2025/01/07 - 2025/01/07
23位(同エリア707件中)
ローマ人さん
この旅行記のスケジュール
2025/01/07
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この旅行記スケジュールを元に
旅の初日は、午前中に福井城址を巡った後、午後は一乗谷朝倉氏遺跡を訪れました。
*スケジュール
1月7日(火)
羽田空港→小松空港
・福井城址
・一乗谷朝倉氏遺跡
ホテルフジタ福井泊
1月8日(水)
・永平寺
・丸岡城
ホテル金沢泊
1月9日(木)
・近江町市場
・尾山神社
・鼠多門、玉泉院
・金沢城
・兼六園
小松空港→羽田空港
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
福井城址を巡った後、バスで一乗谷朝倉氏遺跡に向かいます。
写真はバス乗り場案内図です。福井駅駅 駅
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バス乗り場は、福井駅西口広場の5番乗り場です。
場所は、恐竜ロボット「ティラノサウルス」の近くです。 -
12:00発、京福バス一乗谷・鹿俣行に乗車。
乗り場には乗車待ちの長い列ができていたので最後尾で待っていたら、バスが到着しても誰も乗車しません。
行き先が違うのかなと思って表示板を確認すると、間違いなく一乗谷・鹿俣行だったので慌てて乗車した次第です。
待ち列は次のバスだったようで、結局このバスに乗車したのは私一人でした。
このバスは東口バス停を経由するのでそこから乗車することもできますが、駅前ロータリーではなく駅から少し離れた場所にあるので、こちらを利用するのが便利だと思います。 -
バスに約25分乗車して一乗谷朝倉氏遺跡博物館前バス停で下車。
料金は640円でした。 -
バス停近くにあった一乗谷の案内図です。
一乗谷は、1400年後半から約100年間、5代にわたって越前(現在の福井県)を統治した戦国大名朝倉氏の拠点だった場所です。
海から遠く離れた山深い場所に位置し、統治や交易に不便な場所のように感じますが、かつては近くを流れる足羽川(あすわがわ)の水運を利用することで海にもつながる便利な場所だったようです。
足羽川の支流「一乗谷川」に沿った両岸に城下町の遺跡が広がり、一乗谷朝倉氏遺跡博物館は足羽川と一乗谷川の合流点に位置しています。
この場所にはかつて船着き場があったそうで、一乗谷の入口だった場所だと言えるでしょう。 -
福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館です。
開館時間は9:00~17:00(入館は16:30まで)。
休館日は毎週月曜日、年末年始。福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 美術館・博物館
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エントランスです。
正月飾りが残っています。 -
チケット販売機です。
入場料金は一般700円、高校生400円、小中学生200円、70歳以上350円。
私は、次に訪れる「復元街並」との共通券820円を購入しました。
個別に購入するよりも2割引きになります。 -
インフォメーションです。
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全館案内です。
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入館します。
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フォトスポット。
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1階は手前にガイダンスエリアがあります。
朝倉氏の歴史と遺跡発掘の歩みについて、大型映像やマップなどで紹介しています。 -
ガイダンスエリアの展示パネル。
朝倉氏は但馬の国(現在の兵庫県)朝倉荘の出身で、南北朝時代に越前国守護の斯波氏に従い越前に入国しました。
1400年中頃に起こった応仁の乱を経て、下剋上で斯波氏を倒し、越前一国を治める大名となり、一乗谷を拠点に5代約100年にわたる繁栄を築きました。 -
ガイダンスエリアの展示パネル。
歴史年表。 -
ガイダンスエリアの展示パネル。
一乗谷マップ。 -
ガイダンスエリアの展示パネル。
遺跡の発掘・保存について。 -
将棋の藤井壮太竜王と佐々木勇気八段の写真パネルがありました。
第37期竜王戦七番勝負の第2局が、この博物館で令和6(2024)年10月19・20日の両日で行われたそうです。 -
ガイダンスエリアの奥に遺跡展示室があります。
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博物館建設の事前発掘調査で見つかった戦国時代の遺構「石敷遺構」が発掘されたままの姿で展示されています。
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石敷遺構の説明パネル。
下部が埋まって浅くなった川を横断するように土が盛られ、その上に大量の川原石が敷き詰められた遺構です。 -
石敷遺構。
遺構を1周して見ることが出来るようになっています。 -
石敷遺構。
長さ38m、幅5.6mの大規模な遺跡です。 -
石敷遺構。
戦国時代、博物館がある地区には、川を使って運ばれた品物が集まり売買される「川湊」があったと伝承されていて、船着き場跡という説もあるそうです。 -
次は2階へ。
基本展示室と朝倉館原寸再現室があります。 -
基本展示室です。
朝倉氏の歴史と城下町「一乗谷」について、約170万点の出土品をもとに展示紹介しています。 -
基本展示室です。
越前朝倉氏の始まり。 -
朝倉家10代当主、朝倉孝景の書状。
文明6(1474)年の杣山(そまやま)合戦に関して出されたものだそうです。 -
基本展示室です。
朝倉氏の内政と外交。 -
羽柴秀吉書状。
朝倉義景が自刃した2日後に羽柴(豊臣)秀吉が丹後国(現在の京都府北部)の武士の矢野氏に宛てて出した書状。 -
基本展示室です。
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基本展示室です。
朝倉氏の戦。
元亀元(1570)年、織田信長と朝倉義景の対立が深まり、同年4月に信長が敦賀・金ヶ崎城を攻めました。
朝倉氏は、浅井氏や比叡山延暦寺、大阪本願寺などの諸勢力と連合し、対信長包囲網を張り、以後4年にわたる義景と信長の交戦が続きました。
一連の争乱は、元亀年間と重なることから「元亀争乱」と呼ばれています。 -
一乗谷からは様々な武器・武具が出土しています。
これらは金属や皮革・漆・織物などの材料を組み合わせて作られています。
土に埋まって腐食した状態になっていますが、当時の形状を知る大きな手掛かりになっているそうです。
写真は、甲冑大袖です。
肩から上腕部を守る甲冑の一部で、革製の小札(こざね)を綴じ合わせ黒漆で塗り固めて段状につないだ部品を、方部につけて防護します。 -
兜の錣(しころ)です。
兜の後頭部から首周りを守る部分で、頭頂部を守る兜の鉢の周りに漆を塗った鉄製の小札を綴じて付けたものです。 -
基本展示室です。
城下町の滅亡とその後。 -
基本展示室です。
城下町を支えた職人たち。 -
基本展示室です。
一乗谷では井戸は町家で1軒につき1基、武家屋敷や寺院では2~3基あり広く普及していたそうです。
戦国時代の京都の井戸枠が木製だったことに対して、一乗谷に井戸枠はでは笏谷石製、内部も石積みで頑丈に作られていたそうです。 -
城下町の巨大ジオラマがあります。
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ズームアップ。
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大甕。
藍染を行っていた「紺掻(こうかき)」という職人が使っていたものとか。 -
元亀2(1571)年に造られた石灯籠。
倒壊した状態で見つかった、笏谷石製で高さが2.5mある大型の燈籠で、竿石には四面に仏像が半肉彫りされています。 -
供養板碑。
高さ88cmの大型の板碑型石仏で、中央に釈迦如来坐像を浮き彫りし、周りに12人の戒名と没年月日が刻まれています。 -
展示品。
備蓄銭です。
一乗谷の武家屋敷の井戸跡からまとまって出土したもので、全部で16,431枚あるそうです。
一乗谷の滅亡時に投げ込まれたものと考えられているそうです。 -
展示品。
発掘された将棋の駒。
朝倉館跡の発掘調査で、外堀から174枚の将棋の駒が発見され、その中の1枚の表には現在の将棋の駒には無い「酔象」、裏には「太子」と記されていました。 -
「酔象」は、真後ろ以外に動くことが出来、敵陣に入ると「太子」に成り、全方向に動くことが出来るようになります。
太子は王将と同じ価値を持ち、王将をとられても負けにならないのだそうです。
将棋が現在の形になったのはいつかを知る手がかりになっているそうです。
朝倉館が将棋と浅からぬ因縁があることが分かり、この博物館で竜王戦が行われたことも納得がいきました。 -
基本展示室です。
華麗なる朝倉文化。 -
毛氈鞍覆(もうせんくらおおい:複製)と白傘袋(複製)。
毛氈鞍覆は、引馬(行列の先頭の馬)の鞍に被せる毛氈(当時は貴重だった輸入品の毛織物で作られた敷物)、白傘袋は、衣笠(絹を張った長柄の傘)を入れる袋のことです。
どちらも当時の将軍邸に向かう際などの儀式的な大名行列で使われますが、使用できる武将は限られていました。
この特権を、朝倉家では永正13(1516)年に4代孝景が室町将軍より使用を許可されました。 -
朝倉氏のもてなし。
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朝倉家のごちそう。
室町幕府15代将軍の足利義昭を迎えてもてなした時の献立。
すごい品数です。 -
朝倉家の宝刀。
上段が朝倉長光(あさくら ながみつ)の複製です。
鎌倉時代後期の刀工・長船長光の作で、朝倉家が所有した由緒から「朝倉長光」の名物銘が伝わる刀剣だそうです。
実物は存在せず、刀絵図によってのみその姿が知られているそうです。 -
次は、朝倉館原寸再現室です。
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発掘された朝倉館の一部が原寸大で再現されています。
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朝倉館復元模型。
朝倉館を1/50の模型で再現しています。 -
ズームアップ。
原寸大で再現されているのはこの部分です。 -
朝倉館推定配置図です。
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再現された場所を見ると、そのスケールの大きさに驚かされます。
建物の間には広い中庭が設けられています。 -
足利義昭を迎えて宴を催していたという大広間「会所」です。
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押板(中世の座敷飾りで「床の間」の始まり)の飾りとして掛軸と香炉・燭台・花瓶(けびょう)からなる三具足が再現されています。
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襖の水墨画。
室町時代の書院造建築では襖などに水墨画が好んで描かれていたそうです。
朝倉館にも「鶴ノ間」「猿猴ノ間」などの障壁画を配した部屋があったことが知られているそうです。
往時の空間を想像するため、14枚の襖絵を朝倉氏のお抱え絵師であった曽我派が描いた大徳寺真珠庵(京都市)の「四季花鳥図」を模写によって復元しています。 -
襖の水墨画。
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釘隠し。
釘隠しや襖の引手など建物各所の飾り錺金具(かざりかなぐ)は、一乗谷の出土品や室町時代後期の現存建物に残った物を参考にして復元されたそうです。 -
朝倉氏の家紋「三つ盛木瓜(もっこう)」に因んだ襖の木瓜型引手。
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中庭を囲むように配置された広縁・廊下を巡ります。
中庭には、花壇がつくられています。
室町時代には、足利将軍や公家は好んで邸宅に花壇を作らせていたそうですので、それに倣っていたのでしょう。 -
主殿部分からの中庭の眺め。
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中庭越しに見る会所です。
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池庭越しに見る小座敷(こざしき)です。
池庭は、写真左側の泉殿(いずみどの)と小座敷の縁から観賞できる水を張った庭園です。
室町時代には館内に池庭を配置することが社会的地位を示すことでもあり、一乗谷では朝倉氏一族に関わる館などに限り、池庭が配置されていたそうです。 -
小座敷です。
茶室の起源となる室町時代の茶の湯座敷のことだそうです。
足利義昭の休息所として使われたそうです。 -
小座敷からの池庭の眺め。
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枯山水様の平庭です。
小座敷の縁(写真左側)から観賞できた庭園で、室町時代に好まれたという色彩豊かな緑泥片岩などを据え、花壇との仕切塀により小空間を形成しています。 -
見学を終えて、1階のインフォメーション横にあるカフェ「CARAMON(カラモン)」で遅めの昼食です。
CARAMON asakura グルメ・レストラン
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メニューです。
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メニューです。
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福井名物のソースカツ丼にしました。
揚げたてでしっかりした厚みのカツで美味しかったです。 -
昼食後、一乗谷朝倉氏遺跡博物館前バス停から14:04発のバスに乗り、14:08に「復元街並」に到着。
復元街並は、発掘された約200mにわたる道路に面した一乗谷城下町の街並みを、発掘調査で見つかった塀の石垣や建物礎石をそのまま使い忠実に再現したものです。
写真は、復元街並入場口で、売店や休憩所、トイレがあります。 -
御城印はここで購入できます。
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有料ゾーンに入場します。
料金は大人(15歳以上)330円、小中学生100円です。
営業時間は9:00~17:00(入館は16:30まで)。
休館日は年末年始。 -
復元街並のマップです。
左側が南で右側が北で、両側に出入口があります。
私が入場したのは南側の入場口です。 -
順路を進みます。
直ぐに建物跡が見えてきます。
この一帯は上級武家屋敷跡だそうです。 -
通路は90度左に曲がります。
正面の建物は町家だそうです。 -
町家の井戸。
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正面が上級武家屋敷の土塀です。
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上級武家屋敷の門です。
主柱の後ろに控柱がある薬医門は上級武家屋敷の証だそうです。 -
門の内側には、広々とした敷地が広がっています。
敷地の大きさからも格式の違いを知ることが出来るそうです。 -
ここにも井戸があります。
一乗谷では、武家屋敷から町屋に至るまで、ほぼ全屋敷が井戸を持っていたそうです。また、ゴミ捨て場と考えられる石積遺構、排水溝も見つかっていて、現在でいうインフラが完備されていたそうです。 -
復元街並の中央を南北に通る道路です。
道路は真っ直ぐに見えますが、単純な直線ではなく地形を利用し、少し角度をつけて折れ曲がっています。
これは「遠見遮断(とおみしゃだん)」と呼ばれ、敵の侵入に備え、先が見通せないように、そして大人数で攻められないように造られているそうです。
T字路やクランクになっている場所もあります。 -
道路の山側(西側)には上級武家屋敷が連なり、一乗寺谷川側(東側)には町家群があります。
諸行無常 by ローマ人さん一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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町家群です。
門がなく開放的です。 -
町家の内部。
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町家の中庭。
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中級武家屋敷です。
上級武家屋敷と違って、門が2本の支柱で支えた棟門(むねもん)になっています。 -
門の中には武家屋敷が再現されています。
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武家屋敷の中心となる「主殿」です。
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主殿の間取りです。
建物は中央に並ぶ柱で南北に二分され、南半分は畳を敷き詰めた表向きの部屋で、北半分は低い板の間や土間で、納戸や台所になっています。 -
南側の表向きの部屋は、接客や主人の日常の生活の場だったそうです。
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主人と客が将棋を指している場面が再現されています。
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展示されている甲冑。
右側が「黄金の甲冑」です。 -
真柄の大太刀(写真展示)。
刃長221.5cmの大太刀です。
元亀元(1570)年、姉川の合戦で朝倉義景の家臣の真柄十郎左衛門直元が、この太刀を振るって奮戦し、敵を数十名倒したことからこの名で呼ばれているそうです。 -
北側の台所です。
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主殿の隣に復元されたトイレがあります。
このトイレは、日本で初めて確認されたトイレだそうです。
トイレと考えられた穴はたくさん見つかっていましたが、「金隠し」が出土したことで裏付けられたそうです。 -
再現された金隠し。
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T字路です。
北側の道の奥は「矩折(かねおれ)」と呼ばれるクランクになっていて、奥が見通せなくなっています。 -
T字路から東側に延びる道路。
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この門を入ると・・・。
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北側の入場口(出口)です。
資料室が併設され、休憩所とトイレがあります。 -
資料室です。
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復元街並のジオラマがあります。
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遺跡は更に続いていますが、復元街並はここまでです。
まだまだ遺跡を見てみたいのですが、時間が限られていますので、朝倉館跡に向かいます。 -
北側入場口から復元街並を出て、直ぐ近くの一乗谷川に架かる「おやかたばし」を渡ります。
写真左上に見えているのが朝倉館跡です。 -
朝倉館跡の周囲は土塁と堀で囲まれています。
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朝倉館跡の西側入口に建つ唐門です。
朝倉館跡地には、江戸時代になってから朝倉氏を供養するために建てられた菩提寺「松雲院」の山門だったそうです。
その後、松雲院は移転しています。唐門 名所・史跡
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飾り瓦には朝倉家の家紋「三盛木瓜」。
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中は広々としています。
松雲院移転後の発掘調査では、戦国大名にふさわしく、京都の管領邸などの権力を持った武家邸宅と同等の空間が設けられていたことが分かる多数の遺構が確認されたそうです。 -
説明パネルです。
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建物跡が地面に黒く表示されています。
朝倉館跡庭園 公園・植物園
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南側に朝倉義景の墓所があります。
松雲院は移転しましたが、お墓はここに残ったそうです。 -
お墓です。
あまり大きくありません。 -
朝倉館跡全体の俯瞰写真です。
順路に従って高台に上ってきました。
赤丸で囲んだ所が唐門です。
館跡の泉殿と小座敷の部分が平面展示され、見学用できるように整備されていましたが、当日は立入出来ませんでした。 -
朝倉館全体図。
赤丸で囲んだ所が唐門です。 -
朝倉館原寸再現室で再現されていた部分。
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朝倉館跡庭園です。
前の写真で泉殿と小座敷で囲まれた部分です。 -
湯殿跡庭園です。
この庭園は朝倉館跡の南東隅の高台(私が朝倉館跡を俯瞰した場所の少し上部)に位置し、地形を利用して造成された独立峰「観音山」を背景としています。 -
説明パネル。
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山石の巨石を用いた三尊仏や鶴・亀に見立てた石組みが現存しており、現在は枯池ですが、山際で導水路が発掘され、戦国時代には園池に水が湛えられていたことが分かっているそうです。
湯殿跡庭園 公園・植物園
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水路跡です。
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湯殿跡庭園から朝倉館の空堀に架かる橋を渡ります。
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橋からの眺め。
向こうに見えるのは復元街並です。 -
振り返って見る朝倉館跡です。
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橋を渡った場所にあるのが「中の御殿跡」です。
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中の御殿跡の説明パネル。
中の御殿は、朝倉義景の実母である光徳院の屋敷跡と伝わっているそうです。
屋敷は南側の道路(写真の図の右側)に対して門を構え、道路に面した南と東に土塁、さらに東の土塁の外側と北に空堀を廻らしています。 -
中の御殿跡。
建物跡の裏に池跡もあります。 -
南側の道路跡を上って、中の御殿跡の上部にある物見台に向かいます。
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物見台からの中の御殿跡の眺め。
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復元街並を眺めながら・・・。
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水路を越えたところにあるのが・・・。
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諏訪館庭園跡です。
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諏訪館庭園跡。
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諏訪館跡庭園の説明パネル。
諏訪館は朝倉義景の妻である小少将(こしょうしょう)屋敷跡と伝わっているそうです。
諏訪館跡庭園は上下2段の構成となっていて、一乗谷で最も規模が大きい庭園だそうです。 -
下段の庭園です。
滝石組みには高さ4m13cmの巨石が使われています。諏訪館跡庭園 名所・史跡
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諏訪館跡庭園からの眺め。
朝倉義景もこの風景を眺めていたのでしょうか。 -
ズームアップ。
復元街並です。 -
諏訪館跡庭園からの眺め。
橋と復元街並の南側入場口付近が見えます。 -
帰りのバスの時間が近づいてきたのでバス停に戻ります。
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再び一乗谷川に架かる「すわやかたばし」橋を渡り、巡ってきた場所を振り返ります。
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復元街並の南側入場口から少し南側に寄った場所にある土塁が「上城戸(かみきど)跡」です。
かつては長大な土塁と濠、川や山に囲まれた自然の地形を利用して、城下町の南側入口の守りを固めていました。
戦国時代、一乗谷では城下町の防御を目的に、南北の城下町入口部分の谷が狭くなった場所に城門を設けていたそうです。 -
福井駅方面の復元街並バス停です。
虹が出ていました。 -
15:41発、福井駅西口行バスに乗車。
バスの車窓からの遺跡の眺め。 -
途中、「下城跡」が見えました。
一乗谷の北側入口の守りとして巨石を積み上げた土塁石垣と濠で築かれています。
最後までご覧いただきありがとうございました。上城戸跡、下城戸跡 名所・史跡
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