殻拾って綺麗にしました、、、。

  • 電光掲示板見て確認。すると1番ホーム◯◯◯、<br />n、◯◯◯って何?<br /><br />で、行ってみたら、、、!ヘウレーカ!<br /><br /> ◯◯◯の意味はきっと「奥の方に」、、。ポッツァロ行きの列車は、1番ホームはホームでも、外れにあるようです。ウクライナのオデッサから出るモルドバ行きの列車も、そんな感じでした。

    電光掲示板見て確認。すると1番ホーム◯◯◯、
    n、◯◯◯って何?

    で、行ってみたら、、、!ヘウレーカ!

     ◯◯◯の意味はきっと「奥の方に」、、。ポッツァロ行きの列車は、1番ホームはホームでも、外れにあるようです。ウクライナのオデッサから出るモルドバ行きの列車も、そんな感じでした。

  • ホテルの写真、撮ってなかったのでパチリ!駅の目の前にあるホテルです。

    ホテルの写真、撮ってなかったのでパチリ!駅の目の前にあるホテルです。

  •  さて、そろそろ出発時刻に近づいてきましたので、戻ってみたら、、、さっきは気づきませんでした。<br /><br /> なんと、乗る列車はメイドインJAPAN!<br />Inspire the Next! の日立製じゃないですか!本当に感動しました。イギリスに輸出されたというニュースは目にしましたが、まさかイタリアにも来ていたとは!

     さて、そろそろ出発時刻に近づいてきましたので、戻ってみたら、、、さっきは気づきませんでした。

     なんと、乗る列車はメイドインJAPAN!
    Inspire the Next! の日立製じゃないですか!本当に感動しました。イギリスに輸出されたというニュースは目にしましたが、まさかイタリアにも来ていたとは!

  •  超カッチョいいです!

     超カッチョいいです!

  • スンバらしいデザイン!<br /><br />Siracusa15時40分発 ポッツァロ16時52分着 62キロ<br />Regionale 12938 2等7.1ユーロ

    スンバらしいデザイン!

    Siracusa15時40分発 ポッツァロ16時52分着 62キロ
    Regionale 12938 2等7.1ユーロ

  • HITCHI、、、誇らしくなっちゃいます!

    HITCHI、、、誇らしくなっちゃいます!

  • いいねー<br />いたずら書き?はされてますけど、、、

    いいねー
    いたずら書き?はされてますけど、、、

  • 車内もとっても美しいです!<br /><br />(でも、乗客が、、、自分合わせて3人だけ、、、いずれ廃線になっちゃうかも、、、)

    車内もとっても美しいです!

    (でも、乗客が、、、自分合わせて3人だけ、、、いずれ廃線になっちゃうかも、、、)

  • なんか、未来の乗り物感、感じます!

    なんか、未来の乗り物感、感じます!

  •  で、この日本製列車に乗って、南のポッツァロへ、、、<br /> あいかわらず、柑橘系栽培してますね。

     で、この日本製列車に乗って、南のポッツァロへ、、、
     あいかわらず、柑橘系栽培してますね。

  • 車内の電光掲示板で、次の停車駅は、、、さすが日本製、親切すぎる!

    車内の電光掲示板で、次の停車駅は、、、さすが日本製、親切すぎる!

  • で、ポッツァロ駅到着!<br />ちょっと写真ぶれちゃいました!<br /><br />イタリアで日本製の列車に乗れるなんて、、、ついてる!これでイタリア南北縦断達成!

    で、ポッツァロ駅到着!
    ちょっと写真ぶれちゃいました!

    イタリアで日本製の列車に乗れるなんて、、、ついてる!これでイタリア南北縦断達成!

  • 駅からはタクシー拾ってフェリーターミナルへ。<br />あれがマルタ行きのフェリーのようです!<br /><br />※シチリア島のタクシー、メーターついてないんですね。チュニジアではついてたのに、、不思議?<br /> 料金10ユーロ!

    駅からはタクシー拾ってフェリーターミナルへ。
    あれがマルタ行きのフェリーのようです!

    ※シチリア島のタクシー、メーターついてないんですね。チュニジアではついてたのに、、不思議?
     料金10ユーロ!

  • この旅では3度目のフェリーです。

    この旅では3度目のフェリーです。

  • Virtu Ferries<br />★ポッツァロ発19時00分 ★マルタ着20時45分<br /><br />料金、1万2千円程? <br />※実はローマーマルタの格安航空券の方が安い!<br />フェリー予約はここで、、 <br />https://www.directferries.jp/pozzallo_valletta_ferry.htm

    Virtu Ferries
    ★ポッツァロ発19時00分 ★マルタ着20時45分

    料金、1万2千円程? 
    ※実はローマーマルタの格安航空券の方が安い!
    フェリー予約はここで、、 
    https://www.directferries.jp/pozzallo_valletta_ferry.htm

  • でも、船旅好きなんで、、、

    でも、船旅好きなんで、、、

  • でも、夜に着くので、マルタの全景見れないのが難!<br /> ディナー食わせる魂胆かな?

    でも、夜に着くので、マルタの全景見れないのが難!
     ディナー食わせる魂胆かな?

  • さあ、出港です!

    さあ、出港です!

  • イタリアよ、さらば、(またすぐ戻ってくるけど、、、)

    イタリアよ、さらば、(またすぐ戻ってくるけど、、、)

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この旅行記へのコメント (2)

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  • kasekunさん 2025/03/23 08:48:49
    いいね、ありがとうございます!
    いやー、シチリア王国調べたら、スペインの王国が何度も何度も王位継承に出てくるんで、不思議に思って調べたら、、、。イタリアとスペイン、なんで離れてるのに文化も言語(フランス語とは全然違う!)も似てるのかがやっとわかりました。で、思い出したんです。昔、征夷大将軍を調べたなあって。で、余談で書きました。読んで頂きありがとうございます!ちなみに、八幡太郎源義家が東北で活躍できたのも、若輩の北畠顕家が東北の軍勢を率いて上洛できたのも、この坂上田村麻呂の後裔だったことが大いに関係あるんじゃないかなと思ってます。(笑)

    アルファロメオのことは全くわかりませんが、南イタリアは冬でも暖かでいいところでした。
    今後ともよろしくお願いします!
  • arfaさん 2025/03/23 04:04:45
    征夷大将軍(笑)
    こんばんは。
    まさか、シチリア旅行で征夷大将軍の資格を習うことになるとは思いませんでしたがなるほどのお話しでした。
    実はシチリアも私の行きたいリストにずっと入ったままなんですよ。島の外周回りとコルレオーネ村に行きたいんですよ(笑)あのアルファロメオ2900が爆破されて奥さんが亡くなるシーンのロケ地を見たいと思っています。

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