2025/01/07 - 2025/01/07
30位(同エリア710件中)
ローマ人さん
この旅行記のスケジュール
2025/01/07
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旅の初日は、午前中に福井城址、午後には一乗谷朝倉氏遺跡を訪れた後、福井中心部に戻り市内に戻り、柴田勝家が統治していた時代の北の庄城址に建つ柴田神社にお詣りしました。
*スケジュール
1月7日(火)
羽田空港→小松空港
・福井城址
・一乗谷朝倉氏遺跡
ホテルフジタ福井泊
1月8日(水)
・永平寺
・丸岡城
ホテル金沢泊
1月9日(木)
・近江町市場
・尾山神社
・鼠多門、玉泉院
・金沢城
・兼六園
小松空港→羽田空港
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
一乗谷朝倉氏遺跡を巡った後、バスで福井駅西口に戻りました。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
-
そして北の庄城址・柴田公園に到着。
南側の広い道路に面した入口です。
福井駅からは南西に徒歩で8分位、現在の福井城の南側の場所にあります。北の庄城址 柴田公園 名所・史跡
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北の庄城想像図があります。
現在は公園と柴田勝家などを祀る柴田神社があるこの場所には、朝倉氏滅亡後に柴田勝家が築いた北ノ庄城の九層の壮大な天守があったと考えられているそうです。 -
柴田勝家と妻「お市の方」、お市の方の3人の娘「茶々(後に豊臣秀吉の側室「淀殿」)、お初(後に藤堂高次の正室)、お江(後に徳川2代将軍の徳川秀忠の正室)」。
柴田勝家は、織田信長の重臣で朝倉氏滅亡後に越前49万石を治めるようになり、北の庄城を築き、現在の福井市の基礎を築きました。
しかし、織田信長が亡くなった後の後継者争いで羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に攻められ落城し、この地で亡くなりました。
お市の方は、織田信長の妹で絶世の美女といわれ、政略結婚により近江の浅井長政に嫁ぎ1男3女をもうけました。
浅井長政が織田信長に滅ぼされた後、天正10(1582)年に3人の娘を連れて柴田勝家に嫁ぎますが、落城の際に柴田勝家と共に亡くなりました。
3人の娘は北の庄城落城時にお市の方の配慮で城から逃れて生き残り、その後、数奇な運命をたどりました。 -
北の庄城址と隣にある柴田公園のマップ。
北の庄の「の」の字の表記がひらがな・カタカナ両方ありますが、福井市HPの表記に従いひらがなで表記しています。 -
北の庄城公園の南側入口横に、再生された「九十九橋(つくもばし)」があります。
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九十九橋は、かつて柴田勝家が北陸道と足羽川(あすわがわ)が交わる場所に架けたという、南半分(写真手前側)に石材を使い、北半分(写真奥側)は木材を使用して造られた「半木半石」の橋だそうです。
柴田勝家の事績の1つとして再生されたもので、欄干部分は往時から残されていた旧石材が使われているそうです。 -
公園の南西隅からの眺め。
遺構の上に通路が設けられた体裁。 -
一段低くなった場所に北の庄城堀跡の露出展示があります。
かつてこの場所には東西方向の幅が25m以上ある南北に延びる堀があったそうで、この展示は堀南面の石垣だそうです。 -
こちらは福井城の百間堀跡の石垣と土居の露出展示です。
ここは、北の庄城と福井城の遺構が重なっているようです。 -
公園の東側に「越前北ノ庄城址」の碑文が刻まれた石碑があります。
現代日本画家として著名で、柴田勝家の末裔の平山郁夫氏が揮毫した碑文だそうです。 -
公園の中ほどに柴田勝家の像があります。
手前の砂地は福井城の日向門があった場所で、礎石の痕跡が表示されています。
日向門は、福井城三の丸南側の曲輪の南東隅に位置していました。 -
柴田勝家の像です。
像が建っている場所は、日向門横の土居だった場所だそうです。 -
ズームアップ。
無骨な性格でその勇猛ぶりから「鬼柴田」と呼ばれたことにふさわしく、精悍な顔をしています。柴田勝家像 名所・史跡
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柴田神社拝殿です。
柴田神社 寺・神社・教会
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御朱印をいただきました。
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発掘調査で出土した状態のままで露出展示された拝殿下の石垣。
この石垣は、福井城三の丸の南に位置する曲輪の南西部にあたり、当時は今の石垣よりも更に数段高く積まれていました。
堀は、ここより西へ約150m続き、堀幅は約18mあったそうです。 -
こちらは北の庄城石垣の露出展示。
発掘調査の結果から、この石垣は本来、高く積まれていたものを、江戸時代に福井城築城に際し取り除かれ、石垣の根元の「根石」だけが残った状態と考えられているそうです。 -
柴田勝家像の横に建つ、お市の方・殉難将士の慰霊碑です。
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更に4体の女性のブロンズ像もあります。
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これは「三姉妹」像です。
前列「お江」、後列右「お初」、後列左「茶々」。 -
こちらは「お市の方」像です。
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手水舎です。
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鳥居です。
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柴田神社の北側にある参道入口です。
こちらが正式な入口のようです。
柴田神社を後にして、由利公正広場に向かいます。 -
途中、面白い壁アートがありました。
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大きな通りに出ると、福井市の市街中心部の南側を流れる足羽川が見えてきました。
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足羽川に架かる幸橋です。
橋頭の親柱は歴史を感じさせるデザインのです。幸橋 名所・史跡
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渡ります。
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足羽川の流れ。
川幅がある大きな川です。 -
幸橋の南詰に由利公正広場があります。
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由利公正像です。
由利公正広場 名所・史跡
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ズームアップ。
由利公正は、幕末・明治期の政治家です。
文政12年(1829)、現在の福井市毛矢1丁目に福井藩士三岡義知の長男として生まれました。初め石五郎、後に八郎、公正と改名しました。また、明治3年(1870)以後は、先祖の旧姓の由利を名乗りました。
横井小楠(よこいしょうなん)に師事し、藩の財政建て直しを含む、藩政の改革に貢献しました。
明治新政府の成立後は太政官札(新政府の発行した最初の紙幣)を発行するなど、財政基盤の整備や、「五箇条の御誓文」の原案となった「議事之体大意」を作成しました。
その後、東京府知事となり、銀座通りの整備等を行いました。
また、民撰議院設立建白書にも名を連ね、明治42年(1909)に、81歳で亡くなりました。
*福井県HPより -
由利公正功績説明ボード。
このような人物がいることを今回の旅で初めて知りました。 -
「議事之体大意(ぎじのていだいい)」展示ボード。
五箇条の御誓文の原案となった「議事之体大意」(福井県立図書館蔵)を展示しています。 -
柴田勝家の菩提寺の西光寺です。
幸橋から徒歩5分程の場所にあります。
天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)の寺院で、宗正式名称は「光明山北ノ庄乗律院西光寺」です。
御本尊は阿弥陀如来。
延徳元(1489)年に朝倉氏によって創建され、柴田勝家が北の庄城築城の際にこの地に移築し菩提寺にしたと伝わっています。西光寺 寺・神社・教会
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本堂はコンクリート造りの近代的なものになっています。
第2次世界大戦の福井空襲や福井地震での被害を受け、その後に再建されたそうです。
時間が遅くなり御朱印をいただくことはできませんでした。 -
境内に柴田勝家公資料館があります。
拝観時間は12:00~16:00。
拝観料金は300円(中学生以下は無料)。 -
柴田勝家公資料館前にある「柴田勝家公御像堂」の石柱。
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残念ながら拝観時間を過ぎていたので、ドアの外側から拝観しました。
柴田勝家とお市の方の座像ば見えました。 -
「柴田勝家公・お市の方の墓」がある場所に来ました。
西光寺の境内だそうですが、西光寺の本堂からは東側に少し離れた場所にあります。 -
「柴田勝家、お市の方の墓」です。
柴田勝家、お市の方の墓の他に、勝家の甥の柴田勝豊と勝家の子供の作次郎の墓が合祀されているそうです。 -
ズームアップ。
「越前式石廟」と呼ばれる石の祠の中に五輪の塔が5基納められています。 -
墓の隣には「里程原標」があります。
里程原標(りていげんぴょう)とは、現在の道路原標の明治時代の呼称で、道路の路線の起点や終点を表示するための標識のことです。
明治42(1909)年、柴田勝家が築いた半木半石の九十九橋を鉄筋製に改築した際に、橋桁に使われていた石柱で作製し橋がある場所に建てていましたが、柴田勝家の遺徳を顕彰するために、この場所に保存することになったのだそうです。 -
西光寺からほど近い場所にある佐内公園です。
入口近くに像が建てられています。 -
橋本左内像です。
橋本左内は、江戸時代末期の福井藩士、思想家で、若くして才覚を発揮した人物です。
藩医の長男として生まれ、15歳で大阪の著名な蘭学者の緒方洪庵(おがたこうあん)が開いた適塾に入門し蘭学を学びました。
藩校「明道館」の教師として藩校改革などの任に当たった後、当時の16代藩主「松平慶永(春嶽)」の側近として登用され、藩の政治、国の政治に関わり奔走します。
しかしながら、幕府の日米修好通商条約、将軍の跡継ぎ問題などの諸政策に反対する勢力に対し、当時の幕府大老の井伊直弼(いい なおすけ)が行った弾圧「安政の大獄」により26歳の若さで斬首の刑に処せられました。
江戸幕府将軍の跡継ぎ問題で、松平慶永を援けて一橋慶喜(後の15代将軍 徳川慶喜)を14代将軍に擁立する運動を展開したことを咎められたようです。左内公園 公園・植物園
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橋本左内が15歳の時に著した「啓発録」の碑が設置されています。
碑には5つの項目が刻まれています。
一、稚心を去る(親への甘えや目先の遊びなど、子供っぽい心を捨て去る)
一、気を振う(他人に負けない強い気持ちを持つ)
一、志を立てる(人生の目標を明確に定める)
一、学に勉める(社会に役立つ人間になるために、絶えず学び続ける)
一、交友を択ぶ(互いに高め合い、励まし合える良き友を選ぶ)
自分の生活を反省し、自分自身を激励し、自分に言い聞かせる意味で述べたもので「啓発録の5訓」と呼ばれているそうです。
15歳で考えたものとは思えないようなハイレベルな内容で驚きです。 -
橋本左内の墓もあります。
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公園の一角に「芭蕉宿泊地洞哉宅跡」があります。
元禄2(1689)年8月、松尾芭蕉が「月日は百代の過客にして・・・」の序文で始まる紀行文「奥の細道」の旅の途中に訪れた、福井の俳人「洞哉(とうさい)」の家があった場所だそうです。
芭蕉は2泊し、洞哉と連れ立って敦賀に向かったのだそうです。洞哉宅跡 名所・史跡
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松尾芭蕉と洞哉の説明パネル。
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奥の細道の旅。
芭蕉は、元禄2(1689)年3月27日に弟子の曾良と共に江戸を発ち、東北、北陸を巡る旅に出ました。
太平洋側を北上して平泉、山寺を巡り、象潟からは日本海側を南下して、同年8月11日に福井に至っています。
福井の後は敦賀を訪れ、8月21日に岐阜県の大垣で旅を終えています。 -
洞哉は、奥の細道で福井の俳人「等栽」として登場する人物で、俳号を複数持っていたことが知られていますが、その人物像は全く分かっていないそうです。
洞哉の住んでいた家の正確な場所ははっきりとしていませんが、研究によりこの付近(福井市左内町)に住んでいたことが分かったそうです。 -
芭蕉が詠んだ俳句のパネル。
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ズームアップ。
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橋本左内の菩提寺「善慶寺」です。
左内公園に隣接しています。 -
帰り道、由利公正像がライトアップされていました。
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福井市の中心市街地を南北に縦貫するフェニックス通りを、幸橋から北方向に向かって歩いてきました。
写真は、福井鉄道福武線の福井城址大名町駅です。
この辺りは軌道線(路面電車)です。 -
佐佳枝廼社(さかえのやしろ)です。
御祭神は、徳川家康、福井藩藩祖の松平秀康(結城秀康)、16代藩主の松平慶永(春嶽)です。佐佳枝廼社 寺・神社・教会
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鳥居を潜り、階段を上って拝殿に向かいます。
長い参道です。 -
狛犬です。
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拝殿です。
拝殿の後ろに見える建物が、私が宿泊するホテルフジタ福井です。 -
拝殿の向かって右隣りにある手水舎です。
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拝殿前の狛犬。
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扁額。
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拝殿前です。
グラデーションになった折り鶴が印象的です。 -
境内社の栄稲荷大明神。
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御朱印をいただきました。
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ホテルフジタ福井に戻りチェックイン。
客室です。郷土色豊かな料理をそろえた朝食ビュッフェが美味しい by ローマ人さんホテルフジタ福井 宿・ホテル
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シングルベッド。
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設備は年季が入っていますが、清掃が行き届いていて過ごしやすいです。
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バスルームです。
温度、湯量共に問題なし。 -
部屋からの眺望です。
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夕食を食べに行こうとホテルを出ると霰が降っていました。
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夕食の場所に選んだのは、福井随一の歓楽街として有名な片町にある炉端焼き「弥吉本店」です。
ホテルからは歩いて7分位の場所にあります。弥吉本店 グルメ・レストラン
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店内です。
カウンターと小上り。 -
先ずは生ビール。
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カワハギ造り。
身の一部が花びら状に盛られていて見た目も良いです。
肝が濃厚で食べ応えがありました。 -
次は日本酒にしました。
福井の地酒「黒龍」純米吟醸2合。 -
料理は大しゃもじで提供されます。
大しゃもじは久しぶりに見かけました。 -
ハタハタの塩焼き。
身がホクホクして美味しいです。 -
イカゲソの塩焼き。
身が甘く、歯応えがあって美味しいです。
蟹が食べたかったのですが、メニューに無くて残念でした。
これで夕食は終了です。 -
夕食後は、歓楽街「片町」を散策。
蟹が食べたくて飲食店を数件見て回りましたが、適当な店が見つからず断念しました。 -
片町です。
歓楽街というだけあってバー・スナックなどの飲食店は多いものの、思ったよりも人通りは少ないです。
弥吉本店のスタッフの話では、片町はかつてはかなり賑わっていたものの、新型コロナ禍の自粛期間を経て、以前ほどの勢いには回復していないとのことでしたが、その通りに感じました。 -
10年位前のバスツアーで宿泊したホテルを見つけました。
前回は福井市内は宿泊だけだったので、今回初めて位置関係が分かりました。アパホテル<福井片町> 宿・ホテル
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ソースかつ丼で有名なヨーロッパ軒の総本店です。
当日の火曜日は定休日でした。ヨーロッパ軒 総本店 グルメ・レストラン
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ホテルに戻りました。
外を見ると、雪が激しく降り出して積もり始めていました。
最後までご覧いただきありがとうございました。郷土色豊かな料理をそろえた朝食ビュッフェが美味しい by ローマ人さんホテルフジタ福井 宿・ホテル
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